« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »

2018年11月

2018年11月30日 (金)

№4001 俳句合同作品展

Simg_7550  埼玉県民活動総合センターの一階にある「地域活動交流スペース」で、11月28日(水)から12月7日(金)まで「俳句合同作品展」が開催されている。

 俳句の師匠Yamahiko先生が指導する句会は、関東を中心に12に及ぶ。そのうち、埼玉県民活動総合センターやその近くで開かれている3句会で、合同作品展をやろうという企画が持ち上がったのは、この夏であった。『山茶花の会』、『山水の会』そしてわが『伊奈桟雲の会』である。

Simg_7551
 わが『伊奈桟雲の会』は、これまでもこの埼玉県民活動総合センターロビーで6度に及ぶ作品展を行ってきた。単独の作品展でもよかったのだが、先生の勧めもあって今回は合同の作品展にした。他の二句会は、作品展は初めてとのことだ。

Simg_7554
 飾ってみて分かったが、枯れ木も山の賑わいではないが、矢張り大勢の作品の展示のほうが見栄えがいい。今回参加したのは、総勢25名の方だった。その短冊を飾ってみると、なかなかいい作品展に仕上がったのではないか。

Simg_7556
 中央に飾ったのは、Yamahiko先生の短冊とSenshu講師の作品である。申し訳なかったが、飾りつけには私は所用があって参加できなかった。翌日行ってみたら、なかなか壮観だったね。開催期間中は、三句会の誰かが必ず立ち会っている。時間とご興味があったら、ぜひ出かけてみてください。

| | コメント (0)

2018年11月29日 (木)

№4000 ブログ投稿記事4000号を達成

 私のブログ記事が、この号で4000号になった。2008年1月22日に立ち上げたブログだが、ほぼ毎日一記事を投稿している。もしかしたら、何度か一日に二記事を投稿したこともあるかもしれないが、それでも始めて10年10ヶ月、ほぼ4000日になったということだ。

 私は飽きっぽい性格で、かつて同じことを長く続けたことはなかった。そのことは、長く親や兄弟姉妹にも言われ続けていた。これだけ続けられたというのは、この表現方法が私にマッチしていたということだろう。

 ブログのいいところは、直ぐに以前起きた出来事、書いた記事を振り返ることができることだ。ちなみに、第1号2008年1月22日に何を書いたのか振り返ってみたい(赤線をクリックすると、当該記事を読むことができる)。

 第1号記事は、自己紹介になっている。改めてこの第1号を読んでみると、このブログの方向性がほの見えて来る。私は定年後の2007年4月に、那須の「繭の里」に破屋を買った。ブログの当初の目論見は、那須での生活をお伝えしようという試みであった。

 那須の記事は、「【あるるのいえ】での生活」で341件、「初めての農業」で131件、「那須【あるるのいえ】」で334件と、計806記事の投稿をしている。全体でみると2割の記事が那須に関するものだった。そういう意味で、私のブログ名『繭の里通信』は当を得たものであった。

 ただ、圧倒的多数の記事は、その時々の出来事を書いたものだ。ちなみに、東日本大震災が起きた2011年3月11日は何を書いているのだろうか、振り返ってみた。ブログをはじめての最大事件が、いま読んでもリアルに再現されている。再度思い出すと、私は畑を耕していた。突然、大地が揺れ始めた。これは大地震、とすぐに思ったことが懐かしく思い出される。

 このブログをここまで続けてこられたのは、読者の支えが大きい。読んでくれる読者がいなかったら、4000号は続けられなかったと思う。今でも、コンスタントに一日100以上のアクセス数があるのは、うれしいことだ。ルート36さんのように、最初から読み続けてくれている読者もいるし、最近読者になった方も知っている。

 次の目標は、第5000号だね。それまでは3年弱かかる。ただ、心配は、最近自宅に籠る日が多く、書く記事に事欠くことが多い。元気で生きていられるのかも心配だ。まあ、あまり無理をせずに、これからも続けていきたい。

| | コメント (0)

2018年11月28日 (水)

№3999 驚異の83歳

Simg_7537
 第35回いきがいゴルフクラブの定期コンペがあった。会場は、「足利渡良瀬ゴルフ場」だった。このゴルフ場は私が予約したのだが、着いてみたら、とんでもないゴルフ場だった。私は「渡良瀬カントリークラブ」で何度かプレーをしたことがある。そのつもりで予約したのだが、全然違うゴルフ場だった。

 このゴルフ場は9ホールしかなくて、1ラウンドは同じコースを午前午後と二度回ることになっていた。しかも距離がなく、あるミドルホールは、「ドライバー禁止」の立て札がかかっていた。まあ、それでもシニアのわれわれにはちょうどいいかもしれないね。

Simg_7539Simg_7541  この日参加したのは、2組8人だ。大体、このコンペはこの8人が定番で、定着してしまった。夫婦が3組いるので、家庭のトラブルがなくいいかもしれない。

 この日私が一緒に回ったのは、Susumuさん、Tokuさん、Keikoさんだ。この日話題にしようと思っているTokuさんは、とんでもないゴルファーだ。83歳になるというのに、今でも週2回はゴルフ場に通っている。ゴルフがない時には、練習場通いだそうだ。

Simg_7544
 恐れ入るのは、ドライバーの飛距離が私より上だ。私もドライバーは飛ぶ方だと思っているが、絶えずオーバードライブされていた。それに数をこなしているので、アプローチは正確だ。今日の唯一の難は、パターだった。せっかくパーオンしても、3パットでボギーをたたく回数が結構多かった。

 彼に聞いてみたら、もうすでにエージシュート(自分の年齢と同じか、あるいは年齢を上回るスコアで回ること)を3回も達成しているとのことだ。さらに、生涯ホールインワンは5回とのことだ。体はそんなに大きくないのに、どこにそんな馬力があるのだろうか。参加者一同、ただ頭が下がるばかりだった。

Simg_7545
 そのTokuさんが、9月中旬にまたホールインワンを達成したのだそうだ。達成記念に作ったQUOカードを、この日は皆さんに配っていた。当然、今日も80台のラウンドだった。ただ、そのスコアにも満足していなかった。恐るべき83歳である。

 海外旅行もあったので、私は1か月半ほどのブランクがあった。さて、クラブにボールが当たるかな。スタートホールは、私がオナーだった。ドライバーを打ったら、スッテンコロリト転んでしまった。脚の抑えが利かないなとよく見たら、間違えてスパイクではなく運動靴を履いてきてしまった。

 それからは気を付けて回ったので転ぶようなことはなかったが、それにしてもスパイクを履いていないと、不安定極まりないものだったね。このゴルフ場は、総距離5200ヤードで極めて短かった。このコースは、アプローチ練習には最適だったのではないか。

 私は全然期待していなかったが、それでも3位に滑り込めたのはよかったね。

| | コメント (5)

2018年11月27日 (火)

№3998 那須から帰る

 今回は3泊4日の那須滞在だったが、大根の収穫、大根干しの目的も達成したので、帰ることにしよう。Ogiさんも今日帰るというので、最寄りの駅まで一緒に車に乗せていくことにした。

 那須は、車がないととても不便だ。彼女はいつも電車で那須に通っているが、ちょっと温泉に出かけるのにも、買い物に行くのにも不便だ。不便を押して、那須を買ったのだ。

 那須を買うときに、彼女には車の免許を取り、車を買ったらどうかと勧めたが、60代も半ばになると、そう簡単なことではなかった。一緒に那須に来る仲間がいると便乗できるのだが、そういつもいつも来る仲間がいるとは限らない。勢い、電車で来ることになる。

 世の中は3連休だったが、私には関係ない。ただ、連休も遅くなると道は混んでくる。お昼ごろに帰ることにした。私は、それまで布団を干し、洗濯を2回し、食器を洗い、部屋の掃除となかなか忙しかった。

 繭の里を出たのは、お昼に近かった。私は一般道を使って帰るが、彼女は車で来るときには高速道を使うらしい。新4号線を走ったのは初めて、といっていた。いつものように「道の駅しもつけ」で昼食を摂った。この道の駅も、彼女には初めてと言っていた。食事もおいしかったらしい。

 ちょうどこの道の駅で「北海道物産展」をやっていたので、覗いてみた。品数も少なく、値段も高かったので、私は何も買わなかった。ただ、彼女はちょこちょこ買っていたようだ。

 そして、最寄りの駅に着いたのがちょうど午後3時だった。予定通りだ。彼女をそこで降ろし、私は自宅に帰ってきた。

| | コメント (0)

2018年11月26日 (月)

№3997 突然の那須への客

 今回、那須には女房と一緒に行った。ところが、突然用事を思い出したとかで、女房は翌朝電車で帰っていった。那須の一人住まいは、全然苦ではない。ところが、自宅でテレビを見ていたら、突然電話が鳴った。Ogiさんからだ。

 どこから電話をしているのか聞いてみたら、なんと【あるるのいえ】の前にいた。知らない仲でもないので、電話などしないで直接家に訪ねたらいいのにね。彼女はガスの点検があるので、ガス会社の立ち合いで那須にやってきたらしい。来てみたら、私がいたので思わず声をかけたといっていた。

 ガス会社が午後3時に来るという。そうだ、ガスの点検が終わったら、温泉に行こうと話した。午後4時半ころに終わったそうだ。ずいぶん高いものについた、とブツブツ言っていた。彼女の別荘は、わが家から200~300m離れたところだ。最近では年2~3回しか来ていない。

 温泉の帰り、お互い一人で食事もつまらないと、一緒に夕食を食べようということになった。スーパーでお刺身、餃子、ポテトサラダなどを買った。後は自宅にあるもので、粗食ではあるが、なんとかなりそうだ。

Img_7536
 最近、このスーパーの近くに「那須ブックセンター」という本屋ができた。Ogiさんは、この店の店長と親しいというので立ち寄ってみた。彼女が最近上梓した『HAPPY ふくろう』という本の宣伝のためだ。店長はこの本の話は聞いていたらしいが、店にはおいていなかった。「早速、仕入れましょう」と言っていた。店長を食事に誘ったのだが、先約があるとのことで断られた。

 出来合いのものばかりだったので、夕食は簡単にできた。食事を摂りながらの話だったが、私が海外旅行中、件の本の出版記念会があったらしい。なんと91人も集まったという。大成功だったね。私の知り合いも多かったので、出版記念会の話を興味深く伺った。

 前にもこの本の話をしたが、彼女は大変な「ふくろうグッズ」の収集家だ。ふくろうは、「福来郎」とも書かれ、縁起物と珍重している収集家は多い。なんでも自宅にグッズだけで2000点弱あるというが、そのうち今回の本で1000点を紹介している。

 彼女の初めての出版物だけに、この本に賭ける思いも大きい。何とか売れてくれると良いね。

| | コメント (0)

2018年11月25日 (日)

№3996 大根を干す

Img_7532
 昨日収穫した大根だが、今日は洗って干そう。この別荘は、いくら水を使っても使用料がかからない。水が冷たい。ゴムの手袋をはめたが、その手袋を通して冷たさが伝わってくる。用意したのは、亀の子束子だ。

Img_7533
 大根を傷めないように、慎重に泥を落としていった。沢庵を漬けるつもりなので、一度だけでなく二度洗いをした。泥を落としてみると、大根の白さが目立った。

Img_7534
 さて、大根を干そう。例年は軒下に干していたが、今年は物干し竿があるので、ウッドデッキに干そう。干していたら近所のおじさんがやってきて、「猿にやられませんか」と心配してくれた。このところ、頻繁に猿の姿が目撃されている。

 例年、同時期に大根を干しているが、猿の被害にあったことはない。どうも、猿は大根はあまり好きではないようだ。おじさんにはそのことを言った。

Img_7535
 ウッドデッキに干してみると、いかにも冬の風物詩のようで良い絵になった。道行く人が、「美味しそうですね。何日間干しのですか」と聞いてきた。まあ、三週間くらいかな。この冬の風物詩も今年限りだ。地主に、今年いっぱいで畑を返す通告をしてきた。

| | コメント (0)

2018年11月24日 (土)

№3995 大根の収穫

 今回那須に来た最大の目的は、大根の収穫である。そういえば、昨年はほったらかして海外旅行に出かけたので、成長しすぎて巨大大根ができていた。今年はそれを見越して、例年より10日ほど遅く植えた。さて、どうなっているのか。

 

Img_7519
 大根は、素人百姓にとっては都合のいい作物で、種を植えたらほっておいても成長してくれる。唯一手を入れるのは、間引きのときだけだ。旅行に行く前に間引きだけはしておいた。沢庵に漬けるにはちょうどいい程度に成長していた。

Img_7521
 さて、収穫しよう。収穫はシャベルだけで足りる。大根に傷をつけないように、慎重に掘った。 とはいっても、何本かは傷をつけてしまった。この畝には、3年連続大根を植えている。連作障害の影響か、今年の出来はあまり良くない。

Img_7524
 80本ほど種を蒔いたはずだが、収穫できたのは60本だった。ちょうど、車の荷台に一杯になる程度だった。まあ、最低限これだけあると沢庵は漬けられそうだ。

 それにしても、私の車は高級車といわれているが、農作業に便利に使っている。車の荷台には、畑の泥がこびりついている。もったいないという人もいるが、まあ、これでいいのじゃないの。

Img_7526
 収穫した大根は、【あるるのいえ】の玄関に下ろし、包丁で大根の葉を切り落とした。大根を重ねてみたら、ほんの少量だった。今回の滞在はゆっくりなので、大根洗いは明日の作業だね。

| | コメント (0)

2018年11月23日 (金)

№3994 1か月半ぶりに那須へ

 10月上旬に那須に行ってから、しばらく行っていない。この間、女房は妹がやってきて、一泊で行ってきたらしい。さて、寒い那須に行くとするか。

 それにしても、那須は寒い。ストーブだけでは足りなくて、コタツも設えた。夜はあまりにも寒いので、毛布2枚と掛布団2枚かけて寝た。少し重かったが、寒さには代えられない。

Img_7515
Img_7517  朝起きてみたら、樹々の枯葉はほとんど落ちていた。【あるるのいえ】への導入路は、落葉に埋まっていた。こんなこともあると予想して、買い物にサツマイモを忍ばせてきた。様子を見て落葉焚きをしよう。


Img_7518

 さて、那須に半永住だった向かいのOhnoのお父さんはどうなったのだろうか、しばらく見ていない。電話をしたら奥さんが出てきて、「先週、那須に行ってきたばかりよ」といっていた。この夏から入退院を繰り返しているお父さんは、さすがに一人で那須に来る元気はないようだ。

Img_7529_2
 買い物に外に出てみた。那須連山は、すでに初冠雪を迎えていた。これから本格的な冬を迎える。今回は履いてこなかったが、次回からはスタッドレスタイヤが必要だね。

| | コメント (0)

2018年11月22日 (木)

№3993 映画『日日是好日』

 今週月曜日の飲み会で、映画『日日是好日』が話題に上がった。樹木希林の話題だったのか、または「お茶」の話だったのかは定かでない。ただ、Masaakiさんがいうには、「おかげで『日日是好日』が店頭で売れている」のだそうだ。早速検索をかけてみたら、いつも行っている銀座の映画館「シネスイッチ」で上映しているようだ。

Img_7502
 定期健診の午後、この映画を見に行った。平日だったにもかかわらず、映画館は結構人が入っていた。

 この映画の主演は黒木華、準主演は樹木希林だった。樹木希林の映画を最近よく見ている。最近でいうと、『万引き家族』であり『モリのいる場所』だ。樹木希林は、ご存知のように今年の9月15日に亡くなった。この映画は、亡くなってから封切られた。

 多分、去年から今年にかけて撮られた映画だろうが、それにしても樹木はシャキシャキとしていて、亡くなる直前に撮られた映画とはとても思えなかった。この映画で、この作品を樹木希林の遺作と銘打っていないので、まだ彼女を撮った映画はこれからも上映されるのだろうか。

 映画のキーワードは、フェデリコ・フェリーニ監督の映画『道』である。私も考えていたのだが、多分この映画を高校生の頃見た記憶がある。モノクロ映画で、内容が分からないまま映画館を出た。

 この映画の原作者森下典子も、この映画を小学5年で見たのだそうだ。その時には、何が何だかわからなかったという。大学生の時に再度この映画を観て、衝撃を受けたらしい。さらに、三十代半ばに見たときには、「ダラダラと涙が止まらなかった」という。

 「世の中には、「すぐわかるもの」と「すぐにはわらないもの」の二種類がある」という。すぐわかるものはそのまま通り過ぎればいいし、すぐにわからないものはフェリーニの『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、そのうちにわかってくるものだと作家は言う。

 今回のこの映画は、「お茶」の話だ。主人公の典子は、二十歳でお茶を始めた。いちいちの動作がきめ細かく決められていて、なぜと問うても、「お茶というのはそういうものなのよ」との返事しか返ってこなかった。

 最初は退屈していたが、お茶を習いはじめて20数年、ようやく最近おぼろげながらお茶の良さがわかりつつある、という話だった。樹木希林はお茶をやっていたかどうかは知らないが、その所作に熟練の味があった。
Img_7503
 帰りに、近くの書店で原作を買い求めた。

| | コメント (0)

2018年11月21日 (水)

№3992 誕生月は定期健診月

 11月は、私の誕生月である。定年後は、11月には必ず定期健康診断を受けようと決めている。そして、「自分の体は自分で守る」の精神で、それを実行し続けている。検診している診療所は、私が所属している健保だ。ここでの検診は無料なので、ありがたい。

 今日も定期検診に行ってきた。さて、昨年に比べて何か変わった兆候はあっただろうか。検診項目は、毎年同じだが、11項目ある。血圧・目の検査・聴力・身長・腹囲・血液検査・検尿・胸部・心電図・腹部エコー・眼底検査である。このほかに、胃のバリューム検査があるのだが、この検診は受けていない。

 旅行から帰ってきて、体重を計っていない。相当太ったのではないか心配したが、昨年比1kg減と聞き意外に思った。私は、血圧は毎年優等生だ。上が116に下が68だった。今年も変わりなかった。

 心電図の検査技師が、「誕生日はいつですか」と聞いたので昨日と答えたら、「それはおめでとうございます」といわれてしまった。この年になって誕生日もないのだが、それでもお祝いを言われたのは、川崎の姉に続いて二人目だ。

 11項目の検査が終わって、医者の診断があった。その医者はこともなげに「糖尿病ですね」といっていた。昨年は、糖尿病の境界領域とかで、糖尿病と断定されたことはなかったが、ズバリ言われたのにはショックを受けた。

 それにしても腹部エコー検査は、えらく丁寧だった。私一人に15分も検査していたかな。終わった後、何を検査しているのか聞いてみたら、その技師は「肝臓・脾臓・腎臓・膵臓・胆嚢等を見ているのです」といっていた。

 毎年のことだが、バリュームでの胃部検診は行っていない。その代わり、別の日に胃カメラ検査を行う。帰りに、胃カメラ検査の予約をとってきた。12月中旬だ。

 これで、また一つの年中行事をこなしてきた。

| | コメント (0)

2018年11月20日 (火)

№3991 名古屋の客を迎える

 旅行に出る前に女友だちのAmiちゃんから、「19日の月曜日は空いてる?」との電話をいただいていた。そりゃ空いているけど、旅行から帰ってすぐなので、時差ぼけが心配だった。何しろ、昼と夜が逆の国から帰ってきたのだ。

 ところが、帰国の日に眠いのを我慢したおかげで、ほとんど時差ぼけの心配がなく済んだ。もう夜はぐっすい眠れている。Amiちゃんの用事は、名古屋から来る客と一緒に酒を飲もうという話だった。今回は、長野からYoshiyukiさんも駆け付けてくれるそうだ。

 もう一つの飲み会のお誘いもあった。昭和18年生まれの人の会「一八会」の解散会だ。名古屋の賓客を前に、さすがにこの会は断った。ただ近い会場だったので、旅行の土産「HABANA CLUB」というラム酒を差し入れた。アルコール40度だったが、そのまま帰ったのでお酒はどうだったのだろうか。私も現地で飲んではいない。

Img_7500
 この日の会場は、これはいつも同じ飯田橋駅前の「川端」である。夜6時の約束に若干遅刻した。すでに名古屋の客MasaakiさんとAmiちゃんは到着していた。私はまだ風邪が治り切っていなかったので、今日は少し控えようと思っていた。ところが、飲み始めたらそうもいかない。Amiちゃんはお茶だけだったが、3人は結構飲んだ。

 この日の参加者4人は、奇しき縁で繋がっている。Masaakiさんが結婚した時に、東京で「結婚を祝う会」を私とYoshiyukiさんが主催し、Amiちゃんはカメラマンとして加わった。それ以来の長い付き合いだ。今でも笑い話になるが、Masaakiさんは44度のお見合いの末に結婚したのだ。

 彼は「最悪の選択だった」と話しているのだが、どうしてどうして、そういうことはないようだ。悪口を言う女房に、実はべた惚れなのだ。悪口は、お惚気の別の言い方かもしれない。Amiちゃんとはそれ以来だから、もう31年来の付き合いだね。

 もう35年くらい前になるが、私は営業担当で名古屋を4年間回った。その当時、営業では名古屋は日本でも一番難しい地域、と囁かれていた。だが、私は名古屋はすんなり入り込め、今でも多くの友だちを持っている。ただ担当を離れると、名古屋に縁はなくなった。

 この夜の話しで、来年の5月頃に一緒に名古屋に行こうということになった。そのころには、犬山での鵜飼が始まるとのことだ。それは楽しみだね。結局、4時間余り飲んでいたのではないかな。

| | コメント (1)

2018年11月19日 (月)

№3990 持って行った本は読んだのか

 この旅行記の中でほとんど触れてこなかったことがある。今回、厚手の文庫本を10冊持参したのだが、今日はどこまで読んだのかを報告したい。

 いつでもそうなのだが、私にとっての海外旅行は、「読書の旅」でもある。前にも報告したが、海外での夜遊びはほとんどしない。夕食が終わると、まっすぐホテルに帰ってくる。部屋には必ずテレビは置いてあるが、テレビを見ることもない。ひたすらブログを書くことと、本を読むことだ。

 今回も、メキシコシティには飛行機で14時間かかった。その長時間飛行は、私にとっては至福の時間だ。誰にも邪魔されずに、読書に浸ることができる時間だ。10冊持参した文庫本だが、今回日本に帰国するまでに8冊を読了した。ちょうどよかったのではないかな。今日は、どこで何の本を読んだかの報告をしたい。

Simg_7044
 まず、行きの飛行機で読んだのは馳星周『パーフェクトワールド(上)』だ。1970年、沖縄返還をめぐるごたごたの中で、警視庁から特別派遣された公安警察官・大城の物語だった。この大城が特別の悪で、自分の情報をもとに犯罪行為を重ねていくストーリーだった。行きの飛行機で(上)を読み終わり、(下)はハバナのホテルで読んだ。トータル1094頁あった。

Simg_7497
 次に読んだのが、新田次郎『劔岳 点の記』だ。新田次郎の本はかなり読んだはずだが、本書だけは読んでいなかった。ハバナからサンチャゴ・デ・クーバは長時間のバス旅行だったが、バスの中では本が読めない。バスは室内の電気を消して真っ暗にしていたし、天井灯もともらなかった。結局、読み終わったのはハバナに帰ってきてからだ。

 国土地理院が全国のあらゆる場所に三角点を埋設して、測量を行っている。明治の中頃、ただ一点白紙の状態の場所があった。未踏といわれた劔岳だ。その頂上に「点の記」を打つ物語だった。先人の苦闘がしのばれた。407頁だった。

Simg_7493
 北方健三の本は、どんなに長編であっても流れで読み切ってしまう。今回読んだのは、『草莽枯れ行く』だ。幕末の尊王攘夷の運動の中で、上州浪人・相楽総三、博徒・清水の次郎長、剣客・土方歳三等の動きを追う話だ。700頁に及ぶ長編だったが、ハバナのホテルで読んだ。

Simg_7496
 内田康夫の『化生の海』 は、主人公浅見光彦の事件簿だ。私は内田の本は最近読み始めたばかりだが、浅見光彦を主人公とした本は、これで何冊目だろうか。内田の本は魔法のようなもので、読み始めたら止まらない。北海道の余市で忽然と姿を消した男の死体が、加賀の橋立で見つかった。遺族の依頼を受けて、推理を働かせ、見事解決に導いた浅見だ。ただ、この時点でも警察は解明できていなかった。559頁を読み終わったのは、メキシコのホテルでだ。
 
Simg_7495
 火坂雅志『青き海狼』も夢中になって読んだ本だ。読んでいたのは、メリダからカンクンのホテルでだ。鎌倉幕府を襲った蒙古襲来だが、2度は幸いの嵐で退けた。ただ、フビライ汗は、日本襲撃をあきらめていなかった。三度目は、前の襲来に輪をかけて大きなものになりそうだ。主人公・朝比奈蒼二郎は、時の執権の密命を受けて大陸に渡った。モンゴルの動きを探るためだ。この物語は日本と中国だけではない。ベトナムの動きも絡ませ、壮大なスケールの718頁に及ぶ歴史小説だった。

Simg_7498
 最後のメキシコのホテルで読んだのが、宮部みゆき『名もなき毒』であった。宮部の文庫本は、読もう読もうと旅行中に持ち歩いていたが、結局最後になってしまった。宮部は読み難い、という先入観があったのかもしれない。案に相違して、そんなに抵抗感もなく読めた。

 トラブルメーカーの原田いずみをめぐる物語だ。彼女は経歴詐称の履歴書で、ある会社に入社した。ところがとんでもないことに、仕事ができなかった。それに平気で遅刻はするし、休暇を取ってしまう。たまりかねて、解雇にしたのだが、それがまたトラブルを生む対象になった。607頁に及ぶ長編だったが、すんなり読めてしまったね。

Simg_7499
 最後に帰りの飛行機の中で読もうと残しておいたのが、池井戸潤『アキラとあきら』だ。池井戸の本は、安心してどこでも読めるのがいい。今テレビ放映されている『下町ロケット』も、昨年話題を読んだ『陸王』も上質な小説だ。

 今回の小説は、零細工場の息子・山崎瑛(あきら)と大手海運業者の御曹司・階堂彬(あきら)をめぐる物語だった。メキシコから帰りの飛行機は真夜中の出発ということもあり、皆さん電気を消して寝静まっていた。私の席だけが、天井の明かりで照らされた。帰りはほとんど寝ずに、この小説に没頭した。これも713頁に及ぶ長編小説だったが、帰りの長期の飛行機も苦にならなかった。

 今回の旅で読んだ本は、計8冊・4800頁ほどだった。足掛け23日間の旅行にしては、いいペースだった。今回は、読書でも忘れられない旅になった。ひとまず、キューバ・メキシコ旅行記はここまでとしたい。

 

| | コメント (0)

2018年11月18日 (日)

№3989 大冒険から無事帰る

 足掛け23日間にわたる海外旅行から無事に帰ってきた。今朝6時に成田空港に到着し、そのまま自宅に帰った。昨晩はメキシコ~成田14時間の旅だったが、ほとんど寝ていないのではないか。

 急いで自宅に帰る必要もないと、高速道路は使わずに一般道で帰った。まあ、寝不足でヘタに事故を起こさないようにと、運転には慎重になった。だけど、一般道で帰ってきても高速とほぼ同じ時間だった。朝9時半には、自宅に着いた。今は眠いけど、ぐっと我慢して夜ぐっすり寝るのが時差解消の秘訣だ。

 今回のキューバ・メキシコ旅行では何も不満はなかったが、ただ麺類がなかったのが不満といえば不満だ。帰る途中ラーメン屋はないか探しながら運転していたが、さすが朝の早い時間なので、ラーメン屋はやっていなかった。仕方がない、Yうどん店でてんぷらそばを食べた。

 名誉のために名前は伏せたが、このチェーン店はこんなにもまずかったかな。蕎麦はべちゃべちゃしていて腰がない。蕎麦のたれもしょっぱいのだか甘いのだが、ピリッとしなかったね。まあ、それでも麺が食べたかったという欲求はひとまず解消した。女房もそれを考えたのか、お昼はラーメンを作ってくれた。

 途中風邪は引いたが、それでも深刻にならずに済んだ。海外旅行に行くといつもそうなのだが、強烈な便秘に見舞われている。私は体に言い聞かせて、朝食後はかならず便を出してすっきりしている。

 それが、海外に行くと時差には慣れても、体がいうことを聞かない。便は、ある時間を決めて定期的に出すのがいいんだよね。それが、海外に行くと体も迷ってしまうんだろう。いつ便を出していいかわからなくなってしまう。

 それと、便秘のもう一つの原因は水だろうね。水が変わると、便が出にくくなるのはどうしてだろうか。まあ、普段の生活で徐々に慣らしていくしかないよね。さらに下ネタでもう一つ。私は前立腺肥大で、絶えず薬を飲み続けている。この薬が、旅の途中で切れてしまった。薬が切れると、途端におしっこの出が悪くなる。旅の最後は苦しんだネ。

  持ち帰った荷物は、大きなスーツケースが2つとザックにショルダーバックだ。内実は、笑ってしまうが、大半が洗濯物だった。天気が良かったので、2度に分けて洗濯した。モノ干し場は、洗濯物で一杯になった。

 この旅行で書かなかったこと、書けなかったことを時間をかけて徐々に皆さんに紹介していこうと思っている。何よりも、皆さんが私のブログに興味を持っていただき、一緒に旅行した気分になっていただけたと信じている。

 長い旅行の紀行文だったが、ご愛読ありがとうございました。ブログは、まだまだ続きますよ。

| | コメント (4)

2018年11月17日 (土)

№3988 旅の最後はトロツキー博物館へ

Img_7472
 レオン・トロツキーを知っているだろうか。彼は、レーニンとともにロシア革命の原動力になった人物だ。ガイドブックで【レオン・トロツキー博物館】を見つけた。旅の最後に行ってみようと、楽しみにしていた。

 1924年、レーニンの死とともにトロツキーはスターリンと重大な路線対立を起こした。トロツキーは永遠革命を主張し、スターリンは一国社会主義を主張した。結局、トロツキーはこの路線対立に負け、1929年国外退去になった。その後、トロツキーは暗殺を恐れ、イスタンブール、パリ、オスロと転々と居を変えた。そして、最後にメキシコでスターリンの暗殺団に殺された。1940年(昭和15年)の事だった。

 私は、学生時代トロツキーの著作を何冊か読んでいる。もちろん、トロツキーがメキシコで暗殺にあったのも知っている。しかし、ガイドブックで【レオン・トロツキー博物館】が紹介されてるのは知らなかった。これはぜひ行ってみたい。

Img_7462
 博物館は、メキシコシティの郊外にあった。タクシーで50分ほどかかった。ただ、タクシーで降りたのは、博物館とは違う場所だった。街の人に聞きながら、5分ほどで博物館にようやくたどり着いた。

Img_7461
 玄関には、ロシア革命が成功した時の有名なレーニンとトロツキーの絵が飾ってあった。レーニンの死後、ロシア革命はずいぶんゆがめられていった。だんだん、スターリンの独裁が始まったのだ。ロシア革命の同志は、スターリンに次々と抹殺されていった。1930年代、スターリンは同胞を300万人以上殺したとされている。

Img_7478
Img_7470  トロツキーは、スターリンの魔手を逃れるために居を転々と変えざるをえなかった。このメキシコの住居も、厳重に防御がなされていた。屋根には銃眼のある砦があった。壁は20cmもの厚さがあっただろうか。さらに、寝室は5㎝幅の鉄板で覆われていた。街路に面した窓には、さらに鉄板が張られていた。

 暗殺時、住居には何人かのガードマンもいたようだ。それでも破られ、暗殺されてしまった。今でもそうだが、政治テロはとどまることを知らない。狙った人間は、必ず殺してしまう。最近のサウジの新聞記者の遭難を思い出す。

Img_7464
Img_7474  この建物の裏に、トロツキー夫婦のお墓があった。奥さんは1961年にパリで亡くなったようだ。トロツキーは忘れられた政治家かというと、決してそうではない。現に、そんなに混んではいなったが、次々とこの博物館には訪問者が訪れていた。若い人が多かった。

 この博物館の入口には、キューバ革命の記念写真も多く飾られていた。カストロやチェ・ゲバラの写真も多かった。キューバ革命の根は、トロツキーに共通するということだろうか。

 そういえば、昨年ジョージア訪問でスターリンの生家も訪ねた。私の昨年の南コーカサス訪問、今回のキューバ・メキシコ訪問に一本の道筋が見えた。

 旅の掉尾の【レオン・トロツキー博物館】訪問は、キューバ・メキシコの旅に意味をもたらしたのではないか。

(この記事は、メキシコシティのホテルロビーで書いているが、アップされるころには、もう自宅に着いていると思う。)

| | コメント (2)

2018年11月16日 (金)

№3987 最後の夜はマリアッチ

 カンクンからメキシコシティまで飛行機で帰ってきた。カンクンのホテルに脅かされ早めにホテルを出、午前10時前に飛行場に着いたが、チェックインは自動券売機で簡単にできた。しかも、日本語での手続きだったので、何の問題もなかった。空港では、待ち時間が長かった。

 午前11時40分発の飛行機が、メキシコシティに着いたのは午後1時10分頃だ。これは時差のごまかしがあり、乗っていた時間は2時間半ほどだ。真夏のカンクンから帰って来たのだが、メキシコシティは驚くほど寒かった。

 ホテルは、前回泊まった同じホテルだ。大半の荷物をこのホテルに預け、ザックに5日分の着替えと着るもの、ショルダーバックにパソコン、ガイドブックだけでユカタン半島を回ってきたが、手軽でよかったね。
 さて、今晩はどうしようか。日本にいてもそうなのだが、この旅行でもほとんど夜遊びはしていない。夕方7時頃、ホテルに近くで晩飯を食べ、そのままホテルに帰って来る日々だ。ただ、今晩だけはマリアッチを聞きに行こう。マリアッチを聞くのは、ガリバルディ広場だ。タクシーで150ペソ(約1000円)かかった。

Img_7448
 ただ、この晩も引き続き寒く、気は重かった。ようやく治った風邪がぶり返すのではないか、心配だった。ガリバルディ広場は寒風が吹きすさんでいたが、広場のあちこちで演奏が始まっていた。音楽はテンポが良く、ヴァイオリン、チェロ、ギター、トランペットに歌手の構成だった。客一組にこの楽団が演奏しているようだ。

Img_7457
 あるレストランでは、別の楽団が客に音楽の演奏しているようだった。ガイドブックによると、一曲100ペソ(約670円)というが、果たしてどうなのだろうか。とにもかくにも寒いので、建物の中に入った。そこはレストラン街だ。

Img_7453
 えいやっとある店に入った。体が冷えているので、暖かいものが欲しい。メニューはスペイン語だけだ。写真があったので、スープと焼き肉を頼ん だ。どんなに寒くても、やはりビールは欲しいね。ここのスープは、思いのほか美味しかった。

 一人でレストランに入ると、食べ切れないほどのものが出てくる。昨晩もカンクンのレストランで3品注文したが、最後に出てきたピザはほとんど残してしまった。体重は計っていないが、どうもこの旅で相当太ったのではないかな。

Img_7455_2
 ガリバルディ広場のレストランでも、2品とビールで十分お腹がいっぱいになった。このレストラン街にも演奏家がたくさんいた。日本でいえば、流しのギター弾きといったところか。
夜遅くなると、広場には演奏家は増えてくると思うのだが、寒いのでこの日は早々にホテルに引き上げた。

| | コメント (0)

2018年11月15日 (木)

№3986 カンクンの街をぶらり歩く

 カンクンは、メキシコ最大のリゾート地だ。客は国内だけではなく、海外からも押し寄せる。目的は、カリブ海に面する海の白砂青松である。私も、この街で存分にリゾート気分を味わうことにした。

 ホテルのフロントで、ラグーン(岩礁)にどうやって行くか聞いた。そしたら、「タクシーで250ぺソ(約1600円)くらいかかるのでもったいないですよ。すぐ近くの角から頻繁にバスが出ています。R1番線かR2番線のバスなら行きます」というので、バスに乗ることにした。

 本当にバスは頻繁に来た。しかも1回の乗車が、どこまで行っても12ペソ(約80円)だった。これはいいね。どこまで行くのか、試しに乗ってみた。折り返し地点に来て、運転手が降りないのかという顔をしていた。慌てて降りた。このラグーンは、全長22㎞あった。とてもじゃないが、歩ける距離ではない。

Img_7442
 しばらく歩いていたのだが、暑くてまたバスに乗った。便利なことに、このラグーンでは手を上げるとどこでも止まってくれる。道沿いは、巨大なリゾートホテルが建ち並んでいた。ガイドブックによるとホテルは230棟ほどあるとあったが、まだどんどん建ち続けているようだ。

Img_7444_2
Img_7443  ある砂浜でバスを降りた。カリブ海の海の色は、アクアブルーそのものだった。砂浜に降りてみたら、砂粒は白くて細かい。多分、サンゴの砂ではないかな。

 海で泳いでいた人もいたが、ウィンドサーフィンや落下傘のようなもので空に浮かぶ遊びをしている人もいた。11月でこれだけ暑いのだから、一年中遊べるのじゃなかしらね。

 スピードボートでジャングル探検という冒険ツアーもあるようだ。2時間で90ドルだと言っていた。旅も終わりに近づき、財布も心許なくなりつつある。ここは諦めよう。

Img_7445
 海に面したレストランで、お昼はホッとドックとビールで済ませた。目の前では、水遊びをする子供がいた。延々と続く砂浜は、リゾートホテルのプライベートビーチなのかしらね。ハワイでもそうだったが、ホテルは海が目の前でもプールがある。

Img_7446
 昼食を済ませ、さてカンクンの街に出てみよう。また例のR1のバスに乗った。中心街に出てみたが、雑然としてみるべきところがなかった。さらに、R1のバスに乗り、ラグーンに帰ってきた。おや、アウトレットという看板がある。お土産を買おう。

 さて、ホテルに帰るとするか。またバスに乗った。さあ、どこで降りるんだろうか。よく注意して外を見ていたが、わからなかった。あるところで、エイヤッと降りてみた。タクシーの運転手にホテルはどこか聞いてみたら、なんと目の前だった。

| | コメント (0)

2018年11月14日 (水)

№3985 チチェン・イツァ遺跡見学

 カンクン訪問の最大の目的は、チチェン・イツァ遺跡を見学することだ。今まで、メキシコシティでテオティワカン遺跡を見学し、メリダでウシュマル遺跡の見学をした。この日のチチェン・イツァ遺跡で、メキシコの三代遺跡を見学することになる。

 朝7時ホテル発のツアーに乗ることにした。ホテルチェックイン時に予約したつもりが、7時に玄関に出てみたら、すでにバスは出発していた。ホテルのフロントに聞いてみたら、正式な予約は受けていないという。予約した時点で、お金約9,000円を払うべきだったのだ。

 さてどうしようか考えていたら、ある方が「バスステーションからチチェン・イツァ行きのバスが出ているよ」と教えてくれた。別にツアーに乗るのが目的でないので、バスステーションで往復チケットを買った。結果大成功で、半額以下で目的地に行くことができた。

Img_7397
Img_7396  チチェン・イツァまでは、行きが2時間半かかった。驚いたことに、平日にもかかわらずチチェン・イツァはものすごく混んでいた。観光バスが何台も停まり、遺跡にもものすごい人だ。どうも、ここはカンクン最大の観光地らしい。

 ツアーに乗っても、英語の解説は半分も理解できていない。行き帰りのチケットだけでよかったのだ。ここはガイドブックに従って、忠実にこの遺跡を歩くことにしよう。ガイドブックによると、8つのポイントがあるらしい。そこをなぞって歩いてみることにした。

Img_7399

Img_7401  まず、第一のポイントが球戯場である。両面の長さ168m、幅70mの壁が建っていて、その間が球戯場になっている。球技は、ゴムボールを壁の穴に通すものだったらしい。石の穴のゴールは非常に高いところにあり、この穴にボールを通すのはなかなか難しかったようだ。

 この球技は宗教的な意味もあり、敗者は首を刎ねられたという。壁のレリーフには、生贄の神官が首を刎ねられているシーンもあった。

 それにしても、直射日光は厳しい。カンクンは亜熱帯を通りこして、熱帯に近い。一刻も早く、木陰に逃げ込んだ。

Img_7417 Img_7412  このチチェン・イツァ遺跡の最大の目玉は、カステージョ(城あるいは砦)と呼ばれている9層からなるピラミッドだ。遺跡に詳しくない私でも、このカステージョは何度も目にしたことがある。

 春分の日と秋分の日の年2回、階段に羽根のような影が出来、階段下にある蛇頭につながる不思議な現象だ。設計時に計算されたものだろうね。

 チチェン・イツァ遺跡で3か所目になる遺跡訪問だが、メキシコの遺跡は、どこも石がふんだんに使われている。よくぞこれだけ石を積んだものと、すごい迫力を感じた。

Img_7421_2Img_7434  この遺跡はマヤ文明の遺跡だが、2度の興亡があり、紀元700~900年が一つのピークで、もう一つは紀元1000年だそうだ。ここには旧チチェン・イツァと新チチェン・イツァの遺跡があった。

Img_7419
 もう一つ、この遺跡の目玉は、セノーテといわれる聖なる泉だ。大地に丸い穴が開き、水がたまっている。どこからも水が流入した形跡はないという。この地は石灰岩台地であり、大地が丸く陥没して、地下水が現れたものらしい。このセノーテは、この遺跡のあちこちで見られるとのことだ。

Img_7430  炎天下を3時間も見て歩いたら、ほとほと疲れてしまった。近くのレストランで昼食を食べた。寄ってきたのが地元のカラスだ。日本のカラスとは違い、3分の一くらいと小ぶりで、足が長い。カ~~とは鳴かず、ギャッと甲高い声で鳴いていた。
 帰りのバスは、午後4時半出発だ。遺跡見学を終えて、ずいぶん時間を持て余してしまった。この遺跡に来るのに2時間半ほどだったが、帰りは4時間半もかかって着いたのが9時だ。別に渋滞したわけでもなかった。

 なぞは時差にある。メキシコは日本の5倍ほどの面積があり、人口も日本より若干多い。メキシコの一つの国に3つの時差がある。今回の遺跡訪問は、時差をまたがって起きたものだった。面白いね。日本では経験できないことだ。

| | コメント (0)

2018年11月13日 (火)

№3984 最終目的地カンクン到着

 メリダからバスで最終目的地カンクンに到着した。意外とすんなりとはいえ、様々なトラブルもあった。

 メリダのホテル受付カウンターで、カンクンに行きたいがどうすればいいのか聞いた。スーパーマーケットの隣を教えてくれたので、タクシーで行った。カンクン行きのチケットは、3,000円で無事に取れたのだが、どうもバスが発着している様子はない。

 聞いてみたら、バスステーションは別にあるらしい。タクシーの運転手が待ってくれていた。彼も、この場所がバスの発着所ではないと知っていたらしい。どうやら、私はホテルでバスチケットをどこで買えばいいのか聞いたので、チケット販売所を教えてくれたようだ。

 またタクシーに乗り、バスステーションまで行った。チケット売り場はホテルから近かったのだが、バスステーションは結構遠かった。とても歩いて行ける距離ではない。

 ステーションに着いたのは午前10時10分頃だ。午前11時発のチケットを買った。チケット売り場のお姉ちゃんが、午後5時半ころに着くと言っていた。6時間半のバス旅行を覚悟した。このステーションで、昨日のイシュマル旅行で一緒だった女性とばったり出会った。彼女は、ノーチェ(?)に行くと言っていた。

 バスは、リクライニング付きのシートで快適なものだった。ただ、バスに乗っているのはほとんど現地人だ。そして、午後4時半ころ大きなステーションに停まった。全員が降りるので、運転手にここはどこかと聞いてみた。ここがカンクンだったのだ。

 このステーションでタクシーに乗り、ホテルに向かった。ホテルバウチャーでタクシーにホテルの場所を教えたのだが、どうやら違うホテルのようだ。指定するホテルは歩いて15分だが、タクシーで行ったほうがいいよと言っていた。

 そして、ようやく目指すホテルに着いたのが午後5時半ころだ。やれやれホッとした。このホテルに3泊する予定でいる。

 さらに大きなトラブルが起きた。カンクンからメキシコシティ行きの航空券をネット予約をした。SASAKIと入力しなければならないのに、MISAKIと入れてしまった。予約情報を貰って、はじめてそのことに気がついた。

 この航空券は6,000円ほどだったが、名前の訂正には12,000円かかるというのだ。それならばと、この航空券をキャンセルして別の航空券を買うことにした。新たな航空券は10,000円ほどで買えたが、前の航空券はキャンセルできないというのだ。まあ、自分が間違えたのだからしようがないか。

 一人旅にトラブルはつきものだ。これも旅行だね。

| | コメント (2)

2018年11月12日 (月)

№3983 マヤ文明の遺跡巡りツアー

 メリダで泊まったホテルは、郊外にある大きなショッピングセンターの一郭にあった。本当は旧市街に泊まりたかったのだが、これもネットで宿をとる悲哀で、やむを得ない。「完全休養日」の昨日は、実によく眠った。おかげで疲労はとれたが、風邪からくるダルさは残った。

 さて、メリダに泊まった最大の理由は、マヤ遺跡観光のゲートシティだからだ。例のように、ホテルのツアーデスクで、マヤ遺跡ツアーを申し込んだ。1日観光・昼食付で650ペソ(約4300円)だった。朝9時にホテルに迎えに来るという。

 この日は2か所の遺跡を回るらしい。最初に行ったのは、カバーの遺跡だった。メリダから車で1時間半ほどだ。とはいえ、距離では170㎞もあり、ガイドの車は100㎞以上で飛ばしていた。こういうことができるのも、高速道路網が完備していて、しかも高速を走っている車が少ないからだ。どうやら、高速道はいくら走っても無料のようだ。

 マヤ文明は、ここユカタン半島からグアテマラ・ホンジュラスにかけて栄えた高度な都市文明で、巨大なピラミッドや神殿を中心に、すぐれた暦法、数学、絵文字、石彫などを特徴としている。紀元200~900年ころが最盛期だったという。

Img_7362
Img_7370Img_7369  カバーの遺跡も、高い石彫の神殿が残っていた。よくみてみると、石に精巧な模様が刻まれている。象の鼻のような模様も、この文明の特徴とガイドは話していた。

Img_7372_2
Img_7388  若干崩れているとはいえ、それにしても2千年前の建物がよく残っていたものだ。遺跡を残すには、多大な力が必要だ。放っておくと木や草が生え、崩れていくものだ。アンコールワットは、巨木に切り崩された遺跡修復に甚大な力を注いでいた。

 遺跡を棲み家とする住民もたくさんいた。イグアナである。体長20㎝から大きくても40㎝くらいだった。人に慣れているせいか、観光客を見ても逃げるようなことはなかった。

Img_7382
Img_7378  もう一か所訪ねた遺跡が、ウシュマルの遺跡である。カバーの遺跡から22㎞のところにある。この日訪ねたのは2か所だけだったが、この周辺には、サイル、シュラバック、ラバナなどたくさんの遺跡があるという。けど、ハイライトはウシュマルの遺跡だ。マヤ文明の代表的な遺跡の一つだ。

 この石彫の建物は「魔法使いのピラミッド」といわれ、中に4つの神殿が入っているという。高さ38mの巨大な石積は、これを積み上げた人々の苦労の結晶がしのばれる。中には入れないという。

Img_7387Img_7386  この「魔法使いのピラミッド」を嚆矢として、イシュマルにはたくさんの石造建築物が残っていた。尼僧院や総督の宮殿などだ。

 これだけの遺跡を造る動機は何だったのだろうか。決して時の権力者の力だけではなかったのではない。むしろ、神的な動機によるものが大きかったのだと思う。

Img_7394
 さらに、総督の宮殿の裏にあった巨大なピラミッドが【グラン・ピラミッド】というのだそうだ。頂上まで登ると360度のパノラマが楽しめるというが、私は階段に怖気づいて、ついに登らなかった。

 この日のツアーに参加したのは8人だった。昼食の時にお互い自己紹介したが、いろいろと違った国の参加者だった。ロンドン、オランダ、デンマークの夫婦、中国人などだ。30歳くらいの中国人は、流暢な英語で仲間に溶け合っていたが、私には出来なかった。何しろ中学程度の語彙で、英作文で話すことを考える程度ではコミュニケーションは無理、とつくづく感じた。

| | コメント (0)

2018年11月11日 (日)

№3982 今日は完全休養日

 今朝5時30分の飛行機に乗り、ユカタン半島のメリダという街にやってきた。メリダに着いたのは、朝の7時半ころだ。昨晩、夕食を抜いたので、お腹が空いてしまった。空港のハンバーガーショップで、ハンバーガーとジュースで朝食を摂った。

 よく考えてみたら、日本を経って今日で16日目になる。相当疲れている。疲労のせいか、体はだるいし、どうも風邪気味でもある。風邪も疲労から来ているのだろう。そうだ、今日は「完全休養日」にしよう。

 朝5時半の飛行機に乗るために3時半に起き、ホテルを4時に出た。3時40分にスマホのアラームをセットしていたのだが、アラームが鳴る前に目が覚めた。昨晩は8時半にベッドに入り、寝たのは9時半だ。夜中に何度か目を覚ましたが、まあ、それでも6時間近い睡眠をとっている。

 それでも、体の奥には「寝足りない」という警鐘がなっていた。メキシコの空港でも、目指す飛行機に乗るのに四苦八苦した。第1ターミナルという指定だったが、そのターミナルも広い。誰に聞いてもまともな返事が返ってこなかった。

 空港に早く着いたはずだったが、間に合うかどうか焦った。ようやくVolaris航空の飛行機の乗り場に着いたが、物凄くたくさんの人が待っていた。搭乗手続きが間に合うか心配したが、幸いなことにインターネット予約は別枠で、すぐに搭乗券が取れた。朝5時に飛行機に乗った時には、もうくたくただった。

 空港で朝食を終え、まずはホテルに行ってみよう。タクシーで20分ほどだった。普通、ホテルのチェックインタイムは午後3時頃だ。午後3時まで待つように言われたらどうしようか。ところが、幸いにも午前9時半ころに支払いが終わったら、入室可能だった。味もそっけもない部屋だったが。

 入室と同時にシャワーを浴び、ベッドに横になった。3時間ほど寝て、少しは疲れがとれたかもしれない。しかし、疲労を抜くには今日は「完全休養日」としたい。出かけるのはよそう。

| | コメント (2)

2018年11月10日 (土)

№3981 メキシコシティ一日ツアー

Img_7323
 目的もなく街を歩くには、ホテルが用意しているツアーに乗るのが一番手っ取り早い。ホテルでパンフレットを貰い、テオティワカンの遺跡巡りを含む一日ツアーに乗ることにした。行き先の解説はスペイン語で書いていたので、果たしてどこに連れていってくれるだろうか。

Img_7331  9時前にツアーの車がホテルに迎えに来た。このホテルからの参加は私一人だったが、徐々に増えていって結局15名になった。私の隣に座ったのは、ブラジルのサンパウロから来たというかわいい女性だった。おや、背中を見ると刺青がある。【愛】という彫り物だ。もちろん、彼女の了解をえて撮らしてもらった。

 今回の旅行で気がついたのだが、一体に男も女も刺青をしている人が多いね。悪戯みたいな刺青を見ていると、一生消えないのにどうするんだろう、と余計な心配をしてしまう。

Img_7316
 バスのガイドは、ほとんどスペイン語で解説していた。私には何を言っているのか、ほとんど分からなかった。それでも、あるキーワードをもとにガイドブックで後追いをしていく。どうやら、三つの文化の遺跡が見られる【三文化広場】というのだそうだ。アステカ帝国の遺跡に16世紀のサンティアゴ教会、それに現代の団地が一堂に会している。

Img_7326
Img_7324  次に行ったのが、【グアダルーベ寺院】を含む教会群がある場所だ。おや変だね、建物が何か傾いた教会だ。1709年に建てられた教会だが、地盤沈下のために傾いてしまったらしい。

 由緒ある教会なので解体するわけにもいかないらしい。この教会の目の前に、2万人収容できるという新しい教会が建っていた。中に入ってみると、大司教のミサが行われており、大勢の信者がそのミサに聞き入っていた。

Img_7330Img_7333  それにしても何なんだろうね、この近くに建つ教会は皆傾いていた。わざと傾けて建てたということもないだろうから、やはり地盤が悪いんだろうね。

Img_7347
Img_7339  このツアーは銀細工のお土産屋などにも寄ったが、それは省略する。そして、ついに今日の目的テオティワカンの遺跡に着いた。私が想像していたよりもズーット大規模な遺跡だった。テオティワカンの遺跡は、紀元前2世紀に建造されたメキシコ最大の遺跡だそうだ。

 大きなピラミッドだけで二つあり、私の後ろにあるのは【月のピラミッド】、さらにここから500mくらい離れたところに【太陽のピラミッド】が建っていた。

 【月のピラミッド】は高さ42m、【太陽のピラミッド】は高さ65mあるらしい。こわごわと月のピラミッドの階段を登ってみたが、くらくらしてきた。私は高所恐怖症なのだと、はじめて知った。月のピラミッドは途中までしか登れないが、太陽のピラミッドは頂上まで登れた。


Img_7348

Img_7349  しかし、太陽のピラミッドの階段を前にして、急階段で段差の狭いその怖さに、登るのをあきらめてしまった。月のピラミッドから太陽のピラミッドに向かって広々とした道が広がっている。【死者の道】というのだそうだ。

 紀元前の遺跡なのに、太陽の昇る位置、春分・秋分の日の太陽の位置など、相当綿密に計算されていたという。時の権力者の権力行使というよりも、宗教的な意味があったのだろう。

 この遺跡で、日本からの一人旅の男性に会った。彼は新婚なのにもかかわらず、嫁さんを置いて2週間の旅をしていると言っていた。なぜか聞いたら、「面倒だ」そうだ。

Img_7358
Img_7359  昼食を終えたのは、午後4時過ぎだった。そこからテキーラ工場を巡った。テキーラは何でできているのか知らなかったが、意外とリュウゼツランの絞り汁だそうだ。このリュウゼツランからは紙も取れるし、繊維も採れるのだそうだ。テキーラの試飲をさせてもらったが、意外と値段の高いものだね。

 お土産に、リュウゼツランの繊維で作ったというアカスリを二個買ってきた。まあまあ、良い一日ツアーだったのではないかな。昼食が遅かったので、今晩の夕食は抜きにしよう。

| | コメント (0)

2018年11月 9日 (金)

№3980 メキシコの街を手探りで歩いてみよう

 今日は、メキシコシティを手探りで歩いてみよう。朝食を終え、9時過ぎに宿を出た。キューバは渋滞とは無縁の国だったが、メキシコシティは街の隅から隅まで車が湧いてくる。物凄い渋滞だ。どこからこんなにと思うぐらいだ。

 そして、どうしても気になるのが日本車である。キューバではほとんど走っていなかった日本車が、メキシコでは一番目につく。しかも、多くは日産の車である。メキシコには、日産の工場でもあるのかしらね。

Img_7270
 とりあえず、メキシコシティの中心部に向かった。私が泊まったホテルは、中心からちょっと離れているようだ。朝の通勤ラッシュ時だったが、目指したソカロ地区の大広場はガランとしていた。ガイドブックによると、モスクワの赤の広場、北京の天安門広場に次ぐ広さだという。

Img_7271
 この広場を囲むように、古びた建築物が建っている。国立宮殿、カテドラル・メトロポリターナ、サン・イルデフォンソ学院、テンプロ・マヨールなどである。一つ一つ見学して回ろうか。

Img_7274
Img_7275  最初に入場したカテドラルは、荘厳という言葉しか見つからなかった。織田信長の時代、1573年に着工したこのカテドラルが完成したのは、240年後というから江戸時代末期だ。何よりすごかったのは、パイプオルガンだ。ちょうど演奏していたが、オルガンの音が堂内を圧倒して鳴り響いていた。

 このカテドラルは様々な災害に会い、最近でも火災に見舞われたらしい。オルガンのパイプが少し煤けているようにみえた。さらにこの重さで、カテドラル自身が地盤沈下しているという。

Img_7273
 そういえば、街のあちこちでオルガンのような音が聞こえてきた。手風琴のようだ。これを鳴らしながら、寄付を募っている人が何人もいた。手風琴など、最近は見たこともなかったね。

Img_7279
Img_7280  次に訪ねたのが国立宮殿だ。カテドラルもこの国立宮殿も、入場無料だった。この国立宮殿は、いってみればガラクタを集めたのではないかと思われた。【Japon】という部屋があったが、何ら思想性のない飾りが並べられていたね。

 お雛様が飾ってあったかと思うと、槍や鎧が飾ってあった。焼物もあれば書もあるし、源氏物語絵巻までと雑多だったね。古代の埴輪まであった。この飾りを見て、日本を理解などできないと思ったね。

Img_7282
 さらに、別の部屋には1964年の東京オリンピックの部屋があった。そこには、東京オリンピックで活躍した遠藤幸雄選手のほかチャフラスカ選手の写真も多数あった。展示物の一貫性がないと思って、この館を出た。

Img_7288

Img_7289  すごかったのは、このすぐ近くの【テンプロ・マヨール】の神殿跡だ。1450~1500年にかけて、ここにはアステカ時代の7層の中央神殿があったらしい。スペインにすべて壊されてしたまったが、最近発掘されたようだ。そういえば、中央広場にも大きな建物があったようだが、スペインがすべて壊してしまったという。街の真ん中で、こんな大きな遺跡の発掘は珍しいことだ。

 しばらく眺めながら、過去の偉大な文明に思いを馳せた。この大きな遺跡は、完全修復などできるのかしらね。このほかにも、サン・イルデフォンソ学院やベジャス・アルテス宮殿も訪ねたが、観光ガイドでもないのでここでは省略しよう。

Img_7285
 お昼が過ぎたので、昼食を摂った。そのすぐそばの建物で、木の大きく立派な扉を見ていたら、かわいい子供が二人何やら語り合っていたね。

Img_7305
Img_7308_2  昼食後は、市場を覗いてみよう。幸い、近くに大きな市場が二つある。最初に行ったのがサン・ファン市場という生鮮食料品を売っているところだった。海外旅行に出ると、必ず市場に立ち寄ることにしている。そこには、その土地に住んでいる人の顔があるからだ。

 肉屋さんの通り、魚屋さんの通り、八百屋さんの通り、果物店の通りと整然と分けられていた。果物屋で西瓜の味見をしている外国人がいたので、私もお願いした。お金を払おうとしたら、いらないと言っていた。

 これはという珍しい食材はなかった。
 
Img_7309
   この市場で見つけたのが、日本の調味料だ。キューピーマヨネーズ、みつかん酢、照り焼きソース、ポン酢、キッコーマン醤油、カレー粉などが並んでいた。その棚の上には、日本酒も大関をはじめ何本か並んでいた。日本人用のコーナーかしらね。

Img_7314
 もう一軒立ち寄った市場が、シウダデラ民芸品市場だ。そうだ、ここでお土産を買って帰ろう。買ったのは、メキシコ風柄のテーブルクロスとエプロン2枚だ。

Img_7313
 ガイドブックには、この市場の隣に大きな図書館があって、世界一の棚ぞろえという。【メキシコ図書館】だ。覗いてみたら、図書館員が親切に案内してくれた。蔵書は、天井まで届くほどだった。すごいと思って見入った。

 まあ、今日はこのくらいにしよう。

| | コメント (2)

2018年11月 8日 (木)

№3979 無事メキシコのホテルに到着

 足掛け11日間のキューバ旅行も終わり、無事にメキシコのホテルに到着した。キューバの一人だけ宿泊のホテルと違って、メキシコのホテルは近代ホテルだった。キューバではいちいちwi-fiカードを買ってはインターネットに繋げていたのだが、このホテルはwi-fiの電波がある。安心してブログが書ける。

 今回の旅行のメーンはキューバだったので、メキシコのことはほとんど調べていない。キューバからメキシコへの飛行機の中で、おもむろにメキシコのガイドブックを引っ張り出して、計画を練る始末だ。

 キューバでは、特にサンチャゴ・デ・クーバ訪問が日程的にきつかった。件のガイドが、「夜行バスで行くなんて若者のすることで、年配の人にはさぞきつかったことでしょう」と同情された。そうだ、忘れていたが私も年配なのだ。

 メキシコのホテルに着いたら、くたくただった。メキシコでは欲張らずに、ゆっくり見て歩こうよ。とりあえずはメキシコのホテル3泊と、カンクンのホテル3泊は取ってある。私の計画では、ユカタン半島のメリダにさらに2泊、帰りのメキシコのホテルに1泊するつもりだ。さらに、メリダまでの飛行機と、帰りのカンクンからの飛行機も予約する必要がある。

 このホテルで航空券のネット予約をしたのだが、正常運賃と格安チケットの値段の違いには驚いた。正常運賃が32,537円に対し、格安チケットは12,897円と安い。ただ、時間は朝5時半出発しかない。2万円安いなら、早起きも辞さないぞ。

 メキシコシティの最後の日は、このホテルを見て決めようと思ったが、着いてみたら良さそうなのでチェックイン時に予約を入れておいた。さて、メキシコではどういう物語が始まるのだろうか。

 やはりメキシコは油断ならないと思ったのは、空港で街に入るタクシーに乗ろうと思った。運転手が寄ってきて約3600円だという。念のためにタクシー予約のデスクに行ったら、予約券は1400円くらいだった。危なく騙されるところだった。キューバではそんなことはなかったのにね。

 タクシーからメキシコの街を眺めていたのだが、未開地から文明国に戻ってきたとつくづく感じた。街全体が明るいし、スーパーなどのお店が格段に多い。ハバナでは市場を除く楽しみはなかったが、メキシコには物が豊富な市場がたくさんありそうだ。

 それと驚いたのは、メキシコは寒い。半袖半ズボンで夕食に出かけたが、凍えるほどだった。街行く人を見ていたら、防寒対策を施していた。マフラーを撒いている人もいたので、半袖半ズボンは論外だったのだ。メキシコシティは、標高2200mあまりのところにある。

 明日からは、メキシコでの旅行報告をする。

| | コメント (0)

2018年11月 7日 (水)

№3978 ハバナは毎日が祝祭日

 ヘミングウェーの晩年の作品に『移動祝祭日』という小説がある。自宅のどこかにはあるはずだが、残念ながら読んでいない。なぜこの作品かというと、キューバを旅していて、しきりにこの『移動祝祭日』を思い浮かべる。

Img_7074
 そう、ハバナは毎日が祝祭日のようである。ヘミングウェーがハバナを書いたのかどうかは知らないが、ハバナにはこじんまりとはしているが花がある。

Img_7236
 街のあちこちを歩いていて、必ず生の音楽が聞こえる。何度か話しているが、レストランが音楽家を抱えているのである。昼となく夜となく演奏している音楽が、街に流れている。ジャズであったり、キューバ音楽だったりする。音楽の演奏に合わせて、踊り出す人もいる。

Img_7234
 その踊りを見ていると、男も女もしなやかに腰を振り、エロスを感じる。実に音楽によくあった踊りである。音楽のテンポも良く、こちらも踊りだしたくなる。演奏しているのは若者だけではなく、結構年配の人もマイクの前に立っている。

 東京で『ビエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ アディオス』という映画を見た。演奏している男女は、みな80歳代、90歳代だった。ちなみに、彼らの出身地サンチャゴ・デ・クーバで、お土産に彼らのCDを買い求めてきた。

 そういえば、最近世界中どこを歩いても「KARAOKE」の看板が目につく。ただ、ハバナでは一度も目にしていない。これだけ生音楽があれば、カラオケなど必要がないのも道理である。レストランでの演奏は、道行く人にも楽しめるように、オープンになっている。

 ある晩、こういうことがあった。夕方激しいスコールがあり、オープンエアーのレストランに客は私一人だけだった。黙々と夕食を食べていたら、5人組のバンドが私一人だけのために演奏を始めた。コーラスを受け持っていたのは、二人の若い女性であった。しばしば食事の手を休め、拍手を送った。ただ、客が私のみで申し訳ないような気持ちもした。

 海外旅行をしていると、外国人とみると物の押し売りをしたり、いかがわしいところに連れ込もうとされることが良くある。あるいは金をせびりに寄ってくるものもいる。それがとても煩わしいのだが、キューバではそういう目には合っていない。何よりうれしいのが、タクシーに乗っていて、法外なふっかけがないことである。安心して街歩きを楽しめる。キューバは安全な国なのだ。

Img_7112
 それが日曜日だったからなのかどうかは知らないが、パーフォマンスをしている一団があった。それもテンポの良い音楽に乗ってである。それを取り巻く沢山の観客がいた。ああ、祝祭日だなと感じた。

Img_7105
 店舗の前で店番をしている老女、それがとても美味しそうに葉巻を吸っていた。これもキューバならではの街角風景であると思った。

Img_7258
 キューバの気候は、もしかしたら沖縄と似ているだろうか。亜熱帯気候で、直射日光はとても強い。ところが日陰に入るとヒンヤリする。湿度が低いのだろう。街角に咲いている花は、ブーゲンビリアやハイビスカスである。一面の広大な畑には、サトウキビやバナナを植えてあり、野のあちこちにはパームツリー
(大王ヤシ)やココナツが群生している。

 キューバの休日もあっという間であった。この記事がアップするころにも、もうメキシコのホテルである。旅はいよいよ後半に入る。

 

| | コメント (2)

2018年11月 6日 (火)

№3977 ハバナ近郊のエクスカーション

 先日、ピースボートに付き添っていた日本人ガイドに、ハバナ近郊で行くとしたらどこがいいか聞いた。「世界遺産にも指定されている【ビニャーレス渓谷】がとってもいいわよ」と教えられたので、早速、ホテルのツアーデスクに参加の申し込みをした。

 朝730分にホテルの入口に来るようにとの指示で、ちょっと早めだったが710分にホテルに着いた。やがて、ツアーバスが迎えに来た。何軒かのホテルを回って、客をピックアップしていくようだ。しまいには50人のバス定員がほぼ満員になった。このツアーは人気があるのだ。

Img_7239_2  行先のビニャーレス渓谷は、ガイドブックによればハバナから122㎞あるという。途中高速道路を通って、10時半ころにビニャーレス渓谷を眺めることのできる丘に到着した。小高い山が連なっていたが、白い岩肌が光っていて石灰岩の山らしい。

Img_7242


 その展望台には売店があったが、飲み物だけで食べ物は売っていなかった。朝ご飯抜きだったので、お腹が空いていた。このツアーは昼食付というので、ここは水だけで我慢した。キューバはどこでもそうだが、人が集まるところには音楽がある。この展望台でも、6人ほどがキューバ音楽の演奏をしていた。寄付を募っているようだが、結局自分たちのCD販売が目的のようだ。

Img_7248

Img_7249  次に訪ねたのが葉巻タバコ職人の実演小屋だった。キューバは葉巻タバコが有名だが、今はタバコの葉の栽培時期ではないようだ。観光用に実演して見せていた。そして見本用の葉巻を客に吸ってみるようにと渡してくれた。タバコを吸わない私も吸ってみたが、いがらっぽかった。とはいえ、キューバ土産にとここで葉巻タバコを10本買った。

 タバコの本場らしく、キューバの人たちは男も女も、実によくタバコを吸っているね。まるで、世界の流れに逆行しているようなものだ。吸い終わったタバコは、どこにもポイ捨てしていた。これもマナー違反と思うのだが、そんなこと構っていないようだ。

Img_7252Img_7255Img_7253Img_7256  さて、ようやく昼食の会場に到着した。売りものは「キューバの食事」のようだ。とはいっても、出てきたのはマンゴーとミカンのフルーツ、何かの葉っぱ、赤飯のようなご飯、焼き肉だった。デザートはチョコレートだった。さらに、ココナツミルクジュースも出たが、これは有料だった。とにもかくにもお腹が空いていたので、がつがつ食べた。

Img_7254


 アレッ、隣の席の団体が日本語で話している。声をかけてみたら、
6泊のキューバツアー旅行で、トロント経由で昨晩キューバに着いた日本人観光客だった。9人のツアー旅行だと言っていた。意外とキューバで日本人に会うね。個人旅行をしていると、ツアー客との接点はほとんどない。私もこの日のツアーに乗ったので、たまたま会ったのだ。「良い旅を!」と言って別れた。

Img_7263
Img_7262  昼食後のツアーは、ビニャーレス渓谷の鍾乳洞探検だった。鍾乳洞の中は空洞になっていて、大きな川にボートが浮かんでいた。そのボートもツアーに含まれていた。ただ、洞窟のボートは
200mほどであっけなく終わった。

 これだけのツアーで7700円は高かったな~。世界遺産とはいうものの、この程度の名所は日本にはいくらでもありそうだ。

| | コメント (0)

2018年11月 5日 (月)

№3976 チェ・ゲバラを歩く

 キューバ革命というと思い浮かべる人は、フィデル・カストロとチェ・ゲバラである。ゲバラが亡くなって今年で51年になるが、今でも深くキューバの人の心には残っているようだ。今日は、ハバナの街でチェ・ゲバラの足跡を追ってみたい。


 チェ・ゲバラは、アルゼンチン生まれの比較的裕福な家で育った医者であった。ある時、仲間と二人で南米を旅した。その旅から帰り、再度一人で旅に出た。その時メキシコで出会ったのが亡命中のカストロであった。

 二人はすっかり意気投合し、ゲバラはキューバのバティスタ独裁政権の転覆に力を貸すことになった。2年あまりのゲリラ戦争で、ついにバティスタ独裁政権を倒したのが195911日だった。ゲバラはキューバの市民権を得て、しばらく革命政権に助力していた。ただじっとしていられないゲバラは、再度革命を求めて、コンゴやボリビアで活躍したが、1967年、ボリビアで捕まり処刑された。

Img_7205
Img_7201Img_7202  ガイドブックに沿いながら、ゲバラの足跡を追ってハバナの街を歩いてみた。最初は【革命博物館】に入場するはずだった。ところが、間違って隣の【国立美術館】に入ってしまった。館内を回って、絵画しか飾っていないので、変だなと思い気がついた。入場料約
800円がふいになった。革命博物館の外には、革命に使われたセスナやジープが飾ってあった。

Img_7207_2
Img_7215  次に行ったのが【カバーニャ要塞】だ。ハバナ湾の外にあり、海に浮かぶ要塞として何度も見ている砦だ。ここでゲバラは執務していたらしく、彼の事務机が飾ってあった。さらに遺品の写真も沢山あった。
Img_7212_2

この要塞の入口で、日本語で説明している一団に出会った。中国団体客かと思ったが、日本の団体客だった。イヤ~~、珍しいことだね。参加者に話を聞いてみたら、ピースボートで世界旅行しているらしい。乗客はシニアの夫婦が多かったが、意外と若い人も目に付いた。余計なことかもしれないが、仕事はどうなっているのだろうか。
Img_7216

ピースボートは1000人の乗客で、105日間の船旅と言っていた。料金はまちまちで、一概にいくらとはいえないらしい。要塞から、湾に浮かんでいる船が見えた。それにしても、久し振りに日本語を使った。ガイドの女性に、『地球の歩き方』は不正確だと話したら、「あのガイドブックは、不正確な歩き方ガイドだ」と話していた。

Img_7224_3
 また、別の日本語ガイドにカストロの墓はどこか尋ねたら、サンチャゴ・デ・クーバにあると言っていた。そう、私が見たのがカストロの唯一の墓だったのだ。この要塞の近くに【第一ゲバラ邸宅】があるというので訪ねてみたが、閉館中だった。

Img_7230_2
Img_7227  そして最後に訪ねたのが【革命広場】だ。この広場の建物には、ゲバラのモニュメントが掲げられていた。内務省の建物らしい。この広場には、メーデー時には数十万人が集まるらしい。以前、この模様をニュースで見たことがあったね。

 革命広場の前に建っているタワーは、【ホセ・マルティ記念博物館】らしい。今回は寄らないで帰ってきた。

 もう旅に出て10日目になる。大分疲れてきたね。早く宿に帰り、横になろう。

| | コメント (0)

2018年11月 4日 (日)

№3975 Naoko先生の影響、恐るべし

 パソコンの指導講師Naoko先生については、このブログで何度も取り上げている。わがブログ【シンさんちの《繭の里通信》】も、そもそもが2008年1月のNaoko先生の【ブログ講座】で立ち上がった。それ以来10年以上、私のブログは営々と続いている。その後もいろいろなパソコン講座に参加して、私のパソコンへの理解も深まった。
 サンチャゴ・デ・クーバでNaoko先生のブログに、連帯の挨拶のコメントを入れた。有難いことに、早速先生のブログ記事に取り上げてくれていた(クリックすると記事が読めます)。その記事が書かれた日のアクセス数を見ると、なんと通常の3割以上もアップしていた。ほとんどが、先生の記事を読んでアクセスしてくれたものと思われる。

 それでなくても、海外旅行の記事を書きはじめてから、わがブログのアクセス数は急速にアップしているのに、先生のブログ記事でさらに跳ね上がったのは嬉しい限りである。SNSの影響たるや恐るべきものと、いまさらながら感じる。地球の裏側にいても、情報が即座に伝わるのも凄いことだ。

 私の海外旅行のスタイルは、ありきたりの旅行会社のツアーではない。予定があってないようなものだ。その場その場の出たとこ勝負である。当地に着いてからどうしようか考えるのが、わが旅のスタイルと思っている。そういう意味では、観光名所巡りの旅ではない。もしかしたら、肝心なものを見過ごしているかもしれない。それでもいいじゃないか。もっとも、女房と一緒の時には、ツアーに乗ることが多い。

 私の旅は、人に出会う旅にしたいと思う。意外にも、白い人も黒い人も黄色い人も、地球人の考え方にはそんなに違いはないのではないか。その再確認をしたいと思って、辺境の地にも出かける。もちろん、キューバは辺境の地などではない。

  キューバは1200万人弱の人口だが、意外にも行儀の良い国民であると感じる。なぜかと考えながら歩いているのだが、やはり社会主義国というしかないかな。しかも、中国やヴェトナムとは全然質が違う社会主義だ。教育がほぼ100%行き届き、医療費は無料という。隣国の超巨大国にいじめられ、国は貧しいというものの、この国の明るさは何なんだろうか。革命がならなかったことを考えると、今よりもっと貧富の差が激しかったに違いない。  

 どこの国に行っても、乞食や売春婦や泥棒はいる。キューバでも乞食や売春婦は目撃したが、ほとんど目立たない。きっと乞食をしなくても生活ができているからなのではないか。さらに、教育は大事だ。子どもたちに社会の未来への展望を与えてくれる。元気な子どもたちも目に付いた。そういえば妊婦も多いのではないか。 こんなことを考えながら、ジーっとキューバの国を見ている。

 私はオバマが正しく、トランプは間違っていると確信を持って言える。なぜなら、トランプが何を言おうが、キューバは毅然としていて、変わっていないからだ。

 それと、キューバで感じるのは「JAPAN Absense(日本の存在感が感じられない)」である。どうしてもアメリカだけを見ている国に、キューバへの影響力行使は無理なのだろう。かといって中国の陰があるかというと、そんなこともない。世界中を席巻している“中国観光団”はこの国では見かけなかった。さらに、アメリカを感じるのは、50年以上も前の古い自動車だけだ。

 とはいっても、日本の“コンビニ文化”に慣れたものにとって、キューバはとっても不便な国だ。例えば、水一つ買うのにもその店が見つからない。もちろん、缶ビールやほんのちょっとしたものを買うことができない。海外に出てみて分かるのだが、コンビニって本当に便利なんだよね。両替もずいぶん待たされた。一体に、キューバは観光客仕様になっていない国だ。

 私はブログを続けていて、本当に良かったと思う。日記を書き続けている人は枚挙にいとまがないほどいる。私のおばさんも、それこそ何十年も日記を書き続けていた。亡くなってみると、誰も見向きもしいなくなる。まあ、それが日記というものの性格だろう。 ところが、ブログは公開日記である。自分の生き様が、たちどころにSNSで極端にいうと世界中の人に知れ渡る。それを良いという人と嫌う人がいるのは当然だ。なかには、「あなたと付き合うとブログネタにされてしまう」という人もいた。しようがないが、私のブログの読者であろう。ただ、私のことを書くな、という信義は守る。

 旅先のベッドで記事を書いていると、どんどん脱線してしまうのでここでやめたい。いずれ、Naoko先生のブログ記事のおかげで、この旅の友が増えたことを大いに感謝したい。

| | コメント (0)

2018年11月 3日 (土)

№3974 旅での事故ーバスが故障

  旅を続けていると、時々えらい目にあうことがある。まさに昨晩はそういう目にあった。

サンチャゴ・デ・クーバも無事巡り終え、いよいよ帰途に着く日だ。宿の女将さんは大変親切な人で、すべてに心配りが行き届き、本当に居心地がよかった。彼女は英語をゆっくり話してくれて、ほとんど理解できた。ハバナもそうだったが、この【Hostal Yoji】も結局宿泊人は私一人だった。

 Img_7196
 午後
3時のバスに乗るのに、宿を2時に出て十分間に合った。バスターミナルは、この宿から歩いて10分ほどのところだ。女将さんと別れるのに、後ろ髪を引かれる思いがした。女性に歳を聞くのは失礼だが、彼女は遠に80歳は過ぎているだろう。心臓が悪い、と話していた。

  バスは午後3時出発のはずだったが、少し遅れて340分頃になった。これで翌朝730分にハバナ到着まで、16時間ほどのバスの旅だ。ぐっすり寝ていこう。

  ところが、事件が起こったのは午後7時頃だ。運転助手が、スペイン語で大声を出して叫んでいた。私には何が起こったのかさっぱりわからない。乗客が荷物を持って降りはじめたので、私も皆に倣って降りた。一体、何事なのだろう。

  誰か英語を話す人はいないのか、訊ねて回った。それにしても、こういう時は言葉が通じないというのは不安なものだね。ちょうど高校生くらいの5人組が英語を話すらしい。何が起きたのか尋ねたら、「メカニックのトラブルで、修理に1時間半ほどかかると話している」のだそうだ。しようがない、待つとするか。

 ただ、一向に治るような気配がない。乗客の中には、別の手段で目的地に向かうという人もいた。私にも「一緒に行かないか」と声をかける人がいた。ここはどこで、どういう手段ならハバナに行けるのかわからない。しかも、出発してまだ3時間とちょっとだ。目的地は遥か彼方だと思うと、下手に動くとえらい目にあいそうだ。しかも、英語を解する人はほとんどいない。

 修理にきた人がいろいろ点検していたが、見ているとアクセル関係のトラブルのようだ。これは見ていてもしようがないと、バスの座席に戻り一人寝ていた。そしたら、乗客がすべて自分の荷物を持って降りはじめた。どうしたのか件の女学生に聞いてみたら、「別のバスを仕立てて、ハバナに向かうらしいわよ」と言っていた。

  私が乗っていたバスの隣には、新しいバスが用意されていた。よく見ると、ここまで乗ってきたバスは塗料も剥げ、座席は破れていて、本当におんぼろだった。どこ製の車だろうか、製造国を見たら中国製だった。弁解してあげると、中国製が悪いのではなく、ただ古いだけなのかもしれない。

  結局、半分くらいの人は、別の手段で目的地に向かったようだ。新しい代車に乗って出発したのが、3時間遅れの午後10時頃だ。前のバスも寒かったが、このバスの冷房もそれに輪をかけて寒かった。女子学生はタンクトップだけなので、どうするのだろうか。このままだと、風邪をひいてしまうよね。

  新しいバスもグズグズ停まっては走りで、イライラしてしまった。そして、ハバナに着いたのが21時間後の午後12時半だ。いやはや大変なバスの旅だったね。

  ようやく宿について、この間たまった洗いものの洗濯をした。

| | コメント (0)

2018年11月 2日 (金)

№3973 サンチャゴ・デ・クーバのwi-fi事情

 ハバナを出る際、サンチャゴ・デ・クーバでwi-fiが繋がるかどうか心配だと記事に書いた。ご存知のように、お陰様で毎日ブログ記事をアップ出来ている。これには涙ぐましい努力がある。今日はその話をしたい。

 サンチャゴ・デ・クーバの街では、wi-fiが繋がるポイントは限られている。そのポイントに行っても、wi-fiカードがないと繋がらない。

 自転車タクシーの運転手に最初に頼んだのが、wi-fiポイントに連れていってもらうことだった。着いたのは住宅地の真ん中だ。運転手には、wi-fiの何かを理解することはできなかった。公園にいた若い学生に、wi-fiカードを売っている場所を教えてもらった。無事に手には入ったが、カードの使い方が分からない。私を囲んでいた学生たちもあれこれ言っていたが、結局繋がらなかった。

 これではハバナに行くまで、ブログ記事のアップはダメかなと思った。運転手とともに市内観光をしていたのだが、ふと思いついたのが大きなホテルのロビーだ。そこならwi-fiの電波があるのではないか。

Img_7148
 前の記事ではカテドラルの話をしたが、カテドラルの前に老舗のホテルがあった。
150年になるコロニアル風の【カサ・グランダ】というホテルである。一泊シングルで約1万円という。カテドラルの観光はさておき、フロントに飛び込んだ。このホテルでwi-fiカードを買えば、ロビーを使ってもいいとフロントの女性の許可が出た。カードの値段は、30分使用で二分の1CUC(80)だという。喜んで買った。
 あらかじめWordで書いておいた記事を貼り付けるのは何でもない。あっという間に、一つの記事がアップできた。このやり方の効用もある。一度できたWordの記事を何度も推敲できることだ。推敲できたからといって、あまりうまい文章ではないが、それでもうまいやり方だ。


 前の記事で、サンチャゴ・デ・クーバのメルクマールをカテドラルにしたと書いたが、本当のことをいうと【カサ・グランダ】ホテルのロビーが目的である。写真がない記事だと10分ほどで1記事のアップが完了し、写真を貼り付けても20分ほどで出来上がった。今日また長距離バスでハバナに帰るが、ハバナのホテルには強力助っ人がいる。この苦労は、サンチャゴ・デ・クーバだけでの出来事であった。


 さすが、次に行くメキシコでは、ホテルで無料wi-fiが使える。wi-fiに繋ぐ苦労はしなくても済みそうだ。ただ、この苦労は忘れないだろう。


(
この記事は予定原稿で、前の記事と一緒につくった。2本一緒にアップすると読む方にとって大変と思い、時間をおいてアップしたい。アップするころは長距離バスの中だ)

| | コメント (0)

2018年11月 1日 (木)

№3972 サンチャゴ・デ・クーバの街歩き

 初めての街は、乗り物に乗っているだけでは西も東も分からない。自分の足で歩いて、はじめて実感が湧いてくるものだ。昨日は自転車タクシーオンリーだったので、今日は手探りでサンチャゴ・デ・クーバの街を歩いてみよう。その場合、起点になる場所が必要だ。格好の場所が、街の中心にあるカテドラルだ。まずはカテドラルまで行った。歩いて約10分ほどだった。

Img_7157
Img_7160  カテドラルの前にセスペデスという公園がある。公園に座って作戦を練った。昨日行ってない場所を中心に街歩きをしたい。すぐ近くにホセ・アントニオ・サコ通りがある。ここは歩行者天国で、車は入ってこない。平日なのに物凄く混んでいて、いってみれば日本の銀座のようなものだった。


 何を売っているのか覗いてみたが、別にたいしたものは売っていないね。民芸品、子供用品、食品等である。人だかりを覗いてみたら、薬を調合して売っていた。何の薬だったのだろうか。軍人の姿も目に付いた。近くに基地があるのかもしれない。

 キューバの人は、半黒人が多い。若い人の中には、物凄く足長の少女もいた。女性は一体に太っている人が多く、お腹は小錦のようだ。さらにお尻の大きな人が目立つ。あれがすべて肉なのかと驚いてしまう。

Img_7182
 セスペデス公園で一息ついていたら、ギターを持ったおじさんが話しかけてきた。「あなたはハポン?イチロー、マツザカ、ダルビッシュ、タナカ、マエダが大リーグで活躍している。サブマリーン投法のマキタを知っているかい?」驚くほどの野球通だ。おじさんは日本に行ったことがあるのだろうか。「ノン」と言っていた。そういえば、キューバのテレビにちらっと日本シリーズが映っていた。キューバの選手がいるのだろうか。


Img_7166
 やはり街の中心にある【バラカルディ博物館】に入った。バラカルディという人は、ラム酒製造で大金持ちになった人だ。この博物館には、彼が収集した美術品が収蔵されていた。私は精しくないが、多くの名画や美術品、なかにはエジプトから持ち帰ったというミイラまで飾られていた。バカルディは、革命を機会にプエルト・リコに逃れたらしい。

Img_7180
Img_7181  さらに、セスペデス公園の前にあるのが【キューバ歴史博物館
(ベラスケスの家)】だ。何でもキューバで一番古い建物で、1515年築だそうだ。なかをフラフラ歩いていたら係員がやってきて、いろいろと説明してくれた。家具にはマホガニーが多く使われていた。キューバでは、マホガニーが採れるのだろうか。


Img_7186
Img_7191  そうだ、まだカリブ海を見ていない。ハバナは大西洋に面しているが、いまだかつてキューバの反対側にあるカリブ海はみたことがない。世界遺産にも指定されている【モロ要塞】に行ってみよう。市街から
10㎞と遠い。タクシーを停めて値段交渉をしたら、往復で45CUC(5300)だという。それを25CUCで行ってもらうことで交渉が成立した。

 モロ要塞は、1500年代、海賊の襲撃を防ぐために作られた要塞だ。この要塞は、1898年の米西戦争で半壊し、再び修復されたという。この海の遥かかなたは南米大陸だ。要塞からしばらくカリブ海を眺めて過ごした。

| | コメント (2)

« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »