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2014年3月11日 (火)

№2267 東日本大震災、あれから3年

 2011年3月11日に起こった【東日本大震災】から、今日で3年がたった。この震災は、どうしても、わがことに引き寄せて考えてしまう。

 あの日のあの時刻は、那須で畑を耕していた。ジャガイモを植えるためだ。珍しく向かいのOhnoのお父さんが畑にやって来て、耕作の指導をしてくれた。20~30分もいただろうか。彼が帰って間もなくだ。

 頭がクラクラして、眩暈を感じた。いけない、脳に異変が起きたかなと思う間に、畑の周りの大木がゆさゆさ揺れはじめた。風ではないようだ。そのうち、大地が大きく波打った。立っていられずに、思わずしゃがみこんだ。大きな地震だ。しかも、揺れは結構長く続いていた。地面が波打つ経験は、新潟地震以来だ。

 しばらく地面に膝まづいていたが、揺れが収まったので、再び畑を耕し始めた。そしたら、隣の畑の方が、「大地震が起きた。畑を耕している場合じゃないよ。すぐに自宅に帰って、点検をしたらどうか」とアドヴァイスを送ってくれた。それもそうだ、と急いで帰った。

 自宅は、別段被害がなかった。皿が2~3枚落ちて割れた程度だ。Ohnoさんちに顔を出してみたら、彼の家は大変なことになっていた。棚の上に置いていたお酒のビンが全部床に落ちていて割れ、アルコールの匂いがぷんぷんしていた。

 どういう地震だったのだろうか、テレビをつけてみた。リアルタイムで被害が放映されていた。石巻の街だったろうか、街に津波が押し寄せてくる様が画面に映し出されていた。これは大変な地震だ。画面が変わって、のどかな宮城県郊外の農村風景が映っている。だだっ広い田んぼに津波が押し寄せてきていて、農家を飲みこんでいく。あの家には、何も知らない人が住んでいて、津波に飲みこまれているのだと思うと、いたたまれなかった。その農家の姿が、私の【東日本大震災】の原風景である。

 私は、この3年間に三度被災地を訪れた。そのうち二回は、被災地支援ボランティアだ。一度は宮城県の多賀城、もう一度は南三陸町だ。自分が何かできるというよりも、いたたまれない気持ちが先に立った。いずれも3泊4日だ。

 そして、心に深く残ったのが石巻市の大川小学校の被災現場(クリックでその記事に行く)だ。児童74名、教職員10名の尊い命が津波に奪われた。現場に行って、何より最初に思ったのは、なぜ裏山に逃げなかったのか。校舎のすぐ裏には高い山があり、道も出来ていた。それを、みすみす校庭で50分も待機し、挙句の果てに波にさらわれた。お話を伺うと、避難場所は北上川の堤防で、結局はその避難場所も波に浚われたようだ。

 今朝の新聞を読んで、大川小学校の遺族は損害賠償の訴訟を起こしたという。被災現場で悲痛な顔で一心に祈っている遺族を見たら、返せる命なら返してあげたいものと、痛切に思った。それにしても、とっさの判断ミスがこのような犠牲を生むものと、やりきれなかった。せめて、裏山に逃げていたら。しかも100メートルくらいの距離をだ。

 大川小学校ほどひどくはないとしても、こういう事象は、この3年間たくさんあったのだろう。人災事故の最たるものは、福島の原発事故だ。原発事故は一度起きてしまうと、どれだけ広範囲な被害を生むのか、嫌というほど分かったはずだ。3年間、未だ手のつかない被災現場が沢山ある。【原発のエネルギーは安上がり】という議論があるが、この事故で、金額に換算してどれほどの被害があったのか。これも計算に入れて、【安上がり】という声はどこから出てくるのだろうか。

 原発再稼働や新しい原発の設置を叫んでいる人がいる。残念ながら、原発は制御不能のときの対処の仕方が完全でない。こういう人知では及ばないテクノロジーを再度稼働しようという人の気持ちは分からない。さらに、新たな原発設置をと言っても、どこに建設できるというのか。その土地で大反対運動が起きるのが、目に見えて分かる。

 いざ事故が起きた時の汚染水処理さえできない人間が、【再稼働】と叫ぶ時、怒りを覚えるのは自然な感情である。

 住んでいた場所に帰れない避難民が、未だ23万人もいるという。災害対策は、道半ばにも行っていないということだ。何は出来なくとも、せめて心は被災者と一緒にいたいものだと思う。

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