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2014年7月15日 (火)

№2393 姉の引越し

 姉はこの地を引き払い、一週間後に娘や息子の住む横浜に引っ越す。家の中を見渡してみても、引っ越しの準備は遅々として進んでいない。どうするんだろうか。「どこから手をつけていいのかわからない」と嘆いていた。過去の古いものが多すぎるのだ。

 亡き父の話によると、この家は殿様と一緒に福島県のいわきからきた由緒ある商家とのことだ。その徴となる過去帳は、何度かの火事で焼けてしまい、現存するものは比較的新しい。父の代までは、さえない魚屋を営んでいた。この町が栄えていたころは、勢いもあったようだ。人口減少とともに、その経営は相当苦しかったようだ。

 父の商売の一助になればと、母がはじめたのが仕出し屋だ。これも当初は順調だったが、だんだんと尻すぼみになった。父が亡くなるとともに、その商売もやめてしまった。しばらくはこの大きな家に母一人で住んでいたのだが、高齢になり、一人で住むのが物騒と、近隣からクレームが出た。

 嫁に出てからほとんどこの家に縁のなかった長姉が、貧乏くじを引くように移り住んだのが20年程前だったろうか。落下傘のように降りてきた姉だったが、徐々に根拠地を作り始めた。彼女が主宰した【わっこの会】の活発な活動の様子は、ずいぶん聞かされた。

 その姉も高齢になり、関東に住む子どもたちが一人暮らしを心配し、近くに住むように強く言ってきていた。一時、くも膜下出血を引き起こした姉を心配するのもうなずける。今回は、その勧めを受け入れることになった。残るこの家をどうするのか、問題は残る。甥のIkuoが裏に住んでいる。古い家を空家にしておくのは物騒と、彼は解体したいらしい。

 そう簡単にいかないのが、遺産相続の問題だ。相続人が17名いるとのことだが、2名のみが相続放棄に同意していない。こんな田舎の土地で資産価値はほとんどないが、長年の心のわだかまりが、問題をこじらせている原因のようだ。その原因の種となっている人に会い、この際、問題を解決しようと試みるつもりでいる。

Dsc01918_2 私がこの家を離れて50年になるが、いろいろと思い出も多い。二階家を建てたのは昭和25年だった。亡き弟が生まれた年である。まだ祖父竹松も健在だった。私の一番古い記憶も、その祖父とのものだ。その祖父が亡くなったのも、同じ昭和25年晩秋だった。

 私はこの家の厄介者で、小さい頃は乱暴者だった。いつも喧嘩をしていたのが祖母おでんであり、ありったけの悪口を吐いていた。兄弟姉妹にも絶えずつっかり、姉に何度蔵に押し込められたことか。男兄弟がみな大人しく、私だけが鬼っ子だったようだ。

Dsc01908 私は、男兄弟が4人、女姉妹が2人いるが、男3人が亡くなり、残っているのは私一人だ。それぞれの兄弟とは尽きぬ思い出がある。それにしても思うのは、6人兄弟のそれぞれの波乱の人生である。一番危うかった私が、今最も元気というのも皮肉なものだ。

 姉がこの地を去ってしまったら、今まで年に12度帰郷していたのだが、帰る機会も少なくなるだろう。それが残念でならない。今回が最後の帰郷となるのだろうか。

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