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2014年2月 3日 (月)

№2231 川の国 埼玉

 さて、前日の記事の続きになる。昼食会が終わり、午後は【浦和社会生活大学】の授業があった。講師は埼玉新聞社社長の小川秀樹さんだ。彼が壇上に立つと、会場からオッというどよめきが起きた。ものすごく若い社長なのだ。

Dsc00362  最初の自己紹介でも、「私はオーナー社長ではない。全国の新聞社でも、私は若いほうから数えて2番目か3番目だ」と話していた。事前に配布された【埼玉新聞】も、私はほとんど目にすることはないが、なかなか紙面は充実しているではないか。

 埼玉県は、海がない代わりに、流域面積が日本一の大きな川が流れている。一つは利根川だし、もう一つは荒川である。私は初めて聞くのだが、埼玉県人には利根川人脈と荒川人脈があるのだそうだ。

 講師がはじめに皆さんに訊ねたのは、「埼玉県知事は、利根川人脈と荒川人脈ではどちらが強いのか」という質問だ。会場の圧倒的多数は、荒川人脈だろうと、そちらのほうに手を上げた。私もそう思った。ところが、埼玉県の戦後の知事選では、10対1で利根川人脈が勝ちというのだ。ヘエ~~、そういう見方もあるのだ。

Photo_2  講義は、前半は【利根川編】、後半が【荒川編】だ。こういう分析で埼玉を見る手法に新鮮さを感じた。話を聞いて、圧倒的に面白かったのは利根川の歴史だね。

 詳しくは述べないが、利根川は江戸時代、東京の真ん中を通り、東京湾に注ぐ暴れ川だったらしい。徳川家康が最初に手掛けた工事が、利根川の【東遷】工事だった。利根川の河口を銚子に移した工事だ。

 江戸時代、河川改修のスペシャリストが現れた。その代表が、伊奈忠次だ。関東の河川改修の大部分が彼の仕事だったという。第八代将軍吉宗の時代に活躍したのが、井澤弥惣兵衛だ。新田開発、見沼代用水の開削工事等は彼の仕事だ。

Dsc00363  私は彩の国いきがい大学在学中に、ずいぶん川の勉強をさせていただいた。自宅の近くを流れる見沼代用水に興味を持ったからだ。それだけに、この日の話は大変面白く聞くことが出来た。

 利根川の歴史にとって忘れてならないのは、昭和22年9月16日のカスリン台風だ。この台風で利根川が決壊し、東京中が水浸しになった。16日間も水が引かず、首都機能がマヒした歴史を持つ。今でこそこういう事件があったら、影響はその当時の比ではない、と言っていた。

 カスリン台風を受けて、当時の共産党委員長徳田球一が大胆な利根川改修案を提示し、今でも斬新なアイデアと評価されているのだそうだ。それによると、東京大運河を開削し、利根川を多摩川に流す案だという。

 荒川は、【埼玉の母なる川】だそうだ。秩父を流れ下り、河口から東京湾に注ぐ大河は、また、首都圏に水甕でもある。荒川沿川の文化的、歴史的、自然の話になったが、この話も聞いていて面白かった。

 新聞社社長にしては、ずいぶん川の話に詳しい方だと感心した。

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