№2767 観光ガイドに載っていない沖縄
沖縄旅行の話を延々と載せているが、私は7月20日(月)に無事自宅に帰ってきた。沖縄の旅の話は、この号が最後である。
今回は、那覇に2日間滞在の予定である。その目的は、観光ガイドに載っていない沖縄の軍事基地をみて歩こうというものだ。私は3~4度ほど沖縄に来ている。観光地のみを歩いていたのだが、何か違うなという違和感がずっとあった。
ホテルの目の前に、大きな書店があった。ガイドブックに載っていない基地の本を捜そうと思った。そしてみつけたのが『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていることー沖縄・米軍基地観光ガイド』(著:矢部宏治、書籍情報社)という本だ。
この本を下敷きにして、明日はレンタカーで沖縄本島を歩いてみよう。この本には、米軍基地に関する基本情報がほとんど載っていた。
先ずは基本情報。米軍基地は、沖縄本島の18.4%、233k㎡を占めている。日本全体に占める米軍基地は0.3%というから、いかに沖縄に偏っているかということだ。沖縄本島周辺には28の基地、演習場があり、本島の一番良い場所は、米軍基地が占拠している。
今回は、すべての基地を回る時間の余裕がない。主要な何ヶ所かにあたりを付けて回ることにした。朝9時過ぎにレンタカーを借りた。今のレンタカーにはカーナビがついているので、目的地に行くのはそんなに難しくはない。
最初の目的地は、普天間基地である。ガイドブックによると、嘉数高台公園から眺めると、普天間基地が一望に見渡せるとあった。カーナビでその公園を目指した。
ところが、カーナビに慣れていないので、とんでもない場所に着いた。再度入力し直して、ようやく目指す公園に着いた。
この嘉数高台公園は、1945年(昭和20年)4月1日に米軍が沖縄上陸して、最初の大規模戦闘が交わされた地だという。公園の入口には、生々しい弾痕が残っていた。
日本軍の成果は、僅か20台の戦車を動けなくしただけに留まったらしい。その後は、沖縄戦といっても、一方的に米軍にやられるだけだった。この公園には、普天間基地を眺める展望台があった。
私は一眼レフカメラと双眼鏡を持って、普天間基地を眺めた。一眼レフには望遠レンズを付けていないのでよく写っていないが、双眼鏡でのぞくと5機余りのオスプレイをみる事ができた。基地の周り近くには、住宅地が迫っている。世界一危険な軍事基地を実感した。
宜野湾市役所の屋上からも、この基地を眺めることが出来るというので、行ってみた。ただ、この日は日曜日で市役所は休みだった。
次に向かったのが、嘉手納基地だ。嘉手納基地のまん前には【道の駅かでな】があり、屋上からこの基地の全貌をみることが出来た。矢張り双眼鏡で覗いてみると、ステルス戦闘機が数機見えた。日曜日のせいか、基地は稼働していない。
それにしても、この道の駅では外国語が行き交っていた。韓国人と中国人観光客が多かった。
この嘉手納基地は、「海外最大のアメリカ空軍基地」といわれ、羽田飛行場の1.5倍もあるという広大なものだ。基地の中にはゴルフ場もあるという。よくぞこの狭い島に、これだけの巨大な基地を作ったものだ。
この基地に隣接して、嘉手納弾薬庫がある。これはトップシークレットで誰にもわからないが、1961年には約1000発、ベトナム戦争が激化した1967年には1200発以上の核兵器が配備されていたという。今でも核兵器があるのかどうか、誰にもわからない。その弾薬庫をみて見たい。
狭い道をくねくね走って、着いたのが倉敷ダムである。このダムを見渡せる42m弱の展望台があった。だれでも無料で登ることが出来る。
この展望台から見ると、ダム湖の向うに広大な森が広がっていた。さて、どこに弾薬庫があるのかは、林に囲まれていて分からなかった。しかし、レンタカーがないとこんな場所まではこれなかったね。
いよいよ、今回訪問したいという本命の辺野古に行ってみよう。弾薬庫から車で40km弱だ。約1時間20分というところか。
辺野古は、昨日土曜日に大きな反対運動の【人間の鎖】が出来たらしい。この日は雨模様ということもあり、比較的静かだった。フェンスにはられたリボンも撤去されていた。
辺野古の新基地の全体像をみることが出来るという、大浦湾に回ってみた。矢張り日曜日のせいか、工事が進められている様子は見受けられなかった。沖縄県は、前知事の辺野古基地容認法に3つの瑕疵があると、法の改正を進めるらしいが、どうなってしまうのだろうか。
普天間基地が街の真ん中にあるというので、辺野古に基地を移転するというが、米軍の本音は使いにくい古い普天間から、近代的な整備をされた新基地に移りたい、ということらしい。しかも、新基地は日本の【思いやり予算】で作るというから、アメリカにとっては願ったりかなったりだろう。
沖縄の人たちは、「沖縄を平和な島にしたい」と強く思っているが、この基地が出来ることによって、永久に固定化される米軍基地はいらない、とあくまでも強硬である。
前の知事が沖縄振興予算を沢山分捕る代わりに、基地提供を考えたようだ。今の翁長知事には、米軍基地の撤去しかあり得ないという。
政府に向かっての長い戦いになると思うが、暖かく見守って行きたい。さらに、ヤンバルクイナの住む北部演習場へ行こうとカーナビを設定したのだが、どう間違ったのか、南の方に下がってきてしまった。時間も遅かったので、今回はここまでにした。
それにしても、13泊14日の旅は様々な出来事があって、本当に楽しかった。今回の世話人Kuniyasuさんは、「来年は利尻・礼文島の旅をしよう」と言っていたが、果たしてどうなることやら。
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