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2016年10月30日 (日)

№3232 大川小学校跡地見学

 同期会の翌日、一行は松島見物をするという。私は弟の家を訪ね、仏前に参拝するつもりでいた。ところが嫁さんのMachikoさんとの連絡不徹底もあり、訪問はかなわなかった。それなら、私も松島見物に付き合おう。本当は何度も訪問したことがある松島などには行きたくはなかったのだが…。

  朝、いざ出発する段になって、この松島見物に参加するのは5人だけということが分かった。まあ、それでも仙台駅から仙石線のホームに着いた。私は参加者に、急遽「松島など行かないで、石巻の大川小学校跡地の見学に行かないか」と提案した。参加者も、本心は松島など行きたくはなかったようで、その提案は受け入れられた。

 各駅停車ではなく、快速電車に乗り換えて石巻に向かった。ただ、私はこの日の午後3時、友だちと会う約束をしていた。それまでには仙台に帰ってきたい。石巻に着いたのは午前11時20分頃だ。帰りの電車を見たら、午後2時ころに石巻出発の電車があった。石巻滞在は2時間半だ。

 駅前でレンタカーを借りることにした。カーナビを設定すると、大川小学校跡地までは22kmほどだ。まあ、30分ちょっとだね。それにしても、初めての土地というのは不安なものだ。カーナビが、果たして正しい地に連れて行ってくれるものだろうか。それでも、不案内な土地はカーナビに頼るしかないだろうよ。

Img_1162

 案ずるほどのこともなく、やがて大川小学校跡に到着した。私がこの地を訪れるのは今回で二度目だ。最初の訪問にショックを受け、再度訪れたいと思っていた。たまたま裁判の一審の判決が出て、市と県が有罪判決だった。訪問したのもタイムリーだったのではないかな。

Img_1164Img_1165  跡地は、津波を受けたそのままで残されている。鉄筋コンクリート建ての建物の鉄筋がむき出しになっているところもあった。

Img_1167  いかに津波の衝撃が激しかったのか、よくわかった。前回訪れたときにも残念に思ったし、今回も再度思ったのだが、学校のすぐ裏には逃げる山があった。1~2分で逃げられたのだ。

 それを、先生の指示で校庭に待機していて、津波の被害にあったのだ。先生が避難を想定していた堤防の脇の高さ7mの小高い丘も、津波で完全にやられていた。なぜ、安全な裏山に逃げなかったのか、遺族の残念さもそこにあったのだと思う。

 裏山のちょっと上がった台地は杉の木が枯れていない。ということは、ここまで避難したら津波に会わなかったのだ。遺族の無念さがしのばれた。まさか、10mを超える大津波が来ようとは、誰も想像だにしなかったことだろう。先生方の判断の決定的なミスが、あたら74名の尊い子供の犠牲を生んでしまった。

Img_1169  私は二度目の訪問だったが、一緒に行った4名の仲間も、あまりのむごさに涙ぐんでいた。校庭の山際には、新たな慰霊碑も立てられていた。犠牲者の名前を見ると、生徒だけではなく多くの村人の名前も刻まれていた。

 あらためて慰霊碑の前に額づいてきた。同行者も言っていたが、「松島ではなく、ここにきて礼拝でき、本当によかった」と喜んでいた。わずか30分ほどの訪問だったが、松島から判断を変えてよかったのではなかったかな。

 この日は松島で大いに牡蠣を食べるつもりでいた。しかし、帰りはコンビニ弁当を買い、電車で食べる羽目になったが、まあそれでもよかったのではないか。

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コメント

石巻詣を瞬時に企画実行されるとは、流石、又々感服しました。
痛ましい事でしたが、来年小学校に入学する孫に、「自分の事は自分で守る」と言い聞かせるつもりです。

投稿: アスペル山ちゃん | 2016年10月30日 (日) 20時26分

秋田弁で「てんでんこ」という言葉があります。
自分のことは自分で守るという精神のようです。
それにしても、
小学生にはやはり先生の言うことが絶対です。
教育者の責任の重さを痛感します。

投稿: シンさん | 2016年10月30日 (日) 21時19分

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