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2016年8月13日 (土)

№3154 7月に読んだ本

 あまりブログ記事にはしていないが、私の生活の基本は【読書】だ。本を読むことが、私の日常を支えている。そして、月に一度前月読んだ本を列記し、2~3の感想文を載せている。まあ、私の備忘録のようなものだ。

 この記事を読んでいる人はあまりいないだろうと思っていたら、先日の那須ゴルフ合宿に参加したKatsuちゃんから、「シンさんさんのブログで楽しみにしているのは、ゴルフ記事と読書記事だ」と言われ、うれしかった。Katsuちゃんは私のブログファンでもあり、読んだ記事に触発されて、どうやら歴史小説のファンになったようだ。

 6月は不発に終わった読書だが、7月はその分拍車をかけて読んだ。読んだ量は、15冊・5,560頁と【最低5,000頁は読む】という目標はクリアできた。今年1~7月の平均読書頁は5,376頁だから、まあまあじゃないか。それでは、7月は何を読んだのか列記したい。

火坂雅志『軍師の門(上)(下)』 角川学芸出版 2008年11月刊

高嶋哲夫『風をつかまえて』 NHK出版 2009年3月刊

笹本稜平『マングースの尻尾』 徳間書店 2006年2月刊

恩田陸『夢違』 角川書店 2011年11月刊

長江俊和『出版禁止』 新潮社 2014年8月刊

堂場瞬一『警察(さつ)回りの夏』 集英社 2014年9月刊

辻原登『Yの木』 文芸春秋 2015年8月刊

宮本輝『水のかたち(上)(下)』 集英社 2012年9月刊

上野誠『天平グレート・ジャーニー』 2012年9月刊

安部龍太郎『下天を謀る(上)(下)』 新潮社 2009年11月刊

大澤在昌『海と月の迷路』 毎日新聞社 2013年9月刊

高橋三千綱『ありがとう肝硬変 よろしく糖尿病』 幻冬舎 2016年1月刊

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 【病気本】というものは結構出版されている。とくに「がんにどう打ち勝ったのか」などという類の本は腐るほど出ている。高橋三千綱の本はほとんど読んでいないが、私のこのタイトルにひかれて読んでみた。

 高橋は私よりも年下のようだ。ただ、酒を飲むのに命を懸けた作家だ。医者に止められても酒を飲み続けた。一時はγ-GTP(アルコールの体内にある指数)が4000を超えるという信じられない高さを示したらしい。私の友だちで、この指数が1000を超え、やがて亡くなった人がいる。

 γ‐GTPが1000を超えると肝臓はフォアグラ状態で、体内でアルコールを分解する能力がなくなるという。因みに、私のγ‐GTPは30弱だ。こういう状態でも酒を飲み続け、高橋は医者にも見放された。そこまではよかったが、肝硬変に加え、糖尿病を併発してしまった。

 糖尿病は本当に怖い病気だ。体がだるいまではまだいい。足の壊疽、目が見えなくなってしまうという合併症を患い、命を失ってしまう。さすがここまで来て酒をやめたようだが、もう後の祭りで、体は元に戻りようがない。壊死した肝臓は元に戻らない。

 娘が「私の肝臓を献体したい」と、医者と真剣に相談したらしい。私も酒飲みだが、ここまでしても飲みたいものなのかね。ただ、後悔先に立たずだ。失ったものは取り返せない、とこの本を読んでつくづく思った。

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 私はこの本のタイトルを見て、てっきり織田信長の話かなと思った。というのも、信長の小説を読むと必ず出てくるのが、【幸若舞 敦盛】を踊るシーンである。「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬものあるべきか」という唄である。

 ところが、読んでわかったのだが、この小説は藤堂高虎の話だった。藤堂高虎は、歴史小説を読んでいてもほとんどが脇役で、あまり主人公として登場することはない。なぜ、安部龍太郎はその藤堂高虎を取り上げたのか。

 藤堂は若くして次々と主君を変えていって、最後には徳川家康の腰ぎんちゃくになったようである。ただ、その理想は「民衆の生活の安定を求め、その安定を謀る武将が豊臣秀長であり、徳川家康であった」。それを実現する主君についたというのが、安部のこの小説を書いた要因でもあった。

 ある識者によると、「これはかなり小説らしいフィクションが仕込まれている」とみているようだ。私もこの小説を読んで、あまりにも家康に対するゴマすりぶりが鼻についたのは事実である。あまり好きにはなれなかった。

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 この小説はサブタイトルに『遣唐使・平群広成の数奇な冒険』とあるように、8世紀中国に派遣された遣唐使の苦闘を物語る小説だった。当時の資料が少ないだけに、フィクションに頼ることが多かっただろう。けど、十分に楽しめた。

 当時、遣唐使として派遣されるのは大変だった。貴族の子弟で、相当の貢物を収めて、それで選ばれるかどうかだったようだ。選ばれたはいいが、それから唐に渡るまでがまた命がけだった。順風に乗ればわずか4日間で渡れるものが、一度嵐に会うと命からがらだった。

 当時、遣唐使船は3艘が仕立てられたが、3艘ともが唐に到着するのは稀だったようだ。それぞれの船に、唐の朝廷への貢物が山のように積まれていった。この貢物を唐の皇帝に届けても、謁見できる保証はなかったようだ。できたとしても、わずかな時間だった。

 遣唐使は、皇帝への謁見もあるが、進んだ唐の文物を摂取することにも大きな役割があったようだ。お経等を山のように仕入れ、船に積み込む。その船が、また、日本に帰れるかどうかはわからない。この小説では、平群広成の帰還船は嵐に会い、ベトナムまで流されたようだ。

 再度唐に帰った平群が、朝鮮経由で日本のついたときには、使節団総勢115人がわずか4人に減っていたという。行くも苦難、帰りも命からがらと、当時の遣唐使の大変さがしのばれる小説だった。

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