№2278 南島観光兼ホエールウォッチング
小笠原観光の二日目は、クルーザーの【ピンクドルフィン】号で海の探索だ。生憎、この日はドンヨリした曇りで、海の上は風も強かった。今日は、相当船が揺れそうだね。出発は朝9時。クルーザーに乗ったのはわれわれ8人組以外に、15~6人の同行の仲間がいた。
クジラを探しながらも、南島を目指した。だが、クジラは、ちらっと姿を現しただけだった。クジラは後でと、南島に上陸した。
南島は特別保護地域で、ガイドなしには入島できないようだ。しかも厳重に保護されていて、指定された道以外に踏み行ってはいけないのだそうだ。南島は、乾性低木林で覆われていた。小笠原列島全体そうなのだが、戦後、米軍が管理していたという。南島には、米軍が山羊を30頭放したとのことだ。
その山羊に食われて、南島は日本返還になった時には、植物の一切ない島に変わり果てていた。昭和42年、日本返還時に山羊を駆除したらしい。それ以来、青々とした緑が蘇った。ガイドの説明では、「江戸から明治にかけて、この島はハンセン氏病患者の隔離島という悲しい歴史を持っているとのことだ。
ガイドの説明は続く。「この島にはヒラヘソカタマイマイの化石がたくさん見られる。このカタツムリは1000年ほど前に絶滅したのだが、カタツムリの殻がたくさん見られた。この殻が【世界遺産】を決定づける遺跡になった」とのことっだ。ただ、この島からは、例え小石一個でも持ち出すことはできない、と強調していた。
海岸の洞窟前で、記念写真。季節になると、この無人島へ洞窟を通ってたくさんのウミガメが産卵にやってくるらしい。広々とした砂浜は、ウミガメで一杯になるという。「洞窟の前の海は、【亀池】というんだよ」と話していた。この島の固有種の植物もたくさん見られた。
南島に一時間ほど滞在し、近くの波静かな湾内に船を着けた。昼食タイムだ。われわれは、Izumiさんが用意してくれたお弁当をいただいた。食べている最中、船頭のお話を伺う機会があった。彼は欧米人との五世ハーフで、戦後いち早く帰島を許されたらしい。
もともと、江戸時代はこの島にアメリカ人、イギリス人、ハワイ人などが住んでいたらしい。今でもその名残のハーフが多いという。もちろん日本国籍を持っていて、日本人であある。日本語も支障なく話していた。
さて、昼食も済み、いよいよホエールウォッチングだ。船頭が、「これからクジラを探しに行きます」と言った。そのころから雨風が強くなり、海も荒れ模様だった。船も大きく揺れた。そしたら、船酔いをする同行者が出た。「反吐は海に吐いて下さいね」と強調していた。
ホエールウォッチングの穴場は、父島の港の裏側のようだ。船の舳先に立ち、クジラ発見に努めた。かすかに塩が上がっている。船長はすぐさま見つけ、その現場に静かに船を進めた。いるいる、あれは子クジラか。というと、母親クジラも側にいるはずだ。
目を凝らしていると、大きなクジラン背が見えた。それも1頭ではなく。4~5頭の群れのようだ。クジラが海に沈む時の尾びれも良く観察できた。ただ、一度沈むとなかなか浮き上がらない。船長が「このクジラン群れは、息が長いな」とつぶやいていた。
周りにも4~5隻のクジラウォッチングの船が見えた。それにしても、ホエールウォッチングとは豪快なものだった。いくら見ていても、見飽きるということはない。クジラの姿が見える度に、船の中では歓声が上がっていた。
いつまでもクジラを見ていたいが、そういうわけにいかない。それに海が荒れてきた。海中水族館に寄って帰るのだそうだ。皆さん、食べ残しの弁当を用意していて下さい。そういいながら、父島と兄島の海峡に向かった。
そこは、さながら餌付けされたかのように、船が到着すると同時に魚が集まってくるポイントだ。船からイワシが沈められた。船のなかには、大きな船底がのぞける窓が開かれている。どんどお集まる魚のなかで、極めて目立つ生き物がいた。ウミヘビである。ウミヘビが何匹も餌台に絡みつき、いわしを食べている。このウミヘビは、日本のどの水族館でも見ることが出来ない、とガイドの解説だ。
水中水族館にしばらく停まっていた船も、海が荒れてきたと帰り支度を始めた。帰りはスピードを上げて、全速力だ。大きく船は揺れた。それとともに、ゲ~ゲ~反吐を吐く人が増えた。港に帰ってきたのは、午後3時を過ぎていた。
上陸後も、しばらく船に揺れている気分がぬぐえなかった。
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