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2016年12月 9日 (金)

№3272 11月に読んだ本

 ブログにも書いたが、11月は6泊7日でタイ旅行を楽しんできた。私の海外旅行のスタイルは、一方では読書のための旅行でもある。往復飛行機の中での読書、ホテルの部屋のなかでの読書のために、今回も6冊ほどの本を持参した。

 タイのバンコクまでは片道約6時間のフライトだったが、往復12時間は貴重な読書時間だった。ホテルのなかでも、ほとんどテレビなど点けることがない。旅に疲れたら、ベッドに横たわり本を読んでいる。ただ、今回の旅行はハードスケジュールだったので、思うように読書は進まなかった。

 さて、11月はどんな面白い本を読んだのか振り返ってみたい。この月は13冊・5,289頁の読了だった。まあ、可もなく不可もないというところかな。まずは読んだ本をリストアップしたい。その上で印象に残った2~3冊を紹介したい。

塚本靑史『始皇帝』 毎日新聞社 2006年8月刊

高樹のぶ子『fantasia』 文藝春秋 2006年1月刊

高嶋哲夫『タナボタ!』 幻冬舎 2010年7月刊

高樹のぶ子『百年の預言(上)(下)』 朝日新聞社 2000年3月刊

白石一文『記憶の渚にて』 角川書店 2016年6月刊

村上龍『オールド・テロリスト』 文藝春秋 2015年6月刊

葉室麟『海鳴り』 祥伝社 2013年11月刊

佐野眞一『遠い「やまびこ」』 新潮文庫 2005年5月刊

桐野夏生『メタボラ』 文春文庫 2011年8月刊

逢坂剛『断裂回廊』 徳間書店 2015年3月刊

高樹のぶ子『マルセル』 毎日新聞社 2012年3月刊

津本陽『小説渋沢栄一(上)(下)』 NHK出版 2004年6月刊

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 私は、佐野眞一の実証主義的ノンフィクションが大好きだ。佐野の作品はほとんど読んだと思っていたが、見逃しもあった。書店でこの本を見つけ、すぐに買った。例の如く、今まで佐野眞一の本を何冊読んだのか検索してみた。27冊であった。

 『旅する巨人』、『東電OL殺人事件』、『誰が「本」を殺すのか』、『巨怪伝』、『アヘン王』、『甘粕正彦』、『凡宰伝』、『宮本常一が見た日本』、『あんぽん 孫正義伝』等いまでも印象に残っている本が多い。

 今では忘れられているかもしれないが、山形の山深い村の中学校に無着成恭という先生がいた。彼がその小学校に着任した昭和23年、教え子43人に作文を書かせ、それを文集にした『やまびこ学校』が、当時大変な反響を呼んだ。この作文集は、子どもたちを巡る村の生活がリアルに描かれ、映画にもなったほどであった。

 佐野の実証主義者の由縁たるところは、その文集が出版されて20年弱、43人の足跡を訪ね、『やまびこ学校』と現在の生活の検証を重ねたところにある。43人の中で高校に入った生徒は、わずか4人だった。集団就職で上京し、行方の分からない子どももいた。

 「『やまびこ学校』で紹介されて迷惑を蒙った」とリアルに話す子供もいた。なかなかこういう作業はできるものではないな、と佐野の仕事に感心しながら読んだ。

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 渋沢栄一伝は、過去にもいろいろ読んでいる。城山三郎『勇気堂々』、佐野眞一『渋沢家三代』などその例か。 さらに検索してみたら、2007年3月に幻冬舎文庫で本書を読んでいた。9年半前に読んだ本だが、道理で内容を覚えていた。まあ、印象深い本は何度読んでも良い。

 私は、あまり津本陽の本は読んでいない。 私の住んでいる埼玉県で偉人で一番というと、なにより先に名前の上がるのが渋沢栄一である。 今の深谷市で生まれた。

 あらためて読んで思うのだが、渋沢栄一は江戸末期から明治にかけて活躍した経済人だが、自分の利益のために動いていなかったという点だ。彼は江戸末期、徳川昭武と一緒にパリ万博に行った。それまでは攘夷論者だった栄一は、ヨーロッパの進んだ文明に接し、自分の狭量の狭さを感じた。

 あまりにも日本の実情と違うのだ。それ以来、どん欲にヨーロッパ文明を勉強した。本当は4~5年はヨーロッパに滞在したかったが、日本の明治維新という政変で帰らざるを得なくなった。

 帰国して経済関係の仕事をしたかったが、明治の維新政府は渋沢の力量を高く評価して、大蔵省の財政を根本から作り直すのに彼の力を必要とした。ようやく政府の仕事を離れ、銀行業を中心に実業の仕事に従事で来た。

 彼の携わった仕事は多岐にわたる。国立第一銀行の頭取、商法会議所会頭、大阪紡績会社の開業、日本鉄道会社、肥料会社の創立、北海道炭鉱、東京帽子会社の社長、印刷会社、日本郵船の設立、浅野セメント、ビール会社等々。

 他にも一橋大学の設立に参加し、養育園の経営、東京女学館館長、理化学研究所の開設等教育にも力を入れた。今から見ると、まるでスーパーマンのような活躍であった。彼は、頼まれたことには誠意をもって力を貸した。

 埼玉で偉人といわれる由縁である。

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