№3971 キューバ革命の聖地
今回のキューバ訪問でどうしても訪ねたかったのが、「キューバ革命の聖地サンチャゴ・デ・クーバ」である。1953年、この地から「キューバ革命」が始まったのだ。カストロを中心とした青年団が、時の政権バティスタ打倒に立ち上がった。この時は失敗して、カストロは牢獄につながれた。大半の青年は殺されたが、幸いにもカストロには恩赦が下り、メキシコに亡命を果たした。メキシコでチェ・ゲバラと知り合い、本格的にキューバ革命へと突き進んでいった。
ここサンチャゴ・デ・クーバには、革命の原点というべき記念碑がたくさん残されている。できるだけ訪ねてみたい。このサンチャゴ・デ・クーバは、1523~56年、1953~58年と二度にわたりキューバの首都だった。1959年1月1日、ここを首都にしていたバティスタ政権がカストロたちに倒され、キューバ革命が成功した。来年で60年になる。
宿の女将さんが確保してくれたのは、自転車タクシーだ。この運転手はスペイン語だけ、私はスペイン語をほとんど解さないで、コミュニケーションのとれない珍道中となった。まあ急ぐ旅でもないし、彼の案内するままに自転車に乗りノンビリ行こう。
最初に行ったのが「サンタ・イフィヘニア墓地」だ。大きな丸い石に【Fidel】と刻まれた墓があった。フィデロ・カストロの墓だ。カストロは最近まで元気で、つい数年前に亡くなった。事実はわからないたが、カストロはいろいろな地に分骨されているのだろうか。1953年亡くなった仲間のレリーフも一緒に飾られていた。
その墓のすぐ奥には、二人の儀仗兵に守られた墓がある。キューバ革命の先駆者ホセ・マルティの墓だという。カストロの墓には儀仗兵一人だけなのを見ると、ホセ・マルティが上位に位置付けられているのだろうか。キューバ政府の慎ましい姿勢に、拍手を送ろう。
どうしても行かかければならないのが【モンカダ兵営博物館】だ。1953年、カストロたちはこの兵舎を襲って、革命の口火を切った。バティスタが、ここに牢獄があったのを兵舎に変えたのだという。なかにはいろいろな記念品が飾られていたが、敷地の大半は学校の校舎になっていた。博物館の中に、ここで殺された青年たちの写真もあった。
街の中心にある立派なカテドラルも、革命にとって忘れられない場所の一つだ。このカテドラルのバルコニーの近くで、カストロは革命勝利の最初の演説をしたという。そういえばカストロの長広舌は有名で、一人で5~6時間も演説をしていた。果たして聞いている人はいたのだろうか。
【革命広場】にも寄ってみた。剣を持って馬に乗るキューバ革命の前史を飾るアントニオ・マセオの大きな像が立っていた。今朝サンチャゴ・デ・クーバに着いたばかりなので、ほとほと疲れてしまった。バスの中では断続的に眠っただけだ。
バスに忘れてきた洗面道具は、運転手が保管してくれていた。洗面道具の中には、常備薬や歯磨き、剃刀などを入れていた。宿の女将さんには薬がなくてもNo Problemとはいったものの、やはりホッとした。今日はこれくらいにしよう。
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