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2018年12月 1日 (土)

№4002 映画『ガンジスに還る』

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 東京に出る機会があったので、帰りに岩波ホールで映画『ガンジスに還る』を見てきた。懐かしい場面がいくつも出てきた。

 私が、今度のキューバ・メキシコのように、単独でインド旅行をしたのはいつのことだったろうか。たぶん、1992年前後だと思う。バンコク経由でニューデリーに入った。ニューデリーで3日ほど滞在し、ジャイプル・アグラを経由して、この映画の都市ヴァラナシまでガイド付きの車で行った。今から考えると、大旅行だった。

 遠藤周作の『遠い河』を携えて、ヴァラナシには3日ほど滞在した。ヴァラナシは、ガンジス河のほとりで、ヒンディー教徒の聖地といわれる街だ。私も、このインド旅行の眼玉の地として、ヴァラナシを考えていた。それが、あらゆる面で想像以上を超える場所だった。26年ほどたった今でも、鮮明に思い出す。

 私が泊まったホテルからガンジス川までは、人力車で20分ほどかかった。ガンジス河は濁っていて、決してきれいな河とはいえなかった。ただ、その河で沐浴をしている人は多かった。汚い河の水で、口をゆすぐ人もいた。ガンジスの畔は階段になっていた。その階段に座り、しばらく河を眺めた。

 その階段の横には、老人のみの家があった。どうやら「死者の家」というのだそうだ。死んでガンジス河の畔で焼いてもらい、遺体をガンジスに流してもらうのが望みらしい。今でも思い出すのだが、その死者の家の老人は皆元気で、すぐには死にそうには見えなかった。

 ガンジス河を散策していたら、階段から少し行ったところに遺体焼却場があった。亡くなった方の遺体を遠くからきれいな布をかぶせ、運んできていた。井桁に組んだ木材の上に遺体を乗せ、焼却していた。これは神聖な作業で、観光客が見るようなものではなかった。

 さらに驚いたのは、焼却した遺体をガンジス河に流すのだが、遺体焼却場の下には野良犬がいて、遺体のおこぼれの骨を咥えていた。それもこれも含め、これがインドなのだと実感した。

 『ガンジスに還る』は、まさにその映画だった。死期を悟った父は、ガンジスで死にたいという。息子が、ヴァラナシの死者の家に連れてきて、死をみとるつもりでいた。だが、死期を悟ったといっても、すぐに死ぬわけではない。死者の家は滞在が15日と決められているようだが、その間に死ねるわけではない。

 死者の家で親しくなった夫人は、旦那は間もなく亡くなったが、彼女は18年もこの家に滞在しているのだそうだ。やがて、この映画の主人公は亡くなり、無事にガンジスで焼却してもらった。

 この映画を観ながら、悠久の大地インドを再度思った。ただ、またインドを旅したいとは思わない。日本人とみると、現地人は如何に金をふんだくってやろうかという意思が見え見えで、本当に疲れてしまった。

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