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2016年6月

2016年6月30日 (木)

№3110 紫陽花の咲く那須

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Img_0009Img_0008  那須を歩いていると、どこも紫陽花が真っ盛りだ。なかでも特にきれいなのが、那須街道である。街道の両側面には、自然林でもある赤松の大木が何本もある。その赤松に沿うように、たくさんの紫陽花が咲いている。

 ここの並木道は、昭和天皇が特に愛した地として有名である。これだけ紫陽花が咲いているにもかかわらず、観光客は少ない。見慣れた風景なのか、それともこの景勝地を知らないのかはわからない。この時期にしか咲かないので、訪れてみてはいかがだろうか。

Img_0013  たくさんの紫陽花に触発されて、わが【あるるのいえ】の周りにも紫陽花を10本ほど植えている。埼玉の自宅から持ってきたものや、挿し木で増やしたものがほとんどだ。

 近所のMatsukawaの奥さんが、「ようやく紫陽花も大きくなったわね。もう3~4年もたつと、さぞかし立派になることでしょう」と話していた。

Img_0014  道路沿いに4~5本植えているのだが、ようやく花をつけ始めた。

 向かいのOhnoのお父さんも声をかけてきて、「紫陽花がきれいだね。うちの周りにも紫陽花やいろいろなものを植えるのだが、さっぱり成長しない」と嘆いていた。自宅の前に菜園を作り、野菜も植えているのだが、これもダメなようだ。

 どうやら、土が良くないのではないか。彼の家の水たまりには、赤錆が浮いている。水に相当鉄分が含まれているようだ。

Img_0016  同じ株分けで植えた紫陽花だが、植えた場所によって赤紫になったり青い花をつけたり様々だ。土が酸性かアルカリ性かで、色の違いが出るようだ。

 庭には、額紫陽花も2本植えている。これも咲き始めた。【あるるのいえ】を紫陽花の家にしようと始めたのだが、少し実現に向かっているかな。

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2016年6月29日 (水)

№3109 トマトテントが飛んだ!

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 那須に来て畑に行ったときには何でもなかったトマトにかけたテントだが、その晩一晩、ものすごい風が吹いていた。そして、翌日畑に行ってみたら、見事そのテントが30mも飛んでいた。

Dsc01271  実は、このテントを組み立てた時点で、アンカーを甘く見ていた。何度もテントをかけていたが、飛ばされた経験がないのだ。今回も飛ばされることなど考えずに、アンカーボルトを浅く埋めていた。手で引っ張り上げると、簡単に抜けてしまった。

 そして、見事昨夜の風で、アンカーごと吹き飛ばされていた。畑の持ち主がこれを見て、「あんな中途半端な支柱じゃだめだよ。もっとしっかり埋め込まなくちゃ。ちゃんとかたずけてよ」と言われた。もちろん、再度テントを立て直すつもりではいた。

 吹き飛ばされたテントは、幸い草地に横たわっていたので、誰にも迷惑はかけなかった。解体して、再度建て直すことにした。肝心なのはアンカーだ。今度は鍬で50㎝ほど穴をあけ、きちんと埋めた。その脇に石も置いたが、これは気休めかな。

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 ビニールをはがし、骨格をしっかり紐で結んだ。念のために、補強用の支柱をもう一本足した。アンカーを引っ張ってみたが、今度はびくともしない。そして、補強した骨格の上にビニールを被せた。

Dsc01266  トマトの支柱も曲がっていたので再度立て直し、ビニール紐を補強した。これで大丈夫かな。夜寝ていて、まだ補強が足りないかなと思った。朝、再度畑に行って、テントの骨とアンカーを結ぶ紐を足した。これなら、少々の風でもビクともしないだろう。

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2016年6月28日 (火)

№3108 玉ネギの収穫

 この日は、玉ネギを全部収穫した。

 何度かお話をしているのだが、玉ネギを植えたのは今回が初めてのことだ。ブログ記事を振り返ってみると、昨年の10月25日の記事に【玉ねぎを植える】という項があった。初めて植えるので、果たして冬を越せるのかどうか、不安だった。その記事を読むと、400本ほど植えたとある。苗の半分は冬を越せずに腐ってしまうと読んだのだ。

 ところが、ほとんど枯れる苗もなく順調に育った。隣の畑の持主が言っていたのだが、「玉ネギは、植えたらほとんどが育つ優等生の野菜ですよ」とのことだ。冬を越した玉ネギは、それでも5%くらいは育たなかったかな。ということは、95%は育ったということだ。

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Dsc01267  ほとんどの茎が倒れている。そして、その茎も腐り始めていた。収穫時期が来ているのだ。一個一個掘っていった。小さなものもあったが、ほとんどが立派に育っている。中には相当大きな球もあった。

 野菜には、手をかけないと育たないものもあるが、玉ネギはほとんど手入れをしないで育ったという意味では、私の様な無精者にとっては野菜の王様だ。収穫した玉ネギをバケツに入れ、車に運んだ。10杯にもなっただろうか。車の中は、プ~~ンと玉ネギの匂いがした。

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 自宅に持ってきて、玄関のコンクリートに並べた。2~3日干すと良いようだ。ざっと数えてみたら300個以上はありそうだ。商売もできそうだな。

 Matsukawaさんのほかに、向かいのOhnoのお父さんに裾分けした。さらに、近所のShinozukaさんにも持っていた。「ウチは毎日玉ネギ料理が欠かせないの。本当に有り難い」と大喜びされた。

 さて、自宅に半分ほど持って行くし、7月に来るお客さんにもお土産として差し上げよう。

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2016年6月27日 (月)

№3107 畑はどうなっているかな

 3週間ぶりに那須に来ている。さて、畑の作物はどうなっているだろうか、楽しみである。【あるるのいえ】に着くと同時に、畑に行ってみた。

Dsc01254  一番心配だったのが玉ねぎである。成長しすぎて腐っていないだろうか。というのも、前回訪れたときに、すでに茎は腐り始めていた。本当は、前回訪問の折に収穫すべきだったのではないか、悶々と悩んでいた。ところが試掘してみると、丸々と成長し、ジャストタイミングの収穫時期だ。今回の那須訪問で、玉ネギを全部採ってしまおう。

 まずは5本ほどを取ってきて、今晩の夕食用にした。新玉なので生が美味しいだろうと思い、千切りにして水にさらした。カツオ節をかけて、青じそ味のドレッシングをかけて食べた。美味しかった。

Dsc01259  ジャガイモも試掘してみた。まだ少々早い気もする。ただ、女房が「じゃがいもを掘ってきてよ。ないので買っているのよ」と言っていた。小さくても食べられないわけではなさそうだ。4~5本掘って持って行こうか。

 前回来た時に摘んでいったと思ったのだが、ジャガイモの花が満開だ。花は種芋を成長させるのには有害だ。全部摘んでしまった。

 今年はスナックエンドウを植えたのだが、すでに食べられそうなものがある。20本ほど収穫した。さて、どうやって食べようかな。

Dsc01262  Matsukawaさんに新ジャガを届けながら、スナックエンドウの食べ方を聞いた。「茹でて、マヨネーズをかけて食べたらどうなの」とのことだ。そうか、そんなに簡単な食べ方があったんだ。夕食の食卓に並べた。少々薹の立ったものもあったが、まずまずだった。

 さて、明日は玉ネギを収穫しよう。

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2016年6月26日 (日)

№3106 新たなデジカメを購入

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 以前も話題にしたが、新たなデジカメを購入した。購入したカメラは【キャノンPowerShot SX720HSという機種である。

Img_0005   私が今持っているカメラは【ソニーCyber-shot】という、倍率20倍のカメラである。2年ほど前に買ったカメラだ。

 このブログをやるようになって、私はデジタルカメラのヘビーユーザーになった。記録用にと、必ず毎日何枚か撮っている。ブログ用に使う写真は、撮ったもののうち3分の一か4分の一だ。今まで撮った写真は、パソコンの中には膨大な記録として残っている。

 さらに、毎日使うので結構使い方も荒い。今まで10台近いカメラを購入しただろうか。以前はオリンパスのデジカメをよく使っていたが、どうも故障が多い。前回からソニーのものを使っている。

 ところが、先日、礼文島の旅の折、雨の中でデジカメで撮ったせいか、動きがぎこちなくなった。故障の前兆である。仲間が倍率30倍のカメラを持っていたので、うらやましくなったのも事実である。早手回しに、新たなカメラの購入を決意した理由だ。

 そして、今回買ったカメラはキャノン製だ。キャノンのカメラで、私がいま持っているのは一眼レフカメラだが、重いのでしょっちゅう持ち歩くというわけにはいかない。勢い、手軽なデジカメを使うことになる。

Img_0004Dsc01248  今回この機種を選んだのは、ズーム倍率が40倍という魅力にひかれた。

 どう違うのか比較してみた。直線距離で300mくらい先のマンションのベランダを撮ってみた。盗撮しようという目的ではないので、念のため。左の写真が、今回買った新たな40倍率のデジカメで撮ったものである。大きく撮れているし、画像もクリアである。

 大型電気店に行って、目的のカメラの値段交渉をした。店頭価格とネット価格では4,000円ほど違っていた。ネット価格にならないか聞いてみたら、そこまではいかないが、それに近い値段を提示してきた。私がひそかに想定した値段より安いので、買う決断をした。

Dsc01250  私は、デジカメは絶えずベルトのケースに入れて持ち歩いている。今回のデジカメを含め、けっして重いものではない。しばらくは2台のデジカメをベルトに挟んで、持ち歩こう。

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2016年6月25日 (土)

№3105 歌舞伎観賞会

 今年の2月上旬、名古屋から珍客が来て一緒に飲んだという記事を書いた。覚えている方もいるかもしれないが、その珍客は歌舞伎フリークだという。酔った勢いで、「一度歌舞伎を見てみたいもの」と、話が盛り上がった。

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 その約束を覚えていたらしく、珍客のYukiちゃんが「歌舞伎入門の良いチケットが手に入ったので、一緒に見に行こう」と誘ってくれた。もちろんShimaちゃんも一緒だ。私は、てっきり歌舞伎座に行くものと思っていたが、半蔵門にある【国立劇場】だという。

Dsc01238  私に否応はない、久し振りに歌舞伎鑑賞をすることにした。演し物は劇場に行ってみなければわからない。看板にあったのは、『歌舞伎鑑賞教室』で、入門者のための歌舞伎だという。入場料も4,000円ほどで手ごろだった。

 入門者のための歌舞伎のせいだったのだろうか、玄関に並んだのはほとんどが高校生だった。課外授業で、歌舞伎を見に来たものだろうね。

 この日は、『歌舞伎のみかた』の解説を中村萬太郎という歌舞伎役者がしてくれた。約30分ほどの解説だった。

Dsc01246  そのあと、本番歌舞伎というので『新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)』という歌舞伎が演じられた。主演は中村橋之助であった。

 一階に陣取ったのは、ほとんど女子高校生だ。われわれは、二階の前から二列目と程よい観賞席だった。入門歌舞伎というので、演じられた演目は世話物といわれ、私のような素人にもよくわかる話だった。

 さすが歌舞伎フリークのYukiちゃんは、午前中は歌舞伎座で歌舞伎鑑賞をし、午後はダブルヘッダーで国立劇場に駆け付けたらしい。翌日も演劇を見て帰るのだそうだ。

 午後4時半に歌舞伎を見終え、今年の2月に行った築地の寿司屋へタクシーで向かった。まあ、歌舞伎はあんなものかなという感じだったが、テーブルにはたくさんの食べ物が並んだ。食い物論議だ。

 お勧めの寿司を全部頼み、それでも足りずに特選セットを注文した。お酒の強くないYukiちゃんをさておき、Shimaちゃんと私は冷の4合瓶を頼んだ。それでも足りずに、さらに小さな瓶も飲んでしまった。午後8時過ぎに、お互い良い気持ちで別れた。

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2016年6月24日 (金)

№3104 二日続けてのゴルフ

 昨日に続けて、二日続きのゴルフをしてきた。毎月やっている四人の「シンさん&シンちゃん会」だ。会場は、これもいつもの【オリムピック・カントリークラブレイクつぶらだ】コースだ。ただ、今月はMasazoさんにご不幸があったとのことで、三人会になってしまった。

Dsc01233    昨晩からしとしと降っている雨が、朝まで続いていた。しかも止みそうにない。「おい、どうしようか。今日は中止にしたらどうだ」という声もあったが、しばらく様子を見ることにした。

 本来8時27分のスタートだったが、30分ほど様子見をした。しかし、相変わらず雨が降っている。そろそろ決断の時だ。「けど、ゴルフ場を目の前にして中止というのも何だね」と、結局はスタートすることにした。雨具を厳重に身にまとい、スタート台に立った。

 私は、雨具を着てゴルフをすると、なんだかゴワゴワしてスウィングができない。オーバーズボンだけはいて、上は雨具を着なかった。雨だからゴルフ場は空いているかと思ったのだが、それが混んでいて流れが悪い。各ホールごとに待たされた。

Dsc01235  雨でコンデションが悪いうえに、スムーズなゴルフができない。これで良いゴルフなど望むべくもないね。案の定、得意のア~~~ッという声とともに、まっきぃのスタートホールのボールは右に大きくそれて、OBゾーンをはるかに越した。ヤレヤレ、先が思いやられるね。

 どうも毎月こうやって一緒にゴルフをやっていると、悪い病気が伝染するものらしい。私のイップス病が彼にも伝染したらしく、1m以内のパットをことごとく外していた。可愛そうだったのは、OUTの5番ロングホールだ。3打目を1m以内にピタッと付けた。バーディパットだったが、チョロで外してしまった。さらに、30㎝のパットも外し、見る影がなかったね。そういう私のパットもボロボロだったのだが…。

Dsc01236  もう一方の同伴者Masaoちゃんのゴルフはもっとひどい。もっとも彼は身体障害者のようなもので、クラブを振るたびに左手が痺れ、まともなスウィングができないのだ。この痛みはもう治らないものと、諦めているようだ。その割には、しょっちゅうゴルフはしているようだ。過去の栄光を知っているだけに、哀れな感じがする。

 ただ、彼の生き方の前向きさには敬服したい。体がボロボロなのに、相変わらず海外旅行は頻繁である。来週は、フランスのピレネー山脈2週間の旅をするのだそうだ。

 昨日よかった私のゴルフだったが、また元の木阿弥だったね。イップス病から立ち直ったように思っていたのだが、同伴者の顔を見たらまたぶり返してしまった。私のゴルフの何が悪いかといって、やはりパターだね。

 ドライバーは比較的まっすぐ行っていたのだが、飛距離がない。さらに、OUTの5番・6番で、自慢のドライバーも突然崩れてしまった。今から考えると、アドレスが定まらずに打っていたのが悪かったのだ。それ以降はまた安定しただけに、返す返すも残念だ。

 私のこの日の自慢は、IN13番のミドルホールだ。1打目がフェアウェー中央に行った。ただ、2打目がまだ190ヤードほど残っていた。得意の7番ウッドで打ったのだが、グリーンが坂下にあって見えない。行ってみたら、なんと80㎝ほどのところにピタッとついていた。もちろんバーディだ。この日は、これだけだったかな。

 上がってみれば初心者並みのスコアだ。それにしても、雨の日のゴルフは嫌だね。

この日の成績

OUT58(21) IN53(20) TOTAL111(41)

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2016年6月23日 (木)

№3103 第26回いきがいゴルフコンペ

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 彩の国いきがい大学の仲間で作る『第26回いきがいゴルフコンペ』が、栃木県にある大平台カントリークラブで開かれ、参加してきた。このゴルフコンペは、始まってからもう6年にもなる。参加者に古希を過ぎた人も多いが、皆元気だ。

 このゴルフ場は、女房がちょくちょく利用するというので取ってもらった。プレー代、昼食、コンペ代込で7000円ちょっとだった。栃木県のゴルフ場は、ずいぶん安くなったものだ。

 この日の参加者は11名だった。もうこの年になると、健康第一、スコアは第二と心得ている。それにしても、70歳を過ぎると急速に飛距離が落ちるよね。ただ、その良いところもある。飛ばない分、大きな曲がりもなく、ケガが少なくて済む。

 大平台カントリーは、もう10年以上も前になるが、よくここでプレーをした。ただ、最近はほとんど利用していない。そういう意味では、久し振りのプレーだった。私は、前回コンペでブービーだったので、幹事を引き受けた。

 私のゴルフに、徐々にではあるが曙光が差し始めて、気をよくしている。ドライバーがほとんど曲がらないで、フェアウェーセンターを捉えている。ただ、200ヤード前後しか飛ばないのは悲しいのだが…。

 最近ではパーオンをすっかり諦めているので、ミドルホールは3オン2パットのボギーが私のパーだと決めている。ただ、ゴルフをやるのは金沢ゴルフ旅行以来なので、最初は感じが掴めなかった。スタートホールは、2打でグリーンそばまで寄せながら、そこから7打も打つ始末だ。今日もダメかなと、最初からあきらめ気分だ。

 ただ、投げやりにならなかったのが良かったのか、その後はボギーを重ねていった。最近一番問題だったのが、パターだ。思いイップス病にかかっている。それも、最近徐々に抜け出しつつあることを実感した。要するに、イップス病というのは心の病だ。考え方を変えればうまくゆく。その転換術をだんだん身につけつつあるのはうれしいことだ。

Dsc01224Dsc01226  今日はHirokoさん、Tsutomuさん、Yamajiさんと一緒に回った。前者の二人とはほぼ同スコアで回った。ハーフを終わったら、まったく同じスコアだ。後半も途中まで同じスコアで回っていた。

 ただ、後半の7番・8番で私がパーを拾い、突き放した。それにしても楽しい組み合わせだった。もちろん、組合せは私が決めたのだが。結果は、今年初めての100切りスコアだった。さあて、これからどんどん行くぞ。

今日の成績

OUT51(20) IN46(15) TOTAL97(35)

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2016年6月22日 (水)

№3102 原市の古代ハス

Img_1130_2  ブログを毎日アップしていると、空白の日ができてくる。8年半毎日記事を更新していたのだが、この日は記事更新は休みかなと思っていた。

 念のために、ブログ仲間は今何を話題にしているのかチェックしてみた。Naoko先生のブログ昭jijiのブログも、期せずして【原市の古代ハス】を話題にしていた。そうか、私も行ってみよう。この沼は、自宅から車で10分ほどのところにある。あいにく、小雨が降っていた。

Img_1137  雨のせいか、ハス園には誰もいなかった。番人二人のみだ。その番人に「ハス園を見せてください」と断りを入れ、入園した。因みに、入園料は無料である。ただ、花の最大の見ごろは7月上旬とのことで、まだ若干少なかったかな。

Img_1131Img_1132  この日咲いていた花は22本とのことだが、最盛期は数百本の花が一斉に咲くらしい。ハスの花が咲くのは朝早いとのことで、午前6時から8時が見ごろとのことだ。

Img_1134  沼の脇には、引き揚げたたくさんのザリガニがいた。このザリガニが曲者で、茎を切り、根を食べてしまうのだそうだ。おかげでハスが全滅した年もあったそうだ。

 今では一斉捕獲で、年間6000~7000匹もザリガニ捕獲をしているとのことだ。さらにハスを守るために、《愛する会》で沼のドブさらいなどをやっているという。

 沼には、たくさんの生物も見られるらしい。ドジョウ、メダカ、オタマジャクシ、フナ、クチボソ、タナゴ、タニシ、昆虫の幼虫などが観察されたという。

 【原市古代ハス】のブログを開設しているので、以下のURLでチェックしてみてください。

Img_1147   帰りに、番人から「今朝採れたタケノコがあるから、持って帰らないか」と勧められた。味噌汁用にと2本いただいてきた。

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2016年6月21日 (火)

№3101 桟雲の会の定例会

 毎月、第3金曜日は【桟雲の会】の定例会である。この会のブログへの報告は、私の俳句が高く評価されたときには書いているし、評価が低い時には掲載していない。誠に勝手なものだ。今月の句会では、評価された句が多かったので、この記事を書いている。

 わが句会には、どんどん腕をあげている女性が二人いる。私と同時に俳句を始めたのであるが、彼女たちの俳句は絶えず特選に選ばれる。それに対して、私の句が特選に選ばれることはほとんどない。それが、今月は珍しく特選になった。

山道の尽きて破(や)れ寺野豌豆

 《原句》は、山の辺の破れ寺藪に野豌豆というものだった。先生の添削が入り、そのうえで特選に選ばれた。さらに、今月は特選とまではいかなかったが並選で選ばれた句が四句あった。これも珍しいことなので、ここに紹介したい。

葱坊主大内宿の暮色かな

牡丹寺平家落人古刹とか

薫風や祠に祀る狐像

奥甲子(かし)や湯宿の庭に李咲く

 会員のTsukushiさんが、私に向かって「最近腕をあげたね。一ヶ月に相当俳句を作っているんだろうね」と言っていたが、ご存知のように私が作る俳句は、高校同窓俳句会に提出する句と、この【桟雲の会】に提出する句のみだ。貧弱なものである。もっともっとたくさん作らなければとは思うものの、実態は期日が迫って、追われながら何とかひねり出している。

 金沢旅行や礼文・利尻旅行があった。本当は『俳句ノート』を持って行って、旅情の詩をたくさん作ってきたらよかったのだが、そういうことをほとんどやらなかった。俳句に対して本腰になっていない証拠だよね。

Photo  句会の後、会報を作るのが私の役割だ。今回は第53号会報を作った。こういう仕事は、私の得意分野で、あっという間に12頁仕立ての会報を作り上げてしまう。表紙を飾る花は、次回の兼題に指定された花だ。

 来月の兼題は、【酢漿草(かたばみ)】に指定された。酢漿草ってどういう花だろうか。ネットで調べてみると、たくさん出てくる。その中で一番表紙にふさわしいと思われる花を採用している。先生は12ほどの句会を主宰しているようだが、【桟雲の会】の会報が一番良いと褒めてくれた。

 会報作りが終わると、先生の主宰する同人誌にエセーを書くことが求められている。『秦山の独り言』として、もう7回目のエセーを書いた。ここに、今回の文全文を紹介したい。

秦山の独り言 その7 俳句と形容詞

 今月の句会で先生の話した「ナマの言葉」について考えてみた。

  普段、「孫は可愛い」とか「花は美しい」などの言葉を平気で使うが、俳句ではなるべく避けるようにとのことだ。俳句の世界で求められるのは、「美しい」といわずにその美しさを表現する別の言葉だ。「美味しい」といわずに、その味の良さをもっと豊かに表現する必要がある。

 今月の句会で話題になったのが、「孫」を詠ってはいけないのかという話だ。先生が言うには「孫を詠ってはいけない、ということはない。一般に爺婆の孫可愛がりというが、ただ可愛いだけでは俳句にならない。どう可愛いのか、その表現方法が求められる。」と強調していた。

 普段から感じているのだが、「形容詞は危険」だと思う。「美しい」「美味しい」「静かだ」「可愛い」と詠うことによって、その俳句が台無しになることがある。

 比喩逃げということから、「ごとし」俳句や「~やうな」俳句をタブーにするという話も聞く。これも形容詞を極力使わないようにということと関連した禁かもしれない。

 形容詞を使わない理由として、日本語が貧弱であるからとか、形容詞を使うと陳腐になりがちだという。私は、日本語の形容詞は貧弱とは思わないが、後者の陳腐になりがちというのが、俳句に形容詞を使わない理由として正確なのかもしれない。初心者の作った俳句を鑑賞すると、どうしてもそういうナマの形容詞を使っていることに違和感を覚えるようになった。私も少し進歩したのだろうか。

 「美しい」とか「美味しい」といわずにどう表現しようか考える、そこに俳句を作る醍醐味が潜んではいるのではないだろうか。

 

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2016年6月20日 (月)

№3100 梅干しの赤紫蘇漬

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 さて、6月7日に漬けた梅はどうなっているのだろうか。重しをとってみたら、順調に白梅酢があがっていた。心配したカビも出ていない。次の段階は、赤紫蘇を漬けることだ。例年、赤紫蘇は那須で買っていたが、今回は那須に行く機会がない。近くの農協の直売所で買うことにした。

Dsc01176  農協の直売所には赤紫蘇が出ていた。一袋250円であった。昨年の記録を見ると、那須では128円で買ったとある。倍近い値段であるが、わざわざ那須まで買いに行くわけにもいかない。昨年と同じく10袋買い求めた。

 ちなみに南高梅も売っていたので値段を見たが、これも那須の倍近い。本当に、那須は物価が安いのだ。

 買ってきた赤紫蘇の葉をとる作業だが、10袋もあると結構な量だ。女房が手伝ってくれたので大助かりだった。むしりとった葉は大きな箱一杯になった。

Dsc01178  その葉をポリバケツで水洗いした。水にしばらく浸けおきをし、さらに2度ほど洗い直した。水が黒く濁っていた。結構汚れていたんだね。

Dsc01179  さて、洗った赤紫蘇をウッドデッキの上に新聞紙を敷き、干した。一昼夜のつもりで干したのだが、翌日は別の用事があり、取り入れたのが夕方である。葉はすっかり干からびていた。干からびていると灰汁抜きができない。再度、赤紫蘇の葉に水を注いだ。

 塩にまぶしながら灰汁抜きをする。以前、この塩を多くしたために、梅干しがすっかりしょっぱくなってしまった。今回はきちんと計って200g、1%の塩にした。

Dsc01180  灰汁抜きをしたのだが、結構灰汁が出てきた。灰汁抜きは力仕事である。目いっぱい、三度にわたって搾った。ボール3分の一ほどの灰汁が出た。

 赤紫蘇漬けの準備ができた。次には、漬けていた梅の白梅酢を取り入れる作業だ。ペットボトルに漏斗を置き、晒でカスを取り除きながら取り込んだ。2リットルに3杯の白梅酢がとれた。この白梅酢は、料理の材料になる。

Dsc01184  さて、梅に搾った赤紫蘇を入れ、本格的な漬けこみ作業だ。この良し悪しが、梅干しを赤く染めるかどうかの決め手になる。白梅酢を取り除いた梅の上に、赤紫蘇を万遍なく敷いた。梅が見えなくなった。

 その上に、白梅酢をペットボトル半分ほど振りかけた。これで準備完了だ。重しも、もう前の半分ほどでいいだろう。紫蘇の赤が梅に染まるまで2~3週間ほどだ。

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 次の作業は、梅雨明けの三日干しで、そのあとに本格的な梅干し漬が始まる。この作業はもう10年もやっていて、手慣れたものだ。さて、今年はどんなにおいしい梅干しができることやら。

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2016年6月19日 (日)

№3099 東京雄水会総会へ参加

Dsc01186  年一度の高校同窓会【東京雄水会総会】に参加してきた。会場は、虎ノ門にある霞が関ビルの最上階35階だった。現在、この会の会長は、わが同期のRokuちゃんがやっているので、われわれは彼を盛り立てるべく、せめて総会だけは参加しようよと呼びかけた。

 高齢化が進むわが同窓会は、年々参加者が少なくなってきている。一時120名を超えていた参加者も、今年は90名ちょっとだった。その中で、わが同期の参加者だけは傑出していて、13名が参加していた。なかには、Michikoさんのように福島から駆け付けた人もいた。

 毎年、この総会には母校の校長が参加して、学校の近況報告をしてくれる。秋田県は少子高齢化が進み、学校の統廃合も行われているようだ。一時57校あった高校も、今では50校まで減ったとのことだ。定員割れの高校も多いようだ。そのなかで、わが母校だけは入学試験の競争率も1.28倍と激しく、その人気の高さをうかがわせている、との話だった。

 母校はスポーツ校で、昨年の甲子園で野球部がベスト8に進出したことで、大いに盛り上がっているようだ。ただ心配もあって、入学者は女高男低で女の割合が54.4%とのことだ。少ない男であれだけ全国的に活躍できているのだから、立派というしかない。

Dsc01188  そして、この総会のもう一つの名物が、卒業生の講演だ。今年は稲庭うどんで有名な佐藤養助商店の社長の話だった。彼は、われわれより20数年も後輩だったが、高校時代は硬式野球部に所属して活躍し、その息子たちも母校の野球部で活躍したとのことだ。商売も「進化と継承」という標語のもと、積極展開しているという話だった。

 さて、何よりの楽しみは第二部の懇親会である。一年ぶりにお会いした先輩、後輩と交流できた。中でもわが大先輩のOhkawa氏は矍鑠としたものだ。俳句の先生でもあるSenshuさんとも久し振りにお会いした。

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 同期の連中は同じテーブルだ。「ブログ用の写真を撮るよ」というと、喜々として参加してくれた。Kamoちゃんとも久し振りにあった。「この総会に参加するについて、久し振りにシンさんのブログを読んできたよ。相変わらず東奔西走忙しそうで、家にとどまっていることがないようだね」と話していた。

Dsc01198  例年、舞台では踊りが披露される。今年は【秋田音頭】の節にのって、西馬音内盆踊りを踊ってくれていた。舞台から降りた踊り子にお話を伺うと、隣町出身だと言っていた。ただ20数歳も年下のようで、話がかみ合わなかった。

 そのあと、続々と在校時代のクラブに所属していた人が、クラブごと舞台に上がった。在校時、私は帰宅部というか文芸部に属していたのだが、Wada先輩に呼ばれて、無理に舞台に上げさせられた。

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Dsc01213  最後は、皆で肩を抱き合って、大声でわが母校の校歌を歌った。卒業して50数年になるが、いつ聞いても校歌はいいというか、年々校歌を歌いながらジ~~ンとしてくるのは歳のせいかしらね。

 二次会は、この近くにある佐藤養助商店の支店での飲み会だ。講演してくれた社長も参加していた。ここでも秋田の酒を目一杯飲んだ。おかげで、今日は少々二日酔い気味である。

 お土産には【佐藤養助商店の稲庭うどん】をいただいて帰ってきた。

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2016年6月18日 (土)

№3098 ホームページの勉強会

 すでにお話しした通り、私は今年は【彩の国いきがい大学校友会】の役員をやっている。役員改選で、もうひとつ問題があった。ホームページ委員を誰にするかということだ。クラスからは二人のホームページ委員が出ている。

 ご存知のように、ホームページ委員は誰でもがなれるというものではない。ある程度パソコンの知識があり、さらに、ホームぺージに対する理解が必要だ。さらに、若干ではあるが編集能力も必要である。

 今までホームページ委員をやっていた方からは、「委員の経歴が長いので、ぜひ替わってもらいたい」という要請がなされた。わがクラスには、パソコン講師のほかにパソコンクラブに所属している人が多い。

 私からそれらの人に委員の引き受けを打診したが、ことごとく断られてしまった。さて、どうしようか。私は、これ以外でもいろいろなことをやっていて忙しいが、職務上しようがないね、私が引き受けることにした。同じ理事のYagiさんにも要請して、引き受けてもらった。彼は、地元自治会のホームページを作っているようだ。

 私は、以前、Naoko先生の【ホームページ講座】を受講したことがある。わずか一日の講座だったし、私はブログをやっている。その上でホームページを作ろうとは思わなかったので、そのまま内容は忘れてしまった。

 ホームページ委員になると、基礎知識の勉強会がある。わがいきがい大学で使っているホームページのソフトは、Microsoft社の【Share Point Designer2007】というソフトである。ホームページ委員長からは「ページを作って、クラスの人に周知させる仕事をしてください」とお願いされている。

 2回にわたる勉強会で、ページ作りのさわりだけは教えてもらった。さらに、わがクラスの委員のTakaseさんからは、「一緒に勉強会をしよう」との誘いも受けている。その会も今月末には開かれる。

 まあ、基本的にブログの記事作りと根本的に違うわけではない。何度か実践を重ねていると、どうにかなるかなと思っている。

 それにしても、私は人がいいよね、ア~~~~。

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2016年6月17日 (金)

№3097 最後の旅は宗谷岬

 4泊5日の旅も、とうとう最終日である。朝8時20分発の利尻島から稚内行きのフェリーに乗った。稚内に着いたのが午前10時10分だ。サロベツ原野を案内してくれたガイドのHikitaさんが待っていた。最後の旅は、彼女の案内で宗谷岬を巡る予定だ。フェリー乗り場で、先発で東京に帰るという親子と別れた。

Img_1101  そして、一日目に借りたマイクロバスを再度借りた。宗谷岬に向かう前に、昼食を摂ろう。少し時間があったので、フェリー乗り場からすぐのところにある副港市場にある記念館で、ビデオを見た。「樺太の悲しい歴史」が映されていた。

 樺太では、戦争が終わった昭和20年8月15日から悲劇が始まった。ソ連軍が攻めてきて、住民を無差別に銃撃していったという。略奪やレイプもひどいものだったらしい。

Img_1102  さらにひどいことに、引き上げ船に潜水艦攻撃をかけ、3隻の船を撃沈し、何百人という死者を出したとのことだ。広島・長崎の原爆被害の話は伝わっていても、このような無道の被害の話はなかなか伝わらない。重苦しいビデオであった。

 シベリア抑留の無道といい、終戦直後のソ連は許しがたい行動をたくさんしでかした。

 さて、お昼ご飯にしよう。副港市場に併設されているレストランで食べた。それぞれ注文したものは、ものすごいボリュームだった。私の隣に座ったMaayaは、かき揚げ丼のダブルを頼んだ。大きなかき揚げが2枚もついていた。本当にこれを食べるの。彼女は「私は少食なのよ」と言っていたが、お裾分けなどしたが、結局ぺろりと平らげていた。

 ここで、この旅全体をコーディネイトしてくれたKuniyasuさんご夫婦とは別れた。彼らは息子を訪ねて、旭川に向かった。本当に、この旅はKuniyasuさん抜きでは考えられなかった。

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Img_1112  16人+ガイドで、最終目的地宗谷岬に向かった。稚内からは30㎞ほどだ。途中、間宮林蔵が樺太に向かった場所に立ち寄った。この海岸沿いで目を凝らしてみると、かすかに樺太の島影が見えた。46kmほど彼方だそうだ。

 この地には、間宮林蔵の銅像も立っていた。ご存知のように、間宮林蔵は樺太を踏破して、ここが島だと発見した。われわれが勉強したのでは、この海峡を【間宮海峡】と呼んでいた。今はタタール海峡と呼ばれている。その来歴を読むと、間宮はそのあと大陸に渡り、アムール川の探索も続けたらしい。

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 この地から宗谷岬はすぐだった。とうとう日本最北端の地に到達した、という感慨が一入湧いた。しばらく佇み、海のかなたの樺太を眺めいった。

Img_1118Img_1123Img_1122  日本最北端の地だろうか、いろいろな碑が建っていた。「宮沢賢治文学碑」「ラペルーズ顕彰記念碑」など、数えてみたら14個ほどあった。ガイドのHikitaさんは「最北の地というので、これだけ多くの碑が建ったのではないか」と話していた。

 宗谷岬ということで、もちろん灯台があった。その野原で野生のキタキツネが遊んでいた。参加者一同、キタキツネを見たて、また歓声を上げていた。

 ダ・カーポが歌った『宗谷岬』の歌碑も建っていた。「流氷とけて 春風吹いて ハマナス咲いて かもめも啼いて~~~」という懐かしい歌だ。

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Img_1125  さて、宗谷岬を出て、向かったのが【宗谷丘陵】だ。岬の裏側には、延々と草原が広がっていて、牧場には牛が飼われていた。黒毛の牛だ。誰かが、「北海道らしい風景だね」とつぶやいていた。

 牧草地には、点々と野生の鹿が草を食んでいる姿も眺めることができた。さらに、丘には電力を取るため、多くの風車が建っていた。のんびりした風景が続く。この風景を見ながら、稚内空港に向かった。空港に着いたのが午後3時だった。予定時間通りだった。

 そして、午後4時30分発の羽田行き便で、無事帰ってきた。20名の大団体だったにもかかわらず、何の事故も障害もなく旅が出来たことに、主催者一同ホッとした。

 

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2016年6月16日 (木)

№3096 利尻島の旅は続く

 昨日の記事の続きである。

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 御崎公園のとろろ昆布屋に立ち寄った話からである。海岸がすぐ近くなので、海に出てみた。海岸にはコンクリートの囲いがあり、2頭のゴマフアザラシが飼われていた。そういえば、ゴマフアザラシの群れは、礼文島でも見ることができた。仕種がかわいい。

 その海岸縁にお土産屋があり、熱心に昆布の販売をしていた。可哀想だったが、仲間はもうすでにたくさんの昆布を買っている。味見しただけで、次に向かった。

Img_1084  ガイドのNishiyaさんは何度も言っているように、地元利尻の歴史を勉強している。博物館の学芸部長を定年で辞められ、さらに地元の歴史を発掘しているそうだ。

 【利尻麒麟獅子踊】もその一つだ。明治の末、鳥取県から渡ってきた人が伝えた【麒麟獅子踊】だが、しばらく途絶えていたようだ。今から12年ほど前に、Nishiyaさんを中心に復活したという。毎年6月20日に地元の神社で舞われるという。「この年で、この激しい踊りはきついが…」とぼやいていた。

Img_1089  神居(かむい)海岸では、エゾカンゾウの花を十分に堪能した。さらに【見返台園地】で利尻島の景色を楽しもうと思ったのだが、駐車場に到着したら雨が激しかったのでやめた。100段の階段を上るのだが、参加者は中止でホッとしていたようだ。

 さて、利尻島の旅も終わりに近づいた。向かった先が【沓形岬】だ。この岬は別名【どんと岬】とも呼ばれ、「どんと どんと どんと波乗り越えて~~~」の歌の発祥地だという。懐かしい藤原義江が歌った唄だ。

Img_1092  この岬に方向を示す表示があった。それによると、サハリン(樺太)108㎞、稚内50㎞、東京1045㎞、礼文島12㎞とあった。ここまで来たら、ぜひ樺太の姿を見たいものと思ったが、生憎の空で望むべくもない。

 そして、利尻島一周76㎞の旅が終わった。旅の最後にちらっと見えたのが、待望の利尻山だ。

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 宿に旅装を解くと、すぐに近くの【利尻富士温泉】で汗を流した。当然、夜の食事や宴会が盛り上がったのはいうまでもない。4日目で最後の宿泊地で、20人の仲間はすっかり打ち解け、大いに盛り上がった。いつものことながら、その中心にいるのは級長だった。

 

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2016年6月15日 (水)

№3095 利尻島 自然と歴史(その1)

 この日は、ガイドのNishiyaさんの案内で利尻島を周遊する予定だ。ただ、残念なのは、昨日からの雨がこの日も降り続いていたことだ。風が吹いていないので、カッパまで着る必要はなさそうだ。20人の同行者とガイドが乗るために、この日もレンタカーを3台借りた。

 前日の説明でも伺っていたが、この日の旅程は、利尻島の名所16か所を巡りながら、標高1721mの利尻山(利尻富士)を北から南まで、いろいろな角度から眺めてみようという趣旨のようだ。しかし残念ながら、雲がかかっていて、この日は利尻山はほとんど見ることができなかった。

 利尻島はほぼ丸い形をしていて、周囲を道路が走っている。礼文島との違いだ。礼文島も周遊道路を作る計画があったらしいが、貴重な自然を壊す恐れがあると反対運動でつぶされた、と言っていた。

 この日のガイドNishiyaさんは、「私は歴史の勉強をしているが、山野草のことはあまり詳しくない」と謙遜していた。どうして、どうして、そんなことはなかった。さて、Nishiyaのあとについて利尻島を巡ってみよう。

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Img_1016Img_1020  最初の目的地は【甘露泉】である。駐車場から歩いて500mほどだった。そこに至る間も、貴重な山野草が咲いていた。

 これは島のあちこちでも見られたのだが、マイズルソウが咲いていた。葉と花の形が、まるで鶴が舞うことを連想させるそうだ。ほかにクルマバツクバネソウ、オオアマドコロなどが散見された。

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 次に案内されたのが【曹洞宗大法寺】である。事前に話していたようで、住職と大黒が迎えてくれた。Nishiyaさんから、ここに祀られている不動明王の数奇な運命の話を聞いた。もともと、この不動明王は利尻山の頂上の祠に祀られていたようだが、明治の中頃にはこの寺にあったという。そのいきさつは定かでない、と言っていた。

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Img_1036_2Img_1028  【姫沼】では、自然を満喫した。案内所では、「この日は、沼の周辺では23種の山野草を見ることができる」と書いていた。中でも目についたのが、クルマバソウ、オオバユリなどだ。

Img_1059  利尻島が礼文島と大きく違うのは、利尻島は樹木が豊富なのに、礼文島は島全体が笹で覆われていたことだ。利尻島には、エゾマツ、トドマツ、エゾアカマツなどの大木がみられた。なぜ礼文島には樹木がないかというと、大火事で樹木がほとんど焼けてしまったのだそうだ。

 特に、エゾアカマツは湿地を好むようで、沼縁や川縁に多く育っていた。

 【白い恋人の丘】にも行った。北海道銘菓に『白い恋人』というチョコがあるが、そのチョコの背景に描かれているのが利尻山だそうだ。生憎、この日はその場所での利尻山の眺望は拝めなかった。

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Dsc01172  昼食は、【オタドマリ沼】の畔のレストランで摂った。私が食べたのは、ウニ・イクラ・ホタテの三色丼だ。ウニは今がシーズンのようだが、意外と高いものだね。ウニは、今はムラサキウニのシーズンで、6月中旬になるとバフンウニの漁期を迎える。

 この沼には、多くのウミネコが羽を休めていた。ウミネコとセグロカモメの違いも学んだ。足がピンクで嘴が赤いのがセグロカモメ、足が黄色で猫の鳴き声をするのが海猫だ。

Img_1046  ここのレストランで珍しいものを見た。軒先の下で羽根を休め、雨宿りしている二羽のハシブトガラスである。仲良く二羽が並んでいる姿は、微笑ましかった。

 それにしても、カラスが軒下で留まっている姿は珍しかったね。

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Img_1057Img_1056Img_1060  カキツバタが咲く【南浜湿原】でも、貴重な山野草を観察した。上の写真は、左からエゾイソツツジ、コケエモモ、ゼンマイである。

Img_1062  水芭蕉も多く見られたが、花はすでに終わっていた。残っているのは、巨大な葉だけだ。花は可憐だが、葉っぱは醜いね。

 さて、ブログ仲間の昭jijiからメールが入っていて、とろろ昆布を買ってくるようにとの要請だった。お店も銘柄も指定してあった。ガイドにその話をすると、【御崎公園】前にあるその店に連れていってくれた。

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Img_1073  とろろ昆布の製造過程も見学できたし、連れの仲間も大量に昆布を求めていた。しかも安いと、皆さんに喜ばれた。

 この記事がちょっと長くなったので、続きは次の号にしたい。

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2016年6月14日 (火)

№3094 雨の礼文島・花旅

 礼文島を【花の浮島】というのだそうだ。この島を巡って、私もつくづくそう思った。

 ガイドのKagawaさんに、「一日目は9kmの山旅だが、二日目は12km歩くから、頑張りましょうね」と通告されていた。これは相当つらいなと思っていたが、翌日の天気予報は雨だという。雨の様子を見ながら、二日目の方針を立てることにした。

Dsc01128_2  二日目起きてみたら、やはり雨だった。当初の方針通りとはいかなかったが、雨に自信のない人は、別ルートを歩くことにした。それでも山旅を楽しみたいという人は14人だった。もちろん、私は山旅を選んだ。礼文島の南端・知床という場所で二班に分かれた。

 山登り組は、厳重な雨具の装備をしていた。旅行の手引きで、「セパレートの雨具は忘れずに。折畳み傘では対応できません」との注意書きがあった。私はそれを甘く考えていて、貧弱な雨具対策しかしてこなかった。そのために、この日は上から下までずぶ濡れになってしまった。先輩のYashimaさんからも「ひどい装備だったね」と指摘されてしまった。

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 雨にもかかわらず、この日も花を訪ねる山旅だ。この日見た最高の花は、【クロユリ】だった。ガイドが、「この付近はまるでクロユリの畑のよう」と指摘するほどだった。

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 【レブンソウ】も、この島でしか見れない固有種だそうだ。不思議なことに、群生地にしか見られない赤紫の花だ。雨で登山道が煙っていて、前が見えない。谷間には、貴重なアツモリソウも咲いていた。「盗掘されるので強調しない」、とはガイドの話だ。

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 【イブキトラノオ】も咲いたばかりだ。最盛期になると、野を真っ赤に染めるらしい。滋賀県の伊吹で見られる種類に比べて、赤の色が強いと言っていた。

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 【野生のスズラン】も咲き始めていた。スズランは、結構園芸種が出回っている。ただ、野生というのはそんなにないらしい。

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 【サクラソウモドキ】も咲いていたが、本州のとは違う亜種らしい。今年の4月、浦和のサクラソウ公園をこの東京シニア自然大学NEXTの仲間と歩いた。このときにかんさつしたノウルシと同じような花があった。【イワベンケイ】というのだそうだ。

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 雨が降らなければ、本来、この日は【エーデルワイス】を見に行く予定だった。群生地があるという。この日は、かすかにその片鱗を観察できた。昨日も紹介したのでこの日は取り上げないが、【チシマフウロ】の紫の花や【センダイハギ】の黄色い花は今が盛りだった。

Dsc01170Dsc01144_2Dsc01148  本来は夕方まで礼文島観察の旅を続けるはずだったが、雨のために予定の半分のコースで打ち上げとなった。そうなったら、礼文島に滞在の理由がない。午後一番の船で利尻島にわたった。約40分ほどかかった。

 港には、今晩と明日の宿泊地ペンション【群林風(グリーンウィンド)】のご主人が迎えに来ていた。ペンションにくつろぐ暇もなく、明日の利尻島のガイドの方の【利尻島ガイダンス】があった。そんな話が、夕食をはさんで延々と続いた。

 さすが、この旅行は東京シニア自然大学の行動の一環ではあったが、それにしても眠い。

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2016年6月13日 (月)

№3093 礼文島の花旅

Dsc01117_2  昨日の【サロベツの花旅】に続いて、今日は礼文の花旅である。

 稚内から朝一番の船で礼文島に向かうという。ホテルを朝5時半に出ることになった。前日も、羽田に向かうので、起きたのが朝早かった。二日続きの早朝起床である。相当眠かったが、やむを得ない。ホテルからフェリー乗り場までは、歩いて15分ほどだった。

 フェリー乗り場で、朝食用にとサンドウィッチとおにぎりを買って船に乗った。稚内から礼文島までは、船で2時間弱だった。風もないし、波も静かだった。船が揺れることもなく、無事礼文島に到着した。フェリーの乗り場のすぐ前で、レンタカーを3台借りた。

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Img_0951_2  最初に向かったのが、スコトン岬である。車で30分ほどだった。そこの駐車場で、今日のガイドKagawaさんが待っていた。今日は彼女のガイドで、【礼文島の花旅】をすることになった。礼文島は、今が一番の花見の季節だ。さて、どういう花を見ることができるのだろうか。皆で準備体操をし、スコトン岬で記念写真を撮った。この地は、日本の最北限の地だという。

  スコトン岬の先に浮かぶ島が、トド島という。以前は人が住んでいたようだが、今は無人島のようだ。

Img_0975  この日のコースは、【岬めぐりコース】といい、9キロのアップダウンのある4つの岬を巡る山旅だった。朝8時半に出て、午後3時ころまでのきわめてハードな花探しの旅だ。Kagawaさんは、礼文のガイドをはじめてもう17年になるというベテランだ。「ほぼ毎日、礼文島をガイドで歩いています」という話だ。

 礼文島は、隅から隅までよく知っていて、今どこにどういう花が咲いているかを熟知している頼もしいガイドだ。

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 礼文の山は、紫に染まっていた。【チシマフウロ】の紫だ。今が満開で、野山を紫に染めていた。

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Img_0978_2  セリ科の植物もいまが満開だ。一番多くみられたのが【オオカサモチ】だ。他に、セリ科の植物で【ネムロシオガマ】や【レブンシオガマ】が咲いていたが、微妙な違いで見分けがつかなかった。

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 【ミヤマオダマキ】の紫の花もきれいだった。花は、キキョウのような花だ。本当に、この時期は紫の花が目についたね。

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 ゴロタ岬でも記念写真を撮ろう。この日は天気が良く、真っ青な海と、隣の島の利尻山がよく見えた。

 下の黄色い花は、【キジムシロ】という花だ。イチゴ科の種類だという。 Img_0981

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 礼文島はそんな大きな島ではない。高い岬に立つと、右岸の海と左岸の海を同時に望むことができた。浜に降り立つと、赤紫の【ハマエンドウ】が満開だ。

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Img_1009  そして、本日最大のハイライトが【レブンアツモリソウ】である。わざわざこの花を見るために礼文島に来るという人がいるほどである。盛りは過ぎていたが、ガイドが知っている秘密の場所には、華麗に咲いているアツモリソウがあった。

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 そして、もう一つの付録が【ホテイアツモリソウ】である。本当はアツモリソウの種類ではないらしいが、わずか一株だけが秘密の場所に咲いていた。この花を見ることができたのも、ベテランガイドが案内してくれていたお陰である。

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2016年6月12日 (日)

№3092 サロベツの花旅

Dsc01042  お昼過ぎに、無事稚内空港に降り立った。天気は良かったが、空港の外に出てみるとやはりヒンヤリする。思わず、ジャンバーを羽織った。空港には、この日のコーディネータ-のHikitaさんともう一人の方が迎えに出ていた。さて、レンタカーを借りる手続きで、一時間ほど費やした。空港を出発したのは、午後1時半に近かった。

 レンタカーは29人乗りのマイクロバスで、久し振りに大きな車を運転した。ただ、大きな車も小さな車も、基本は同じだ。私は、タイヤが30本もある大きな車を運転した経験がある。

Dsc01050  空港から、直接向かったのが【サロベツ原生園】だ。約45分かかった。午後2時近くで、皆さんお腹がぺこぺこだ。ここのレストランで【ホッキカレー】というものを食べた。北寄貝を味付けにしたカレーで美味しかった。さて、食後すぐに原生花園に向かった。この花園は、木道が整備されていて歩きやすかった。ガイドのHikitaさんが、いろいろな花の名前を紹介してくれた。今日は文章ではなく、花の紹介を中心にした記事にしたい。

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 ワタスゲの群生である。ワタスゲはシャイな性格か、人里離れた場所で群生していた。

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Dsc01075Dsc01088 コバイケイソウが原生園で多く見られた。満開にはまだちょっと早かったが、ガイドに言わせると「17歳だね」とのことだ。

 右の花はバイケイソウで、利尻・礼文で多く見られるという。

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 カラマツソウもそんなにみられる花ではないらしい。この原生花園の隅に、群生地があって案内してもらった。

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Dsc01100_2 エゾカンゾウの花が盛りである。ただ、満開にはもう一週間ほど早いと言っていた。咲き始めると、サロベツ原野が黄色に染まるという。ニッコウキスゲの仲間かな。

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 エゾカンゾウと一緒に咲いていたのがスカシユリだ。色の鮮やかさはエゾカンゾウより上だった。 

Dsc01066_2Dsc01106Dsc01084Dsc01089  さらに観察できたのが、エゾリンドウ・センダイハギ・オオアマドコロ・アキタフキなど多数だ。

 写真を撮りながらメモをしないと忘れてしまう植物の名前だが、ついメモを怠ってしまった。

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 このサロベツ原生園には多くの野鳥も棲息していた。なかでもここでしか見れないのがシマアオジという野鳥だ。ぜひ見てもらいたいと、ガイドが一生懸命探してくれたのだが、見つからなかったのは残念。

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2016年6月11日 (土)

№3091 旅の仲間

 以前にも予告したように、この日土曜日から4泊5日で【利尻・礼文の旅】に来ている。今回の旅の仲間は20名である。

  そもそも、この旅を始めるようになったのは、【東京シニア自然大学】の卒業に合わせ、修学旅行をしようという話で始まった。そして、2014年卒業の春には、小笠原旅行をした。この旅行は確か12名ほどだったが、ものすごい感銘深い旅になった。その旅行も終わらないうちに、「次はどこに行こうか」ということが話題になった。

 2015年の春は長崎・五島列島の旅、夏には西表島を旅した。それぞれこのブログ記事にはしているが、今でも深い思い出に残る。長崎・五島列島には、女房の他に横浜の姉、友だちのOgiさんも参加した。

 「来年は、利尻・礼文の旅をする」と宣言したら、姉やOgiさんも「また、ぜひ声をかけてほしい」と言っていた。そして今回の旅に、女房も含めて、再度参加してくれることになった。

 そもそも、なぜこの地を選んで旅行をするかというに、仲間に環境省国立公園課出身のKuniちゃんがいる。彼が役人で赴任したのが、全国10数か所だそうだ。赴任したその中でも、特に感銘を受けた場所を旅行地に選んでいる。

 昨年の西表でも、コーディネーターを引き受けてくれた方が、Kuniちゃんの役人時代の後輩だった。やはり、旅は現地を知り尽くしている人がいるといないでは大違いだ。

 今回の【利尻・礼文】の旅でも、現地でわれわれを待ってくれているガイドがいる。さて、彼らのガイドで一体どういう旅になるのだろうか。

 今の予定では、11日(土)はANAで稚内に着いたら、その日はサロベツ原野・西海岸を見学するという。20名なのでマイクロバスが必要だ。私は隠れた技能で、大型免許を持っている。普通免許では運転できないマイクロバスの運転が可能である。

 次の朝6時20分のフェリーで礼文島に向かう。礼文島では、12日~13日の二日間観光し、夕方に利尻島に到着する。翌14日は利尻島を見学し、15日の朝、稚内に帰る。羽田に帰る飛行機は夕方なので、またマイクロバスで宗谷岬に向かう半日旅行の計画だ。

 レンタカーも宿も、夕食場所もすでに予約済みのようだ。われわれは大船に乗ったつもりで、後ろから着いていくことにしよう。

 この旅がまだ終わらないうちに、「来年は紀州の熊野古道だ」と話していた。それも魅力があるね。

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2016年6月10日 (金)

№3090 5月に読んだ本

 毎月、スケジュールを睨みながら本を読んでいる。5月下旬は【金沢旅行】が入っていた。旅行中はほとんど本を読めないだろうと思い、旅行出発までピッチを上げて読んだ。案の定、旅行中はブログを書くのと酒飲みに忙しく、ほとんど読書はできなかった。

 基本的に、毎日200頁の読了を目標にしているが、5日間の旅行はないものと考えなければならない。最低でも月5,000頁と考えているが、旅行に出かける前に無事達成した。5月は、5,333頁・14冊の読了をこなし、ホッとしている。

 いつものように、何を読んだのか、以下列記したい。そのうえで、2~3冊の感想を述べてみたい。

中島らも『空のオルゴール』 新潮社 2002年4月刊

高嶋哲夫『富士山噴火』 集英社 2015年7月刊

森詠『七人の弁慶』 双葉社 2005年7月刊

諸田玲子『氷葬』 文芸春秋 2000年10月刊

見延典子『頼山陽(上)(下)』 徳間書店 2007年10月刊

火坂雅志『臥竜の天(上)(下)』 祥伝社 2007年11月刊

黒川博行『勁草』 徳間書店 2015年6月刊

笹本稜平『特異家出人』 小学館 2010年8月刊

伊東潤『鯨分限』 光文社 2015年9月刊

火坂雅志『左近(上)(下)』 PHP研究所 2015年10月刊

藤田真一『蕪村』 岩波新書 2000年12月刊

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 見延典子作品を取り上げるのは、先月の『敗れざる幕末』に続いて2か月連続である。というよりも、『敗れざる幕末』を読んで、どうしても『頼山陽』を読みたくなったというのが真相である。

 本書は、なかなかの大作だった。というのも、上下合わせて920頁ほどあり、しかも2段組みである。普通の本の1.5倍ほどの量だ。5月の忙しい月に、本当に読み終えるか心配だった。それでも、一週間かけて何とか読み終えた。読後の満足感は、予想以上だった。

 この作品によると、頼山陽は封建時代でもある江戸時代には型破りの人だったようだ。小さいころから、自分は文で名を成したいという志を持っていた。広島の片田舎から、脱藩して京に登った。結局は連れ戻されて、幽閉・廃嫡となった。それでも、その志は衰えない。

 その後、京都に出て文人生活を続ける。下女の梨影を妻としたのだが、岐阜の美女江馬細香との関係も延々と続く。梨香が、それを認めているというのも立派だ。京では、現地の文人たちとの交際は絶っていたが、徐々にその高名は無視できなくなった。

 頼山陽の主著『日本外史』は、広島時代から延々と描き続けてきたのだが、いよいよ完成した。源平以来の武家の歴史を書いたものだ。発表にあたり、徳川幕府の逆鱗に触れないような細心の注意も怠らなかった。お母さんの静(梅シ)とのやり取りも、この小説の大きな横糸である。

 いずれ、ものすごく面白かった。けど漢語で書かれている『日本外史』には手を伸ばすほど、残念ながら私には漢文の知識はない。

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Dsc00591_2    最近、火坂雅志の歴史小説に凝っている。今月は『左近』の他に『臥竜の天()()』も読んだ。私が好きで読む作家でも、その個人の生き方にはほとんど関心がない。ただ、ふと火坂雅志は何者か経歴を読んでみたら、昨年の2月にすい臓がんで亡くなっているではないか。私より10歳も若いのに、惜しいことをした。

 本書の表紙の龍の絵は、円山応挙の『雲竜図屏風』から採ったものだそうだ。そういえば、何年か前、京都に 龍の図を見るために旅行したことを思い出す。

 この小説の主人公は、島左近清興である。島左近は石田三成の家老であり、石田に三顧の礼で迎えられた。当時、「石田三成に過ぎたものが二つある。島の左近と佐和山の城」と言われていたそうだ。歴史小説を読むと、石田三成が悪者になるケースが多い。この小説では、当然だが珍しく三成を擁護していた。

 秀吉没後、三成と家康の関係が怪しくなる。秀吉の子飼いのなかにも「三成打つべし」の声が上がった。ところが、この小説を読む限り三成は純粋で、人付き合いが下手だった。ただ、豊臣家の存続を願う心は、人一倍あったようだ。

 いったい、関ケ原の戦いで、島左近はどういう活躍をしたのだろうか。残念ながら、結末を書く前に作家火坂雅志は亡くなってしまった。歴史の結末はわかっているというものの、島左近の活躍をもう少し知りたかった。

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 歴史小説家伊東潤を知ったのは、最近である。 3月に『武士の碑』を読んで感銘を受けた。3月の感想文には取り上げなかったが、伊東潤の小説はいずれ取り上げる必要があると思っていた。

 本小説の舞台は、鯨捕りの本場・紀州太地である。幕末、太地の鯨捕りの棟梁太地覚吾が主人公である。私は伊東の作品はあまり読んでいないが、本書は『巨鯨の海』の続編のようだ。

 太地は、反捕鯨団体から忌み嫌われて有名な地だ。ただ、江戸時代は有数の捕鯨地だった。太平洋には鯨が泳ぎ、宝の海のようだった。それが、幕末にはアメリカやヨーロッパの捕鯨船団が押し寄せ、鯨油のために捕り尽したらしい。主人公が棟梁のころは、年に何頭も鯨が捕れない時代が続いたという。

 時代の波にもまれ、もがき苦しむ棟梁太地覚吾の小説に共感を覚えた。次には『巨鯨の海』も読んでみたい。

 

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2016年6月 9日 (木)

№3089 黒浜沼周辺の清掃活動

 前の号の記事に引き続き【彩の国いきがい大学】の活動報告である。この日は、校友会の社会貢献活動として、「黒浜沼周辺の清掃活動日」だ。社会活動部が主催して行った。私はこの部長であるが、ありがたいことにほとんどを仲間のYagiちゃんが代行してくれた。

Dsc01009  こういう活動になると、一番の心配は天気だ。朝にわか雨が降っていたが、天気予報は曇りだ。若干雨に濡れることがあるかもしれないが、決行しよう。この日の参加者は20名だった。【蓮田市環境学習館】に集合だ。

 若干早いかなと思いながらも、朝8時半に車で自宅を出た。集合時間は9時50分だ。案の定、まだだれも来ていなかった。そしたら、Taeちゃんから「いま駅に着いた」との電話があった。まだ早いこともあり、駅まで迎えに行った。それでもまだ早かった。

Dsc01013  会場に着いて、机や椅子などを並べて、皆さんの到着を待った。時間前にほとんどの方が到着したので、まずは黒浜沼のお話を伺うことにした。話とビデオ紹介をしてくれたのが、「NPO黒浜沼周辺の自然を大切にする会」会長のWatanabeさんだ。

 黒浜沼周辺は自然が豊かで、様々な動植物の宝庫でもあるそうだ。野鳥や野草、トンボ類なども他では見られないらしい。黒浜沼には、コイやフナ、モツゴやメダカなどの魚が生息しているという。

 「大切にする会」は140名ほどの会員で、月に2~3度清掃活動をしているという。この日は、10名ほどの方がわが活動に補助参加してくれた。幸い雨も上がって、暑くもなく寒くもない、ちょうどいい野外活動日よりだ。

Dsc01021  早速二つの班に分かれ、ゴミ拾いと雑草の引き抜きをやった。雑草はキリがないので、主に道路端のものだけを引っこ抜いた。

 原っぱのなかではオオヨシキリが鋭い声を出して啼いている。ところどころには鶯の声も聞こえる。本当に自然が豊かな場所なのだ。この地は、また『緑のトラスト11号地』でもある。

 清掃の途中、会長さんが、皆さんにぜひ見てもらいたいと案内した場所があった。原っぱの中に生えていた【ジョウロウスゲ】だ。

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Dsc01028  このジョウロウスゲは絶滅危惧種のAⅠ種に指定されていて、どこでも見ることができない植物だそうだ。薄い黄色の花を咲かせていた。黒浜沼周辺では、ほかにもナガボノアカワレモコウ、ナガボノシロワレモコウ、ミズニラ、ミズワラビなどの絶滅危惧種も観察できるという。

 わずか1時間ちょっとの清掃活動だったが、清掃をしたというよりも、自然を楽しんできたというのが正確だ。沼では釣りを楽しむ太公望がたくさんいた。

 昼前には解散したが、この日はわが【男の料理教室】の定例日でもあった。美味しい物の食べ歩きの月だ。

Dsc01031  私は、駅前の人気レストランを事前に予約しておいた。20名で予約していたのだが、雨が降れば中止と予告していたので、レストランの方がヤキモキしていた。幸い実施できたので良かった。

 レストランで頼んだのは、ちょっと高かったが会席定食だ。このレストランはいつも混んでいて、予約なしでは断られることが多い。幸い、皆さんには大好評で、世話人としてはホッとした。それぞれの小皿がみな美味しかったね。

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2016年6月 8日 (水)

№3088 寄席観賞

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 私は、今まで寄席には入ったことがない。別に好き嫌いということはないのだが、あまり関心がなかったのだ。それが、彩の国いきがい大学の仲間から、「寄席の日で、普段の半額で観賞できるから、寄席に行こう」と持ち掛けられた。この催しは、今期いきがい大学クラス会の初行事でもあった。

 私はクラス代表として、クラス会の皆さんに呼びかけをした。幸い、17名から参加表明があった。当日は体の不調を訴え、二人が欠席したのだが。この日の寄席は、上野鈴本演芸場が会場だ。相当混雑することが予想され、開演1時間半前に会場に着いた。

Dsc00995  ところが、鈴本亭の前にはすでに長い行列ができていた。この日が、年一回の「寄席の日」だと知っている人が多いのだ。まあ、平日のお昼なので、並んでいる人はわれわれのようなシニアが多かったのはいうまでもない。われわれもその列に並んで開演を待った。その行列が50mにもなった。

 一体、寄席というのはどんなに広いものなのだろうか。私のイメージでは、畳が敷かれていて、座布団に座りながら聞くというものだ。会場には弁当や飲み物持ち込みOKとのことで、私もビールとつまみを買っておいた。

Dsc00997  会場に入ってみたら、映画館と同じような座席が並んでいた。会場は300人ほど入るのだそうだが、さすが満員で立ち見が出るほどだった。

 12時半の開演の前に、前座が落語を始めたのが12時15分頃だ。それから延々午後4時半まで席に座り、落語等を楽しんだ。

 演し物は落語の他に、漫才、曲芸、音楽、紙切りなど多様なものだ。出演者は、誰もテレビなどで見たことがない人ばかりだった。それでも面白いもので、当然ながら後に出る人ほど上手なことはいうまでもない。おかげで4時間飽きずに聞くことができた。

Dsc01008  【紙切り】では、切った作品を会場の人に差し上げるとのことで、真っ先に舞台に向かったのがわが仲間Kuroちゃんだ。いただいたのは、【横綱の土俵入り】という作品だ。さすがに見事なものだった。

 せっかく久しぶりに会ったのだからと、寄席終了後は近くの飲み屋で、ちょっと早い暑気払いをやった。東京シニア自然大学の仲間も元気だが、この彩の国いきがい大学の仲間も元気だね。

 どちらにも共通しているのだが、前向きに生きると、いつまでも若いと思う。それにしても、いい催し物だった。

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2016年6月 7日 (火)

№3087 今年も梅を漬ける

Dsc00979  毎年6月になるとソワソワする。梅干を漬けるタイミングをいつにするのか、考えるからである。梅干用の梅は、いつも那須で買っている。今回もスーパー【いけがみ】に行ったら、梅の箱が積んであった。例年6月下旬に漬けるのだが、今年はどうだろう。

 店の方に聞いてみたら、「今年は、例年より梅が出るのが早いわよ」と言っていた。毎年6月下旬に梅干を漬けるのだがと話したら、「今年は6月下旬にはもう店頭に並ばない恐れがあるので、早めにしたらどうか」とのアドヴァイスだ。私のスケジュールでは、次に那須に来るのが6月下旬だ。

Dsc00985  例年より早いが、今回梅を買っておこう。昨年は南高梅の4L玉の梅を買った。4L玉は結構高い。店の人にその話をしたら、「梅を漬けるのであれば2L玉で十分よ」と言っていた。値段も4Lが4,500円にたいし、2Lは2,980円だ。今年は、この大きさの梅で漬けよう。10㎏入りの箱を2箱、計20㎏の梅を買った。

 従来は那須で漬けていたのだが、昨年から埼玉の自宅で漬けることにした。自宅に持ち帰って、さっそく漬物樽に水を張り、買ってきた梅を浸けた。渋みを抜くのに必要らしい。

 何しろ年一回の作業なので、漬け方は忘れてしまう。私のブログのサイドバーにある【梅干漬】で、作業の点検をした。そうかそうか、こう漬けるんだったねと思い出した。私は、この梅干し漬けをはじめてもう10年近くになる。私の梅干を美味しいと喜んでくれるたくさんの仲間がいる。

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Dsc00987  水に3時間ほど浸けて、取り出した梅を簀の子の上に一晩干した。朝起きたら、女房が「梅にコバエがたかっているので、早く漬けたらどうなの」と話していた。そうか、ここまで来たら、漬けるのは早い。

 まず必要なのは、ホワイトリカーと塩だ。塩は、なるべくいいものを買っている。ホワイトリカーは、カビを発生させないための必需品だ。私は梅に対して塩を10%でやっているので、普通に漬けると塩が甘いので、カビが生える。このカビを防ぐのが、ホワイトリカーだ。例年、この方法で成功している。

Dsc00990  干した梅をホワイトリカーに潜らせ、漬けていく。漬物樽は、これも今回那須から持ってきた。樽にビニール袋を敷き、底に塩を振りまき、ホワイトリカーに漬けた梅を並べた。一段並べては塩を振り、を繰り返した。

 これも例年のことで慣れている。樽一杯に梅が詰まった。さて、重しには今年は何を使おう。女房が、「倉庫に寸動鍋があるわよ」といった。その鍋を取り出し、これをお重し代わりに使うことにした。鍋に水を一杯入れると、結構重い。最近、漬物を漬けるのはこの方法にしている。

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 さて、作業の第一段階は終了した。これから白梅酢の取り出しや、赤紫蘇漬などいろいろな作業が待っている。7月中旬の三日干しまで、手が抜けない。

 先日の金沢旅行で、まっきぃが「シンさんの梅干で焼酎を飲むと最高」と言っていた。こういう声があるから、頑張れるのだ。

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2016年6月 6日 (月)

№3086 トマトにテントをかける

 野菜の成長するのを見ているのは楽しい。私の周りでも、友人の多くが畑仕事をするようになっている。先日、金沢旅行を一緒にしたEimeiさんも畑を始めたそうだ。「もう、じゃがいもはいらないよ」と言っていた。

Dsc00967  私も畑の野菜を見るのが、何よりの楽しみである。那須に来ると、何をさておいて畑に出かける。畑の土手はすごい雑草だ。昨日【あるるのいえ】の周りを刈った草刈機で、今度は畑の雑草を刈った。

 気持ちが良いほど、あの高く生い茂った雑草をなぎ倒してゆく。30分ほど刈った草は、すっかりきれいになった。これだけでは済まない。前回以来畝に生えている雑草も、目立ったものは取った。ともかくも、畑仕事は雑草との戦いだ。

Dsc00969  心配していた玉ネギの球も、2週間ぶりに見るとずいぶん大きくなっている。収穫は秋かなと持っていたが、このままで行くとこの夏にも収穫できるのかな。

 400本ほどの玉ネギだが、成長して大きくなったせいか、葉が全部倒れてしまっている。玉ネギは初めての挑戦なのでよくわからないが、これはこれでいいのだろうね。

Dsc00968  さて、今回の畑仕事の主な目的は、トマトのテントを立てることだ。ビニール袋で覆われているトマトの苗は、順調に生育している。支柱も、仮押さえのために細いものを使っている。

 ビニール袋を外し、袋を抑えるために建てていた竹も外した。そして、あらためて長い支柱に替えた。その支柱に沿って、ビニール紐で固定し直した。紐は二本で支えることにした。さらに、トマトの余分な枝を切り取った。トマトの苗は、すっきりした。

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Dsc00976  さて、いよいよテントを立てる番だ。毎年のことで、慣れている。新兵器として、那須に来る前にいつもの【かくやす】でビニールを支えるパックを買ってきた。これでビニールテントを支えたら、ぴったり収まった。

 これだけだと、風に飛ばされてしまう恐れがある。これも昨年買ったのだが、テントの内部に2本の支柱を埋めた。これだけでは不安がないわけではないが、まあ、ないよりはましかなといった程度だ。

 トマトの収穫は8月に入ってからだ。前の記事にも書いたが、今年はミニトマトを中心に植えた。前年に植えて美味しかったからだ。私の畑仕事も、だんだん進化してくるね。

Dsc00972  最後に行ったのがじゃがいもの花の摘み取りだ。若干遅いかもしれないが、じゃがいもの花はまだ少ししか咲いていない。他の畑を見ると、じゃがいもの花は盛りだ。

 蕾を見つけては摘んでいった。ジャガイモの薯を大きく育てるためには必要な作業だ。試掘をしてみたら、薯はまだまだ小さい。まあ、それでももう一ケ月もすると収穫できる。

 本当に野菜を育てるのは楽しいね。皆さんも、野菜作りをやってみたらいかがだろうか。

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2016年6月 5日 (日)

№3085 【あるるのいえ】の周囲の草刈り

 週末は農業をやろうと、那須に来ている。私が金沢旅行に出かけている時に、女房は那須にやってきている。私の今回滞在は、2泊3日だ。私が那須から帰ると、女房が友だちを連れて那須に来るという。すれ違いのようだが、夫婦の間が一定の距離を保っているのがいいね。

 那須に来るについて女房にいわれたのが、「あるるのいえの周りの周囲が草に覆われていた。手で刈るのは、とてもじゃないが追いつかない。草を刈っておいてね」という指令だ。私はこう見えても、意外と女房に従順だ。

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 那須にやってきて、久し振りに倉庫から草刈機を取り出した。燃料を補給して、動かしてみた。刃がすり減って、うまく草が刈れない。替え刃が一本残っていたので、新しい刃に変えようと思った。器具がないので、刃を外せない。こういう時に頼りになるのが、向かいのOhnoさんだ。

Dsc00964  無事に新しい刃に替え、草刈りを始めた。やはり、新しい刃に買えた草刈機は頼もしい。どんどん草刈りが進む。特に草が繁茂しているのが、裏庭の小川の脇だ。小川に沿って草刈りをした。

 草の中には石が隠れている。石に刃が当たると、火花が出る。少々の火花は気にしない。裏庭がきれいになり、【あるるのいえ】の周囲をひと渡り刈り進んだ。

Dsc00966  おかげで、周囲はきれいになった。この勢いで、明日は畑の周りの草を刈ろう。

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2016年6月 4日 (土)

№3084 変形菌を探す

 今週の東京シニア自然大学NEXTの講座は、「東松山の森林公園で、変形菌を探そう」という課題だった。私は、この日まで変形菌については何も知らなかった。参加者は18名。森林公園駅からバスで森林公園に向かった。

Dsc00938   公園入口の前で、恒例の朝礼を行った。世話人の3人が、この日の予定を説明してくれた。「午前中は、植物展示棟で【変形菌とは何か】の勉強をし、午後から公園内を分け入って、変形菌を探そう」とのことだ。入口から展示棟までは、歩いて10分ほどだ。

 すでに予約をしていたようで、セミナー室を用意してくれていた。さらに、ここの職員も一緒に勉強するのだそうだ。講師は、わが仲間で動植物に一番詳しいやまちゃんだった。

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Dsc00942  すでに資料は用意してあった。パワーポイントで、資料に沿った説明をしてくれたのもやまちゃんだ。この説明を聞いて、分類学の進化も早いとわかった。アリストテレスの時代は、生物は【人間】【動物】【植物】の三つに分類されていたらしい。それが、今は7種類に分類されているという。

 【変形菌】も以前は菌類として分類されていたという。それが、現在は原生動物に分類が変わったという話だ。

 変形菌の特徴は、①アメーバのように日に数十センチも動くことがある。②キノコのように胞子で増える。③一生のうちに何度も変身し、変形体の時は奇妙な形だが、子実体になるとかわいい形に変化する、とのことだ。

 変形菌は世界では900種、日本では450種ほどが発見されているという。研究者は少なく、日本での第一人者は博物学者の南方熊楠だったようだ。PPtの画像を見たのだが、実際に見たほうがわかるだろう。ただ、『風の谷のナウシカ』では詳しく出ていたようだ。私は、漫画は読んでいない。

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 このセミナールームで昼食後、さっそく探しに出かけた。あまりにも小さな生物なので、ルーペが必携といわれていたが、私はルーペを持っていない。他の人のルーペを覗かせていただいた。なかなかカビやキノコと見分けがつかない。

Dsc00956Dsc00957  それでも、いくつか発見した。あまりにも小さいので、レンズを近づけたら、ボケてしまった。焦点が近づけてもボケないカメラでないとうまく撮れないね。

Dsc00946  それに子実体の変形菌は見つかったが、アメーバ状の変形菌は探すことができなかった。変形菌らしいものを見つけるたびにやまちゃん先生に確認をとったが、ほとんどがカビだった。

 まあ、天気のいい一日をフィールド活動しただけでも、いい運動になった。

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2016年6月 3日 (金)

№3083 長い旅も終わりに(能登紀行その3)

 私のブログを読んでいた、わが友Mitsukoさんからメールが入っていた。「昨年、私も乗鞍~金沢に入り、三国の休暇村から氷見の民宿に行く途中、高岡にある瑞龍寺に行きました。観光客も少なく、見るのにはよかったです。氷見うどんもおいしかった」という応援メールだ。

 このメールをまっきぃに紹介したら、「当然、そこには行く予定で日程を組んでいるヨ」と話していた。この旅行は、ほとんどまっきぃに任せきりだったし、彼も、皆に喜んでいただくにはどうしようか、心を砕いてくれた。おかげで、われわれは大船に乗った気分で旅ができた。

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 さて、朝8時前に宿を出た一行は、【美人のふるさと珠洲の街】をゆっくり美人を探しながら、最初の訪問地【見附島(軍艦島)】に向かった。朝早かったせいか、街を歩いているのはおばあさんばかりだ。コンビニのお姉さんに美人がいるかもしれない、とコンビニを探したが見つからない。

Img_0904_2  そうこうする間に、見附島に着いた。ここはもう富山湾だ。天気もいいし、風もなかったせいか、ほとんど波がない静かな海だった。そういえば、この能登旅行中、ズーッと海を見ながらのドライブだった。水がきれいなのと波が穏やかなのに感心し通しだった。

 しばらく、ここの海を眺めていたが、いつまでもノンビリしていられない。この日は埼玉までのロングドライブが待っている。

 はい、次はどこに行くのでしょうか、コンダクターさん。「恋路海岸経由で能登島まで行きますよ」とのことだ。まあ、【恋路海岸】は大したことがなかったが、【能登島】まではカーナビで80kmほどと出た。高速道経由で行くことにしたが、この道路は無料開放されていた。

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Img_0915  能登島の入り口に着いたのは、午前10時半ころだ。【ツウィンブリッジのと】がわれわれを迎えてくれた。平成11年にできた橋だが、以前は有料だったらしい。それが、今は無料開放されている。

 この橋を渡り、能登島に入った。一体、この島には何があるのだろうか。カーナビを見ると、【能登島カントリークラブ】というゴルフ場があるようだ。今回の旅の目的の一つはゴルフだったので、当然そのゴルフ場を訪ねてみた。

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 入口で、ただ単なる視察なのだが、見学させてもらってもいいか尋ねたら、「どうぞ、見ていってください」とのことだ。見てみると、広々としていてよさげなゴルフ場ではないか。距離もたっぷりあった。レギュラーティで6500ヤード以上だ。

Img_0919  営業部長さんが出てきて、「ここはリゾートゴルフ場なので、楽しめますよ」と言っていた。リゾートにしては距離があるね。この部長さんが「私のコレクションが二階に飾ってありますので、見ていってください」と誘ってくれた。

 スコッティ・キャメロンのパターコレクションだった。彼はキャメロンのファンクラブ会員で、以前勤めていた相模原カントリークラブでキャメロンと親しくなったと言っていた。記念に、ファンクラブで行ったコンペのボールをいただいてきた。一見の観光客に親切にしてもらい、感激した。来年はこのゴルフ場でプレーをしようと決めた(ただし、来年があればの話だが)。

Img_0928  能登島を離れ、和倉温泉を通った。有名な加賀屋はパスだ。そして七尾の海岸に出たら、目の前に立山連峰が広がっていた。薬師岳に雄山、剣岳、白馬岳が富山湾越しにくっきり見える。大感激し、しばし車を停めて眺めていた。特に、山男Eimeiさんの感激がすごかった。

 ここから氷見は指呼の間だ。ところがカーナビで変なところを指定したせいか、どんどん山の中に入ってく。これはおかしいと戻ったのだが、ここで30分ほどの時間ロスをした。氷見では、有名な氷見うどんを食べた。細麺だったね。

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Img_0947  さて、この旅の最後に訪れたのが、高岡の【瑞龍寺】である。この寺は、前田藩第二代藩主前田利長公の菩提を弔うために、建てられたのだそうだ。前田藩というと前田利家しか知らなかったが、この利長公が中興の祖だったという。

 この寺の裏手には石廟が五つ建てられていて、利長公、利家公の他に織田信長、その側室、織田信忠のものだった。前田利家は、織田信長に育てられたことがよくわかる。その恩に感謝したものだろう。

 まっきぃは、ここでも御朱印帳に記入してもらっていた。今回の旅で、計5ヶ寺で御朱印をもらったそうだ。さて、午後2時だ、帰ろう。北陸自動車道はすぐそばにあった。そして、埼玉の最寄りの駅に着いたのが午後6時半だ。

 5日間で1540km、私は一人で運転し大過なく旅行を終えた。皆さん心配してくれたが、そんなにも疲れなかったね。

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2016年6月 2日 (木)

№3082 旅のテーマ曲は【都はるみ】(能登紀行その2)

 まっきぃが、CDを5~6枚ほど車に持ってきていた。その中の一枚、【都はるみ】がこの旅のテーマ曲になった。人間には違う側面があるのが面白い。まっきぃは、若いころから都はるみが大好きで、何度かそのコンサートにも出かけたという。われわれ中年も、都はるみに洗礼を受けて育っている。「今回は都はるみで行こう」と、期せずして一致した。

 この旅の間、CDで流れているのは【はるみ節】だ。あの独特の唸りを聞いて、車のなかでは、思わず合唱した。そして「演歌はいいね」と、一斉に叫んでいた。

あんこ椿は~~ あんこ椿は エエエエ 片便り

 今回は相当の長距離運転だったが、この唄で眠気が吹き飛んだのはありがたかった。さて、旅の続きを話そう。

 輪島の市内を通ったが、お昼ころというので、さすが名物《朝市》はやっていないだろう。それでも、輪島塗の名店だけは覗いておこう。本物の輪島塗はさすがに高く、まっきぃが夫婦箸を買っただけだった。その彼のぶつぶつ言うことには、「こういうお土産を買っていっても、相方は喜んでくれないんだよね」だと。

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Img_0885  輪島の市内を抜けて、世界農業遺産に指定されている【白米千枚田】に着いた。それにしても、見事な千枚田だ。一時は、誰もこの田んぼを耕す人がいなくて荒れ果てていたようだが、ボランティアが見事再生事業をしたのだという。

 いったい本当は何枚の田んぼがあるのだろうか、数えてみた。けど、無駄な努力だった。あまりにも細かくて数えきれないのだ。中には、六畳敷くらいしかない小さな田んぼもある。今は、ほとんどの田は田植え機で苗を植えているが、ここの田は人の手でしか植えられない。生産性からいっても、割に合いそうもないね。

 雨模様の天気も、ここに来た時にはカラッと晴れていた。日本海がきれいに見渡せて、本当に気持ちがよかった。さらに、能登半島を奥に向かって車を走らせた。ある漁港の前を通ったら、ちょうど船が港に入ってきた。「オッ、ちょっと寄って行ってみようよ」。

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Img_0892  船では、ちょうど水揚げをしていた。ブリの子どもだな。そしたらまっきぃが、「地元ではガンドというんだよ」と言っていた。ブリは出世魚で、それぞれの大きさで呼び名が違う。関東では、ワカシ⇒イナダ⇒ワラサ⇒ブリというのだが、北陸ではコズクラ⇒フクラギ⇒ガンド⇒ブリというそうだ。

 漁師の方にお話を伺うと、これは全部一本釣りだという。これだけ釣れると面白いだろうね。一体一匹いくらぐらいするものだろう。漁協の方が言っていたが、「冬は脂がのり物凄い値段だが、今の時期は雀の涙程度だよ」と自嘲気味だった。

 さらに、海岸を走ると、名物の塩を売っている店があった。そうだ、梅干し用に美味しい塩を買っていこうと思い、店を覗いた。とんでもない、梅干し漬け用に使えるような値段ではなかったね。

 そのあと、【時国家】も玄関だけを見て帰った。

 そういえば、この時国家では思い出がある。遠い昔、会社の仲間数人で能登旅行をしたことがあった。この時国家で新聞を借りて読んだら、【大平正芳首相急死】が一面に踊っていた。一体何年前か検索してみたら、大平首相が急死したのは1980年6月だという。そうか、以前この能登旅行をしたのは36年前だったとわかった。

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Img_0898  この日の最後の訪問地は、【禄剛崎灯台】だ。能登半島の最先端まで来てしまった。狼煙の道の駅から、この灯台への急坂のきつかったといったらなかった。まあ、この日の旅の終わりだと、何とか頑張って登った。

 Masaoちゃんは、この急坂を以前二度ほど登って、こりごりだと言っていた。けど、結局は今回もこの坂を登って岬に来た。

 この灯台の脇に、【日本列島ここが中心】という標識がかかっていた。この岬からも、果てしない日本海を望めた。

 そうだ、30数年前に泊まった『ランプの宿』がこの近くにあるはずだ。見に行ってみようと話したら、全員に反対されてしまった。疲れたから早く帰ろう、というのだ。すごすご今夜の宿に向かった。

Img_0899  この日の宿は、【珠洲ビーチホテル】だ。宿に着いたのが午後4時半ころだった。想像以上に立派なホテルでうれしくなった。この宿を予約してくれたまっきぃに感謝だ。

 部屋もきれいだったし、食事も予想以上に良かった。それに、給仕をしてくれたレストランの珠洲美人にも大感謝だ。

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2016年6月 1日 (水)

№3081 能登半島周遊旅行(その1)

 今回の欲張り金沢旅行は、ゴルフだけではなく、能登半島周遊旅行もついていた。われわれ老い先短いシニアは、今できることをたくさんやっておく、という哲学を持っている。わざわざ金沢まで来て、ゴルフだけじゃもったいないという精神だ。

Img_0820   朝7時半にまっきぃの実家を出て、一路能登半島を目指した。さて、この日は如何に相成ることやら。出発が遅かったせいか、通勤ラッシュに巻き込まれ、遅々として進まない。まあ、今日中に宿に到着すればいい。急ぐこともないだろう。

 市内を抜けて、ようやくラッシュも収まった。昨年も通ったのだが、今年はEimeiさんのために【千里浜なぎさドライブウェー】を通ろう。この道は砂浜で、延々8キロも続いている。まっきぃに言わせると、「それでも広さは往時の半分になった」ということだ。朝早かったせいか、車はほとんど走っていなかった。

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Img_0823_2  最初の目的地は【能登金剛】だそうだ。カーナビをセットして、目的地に向かった。途中、田んぼの真ん中に、五重塔のようなものが聳えている。立ち寄ってみようよ。これが大成功だった。【妙成寺】という日蓮宗の古刹で、日蓮の愛弟子が開創した寺だという。

 しかも、この日は何十年ぶりに、新しい貫首の就任式だといい、祭り気分一杯だった。全国から日蓮宗の坊さんが300人も集まっているようだ。寺の前のお土産屋さんの方が、「こんなことはめってにないから、見ていきなさいよ」と勧めてくれて。とはいっても、われわれ通りがかりの観光客には、あまり興味のないことだった。

Img_0826Img_0837  この寺の片隅に『さざれ石』があった。さざれ石はどこにでもあるとはいうものの、ここのさざれ石は夫婦石という珍しさはあった。

 このお寺さんの庭園の、五重塔が望める場所で記念写真を撮ろう。この塔は、江戸時代初期に建てられ、国宝に指定されるように運動しているとのことだ。良いお寺さんに巡り合えたのはうれしかった。

Img_0839  さて、妙成寺を出て目的地に向かったら、【名勝平家】という看板を見つけた。おや、なんだろう。「平家」はたぶん「へいけ」だろうね。立ち寄ってみようと、細い道を進んだ。この時、霧雨が降っていた。

 まっきぃには「金沢では、何を忘れても傘だけは忘れるな」という言い伝えがあると言われていた。私は一週間の天気予報を見て、雨がないと判断して傘を持ってきていなかった。「だから言っただろう」と言われてしまった。

Img_0842_2  この家を訪ねた。案内人が出てきて、「この家はたいら家と読み、平家のある大臣が開設した家で、江戸時代以来この周囲を収めていた大庄屋だ」と言っていた。この家を見せていただくことにした。観覧料は500円だという。タカッ!!!まあ、二度と来ることがないから入ってみよう。

 いろいろの資料が展示されていたが、見るべきものは心字の池の庭園だそうだ。大層な庭園なのだろうが、通りすがりの客には、あまり感心してみるほどのことはなかった。

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 この名勝を出てしばらく行くと、何もないノッパラに大きな建物が立っていた。【志賀原発】だ。私は、原発というものを間近に見たことがない。ちょっと立ち寄って、見ていこうと入り口を目指した。入場口には警備員が何人もたっていて、「入場はできません」と断られた。残念!!!もちろん、この原発は稼働していない。

Img_0850  さて、ようやく目的地【能登金剛】に到着した。ここは海上から見学するのがいいとのことで、船に乗った。海はべたなぎだったが、皆さん昨晩のお酒が利いていて、ヘロヘロだ。

 船で20分ほど能登金剛を見学したが、何といっても【巌門】がこの観光の中心だ。まあ、それでも厳しい目で見たら、こんなものかという程度だった。船からあがったら、ちょうどお昼だった。ここでお昼ご飯を食べた。

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Img_0864  【ヤセの断崖】を見て、輪島に向かった。途中、【世界一長いベンチ】があるから、見ていこうということになった。なんでも、ギネスに認定されているベンチだそうだ。解説を読むと、「昭和62年3月完成したベンチは460.9メートルあり、1346人が一斉に座り、ギネス認定となった」もののようだ。変な記録もあるものだね。

 まっきぃのこの日の目的地は、【総持寺】だという。私はてっきり、総持寺とは鶴見にあるものだと思っていたら、輪島にある総持寺が最初にあり、明治になって大火災にあい、現在の鶴見に移したものだという。

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Img_0860Img_0861  そうか、もともと北陸には曹洞宗の本山が、永平寺とこのお寺の二つあったのだ。今回の旅で、まっきぃが狙っていたのは古刹で【御朱印】をいただくことだった。私は、こういう趣味を持っている人に初めて出あった。それにしても、御朱印とは立派なものだね。まっきぃは三冊ももっていると話していた。

 総持寺祖院に行って改めて知ったのだが、平成19年に能登地震があり、このお寺さんの大きな仏殿が倒壊し、改めて再建築していた。そんな大きな地震があったのは、知らなかったね。社務所の人の話では、「この近辺の民家もほとんど倒壊したほどの大地震だった」らしい。本殿でお参りをして帰ってきた。

(あまりに長くなったので、この続編は明日ということで…)Img_0878

 

 

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