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2016年3月 4日 (金)

№2992 江戸東京たてもの園訪問記②

 前号に続く【江戸東京たてもの園】訪問記である。

Dsc00080 入口には沢山の小学生が列をなしていた。近くの学校から、【体験学習】にここを訪れているのだそうだ。小学生は入場無料だった。

 どういう体験学習をするのだろうか、見ていると囲炉裏の火熾しや、火鉢に実際炭を焚き、手かざしをしていた。さらには擂鉢で豆を擂り潰していた。近くにこういう施設があるのは有難い、とつくづく思った。

Photo さて、午前中二つの施設訪問を終えて、昼食はここにあるレストランで摂った。誰かがビールを頼んだので、私も仕方なしに飲んだ。

Dsc00112 午後は二班に分かれて見学をした。わが班は、午前中と同じ方がガイドをしてくれた。集中的に見たのは、戦時下の東京下町の建物だ。万世橋の交番はそのまま移築したものらしいし、上野消防署の火の見櫓も移築されていた。

Dsc00113 また、昔懐かしい都電も飾ってあった。渋谷から新橋行きの都電だった。われわれの仲間の中に、この都電に乗って通学したという人もいた。停留所が「南佐久間町」という看板だった。南佐久間町ってどこだったのだろうか、聞いたことのある町名だ。

 自宅に帰って調べてみたら、今の西新橋だ。私が上京したのは1965年ころだ。たしか、その頃はまだ都電が東京中を走っていた。都電を過ぎると、懐かしい建物が次々と現れた。

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醤油屋、旅籠、文具店、仕立屋、呑み屋、和傘問屋、荒物屋、乾物屋、生花店など昔懐かしい店が並んでいた。

 三省堂文具店(今の神田三省堂ではない)の内部は、宮崎駿の【千と千尋の神隠し】の映画に使われたらしい。

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Dsc00120 「下町通り」の正面にあるのは銭湯だ。この銭湯は、実際千住にあったものを移築したらしい。立派な建物だった。ガイドの話によると、「1995年くらいまでは、銭湯はもうかる商売だった」そうだ。

 中には、定番の富士山が描かれていた。私も、結婚してしばらくは女房と連れだって、銭湯通いをしていた。

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Dsc00122 【天明家】という農家も、長屋門を備えた立派な建物だった。多摩川沿いにある農家で、大名がお忍びで鮎を食べに通った豪農だったらしい。多摩川沿いということで、戦火を逃れたのだろうか。

 ガイドの説明で、一日このたてもの園を楽しんだ。天気も良かったし、楽しい見学会だったね。当然、帰りは武蔵小金井駅前の一杯飲み屋で、反省会も欠かさなかった。

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