« №3290 今年最後のゴルフは? | トップページ | №3292 検診の結果を聞きに行く »

2016年12月28日 (水)

№3291 手あかのついた言葉

 俳句雑誌『桟雲』が発行されて、もう14号になる。この雑誌は、わが俳句のYamahiko先生が主宰する雑誌だが、先生の依頼で、わが生徒も様々な協力をしている。私が先生にこの雑誌に依頼されたのは、「毎月1000字程度のエセーを寄せるように」とのことだ。

 毎日ブログで文章を書いているので、テーマさえ決まれば1000字を書くのはわけがない。ただ、毎月どういうテーマで書くのか、頭を悩ましている。句会で先生が何気なくおっしゃる言葉が、私のテーマになる。

 

 12月の句会で先生が話題にしたのが、「手あかのついた言葉」、「動詞が多いと句の焦点が定まらない」、「俳諧味」などだった。そうだ、今月は「手あかのついた言葉」をテーマに作文を書いてみよう。『秦山の独り言』の13回目だ。以下、その作文を転載することにしたい。

 

手あかのついた言葉

 

 先生にたびたび指摘されるのだが、ついつい作句に手あかのついた言葉を使ってしまう。指摘を受けて思うのだが、それでは手あかのついた言葉とは何だろうか。

 有名なエッセスト本多勝一は、文章を作るに際しこういっている。「文章は自分の頭で考え、何度も他人の使い古した表現をそのまま使うな」。また、人気番組《プレバト》で夏井いつきは、「『舞う』とか『燃える』、『踊る』などは凡人の思いつく陳腐な言葉で、たくさんの人に使い古された表現」と、手あかのついた言葉を痛烈に批判している。

 なるほど、私も俳句を作る際に思わず手あかのついた表現を、気が付かないままに使い、添削されることがよくある。今月もこういう句があった。

《原句》秩父路の夜空彩る冬花火

 この『彩る』が曲者で、どうも手あかがついていると『焦がす』と直した。『焦がす』も今一と添削されたのが、次の句だ。

《添削句》秩父社の夜空を占めて冬花火

 手あかのつかない言葉を使うとはどういうことなのか、考えてみた。それは、観察力の問題のような気がする。詠う対象をよく観察し、それを自分の頭の中で考え、再構成していく。そこには、瑞々しい表現力が必要である。ややもすると、花火を見て「美しい」とか「彩る」とか「華々しい」とか言ってしまうが、そこをもう一つ越えたところに何があるのか、その表現が俳句の肝になる。「美しい」と言ってしまえばそれでおしまいだ。その美しさの裏にどういう実相があるのか、そして、その実相をどのように表現するのかが試される。

 先生は「写生俳句」とよく言う。写生というのも簡単なようでなかなか難しい。見たままをそのまま詠えばいいのか。一体「そのまま」とは何だろうか。そこには詠う人の感性が込められている。「美しい」と感じたその美しさの実相は何なのか、そこまで観察力を深めなければ良い俳句にはならない、ということだろう。それを「自分の言葉で表現する」ことが必要である。人の使わない「新しみ」の表現が加われば、手あかのついた言葉から脱出できるのかもしれない。

 

 とはいっても、ついつい使い古した表現を手軽に使ってしまうのだが…。

|

« №3290 今年最後のゴルフは? | トップページ | №3292 検診の結果を聞きに行く »

俳句」カテゴリの記事

コメント

山彦先生の生徒です
とても勉強になります

投稿: | 2016年12月28日 (水) 21時08分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« №3290 今年最後のゴルフは? | トップページ | №3292 検診の結果を聞きに行く »