№4111 イギリスよ、どこに行く?

 2年前、イギリスの国民選挙で、イギリス国民はEU離脱を選択した。選挙が終わってすぐ、国内から大きな過ちの選択をしたとの声が出ていた。しかし、選挙結果が出たので、粛々と離脱の作業をしなければならなかった。しかも、3月末の離脱期限まで2週間に迫っているが、まだごたごたが収まらない。

 そもそも、なぜイギリス国民は、EUの離脱をしなければならなかったのか。日本にいるとあまり実感がないのだが、ヨーロッパの各国は難民問題で苦しんでいる。イギリスも難民に仕事を奪われるのではないか、と国民が恐れていた。難民をシャットアウトして仕事の確保を、これが離脱の一番の原因だった。

 ところが、国民投票を決意したキャメロン元首相が、楽々国民投票で離脱反対投票が圧倒的な多数を占めると読んでいたのが、案に相違して、離脱案が通ってしまい、失脚した。後任にEU残留派だったメイ首相が着任した。彼女は、自分の意見とは反対に離脱に向けた仕事をしなければならなかった。その不幸がある。

 今にして思えば、その時の勢いのままに離脱賛成に票を投じた人々の、後悔の声が聞こえてくる。後悔先に立たず、だ。国民投票の怖い側面だ。離脱の民意が出たのはいい。しかし、民意が出て2年以上たつのに一歩も先に進んでいない。一体イギリスはどこに向かうのだろうか。

 今三つの案があるようだ。一つは合意なき離脱だ。二つ目は再度国民投票をやり直す案、三つ目は3か月程度離脱を先延ばす案だ。しかし、それぞれに問題がある。

  合意がない場合は、イギリスから企業が逃げ出してしまう。それでなくても、本田や日産の撤退が、大きな国内問題になっている。合意がないままEUを離脱すると、企業のイギリス離れがさらに加速するのではないか、という恐れがある。

 再度国民投票をといっても、投票の準備に1年半から2年かかり、現実的ではない。3か月の離脱延期とはいっても、2年間議論して一歩も進まないのが、3か月で進むのか疑問だ。

 イギリスは、二進も三進もいかない局面に立っている。一挙に国際信用を無くす結果になってしまった。国民の判断で大きな間違いを犯したのは、何もイギリスばかりではない。アメリカ大統領選挙で、トランプが当選したことも、また、大きな国際混乱を引き起こす原因になっている。なんでこんなバカな判断をしたのだろうか。悔やんでも悔やみきれない。

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2019年3月18日 (月)

№4110 庭隅の家庭菜園

Simg_8214  女房が、庭の隅に家庭菜園を作り始めて2年ほどになる。もともと柿の木が植わっていたのだが、バッサリ切って菜園とした。広さは、わずか2~3坪ほどのものだ。そこに季節の野菜を植え、収穫を楽しみにしている。

 収穫物は、時々食卓に乗る。最近ではキャベツを千切りにして、ソースをかけて食べている。鍋料理のときには、春菊を収穫してきて入れる。そういう意味では、手っ取り早い畑だ。春菊の側には、葉わさびも植えられていた。

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 今植えているのは、サニーレタスだ。葉っぱをちぎって挿したのだろうか、小さな葉が一面に植えられている。これも時期になると、食卓を賑わすことになるのだろう。

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 青い網がかけられた野菜がある。どうやらキャベツのようだ。庭に遊びに来る野鳥の格好の餌だった。主にヒヨドリだろうか、葉をちぎって食べていくようだ。それに業を煮やした女房は、キャベツの上にバッサリ網をかけた。

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 今年で、私は那須の畑をやめた。一年中食卓を賑わしていたジャガイモも、今年は買ってこざるを得なくなった。それも業腹と、畑の隅にじゃがいもを植えたようだ。何個植えたのか聞いてみたら、5~6個ほどだという。ジャガイモを一袋買ってきたが、大きな種芋は腐っていたらしい。

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 野菜で遊び心も発揮している。キャベツを丸ごと収穫してきて、チェストの上に花のように飾った。成程、こういう見せ方もあるのだ、と思った。

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2019年3月17日 (日)

№4109 眼鏡を新調しよう

 今の眼鏡にして5年になる。レンズがずいぶん傷んできた。まあ、それでも大丈夫と掛け続けてきた。

 誰でもそうなのだろうが、年齢とともに最近眼鏡を探す機会が増えた。というのも、物をよく見るときには、眼鏡をはずす。そして、そのまま置いた場所を忘れてしまうことがよくある。よくあるどころではなく、最近はしょっちゅうだ。その都度、置く場所を決めようと思うのだが、それさえも忘れてしまう。

 私は近眼であり、老眼でもある。本を読んだり新聞を読むときには、眼鏡をはずす。一日で見ると、着脱することが結構多いね。

 最近もこういうことがあった。眼鏡をはずして新聞を読んでいたのだが、眼鏡を床に置いたのだ。それを忘れて、思い切り踏んづけてしまった。眼鏡は大きくゆがんだ。ゆがんだ眼鏡を行きつけの眼鏡屋で直してもらったが、「ゆがみ過ぎているので、治るかどうかはわかりませんよ」と言っていた。

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 それでも、矯正した眼鏡をかけ続けていたが、とうとうフレームが割れてしまった。眼鏡屋に持っていったら、「修理に1か月近くはかかりますよ」というのだ。ただ、傷のついたレンズは直すことが出来ないという。しばらくはスペア眼鏡で我慢することにしよう。

 眼鏡は、どうしても必要なものだ。前の眼鏡を5年間かけ続けていたが、今回は思い切って新しい眼鏡を買うことにした。この際だから、久し振りに眼鏡検査も受けてみよう。係員が丁寧に検査してくれた。その上で、同じ値段のレンズで、精度の良い眼鏡があるという。さらに、レンズも傷が付きにくい加工が施されているという。

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 そして、眼鏡を新調することにした。フレームも今までよりもいいものにしよう。10ヶ月の分割払いにすると、月々の負担は少ない。ただ、出来上がるまで一週間程度かかる。その間はスペア眼鏡をつけ続けることになる。

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2019年3月16日 (土)

№4108 第36回いきがいゴルフコンペ

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 『第36回いきがいゴルフコンペ』が開かれた。ゴルフ場は、茨城県古河市にある「古河ゴルフリンクス」だ。このゴルフ場は、イギリスのセント・アンドリュースゴルフ場を模したようで、荒涼とした感じがいい。

 このゴルフ場は、もう20年も前になるだろうか、私が一人プレーでしばしば通ったところだ。自宅から50分ほどで着き、交通の便もよかった。さらに、このゴルフ場はパブリックとしては距離もあり、料金も安く十分楽しめるゴルフ場だった。ところが近年飛距離も極端に落ち、この距離が負担になってきた。この10年、ほどはほとんど来ていなかった。

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 世話人の指定コースだったので、ここでコンペを開いた。今回の参加者は、常連のHirokoさんが病欠し、うちの女房もゴルフ禁止で、6人と少々寂しいコンペになった。

 彩の国いきがい大学の仲間で結成したこのコンペも、開始以来10年になる。スタート時こそ賑やかなコンペだったが、一人去り二人去りで、今では常連の8人だけだ。その内、女性二人が離脱したので、そろそろこのコンペの役割も終わったかな。先日報告した「男の料理教室」も終わり、このコンペも終わったのでは、少々寂しい気もするが。

Simg_8202  私がこの日一緒にラウンドしたのは、KeikoさんとAkiraさんだ。3人のラウンドだったので、マイペースで気軽に回ることができた。

 ただ、今年二回目の私のゴルフの課題は、改善されないどころか、ますますはっきりしてきた。ショットはそこそこいいのだが、アプローチとパットが全然だめだ。以前もMasaoちゃんに、「パターをするときに頭が上がっていて、ボールをよく見てない」と指摘されていた。

 この日のゴルフでもその欠点がまともに出て、3パット4パットの連続だ。パターが悪いと、スコアメイクは難しい。なんとか欠点を治したいのだが、どうしたものだろうか。

 打ち上げパーテーの席で、「いきがいコンペ」の正式解散が決まった。今後は有志で声を掛け合って、年に2~3回ゴルフをやろうよということに決めた。ご苦労様でした。

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2019年3月15日 (金)

№4107 旧に復しつつある女房の生活

 「奥さんの具合はどうですか?」と、会う人ごとに尋ねられる。私が思わせぶりにブログに書いたことが、かえって心配をあおる結果になってしまったのは申し訳ない。お陰様で、徐々に旧に復しつつある。

 女房は、退院してもう1か月になる。当初は安静と静養とばかりに、寝たり起きたりの生活を繰り返していた。ところが、だいぶ良くなったのだろう、日常生活に戻りつつある。

 「原因は何だったのか」とも聞かれる。彼女は、もともと血圧が高い家系で、自身も絶えず血圧計で測定している。今回の病気の原因は、その血圧の高いのがもとで、血管に負担が生じたのかもしれない。

 退院後、医者には一度も行っていないから良いのかもしれない。今では、何の薬かはわからないが、薬を飲んでいるだけだ。来週にはその薬も切れるから、病院に行かなければならないと話している。その病院も、入院した大病院ではなく、近くの病院で済むという。

 絶対安静から解放されて、入院前に通っていた体操教室通いを再開した。昨日と今日の二日連続で行ったようだ。「無理をしないで、マイペースでやるようにしている」と話していた。やれやれ安心だ。ご心配かけてすみませんでした。

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2019年3月14日 (木)

№4106 玉川上水沿いを歩く

Simg_8175  東京シニア自然大学NEXTの今期最後の講座「玉川上水を歩こう!」に参加してきた。集合場所は、青梅線の羽村駅だ。この日の参加者は、29名と今期最大だった。

 この参加者を見込んで、大勢のボランティアガイドがついてくれた。朝礼時点では6名だったが、旅が進むにつれて、さらに別のガイドも説明に参加していた。ボランティアガイドは、この講座にはなくてはならない存在だ。ガイドがいるかいないかでは、物の見方がまるきり違うのだ。東京シニア自然大学は、積極的にガイドを利用している。

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Simg_8177  羽村駅を出発して、先ず向かったのが「羽村郷土博物館」だ。この博物館に行くには、多摩川を渡らなければならない。この季節に、川でアユ釣りをしている人の姿があった。この付近の多摩川は澄んでいて、鯉の泳ぐ姿も散見した。

 館内では、館員の丁寧な説明に耳を傾けた。話の中心は、玉川上水にまつわる話だった。玉川上水は、ここ羽村の取水堰をスタートに、四谷大木戸までの43kmの長さがあるという。江戸時代初期、1年間で発削されたものらしい。

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Simg_8182_2  博物館での説明を受けた後、対岸にある羽村堰に行った。玉川上水は、ここからスタートしているのだ。取水堰の付近は大河で、水がきれいに澄んでいた。今日の講座は、この玉川上水沿いを拝島駅まで下って歩こうというものだ。

 玉川上水には、たくさんの橋がかけられていた。まだ少し早かったが、沿岸にはたくさんの桜が植えられていて、花見時は大賑わいだという。

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 沿線沿いには、大きな家も散見された。羽村は、昔は養蚕業が盛んで、名残の豪農がまだ残っているという。中でもひときわ大きかったのが、田村酒造だった。この酒造では、幻の銘酒を作っているらしいが、試飲する時間はなかった。

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 昼食をはさんで、さらに下流へと進んだ。大きなお寺もあった。ボランティアガイドの一人が、この寺の説明をしてくれた。最近、このお寺で古い仏像が見つかったのだそうだ。鑑定してみたら奈良時代の貴重なもので、高さは15㎝とのことだ。もちろん、一般に公開はされていないらしい。

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 玉川上水掘削での苦労の跡も見られた。たびたび洪水に会い、ルートを変えた後とか、水喰土公園(みずくらいど)では、上水の水が地中に浸透し、下流に流れなかった跡もあった。急遽、流れを付け替えたらしい。先陣の苦労の跡がしのばれた。

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 この日の旅の終点は、日光橋だ。あれほど澄みきっていた玉川上水も、この付近に来ると濁っていた。ただ、この橋は明治24年、レンガで作られた貴重な文化遺産とのことだった。

 この日はずいぶん歩いた。自宅に帰って歩数計を見たら、25,350歩・17.7kmも歩いていた。参加者の中には、87歳、86歳の方もいたが、いたって健脚だ。ある参加者が言っていたが、「この講座に出ることで、見聞も広がるし、何より興味が尽きないのが若さを保つ秘訣」と話していた。私も、彼の意見に同意した。

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2019年3月13日 (水)

№4105 Takeちゃん日本縦断徒歩の旅に発つ

 以前もお話ししたが、わが友Takeちゃんが日本縦断徒歩の旅に出発した。3月5日のことである。古希が近いというのに、買った切符が「青春18きっぷ」というから恐れ入った。この切符があれば、日本中を旅できるようだ。ただ、有効期間は40日に限られている。

 彼の旅は、逐一彼のブログ「竹ちゃんの旅日記のブログ」で報告されている。旅に出た最初の記事は、高松駅で寝袋に入っている野宿の姿だった。この歳でよく野宿などするよねと、あきれ恐れ入った。

 今は四国八十八か所の札所めぐり巡礼をしているようだが、この後九州の渡り、佐田岬で日本縦断の旅を始めるらしい。極力荷物を少なくと、水・食料を含め13kgに抑えたという。徒歩での縦断のようで、それでも1日に30kmをこの荷物を背負って歩くのは大変だ。

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 今回の彼の旅については、教科書があったようだ。岩波新書で、石川文洋さんの『日本縦断 徒歩の旅―65歳の挑戦―』という本だ。石川さんは、宗谷岬から佐田岬まで120日間で歩く計画を立てた。予算は、一日1万円だという。

 Takeちゃんの凄いのは、100日で交通費も込みで30万円であげるつもりのようだ。それには、極力宿には泊まらずに野宿で、安く上げようというつもりのようだ。それにしても、2~3日前の豪雨の中の野宿は辛い。私のような軟弱者には耐えられないが、普通の人も古希近いと同じ感情を持つのではないかな。

 九州から再度四国に上陸し、紀伊半島を横断して東海道に向かうという。東北を北上して北海道に行く計画のようだが、彼の生まれ故郷は八戸だ。当然、実家にも立ち寄ることになるだろう。

 いずれ、詳細な旅の報告がブログに記載されている。目的地の宗谷岬には6月に着くという。彼のブログを楽しみに追いたい。

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2019年3月12日 (火)

№4104 クシャミが止まらない

 このところクシャミが止まらない。先日の東京シニア自然大学の講座で「大森海苔のふるさと館」に行って、街歩きをしてからだ。クシャミの原因は、風邪か花粉症かはわからない。どうも熱っぽくもあるのだ。風邪かなと思いそのことを女房に言ったら、「花粉症でしょう」と断じられた。

 私は、1月下旬から花粉対策の薬を飲んでいることは既に報告した。花粉が飛んでいなかったのか、薬が効いていたのかは知らないが、2月中は花粉症の症状は出なかった。花粉症は治ったのかな、と思っていた。

 ところが、ここにきてクシャミが出、鼻詰まりがする。それに、若干熱っぽいのだ。夜中も、鼻詰まりで目が覚める。鼻から息ができないので、どうも口呼吸しているようだ。口がカラカラに乾き、目が覚めてしまう。

 昨晩も、結局寝たのは夜中の2時半ころだった。息が苦しくて、すぐに目が覚めてしまう。寝たり起きたりの繰り返しで、どっと疲れがたまっている。相当花粉が飛んでいるのだろう。薬の効果は、限定的だ。

 4月の声を聞くと、クシャミはピタッと収まる。もう3週間くらいか、憂鬱な日は続く。

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2019年3月11日 (月)

№4103 東日本大震災から8年

 2011年3月11日の午後2時46分、三陸沖中心で発生したマグニチュード9の大地震。あれから今日で8年になる。1000年に一度起きるかどうかという大地震だった。地震の揺れもひどかったが、その後の津波で甚大な悲劇が出た。

 いつもこの日のことを思い出すのだが、あの瞬間は忘れられない。私は、那須で畑を耕していた。珍しく、向かいのOhnoのお父さんが畑に顔を出し、畑談義をしていた。お父さんが帰って間もなく、眩暈のようなものがして、頭がクラクラとなった。

 あれ、体の不調かなと思った瞬間、畑の地面が大きく波打った。周りの大木もゆさゆさ揺れて、地震が起きたことが分かった。まともに立っていられなくて、鍬の柄を支柱にしてつかまっていた。結構長い揺れだった。

 それも一段落して、再度畑を耕し始めていたら、近所のShiratakiのお父さんがやってきて、「大地震が起きた。畑を耕している場合じゃないよ。家に帰って、被害の確認をしたらどうか」という。そんな大地震かと思い、『あるるのいえ』に帰ってみた。

 幸い、自宅は茶碗が2~3個落ちた程度で、ほとんど被害はなかった。Ohnoさんの家に行ってみたら、棚からお酒が零れ落ちていて、家中酒の匂いがしていた。まあ、その程度の被害だったのだが、聞くところによると那須の岩盤は堅く、今までも地震の被害はなかったとのことだった。

 テレビをつけてみたら、丁度釜石や石巻等で津波が襲ってくるのを実況中継していた。車や家が流されていくのを、目の当たりに見た。こんなにショッキングな印象深い映像は初めてのことだった。強烈な印象とともに、流された家の人は無事避難できたのか、不安が襲った。その日は、一日中テレビにくぎ付けだった。結局、22000人以上の死者・行方不明者が出た。

 津波や地震での被害はこれはこれで甚大だっのだが、この8年、福島原発の爆破炎上の事故被害は、われわれの想像を超えるものであった。私なども、それまでは原発は必要悪と考えていた。それが、まだ発展途上の技術で、原発を人類が完全にコントロールできていないことを露呈した。

 「安い」はずの原発が、この間何兆円もの被害を生むことになった。潔く原発を放棄したらいいようなものだが、政府は離したがらない。原発事故後、原子力発電所は次々と休業に追い込まれたが、決定的な電力不足は生じていない。原発がなくても、電力需要は賄えているのだ。

Img_80031 Img_79961  私は、ボランティアで被災地を3度ほど訪れている。何かが出来たというわけではないが、自分の眼で被災地を体験したのは大きかった。特に印象に残ったのが、石巻の大川小学校の被災現場だ。生徒・先生を含め98名が、津波の被害で死亡した。

 現場を見て強く思ったのが、なぜ裏山に逃げなかったかということだ。小学校の脇は北上川の下流にあり、その河を伝わって津波が押し寄せたのだ。津波が来たときは、生徒は校庭で避難指示を待っていたようだ。そんな暇があったら、さっさと裏山に逃げたらよかったものの、とものすごく残念な思いがした。

 東北再生はまだまだ道半ばだ。今年は、秋に釜石のワールドカップラグビー観戦に行ってくるつもりでいる。改めて、被害現場も観てきたい。

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2019年3月10日 (日)

№4102 Twitterで気楽に情報発信

 すでにお知らせしたように、私はTwitterを始めている。ブログの情報発信とは別で、どこでも気軽に発信できるのがいい。しかも、スマホを持っていると、スマホで撮った写真が貼り付いてくれる。

Twitter  ブログは、毎日午後7時に1記事投稿をしている。それに対して、Twitterは気が向いたら記事投稿をする。前号の記事になるが、昼食の間に「大森海苔のふるさと館」で、海苔つけの作業のツィートをした。記事を書くのは、ものの1分程度だ。

 山彦先生もTwitterで記事投稿しているが、大事なのはハッシュタグ(#)をつけることだ。#を検索すると、関連記事が出てくる。例えば、この記事に#大森海苔ふるさと館、#平和島とつけた。すると、#大森海苔ふるさと館では2件、#平和島では11件の記事が検索出来た。

 ブログにはこういう機能がなかったので、#のつけ方には慣れていない。ただ慣れると、様々な使い方があるようだ。この記事には、東京シニア自然大学の講座で行ったので、#東京シニア自然大学を付けたらよかったと反省している。

 この#東京シニア自然大学がつくと、これに関連して東京シニア自然大学の関係者がどのくらいTwitterに関心を持っているのか、たちどころに分かるのだ。

Photo  先日も、映画を観る前に『グリーンブックの映画をみる』とTwitterに書き込んだ。ツウィートはすぐにフォロワーに届くらしく、Naoko先生から「映画を観たなら、感想も載せるべき」ととのリツウィートをいただいた。映画を観る前にツウィートをしたので、まだ感想を載せる段階ではなかった。そのことをいうと、「それなら記事にちゃんと書くべき」とお叱りをいただいた。

 いまのところ、私がフォローしているのは12人、私のTwitterのフォロアは9人いる。まだまだTwitterの試行錯誤は続くが、一人前に仕上がったら、ぜひ皆さんも招待したい。もう少し時間を下さい。

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2019年3月 9日 (土)

№4101 海苔つけ体験と江戸前の街探訪

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 今期最後の「東京シニア自然大学修了生コース」の講座があった。今回は、「大森海苔のふるさと館」で海苔つけ体験をし、午後は海苔の町大森の街歩きだった。会場は、京急平和島駅から歩いて15分ほどのところである。午前中は座学と海苔つけ体験、午後は海苔の町大森の遺跡を訪ねて歩くという講座だ。

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Simg_8138  今まであまり”海苔”を意識したことはなかったが、改めて大森は海苔の街だということを知った。ただ東京湾再開発計画に基づいて、昭和37年にすっかり海苔生産は終わったとのことだ。今残っているのは、その当時の体験を受け継ぐ人たちだけだった。

 話を聞くと、海苔の生産というのはものすごく過酷な労働だったようだ。しかも、仕事は冬に集中する。朝2時ころに起き出し海苔の生産をするのだが、冷たい水の中大変だったと、当時の海苔生産の漁業について体験談も聞いた。

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Simg_8144  そのうえで、実際の海苔つけ体験の授業もあった。収穫した海苔の断裁は、人の手によって行われた。これも重労働だったようだ。今では、機械で裁断されるようになったが。そして、参加者が、一人一人海苔つけ体験を行った。

 一人2枚づつ海苔つけをするというのだが、最初はぎこちない作業も、2枚目には手慣れたものだ。しかし、海苔つけ業者は、2時間で200枚、1日1500枚から2000枚も海苔を作っていたというから、これも重労働だったようだ。

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Simg_8151  海苔つけしたものは、簀の子に乗せて天日干しをした。直接日に充てると乾くのが早すぎると、わざわざ陰干しだ。この「大森海苔ふるさと館」はNPO法人が運営していて、ここのボランティア活動家が丁寧に教えてくれた。

 ありがたいことに、海苔つけされた海苔は名札をつけて、後日自宅まで送ってくれるのだそうだ。その郵送代も請求されなかったから、無料でのサービスのようだ。来週には自宅に届くというから、さてどういう海苔ができたのやら、来るのを楽しみにしよう。

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 ふるさと館で昼食を食べ、午後は海苔の町大森の探訪だ。ここのボランティアの人たちが、ガイドブックまで用意してくれた。このガイドブックを片手に、海苔の遺跡を訪ねる街歩きをした。この日は天気は良かったものの、風が強く花粉が舞っていた。お陰で、すっかり花粉症がぶり返してしまった。

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Img_8154  以前は、この大森海岸は海苔棚が所狭しとたてられていたようだ。東京ガスの大きなタンクが二基あり、堀も縦横に張り巡らされていたという。その堀もすっかり埋め立てられており、若干面影は残っていた。

 広い工場跡地には、マンション群だ。ちなみに、海苔業者は漁業権放棄で得た補償金をもとに、アパートを建てたらしい。そのアパートも副収入として生活が成り立っていったという。各海苔業者は、海苔干しに600坪くらいの敷地を持っていて、その跡地に次々とアパートを立てていったらしい。

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Img_8158  海苔業者の信仰の神社は、貴舩神社や三輪厳島神社だった。その神社にお参りをし、さらに海苔問屋で海苔の仕入れの話を聞いた。今では、海苔の中心生産地は有明海で、瀬戸内海や三河湾でも生産しているという。

 参加者のほとんどが、この海苔問屋でお土産を買い求めていた。もちろん私も買ってきたのだが、そんなに高いものではなかった。

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 最後は蜜乗院というお寺の境内で、このお寺の目の前に棲んでいる、かつての海苔業者の体験談を聞いた。海苔の学習の一日だった。

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