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2018年6月 9日 (土)

№3825 日高六郎さんの思い出

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 新聞記事で、日高六郎さんがお亡くなりになったのを知った。101歳で老衰だったらしい。亡くなったのは、京都の老人施設でだったという。果たして、日高六郎さんは晩年どういう生活を送ったのだろうか。

 なぜ日高さんかというに、もう50年も前になるだろうか、私は日高さんの家に2度、合わせて2ヶ月ほど寄宿していたことがある。その当時、日高さんは鎌倉大仏の近くに豪邸を構えていた。

 大学のゼミの先生が、鎌倉に住んでいた。何がきっかけだったのかは忘れてしまったが、「鎌倉市長選があるので、選挙カーの運転を頼まれてくれないか」と依頼された。その当時、きっと私はフラフラしていたのだろう、二つ返事でOKした。

 約1か月ほどの応援だったが、先生が用意してくれた家が日高六郎邸だった。今から考えると、日当を貰ったのかどうかは定かではない。ただ、日高邸での滞在費用は払った覚えがない。

 日高さんの家には子どもはいなかったが、やさしい奥さんとドーベルマン犬が同居していた。ドーベルマンはナチ犬として有名で、とても怖くて近づけなかった。選挙応援の思い出はほとんどないが、日高邸での滞在は懐かしく覚えている。食卓には、いつも美味しい料理が並んでいた。

 そう、私は日高さんというよりも、その奥さんがより強く印象に残った。気まぐれで易しく自分本位で、かの有名な社会学者もたじたじとなっていた。一ヶ月も同じ家に住んでいると、その家の様子が手に取るようにわかる。もう時効だと思うから言うが、夫婦喧嘩の絶えない家だった。私からみると、それもこれも奥さんのわがままが原因だ。

 その市長選後、2年くらい後に鎌倉市議選があり、件の先生に再度選挙カーの運転を頼まれた。その時も、やはり寄宿先は日高先生の家だという。私は、喜んで引き受けた。その時に先生の奥さんからいただいたニンニク漬けが忘れられない。
 「疲れているだろうから、これを食べて元気をつけて」と言って食べさせられたのだが、本当に翌朝には疲れが吹っ飛んだ覚えがある。その当時付き合い始めたばかりの女房を、日高邸に連れて行ったことも新鮮な思い出だ。その後も、何度か遊びに行った覚えがある。多分、1970年前後のことだと思う。

 その後、先生が新聞ネタになるのは、奥さんがらみでだった。フランスに永住するといってパリに住んでいたようだ。その奥さんが、フランス当局に逮捕され国外退去を命じられた。日本赤軍を寓居に呼び込んだのが原因だといわれた。それは、どうもデマだったらしい。

 その後も、日高先生がオーストラリアの大学に招聘されたが、パリ事件が尾を引いてビザが発給されなかったらしい。奥さんは、本当にトラブルメーカーだったのだね。今回の日高先生逝去の報を聞いて、果たしてあの奥さんはどうなったのか懐かしく思った。

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