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2014年5月17日 (土)

№2334 『桟雲の会』定例会

 このブログではあまり触れていないが、毎月一回、俳句仲間で『桟雲の会』の定例会を開いている。触れない一番の要因は、自分の俳句があまりにも下手でうんざりしているからである。

 しかし、この会の事務局長として、または会報の編集委員兼印刷委員として参加しないわけにはいかない。ただ唯一の楽しみは、この会に参加して、Yamahiko先生のきらりと光る言葉を聞くのが好きだ。

 何度も言っているが、私の俳句の生産性は決して高いものでゃない。俳句では、二つの会に所属している。一つは高校の同窓会の俳句会『東雄句会』で、もう一つがこの『桟雲の会』である。舞台裏を明かすようで申し訳ないが、『東雄句会』の締め切りが毎月10日、『桟雲の会』の定例会が毎月第三金曜日である。毎月5句の提出が義務付けられている。

 私は東雄句会に提出した5句を修正して、桟雲の会にも投句する。毎月わずか5句しか作句していない、情けない俳人である。東雄句会ではメールでの投句だが、桟雲の会では容赦ない批判にさらされる。私の中では、桟雲の会が本番という気持ちだ。

Dsc01394_2  今回も会報第27号を編集し、参加した皆さんに配布した。印刷するのはわずか11部と、ほんの僅かの部数だ。それでも2年半ともなると、この会報は結構上手に割り付けが出来るようになった、と自画自賛している。

 さて、今日の句会では、先生のどんな話が聞け、私の句はどのような添削がなされるだろうか。それが、結構感動的な話だった。先生の話を若干紹介したい。

 「俳句は哲学である。俳句は決して【報告】であってはならない。詠う情景を【詩】に近づけることが必要だ。【詩】とは何か。そこにはおのずと光景が見えてくる必要があるし、何よりその詩を共有し、共感を呼ぶ必要がある。作品は作者に寄り添っている」。

 何といい言葉かと、思わずメモにした。さて、肝心の句会で、わが俳句はどうだったのか。これもいつも思うことなのだが、先生の手が入ると、俳句がきらりと光るから見事なものだ。例句を上げたい。

馬鈴薯の新芽萌え出づ二つ三つ

(添削句)馬鈴薯の芽の二つ三つ土いづる

 私の作った句で、「新芽」と「萌え出づ」は語が重なっているという。芽というと萌え出た状態を言うので、あらためて萌え出づと詠う必要はない、といっていた。なるほど、言われてみればそうだ。そして添削されてみると、自分でも納得できるいい句に仕上がった。私は、先生が強調している、「添削された句も作者のものである」に意を強くしている。

 毎月、会員が提出した句の中で、先生が特選句を選び、会報の載せる。私の句が特選に選ばれることはほとんどないのだが、珍しく選ばれたので、その句もここで紹介しておく。

山の日に芽吹き小楢の萌黄色

《特選句評》「山の日に」を加えた。象徴的な意味合いを付加した。分かり易い素材でこれでいい。

 ちなみに、この原句は『萌黄色芽吹く小楢の鮮やかに』であった。添削句が圧倒的にいいのは、言うまでもない。

 そのYamahiko先生からメールがあり、「今晩時間があったら、飲まないか」という申し出だった。もちろんOKである。

 

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