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2018年11月17日 (土)

№3988 旅の最後はトロツキー博物館へ

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 レオン・トロツキーを知っているだろうか。彼は、レーニンとともにロシア革命の原動力になった人物だ。ガイドブックで【レオン・トロツキー博物館】を見つけた。旅の最後に行ってみようと、楽しみにしていた。

 1924年、レーニンの死とともにトロツキーはスターリンと重大な路線対立を起こした。トロツキーは永遠革命を主張し、スターリンは一国社会主義を主張した。結局、トロツキーはこの路線対立に負け、1929年国外退去になった。その後、トロツキーは暗殺を恐れ、イスタンブール、パリ、オスロと転々と居を変えた。そして、最後にメキシコでスターリンの暗殺団に殺された。1940年(昭和15年)の事だった。

 私は、学生時代トロツキーの著作を何冊か読んでいる。もちろん、トロツキーがメキシコで暗殺にあったのも知っている。しかし、ガイドブックで【レオン・トロツキー博物館】が紹介されてるのは知らなかった。これはぜひ行ってみたい。

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 博物館は、メキシコシティの郊外にあった。タクシーで50分ほどかかった。ただ、タクシーで降りたのは、博物館とは違う場所だった。街の人に聞きながら、5分ほどで博物館にようやくたどり着いた。

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 玄関には、ロシア革命が成功した時の有名なレーニンとトロツキーの絵が飾ってあった。レーニンの死後、ロシア革命はずいぶんゆがめられていった。だんだん、スターリンの独裁が始まったのだ。ロシア革命の同志は、スターリンに次々と抹殺されていった。1930年代、スターリンは同胞を300万人以上殺したとされている。

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Img_7470  トロツキーは、スターリンの魔手を逃れるために居を転々と変えざるをえなかった。このメキシコの住居も、厳重に防御がなされていた。屋根には銃眼のある砦があった。壁は20cmもの厚さがあっただろうか。さらに、寝室は5㎝幅の鉄板で覆われていた。街路に面した窓には、さらに鉄板が張られていた。

 暗殺時、住居には何人かのガードマンもいたようだ。それでも破られ、暗殺されてしまった。今でもそうだが、政治テロはとどまることを知らない。狙った人間は、必ず殺してしまう。最近のサウジの新聞記者の遭難を思い出す。

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Img_7474  この建物の裏に、トロツキー夫婦のお墓があった。奥さんは1961年にパリで亡くなったようだ。トロツキーは忘れられた政治家かというと、決してそうではない。現に、そんなに混んではいなったが、次々とこの博物館には訪問者が訪れていた。若い人が多かった。

 この博物館の入口には、キューバ革命の記念写真も多く飾られていた。カストロやチェ・ゲバラの写真も多かった。キューバ革命の根は、トロツキーに共通するということだろうか。

 そういえば、昨年ジョージア訪問でスターリンの生家も訪ねた。私の昨年の南コーカサス訪問、今回のキューバ・メキシコ訪問に一本の道筋が見えた。

 旅の掉尾の【レオン・トロツキー博物館】訪問は、キューバ・メキシコの旅に意味をもたらしたのではないか。

(この記事は、メキシコシティのホテルロビーで書いているが、アップされるころには、もう自宅に着いていると思う。)

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コメント

おかえりなさ~い!
歴史にはうといですが、ずっと楽しくよみました。
土産話をまってます。

さっそくですが、(ツカレテナイ?デスカ)
20日の句会10時お願いしますね。

投稿: tae | 2018年11月17日 (土) 20時08分

Taeさん
コメントありがとう
今回早めに帰ってきた理由は
句会があるからです。
忘れていませんよ。
昨晩9時に寝て今朝8時まで。
おかげで時差ぼけは取れました。

投稿: シンさん | 2018年11月18日 (日) 10時08分

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