2019年8月17日 (土)

№4154 再三蓮田サービスエリアへ買物に

 7月末に新装開店した「蓮田サービスエリアPasar」だが、このサービスエリアには高速道を利用しない人も入場できる。ここには生鮮食料品売り場があり、果物、野菜、お弁当、肉、魚などを売っている。特に果物や野菜が新鮮で安い。

Sdscn0796  行くたびに買って来る桃が美味しい。先日買ってきた桃2パックももう食べ終わった。さて、また買ってこようか。自宅から車で10分ほどだ。今までは長蛇の車の列だったが、この日行ったら並んでいる車がなく、すんなり入場できた。目指すは「見切り品」の桃のパックだ。桃は熟したり傷むのが早いようで、店の隅には見切り品のパックが並んでいた。

 パックには4個の桃が入っていたが、中には5個入って580円のものもあった。比較的傷みの少ない4個パックを買って帰った。ただ、買ってきた桃を見た女房に怒られた。「こんなに傷んだ桃を買ってきて、どこを見ているのよ。もっと程度の良い桃を選んで買ったらどうなのよ」という。比較的程度が良かったものを買ったのにしようがないね。傷んだ桃は私が食べるよ。それにしても、先日買った桃は程度が良かった。

Sdscn0797  せっかく行ったので、桃だけでなく梨も買うことにしよう。10個入ったパックが1000円だ。梨は、蓮田の名産品でもある。近くに農協の農産物売り場があるが、このサービスエリアの方が安い。桃と梨に加え、枝豆とマグロのぶつ切りも買ってきた。

 果物は食べてみなけれがわからない。自宅に持ち帰ってさっそく食べてみたが、桃はあ熟れ過ぎていたし、梨もいま一つ味がパッとしなかった。先日買ったのは美味しかったのに、今回は外れだったな。

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2019年8月16日 (金)

№4153 「お墓」を考えよう

 昨日の記事の続きになる。弟の墓参りの後に、川崎の姉が死んだら入る予定というお寺に行ってみた。姉は、このお寺の共同墓地に入るつもり、といっていた。その共同墓地は、3年後に出きる予定らしい。「共同墓地ができる前に死んだらどうしようか」と心配していたら、お寺の奥さんが「大丈夫ですよ。共同墓地ができるまで、お骨をお預かりしますから」といっていた。

 姉の家に行って、お盆の昼食会を行った。当初お寿司を食べようと計画していたらしいが、計画を変更して素麺を食べることになった。私は毎日のように素麺を食べているが、川崎の姉はほとんど食べないといっていた。夏の定番、素麺を食べないとはどういう食生活をしているのだろうか。途中、スーパーで2束買っていった素麺をすべて茹でた。山のようにできた素麺だったが、4人でぺろりと食べてしまった。

Dscn0389  食べながら話題になったのは、やはりお墓の話だ。5月末に秋田に帰った時に、次兄の墓ができていたのにホッとした。次兄の遺骨は、5年以上もお寺に預かっていたのだ。横浜の姉夫婦もまだ健在なのにもかかわらず、お墓を買ってしまったらしい。義兄がお墓のことをえらく心配して、早々に手に入れたといっていた。

 お墓のことを全然考えていないのは、わが家だけのようだ。漠然と散骨とか樹木葬などと考えていたが、私は具体的に動いたわけではない。ただ、石のお墓だけはいらないのではないかと思っている。石のお墓を立てても、早晩無縁墓になることは間違いない。残っている人にも迷惑だろうと思ってしまう。

 この春、女房が病気で死ぬ目にあった。今でこそピンピンしているが、真剣にお墓を考える時期かもしれない。私にもイメージがないわけではない。姉と同じように、近くのお寺の共同墓地はどうかと思っている。何度かそのお寺さんに行っているが、庭の片隅に共同墓地があった。仏教には宗派があるが、わが実家は浄土宗である。けど、そのお寺は天台宗のようだった。

 川崎の姉は日蓮宗、横浜の姉は無宗派だ。弟はわざわざ探して、世田谷の浄土宗のお墓にしたようだ。私が目指す共同墓地は、宗派に関係あるのだろうか。8月中に、一度女房と一緒に訪ねてみようか。

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2019年8月15日 (木)

№4152 弟の墓参り

Sdscn0795  お盆らしいことは何もしないわが家でも、唯一の行事が弟の墓参りだ。ずいぶん前から川崎の姉に「お墓参りはいつ行くの」と問われていた。お互いの日程を調整して、この日の墓参りとなった。横浜の姉も一緒だったが、義兄は来ていなかった。

 亡くなった人の時間がたつのは早いもので、弟が亡くなってすでに11年になる。このブログをはじめたのが2008年1月で、弟が亡くなったのはその年の12月だった。どうしても忘れられない。弟と私は4歳違いだが、60歳で年金をもらう前に亡くなってしまったのは残念である。今日は亡き弟を偲び、彼の思い出を語りたい。

 私は6人兄弟姉妹で、男4人に女2人である。残念ながら、男4人兄弟で今生きているのは私一人だ。特に、弟は何をするにも常に私の後ろをついて歩いていた。寒い秋田の冬では、夜は二人で抱き合って寝た。私を尊敬していたわけでもないだろうが、高校も私と同じ学校に入学した。中学校では、受からないからやめろ、と強く諌められたらしい。無事入学した弟は、高校では軟式野球部に属した。野球は、やはり私と同じように中学校の野球部に属していた。

 高校を卒業して、某大電機会社に就職した。結局、亡くなるまでその電機会社に勤め続けた。高校を卒業して府中にある工場にいたが、静岡の支店に転勤することになった。今でも思い出すが、私は東京でぶらぶらしていた。誰から借りたのかは忘れてしまったが、車を借りだして静岡まで引っ越し荷物を運んだ。結構静岡滞在が長かったのだろう、今の嫁さんと会ったのも静岡支店でだった。義妹は、お茶屋さんの娘だった。

 そうだ、秋田から出てきた父と静岡に結納に出かけた。そのときに初めて飲んだ桜茶が、とても美味しかったことを思い出す。静岡での彼の結婚式も盛大なものだった。一族上げて秋田から静岡に大移動した。中継地は、私の埼玉の家だ。わが家は新築して間もなかった。私の一家も一緒に結婚式に行ったが、娘が2~3歳の時だったから、もう40年以上も前のことだ。

 仲人は、川崎の姉夫婦だ。舞台に上がって踊りを披露した叔母も、一緒に参加した兄2人も、長兄の義姉もすでに亡い。仲人の姉夫婦の元旦那も亡くなった。結婚式参加に秋田から来ていた甥たちも、すでに50歳を過ぎている。50年の歴史は、彼らに様々な人生を歩ませた。

 弟は静岡支店から沼津支店に異動した。沼津も長かったが、その後京都支店、滋賀支店と転勤を繰り返した。最後の転勤は、仙台支店、盛岡支店と経由して東北支店長まで上り詰めた。50歳を過ぎて他社出向になったようだが、その会社が酒田にあった。実家に近かったせいもあり、しょっちゅう実家に顔を出していた。弟は、実家の姉(今川崎に住んでいる)が大好きだったのだ。姉には口にいえない様々な相談もしていたようだ。

 ある年、姉の娘が弟に会って「ずいぶん顔色が悪いね」と伝えたらしい。周りの家族も、そのことに気がついていなかったようだが、すぐに東北大学病院に検査に訪れた。そこで宣告されたのが、余命3ヶ月だ。9月の頭だった。そして亡くなったのが12月初旬だったから、やはり3ヶ月だった。

Sdscn0790_20190815094701  お盆の墓参りの後に、恒例の姉の家での昼食会になった。先日蓮田サービスエリアで買った桃を皆で食べた。こんなおいしい桃を食べたことはない、と姉たちは大喜びだった。それにしても、東北大病院に弟を見舞ったときの桃の不味さといったらなかった。途中、東北自動車道国見サービスエリアで買った桃だった。今でもその不味さを思い出す。

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2019年8月14日 (水)

№4151 日韓関係の悪化を憂う

 このブログでは、政治や宗教関係の記事はなるべく書かないようにしている。ただ、今日は例外だ。それにしても、日韓関係の悪化は心配だ。

 もう20年以上も前にいなるが、在職中、会社の「読書会仲間」8人で韓国を旅行したことがあった。3泊4日でソウル中心の行動だったが、改めて驚いたことがあった。成田からソウルまでは飛行機で2時間ほどだ。ソウルに降り立って、どこでも日本語が通じた。むしろ沖縄より近く、しかもソウル市民の親和性に心地よさを感じた。不満だったのは、あまりにも日本に近く、海外旅行をした感じがしなかったことだ。

 食べ物も美味しかったし、見るべきところも沢山あった。これ以外でも、私は韓国旅行を4~5回している。こんなに近い韓国である。何もいがみあっている必要はないだろう。韓国からの日本観光客も、中国に次いで2番目だ。多分、日本から韓国への観光客もそれ以上だろう。そんな両国が、なぜいがみあうのだろうか。

 世界各国で、隣国との対立は枚挙にいとまがない。日本ではそうでもないが、韓国の大統領は、「反日」を訴えることで支持率を伸ばしてきた歴史がある。政権の支持率が落ちたときには、「反日」を叫ぶ姿をしばしば目にしてきた。そのことで政権を維持してきた悲しい歴史がる。その原動力は、「歴史問題」だ。たしかに、日本は韓国を占領してきた歴史がある。日本人はひどいこともしたのだろう。従軍慰安婦の歴史も多分あったのだろう。

 ただ、何か問題があると韓国が歴史を持ち出すのはどうなのだろうか。豊臣秀吉が朝鮮出兵して、ひどいことをやった。430年も前の話だ。そのことを今更問題にされても、現代日本人にはどうしようもないじゃないか。どうもそれは「歴史問題」ではなく、韓国の国内事情を隠ぺいするのに「反日」を利用していないのか。

 今回の直接のきっかけは「徴用工」問題である。日本は日韓国交回復交渉で解決済みとしているのに対し、韓国の裁判所は賠償を認めた。当時の徴用工を雇っていた企業に賠償を認めた。日本政府は韓国に交渉を求めたが、韓国政府は司法の独立の問題として無視し続けた。

 そもそも日本の安倍政権と韓国の文在寅政権の間には、成立当初からぎくしゃくがあった。安倍政権はウルトラライト政権なのに対し、文在寅政権は左寄りの政権だ。北朝鮮との融和を目指している。最初から肌合いが違うのだ。先日の大阪でのG20サミットでも、変にぎくしゃくした握手に違和感を感じた。お互い、あっちみてほいの感だった。

 案の定、その後の日本の輸出規制に対して、韓国は官製の「反日運動」だ。文在寅大統領も反日を意識して、北朝鮮との経済協力で日本経済を上回るだろうと、根拠のない論を展開している。一方、北朝鮮は文在寅を無能とこき下ろしている。一体、どこに南北朝鮮の経済協力が実現可能なのか。どうも、文在寅は実現不可能な夢を語る傾向があるのだろうか。

 いずれ、日本と韓国の対立に、われわれ国民は利があるのだろうか。無益な対立と思えてならない。安倍と文在寅の対立は放っておいて、市民レベルので交流は続けていきたいものだ。私も再度、韓国に遊びに行きたい。

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2019年8月13日 (火)

№4150 再度蓮田サーヴィスエリアへ

 先日、東北自動車道の上り線に新たに蓮田サーヴィスエリア「Pasar」がリニューアルオープンしたことを報告している。この前私が訪ねたときは一人だったが、女房が行ってみたいというので同行した。

 一般客は、高速道路利用者でなくても、裏から入場できる。一般入場口は相変わらずの混みようで、入場する車が1kmも並んでいた。それでも20分ほどで入場できた。入場口のすぐそばに生鮮食料品の売り場があり、果物や野菜、肉、鮮魚売り場があった。いずれも新鮮なものが売っている。

Sdscn0790  先日、私はちょっと傷物の桃を買って帰ったが、美味しかった。それに味を占めたのか、女房は今回も桃を2パック買った。先日のよりも程度がよさそうで、ほとんど傷のない完熟桃だった。朝食のデザートで食べてみたのだが、とっても美味しかった。一度、矢張り福島の桃を東北道の国見SAで買ったことがあったが、まずくて食べられない経験をしたことがある。

Sdscn0791 Sdscn0792  さらに、キウイフルーツも安かったので買い物籠に入れた。カボチャ、アスパラ、梨も安いので買った。

Sdscn0793  魚売り場で、天然モノのぶりの刺身を売っていた。あまりに美味しそうで安かったので、これも買い物籠に収めた。

 結局、生鮮売り場での買い物だけで、サービスエリアの全体を見ないで帰ってきた。桃やお刺身は、この暑さで車に置いておくと傷んでしまう恐れがあるからだ。そのほかにも、アンデルセンのパン屋さんや那須のチーズ工房などあったのだが、見ずじまいだった。まあ近いので、再度行っても良いね。

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2019年8月12日 (月)

№4149 今年の夏はキュウリづけ

Sdscn0788  何度か話題にしているが、わが庭の片隅に小さな菜園がある。キュウリとトマト、ナス、ピーマンなどを植えているが、7月の天候不順の時期でもキュウリだけはよく採れていた。一時キュウリが高いとのニュースが流れたが、この夏はわが家の食卓にキュウリは欠かしたことがない。それこそ、もぎたてのキュウリはスーパーで売っているキュウリと違い、本来の青臭さがする。

Sdscn0785  キュウリはそんなに多くのレシピはなく、塩をかけたりマヨネーズをかけてりして食べるのがせいぜいである。時々は野菜の炒め物に入っていることがあるが、稀だ。昨晩は女房の指令で、キュウリの酢の物を作ってみた。キュウリを刻み、これも庭で採れた茗荷を刻んで入れた。

 女房が朝起きるのは早い。起きるとすぐに菜園に行き、キュウリとトマトを採集してくる。今朝の収穫物は、キュウリが3本にトマト2個だった。朝食の食卓には、いつものようにキュウリとトマト、それに塩とマヨネーズが並んでいた。女房が言うには、「朝起きてすぐにキュウリを一本齧ったのよ」とのことだ。

Sdscn0789  明後日、姉たちとお墓参りに行く。お土産にキュウリとトマトを持っていくのだそうだ。さて、それまでにさらに成長しているだろうか。

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2019年8月11日 (日)

№4148 7月に読んだ本

 毎月10日前後に前月読んだ本の報告をし、印象に残った本にコメントを入れている。この記事は私の備忘録で、まさか読んでいる人はいないだろうと思っていたが、この記事を楽しみに訪問してくれている奇特な人もいるものだ。友だちのKatsuちゃんが、「シンさんが前月何を読んだのか、とっても楽しみだ。自分の読書の指針にもしている」というからありがたい話だ。

 私が読んでいるのはほとんど小説だが、これだけ読むとある傾向があるのに気が付いた。何度か申し上げているが、私は一度開いた本はどんなに詰まらなかろうが最後まで読み通している。ただ、詰まらない本を読んでいると地獄のようだ。いつまでたっても物語が立ち上がらず、ぐずぐず最後まで状況説明に終始している。今月もそういう本があった。

 目安は100頁で、100頁まででどういう物語を立ち上げるのか明らかな小説は、読むに堪える。中には、読み始めた一行目からワクワクさせる作家がいる。ただ残念ながら、そういう作家の本はほぼ読み終えてしまった。大沢在昌、佐々木譲、帚木蓬生、藤田宜永、池澤夏樹、逢坂剛などはその作家に数えられるだろうか。さて、7月は15冊・5,664頁の本を読了した。読んだ本をプリントアウトしているが、悲しいかな、月初に読んだ本の内容は忘れてしまっている。さて、何を読んだのか列記してみたい。

内田康夫『地の日天の海(上)(下)』(上)352頁(下)346頁 角川書店 2008年6月刊

横山秀夫『第三の時効』324頁 集英社 2003年2月刊

山崎光夫『サムライの国』305頁 文藝春秋 2001年9月刊

森村誠一『悪道』401頁 講談社 2010年8月刊

岡田秀文『賤ケ岳』503頁 双葉社 2010年4月刊

門井慶喜『家康、江戸を建てる』400頁 祥伝社 2016年2月刊

佐々木譲『沈黙法廷』557頁 新潮社 2016年11月刊

笹本稜平『引火点』433頁 幻冬舎 2018年7月刊

内田康夫『幻香』345頁 角川書店 345頁

岩井三四二『天下を計る』381頁 PHP出版 2016年9月刊

浅田次郎『長く高い壁』298頁 角川書店 2018年2月刊

赤神諒『酔象の流儀 朝倉盛衰記』267頁 講談社 2018年12月刊

赤神諒『大友落月記』370頁 日本経済新聞出版社 2018年9月刊

川崎彰彦『ぼくの早稲田時代』382頁 2005年12月刊

Sdscn0683 図書館の棚で何の気もなくとった本に、これはという本にばったり出会うことがある。私は著者の川崎彰彦は知らなかった。もう10年近く前に亡くなったという。川崎は、私よりも一世代先輩だ。言ってみれば「60年安保世代」にあたるかもしれない。ただ、この本を読んでいて思い当たることがたくさんあった。

 主人公穴虫昭は、上京して早稲田で学生時代を送った。1年生時代は真面目な学生生活を送ったらしいが、だんだん学校にも行かずクラシック音楽を流す喫茶店に入りびたりになっていたらしい。友達とは、音楽だけでなく酒場もふらついた。早稲田の文学部露文科は、卒業しても絶対就職できない科として有名だったようだ。同じクラスに五木寛之や三木卓などがいた。

 4年生を留年し、5年生になって切実に就職の必要が出てきた。とはいってもロシア語の単位は取れていないし、出席もしていなかった。北海道の新聞社に就職は決まったのだが、卒業することが絶対条件だった。そこで主人公が使った奥の手は、先生に泣きつくことだ。意外と先生は単位をくれた。わたしにもそういうことがあったなと思い出した。私はドイツ語をとっていたが、ほとんど出席していなかった。私もドイツ語の先生に泣きついて、単位をもらった経験がある。

 この本を読みながら、わが学生時代にことを思っていた。入学したのはもう50年も前にことである。この作家のように、1年生の頃は真面目に学校に通っていた。学校に行かなくなったのは2年生からだ。アルバイトに精を出していて、学校どころではなかった。そのころのことを考えるにつけても、懐かしさがこみあげてきた。そうだ、学生時代の同級会をやろうと決め、電話をしたのが四国に移住したJohのところだ。秋に上京すると聞き、早めに連絡を頂いたら、私が案内状を出そうと思っている。

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 赤神諒という作家は知らなかった。読書仲間のKatsuちゃんが、赤神はぜひ読むべきと何度も勧めてくれた。そんなに面白いならと手に取ったのが上記2冊だ。いずれも歴史小説だった。『大友落月記』は大友宗麟が主題の小説だったし、『酔象の流儀』は朝倉家の話だった。いずれも、辺境の地の話だ。

 『大友落月記』を読んで、話の展開はあまりピンとこなかったが、この小説には前段があり、『大友二階崩れ』がその前段なのだ。『大友二階崩れ』を今読んでいるのだが、この小説を読んで初めて大友家の力関係が分かった。前段の『大友二階崩れ』は大友宗麟の父親、大友義鑑が宗麟(幼名義鎮)を廃嫡して、愛妾に産ませた子どもを後継にしようというごたごたの中、暗殺されてしまった話だ。そして、今回読んだ本は、宗麟の国を統べる話が中心だった。物語は順序通りに読まないと、分からないね。

 さらに『酔象の流儀』は、朝倉義景の無能ぶりで信長に滅ぼされてしまう話だ。それにしても、出処進退のはっきりしない武将は滅ぶ、とはっきりさせる話だ。赤神諒の2冊を立て続けに読んだが、まだ彼の面白さは分らなかった。もう2~3冊読んでみよう。

Sdscn0611_20190811121801  歴史小説を書く人は多いね。これだけ読んでいるつもりでも、まだまだ読んでいない歴史小説家はたくさんいる。今回読んだ岡田秀文も、私には初めて読む歴史小説家だ。『賤ケ岳』というから、一見して柴田勝家が秀吉に破れる話だろうと想像した。ところがそんな単純なものではなく、本能寺の変で信長が殺された後の政治状況を詳しく述べた小説で、柴田勝家の話は本流ではなかった。むしろ秀吉の政治家ぶり、狡猾さを主題にした小説ではなかったか。

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2019年8月10日 (土)

№4147 予定より一日早く自宅に帰ろう

Img201908090958031  畑仕事もなくなったし、一体那須で何をやっているのか不思議に思う方もいるかもしれない。私にとって、那須の静けさの中での読書は最高だ。ウッドデッキにリクライニングチェアーを出して、日がな一日本を読んでいる。今回も、10日間の滞在を考えて本を4冊携えてきた。2日間のゴルフ合宿では本は読めないだろうと、4冊に自粛したのだ。しかも持ってきた本は、比較的厚めの本だ。

Img201908090953561  ところが案に相違して、持ってきた本4冊を9日の未明には読んでしまった。しまった、もう一冊持ってくるべきだったか。「あるるのいえ」には世界文学全集と日本文学全集、世界美術全集がある。これらの全集は、秋田にいたころの姉の家から引き揚げて来たものだ。しかし、読む本がないといって、全集に手を染める気はない。

 予定より一日早いが、自宅に帰るとするか。自宅に帰ったら帰ったで、またやることがある。そうと決めたら、帰る準備が必要だ。流しの洗い物を洗い、汚れ物を洗濯する。布団も干す必要があるし、掃除も必要だ。水も汲んで帰る必要がある。帰りは急ぐ必要もないので、午前一杯をかけてやっておこう。

 午前11時には帰り支度ができた。Kayoさんに挨拶して帰ることにした。Kayoさんは、「アラ帰るの。お昼ご飯を一緒に食べようと支度をしていたのに、残念ね」と言っていた。

 久し振りに道の駅「しもつけ」に寄って、かつ丼を食べてきた。最初の頃は500円だったかつ丼も、もう580円に値上がりしていた。

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2019年8月 9日 (金)

№4146 暑くても、那須はやはり温泉

 女房が帰宅して、また自炊生活が始まった。さらに三日滞在するつもりで、買い物に出かけた。三日分の買物は、それぞれ何を食べるか想像しながら買った。どうしても必要なのが枝豆だ。この時期、枝豆を食べながらビールを飲むのが定番だ。「男の料理教室」で鍛えられたせいか、料理を作るのにあまり苦手意識はない。むしろ、何を作るのか考えながらの買物は楽しいね。

 前日の暑さと打って変わって、那須は心地よい風が吹いている。

 そうだ、向かいのOhnoさんちに電気屋が来たのか尋ねてみた。Kayoさんのいうには、「昨日の夕方電気屋が来て、見積もりをしていったよ。見積だと9万円弱とのことで、予算よりだいぶオーバーでした。今回は見送ろうかしら。シンさんちはどうするの」と聞かれた。私も今設置するのではなく、来年の春頃を考えていると返事した。何しろ、女房はクーラーがないともう那須には来ない、というのだ。

 女房もいないし、那須は静かなものだ。ただ、午後になったら雷が鳴りだした。入道雲もキラキラ光っている。これは一雨来るな、と空を見上げていた。そうだ、雨が降ると空いているだろうと、温泉に出かけることにした。最近あまり行っていなかったが、「小鹿の湯」にいこう。

Img201908081436311  案の定、小鹿の湯には客は一人もいなかった。いつも行っている自在荘の温泉は無色透明だが、この小鹿の湯は硫黄温泉だ。PHが2.6というから、かなり酸性の強い温泉だ。やはり温泉は硫黄温泉に限るな。温泉に入っていたら、物凄い雨が降ってきた。屋根を叩く雨の音がすさまじい。まあ、温泉に入っている分には支障がない。

 雨が小降りになったころに、ぼちぼち客が入ってきた。温泉を出るころには、雨が上がっていた。雨が降ると暑さも一段落する。夜は寝心地よく、ぐっすり眠れた。

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2019年8月 8日 (木)

№4145 那須で熱中症か

 一泊二日のゴルフ合宿を終えて、那須に帰ってきた。「あるるのいえ」に着いたのは、午後5時頃だ。家の中は異常に暑かった。女房が真っ青な顔をして寝ていた。体中に熱がたまっているのだという。「私、熱中症かもしれない」といっていた。

 那須には暖房設備はあるが、あまり暑さ対策の設備はない。せいぜいが扇風機くらいのものだ。その扇風機も天井から下がっていて、部屋を冷やすのには役に立っていないかもしれない。とにもかくにも女房は体を冷やすのに、冷たいタオルに氷を含ませたものを脇の下にあてがった。「クーラーがないのに私は耐えられない。明日自宅に帰ろう」といっていた。

 本当に避暑に来ているはずの那須で熱中症にかかるなど、笑うに笑えない。とはいっても黙っているわけにもいかないな。向かいのOhnoさんの家も、やはりクーラーが必要と思っていたらしい。一緒に電気屋に行ってみた。大型電気店が3軒並んでいるが、どこも同じような事情で、今クーラーを設置するとしたら8月下旬になってしまうという。8月下旬になると、那須はだいぶ涼しくなって、クーラーなど必要なくなってしまう。

 私のように、那須に10日間ほどのモノの滞在には必要はないが、Ohno家は8月いっぱい那須に滞在する。大型電気店でなく町の電気屋に行ってみた。店の中にはクーラーが所狭しと並んでいて、設置を待つ客が多いのが分かった。その店では、今クーラーを頼んだら、お盆明けまでかかると言っていたが、それでも大型電気店よりも事情は良い。

 設置を頼んだら、その電気屋さんは下見に来るという。ただ、わが家は来年の春まで待とう。「クーラーのない家にはいられない」と、女房は予定を早めて早々に自宅に帰っていった。

 ゴルフ合宿から帰ってきてからブログ記事を書こうと思っていたのだが、熱中症騒動に追われて私はブログを書く気力を無くしてしまった。私のブログを楽しみに待っていた方には、申し訳なった。

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