« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »

2017年3月

2017年3月31日 (金)

№3387 定例のゴルフ会

 毎月同じ4人で行われている「定例ゴルフ会」が、今月もオリンピックカントリークラブレイクつぶらだコースで行われた。4人とも定年で仕事をやっていないが、微妙に忙しい。日程調整が大変で、結局月末になった。

Img_2732 面白いもので、毎月同じメンバーでやっているとスコアも同じようになってくる。ただ、長足の進歩を遂げて肩を並べた人もいる。Masazoさんだ。少々遅れているかなと思っていたが、このところ絶好調だ。

 ガタイがでかいせいか、クラブに当たれば飛ぶ。この日の午前中は、ドライバーにほとんどミスがなかった。その飛距離たるや、ほれぼれするほどだった。

 さらに目を見張ったのがパターだ。長い距離をポンポン入れてくる。ドライバーにパターが良ければ、手を付けられないね。ところがゴルフは難しい。午前中にあんなによかったドライバーだが、午後のスタートホールでOBだ。結局いつものスコアに逆戻りだった。

Img_2730 不思議な人がMasaoちゃんだ。彼は手を痛めていて、クラブを振るごとに「イタタ」と悲鳴を上げている。その上に、ぎっくり腰をやったとかで、腰もかばっていながら、なおプレーをしていた。

 当然ドライバーの飛距離は150ヤード程度だ。それでも上がってみるといいスコアだ。何よりほれぼれするのが寄せとパットだ。彼を見ていると、寄せとパットが良ければスコアになるんだとつくづく思う。

Img_2731 わがライバルまっきぃはどうだったのだろうか。彼は非力で、以前はぜったい私より飛ぶということがなかった。それが、最近ではほとんどオーバードライブされる。彼のスイングをみると、私にはオーバースイングと思われるくらいに振っている。私などあれだけ振ると、必ずミスがでる。それがきちんと当たっているのだから、日ごろの鍛錬の賜物だろう。

 今のところ、この4人の中でわずかに頭一つ抜け出ているといったところか。ただ、時々とんでもないミスをしでかし、「アーッ」と絶叫をあげる。ただこの日もほぼボギーペースで回っていたから、立派というしかない。

 私も、このところドライバーは良い。飛ばない飛ばないと嘆いているが、この日に飛距離をみると4人とドッコイドッコイだ。まあ、4人とも飛ばないのかな。

 根本的な問題は、やはりパットだ。Masazoさんがロングパットをポンポン入れているのに対し、私はひどいパットの繰り返しだ。「シンさん、きちんと芯で捕らえていないのが問題だよ」と指摘されるのだが、まあ、心の問題だね。おかげで、この日はオリンピックゲームで大敗してしまった。

 さて、今後の予定を話し合おう。今年は金沢遠征を中止にし、4月と5月の日程を決めて別れた。

この日の成績

OUT53(20) IN49(20) TOTAL102(40)

| | コメント (0)

2017年3月30日 (木)

№3386 スミレの宝庫高尾山へ

 本来4月に開始する東京シニア自然大学NEXTの自主講座だが、4月を待っていられずに、3月に第一弾の講座開講があった。前にもお知らせしたが、今回は8人の仲間が増え、計42名の大集団となった。

Img_2689 そのうち、この日集まったのは22名である。この日の課題は、高尾山でスミレを観察しようという趣旨だ。高尾山は日本有数のスミレが多いことで有名で、日本にある約80種のうち約30種類のスミレ観察ができるという。さて、今日は何種類のスミレ観察ができるだろうか。

 高尾山は599mと低いようだが、決してバカにできない。登るとなると、急坂で2時間もかかる。幸い、今回はケーブルカーで登るとのことで、ホッとした。

Img_2690 今回の世話人の中で植物学者ともいうべきヤマちゃんがいる。このブログにも何度か登場しているが、彼は奥日光のガイドをやっていて、植物のことにはめっぽう強い。よくぞこれだけ知っているかと思うくらい、何でも知っている。植物だけでなく、小鳥や昆虫にも詳しい。彼が加わってくれると、百人力だ。

Img_2705 朝礼の後、早速出発だ。まずは高尾山の頂上を目指し、下山を3号路を使って降りるという。平日にもかかわらず、高尾山の頂上は人でいっぱいだった。子どもたちもたくさん登っていて、春休みを使って家族ハイキングなのだろう。

 わが一行も、頂上で弁当を広げた。前回もそうだったが、残念ながら富士山は春霞に隠れて見えなかった。昼食がすみ、さてスミレ観賞会に旅立とう。

Img_2720
 一見すると、スミレは同じように見えてしまう。だが、花の色、葉の形で微妙に違う。一番ポピュラーでどこでも観察できるのが、タチツボスミレである。それ以外でも、たくさんのスミレを観察した。名前がわからないと、ヤマちゃんに助けを求める。

Img_2695_2Img_2696Img_2698Img_2710_2Img_2714_2Img_2726


 結局名前が同定できたのが、タチツボスミレ以外にオトメスミレ、アオイスミレ、ナガバノスミレサイシン、シロバナナガバノスミレサイシン、ヒナスミレ、フイリヒナスミレなど10種類だった(それぞれの写真をクリックすると、画像が大きくなる)。

Img_2692_2Img_2704


 高尾山の春は、もちろんスミレだけではない。たくさんの植物の観察にも格好の場所だ。ヤマちゃんが最初に教えてくれたのが、ミヤマシキミだ。そういえば、ヤマルリソウもあったね。地味な花をつけていたのは、タマノカンアオイだ。

 この東京シニア自然大学でもう6年目になると、結構専門家も出てくる。滅法植物に詳しいのが、ノンノだ。ヤマちゃんがわからないで困っていると、助け舟を出していた。鳥の鳴き声に詳しいのが、級長だ。

Img_2708
 今回ノンノが別刷りを用意してくれたのが、早春の黄花三兄弟のプリントだ。三兄弟とは、アブラチャン、ダンコウバイ、クロモジをいうのだそうだ。今回高尾山で観察できたのは、上の写真のアブラチャンとダンコウバイだった。

 自然にほとんど興味がなかった私も、この仲間と植物を観察して歩くたびに知識が深まっていってうれしい。ただ、悲しいかなすぐに忘れてしまう。ヤマちゃんが、「何度も観察するごとにだんだん覚えていくよ」というのだが…。

 

| | コメント (0)

2017年3月29日 (水)

№3385 第28回いきがいゴルフコンペ

 3月末になってから、バタバタとゴルフの予定が入ってきている。この日は、彩の国いきがい大学のゴルフ同好会の仲間のコンペがあった。会場は、渡良瀬川沿いの板倉ゴルフ場である。

 私は、この上流のある渡良瀬カントリークラブでは何度かプレーしたことがあるが、このゴルフ場は初めてであった。さて、どういうゴルフ場だろうか。まずは料金だが、70歳以上は通常より1000円も安いという。

Img_2670
 この日参加したのは11人だったが、そのうち9人が70歳以上だ。そのうち女性は4人だが、3人は夫婦同伴だ。このコンペも、すっかりファミリーコンペとして定着したようだ。もちろん、わが女房も大威張りで参加している。自宅から車で1時間というのもいいね。

 昨日は雨で寒かったが、この日はぐんぐん気温が上昇してきて、むしろ暑いくらいだった。仲間の一人は、昨日もコンペの予定だったというが、雨で中止にしたらしい。こういう日を称して、われわれの仲間は「普段の行いが良いせい」という。

 このゴルフ同好会を結成して、もう8年ほどになるだろうか。よく続いたものだ。わがまま同好会なので、雨が降ったり風が吹いたりすると、すぐに中止を決定してしまう。年4回のはずのコンペだが、ずいぶん中止になった。このコンペも、本来は昨年の11月に行うはずだったが、ここまで延びた。

Img_2679 まあ、こういうわがままコンペだから続いているのだろうね。最近は、この日参加した11人ですっかり固定してしまった。面白いのだが、ハンディキャップも男女差がなく、同じようなものだ。それでも女房には負けたくないね。

 いつも同じようなことを言って申し訳ないが、それにしても私は飛ばなくなったね。この日のロングホールで570ヤードというのがあったが、会心の当たり5発でも届かないのはひどいじゃないの。

 まあ、それでも河川敷のコースではあるが、まっ平らで十分距離があり面白かったね。ただ、昨日の雨で水が溜まっていたのは仕方がないことだった。結果は、女房が第2位とのことだ。私と一打差で、私は辛勝するにはしたが…。

 3月は、このあともう一回ゴルフの予定がある。

この日の成績

OUT50(15) IN51(17) TOTAL101(32)

| | コメント (0)

2017年3月28日 (火)

№3384 那須スキー場の大惨事

Img_2665
Img_2666 昨晩から雨の音が響いていたが、朝起きてみたら一面が銀世界だ。雨が未明から雪に変わったようだ。車も真っ白になっていた。

 先日車検を取った折、タイヤをノーマルに変えている。果たしてこの雪で自宅まで帰れるだろうか、心配だ。幸い、薄っすらとした雪で、積雪とまではいかなかった。これならゆっくり走ると大丈夫だろう。

Img_2669 窓の外は、木の小枝に雪が乗っていて、幻想的な風景だ。これをみながら朝食を食べていたのだが、やけに警察のサイレンの音が喧しい。何か事故でも起こったのだろうか。テレビを点けてニュースを見た。

 茶臼岳の麓にあるファミリースキー場で雪崩が発生したとのことだ。山岳部の訓練をしていたこの付近の高校生が、雪崩に巻き込まれたようだ。8人ほどが死亡したという。思わぬ大惨事だった。

 私も何度かこのファミリースキー場に行ったことがある。斜面が緩やかで、雪崩など起きそうもないところだが、昨晩からの積雪で表層雪崩が起きたらしい。痛ましいことである。

 ニュースをみると、このスキー場では33㎝の積雪があったらしい。私がいる繭の里は標高500mでほとんど積もらなかったが、このスキー場の近辺は約1500mある。1000m標高が違うと、積雪量はこれだけ違うのだ。

| | コメント (0)

2017年3月27日 (月)

№3383 今年初の畑仕事

Img_2656 さて、今回の那須訪問の目的、畑仕事をしよう。昨日買ってきた肥料を持って畑に行った。昨年積み残しの雑草が蔓延っている。なんといっても、畑仕事の基本は草取りだ。

 今年最初の仕事も、やはり草取りだ。これが意外と多く、結局バケツ10杯も草を抜いた。いつもそうだが、この草取りが一番しんどい。小雨気味だったが、すでに汗をかいた。

Img_2657 さて、畑がきれいになった。肥料を撒く前に、ジャガイモを植えるところに米糠を撒いた。昨年沢庵を漬けるときに使った糠の残りである。これが意外と多い。

 米糠は、お店で売っているのを見ると結構高いね。これは無料でいただいた糠だ。糠は、地味を肥えさせるのではないのかな。

Img_2658 さて、次は肥料を撒こう。最初は苦土石灰だ。この石灰は、土壌を中和してくれる。ただ畑が狭いので、どうしても昨年ジャガイモを植えた場所に、再度植える必要がある。連作障害の心配はあるが、やむを得ない。

 さらにジャガイモの肥料、油かすを薄く広く撒いた。これを鋤き込む必要がある。この仕事が、今回の目的だ。

Img_2660
Img_2664 畑に鍬を入れた。今年は暖かかったせいか、土が固いということはない。サクサクと土を起こすことができた。肥料を土に鋤き込んでいった。この肥料は、一週間ほど土になじませる必要がありそうだ。

 ジャガイモを植えるのは一週間後だ。もう一度、来週那須に来よう。ジャガイモを合わせて6kg買ったので、6本の畝を作って植えたい。今回も畝を起こしたかったのだが、疲れたのでやめた。

| | コメント (0)

2017年3月26日 (日)

№3382 春耕で那須に

 毎年4月上旬にジャガイモを植えている。今年もその時期になった。ジャガイモを植える前に、肥料を撒き畑を耕す必要がある。肥料は、植える一週間前というから、もうぎりぎりの時期だ。那須に行ってこよう。

Img_2646 途中、農家のデパート【かくやす】に立ち寄り、肥料とジャガイモの種を買ってきた。肥料は、石灰とジャガイモ用の肥料と油かすだ。そうだ、落葉を堆肥にするための肥料も買おう。お店の人に聞いたら、「コーランネオ」という肥料がいいという。それも買っておこう。

Img_2647 ジャガイモはいつも買う男爵薯を3kg、メークインとキタアカリをそれぞれ1kg買った。いつもと違う種薯はないだろうか。やはり店の方が、最近評判がいいと勧めてくれたのが「とうや」という種類だ。それも1kg買ってみよう。合わせて6kgの種薯を買った。

Img_2651

Img_2649 さて、那須に到着してびっくりしたのだが、崩れていた脇の小川に土手がきれいに石積されていた。向かいのOhnoさんがやってくれたのだろう。それにしても、職人技できれいに積まれていた。小川の流れも、2倍ほどに広がっていた。

 早速、Ohnoのお父さんに電話をしてお礼を言った。お父さんは、少々お酒を召しているようだった。何でも、知り合いの四十九日の集まりがあり、東京にいるのだそうだ。

Img_2652 前回来た時に、小川の枯葉を引き上げてビニール袋3袋に入れておいた。昨年の暮に沢庵を漬けた残りの米糠が残っている。米糠に買ってきたコーランネオ、さらに鶏糞をブレンドした。

 ブレンドした肥料を枯葉に混ぜて、テープで蓋をした。3ヶ月ほどで堆肥になるというが、果たしてどうなるのだろうか。楽しみだ。

Img_2655

| | コメント (0)

2017年3月25日 (土)

№3381 眠い目を擦ってサッカー観戦

 前日の記事の続きになるが、ゴルフに行くために朝早く起きた。夜8時半ころに自宅に帰って来たのだが、この深夜にW杯アジア最終予選のサッカーがUAEの敵地で開催され、テレビ放映されるという。

 この観戦は見逃せないと、眠い目を擦りながら深夜12時半のキックオフを待った。この試合に先立って、同組のサウジアラビアは勝ち、オーストラリアは引き分けたという。UAE戦に負けたら、W杯出場は難しくなる。

 敵地のサッカー場は、白い民族衣装の観戦者で応援席はいっぱいだった。NHKのサッカー解説者山本昌邦はいいことを言っていた。「こういうアウェー戦で、敵の応援団に囲まれながらやる試合で勝つことによって、選手は本当に鍛えられ、強くなる。この応援団に負けるようじゃ、それだけのチームということだ」と。

 昨年の秋、日本で行われたUAE戦では日本が負け、応援団をがっかりさせた。敵地のアウェーで、しかも今まで日本はUAEに分の悪い対戦だった。しかも相手のUAEには名ドラブラー・アブドゥルラフマンという選手がいる。彼をつぶさない限り日本の勝利はない、と解説者は強調していた。

 日本チームには心配の種がある。キャプテンでもあるミッドフィルダーの長谷部がケガで欠場するという。彼の代わりに急きょ招集されたのが、大阪ガンバの今野であった。彼は34歳と、すでにベテランの域に達する。

 この日の試合は、この今野の頑張りが特に目を引いた。MFとして曲者アブゥドウルラフマンの攻めをよく防いだだけではなく、彼自身前線に攻め込んでいた。

Photo 先取点は久保の鮮やかなシュートだったが、追加点は今野の果敢な攻めから生まれたものだ。後半7分の今野の追加点で、日本の戦いはぐんと楽になった。結局、日本の堅い守備をUAEは崩すことが出来なかった。

 この試合は、日本の快勝といえるだろう。これで、ロシアへの道がグ~~ンと広がったのではないか。試合が終わったのは夜中の2時半だった。すぐに布団に入ったが、興奮でしばらく寝つけなかった。

| | コメント (2)

2017年3月24日 (金)

№3380 元の業界仲間とゴルフ

Img_2641
 昔の業界の仲間からゴルフに誘われ、参加してきた。会場は、高坂にある【武蔵松山カントリークラブ】だった。名門ゴルフ場で、プレーフィーは相当高い金額だろうと覚悟した。

 この日集まったのは2組8人である。懐かしい顔ぶれだった。なかでも、愛知から参加したShiraiさんとは10数年ぶりの再会ではないか。「シンさんのブログは名古屋でも愛読者がいて、絶えずチェックしているようだよ。今日のゴルフもきっとブログに載るのだろうが、私の顔は出さないでね」ときつく言われた。まあ、そういわれれば顔は撮らないよ。

 私が一緒に回ったのは、このゴルフ場の地主Maedaさんと件のShiraiさん、それにYさんだ。私は、このゴルフ場でプレーするのは初めてのことだ。相当難しい設定なのだろうと覚悟した。

Img_2642 この日は風もなく、暖かな春の陽気を思わせるほどだった。ゴルフ場には梅の花が咲き、桜もちらほら咲きだしていた。そういえば、今年初めてのウグイスの鳴き声も聞いた。

 ところが、フラットなコースで、しかもフェアウェーも広い。皆さんが難しいといっていたグリーンもさほどではなかった。ただ、飛距離が落ちたのは情けないもので、パーオンというわけにはいかない。ボギーオンかダブルボギーオンだ。そこからパーを取るというのは至難の業である。

 結局はボギーかダボで上がることになった。年はとりたくないと思ったが、一緒に回った地主のMaedaさんも齢を嘆いていた。彼はむかしはシングルプレーヤーだったそうだが、喜寿を迎え、今ではラウンドを楽しみだけで、スコアは望むべくもないのだそうだ。

 Shiraiさんとは、もう20~30年も前になるかしら、大阪にゴルフ遠征をしたことがあった。それ以来じゃないかしら。私は彼に非常に親近感を持っていて、営業で回ると必ず酒席をともにした。彼は酒を飲まないのに、よく付き合ってくれた。

 とっくに定年は過ぎたのだが、会社にお願いして毎日出社しているのだそうだ。「私は何の趣味もないので、会社をほっぽり出されたらやることがなくなってしまう」のだそうだ。今は顧問として会社に顔を出しているが、「もう、誰も声をかけてくれないし、話にも付き合ってくれない」と寂しそうだった。

 普段はそんなこともないようだが、この日は不調で、結局は私と同じようなスコアだった。「シンさんに付き合いすぎた」と嘆くまいことか。ただ、私は非常に楽しかった。

 この日のゴルフは、6月に行われるコンペの下見だそうだ。「シンさんも、このコンペに参加するでしょうね」と念を押された。まあ、しようがないね、参加するとしようか。

 ゴルフの帰りに、高坂駅前のやきとりやで打ち上げ会をやった。この店も、コンペの後の宴会場としての下見だった。2時間3000円という無理難題を出していたが、さすがそういうわけにはいかないようだ。

 この会は、業界の『十八会』といって、昭和18年生まれの人を中心に結成されている会だ。以前も私はこの会に誘われていたのだが、断り続けていた。この酒席で、再度、会長のKurokiさんに入会を誘われた。なんでも2ヶ月に一回の飲み会をやっている30人ほどの会だそうだ。今では18年生まれの会というより、仲良しの親睦会だと言っていた。

 ま、しようがない、加入しようか。久し振りに、業界の話も聞きたいし、元の業界人とも付き合いたい…。

この日の成績

OUT54(15) IN50(21) TOTAL104(36)

| | コメント (0)

2017年3月23日 (木)

№3379 桜前線上陸

 2~3日前のニュースで、東京の開花宣言があった。東京では、平年よりも5日早い開花とのことである。ただ、これから寒い日が続くので、満開になるのは4月1日頃とのことだ。

Photo
 毎年、桜前線や開花宣言のニュースに接すると、春が来たなと実感する。それとともに、花粉症から解放される時期でもあり、ヤレヤレとホッとする。

 さて、お花見の季節である。先日、川崎の姉から電話があり、「高遠の桜見物に行きたい」とのことだった。高遠のHPをクリックすると、満開は4月11~12日ころだそうだ。私は4月中旬は予定がいっぱい詰まっており、とてもその要望に応えることはできない。

 その代わりと提案したのだが、4月12日に高尾で東京シニア自然大学NEXTの観桜会がある。高尾にある【多摩森林科学園】には、たくさんの種類の桜が植えられている。それに一緒に行こう、と呼び掛けた。多分、24~5人が参加して、にぎやかな会になるだろう。

 わが家の周りにも、たくさんの桜並木がある。綾瀬川沿いの桜並木、見沼代用水沿いの桜並木、元荒川沿いの桜並木、さらに将軍桜で有名な慶福寺の枝垂れ桜などだ。

 みたらまだつぼみが膨らんでいる段階だったが、もう一週間もすると一斉に咲き始めるのではないか。

| | コメント (0)

2017年3月22日 (水)

№3378 WBC、日本惜敗

 世界ワールドベースボールクラッシック(WBC)の準決勝があり、残念ながら日本はアメリカに1対2で惜敗した。

 このWBCは、私が海外旅行中に第1次予選、第2次予選があり、日本は全勝で予選通過した。現地では絶えずYahooニュースをチェックしていて、日本が勝ち続けていたのは承知していた。

 そもそも、今回の日本代表チームは打てなかったね。練習試合ではソフトバンク、阪神に負け、台湾選抜にも負けていた。その時点で、日曜日の【サンデーモーニング】という番組で、張本勲は「このチームはダメ」と太鼓判を押していた。

 ダメといわれた割には、すんなり予選を通過したのは望外だった。アジアの強豪チーム、韓国と台湾は予選を通過できなかった。それだけに、アメリカまで行けたのを良しとすべきか。

 それにしても、予想外のチームが強くなっているのは驚いた。イスラエルなどは野球をやっていたのかね。さらに、オランダの強さは本物だったような気がする。

 私が日本に帰国してまず驚いたのは、日本中がWBCで盛り上がっていたことだ。今回こそ優勝したい、優勝できるのではないかとの観測が高まっていた。

 昨日のプエルトリコとオランダの準決勝、今日の日本とアメリカの準決勝は、いずれも接戦で見ごたえのある試合が展開されていた。日本が負けたのは、ちょっとしたミスが絡まっていた。二塁手の菊池と三塁手の松田のエラーが、いずれも得点になってしまった。

 それにしても、日本の投手陣はよかったね。エースピッチャーの菅野の投球は、本当に見ごたえがあった。さらに、2番手の千賀もバタバタと三振の山を築いていった。

 ただ、いかんせん日本のバッターは貧打だったね。この日も4番筒香、5番中田にあと一本出ればという場面が何度かあった。いずれも外野へのポップフライ、内野ゴロで打ち取られてしまった。まあ、世界一流のピッチャーでやむを得ないかなとはいうものの、残念だったね。

| | コメント (0)

2017年3月21日 (火)

№3377 四国移住の友を送る

 久し振りに、新宿で学生時代の同期会があった。今回の目的は、四国に移住するというJohちゃんを励ます会であった。なんでまた四国などに移住するのだろうか。

 Johちゃんは、ある大手デパートを5年ほど前に定年退職している。定年後は悠々自適の生活を送り、特に農業に力を入れていたらしい。農業指導員として、50人くらいの生徒に有機農業を教えていたという。

Img_2633_2 古希も近くなり、これからの人生をどう生きるのか考えたのだろう。彼は東京生まれの東京育ちだが、今回、一大決心して四国移住を決意したものらしい。なぜ四国かというに、気候が温暖でしかも海が近い場所を探して、見つけたのが香川だとのことだ。いくらでも土地があるので、農業も可能だ。

 老齢に向かい、われわれのこれからの人生も、そんなに長いものではない。これからの人生をどう生きていくのかという時に、良い決断をしたのではないか。香川の田舎町で、土地はいくらでもあるらしい。そこで海に出たり、畑を耕したりと田舎生活を満喫する決意を述べていた。

 それにしても、この同期会は4年ぶりだ。永久幹事の私がさぼっていて、今回声をかけてくれたのはYohちゃんだった。わざわざこの会のために、長野から駆け付けてくれたのがAkioちゃんだ。

 彼とも久し振りだ。この間、パーキンソン病に苦しみ、大変だったらしい。ようやく良い薬に出合ったと言っていた。「そういうシンさんも、その手の震えはパーキンソンじゃないの」というから、私の手の震えは本態性振戦で、そもそもが違うと説明した。

 どうしても、この年になると話題は病気の話になる。Toshioちゃんは体のあちこちに癌が転移しているというし、Sukeちゃんは腰痛に悩んでいるらしい。Akioちゃんのパーキンソンも含め、病気の話には事欠かない。

 そしたら、この日の主役Johちゃんは「私は先日健康診断を受けたのだが、オールAだったよ」と化け物みたいな話をしていた。

 大学時代のわがクラスには、唯一のマドンナNachikoさんがいる。このクラス会を開くもう一つの目的は、美人の彼女に会えるからだ。彼女も相変わらず忙しそうだ。なんでも「心と体のクリニック」という診療所を開いているとのことだ。

 四国移住のJohちゃんに、早速仲間が「四国に遊びに行きたい」という申し出をしていた。ウ~~ム、私も行きたいな。いずれ彼も年2~3回は上京するとのことだから、4年振りとはいわずチョクチョク会おうよ。

Img_2638 8年前の名簿を見たら、住所やアドレスがずいぶん変わっていた。原簿は私が持っているので、改訂版を作って、皆さんにお送りする約束をした。何人かには、先日のモロッコ旅行のお土産で【サハラ砂漠の砂】を差し上げた。Sukeちゃんには、「これを自宅に持ち帰ったら、女房もモロッコに行きたいというだろうな」と嘆かれた。

 二次会は喫茶店だった。お茶を飲みながら、5月に有志でゴルフをやろうと決めた。

Img_2637

| | コメント (0)

2017年3月20日 (月)

№3376 来年度の構想

 3月も下旬になり、そろそろ4月から始まる「東京シニア自然大学」の来年度を構想する時期に入った。NEXTと専科の予定も送られてきている。今年卒業した東京シニア自然大学の方も、何人かNEXTに新規加入した。NEXT会員は、40人規模の大部隊になった。

 東京シニア自然大学NEXTの来年度スケジュール表をみると、来年の2月まで23の講座が載っている。基本的に、私はすべての講座に参加するつもりでいる。このスケジュールを私の予定表に書いていった。

 ハイキング、自然観察、施設見学、旅行、合宿、体験学習等今年も興味のある多彩な講座が並んだ。ハイライトは、熊野古道を4泊5日で歩く講座だ。毎年このNEXTは、旅行をくり返している。小笠原、長崎、西表島、利尻・礼文等いずれも思い出に残る旅行だった。

 低山のハイキングも盛り込まれている。高尾山、大山、弘法山、三浦半島鷹取山等だ。会員には健脚の人が多く、ハイキングを楽しみにしている人も多い。特に脅威なのは、会員のWakiさんだ。彼は84歳になるが、いつでも先頭に立って歩いている。

 以前やった講座でも、好評につき再度やるというものもある。東京都港湾局主催の「東京湾クルーズ」だ。2年前にやったが、この2年間東京湾がどう変わっているのか、クルーズが楽しみだ。オリンピック開催地も、海から見ることができるだろうか。

 NEXT講座以外でも、東京シニア自然大学卒業生向きに、JEEF(日本環境教育フォーラム)から提案されている講座もある。見るといずれも興味のある講座ではあるが、とりあえず13講座を申し込んでおいた。

 この中でいつも人気があるのが、JAXAの的川泰宣先生の講座だ。今年は「宇宙開発と人類への貢献」と題して、2時間の講座を開いてくれる。小泉武栄先生の「崖を訪ねる」という2回講座も申し込んでおいた。等々力渓谷や王子・駒込の崖を訪ねるのだそうだ。

 今年も、東京シニア自然大学の講座を中心に回りそうだ。

| | コメント (0)

2017年3月19日 (日)

№3375 二度目の車検

Img_2631
 わが車の二度目の車検を受けてきた。私が乗っている車は、トヨタのプリウスである。新車で買ったので5年目になる。この5年間で約8万㎞走った。

 もう何代目になるのか、私はトヨタ車を愛好している。何よりいいのが、トヨタの車は故障が少ないことだ。今乗っている車も、5年間一度も故障がなかった。しかも燃費が良いので、この車は離せない。

Img_2629 ありがたいことに、時期時期になるとトヨタのセールスマンから電話がある。今回も車検の時期なので、工場を予約しておきましょうかと電話が入った。私のスケジュールを確認して、車検を更新することにした。

 もう春である。車検点検を機会に、いまつけているスタッドレスタイヤをノーマルタイヤに履き替えたい。車検時期というので、無料で履き替えが出来た。

 5年も経つと、古くなっているのがカーナビ情報だ。この間、どんどん新しい道路が出来ているが、カーナビに反映していない。先日も、海外旅行で羽田の駐車場に行くのに、情報が古くて駐車場の周りを1時間も探してしまった。

 この機会に、カーナビのDVDも変えたいと言った。そしたら、カーナビ情報が更新されるのは7月と12月らしい。いまDVDを買うと、圏央道の開通した情報が載っていない恐れがあるとのことだ。こういうことも聞いてみないとわからない。

Img_2632 さて、履き替えたスタッドレスタイヤは、また今年の12月まで倉庫に仕舞っておこう。このタイヤも、そろそろ耐用年数が迫っているかもしれないな。

 車検も、ほぼ半日で終わった。羽田の駐車場でドロドロになった車も、清掃してくれてきれいになった。これで、また2年間は大丈夫だ。

| | コメント (0)

2017年3月18日 (土)

№3374 モロッコのお土産

Img_2612 さて、一連のモロッコ旅行の記事も、今回が最終回である。帰国翌日はよく晴れていたので、女房は早速洗濯をして、旅の汚れを落としていた。ベランダの物干しざおは、洗濯物でいっぱいになった。

 記事でも書いたが、私は下着やパンツは脱いだら全部捨ててきた。ただ、旅の途中はほとんどスリッパで過ごしたので、靴下は2枚しか使わなかった。丸々持ち帰ってきた。

Img_2614 あまり記事として書かなかったが、モロッコでは一体どんなお土産を買ってきたのだろうか。皆さんにも興味があるのだろうから、その一端を紹介したい。これも旅行中の記事にしたのだが、何よりの思い出が、サハラ砂漠の赤い砂だ。

 小さな瓶を買ってきて、少しずつ仲間に分けたい。サハラ砂漠の砂を手にできる人はそうそういないだろうから、良い思い出として受け取ってもらえるのじゃないかな。

Img_2615 男には興味がなかったが、モロッコでしか取れないというアルガン・オイルを、女性の人たちは買っていた。日本でも高級化粧水として売っているようだが、日本の3分の一で買えたと喜んでいた。

 記事で思い出してもらえると思うが、たくさんの山羊がのっていたのがアルガンの木だ。その実から抽出されたオイルが、ものすごく貴重なものとして珍重されているらしい。

Img_2616Img_2618


 友だちへと、女房は細々としたものを買ってきていた。ボールペンとバブーッシュ(スリッパ)の陶器で作った置物だ。

Img_2617 そういえば、何よりのモロッコ土産として買ってきたのがバブーッシュだ。なんでなのかは知らないが、モロッコ名物なのだそうだ。革製でできているスリッパだが、意外と高かった。それでも、お店によってはずいぶん値段が違った。

 マラケッシュの街の手工芸屋さんが、中でも一番安かった。5~6足も買ったろうか。姉たちや孫へのお土産にするのだそうだ。

Img_2622 そして、何より喜んでいたのが小さなショルダーだ。われわれの乗ったバスの周りには、たくさんのお土産売りが集まってきた。私は相手にしなかったのだが、女房は品定めをしていた。

 ラクダ皮の小さなショルダーバックに目が留まったらしい。一個1000円と言っていたらしいが、3個2000円で買ったと喜んでいた。値段交渉も、海外旅行の醍醐味だ。

Img_2620
 さらに、マラケッシュの夜の市場で買ったのが、ラクダ皮のランプシェードだ。60ディルハム(約660円)を30ディルハムに値切って買ったものだ。あまりにも安かったので、翌日もう一個買ってきた。Ohnoさんへのお土産だそうだ。

 早速、ベランダの窓に飾っていた。エッサウィラの街で、帽子2個と大きな布も2枚買ったが、自宅に帰って洗濯をしていた。洗濯をしてみないと、実際に使えるかどうかはわからないのだそうだ。その布を使って、なにか着るものを作りたいとのことだ。

Img_2613Img_2621


 私がお土産として買ったのは、石の皿とお婿さん用にウィスキーだ。ただ、石の皿には、大きなヒビが入っていた。「よく見て買わないと」と小言を言われてしまった。

 お土産を買うのも、欲しいからではなく、その地の人とのコミュニケーションが欲しいからだ。たいがい、海外旅行で買ってくるものがガラクタだ。ただ、思い出がいっぱい詰まっているのがいいね。

| | コメント (0)

2017年3月17日 (金)

№3373 帰りは速かったね

 昨晩の10時過ぎに羽田に着いた。それにしても行きは遠かったように感じたが、モロッコからの帰りは速かったね。事実、行きは20時間乗った飛行機だが、帰りは16時間くらいだった。

Img_2304 それ以上に早く感じたのは、なんでだったのだろうか。飛行機のなかは読書空間と決め、村上春樹の『騎士団長殺し』の上下本を持参して、行きの飛行機で上を、帰りの飛行機で下を完読した。その充実感もあったのだろうか。

 私は、海外旅行の時には本をたくさん持っていき、読んでくる。個人旅行ではそれが可能だったが、ツアー旅行では日程がタイトで、なかなか本を読むというわけにはいかなかった。朝8時にホテルを出て、夜8時ころに帰ってくるのでは無理かもね。

 それでも、無理してブログは続けた。このブログを続けるというのは、また並大抵ではなかったことを理解してもらいたい。日程がタイトなのと、相当の疲れもあった。何より苦労したのがWi-Fi環境がよくなかったことだ。ホテルの部屋でつながる場合は問題なかったが、たいていがホテルのロビー付近だった。

 同行の人たちは、「彼は一体何をやっているのだろうか」と不思議な目で見ていた。環境も悪かったし、電波も弱かったね。それでも意地で続けられたのは、結構この旅行記を読んでくれた読者が多かったからだ。旅行中もずーっとアクセス解析をしていたのだが、この間、読者数が落ちなかったのはありがたかった。

 ただ、同じツアーに乗った人には、このブログのアピールはほとんどしていない。旅の最後に、添乗員のShimakuraさんにブログのタイトル名を書いた名刺を渡しておいた。「読むのを楽しみにしています」と言っていたが、果たして読んでくれたかな。

Img_1246
 それにしても、モロッコを堪能する楽しい旅だった。日本では味わえない、雄大なモロッコの自然を満喫できた。バスの走行距離は、2000kmにのぼったそうだ。バスによく乗ったのと長時間の飛行機旅行で、尻の皮は悲鳴を上げている。

 9時間の時差だったが、今朝起きてみるとすっきりしている。時差ぼけはほとんどない。これも秘訣があって、飛行機の中で眠いままだらだら寝ていると、必ず時差ボケになる。私は、極力寝ないようにして本を読んだ。

 昨晩自宅に帰ったのは、夜中の12時半ころだったが、それからすっきり眠った。さて、次はどこに行こうかな。もちろん、次は個人旅行でだ。

| | コメント (0)

2017年3月16日 (木)

№3372 旅の最後はマラケッシュで

 さて、旅も最後になった。今このブログを書いているのは、バーレーンのドーハ空港である。モロッコを現地時間午後4時に出た飛行機は、ここドーハに午後11時(現地時間午前2時)に着いた。このドーハでの待ち時間は5時間である。

 モロッコ最後の観光は、マラケッシュの街だ。昨晩6時について、夜のマラケッシュ観光を楽しんだ。そして最終日の午前、さらに世界遺産の都市マラケッシュを歩いた。

Img_2579
Img_2577 夜のマラケッシュはすごい人でだ。マラケッシュのランドマークたる「クトゥピアの塔」の前に広がる広場は、いろいろな店で賑わっていた。ジュース屋さん、タトーの刺青屋さん、衣類屋、皮製品、寄木細工店等多士済々である。50分ほどの時間を貰い、店を冷かして歩いた。

 ただ、翌日もこの広場で買物を楽しむとのことで、軽く見て歩く程度だ。女房は、目ざとくラクダ皮のランプシェードを見つけた。値段交渉は私の役割だ。ハウマッチと聞いたら60ディハール(650円くらい)だという。ここからが交渉の見せ所だ。結局、半額の30ディハールで手に入れた。

Img_2586
Img_2598_2 翌日も、最後のマラケッシュ見物だ。最初に訪ねたのは、バヒア宮殿である。ここは王様が住んでいたのではなく、時の総理大臣の宮殿だといっていた。その当時の総理大臣は、王様より力を持っていてきらびやかな宮殿に住んでいたようだ。

 奥さんを4人持つのは普通として、そのほかにハーレムに20数人の若い女性を抱えていたという。ステンドグラスも素晴らしかったが、天井の装飾に見るべきものがあった。

Img_2589
Img_2603_2Img_2604Img_2611_2


 この宮殿を見た後、さて旧市街(メディナ)のスーク(市場)を歩いてみよう。モロッコの旧市街はどこでもそうなのだが、迷路のように細い道が続いていた。そこに、あらゆる商店がある。

Img_2609 日本ではあまり見かけないが、革製のスリッパ屋さん、タジン鍋を売る店などはどこにもあった。そういえば、昼も夜もずいぶんタジン鍋を食べた。マラケッシュでの最後の食事も、レストランでのタジン鍋だった。それにしても、食事はどこも美味しかったね。

 さて、モロッコ旅行も無事に終わり、帰国の途に就いた。

| | コメント (0)

2017年3月15日 (水)

№3371 風の街エッサウィラへ

 昨晩マラケッシュに泊まり、同じホテルに2連泊した。マラケッシュのホテルは、今まで泊まったホテルの中でも、格段に上位のホテルだった。ここに2連泊と聞いて、歓声が上がった。

Img_2535
 ホテルに荷物を置いたまま、風の街エッサウィラへの旅だ。片道約180㎞のバス旅行である。途中、変な風景に遭遇した。なんと、木に山羊がなっているのだ。まあ、留まっているというよりも、なっているといったほうがいい。一体、これは何なんだ。

Img_2547 実は、世界中でもこの地方でしか成長しないというアルガンの木がある。高級なオイルが取れることで有名だ。このアルガンの実を山羊が食べることから着想をえ、観光業者がアルガンの木に山羊を登らせ、写真を撮る人から5ディルハム(60円弱)徴収しようということのようだ。

 街道には、ラクダを留めている業者もいた。観光客をラクダに乗せて金をとろうというものだ。記念にと、ラクダに乗る人もいた。

Img_2542 さて、エッサウイラの街が見渡せる丘に着いた。はるかに見えるのは大西洋だ。この街はかなり古い港町とのことだ。紀元前800年ころ、フェニキア人が活躍したという記録があるようだ。

 主要な取引商品は、岩塩、香辛料、サフラン、それに猛獣特にライオンとのことだ。前にも書いたが、ライオンはローマに連れてゆき、コロッセオの見世物にしたようだ。

Img_2553 早速、この街を歩いてみた。旧市街地メディナは城壁に囲まれており、世界遺産にも指定されている。今でこそ、モロッコの最大港町はカサブランカに奪われたが、長くモロッコの玄関口だった。

 メディナはやはり迷宮のようになっていて、ガイドなしには、どこを歩いているのかわからなくなる。くねくねと迷宮のなかを歩いた。

Img_2566_2Img_2567


 いろいろなお店が並んでいる。特に、この街は寄木細工で有名だという。材質はマホガニーだという。この地方では、マホガニーの木がたくさん取れるらしい。値段を見ると、寄木細工は意外と安いものだ。

 そのほかにも帽子屋さん、絨毯屋さん、化石屋さん、古道具販売店など雑多な店が並んでいた。女房は帽子2個と、大きな布を2枚買い求めていた。すでに持ち金は使い果たしたらしく、私の財布からお金が出た。

Img_2555Img_2558Img_2560


 しかし、知らない小路をあてどもなく歩くというのは楽しいものだ。いろいろな発見もある。

Img_2554Img_2564


 玄関の上に彫られているダビデの星は、この家がユダヤ人の家だということをあらわしているのだそうだ。モロッコは、猫も多い国だ。有名な猫写真家岩合光昭さんも、猫の多いこのモロッコが大好きのようだ。

Img_2562 このメディナの中には、さすが港町だけに魚屋さんもたくさんあった。私は実家が魚屋だっただけに、魚を見るのは好きだ。

 お昼も、レストランで魚料理だった。まずは、魚のスープが出された。少々生臭かった。そのあとはイワシの塩焼き、カレイやサバ似の魚の揚げ物だ。いずれも美味しかった。

 この街に3時間ほど滞在して、再度、マラケッシュに帰ってきた。

 

| | コメント (0)

№3370 旅の仲間

 モロッコに来て8日目になる。そろそろ旅も終盤である。それにしても、ツアー旅行の楽といったらないネ。私は、基本的には個人旅行をしているが、久し振りにツアーに乗った。個人とツアーでは、まるで別物の旅行だ。

 個人旅行だと、何から何まで自分でやらなければならない。ツアーの計画を立て、飛行機を手配し、宿もネット予約をする。旅の荷物も、自分で運ばなければならない。結構大変なのだが、それに魅力を感じる。

 久し振りのツアー旅行だったが、本当に楽だね。主な観光地に黙って運んでくれ解説してくれるし、手取り足取りガイドをしてくれる。大きな荷物もバスで運んでくれ、現地に到着したら、ホテルのポーターが部屋まで持ってきてくれる。観光客は、言われるままに右へ左へと移動するだけだ。

 ただ、ツアーの最大の欠点は、現地の人たちとの交流がまるっきりないことだ。個人での旅行は、何日も日本語を使わないことが普通だ。すべてが、現地語か英語でのやり取りである。ツアーだと、日本語以外はいらない。しいていうと、お土産の値段交渉に現地語を使う程度だ。あまり海外旅行をしているという気がしないのだ。

Img_2479 しかし私は、今回はツアーを楽しんでいる。このツアーの添乗員はShimakura君と言い、純朴な山形産の青年だ。ドライバーはこのツアーを通して運転してくれたし、現地ガイドと現地のアシスタントも同行してくれた。

 この4人のタッグは絶妙で、安心して旅ができた。

 客は28人いたが、男性9人に女性19人の女性上位だった。メンバーも多士済々である。ただ、ほとんど年代が同じだったのではないか。旅が深まるについて、お互い同士の会話も弾んでくる。びっくりするのは、ほとんどの方が旅のベテランである。ある方は全世界47か国を旅したというし、また、別の方はすでに次の旅行計画が決まっていた。

 「モロッコに来るほどだから、旅の初心者はいない」とある方が言っていたが、至言だね。初心者は、フランスとかイタリアを選ぶ。わざわざモロッコというからには、いろいろな国を訪問した果てではないか。とはいっても、日本人のツアーが驚くほど多かった。

 バスの中や食事会場は、海外旅行の事情で花が咲いている。女房も外交官よろしく、様々な方と情報交換しているようだ。これは個人旅行にはないことだ。

Img_2540_2 参加者には、様々な方がいた。ある方はインドのムンバイとタイの滞在歴が長いといっていた。旦那について行って滞在したようだが、その旦那が香辛料が苦手らしい。香辛料の苦手な方にとっては、インドは物凄い辛い場所だと想像できた。

 ある方の次の旅行先は中央アジアというし、別の方は北欧と言っていた。さらにイギリスという方もいた。女房は、次はドロミテに行くのだと皆に公言していた。もちろん、私は一緒に行くつもりはない。

 定年退職をして、次の仕事まで少し時間があるので参加した、という女性もいた。60歳といっても、ずいぶん若いのに驚いた。そういう私も古希と言ったら、若いと驚かれた。こういう交流は良いものだ。

 いずれ、最後はワイワイガヤガヤの旅になった。

| | コメント (0)

2017年3月14日 (火)

№3369 世界遺産アイト・ベン・ハッドウゥ

 この日の観光の何よりのハイライトは、「世界遺産アイト・ベン・ハッドゥ」を訪問したことだ。昨晩、ワルザザートに夜6時半に着いた。ホテルで夕食を摂り、疲れて早々に寝た。そして、朝8時半にホテルを出た。

Img_2488 最初に訪問したのは、ワルザザート郊外にある「アトラス・コーポレーション・スタディオ」という映画の撮影所だ。ワルザザートには撮影所が三ヶ所あるようだが、その中でも一番大きな撮影所が、「アトラス・コーポレーション・スタディオ」だそうだ。

Img_2493 このワルザザートは撮影に適した場所がたくさんあり、ロケ地として人気があるのだそうだ。山あり谷あり、遺跡があり、緑がある。それにほとんど晴れていて、安定した撮影ができる。ここでは、「アラビアのロレンス」、「十戒」、「インディジョーンズ」、「グラディエイター」など有名な映画が撮られている。

 ブラッド・ピットなど世界的な俳優も、数限りなくこの街を訪れているという。ただ、撮影所は有料ということで、時間もないので訪問はできなかった。添乗員が説明していたが、「バベル」という映画がモロッコ、日本、メキシコを舞台に撮られているらしい。日本に帰ったら、早速観てみよう。

Img_2496

 撮影所を出て一時間、この日の目的地「世界遺産アイト・ベン・ハッドゥ」に到着した。小高い山の上に立つカスバである。

Img_2509 このカスバは、歴史的に特別古いわけでもなく、人々の生活に寄与したわけでもないようだ。それならなぜ世界遺産に指定されたかというに、現実離れした不思議な風貌と、迫力のある芸術空間がその理由だという。

 日干し煉瓦の建物群は、迷路のような通路を持っている。壁は50~80㎝と厚く、夏涼しく、冬は暖かいという。屋根は、この地方はほとんど雨が降らないので、きわめて簡便にできているらしい。

Img_2506 このカスバには、お土産屋さんも多い。何を売っているのだろうか。特別なものはなく、アクセサリー、絨毯、衣類、それにモロッコ独特の化石などである。

 女房が値段交渉をしたようだが、観光地だけに高い。ほとんど負けない強気な商売だ。別に買う必要もないので、冷やかして歩く程度であった。

Img_2511 ただ、絵を描いて売っている店があり、ここアイト・ベン・ハッドゥの景色の絵を女房は買った。私も欲しくなり、値段交渉をした。8ドルを5ドルにと交渉したが、6ドルまでしか値段は落ちなかった。どうしても欲しいというわけでもなかったので、私は買わなかった。

 このカスバにもかつてユダヤ人街があったという。ダビデの星がその印らしい。

Img_2514
 このカスバの頂上は、小高い山になっていた。ここからも雪に覆われたアトラス山脈が見えた。モロッコの最高高い山はトウブカル山といい、4167mある。ただ、この旅ではちらっとしか見えないといっていた。

 ここで昼食を摂り、最終目的地マラケッシュに向かった。その旅は、アトラス山脈を越える4時間強だった。道路の両側は深い谷が落ち込んでおり、ここから落ちたら一巻の終わりだな、と冷や冷やした。

| | コメント (0)

№3368 カスバ街道を南下

 サハラで朝日を見て、再びホテルに戻った。朝食が済み、さて出発だ。この日は、カスバ街道を南下するバスの旅だ。それにしても、今回のツアーはバスに乗っている時間が長いね。この日も、ほぼ一日バス旅行だった。

 「カスバ街道」は、むかし商人がラクダ行商する重要な街道だった。この街道沿いには、その商人を守るためのたくさんの砦が設けられていた。前にも言ったが、「カスバ」とは塀に囲まれた砦だ。

 バスの中で「カスバの女」という唄が流れた。「涙じゃないのよ 浮気な雨に~」という唄だ。添乗員のSjimakuraさんが流したものだが、これには重要なウソがあるという。「酒場の女」とあるが、モロッコははイスラム教の国で、カスバには酒場などなく、アルコールはご法度とのことだ。

Img_2470 カスバ街道は、アトラス山脈の左手を走っている。ずーっとアトラス山脈を見ての旅だった。最初に停車したカスバは、ティネリールのカスバだ。ずいぶん古いカスバだった。

  このカスバは青々と樹々が生い茂っていた。特にナツメヤシの木が大きい。このように砂漠で青々と草木が生い茂っている場所には、川が流れている。日本ではオアシスというと池や湖を想像するが、実際、オアシスとは川が流れている場所らしい。

Img_2476
Img_2475_2 ティネリールをトドラ川沿いに遡ると、物凄い岩の峡谷に出会った。300mもある岩が、峩々と聳え立っている。しかも、この岩は見るからにもろそうだ。今にも崩れてくるのではないかと思われたが、ここはヨーロッパでも有数のロッククライミングのメッカだという。

 われわれが見ている前で、ロッククライミングの挑戦しているカップルがいた。見る見る間にあっという間に登っていく姿を、しばらく眺めていた。そういえば、次の東京オリンピックに、岩登りの種目が加わったね。

 さて、先は長い。これから170km先のワルザザードを目指して、バスはカスバ街道をひた走る。街道沿いには沢山のカスバがあったが、ほとんど無視をしていた。

Img_2487 唯一立ち寄ったカスバが、ベンモーカスバという有名なカスバだ。

 カスバは、今では観光しか価値がない。改装してホテルやレストランになったりしているようだが、大半のカスバは廃墟のままに放っておかれているそうだ。

 ヨーロッパで話を聞くと、廃墟の城が重要な観光基地になっているらしい。何か、観光資源として使えないものかと考えてしまった。

| | コメント (0)

2017年3月13日 (月)

№3367 サハラ砂漠に昇る朝日

 今回のモロッコ旅行で一番楽しみにしていたことは、本物のサハラ砂漠を見学することだった。とうとうその日がやってきた。4WD車5台に分乗して、朝5時(日本時間午後2時)にホテルを出発した。

Img_1216 砂漠の麓には50分ほどで着いた。ここで、希望者はラクダに乗ることにした。女房は乗ったが、私は歩いていくことにする。朝日が昇るビューポイントまでは歩いて40分ほどだった。

 懐中電灯を持って歩いたが、足元が暗いのと砂のきめが細かいせいか、極めて歩きにくかった。

Img_1218 一方では、ラクダ隊は順調に進んでいるようだ。空を見上げると、満月が煌々と照っていた。どうやら、われわれ歩き隊よりラクダ隊のほうが早かった。

 私は歩く方を選んだのだが、ラクダは運賃が5,000円だという。少々高いように思うのだが、誰も文句を言う人はいなかったようだ。

Img_1234 さて、ビューポイントに着いたら、沢山の観光客が、今か今かと日の出を待っていた。結局30分も待っただろうか、午前6時40分くらいに待望の日の出だ。

 私は、普段はデジカメを使っているのだが、この朝日を撮るためだけに一眼レフカメラと望遠レンズを持参してきた。さて、うまく撮れたかな。

Img_1243

Img_1245 太陽が昇る瞬間だ。イヤ~~、感激的なシーンだ。ベルベル人も喜んでいた。一行は、しばらく昇る朝日に見入っていた。

 一緒に行ったガイドが、「お土産にサハラ砂漠の砂を持ち帰ったらどうか」と、サハラの砂を掘り返して、きれいな砂を袋に入れてくれた。

Img_1228 いろいろな人からお土産をと催促されているが、これが一番のお土産になりそうだ。

 サハラ砂漠の砂は、少々赤っぽく、しかもきめが細かくてさらさらしている。この砂が漏れたら、荷物が砂だらけになりそうだ。二重に厳重に梱包した。

Img_1248_2

  砂漠には、ラクダのキャラバンが並んだ。なんだか、「月の砂漠」の歌を思い出す風景でいいね。

Img_1252Img_1255


 さて、朝日を見たらもう用事がない。私は再度歩いて下った。

 砂漠にはいろいろな生き物がいる。ガイドが教えてくれたのは、フンコロガシに鼠穴だ。砂の上に点々と続く足跡は、キツネだという。

 これで、最大のモロッコ見学が終わった。ホテルに着いたのは、午前8時だった。朝食を食べ、午前9時半スタートでこの日の行動が始まった。

| | コメント (2)

2017年3月12日 (日)

№3366 アトラス山脈を越えて

 この日は一日バスの旅で、フェズのホテルを朝8時に出て、サハラ砂漠の基地の街エルフールまで、約420kmをバスに揺られた。モロッコの屋台骨アトラス山脈を越える旅だ。相当強行な旅と思われるが、そうでもなかった。窓外の景色を十分に楽しんだ。

 最初の目的地は、標高1200mのイフレンの街だ。約1時間15分のバス旅行だ。この地はフランス統治下につくられた避暑地とのことだ。バスから降りてみたら、雲一つないのにさすがヒンヤリとしていた。

Img_2426 街の入口にあった像が、アトラスライオンだという。あまり聞きなれない名前だが、ローマ時代に生息していて、盛んに狩りの対象になったらしい。4mを超える体長は、ローマのコロッセオの見世物として使われた。

 今ではほぼ絶滅してしまったが、わずかに王立動物園で飼育され、数を増やす研究をしているという。ただ、一度絶滅してしまった個体を回復するのは並みたいていでない。

Img_2440 20分のトイレ休憩の後向かったのが、ミデルトという街だ。長距離バスの旅だったので、途中何度も休憩が入った。ある休憩地で見たのがきれいな花だ。「クロッカスじゃないの」と同行の人が言っていた。

  ここで昼食を摂るとのことだ。不思議なことに、モロッコのあちこちで化石を売っている。三葉虫やアンモナイトの化石だ。昔モロッコは海の底だったとかで、化石が取れるらしい。三葉虫は、6億年前の化石らしい。

 昼食を摂ったレストランの前に、化石の店があった。私は、そこできれいな卵状の石を買い求めた。200円程度のものだった。

Img_2447

 さて、昼食を終えての旅は続く。いよいよアトラス山脈の中腹に着いた。山脈は3つに分かれていて、われわれが通った道は、最高3737mの山を眺めながらである。バスが走った最高地点は、2100mを超えていたらしい。

Img_2451 最高地点から、サハラ砂漠に入った。砂漠は砂と礫の種類がある。ここは礫砂漠で、石や岩がごろごろしている不毛地帯だ。ただ、所々に遊牧民が羊を飼っているのを目にした。

 それにしても雄大な景色が続く。地平線まで何もない大地だ。バスの中から感嘆の声が聞こえる。一体、この地に樹木など植えられないものかと考えてしまった。大樹林帯になるのにな。

Img_2457_3 ただ、所々にオアシスがあり、ナツメヤシの林が生い茂っていた。休憩地にナツメヤシの実を売っているおじさんがいた。一個ご馳走になったのだが、とても甘くておいしかった。

 大きなダム湖の脇を通ったのだが、添乗員の説明によると、「モロッコの電力事情は、①水力②火力③風力による発電だ。ところが、最近有り余る太陽の熱を利用して、ソーラー発電が目覚ましく伸びている」のだそうだ。

Img_2455 日本のJICAが、モロッコの水に多大な援助をしているらしい。水道のタワーも、JICAの援助でつくられたという。

 長いようであっという間のバスの旅だった。

| | コメント (0)

№3365 世界遺産の迷宮都市フェズ

 昨晩9時ころにフェズのホテルに入り、そのまま夕食となった。夕食が終わったのは10時ころで、日本時間は朝の7時だ。とにもかくにも眠い。有難かったのは、翌日のホテル出発は朝9時だった。

 この日は、世界遺産の迷宮都市フェズの街歩き観光が主だ。朝9時にホテルを出発した。最初に目指したのは王宮である。

Img_2393
 王宮は入場はできなかったが、きらびやかも王門を前にした。一辺7㎞もある広大な王宮とのことだが、王様がこの王宮に滞在するのは、年に1~2度の事らしい。そのために、1日300~400人もの人が清掃等に従事しているとのことだ。この王門は、造るのに7年かかったそうだ。

Img_2391 ガイドのモハメッドさんが、王門の細工について詳しく説明してくれた。タイルのモザイクは4色を使っているが、その色にはそれぞれ意味があるとのことだ。職人の手仕事には感心するばかりだった。ちなみに、このモハメッドさんの日本語は物凄く上手だった。独学で日本語を学んだ、と話していた。

 門も銀細工のようだが、細かく手彫りされていた。王様の権力の大きさを、あらためて思い知らされた。

Img_2394 王宮のすぐ脇には、古い町並みがある。14世紀からあるユダヤ人街だという。この街では、ユダヤ人とモロッコ人は極めて良好な関係にあったらしい。ただ、ユダヤ人の国イスラエルができて、ほとんどのユダヤ人が引っ越してしまい、今住んでいるのは現地の人だけとのことだ。

Img_2396 ユダヤ人街の旧家の屋根上には、コウノトリが留まっていた。この光景は、スペインでもよく見た。コウノトリは渡り鳥で、カップルは死ぬまで一緒で、営巣場所も変わらないという。年々その巣は大きくなっていくのだそうだ。

 フェズが眼下に見渡せる「南の砦」に案内するという。モロッコの大きな街はどこでもそのようなものらしいのだが、旧市街と新市街ははっきりしていて、旧市街は大きな城門に囲まれていた。

Img_2398

Img_2403 さて、陶器屋さんに立ち寄った後、いよいよこの日のメインコース迷宮都市フェズに入り込んでいった。この迷宮が、世界遺産に指定されているという。つくられたのは9世紀というから、日本の平安時代だ。

 9400もの小路が迷路のように張り巡らされ、一度迷い込むと抜けだすのが大変らしい。つっかえ棒の板が張られ、これがないと崩れ落ちそうだ。狭い小路は、人がすれ違うことができない。ましてや、車はとても無理だ。

Img_2402 一番心配なのは地震だ。この日は、東日本大震災が発生して6年になる。心配は杞憂で、モロッコには地震はないとのことだ。ただ、地震がないとしても30万人も暮らすというこの街は、火事が心配だね。大火災が発生すると、迷宮都市はひとたまりもないだろうね。何か火事を起こさない知恵でもあるのだろうか。

 迷宮のあちこちは、いろいろな職種の集まりからなっているようだ。香辛料店、皮なめし屋、なかには結婚式の用具のレンタル業の界隈もあった。

Img_2406 もちろん、野菜や肉を売っている店もある。食材も豊富だ。イチゴも今が旬だという。一個いただいてみた。大きな粒は、甘くてとっても美味しかった。

 道端で女性が売っている野菜は何か尋ねたら、パクチーだという。そういえば、モロッコの食材には、結構パクチーが入っている。

 迷宮を抜けだすのに2時間ほどかかった。

 

| | コメント (0)

2017年3月11日 (土)

№3364 青の街シャウエン

 モロッコは、王国である。1950年代、時の宗主国フランスを追い出して建立された比較的新しい王国だ。ただ前史があり、植民地になる前は、1000年を超える王国だったようだ。

Img_2334 この日は朝8時にホテルを出て、まず向かったのが「モハメドⅤ世廟」だ。その同じ敷地内にあったのが、14世紀に建てられた「ハッサンの塔」で高さ44mあった。本来は88mになる予定が、時の王様の死亡で中止されたという。 

 このミナレットの前には、膨大な柱だけが残されていた。大きなモスクがあったそうだが、1755年のリスボン大地震で倒壊したという。今は柱だけが残っていたが、良くも悪くもモロッコはヨーロッパの影響を強く受けている。

Img_2336 このハッサンの塔の前に建っているのが建国の父「ムハンマドⅤ世霊廟」である。1973年に完成した廟で、まばゆいばかりにキラキラしていた。

 廟の中には建国の父ムハンマドⅤ世の棺が納められており、イスラムの僧侶が四六時中お経を読んでいた。廟の中は写真撮影が自由だったが、ここには載せない。

Img_2345
 この廟の入口を守っていたのは、馬に乗った二人の騎士だ。霊廟を守る近衛兵の姿は世界各地で目にするが、馬に乗った近衛兵を見るのは初めてのことである。

 さて、今日の目的はシャウエンの街の訪問だった。ラバトから車で4時間半、帰りもフェズまで4時間半の計9時間のバスの長い旅だった。目的地のシャウエンには2時間ばかりの滞在だった。果たして、それだけの価値はあったのだろうか。

Img_2348_3 まあ、バスの旅を楽しもう。高速道路の周りは、コルク林だ。この林は、133,000㎢というから全国土の25%ほどもあるだろうか。このコルクの木も、もとはといえばポルトガルから移植されたものだという。

 私は、10数年前にスペイン・ポルトガルを旅行して、イベリア半島に残るイスラムの足跡を見て歩いた。今回モロッコに来て、スペイン・ポルトガルの遺跡を見るにつけても、この地の一体さを感じた。

Img_2350 田舎を通ったバスの窓外に展開していたのは、モロッコの地元民の生活風景だった。交通手段は、大概がロバだった。なかには馬に乗っている人もいたが…。

 広大な草地には羊が飼われていた。耕地を耕すのは主に馬で、日本の50年ほど前の風景だ。しばらくのんびりした姿が、旅の旅情をかきたててくれた。

Img_2353_2
Img_2359 今回訪れたシャウエンの街は、1492年スペインのレコンキスタでイベリア半島を追われたイスラム教徒が建てた町だという。今でも、この町だけはスペイン語が主要言語になっていた。白い岩山の麓にこじんまりとした街だった。

 それが、街に塗られた青い色とともに、近年がぜん観光地としてクローズアップされてきたという。

Img_2358 なぜ青く塗られたかはいろいろな説があるようだが、虫除けにという説と暑さ対策という説が有力のようだ。石灰にインディゴを混ぜて塗った青は、インディゴブルーだ。その青い坂道が、延々と続いていた。沿道はお土産屋さんになっていて、冷やかし客が多かった。

 待てよどこかで見た風景だと思い出したら、台湾の九份の風景にそっくりだ。ただ、賑やかさでは九份のほうが上だ。

Img_2380 ガイドの説明によると、この街に近年ヨーロッパの若者が集まりだして、大麻やハッシッシを吸っているという。困った傾向と、嘆いていた。

 ともかくも、このシャウエンの街は、これからも「青の街」として観光客を呼び続けていきそうだ。

 

| | コメント (2)

2017年3月10日 (金)

№3363 カサブランカ見物

 カサブランカと聞くと、何かロマンチックな感じがする。ご存知のように、映画に『カサブランカ』という題があった。1942年のアメリカ映画で、ハンフリー・ボガードとイングリット・バーグマンの恋愛映画だ。実相は、ハリウッドで撮られた映画で、カサブランカとは何の関係もなかったようだが。

 モロッコは日本の1.2倍の面積で、人口は3400万人だという。そのうち、カサブランカに住む人は400万人で、モロッコ最大の都市らしい。アフリカというと「物騒」という代名詞がつくが、モロッコは決してそんなことはないという。

 モロッコは、人種的にはアラブ人が65%、ベルベル人が35%という。宗教は、大半がイスラム教スンニ派だといっていた。ただ、モロッコはフランスの植民地でもあったので、キリスト教徒も若干いるらしい。

 今回のモロッコ旅行は、多分、イスラム寺院を訪問する機会が多いのではなかろうか。

Img_2311
 カサブランカでも、最初に訪問したのがモロッコ最大の寺院「ハッサンⅡ世モスク」だった。大西洋に面し、海風の影響を受けるお寺だった。案の定、高さ200mもあるというミナレットが、霧に隠れてほとんど見えなかった。

Img_2313_2 この寺院は広大な敷地があり、高校生など若い人の姿が目についた。あるグループが寄ってきて、「日本人か」と聞いていた。そうだと応えると、「自分たちは、日本のアニメが大好きだ」と親近感をにじませて、アニメのキャラクターを持っていた。

 私はアニメのことはほとんど知らないが、何かいろいろの題名を話していた。概して、人懐っこい人が多いね。

Img_2317 カサブランカのもう一つの名物は、「国連広場」だという。街の中心にあり憩いの場所だといっていたが、何の変哲もない公園だった。ちなみに、国連とは関係がないらしい。

 ここを軽く見学して、今晩の宿泊地ラバトに向かった。ちなみに今回の旅行は観光バスで、運転手とガイド、補助のガイドが付いた。

Img_2316 明日の日程は相当きついというので、夕方になったが、日程を繰り上げてラバトの「ウダイヤのカスバ」を見学することにした。

 日程表を見ると、「カスバ見学」がいろいろな街で行われるようだが、【カスバ】とは砦の意味だという。モロッコは、ジブラルタル海峡をはさんで、ヨーロッパがすぐ近くだ。歴史的にも、占領したりされたりの繰り返しだった。どこの街に行っても、カスバという砦があるらしい。

Img_2320
Img_2321 いまでは、重要な観光スポットになっている。高い塀をめぐらした中には、庭園やカフェなど、しばらく生活できる空間があった。さらに迷路のようになっていて、敵が進入してきても、目くらましになっているようだ。

Img_2323 このカスバから大西洋を眺めたら、海岸線には長い塀が築かれていた。ここは戦場だったのだ。

 このラバトが、モロッコの首都だ。カサブランカが商業の中心都市としたら、ここラバトは政治都市らしい。それでも200万人の人口を抱えている。

 この日の宿泊地は、このラバトのホテルだ。ホテルで夕食を終え、爆睡してしまった。

| | コメント (0)

2017年3月 9日 (木)

№3362 アフリカは遠かった

 この記事を書いているのは、日本時間の3月9日午前5時40分である。現地時間は、3月8日午後8時40分である。夕食を終え、ホテルの部屋に入ってホッとしているところである。

 それにしても、アフリカは遠かった。夜11時50分に羽田を発って、カタールのドーハに着いたのが朝5時40分だった。時差6時間あるから、11時間50分の旅だった。着いたドーハは、まだ旅の途中である。

Img_2307 乗った飛行機は、カタール航空機だ。出発して1時間、午前1時に夕食が出た。カタール航空で出た食事は、すべて美味しかった。せっかくだからと食べたが、胃に重かったな。

 エコノミークラスの狭い座席で無理にもと寝たが、とても寝られたものではなかった。それでも、隣の座席に座っていた女房は、「よく寝ていたじゃないの」だって。何度も反転しては、苦しさを逃れていた。そのうち、いつの間にかドーハに到着した。

 今回の旅行は、添乗員を除いて28人と多かった。ざっと見渡してみると、女性のほうが多いかな。年齢構成もシニアだけかと思ったら、結構若い女性も多いね。

 ドーハに着く1時間ほど前だったか、隣に座っている若い男性に「どこに行くの」と問いかけた。彼は北海道の大学生で、仲間でスペインにサッカー観戦に行くんだそうだ。目的は、バルセロナの試合だそうだ。観戦チケットはいくらか聞いて驚いたのだが、何と5万円強だという。エッ、べらぼーな値段じゃないの。

Img_2308 ドーハでのトランジット時間は1時間ちょっとだった。急いで乗り継ぎの手続きをしたのだが、女房が「あれを写真に撮っておいてね」と示されたのが、巨大なスヌーピーのぬいぐるみだった。ハイハイ、わかりました。

 さて、ドーハで乗り継いだ飛行機で、最終目的地のカサブランカに着いたのが、現地時間で午後12時40分だった。ドーハから3時間の時差を考えると、8時間半かかった。もう20時間半も、飛行機に乗っていたことになる。尻が痛くなり、座っているのに苦痛を覚えた。

 北アフリカのモロッコ、カサブランカに着いたら暑かった。それでも26度だという。さて、これからモロッコの旅が始まる。

| | コメント (0)

2017年3月 7日 (火)

№3361 いざモロッコへ出発

 いま羽田空港にいる。いよいよ今晩11時50分にモロッコへと出発だ。今回は、カタールのドーハでトランジットだ。羽田からドーハまでは12時間かかる。ドーハで1時間20分の待ち時間の後、モロッコのカサブランカまで、さらに8時間の旅だ。なんと20時間以上かかる、遠いね。

Img_2305_2 今回は10日間の旅なので、荷物を目いっぱい持ってきている。とはいっても、着替えが主だ。箪笥の奥に眠っている下着、那須でいらなくなった下着など目いっぱい持ってきた。旅の途中で捨てるつもりだ。

 女房がどうしてもというので、那須の水2リットルボトルも二本入っている。海外での水の心配をしているらしい。

Img_2304 飛行機では、私は読書三昧のつもりでいる。発売なったばかりの村上春樹『騎士団長殺し(上)(下)』をザックに入れてきた。20時間の行きの旅で、どこまで読めるだろうか。

 それにしても、羽田空港国際ターミナルはきれいになったね。国際便もどんどん乗り入れているようだ。私は、本当のことをいうと成田から旅立ちたかった。というのも圏央道が開通して、自宅から成田までものすごく近くなったからだ。

Img_2306_2
 これまでは、午後7時に新しい記事を配信していたが、時差の関係もあるので、新しい記事を書く都度に配信するつもりだ。この記事がその手始めになる。日本とモロッコの時差は9時間だという。日本時間の夜中に配信ということもあるかな。

 さてどういう旅になるだろう。皆さんも一緒に楽しんでください。

 

| | コメント (1)

№3360 2月に読んだ本

 毎年いうことだが、2月は例月より2~3日少ないので、読書目標に到達するのに四苦八苦している。暦をみながら、もう何日で月末かと指折り数えるのが常である。

 ページ数を稼ぐには、二段組みの本は禁物である。分量が1.5倍あり、読むのに相当時間がかかる。2月は、その二段組みの『夢は荒れ地を』を読んだ。その時点で、最低目標の月5,000頁読了は無理と諦めた。

 ところが、20日以降集中して本を読んだ。結局は、最低目標の13冊5,061頁の本が読めた。ヤレヤレである。どうしても前月に過度に読む過ぎると、次月はダレてしまう傾向にある。なかなかコンスタントというわけにはいかない。

 それでは、一体何を読んだのか。2~3冊の感想を含めて報告したい。

北方謙三『血涙(上)(下)新楊家将』 PHP研究所 2006年12月刊

黒川博行『螻蛄』 新潮社 2009年7月刊

笹本稜平『白昼夢 素行調査官2』 光文社 2010年10月刊

北方謙三『楊家将(上)(下)』 PHP研究所 2003年12月刊

岩井三四二『太閤の巨いなる遺命』 講談社 2015年7月刊

船戸与一『夢は荒れ野を』 文藝春秋 2003年6月刊

笹本稜平『失踪都市 所轄魂』 徳間書店 2014年7月刊

伊東潤『野望の憑依者』 徳間書店 2014年7月刊

小林昌也『国崩し』 イースト・プレス 2015年1月刊

熊谷達也『揺らぐ街』 光文社 2016年8月刊

逢坂剛『相棒に気をつけろ』 集英社文庫 2015年9月刊

Img_2061
Img_2228 北方謙三の本は、長編が多い。『史記』とか『水滸伝』にはなかなか手がつかない。それでも上下本ならと読んだのが、『血涙』であった。読んでみて、あまり意味が解らない。どうやら本編があって、『血涙』はその続編のようだ。

 今月は、結局本編・続編の4冊1,300頁を読んでしまった。読んでいる間は、非常に幸福なプライムタイムであった。

 中国の歴史小説で、宋と遼という隣国同士の戦いで中心で活躍した宋の武将楊業の話だった。北方に言わせると、「関羽と劉邦の戦いより面白い」とのことだ。

 楊業には、7人の息子と2人の娘がいた。本編は、楊業の業績が主な話だったが、後編は楊業が戦いで死に、息子たちの戦いの話だった。楊業が死んだ戦いで、四男の四郎が記憶喪失にかかり、敵国遼の武将に助けられた。

 記憶を失ったまま遼の武将となった四郎は、弟の六郎、七郎と全面対決するようになる。その時には、四郎は女帝の娘と結婚していた。記憶を取り戻すが、四郎は六郎、七郎と戦う決意をしていた。勇壮で悲しい話だった。

 考えてみると、本編より続編『血涙』の方が圧倒的に面白かった。

Img_2226
 私は、昨年亡くなった船戸与一の本はほとんど読んでいる。特に、2年前に完結した『満州国演義(前9巻)』には夢中で読んだ。ただ、本書だけは敬遠していた。私の嫌いな二段組みで、しかも623頁もある大作だ。しかしいつか読まなければならない、とは思っていた。

 いつもの如く、船戸与一の本を過去に何冊読んだか検索してみた。全部で45冊検索できた。がっくりしたのは、その中に『夢は荒れ地を』があった。1996年(平成8年)7月に、既に読んでいるという記録が残っていた。それにしても、この大作を前回読んだ痕跡は、私の頭に一切残っていなかったのは見事というしかない。20年も経つと忘れてしまうのはしようがないか。

 船戸の本は、海外を舞台に日本人が活躍する話が多い。なかでも傑作だと思う本は、『砂のクロニクル』だ。この本を読んで以来、私は船戸フリークになった。

 今回の舞台は、カンボジアだ。自衛隊のカンボジア援助で出かけたまま消えてしまった友を追い、同僚の自衛官楢本辰次は1か月の有給休暇を取り、カンボジアに旅立った。楢本には、友だちの妻を身籠らせてしまったという負い目があった。友の離婚届に判をもらい、その妻と一緒になる目的があった。

 プノンペンに降り立ったものの右も左もわからない。ましてや言葉は通じなかった。その当時、カンボジアはポル・ポト政権の残虐な爪痕が残っていて、やくざがのさばっていた。日本語のできる運転手を雇い、二人三脚で友の越路修介を探すことになった。

 越路は、プノンペンではなくカンボジアの辺境に棲んでいることが分かった。越路を探しながらの旅は、カンボジアに内在するいろいろな問題と向き合わざるを得なかった。あちこちに埋設されている地雷、子どもの誘拐、売春などだ。

 それにしても、船戸の物語には壮大な戦闘、人殺しが伴う。

| | コメント (1)

2017年3月 6日 (月)

№3359 啓蟄

 3月5日は「啓蟄」である。暖かくなり、冬眠していた虫が土の中から顔を出してくるころ、という意味のようだ。実際は、まだ虫が顔を出す時期には遠いが、多分旧暦でいったものだろう。

Img_2301
 わが庭も新芽が出るには遠いが、少しずついろいろな花が咲き始めている。冬の寒さに耐えていたクリスマスローズが咲き始めた。ピンクの花や白い花をつけているが、春咲くのに、なぜ「クリスマス・ローズ」というのだろうか。

Img_2299 女房が「庭を見てごらん」というので、出てみた。青い葉っぱが、かすかに出始めた。「これはセリで、那須から根を採ってきて移植したものだ」そうだ。これだけでも食べられるらしいが、もう少し大きくなるのを待ちたい。

 庭の片隅に、女房用の家庭菜園がある。今は何も植えていないが、「もう春なので、何か野菜の苗を買ってきたいのだが、何がいいのだろうか」と聞いていた。

Img_2303 ウッドデッキで日向ぼっこをしているのは、シクラメンだ。昼の日向ぼっこと夜取り入れることは欠かせない。暖かい日を浴びて元気に育っている。海外旅行で不在の間はどうするのだろうか。「もうすでに近所の奥さんに頼んでいるわ」とのことだ。

 徐々に旅行の準備が整い始めているようだ。

| | コメント (0)

2017年3月 5日 (日)

№3358 旅行前にやっておくこと

 3月は暇な月。とはいっても、旅行前にやっておくことがたくさんある。

 まずは、毎月10日締めの高校同窓会俳句会の課題句5句を作ることだ。普段はぎりぎりにならないと作らない俳句だが、集中力を高めると何とかできるものだ。先日那須に行ったときの情景を浮かべながら、5句の作句を終えた。

 そういえば、旅行から帰ってきたらすぐに【桟雲の会】の定例句会がある。帰ってきてからでは間に合わないので、新しい会報第61号もあらかじめ作っておいた。さらに、先生からのコメント集もコピーを取った。これも準備完了だ。

 すでにお知らせしているが、私は今期校友会会長を引き受けている。4月に入ると、すぐに定期総会が待っている。定期総会用の原稿も私が作った。全部で10ページある。理事会を経て、その議論に基づいて作成した。

 さらに、クラス会の会長も引き受けている関係で、クラス総会資料もあらかじめ準備しておく必要があるだろう。パソコンさえあれば、こういう仕事は何でもない。

 校友会の仕事や俳句の会の仕事等で、東京シニア自然大学のことがやや疎かになっている。事務方から、来年度の新入生が思うように集まらないと、悲鳴が聞こえてくるが、私にはいかんともしがたいな。旅行から帰った直後の総会にも、他の会とぶつかって私は欠席を通告してある。

 あちらが立つとこちらが立たないというか、私はスーパーマンではないので何でもできるわけではない。幸い、東京シニア自然大学NEXTには立派な後継者がいて、頼もしい限りである。

 出発前に、ブログも書いておかなければ…と何かと気ぜわしい。そうだ、旅の途中に読む本も用意しておこう。

| | コメント (1)

2017年3月 4日 (土)

№3357 3月は旅行月

 いつの頃か、3月は旅行する月になっている。3年前には小笠原旅行、2年前は長崎・五島列島を旅行、そして昨年は孫を連れてハワイ旅行をしてきた。要するに、3月は私の関係ない年度末で、年金生活者は暇な月なのだ。

 さて、今年はどこに行こうか。昨年の秋ごろから、女房はモロッコに行きたいと言っていた。なんでも、友だちが行ってきて、その素晴らしさを語っていたようだ。

 私も数年前にモロッコ旅行を企画した。ただ、その時にはテロや爆弾騒ぎがあり、その計画は自然消滅していた。女房は、やはりモロッコに行きたいという。

 いろいろなサイトを探り、格安モロッコ旅行を見つけた。ただ、それは自分でホテルを探し、ルート開拓をする必要があるという。まあ、それでもいいかと思ったが、女房は嫌だという。「添乗員がいるツアーに乗りたいのだ」そうだ。

 そんなうるさいことをいうならやめようと思ったが、再度探してみたら料金も適当な10日間の『モロッコ・ツアー』が見つかった。女房にこれでどうかと聞いたら、「ぜひそのツアーで行きたい」とのたまった。

 停年になり絶えず女房がそばにいると、女房の言うことを聞いていると、家庭は平和でいい。

 そのツアーに申し込んだ。出発は、羽田発の3月7日夜中11時50分だ。ドーハ経由で、モロッコのカサブランカまで20時間超の長旅のようだ。出発が迫っているのだが、私は何の準備もしていない。まあ、なるようになれだね。

 私が一番心配していたのは、現地にwi-fi環境があるかどうかだ。案内書をみると、どうも心もとない。果たして、現地からブログを発信し続けることができるのだろうか、心配だ。

| | コメント (0)

2017年3月 3日 (金)

№3356 こんなことってあり?

 今回は、2泊3日の那須滞在だった。何度かお話しているが、行きも帰りも国道新4号線を使っている。最近、この新4号線が拡幅されて、片側3車線が大分延長された。

 今まで那須に10年間、何度もこの道を使っているが、信号も少ないし、一度も渋滞に出合ったことがない。制限速度60kmだが、誰もこの制限速度内で走っている車はない。制限速度で走っていると、かえって渋滞になってしまう。

 私も、大体100km内外で走っている。ただ、警察に気を付けるように、バックミラーで絶えず監視は続けている。数えてみると、この道を使って那須に通ったのは、この10年間で150回くらいか。一度も警察のご厄介にはなってこなかった。

 それが、今回は白バイにつかまってしまった。バックミラーから少し目を離した隙にだ。車から降りてきて、スピードメーターを確認するように促された。どうやら、24kmオーバーの84kmが出ていたらしい。本当はもっと出ていたかもしれない。

 とはいっても、こんないい道だから、84kmなんか普通に出るのじゃないか、と白バイ隊員に食いついた。「とはいっても、規則は規則ですから、60kmの制限速度を上回った車は、検挙する必要があります」とのことだ。それなら全ての車を捕まえろよと食いついたが、相手にされなかった。

 最後は泣きついて、「何とか勘弁してくれませんか」とお願いした。不思議なことに、「今回は目をつぶりましょう。今後とも気を付けて運転するように」と許してくれた。いままで何度かスピード違反で捕まったことがあるが、見逃されたのは初めてもことだ。

 私はこの10年くらい、警察の厄介にはなっていない。反則金を調べてみたら、スピード違反は25㎞まで普通車で15000円だという。ヤレヤレ、助かった。減点にもならずにすんだ。白バイのお巡りさん、ありがとう。

| | コメント (3)

2017年3月 2日 (木)

№3355 小川の清掃

Img_2290
 あるるのいえの周りの落ちがを掃き、すっかりきれいになった。さて、脇の小川の落葉はどうしようか。まだ手を付けかねていた。そしたら、女房が「濡れ落葉をビニール袋に入れて、堆肥にしたらどう」と言っていた。

Img_2291 うむ、そういう手もあるか。幸い、大きなビニール袋があった。長靴を履いて小川に入り、落ち葉を掬いあげてはビニール袋に入れた。ビニール袋はすぐに一杯になった。ビニール袋3袋になったので、もうこれでいいか。

 ウッドデッキの下は大きな空洞になっている。ひとまずはこの空洞に収めておこう。

Img_2289 落ち葉を救い上げた小川には、清流が戻ってきた。ただ、土砂が流れ込んでいるせいか、ずいぶん浅くなってしまった。向かいのOhnoのお父さんに相談したら、「土砂を掬い上げてだけでは、すぐに元に戻ってしまうよ。ちゃんとした土手を作って、小川への土砂の流入を防がなければだめ」とのことだ。

 さて、どうしようか。「腐ったシイタケの原木があるじゃないの。それを小川の縁に並べて、土手を作ったらどうか」との提案だ。ウ~~ム、そうしようか。

Img_2292 とりあえず、仮置きに原木を並べてみた。なかなかいいアイデアだ。今回は仮置きだが、次に来た時に本格的な土手を作ろう。

| | コメント (0)

2017年3月 1日 (水)

№3354 女房とゴルフ

Img_2288 今回は今年初めてであるが、女房も一緒に那須に来ている。自宅を出るときに、女房はいち早く車にゴルフバッグを積み込んだ。私はそのつもりがなかったのだが、「ゴルフバッグを持って行かないのか」と慫慂され、仕方なく自分のバッグも積み込んだ。

 そしてこの日は、午後一番にスタートするつもりで、あるるのいえの近くにある【27那須ゴルフガーデン】に出かけた。そしたら、この日はクローズとのことだ。仕方がない、この日は意地でもゴルフをやろうと【塩原カントリークラブ】に出かけてみた。このゴルフ場も、定休日だ。

 さらに【ちふり湖カントリークラブ】を含め、何か所かのゴルフ場に電話をしてみた。休業だったり午後のプレーを受けつけなかったりで、うまいセッテングができなかった。そもそも2月に那須でゴルフをやろう、などという奇特な人はいないのだ。さてどうしよう。

Img_2287 この日は、風もなくしかも暖かい、絶好のゴルフコンデションだったのだ。女房が、「それじゃ、いつも行っているショートコースでアプローチ練習だけでもして帰ろうよ」と提案してきた。まあ、仕方がないか。

 自宅のすぐ近くにある【戸田ゴルフ練習場】のショートコースに行った。回り放題で2000円だという。スコアカードを見ると、長いホールで150ヤード、短いホールで55ヤードだ。

Img_2286 このショートコースでゴルフをやっている人は誰もいなかった。わが夫婦一組だけで存分に回れそうだ。ショートアイアンとパターの5本をもって、さてスタートだ。

 相変わらず、女房のゴルフ熱は盛んだ。ゴルフスクールにも通っているようだ。一緒に回って、まあ、失敗もあるのだが、私と対等に回っていた。パーもバーディも取った。

 練習としては、結構楽しかったね。1.5ラウンド回った。運動不足の身にとって、10,000歩も歩いたので、うっすら汗もかいた。その足で温泉に行き、汗を流してきた。

| | コメント (0)

« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »