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2014年4月 8日 (火)

№2295 映画『ワレサ 連帯の男』

Dsc00939  神保町に出たのを機会に、久し振りに岩波ホールで映画を観てきた。上映している映画は、アンジェ・ワイダ監督の『ワレサ 連帯の男』だ。アンジェ・ワイダ監督は、もう60年間も映画を撮り続けている【生ける伝説】の監督だ。しかも、ほとんどをこの岩波ホールで上映している。

 レフ・ワレサは、ポーランド近代化の英雄だ。1970~80年代には、よくニュースの対象になっていた。グダンスクのレーニン造船所を背景に、労働組合【連帯】の委員長として、時の社会主義政権と厳しく対峙していた印象が強い。ただ、彼はいつの間にか消えてしまった。

 今回の映画をみて、ワレサがどんな人物だったのか、よく描かれていた。

 1970年代から80年代は、ポーランドを含めた東ヨーロッパは、ソ連邦の傘下の下、検閲や思想統制など、厳しい社会統制下にあった。ソ連は、東ヨーロッパの民主化運動に厳しい目を光らせていたのだ。

 レーニン造船所での最初の運動は、賃上げ要求と女性の首切り反対運動だった。電気工だったワレサは、次第にストライキの中心人物になっていく。何度も警察に拘束されるが、彼はその信念を曲げることはなかった。

 一造船所のストライキが、次第に全国的なゼネストへと拡大していく。ポーランドは戒厳令を敷くが、それでも収まらなかった。ワレサを拘束した官憲は、ワレサにゼネストを止めるように強要する。

 ワレサは、その頃には一造船所の職工ではなく、世界的な英雄になっていた。 1983年12月に、ノーベル平和賞を受賞することが決まった。ただ、彼は受賞のために一度国外に出ると、再入国できないことを恐れた。授賞式に奥さんを代理出席させた。

 その奥さんを含め、6人の子どもとの心温まる家族愛もきめ細かく描かれていた。逮捕されるたびに、もう二度と自宅に帰れない覚悟をし、形見に指輪と時計を托す場面が三度もあった。

 逮捕で、死を覚悟したこともあったようだ。処刑直前に、ソ連首相のブレジネフ死去で、急遽、釈放されたようだ。自宅に帰って来た時には新聞の一面に取り上げられ、英雄として迎えられた。そして1989年、とうとうワレサを中心にした民主政権がポーランドに樹立された。

 1989年は、様々な事件があった年として記憶される。1月には昭和天皇が逝去され、年号が平成になった年である。6月には、中国の天安門事件が起きた。11月には、ベルリンの壁が崩れ、東欧の崩壊が決定的になった。

 この映画を観て、東欧の崩壊にポーランドの動きが相当影響したことも分かった。ヨーロッパの歴史を突き動かしたワレサは、いまからみても大変な英雄だったと思う。

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