« №3299 昨年のわがブログを解析する | トップページ | №3301 下谷七福神巡り »

2017年1月 6日 (金)

№3300 12月に読んだ本

 毎月初めには、前月読んだ本の報告をしている。ある方によると、「シンさんのブログを楽しみにしているが、読書と俳句の記事はパスだよ」と言っていた。また、別の方は「シンさんの読書記事が、自分の読書の指針になっている」と話していた。多様な読者がいるのが、このブログの強みだ。ある方には迷惑かもしれないが、この記事を励みに私は毎日本を読んでいるので、ご容赦願いたい。

 さて、12月はどうだったのだろうか。あまり読書が進まずに、12月もどん詰まりになって、ようやく目標が達成できた。最低、月に5,000頁は読もうという目標だ。結果、13冊・5,170頁を読了した。2016年の読書総括は、また別の記事に委ねたい。さて、12月は何を読んだのか。

中路啓太『もののふ莫迦』中央公論新社 2014年10月刊

東野圭吾『ラプラスの魔女』角川書店 2015年5月刊

水上勉『虚竹の笛』集英社 2001年10月刊

津本陽『虹を見ていた 小説渋沢栄一(下)』NHK出版2004年6月刊

司馬遼太郎『項羽と劉邦(上)(下)』新潮社 1981年6月刊

坂東眞砂子『真昼の心中』集英社 2015年7月刊

道浦母都子『光りの河』潮出版社 2014年10月刊

中路啓太『ロンドン狂瀾』光文社 2016年1月刊

恩田陸『消滅』中央公論新社 2015年9月刊

楡周平『和僑』祥伝社 2015年10月刊

伊東潤『吹けよ風飛べよ風』祥伝社 2016年3月刊

小沢信男『俳句世がたり』岩波新書 2016年12月刊

Img_1798

 ある友達を介して、歌人道浦母都子さんと酒席をともにしたことがある。なんて破天荒な女性なのだろう、という印象だった。それが、この本を読んで彼女の素顔に触れた思いがした。彼女は、私とほぼ同時代の人だ。読んでわかったのだが、共有体験もたくさんある。

 私がお会いした時には、彼女の代表作『歌集無援の抒情』が発売されて間もなくだった。彼女は、早稲田で学生運動で活躍していた。その話は伺ったのだが、彼女の生い立ちとその生活を知ったのはこの本を介してだ。

 結婚して広島に棲んでいたようだが、やがて離婚した。結婚当時は知らなかったようだが、広島には大学時代に付き合っていた佐伯が棲んでいた。ひょんなことで知り合い、お酒を飲む仲になった。その当時、彼女は大阪に棲んでいたようだ。佐伯は被爆二世で、癌に病んでいた。

 彼女も取材でチェルノブイリを訪問し、その後、体が不調のようだった。それでも、広島や原発被害の福島を訪ね、追体験をする。そして、訪ねたのがインド・ヴァラナシィだ。私もこの街には深い思い出がある。わがこととして、この本を読んだ。

Img_1795

 本書は、日本がバカな戦争に突き進まざるを得なかった遠因がわかる好著であった。私は好んで日本近代、大正から昭和の戦争突入期までを読んでいるが、いまひとつなぜ戦争をしなければならなかったのかがわからなかった。それがこの本を読んでよく分かった。

 この本は、1930年(昭和5年)イギリスのロンドンで行われた海軍軍縮会議が主題だ。その前に行われて合意をみたワシントン軍縮会議に、軍部は大いに不満を抱いていた。その内容は、英米に対して日本の艦船6割というものだった。軍部としては、ロンドン軍縮会議では、どうしても7割の実績を確保したかった。ただ、日本の財政は火の車である。

 当時の浜口雄幸首相は、どうしてもこの軍縮会議の合意が欲しかった。ただ、軍部は統帥権の干犯を主張し、譲らなかった。英米と海軍の狭間に立った外交官雑賀潤の悩みは深かった。交渉で、英米の68.5%までの妥協が成り立ったが、軍部はこれでは戦えないと峻拒した。日本国内では、浜口首相が右翼に狙撃される事件が起こった。

 ここまで来たら7割でもいいように思われるが、アメリカでは日本への弱腰外交に非難囂々だった。アメリカにも妥協の余地はなかったのだ。

 私は、東条を筆頭にした陸軍が第二次大戦の引き金を引いたと思っていたが、海軍も足を引っ張ていたことがよく分かった。今から思えば、大和とか武蔵の大鑑時代はとうに過ぎ、飛行機で戦う時代だったのだ。この当時の空気を読むと、戦わざるを得なくして、無謀な戦争に突入したということか。本書を読んで、よくわかった。

Img_1876

 歴史小説を読んでいると、ホッとする。この小説の舞台は、川中島の戦いである。世にいう武田信玄と上杉謙信の戦いのみがクローズアップされているが、この本を読んでそうではなかったのがよく分かった。

 主人公は、北信濃の国人須田満親である。川中島の近くに住む須田家は、平和な時代を送っていた。満親と親友甚八郎は無二の親友で、合戦見物に出かける仲だった。須田氏は村上義清を盟主と仰ぎ、北信濃を狙う武田信玄と争っていた。しかし、義清方は次第に劣勢になっていく。

 北信濃の国人も武田方の調略でバラバラにされていった。調略を仕掛けるのは、武田方の真田幸綱である。このままでは北信濃は武田方に落ちる危機を抱き、越後春日山城の長尾景虎(のちの謙信)に救いを求めた。交渉に立ったのが須田満親である。満親を信頼した謙信は、北信濃の救援に軍を出す。そしてはじめられたのが、川中島の合戦だ。

 川中島では5度の決戦が行われたが、決着が付かなかった。戦いに倦んだ越後勢に対し、結局は北信濃が武田に飲み込まれていくのだが、この戦いのなかでの人の動きも面白いものだった。満親と甚八郎は敵味方として戦うことになったが、戦場では決着がつかなかった。

 川中島を主題にした小説は、初めてだった。

|

« №3299 昨年のわがブログを解析する | トップページ | №3301 下谷七福神巡り »

読書日誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« №3299 昨年のわがブログを解析する | トップページ | №3301 下谷七福神巡り »