№2756 台風一過の竹富島脱出
宿泊している民宿に、横浜の姉、川崎の姉から心配の電話があった。「テレビを見ていると大変な台風のようだが、大丈夫、飛ばされていない?」ところが、現地は意外と雨も降らないし、風もそんなに強くなかった。しかも、電話を貰ったときには、すでに暴雨風圏を抜けていた。
地元の人は「今年は雨が降らないので、農作物がどうなってしまうのか心配していた。この台風は、乾天に慈雨だ」と話していた。民宿の爺さんは、いろいろな作物を作っているようだ。ゴーヤにカボチャ、冬瓜にインゲン、へちま等々。今年はドラゴンフルーツが200個も実をつけている、どうやって食べようか心配だ、とのことだ。
この爺さんから、沖縄の戦争についてたくさん話を聞いた。彼は昭和2年生まれで今年88歳だという。「戦争のときは私は18歳だった。勉強どころでなく、農作物増産に駆り出された。竹富島は農地が少なく、船で西表島に行って、米を作っていた。ところが松をくり抜いた丸木舟で、西表から竹富までは一生懸命漕いで5時間もかかった」とのことだ。
石垣島、竹富島に米軍が上陸することはなかったようだが、ずいぶん爆弾を落とされたようだ。幸い、西表島のジャングルに潜んでいて、被害はなくここまで生きてきた、と話していた。
本来は一泊の予定の竹富島だったが、思わず三泊もしてしまった。もっとも、2日間はほとんど動けなかったのだが。朝食を終えて、目の前のレンタサイクリング店に、船が動いているのか聞いてみた。船は朝から動いているようだ。この日は石垣島に帰れそうだ。
そうとわかったら、自転車を借りて、もう少し竹富島を歩いてみよう。ガイドマップに【ちょうちょがいっぱい】という表示があった。アイヤル浜海岸に行く途中だ。そのことを自転車のおばさんに話すと、「そんな遠くに行くの」と言っていた。何分かかるか聞いたら、自転車で10分ほどだという。問題ない。
本当に、山のようにちょうちょが飛んでいた。図鑑がないので何の種類かはわからない。デジカメでは動いているちょうちょを取るのは困難だが、ぶれた画像だが、アップしてみた。どうやら、左はカバマダラというらしい。
アイヤル浜は東海岸だ。日の出が良く見えるという。もちろん私が行ったときはとっくに終わっていた。次に西海岸に行ってみた。アイヤル浜から自転車で20分ほどだったろうか。ということは、竹富島は自転車で20分ほどで横断できる島だ。
着いた西桟橋は、民宿の爺さんが西表島往復に使ったという桟橋だ。今は何もなかった。
そのすぐ近くにあるコンドイビーチは、遠浅できれいな海だった。海岸から100mほど離れた浅瀬で、子どもも含めた家族連れの遊ぶ姿が見えた。台風が過ぎてまだ一日しかたっていないというのに、ほどんど台風の影響は感じられなかった。
沖縄の民家はどこでもそうだが、赤い瓦の上にシーサーが乗っている。表情は千差万別だ。あるガイドブックによると、『シーサーの表情は、その家の家主の顔に似る』と書いてあったが、本当だろうか。
自転車で2時間も走ると、島の名所はほとんどカバーできた。自転車屋のおばさんが言っていた島の一番の名所【なごみの塔】も含めてだ。ただ、あまりに急すぎて、私には登ることができなかった。
土曜日にはようやく観光客も戻ってきたのかな。有名な観光牛車も走っていた。というより、歩いていた。
4日間もいた竹富島には、もう思い残すこともない。港に行って、石垣島行きの船の乗った。波を蹴立てて走る猛スピードの船は勇壮だった。石垣島にはあっという間に着いてしまった。
ということは、あの欠航は何だったのだろうか。
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