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2017年1月

2017年1月31日 (火)

№3325 小冊子の試作

 昨日の記事の続きである。埼玉県民活動総合センターのパソコン講座で、新たに小冊子の作り方を学んできた。さて、自宅でもできるものかどうか、早速試してみよう。

  夕食後パソコンに向かい、俳句の会報をもとに小冊子を作ることにした。今度作る会報は第60号である。あらかじめ原稿はWordで作ってある。Yamahiko先生にもお目通しいていただき、校正も済んでいる。従来の作り方ならすぐにでもできるのだが、せっかく新しい技法を学んだので、それをもとに作ってみることにした。

Img_2120  Naoko先生のアドヴァイスで、表紙は新たにワードアートで題字を作ることにした。さらに入れ込む文字は、テキストボックスで作った。あれ、先生からあらかじめ聞いておいたのだが、テキストボックスの罫線の削除方法がわからない。こういう時は、Google検索で「テキストボックスの罫線削除」と入れると教えてくれる。

 目次もあらかじめ作っておいた。それに本文を貼り付けて、小冊子は完成だ。問題はフッターのページ番号だが、これがうまく繋がらない。無理やりセクション区切りなどをして、ようやくページ番号が並んだ。

 これを【名前を付けて保存】で、PDFに保存した。PDF保存をすると【小冊子】タブがあり、両面印刷ができることを学んだ。早速印刷してみよう。

Img_2121  アレッ、A4の紙に半分しか印刷できないよ。いろいろ試してみたが、どうもうまくいかない。私の技術では、どうしていいのかわからない。こういう時には、Naoko先生にメールで質問だ。不思議なことに、すぐに返事が返ってきた。「復習してくださったのは嬉しいですがうまくいかなかったのは残念ですね。う~ん、どうしてかしら?」

 結局先生の言葉に甘えて、私の作ったPDFをメール添付でお送りし、見た頂くことになった。「忙しいから、明日の朝ね」といううことだったが、急ぐ必要はないのでゆっくりお願いしたい。

 案の定、翌朝には先生から詳細なメモが届いた。「小冊子の作り方」という12項目に上るメモだった。本当に恐縮した。そのメモによると、既存の作り方ではだめで、A4で新たに縦書きに原稿を作りなさいということだった。既存のものの流用ではだめのようだ。

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 目次の作り方、見出しの作り方、TABの使い方等詳細なメモだった。そして、私の原稿をもとに、会報の小冊子が出来上がっていた。本当にありがたいことだ。再度自分で作り直してみたい。

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2017年1月30日 (月)

№3324 県活パソコン講座 二日目

 先週に引き続き、埼玉県民活動総合センターでパソコン講座『Word活用』を受講してきた。先生は、これも同じNaoko先生である。先生にヨイショするわけではないが、基本的にパソコン講座はNaoko先生からしか受講しないことにしている。

 先週も申し上げたが、教え方が熱心で、しかも丁寧で分かり易い。サブ講師にも強力な人が控えている。安心して受講できるのがいい。サブ講師も私のことを知っているようで、「シンさん、こうやって操作するのよ」と丁寧だ。

 今回の講座は、先生もいっていたが、Wordの上級講座として位置付けられているようだ。したがって、Wordの入力の仕方とか基本的な機能がわかっている、という前提のようだ。

 この日も、様々な隠れた機能を教えていただき、目の覚める思いがした。私は基本的にWordで図形や表を作ることはない。図形や表の作成の簡単な作り方を教わり、これは今後も使えるなと思った。

 私がWordの機能で一番便利に使っているのが、【ページレイアウト】タブである。このタブには、たくさんの編集機能が備わっている。この日もページレイアウトを使っての「クラス会案内書」の作り方を教わったが、これは私には既知のことだった。

Img_2118  今回、この講座で一番期待していたのが、小冊子の作り方だ。先週もお話したが、俳句の【桟雲の会】の会報をもっと上手に、しかも簡単に作りたいと思っていたからだ。今回の小冊子のテーマは、【月島散策】だ。

 いつもそうなのだが、この教室で学ぶときには難なくできることが、自宅に帰っていざやってみると、上手くいかない。材料も写真もすべて用意してくれていたものを使い、冊子作りに取り掛かった。一番苦労したのが写真の貼り付けである。

Img_2117  それでも、このブログでしょっちゅう写真を貼り付けているので、私には慣れたものだ。果たして、ほぼ時間通りに仕上がった。さて、これで、自宅でうまくできるかな。

 6時間の講座も無事終了し帰り支度をしていたら、見知らぬ女性から声がかかった。「シンさんのブログを毎日楽しみに読ませていただいています」という応援だった。多分、この記事も読んでいるだろうから、ぜひコメントを寄せていただきたいものだ。

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2017年1月29日 (日)

№3323 映画『沈黙―サイレンス』

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 傑作映画との映画評につられて、『沈黙―サイレンス』を観てきた。この映画はアメリカ映画だが、原作は遠藤周作だ。私は、この原作本は読んでいない。

 この映画を観た感想は、一言でいって、暗い重苦しい映画だった。やりきれない暗さであった。原作を忠実に再現したであろう映画の持つものなのだろう。

 舞台は江戸時代初期、1633年の長崎である。徳川幕府の方針で、キリスト教弾圧が過酷を極めていた。【踏み絵】での改宗を強要し、踏まない人間には刑罰で応じた。この映画で見る限り、火あぶりの刑、水攻め、穴に逆さ吊るしで血を徐々に抜いていく刑など考えられる限りの刑罰を科した。

 この物語は、棄教した宣教師フェレーラを慕い密航を企てたロドリゴとガルペという二人の宣教師の物語だ。二人は、師のフェレーラの真意を知りたくて五島に密航をしてきた。その島には大勢のキリシタンが隠れ住んでいて、パードレの出現に大喜びをした。

 ただ、島民の中に密告者がいて、捕まってしまう。時の奉行イノウエ様がロドリゴの棄教を企てる。この奉行は、フェレーラの棄教にもかかわっていた。ロドリゴは残酷な刑を間近に見、直接フェレーラの説得に応じ、棄教を決意する。

 最後は、江戸で日本妻を娶り、穏やかにその一生を終えるというものだった。この映画を見て、やりきれなさを覚えた。

 

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2017年1月28日 (土)

№3322 中学同期で新年会

 これも毎年の恒例行事になったが、一月は中学同期で新年会をしている。私は永久幹事で、会場の設定から案内状の送付までを引き受けている。ブログ記事でも紹介したが、昨年の11月に有志で下見を行った。

 新年会の案内は、例年、年賀状で代行している。今年も21枚ほど出したが、今回の出席者は11名と若干少なかった。私はそれこそ毎日が日曜日の生活を送っているが、結構まだ仕事をしている人が多く、平日の出席は無理なようだ。来年以降は考えなくっちゃ。

 会場は、下見をした品川駅前の【あきた美彩館】である。秋田県のアンテナショップを兼ねている店だ。事前に、きりたんぽ鍋コースで予約しておいた。

Img_2092  まず最初に出てきたのがお通しとハタハタの天ぷらだ。私はいろいろなハタハタ料理を食べているが、てんぷらで食べるのは初めてのことだ。案の定、まずかった。ハタハタは、しょっつる鍋、炭火焼き、田楽等いろいろな食べ方があるが、秋田でてんぷらとしては食べたことがない。まずかったのは、やはりそういう食べ方が邪道だったということだ。店の人にも、「この店の食べ物はみな美味しかったが、唯一、ハタハタの天ぷらはいただけなかったね」と話しておいた。

Img_2093  秋田のお酒もたくさん用意されていた。われわれが飲んだ日本酒は『雪の茅舎』といい、田舎の隣町で造っている酒だ。全国的にも評判を呼んでいるようだ。さらに、お店からの差し入れで、『新政』の限定酒が出た。昨年、予約するときに店長に「あきたの新年会だから、サービスしてね」とお願いしていたのが功を奏したのだ。

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Img_2097  まあ、とはいってもこの日のメインデッシュはきりたんぽ鍋である。比内地鶏がふんだんに入っていて、このきりたんぽはいけたね。皆で鍋をつつきながら、田舎の話が弾んでいた。前日、この新年会を聞きつけた田舎の同級生から、田舎の町の話題満載の新聞記事が寄せられていた。10枚ほどあったが、全員にコピーをして渡した。

 われわれ同期は昨年古希を迎えたわけだが、それにしても、皆さん若いね。当然腰の曲がっている人は、一人もいない。

Img_2101  それぞれに、最近の日常生活を報告していただいたが、一番元気だったのはNoriだ。彼は全国をテニスで回っているようだが、毎日3時間のランニングとストレッチは欠かさないという。Teikoちゃんも、酒が入ったせいかキラキラ輝いていた。本当に美人だね。

 ただ、一人病気で苦しんでる人の参加もあった。Kiyoshi君だ。腎臓を患い、週に3回の透析が欠かせないのだそうだ。この日も3時間半の透析を受けてきたそうだ。透析をしている人の大変さを聞くにつけても、同情したくなる。

Img_2109  皆さんとの何よりの再会を楽しみに駆けつける人もいる。木更津のMakotoだ。本当はアクアラインを使うと1時間で東京に着くのだが、この日は強風のために、アクアラインが閉鎖されたのだそうだ。千葉市を大回りして3時間もかかった、とぼやいていた。

 参加した人たちは、何よりもこの会合を楽しんでくれている。こんなにうれしそうな顔を見たら、また来年もやらなければな、と思った。

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Img_2116  皆さん、名残惜しいようだったので、 さらに駅前のビヤホールに立ち寄り、 旧交を温めてきた。この日は、なかなかいい新年会だったね。

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2017年1月27日 (金)

№3321 新春ゴルフコンペ

 今年初めてのゴルフだが、【2017新春ゴルフコンペ】がわがホームコース、『オリムピックカントリークラブ レイクツブラダコース』でおこおなわれた。このコンペは、昨年末の忘年会で決められたものである。参加者は3組・9名だった。

  毎月4人で行う定例ゴルフ会を拡大したものだ。最近ゴルフに対する思いが私より何倍も強い女房も誘った。毎月私が行っているゴルフ場がどんなものか興味を持っていたのだろう、二つ返事で参加するという。

 その女房は、前々日もゴルフに行っていた。「あまりにも寒くて、ゴルフにならなかった」のだそうだ。私は、最近すっかりゴルフに興味をなくしていて、今年初めてゴルフクラブを握るほどだった。さて、当たるものだろうか。

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 幸い、この日はぽかぽかと温かく、しかも冬なのに風もなく、絶好のゴルフ日和だった。それでも私は、厳重な防寒を施して臨んだ。長袖のシャツの上にセーターを着、その上から長袖の開襟シャツ、その上にセーターを羽織り、ジャンパーを着た。ごわごわして、動きにくかったのは当然だ。すぐにジャンパーを脱いだ。

 参加者も同じようなもので、ブクブク着込んでいた。ただ、本当に暖かかったのは、日ごろの行いが良いせいか?

Img_2085  このゴルフ場はわれわれは毎月通っているのでよく知っているが、初めての人、久し振りの人にとっては厄介で手こずったらしい。フェアウェーバンカーが効果的な位置にある。われわれは、これに入れてはいけないことをよく知っている。

 スタートホールで、よく飛ぶHozumiさんが早速このバンカーにつかまっていた。さらに、2打目もバンカーに入れ、このゴルフ場のトラップに嵌っているなと後ろから見ていた。

 私は、この日は一度もこのバンカーに入れなかったが、参加者は口々に「バンカーの多いゴルフ場、しかも砂が柔らかく出しにくかった」と話していた。

Img_2086  私は昨年のゴルフ回数は20回と最近にない少なさだったが、私をさらに上回って19回しかゴルフをしなかったのが名人のHozumiさんだ。腰痛でゴルフをする気分にはならないのだそうだ。その話を聞いていたまっきぃも、「私もその程度に抑えたいもの」と言っていた。彼は、それこそ年60回もやっているので、そんなに抑えることはできないだろうね。

 回数といえば、Taiちゃんは今年になってもう6度目だと言っていた。エッ、それでも仕事をしているのと冷やかしの声が飛んでいた。

 やはり練習は嘘をつかない。私のゴルフは、ほとんど練習をしていないせいか、不安定極まりなかった。スタート時こそまっすぐ飛んだが、2ホール目以降は、OBや1ペナのくり返しだ。ようやく打球が定まり出したのは、6ホール目以降だった。

 お昼で上がったら、Hozumiさんは「下手をしたら奥さんに負けてしまうよ」と言っていた。

 このゴルフ場を難しくしている原因は、バンカーの他にグリーンにあるという。皆さん、パットに相当苦戦したようだ。パットの名手Hozumiさんでさえ43パットだという。「これじゃゴルフにならないよね」とあきらめ気味だった。

 当然優勝したのは、今年すでに6回目のラウンドだというTaiさんだった。彼女のハンディキャップは大幅に減らされた。このハンディで、今年の夏は【ゴルフ合宿】を行う。その合宿の日程も決まった。今年で10回目になる合宿だが、大いに盛り上げよう。

この日の成績

OUT53(21) IN49(18) TOTAL102(39)

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2017年1月26日 (木)

№3320 作文『俳句と旅』

 昨年の12月に、俳句のYamahiko先生から「桜の俳句の自句自解を800字で作文にしてほしい」と依頼された。機関紙『桟雲』に載せるのだそうだ。私は作文を書くのには全然抵抗はないが、果たしていい桜の句が見つかるかどうかが心配だった。

  私は2011年6月に俳句をはじめてから、今まで作った句全部をパソコンに残してある。その全俳句を、さらにプリントアウトした表も持っている。全俳句を括ってみたが、今までほとんど桜を詠んだ俳句はなかった。

 先生にその旨をメールでお知らせした。「それじゃ、春の花で作文を作るように」と折り返し返信があった。まあ、春の花なら心当たりがあると、早速作文を作った。1時間余りで仕上げて先生に添付ファイルで送ったら、「OK」の返事があった。

 その作文をここでも紹介したい。

 

旅と俳句

 芭蕉の『奥の細道』を引き合いに出すまでもなく、旅と俳句には親和性がある。私は旅が大好きで、年に一、二度は海外を含めた大旅行を敢行している。最近の旅行をあげてみると、平成二六年は小笠原諸島訪問、平成二七年は五島列島、平成二八年は利尻・礼文島の旅行と、それぞれが思い出に残る旅行だった。

 小笠原旅行時には、「八重山旅情」として二十句の俳句を作った。これは、「桟雲の会」の課題でもあり、特別作品とした。今回とりあげたいのは、五島列島訪問時の俳句だ。

 菜の花や離れ小島に天主堂          秦山

 平成二十七年三月の句会で、特選に選ばれた思い出の句である。この句は、久坂島の『旧五輪教会』を思い浮かべながら作った俳句であった。この島で歌手の五輪真弓が生まれたという。

 仲間に長崎出身の方がいた。「長崎や五島列島の教会群が、世界遺産に指定されるようだ。指定されると混雑するので、その前に教会を見て歩こう」との提案だった。それに乗ったのが、仲間十三人だ。そして、この旅は、長崎と五島列島の教会巡りに特化された。三月だったので、教会を巡る傍ら、様々な花を観賞する旅ともなった。菜の花や椿、黄水仙などが道のそばに咲いていた。結局、十三の教会を巡ったのだが、バスの車掌は教会訪問のあまりの多さに驚いていた。

 黄水仙島教会に殉教碑            秦山  

 不勉強であまり知らなかったのだが、江戸時代、キリスト教排斥で、この五島列島では多くの殉教者が出たようだ。その殉教者の碑が、今でも大切に保存され、信仰の対象となっていた。

 五島列島の教会巡りの旅は、いつまでも私の脳裏に残った。平成二十八年の「私のベスト五」に右の句を選んだ由縁でもある。

 

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2017年1月25日 (水)

№3319 稀勢の里ついに横綱に

Photo  稀勢の里は、今日の大相撲番組編成会議でついに念願の第72代横綱になった。大相撲ファンの多くの人が、待ち焦がれていたことが実現した。

 私は相撲ファンではないが、それでも終盤の大相撲は熱心に観戦した。こんなにテレビで相撲を見たことは、近来なかったかな。そして、稀勢の里が勝つたびに思わず「よし!」と声をあげていた。

 稀勢の里は、大関になるまではとんとん拍子だった。そして、大関から横綱になるのに大きな壁が待ち構えていた。何度その壁に弾き飛ばされたことだろうか。この間、日馬富士や鶴竜など後輩にどんどん追い越されていった。

 昨年は、初場所の琴奨菊の優勝、秋場所の豪栄道の優勝と大関の優勝が相次いだ。それでも、稀勢の里は優勝には届かなかった。九州場所でも準優勝とはいえ、優勝の鶴竜とは星二つの差だ。準優勝とはいえない、という声も聞こえてきた。

 初場所が始まった当初、誰もが稀勢の里の優勝、しかも横綱昇進など考えていなかったのではないか。どうしてもプレッシャーに弱い、終盤には崩れてしまう姿を何度も見てきてしまっている。9日目に琴奨菊に敗れたときには、一瞬、今場所もダメかなと思った。その後も、遠藤や勢にドタバタした相撲だった。

 ようやく落ち着きを取り戻したのは、14日目の逸ノ城戦だ。ここで堂々と寄り切った。白鵬が負けたので初優勝が決まったが、やはり千秋楽で白鵬を破らなければ真の横綱として認めない、との声もあった。

Photo_2  そして、千秋楽の白鵬戦も見事な相撲だった。さすがに白鵬は、全力を尽くしてがぶり寄りを見せた。それに耐えて、すくいなげで白鵬に勝った。考えてみれば、今までの横綱への大きな壁は白鵬であった。彼に勝っていればもっと早く横綱になれたのではないか、というのはファンのひがみか。

 その大きな壁、白鵬に堂々と勝った。しかも、昨年は優勝こそならなかったが、最多勝も獲得している。今回、横綱になる資格は十分だと思う。

 これまでの道のりを考えると、プレッシャーに弱いとか終盤に崩れるとか、稀勢の里はいろいろ言われ続けてきた。一番それを感じていたのが本人だったろう。30歳と昇進には若干遅かったが、この間の努力が、稀勢の里の人間力が鍛えられたのではないか。

 彼も言っているように、これで終わりではない。これからが真価を試されることになる。ぜひ、頑張ってもらいたい。

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2017年1月24日 (火)

№3318 会報作成の問題点

 昨日の記事の続きである。会報作りに一体どういう問題があるのか、今日は述べてみたい。

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 毎月一度の俳句の定例会が終わるとすぐに、私は次の会報作りに着手する。月によって違うが、12頁から16頁くらいになる。大体が3~4時間で仕上げてしまう。表紙に使う画像は、次月の兼題である。2月の兼題は「冬萌」とのことで、これもネット画像で拾った。

 今回作った会報は第60号だ。ということは、5年間一度も休まずに、一人でこの会報を作り続けてきたということだ。意外と私はこういう仕事が好きだ。だんだんと会報らしくなってきた。会員の仲間も、素晴らしい出来と評価しているようだ。

 ただ、この会報を専門家に見せたことがない。パソコン講座で初めてNaoko先生に見てもらった。そうしたら、やはりアラはある。第一、フォントがバラバラなのが気になると言っていた。特に名前のフォントは大きかったり小さかったりしていた。あらためてフォントを調べてみたら、12pから16pまで様々だった。そうか、専門家はこういうことが気になるんだね。

 さらに、余白が相当広いのに、字が詰まっているとの指摘だった。そのページをよく見てみたら、上下の余白が30mmあった。それが全体を窮屈にしていた。なにも30mmに固定する必要がなかったのだ。ルビを振ると行間がバラバラになる問題もあった。これにも先生がサゼッションしてくれた。

 会報作りで私が一番頭を悩ましていたのが、フッターのページ作成だ。例えば10ページにフッター数字を入れると、1ページから6ページまではページ番号を振ることができるが、7ページ目では、また1ページに逆戻りしてしまう。仕方がないので、7ページ以降は、また別のフォルダを作成し、そこに7ページ以降の番号を振っている。多分、正しい振り方があるのだろうね。今回の講座で、その技法を学びたいと思っていた。

 Naoko先生が言うには、「シンさんの会報は一面のみの印刷だが、両面印刷して、しかも簡単にページ番号を振る方法があるのよ」とのことだ。次回の講座に期待したい。

 第60号以降は、刷新した会報を皆さんにお届けしたいと思っている。

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2017年1月23日 (月)

№3317 Word活用講座を受講

 パソコンの技術は、絶えずスキルを磨き続けないと錆びついてしまう。そこで、一年に一二度はパソコンの講座を受講しようと思っている。幸い、埼玉県民活動総合センターにはNaoko先生という大明神がいる。

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 今回見つけたのは、『Word活用講座~もっと知りたいWordのテクニック~』という講座だ。もちろん講師はわがNaoko先生である。女房にパソコン講座に参加するといったら、「あら、まだ学ぶことなんてあるの」だって。

 私は、毎日のようにWordのソフトを使い文章を作成している。私にとっては必需品ソフトである。だからといって、Wordに習熟しているとは限らない。だいたいが同じような機能を使い、新たな機能にはほとんど触っていない。

 特に便利に使っているのが、【桟雲の会】の会報作りにだ。ただ以前から疑問があり、フッターのページ作成がうまくいかないのだ。Naoko先生のブログに、「今度講座を受講しますが、フッターの疑問があります」とコメントを入れておいた。先生からは、早速の返信コメントがあった。

Img_2074  この講座は日曜日二回の講座で、午前10時から午後4時までのお昼を挟んで6時間だ。先生がすごいのは、自分の講座には決して市販のテキストを使わず、自分でテキストを編纂していることだ。今回も『Word活用』のテキストが用意されていた。

 さて、テキストに沿って講義は進んでいった。はじめのうちはすべてが初心者向けだったが、だんだんWordの神髄に迫っていった。特にこの日私が初めて聞いたのは、セクション区切りの話とインデントだ。

 こういう初めての技法は、聞いただけではだめで、実際に自分で使ってみてはじめてモノになる。Wordでの表作成も、私の苦手とするところだ。何とかこの講座で習得したいものだ。

Img_2078  さらに、次回の講座では小冊子の作成を教えてくれるという。【桟雲の会】の会報を持って行って、先生に見ていただいた。そこで先生の評価は、①フォントがバラバラ、②ルビと文字間の調整、③余白に研究の余地があり等だった。

 この会報は、私の今ある技術を使って作ったもので、第三者の意見を聞いたことはない。そういう意味では貴重な意見だった。さらに先生は、「シンさん、次回の講座で画期的な会報の作り方を教えてあげるね」とのことだったので、期待したい。

 ところでNaoko先生、今日は何の日かわかるかと問うた。しばらく首をかしげて、「はて、何の日だったろうか」と聞いてきた。そうです、ブログの誕生日なのですよと言った。「そうか、シンさんとももう9年の付き合いだね」と言っていた。

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2017年1月22日 (日)

№3316 今日はブログの誕生日

 1月22日は、私のブログの誕生日である。2008年(平成20)1月22日にスタートした『シンさんちの《繭の里通信》』だが、9年経ってこの記事で3316号になった。誕生の経緯は何度か話しているが、埼玉県民活動総合センターのパソコン講座がきっかけである。

 私は2006年11月末で定年退職したのだが、退職前のある会で「退職したらブログを始める」と宣言したことがあった。その時にはまさか本当になるとは思っていなかったが、パソコン講座がいいきっかけであった。

 1月22日にスタートした講座で、NAOKO先生がすぐに「それでは、すぐに自分のブログを立ち上げてみてください」とおっしゃった。右も左もわからないながら、先生指導の下に、それでも簡単にわがブログは立ち上がった。意外と簡単なのだ。記念すべき第一号を貼り付けておく(赤線をクリックすると当該頁を読むことができる)。

 あらためて読んでみると、創刊第一号に退職後のある指針が示されている。ゴルフや囲碁の他に俳句をやりたいと書いてあった。その時にはまだ俳句には手を染めていなかったから、今考えてみても、意外と自分の今後の歩くべき道をイメージしていたことがわかる。しかも、それに向かって現在も着実に歩を進めている。

 大げさにいって、この9年間はブログ記事を書くために行動していたようなものである。自宅にジーッとしていては記事にならない。まず始めたのが、『彩の国いきがい大学』入学であった。そこで2年間学んだが、これが良い記事になった。さらに、『東京シニア自然大学』に入学した。それもこれも、ブログ記事を書くことが根底にあった。

 この間、このブログに対して様々な抵抗にもあった。特に女房の抵抗が激しかった。「自宅のことや、私のことは絶対に記事にしないでね。もちろん写真を載せるのも禁止」ときつく言われている。従って、このブログで女房のことは最低限しか書いていない。思い出すが、2年前に台湾旅行の記事に一緒に行った女房のことは一切触れなかった。あの記事を読んだ読者からは、「台湾は一人旅行だったのですか」としばしば問われた。

 いま親しくしていると友も「私は、ブログは一切読まない。シンさんのブログのうわさは聞いているが、私は読まないと承知してください」と言われている。読むか読まないかは個人の自由なので、私からとやかくいう筋合いではない。

 ただ、私のブログを楽しみにしてくれている多くの読者がいるのも事実だ。「シンさんの行動は、このブログですべてわかっているよ」と言ってくれる読者が多い。ただ、間違ってもらったら困るのは、私はすべてのことをこのブログで語っているわけではない。しかし、多くの事はこのブログでわかる。

 私のブログを書くスタイルは、記事をアップする前日か前々日の朝9時ころに書いている。この時間が、私にとってのプライムタイムだ。実は、この記事を書いているのも、1月20日の午前10時だ。書いた記事を何度か推敲して、当日の午後7時にアップの時間を迎える。ただ、アップした記事を改めて読んで、意外と間違いの多いことに気がつく。そこで修正している。

 ブログを始めてもう9年にもなると、ブログネタに困ることが多くなってきている。明日は何を書こうか、あさってはどうしようか、布団に寝ながらイメージを考える。なかなかこれも楽しい。知らず知らずのうちに脳が活性化しているのではないかな。

 何とか、10周年である来年の誕生日を迎えるまで、続けていきたいものと念願している。皆さんの応援をこい願うものである。

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2017年1月21日 (土)

№3315 桟雲の会 第5回作品展

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 恒例になっている桟雲の会『第5回作品展』が、今年も埼玉県民活動総合センターロビーで始まった。今回、この作品展に出品したのは、先生および会員あわせて11名である。

Img_2067  1時間くらいで準備が終わるかなと思い、午前11時に会員に招集をかけた。もう5回目になるので、皆さん、要領はよくご存じだ。10枚のパネルを借り出し、表題のパネルを作り、他のパネルには会員の作品を展示する。

 むき出しのパネルはあまりに色気がないと、パネルに色付きの模造紙を貼り始めたのは、いつからだったろうか。ピンクや黄色、緑や青の模造紙を貼り、作品展は賑やかになる。模造紙の裏は、両面テープで抑えるのもいつものことだ。ただ、これが意外と手間取った。

 目論見では1時間で準備終了するはずだったが、結局、2時間かかってしまった。午後1時から定例句会が始まるのだが、30分ほど遅らせてもらった。

Img_2069  今回出品した作品は、昨年一年間で作った俳句で、自分のベスト5を自選したものである。それを各自短冊に書いてきて展示する。このパネルには、わが【桟雲の会】の会報も2部ぶら下げておいた。

 昨年までは表面だけの展示だったが、表面だけでは足りず、今年は表裏両面展示にすることにした。一人パネル一枚である。模造紙の色の配置も考えた。おかげで、例年に見劣りしないものに仕上がった。

 私の作品も並んだが、いつも思うのだが、圧倒的に下手だ。まあ、恥を忍んで並べよう。

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 私の作品のベスト5は以下の通りだ。展示期間は1月31日までだ。興味のある方は、一度ご覧いただきたい。

黄葉せる樹上に鷺の佇まふ

枯葎かの谷中村跡といふ

黄水仙島教会に殉教碑

葱坊主大内宿の暮色かな

仏桑花魔性色濃く夕暮るる

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2017年1月20日 (金)

№3314 一年に千冊読む子

 今日は本の話題である。

 今日の朝刊に、小学3年生の子どものこういう話が載っていた。「歴史大好きで、学校の図書室や地元の図書館の歴史コーナーはほぼ読みつくした。これまで一番読んだのは、1日12冊である。年間千冊の本を読みたい」という子どもの話だ。

 この記事を読んで考えたのだが、一冊例えば250頁として、12冊だと3,000頁である。私のように1頁1分の割合で読む人間の3000分とは、50時間だ。寝食しないで二日以上だ。こんなことって可能だろうか。

 先日も記事に書いたが、私が10年間に読んだ本は、この子に言わせるとわずか1,515冊だ。この子の目標としている読書量のわずか1年半である。それでも、私は速い方だと思っているが、この子の足元にも及ばない。

 速読法という読書方法があるようで、3~40分で一冊あげてしまうそうだ。私は、速読法は習ったことはない。

Img_2051  1月は、結構私の読書は進んでいる。1月上旬に市の図書館で10冊借りてきたのだが、今回は返済期限ぎりぎりの2週間で完読した。2週間で10冊読むなど、いつもの私にはなかなかできない。いつも返済期限時に2~3冊読み残している。返さなければならない、と読書スピードを上げているのが現状である。それが、今回は完読した。

 まあ、面白い本が続いたこともあったが、1月は暇でもあったということだ。

Img_2053  胸を張って図書館に返却してきた。そして、さらに10冊の本を借りてきた。さて、今回はどうだろうか。

 何人かに指摘されているが、「シンさん、図書館で借りるだけでなく、たまには本屋で本を買ってよね」と言われている。私の読書記事を読んでいるのだろう。

 私はけっして本屋で本を買わないわけではない。先日も上京の折、ある大型書店で厚手の本2冊を買い求めてきた。ただ、小説は一度読んだものを二度読むことがないから、やはり図書館利用だね。

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2017年1月19日 (木)

№3313 長瀞の自然散策会

Img_2013  東京シニア自然大学NEXTの今年最初の講座は、長瀞の自然観察会だった。この日集まったのは19名だ。中には横須賀から駆け付けた仲間もいて、本当に遠くからご苦労様でした。

 朝礼で、世話人からこの日の講座の意義について話された。「本当は、長瀞を歩きながらジオパークを体験したいと思っていたが、残念ながら『埼玉県立自然博物館』が休館で、学芸員からその話を聞くことができないとわかった。次善の策で、宝登山の蝋梅を鑑賞して、こたつ船に乗ることにした」とのことだ。

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Img_2015  私にとって、宝登山も長瀞の船も初めての体験だ。長瀞駅に降り立つと、目の前に標高497.1mの宝登山が見えた。歩きではなく、ロープウェーで登った。乗車時間はわずか5分である。

 宝登山頂には梅や蝋梅が植えられていた。ただ、梅の季節にはやや早く、固い蕾のままだった。蝋梅は5分咲とのことだが、蝋梅の黄色い花が全山に咲き誇っていた。蝋梅の群落を見るのは初めてのことだ。

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Img_2021  早速、仲間は蝋梅の香りを楽しんでいた。私も嗅いでみたが、かすかに甘酸っぱい香りがした。2月中旬ころには満開になるのではないか。すごい人出になることだろう。

 幸い、この日は雲一つなく、風も弱かった。宝登山頂からは、周りの山を眺望で来た。秩父の街を下に見て武甲山、甲武信ケ岳、両神山のごつごつした山肌などを望むことができた。

 私は、宝登山神社奥社に参拝した。山頂付近に1時間ほどいて、歩いて山を降りてきた。ちょうどお昼だったので、近くの食堂でオッ切り込みうどんを食べた。オッ切り込みうどんは、12月にはるな工房で食べて以来だ。

 午後は、長瀞をこたつ船にのって舟下りをするのだそうだ。世話人はすでに予約をしていた。この時期は水が少なく、舟下りは休むことが多いのだそうだ。わが団体のために、特別に舟を出すという。

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Img_2045  舟は20人ほど乗れるのだそうだが、この季節に特別コタツを設え、一艘に10人乗るのだという。船頭がいうには、「水が多いと豪快な舟下りが楽しめるのだが、あいにくの季節だ」残念がっていた。まあ、それはそれで十分に楽しめた。

Img_2039  今年は暖かかったせいか、ツララの成長は遅いらしい。川の周りには、名物の石の壁が観察できた。『秩父赤壁』というのだそうだ。

 舟に乗っていたのは30分ほどで、帰りは長瀞の石畳を散策して帰ってきた。

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2017年1月18日 (水)

№3312 俳句の書初め

 毎年、埼玉県民活動総合センターロビーで【桟雲の会】の作品展をやっている。今週金曜日に始まり、今年で第5回目になる。

 私はこの時期になると憂鬱になるのだが、あまりにも字が下手くそで恥ずかしい。皆さんに見せられるような字は書けない。仲間の中には、この作品展を目指して習字の勉強を始めたという人もいるが、年一回のこのために今更習字でもないだろうと思っている。

 ある方は、私の字を見て「シンさんの字は上手ね」という人もいるが、それはボールペンで書いたときである。筆ペンで書くと全く様相が異なる。慣れていないせいなのかしらね。

Img_2005  まあ、それでもしょうがない。作品展が迫っているので、短冊と筆ペン、手習いの用紙を買ってきた。練習紙に何度か書いてみたが、下手なものは下手だね。

 筆ペンは一年に一度、このためにしか使わない。昨年の筆ペンをとってみたが、字がかすれている。100円ショップで新しいものを買ってきた。

 何度練習してもダメなので、本番の短冊を出して書いてみた。字がグニャグニャ曲がっている。これではいけないと、薄く短冊に線を引くことにした。

Img_2008  短冊は余分に買ってあったので、失敗したものは書き直しをした。まあ、あまり大差はないが、それでも気は心だ。今回作品展に出す短冊は5枚だ。下手を承知で、一気に書き上げてしまった。

 いつもこの短冊を書くたびに、「今度こそ習字の勉強をしよう」と思うのだが、さてこの気持ちは来年まで続くだろうか。

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2017年1月17日 (火)

№3311 ミカンを啄むメジロ

Img_1985  毎日寒い日が続いている。このところあまりの寒さに、一歩も外に出ない。ただ日差しは暖かいので、居間でゴロゴロ寝そべっている。何とはなしに庭を眺めていると、檸檬の木にメジロが来ている。そのメジロを見ているだけで飽きない。

 例年そうなのだが、この檸檬の木にミカンや南京豆をぶら下げて、小鳥を呼ぶ。冬の間は食べ物が乏しいせいか、このミカンや南京豆を目指していろいろな野鳥が飛んでくる。今来ているのはメジロだ。

 

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Img_1984  檸檬の枝にミカンをぶらさがているだけなので、この実をとるのにサーカスまがいの曲芸をやっているのが面白い。逃げないようにと、デジカメの望遠を極限にして撮るので、どうしても写真がボケてしまう。デジカメは便利なもので、30枚くらい撮ってダメなものは消去する。そうして、ようやくましな写真が撮れた。

 寒いにもかかわらず、一心不乱にミカンを啄んでいるのがとっても可愛らしい。

Img_2000_2  驚かさないようにジーッとみていたら、強敵がやってきた。メジロの3倍くらいあるヒヨドリだ。メジロを追い出して、このミカンにかぶりつこうとする。ただ対象が不安定でなかなか実を啄むまで行かない。

 羽をバタバタさせながらの行動なので、うまく写真は撮れなかった。まあ、それでも様子はわかる。

 以前は、わが家にウグイスがやってきていたが、最近は姿を見ることがなくなったね。さらに、四十雀も来るのだが、南京豆は啄むのだが、ミカンには寄ってこないのが面白いね。

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2017年1月16日 (月)

№3310 映画『ヒトラーの忘れもの』

 私は、上京の折は映画を見ることにしている。月一度くらいは見ているかなとブログをみると、昨年は7本の映画鑑賞報告が残されている。意外と少ないんだね。今年はなんとか月一度は映画を観たいものだ。

 以前はもっぱら【岩波ホール】にかかっている映画を見ていたが、あまりの退屈さに、最近は銀座の【スネスウィッチ】に変えた。佳作映画が安心して観られる。

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 今回かかっていた映画は『ヒトラーの忘れもの』という映画だった。映画のタイトルはあざといもので、時々原作とは全然違う日本語タイトルをつける。原作のタイトルは『LAND OF MINE』という映画で、「私の土地」程度のタイトルだ。ヒトラーの名前を冠すると、間違って観に来てくれる客がいる、という興行主の考えがあざとい。

 佳い映画だった。1945年5月、ヨーロッパではヒトラーの自殺で、ようやく第二次世界大戦が終わった。映画の舞台はベルギーの海岸で、砂浜には150万個という大量の地雷が残された。その地雷の撤去をめぐる物語だった。「地雷は、ヒトラーの忘れもの」というわけだ。

 この地雷の撤去に当たったのは、ドイツ兵の捕虜で、ほとんどが10代の少年兵だったという。戦争が終わったので両親のもとに帰れると期待していた少年兵に、待っていたのは地雷撤去の仕事だった。この地雷撤去を指揮していた軍曹は、「一時間に6個、3か月の仕事に従事したら解放する」との約束をした。

 海辺の粗末な小屋に収容された11人の少年には、ろくに食事も与えられなかった。2日間絶食ということもある。それに耐えられず、小屋を抜け出した一人の少年が持ち帰ったのは、ネズミの糞だ。食べたものは、激しい食中毒を起こした。見かねた軍曹が、食料を調達してきた。同僚からは「敵の少年どもに食料を与えるなんて…」という厳しい指摘があった。

 地雷撤去は微妙な仕事で、撤去を誤れば爆発してしまう。何人もの少年が命を落としていった。ただ、厳しかった軍曹と少年兵たちの心の交流が始まった。砂浜でサッカーをするまでになったが、軍曹の飼い犬が残っていた地雷に吹き飛ばされた。また、幽閉の生活に逆戻りだ。ただ、最後は感動的な話が待っていた。

 この映画は実話に基づいたものらしく、2000人のドイツ少年兵が地雷撤去の仕事に従事し、半数が亡くなったという。まるで、日本兵がシベリアに抑留されたような話だ。

 本当に戦争というのはむごいもの、とあらためて思った。

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2017年1月15日 (日)

№3309 シニア自然大学間の交流を

 昨日の記事の余白である。

 久し振りに、東京シニア自然大学の座学講座に出席した話をした。この講座は、現役の第4期生のためのものであった。そこに、第1期生の私は入らせていただいた。お昼休み、珍しいお客さんとの交流があった。シニア自然大学神奈川校の事務局の人だった。

 そもそも、シニア自然大学運動は大阪で発足した。大阪では20数年の歴史があり、何万人もの規模の運動に成長しているという。さらに、名古屋のシニア自然大学も活発らしい。関東でこの運動がスタートしたのは、5~6年前とまだ新しい。

 関東のシニア自然大学は、東京のほかに千葉・神奈川・埼玉にある。それぞれの学校のうわさは聞くが、われわれ学生レベルでの交流は行われていない。ぜひ交流はしたものだ、との話題は時々出ているが、いまだ実現はしていない。

 たまたま、神奈川校の事務局の人が、PRで東京シニア自然大学を訪れていたので、お話させていただいた。どこの学校も、新入生を集めるのに苦労しているようだ。神奈川は、卒業生を中心に活動する専科にまでは目が届いていない、と言っていた。あまり活発ではないようだ。

 われわれ東京シニア自然大学は、卒業後『NEXT』という組織を作り、継続活動をしていることをお話させていただいた。そして、参考までにと今年度の【NEXT年間スケジュール表】をお渡ししておいた。

 その事務局の方は、このスケジュール表を「すごい活動ですね」と見て、ため息をついていた。その方にお話ししたのは、NEXTは期を超えて、さらに東京を超えて活動したいと試行しているとお話をさせていただいた。出来ることなら、神奈川の方にもNEXT参加を呼びかけてほしい、ともお願いしておいた。

 次は25日に運営委員会が開かれる。誰でもいいからオブザーバーで参加しないか、と要請しておいた。われわれの活動は大阪のようにとはいかないが、徐々に広がっていければと思っている。

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2017年1月14日 (土)

№3308 絶滅危惧種オキノタユウの保全

 東京シニア自然大学の事務局からのお誘いがあり、久し振りに東京シニア自然大学の講義を聴いてきた。午前は東邦大学名誉教授長谷川博先生の「絶滅危惧種オキノタユウの保全」がテーマで、午後は中道宏さんの「今、山へー56歳からの山歩きを愉しむ」という講義だった。

 実は、このそれぞれの講義は東京シニア自然大学入学時の4年前に一度聴講している。特に長谷川博先生の講義に感銘し、東京シニア自然大学の仲間13名ほどで、2013年3月に小笠原旅行を敢行した。その時はオキノタユウ(アホウドリ)を観察はできなかったが、小笠原の自然に触れ、印象に残る旅行となった。

 その後、オキノタユウの保護活動はどうなっているのか、関心を持って見つめている。時々テレビではその保護活動の番組があり、小笠原旅行をした仲間で情報を共有し合って、見ている。

Img_1981  果たして、前回講義を聴いて4年、保護活動は進んでいるのだろうか。長谷川先生の自己紹介があったが、私より2歳若い。フィールドワークのせいか、肌がつやつやして光っていた。

 長谷川先生は、今でも一人で無人島・鳥島に通っているという。絶海の孤島鳥島で、1年に三か月は一人でオキノタユウ観察をしているのだそうだ。この観察活動は、優に20年を超えているというから、研究者というのはすごいものだ、と改めて思った。先生に挨拶をし、4年前、先生の講義を聴いて小笠原旅行をした、と報告した。

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 明治の初めころにはどこにでも見られたというオキノタユウは、1900年代の初めから50年間、数百万羽も乱獲されほとんど絶滅に瀕していた。動きがのろくすぐに捕獲できたし、その羽毛は欧米で高く売れたようだ。1949年(昭和24)には絶滅したと信じられていたらしい。

 1951年、鳥島で10羽のオキノタユウが発見され、その後保護活動が行われた。長谷川先生が言うには、「日本ではトキの保護活動にはたくさんのお金を使っているが、オキノタユウの保護にはほとんど関心がなかった」と残念がっていた。

Img_1979  その後、長谷川先生の活動を評価したのか、環境省から少しではあるがお金が出るようになったという。ただ先生も強調していたが、一度絶滅に瀕した種を増やすというのは並大抵ではないらしい。何度も試行錯誤を繰り返し、ようやく回復の兆しを見るに至ったようだ。

 鳥島は火山島で、以前は気象観測所があった。火山活動が活発になり、観測所は撤退したようだ。ただ、乱獲を遺伝子レベルで知っているオキノタユウは、絶壁の場所に営巣しているようだ。

 先生の努力で、より安全な場所に営巣できるような環境づくりをした。それでも、簡単なことではなかったようだ。今ようやく4割ほどがその安全な場所に営巣するようになったという。それからの回復は目覚ましい、と数字をあげて説明してくれた。

 さすが大学の先生だけあって、その回復の仕方の方程式を見つけたようだ。それによると、2100年ころには30万羽ほどに回復するのではないか、との説明だ。数百万羽もいたオキノタユウも、150年ほどの保護活動でようやくそこまで回復するとのことだ。

 私が関心を持っていたのは、オキノタユウの小笠原列島聟島への移転計画だったが、時間切れでそこまでの話にはならなかった。これからも、テレビ番組などに関心を持ち続けたい。

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2017年1月13日 (金)

№3307 不安なこれからの4年

 このブログでは、政治的な話は極力避けている。それでも、やはり話さざるを得まい。これからの4年間、一体どうなるのだろうか。

  1月20日にアメリカの新大統領に就任するドナルド・トランプのことだ。彼が大統領に就任して、4年間、世界はどうなってしまうのだろうか、とっても不安である。

 1月11日に行われた、二つの対照的な演説があった。一つは現大統領オバマの離任演説であり、もう一つはトランプの初めての記者会見だった。その違いに唖然としてしまった。オバマは哲学を語り、トランプは自分の利益のみを語った。

 オバマの8年間は、彼の理想には程遠かったかもしれないが、それでも向かう方向ははっきりしていた。彼の演説で印象的だったのは、「Yes,We can.Yes,We did」(やればできる。われわれはやり切った)というフレーズだった。とてもやり切ったとは思えないが、それでも方向性だけは示せたのではないか。

 それに比して、トランプの記者会見は一体何だったのか。対象は記者だけとはいっても、会見場には怒号が飛び交っていた。今後の抱負を語るでもない。とても、新大統領の初の記者会見とは思えないものだった。これからの4年間、この関係は続くのだろう。アメリの世論も、大きな亀裂が入ったまま続くのではないか。

 それにしても、トランプにまつわる話題は低次元に終始している。多分あったのだろうが、ロシアのプーチンがアメリカ大統領選に関与し、反対勢力の妨害活動をしたという。さらに、アメリカとメキシコの間に高い壁を作り、その費用をメキシコに払わせるというキチガイじみたことをまだ言っている。つまり、アメリカがよければすべて良い、アメリカ一辺倒の方向性だ。

 残念ながら、いま世界を動かしているエンジンはアメリカにある。そこのトップである大統領の政策がどれくらい世界をゆがめかねないか、試練の4年間になる。しかもこの4年間は、対立と怒号の4年間になりかねない。

 世界経済は、トランプ期待で株価の値上がりで始まった。しかし、そんなものはすぐに蓋が抜けて、経済の破たんに追い込まれるのではないか。トランプ経済を期待してドルが値上がりしているのに対し、新興国の貨幣価格が下落し続けているという。果たして、アメリカだけが良ければいいのか。

 本当かどうかは知らないが、このようなエピソードも聞く。トランプは一冊の本も読了したことがないのだそうだ。そういう人間が哲学を語るなど、土台無理な話だ。さらに、自分の納税報告もしたことがないらしい。そういうトップが、税金を払えなどと国民に言えるだろうか。

 1月20日には、トランプが新大統領に就任するという。果たして、彼の任期中は世界はどうなってしまうのだろうか。アメリカ国民は、とんでもない選択をしてしまったような気がしてならない。否応なしにそれに付き合わなければならないわれわれもせつないね。

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2017年1月12日 (木)

№3306 那須から帰る

 3泊4日の予定を終えて、無事に那須から帰ってきた。一人で那須に居るときは、静寂そのものだ。夜8時か9時には布団に入り、静かに本を読んでいる。今回は4冊の本を持って行ったが、3冊を読み終えた。

Img_1975  朝起きたら、うっすらと雪が積もっていた。向かいのOhnoのお父さんが来ていたので、沢庵の覆いのお礼を言っておいた。ついでも、漬かり方はまだまだだが、沢庵の味みとお願いして、2本を渡した。お父さんからは、那須の隣の方からと年賀のお菓子を渡された。彼女はブログ読者なので、ここでお礼を述べたい。『のぶちゃん、ありがとう』

Img_1976  Ohnoのお父さんは、来週の土曜日が誕生日と言っていた。しばらくは那須に滞在するそうだが、奥さんのKayoさんが、誕生日には那須に来て二人でお祝いするのだそうだ。「ウ~~ム、仲が良くていいね」と冷やかしておいた。

 さて、自宅に帰ってメールを開けたら、高校の後輩から沢庵の所望のお願いのメールが届いていた。彼の奥さんも秋田の人で、お金を出してでもあの沢庵が欲しい、との依頼だった。まさかお金を取るわけにもいかないから、快く差し上げると返信しておいた。

 次の那須訪問は、2月上旬だ。その時には、沢庵を自宅に持ち帰る予定である。欲しい方はもう少し待ってね。

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2017年1月11日 (水)

№3305 那須で初詣

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 昨晩は物凄い風が吹いていて、家の周りの木々が大きく揺れていた。だが、今朝は一転して雲一つない青空が広がっていた。さて、初詣をしようかな。家の周りには雪は降っていないが、茶臼岳は真っ白に染まっていた。

Img_1964  初詣の先は、那須湯本にある『那須温泉神社』だ。【あるるの家】は標高500mだが、那須湯本は700mある。この200mの違いが大きい。5㎝ほど雪が積もっていて、参道の周りは真っ白だった。

 この神社は1300年ほどの歴史があるとかで、過去にもいろいろな人が参拝しているそうだ。有名な那須与一が源平合戦の前に訪れたし、源頼朝が那須で狩りをしたときに訪れたという。江戸時代には、松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中に立ち寄ったという。

 近くでは、昭和天皇が那須においでの際、何度か立ち寄ったとのことだ。

Img_1965Img_1970  参道の脇には二本の古木があった。左の写真はミズナラの御神木で、「生きる」と呼ばれている周囲4mの木だ。右の木は本殿のすぐわきに植えられてる五葉松で、いずれも樹齢800年と推定されているらしい。

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 さて、本殿に参拝した。すでに正月も10日になるが、結構参拝客が多かった。

Img_1973  初詣のついでに、この神社のすぐ下にある温泉『鹿の湯』に入湯してきた。那須で一番有名なこの温泉は、平日の午前にもかかわらず、入湯客で混んでいた。

 この温泉には6個の浴槽があり、私が入ったのは42度、43度、44度の3つの浴槽だ。上がった時には、体はふやけて真っ赤になっていた。

 

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2017年1月10日 (火)

№3304 沢庵は漬かっているかな?

 今回の那須訪問の一番の目的は、沢庵の様子を見ることだ。12月の下旬、まっきぃと漬けていった沢庵だが、北側に置いたまま、覆いをかけるのを忘れてしまった。雨が降ると、樽に雨水が入りっぱなしになってしまう。

Img_1955  昨年の暮、向かいのOhnoのお父さんに電話をして、樽に覆いを頼んでおいた。那須に着いて樽を見たら、丁寧にも二重に覆いがかけられてあった。お父さんにお礼をしようと思ったが、那須に来ていないようだ。本当に近くに知り合いがいると、心強く助かる。

 さて、沢庵はどうなっているだろうか。12月20日に漬けたので、もう20日になる。大体一ヶ月から一ヶ月半ほど漬けたいと思っている。

Img_1957  樽を玄関に移動して、開けてみた。沢庵の成否は、水が揚がっているかどうかにかかっている。開けてみたら、適度に湿っていた。どうやら、うまくいっているようだ。試食をしてみよう。糠をより分けて2本ほど上げた。今回、塩を少し強く入れたので、しょっぱくなっていないかどうか心配していた。

 写真を見ると表面が白く映っている。カビのように見えなくもないが、これはカビではない。

Img_1959  その沢庵を切ってみた。味見をしたが、そんなにしょっぱくはない。むしろ甘いくらいで、良い味がしていた。ただ、漬かり具合が少し甘いようで、食べるにはまだちょっと早いような気がする。1月下旬ころにちょうどよさそうだ。

 しばらく那須でこのまま漬けて、1月下旬に埼玉に持ち帰ろう。

 あまり沢山漬けたわけではないが、味見をしようという勇気のある方はお申し出ください。申し出のある方を優先します。

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2017年1月 9日 (月)

№3303 今年初めての那須訪問

 しばらくスケジュールは空白だ。そうだ、那須に行ってこよう。寒いのは覚悟の上だ。「那須に行ってくる」というと、女房はホッとしていた。というのも、飲料水が残りペットボトル3本しか残っていないのだそうだ。何度も言っているが、自宅の飲料水は那須の水道だ。

  車に積んだのは、ペットボトルの空箱5箱だ。冬になってストーブに薬缶を乗せているせいか、水の消費量は多くなっている。まあ、水はタダなので、いくら使っても構わないのだが…。

 那須に行くとなると、玄関にたくさんの荷物が積まれる。空箱のほかに、自宅で出るゴミだ。お正月で結構たまっているようだ。ビニールのごみ袋のほかに、箱に詰まったゴミが二個、空き缶に空き瓶、粗大ごみなどで車いっぱいになった。さらに、本をたくさん持って行くことにした。ゆっくり本を読んできたい。温泉も楽しみだ。

 いつものように、国道新四号線を通って那須に向かった。この国道は片側3車線の広々とした道路で、ほとんど渋滞することはない。勢い、結構スピードを出して走っている車がある。パトカーや白バイをほとんど見かけることはないが、この日は覆面パトカーに捕まっている車があった。

 この道を使って那須を往復しているが、私は10年目に入る那須往還で、一度も警察の厄介になっていない。安全運転でスピードを出していない、というわけではないのだが。一般道で100㎞のスピードを出していても、道路が広いせいかそんなにスピード感を感じない。

 自宅を出て、ぴったり3時間で那須に来るのはいつもの通りだ。この時間もほとんど変わりがない。

 那須は寒いかと覚悟したが、意外と暖かかった。女房からメールが来ていて、「こちらはストーブが欠かせないほど寒い」との嘆きだ。

 さて、今回は3泊4日の予定だ。

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2017年1月 8日 (日)

№3302 2016年の読書を振り返る

 この日の記事も、年初めの定期記事であるが、昨年一年の読書生活を振り返ってみたい。私には、退職後に大事にしていることがいくつかあるが、読書生活もその主要部分だ。ただ、残念ながら、年を取るとともに、読んだそばから忘れていく。そのことを笑う友もあったが、それでいいじゃないかと開き直っている。

 昨年11月で定年10周年を迎えた。一体、この10年間に何冊の本を読んだのか、興味を持って調べてみた。私は記録魔のようで、こまごまとした記録が残っているのだが、この【読書記録】も重要なものの一つである。表にしていたので添付したい。

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 この10年間で1,515冊、587,997頁の本を読んだ。それがどうしたと笑われるかもしれないが、私にとっては一種の勲章である。 この表を見て思うのだが、この4~5年、年間160冊前後、64,000頁の読んでいるが、これが私の限界かなと思う。別に計算しているわけではないが、一年を締めてみると同じような結果になっているのは面白いね。

 昨年読んだ161冊をプリントアウトして眺めている。一見してわかるのだが、読んだ本のなかでは圧倒的に歴史小説が多い。歴史小説家で見ると、火坂雅志、安部龍太郎、伊東潤、宮城谷昌光、司馬遼太郎、見延典子などが目に付いた。

 さらに面白いのは、昨年は中国古代の歴史小説を多く読んでいる。例を挙げると、宮城谷昌光『劉邦(上)(中)(下)』、童門冬二『小説項羽と劉邦』、塚本靑史『始皇帝』、司馬遼太郎『項羽と劉邦(上)(下)』などが挙げられる。中国古代は、英雄と豪傑が多く輩出した。読んでいて、胸がわくわくする。

 ただ、残念ながら主要な歴史小説はほぼ読み終えて、さらに新しい作家を探すのは困難になっているのが実情だ。もっと多様なジャンルにまで手を伸ばし、開拓しなければならないと常々感じている。

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 さて、昨年読んで一番印象に残った本を二冊挙げるとすると、見延典子『頼山陽(上)(下)』、熊谷敬太郎『悲しみのマリア(上)(下)』になるだろうか。いずれも、その月の感想文を書いている。書名をクリックするとそのページにリンクしている。ご覧いただきたい。

 毎日が読書頁に追われて送っているが、今年はどんな本に出合えるだろうか。

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2017年1月 7日 (土)

№3301 下谷七福神巡り

 彩の国いきがい大学校友会のお正月恒例行事になって6回目、今年も七福神巡りをしてきた。過去には谷中・隅田川・向島・柴又・浦和といろいろな七福神巡りをしたが、今年の会場は下谷であった。お正月早々の行事にも関わらず、33名の参加者だった。

Img_1928  出発点の三ノ輪駅には、王子駅から都電を使った。私は、王子から都電で荒川方面に乗ったのは初めてのことだ。都電はのろのろ走ったので景色がよく見えたが、沿線は下町の風情満点だった。わずかな距離だったのだろうが、都電に28分ほど乗って、終点の三ノ輪橋に着いた。

 この駅で下車し、いよいよ七福神巡りに出発だ。最初は、寿永寺の『布袋尊』だ。わがグループ以外にも、多くの七福神巡りの団体が見受けられた。

Img_1931  まあ、7か所のお寺さんを回るのだからと、ケチなようだがそれぞれに10円の賽銭をあげてきた。それでも回り終えてみると、小銭入れにはお金が無くなっていた。

 この日は前日と打って変わったポカポカ陽気で、参加者は散歩気分でぶらぶら歩いていた。結果として、ずいぶん長蛇の列になった。最後の方になると、迷子まで出る始末だった。ま、それでも狭い範囲だったので支障はなかったのだが…。

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Img_1934Img_1942Img_1945  それぞれの七福神をカメラに収めたが、主要な部分だけを添付してみたい。

 約1時間半ほどの七福神巡りだったが、約10000歩といい運動になった。

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 その後、わがクラスのみで銀座で新年会を行った。この参加者は16名だった。

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2017年1月 6日 (金)

№3300 12月に読んだ本

 毎月初めには、前月読んだ本の報告をしている。ある方によると、「シンさんのブログを楽しみにしているが、読書と俳句の記事はパスだよ」と言っていた。また、別の方は「シンさんの読書記事が、自分の読書の指針になっている」と話していた。多様な読者がいるのが、このブログの強みだ。ある方には迷惑かもしれないが、この記事を励みに私は毎日本を読んでいるので、ご容赦願いたい。

 さて、12月はどうだったのだろうか。あまり読書が進まずに、12月もどん詰まりになって、ようやく目標が達成できた。最低、月に5,000頁は読もうという目標だ。結果、13冊・5,170頁を読了した。2016年の読書総括は、また別の記事に委ねたい。さて、12月は何を読んだのか。

中路啓太『もののふ莫迦』中央公論新社 2014年10月刊

東野圭吾『ラプラスの魔女』角川書店 2015年5月刊

水上勉『虚竹の笛』集英社 2001年10月刊

津本陽『虹を見ていた 小説渋沢栄一(下)』NHK出版2004年6月刊

司馬遼太郎『項羽と劉邦(上)(下)』新潮社 1981年6月刊

坂東眞砂子『真昼の心中』集英社 2015年7月刊

道浦母都子『光りの河』潮出版社 2014年10月刊

中路啓太『ロンドン狂瀾』光文社 2016年1月刊

恩田陸『消滅』中央公論新社 2015年9月刊

楡周平『和僑』祥伝社 2015年10月刊

伊東潤『吹けよ風飛べよ風』祥伝社 2016年3月刊

小沢信男『俳句世がたり』岩波新書 2016年12月刊

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 ある友達を介して、歌人道浦母都子さんと酒席をともにしたことがある。なんて破天荒な女性なのだろう、という印象だった。それが、この本を読んで彼女の素顔に触れた思いがした。彼女は、私とほぼ同時代の人だ。読んでわかったのだが、共有体験もたくさんある。

 私がお会いした時には、彼女の代表作『歌集無援の抒情』が発売されて間もなくだった。彼女は、早稲田で学生運動で活躍していた。その話は伺ったのだが、彼女の生い立ちとその生活を知ったのはこの本を介してだ。

 結婚して広島に棲んでいたようだが、やがて離婚した。結婚当時は知らなかったようだが、広島には大学時代に付き合っていた佐伯が棲んでいた。ひょんなことで知り合い、お酒を飲む仲になった。その当時、彼女は大阪に棲んでいたようだ。佐伯は被爆二世で、癌に病んでいた。

 彼女も取材でチェルノブイリを訪問し、その後、体が不調のようだった。それでも、広島や原発被害の福島を訪ね、追体験をする。そして、訪ねたのがインド・ヴァラナシィだ。私もこの街には深い思い出がある。わがこととして、この本を読んだ。

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 本書は、日本がバカな戦争に突き進まざるを得なかった遠因がわかる好著であった。私は好んで日本近代、大正から昭和の戦争突入期までを読んでいるが、いまひとつなぜ戦争をしなければならなかったのかがわからなかった。それがこの本を読んでよく分かった。

 この本は、1930年(昭和5年)イギリスのロンドンで行われた海軍軍縮会議が主題だ。その前に行われて合意をみたワシントン軍縮会議に、軍部は大いに不満を抱いていた。その内容は、英米に対して日本の艦船6割というものだった。軍部としては、ロンドン軍縮会議では、どうしても7割の実績を確保したかった。ただ、日本の財政は火の車である。

 当時の浜口雄幸首相は、どうしてもこの軍縮会議の合意が欲しかった。ただ、軍部は統帥権の干犯を主張し、譲らなかった。英米と海軍の狭間に立った外交官雑賀潤の悩みは深かった。交渉で、英米の68.5%までの妥協が成り立ったが、軍部はこれでは戦えないと峻拒した。日本国内では、浜口首相が右翼に狙撃される事件が起こった。

 ここまで来たら7割でもいいように思われるが、アメリカでは日本への弱腰外交に非難囂々だった。アメリカにも妥協の余地はなかったのだ。

 私は、東条を筆頭にした陸軍が第二次大戦の引き金を引いたと思っていたが、海軍も足を引っ張ていたことがよく分かった。今から思えば、大和とか武蔵の大鑑時代はとうに過ぎ、飛行機で戦う時代だったのだ。この当時の空気を読むと、戦わざるを得なくして、無謀な戦争に突入したということか。本書を読んで、よくわかった。

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 歴史小説を読んでいると、ホッとする。この小説の舞台は、川中島の戦いである。世にいう武田信玄と上杉謙信の戦いのみがクローズアップされているが、この本を読んでそうではなかったのがよく分かった。

 主人公は、北信濃の国人須田満親である。川中島の近くに住む須田家は、平和な時代を送っていた。満親と親友甚八郎は無二の親友で、合戦見物に出かける仲だった。須田氏は村上義清を盟主と仰ぎ、北信濃を狙う武田信玄と争っていた。しかし、義清方は次第に劣勢になっていく。

 北信濃の国人も武田方の調略でバラバラにされていった。調略を仕掛けるのは、武田方の真田幸綱である。このままでは北信濃は武田方に落ちる危機を抱き、越後春日山城の長尾景虎(のちの謙信)に救いを求めた。交渉に立ったのが須田満親である。満親を信頼した謙信は、北信濃の救援に軍を出す。そしてはじめられたのが、川中島の合戦だ。

 川中島では5度の決戦が行われたが、決着が付かなかった。戦いに倦んだ越後勢に対し、結局は北信濃が武田に飲み込まれていくのだが、この戦いのなかでの人の動きも面白いものだった。満親と甚八郎は敵味方として戦うことになったが、戦場では決着がつかなかった。

 川中島を主題にした小説は、初めてだった。

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2017年1月 5日 (木)

№3299 昨年のわがブログを解析する

 私のブログは、今年の1月22日をもって丸9年になる。ここまで続けてこられたのは、読者の皆さんのご支援の賜物と感謝している。

 いつでもそうなのだが、私は絶えずブログの推移を注視している。さて、2016年のブログはどうだったのか。

2016  昨年の1月1日から12月31日のアクセス解析表である。

 昨年の総アクセス数は、41423PV(プレビュー)であった。一日当たりに換算すると113.5PVである。訪問者数は、トータルで26706人であった。これが多いか少ないかはわからないが、前年の2015年が42312PV、訪問者数が27005人であったから、ほぼ横ばいということか。私は、変わらずに訪問してくれる定期読者が多いと、この結果に満足している。

 昨年PVが一番多かった日が、10月20日で235PVあった。訪問者が83人といつもと同じなので、ある人がいろいろなページを渉猟してくれたということだろう。次は8月22日の214PV、第3位が9月16日の206PVと続く。

 それでは少なかった日はどうか。2月4日の68PV・訪問者52人、12月10日の67PV・訪問者56人であった。さすが、訪問者ゼロという日がないのはうれしい限りである。この積み重ねが、現在の52500弱のPV数を生んでいる。長く続けていると、このように仲間と繋がっているんだな、と実感する。

Photo  訪問してくれた人を県別にみると、①埼玉県②秋田県③東京都④神奈川県といったところか。ただ、上記地図を見ると、秋田県が赤い。なぜかというと、各都道府県のインターネットの利用人口に対し、当該サイトにアクセスしたユーザーの割合を算出し、平均値に対して高いか低いかを色で表しているからだそうだ。

 ほとんど全国各地からのアクセスがあるが、ゼロの県もある。山梨・高知・宮崎・沖縄の4県である。ほとんど知り合いのない地域では、アクセスもないということだろうか。

 最後に、私のブログは何を介して見ているのだろうか。想像はつくが、パソコンが圧倒的に多く65%であった。他にはiOS(何だろうか)とAndroidが各14%、ケータイからが5%であった。写真の多いわがブログは、やはりパソコンで見るのがいいと思う。

 さて、このブログはいつまで続くのだろうか。私の心づもりでは、来年の1月22日の10周年が一つの目安だ。それもこれも、皆さんの応援あってのことだ。だんだんブログネタも少なくなってきている。マンネリ記事が続くこともあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

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2017年1月 4日 (水)

№3298 親族で新年会

 川崎の姉が秋田から引っ越してきてからの恒例行事、親族集まっての新年会が川崎の姉の家であった。姉には3人の子どもがいるが、その子どもたち、甥や姪も集まった。わが夫婦と横浜の姉夫婦もやってきた。数えてみたら全部で12名の、大新年会となった。

 わが家から川崎の姉の家に行く途中に、弟の墓がある。新年の挨拶に、お花とお線香を持ってその弟の墓に詣でた。亡くなってもう8年になる。亡くなった人の過ぎるのは早いね。私より3歳年下の弟も、生きていたらさぞかし楽しかったろうに…。

 そこから姉の家までは、ほぼ30分ほどだ。すでに横浜の姉夫婦は到着していて、義兄のFumioさんは、何やら大工仕事をしていた。トイレと洗面所の修繕仕事のようだ。彼の大工仕事は大いに助かる。ちょっとした不具合も、彼にかかるとあっという間に直してくれる。

 台所では、女性たちがお正月料理作りに余念がない。私は朝お汁粉を食べただけだったので、お腹が空いた。けど、その料理がなかなか出てこない。皆さん口々に「お腹が空いたよ」と叫んでいた。

 ようやくテーブルに料理が並んだのは、午後1時を過ぎてからだ。「それでは、皆さんあけましておめでとうございます」との惣領の挨拶で、ようやく食事にありつけた。私は車で駆け付けたので、もちろんアルコールはご法度だ。アルコールのないお正月なんて、味気ないことこの上ない。

 それにしても、甥や姪は大きくなった。この日は参加しなかったが、横浜の姉夫婦には、昨年ひ孫が誕生した。この日参加した姪も結婚はまだだが、もうすでに同棲している人がいるのだそうだ。「ひ孫を期待」というと、「とんでもない」と断っていた。

 川崎の姉の二番目の息子の姪や甥も参加していた。男の子は、すでに180㎝を超えているのだという。長女も24歳と、すでに成人している。あんなに可愛かった甥や姪も、あっという間に大人になっていくと実感した。

 例年はテーブルに並ぶハタハタは、今年は残念ながらなかった。昨年末の秋田のハタハタ漁はどうだったのだろうか。代わりに、郷土料理のカスベが並んでいた。懐かしくてパクパク食べたのだが、若い子たちは敬遠気味だった。

 大賑わいだった新年会も、午後3時過ぎには次々と帰っていった。帰りには、それぞれの叔父や叔母からお年玉が渡された。彼らは、これが目的だったようで、ニンマリしていた。

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2017年1月 3日 (火)

№3297 鷲宮神社へ初詣

Img_1907  鷲宮神社に初詣に出かけた。この4~5年の習慣である。以前は大宮の氷川神社に行っていたが、最近は宗旨替えをして鷲宮神社に出かけるようになった。自宅から車で20km未満である。ところが、この日は道路が渋滞していた。こういう時には裏道を通るに限る。

 高速道路沿いに鷲宮を目指したら、あっという間に着いた。この神社はいつも混んでいる。長蛇の列だが、女房に並んでもらい、私は遠くの駐車場に来る目を停めてきた。

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Img_1911  それでも、社殿まで一時間も並んだ。この神社の有り難いのは、5人くらいが一列に並び、それぞれが社殿に拝礼できることである。お正月くらいは、少々渋滞していても、神聖な気持ちで社殿に額づきたいものである。

 拝礼の後、神社の脇に座っている福娘から『冨久福銭』とこの神社のステッカーをいただいてくる。ところで、拝礼に訪れた人はいくらの賽銭をあげるのだろうか。興味を持って眺めてみた。皆さんが財布から出しているのは15円だった。一体、どういう意味があるのだろうか。

 女房は私に25円を渡し、「二重にご縁がありますように」と祈るのだという。私は財布から100円玉を出したが、それを仕舞った。

Img_1913  初詣恒例の【おみくじ】を引いた。昨年は大吉だったが、今年は中吉だった。「中吉ぐらいがちょうどいいのよ」と女房は言っていた。

 お正月の恒例行事、初詣も無事に終え、帰ってきた。

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2017年1月 2日 (月)

№3296 年末年始はスポーツ観戦

 最近の年末年始は、寝正月兼スポーツ観戦に終始している。

  恒例になっているが、大晦日は高校サッカーの応援に出かけている。わが母校が全国大会に出場するからである。ただ、問題は全国大会に出場する母校も、出ると負けでこの11年間県勢は初戦が突破できていない。今年は有力校の滝川二高で、さてどうなるのだろうか。

 会場は、柏の葉サッカー場だった。柏駅からバスで20分ほどかかった。私は初めてだったが、サッカー場の目の前には東大があった。会場には、すでに先発隊の何人かが到着していた。いつもの常連メンバーである。大先輩のOhkawaさんも杖を突きながら駆けつけていた。

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Img_1901  わが母校は、全国大会を二度制覇している古豪だ。ただ、全国のレベルが上がったせいか、なかなか勝てない。今年の対戦校滝川二は、いまイギリスで活躍している岡崎慎司の母校だそうだ。

 下馬評通りというか、試合の展開を見ていると、レベルの違いを感じた。試合は、ほとんどが滝川二高の主導権で進んでいった。案の定、味方のゴール前の接戦で、先取点を奪われてしまった。1~2点を争うサッカーでは、先取点を奪うと圧倒的に有利だ。残念ながら、今年も初戦の突破はかなわなかった。

Img_1906  これも恒例だが、試合終了後大忘年会が柏駅前で開かれた。昨年の4月に就任した校長も参加した。「秋田県応援団」の何人かも参加し、大賑わいだった。

 年が明けて、さらに天皇杯サッカーの観戦だ。鹿島アントラーズと川崎フロンターレの決勝戦だ。前にも話したが、私はアントラーズファンだ。ただ、アントラーズは12月に7戦戦う過密日程だった。チーム全体も体調を崩す選手がいて、万全というわけにはいかない。

 どんなにチーム状態が悪くても、何とか戦いきるのがアントラーズだ。ベテラン選手ゴールキーパーの曾ヶ端、ミッドフィルダーの小笠原を中心に鉄壁の守りだ。相手の一瞬のスキをついてゴールを奪うというのがアントラーズの戦い方だ。

 この決勝戦も、圧倒的にフロンターレの攻勢に終始していた。あわやゴールを奪われそうになっても、このゴールマウスを守る曾ヶ端がいる。安心してみていられた。最終的にアントラーズが勝ったが、本当に接戦だった。

 お正月は、他に群馬県で開かれていた「実業団駅伝」を観戦した。これも、予想外に旭化成が18年ぶりに勝利した。まっきぃからメールがあり、「旭化成のアンカーは秋田県出身の人だったね。私の女房も宮崎の延岡出身なので、応援していたよ」とのことだ。

 お正月の二日、三日は箱根駅伝だ。わが母校が、87年ぶりに参加できなかったのは残念だ。それでも、テレビ観戦をしていた。

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2017年1月 1日 (日)

№3295 謹賀新年

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