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2019年4月

2019年4月30日 (火)

№4146 私の平成海外旅行史 その2

 さて、今日で平成は終わる。明日からは令和だ。昨日の記事の続きを書きたい。

 私は2006(平成18)年11月末、60歳の誕生月の月末をもって退職した。もう12年半になる。昨日も記したが、退職後の生活はとっても充実していた。2007(平成19)年4月には那須に陋屋を求めた。手帳を繙くと、買った当初は、那須にはずいぶん通った。そして、2008(平成20)年1月にこのブログを始めた。ブログは11年3か月になる。ずいぶん長いようで、あっという間だ。

 このブログを始めて、海外旅行の記録が見れるようになった。カテゴリーの「海外旅行」の欄を見ると、いつどこで何をやったのかが読み取れる。この欄を久し振りに読みながら、私の海外旅行史を見てみたい。

 2007(平成19)年1月に、退職後初めて女房と二人で11日間のタイ旅行をした。このアルバムもブログに残っている。改めてみてみたが、本当に懐かしい。ラオスとの国境の町ビエンチャンまで汽車旅行をした。さらに、チェンマイから一昼夜かけてコ・サムイ島まで夜行バスで走ったのも懐かしい記憶である。

 海外旅行ではないが、2009(平成21)年、兄弟姉妹で沖縄旅行を楽しんだ。前年に、仙台に住んでいた弟が亡くなった。弟の嫁さんも沖縄に同行したが、沖縄のホテル滞在中、弟の誕生日だった。盛大に亡き弟の誕生日を祝ったのは、今でも記憶に新しい。

 2010(平成22)年、HISの格安ツアーに乗って、中国3泊4日の旅をした。一緒に行ったのは、これも女房と横浜の姉だった。こう見ると、横浜の姉とはずいぶん一緒に海外旅行をした。川崎に住む姉も海外旅行に誘ったが、彼女は一貫して「海外旅行には行かない」という主張を繰り返している。私には十分楽しい中国旅行だったが、同行の二人は不満だったらしく、「もう二度と中国には行かない」と言っていた。

 2011(平成23)年、女房と二人でヴェトナムのホーチミン市を旅行した。この話を聞きつけた友人のTakii夫婦が、「私達もヴェトナムに連れて行って」とリクエストがあり、2012(平成24)年11月にご夫婦と一緒に行ってきた。この時はヴェトナムだけではなく、カンボジアのアンコール・ワットまで足を延ばした。よほどこの旅が楽しかったらしく、その後も「またヴェトナムに行きましょう」と誘われているが、実現していない。旅は一回限り、のものなのだ。

 2013(平成25)年5月、横浜の姉夫婦とわが夫婦でドイツ旅行を計画していた。旅行直前、秋田に住む兄の危篤が伝えられ、海外旅行は中止になってしまった。Takii夫婦も一緒のはずだったが、彼らだけで旅をしたらしい。何より一番ガッカリしていたのが義兄のFumioさんだ。この旅を楽しみに、日ごろ鍛錬を重ねていた。それでも、旅の途中で亡くなり急遽帰国になったら大変だったね。

 2014(平成26)年の海外旅行はなかった。その代わり、2015(平成27)年は二度の海外旅行をした。一度目は2月に女房と台湾旅行、二度目は12月に一人でミャンマー旅行をした。2016(平成28)年3月、孫二人を連れてハワイ旅行をしたのも新しい記憶である。その年の11月、また一人旅行でタイのスコータイを訪ねた。

 そして、2017(平成29)年は二度の海外旅行をしている。一度目は3月のモロッコ旅行だ。これはツアーだった。11月に、15日間かけて南コーカサス・トルコを旅してきた。さらに、2018(平成30)年、これもブログで詳細を綴ったが、キューバ・メキシコ15日間の旅をした。こうやって旅行できたのも、気力の充実と健康があればこそだった。最近、気力の衰えとともに、果たして今後旅行が続けられるかどうか心配である。

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2019年4月29日 (月)

№4145 私の平成海外旅行史 その1

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 さて、明日4月30日で「平成」が終わる。ここで、私の平成海外旅行史を振り返ってみるのも、意味がないわけではないな。メモ魔ではないが、私は手帳に記録を取っている。その手帳を久し振りに取り出してみたら、1978(昭和53)年からの記録が残っていた。残念ながら、2~3年の記録は紛失していたが、その手帳をくくりながら平成30年間と4か月の海外旅行史を見てみたい。

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 平成の半分近くの17年間は、サラリーマン生活を送った。その後の14年は、悠々ではないが引退生活だ。今から考えてみると、サラリーマン時代よりも2006(平成18)年11月末の引退後は、ものすごく充実していたように思える。ただ、サラリーマン時代の手帳は、毎日が飲み会とゴルフで真っ黒だ。現役時代、よくぞあれだけ酒を飲んだものだ。

 さて、平成になったのは、1989年1月であった。思い出してみると、そのころは大変激動の年だったような気がする。日本はバブル景気に沸いていた。一方、中国では6月4日に天安門事件が起き、中国はさながら内戦状態だった。さらには11月9日、東西を分断していたベルリンの壁が崩壊した。世の中は一体どうなってしまうだろうか、世界中に不安が広がった。さらに今考えてみると、バブルは私のようなサラリーマンには一切影響を与えていない。儲けもしなかったが、そんなに損もしていない。

 個人的にみると、私はその年の8月に初めて海外旅行を経験している。会社の同僚にタイ=フリークがいて、長期休暇がとれたのでどこに行こうかと彼女に相談した。「タイが断然いいわよ」というので、海外初旅行は往復航空券だけ買って、バンコクのドンムアン空港に降り立った。空港でホテルを紹介してもらい、タクシーでそのホテルに着いた。ほとんど言葉も話せない私にとって、今から考えると何とも無謀旅行だった。

 ただタイに嵌って、その後も何度かタイ旅行を重ねた。個人旅行の時もあったし、女房と二人のときもあった。そうだ、女房とおふくろと次男の4人でタイ旅行も楽しんだ。手帳を詳しくくくるといつか分かるだろうが、ザッと見ただけではいつ行ったのか、探し当てることはできなかった。

 1993(平成5)年には、再度、タイのバンコク経由でインド旅行をした。これも個人旅行で、8月5日から17日までの12日間だった。ニューデリーからカルカッタまで、これも無計画で歩いた。ずいぶん怖い思いもしたが、何が怖かったかといって、ニューデリーの到着時が怖かった。ニューデリーに着いたのが夜中の1時半ころだ。ホテルも予約していなかった。空港を出ると、真っ暗だ。今から考えたら、空港で素泊まりしたらよかったのに、無謀にもタクシーを拾って街に出た。とんでもないことだった。ただ、このインド旅行は印象深かった。

 1995(平成7)年は、これもまた大変な年だった。1月には阪神淡路大地震が起き、3月にはオウムの地下鉄サリンバラマキ事件があった。今から考えると、同じ時間に私は地下鉄銀座線に乗っていた。幸い、銀座線には影響がなかったが、車内放送で事件が起きた放送を聞いていた。そして、8月には同業仲間のGyuちゃんと二人でトルコ旅行をした。これも個人旅行だった。夜行バスでカッパドキアから帰ってきたのを思い出す。これも記録では探せなかったが、その後、女房と二人でトルコ旅行を楽しんだこともあった。

 1996(平成8)年に、これも8日間の航空券や宿の手配をネットでしてイタリア個人旅行をした。この旅行の同行者は、女房と横浜の姉だった。航空券や宿の手配をネットでした初めだ。ローマ経由でヴェネチィアに到着したのが夜中の12時半だった。私が予約したプチホテルを探し当てるのに1時間もかかってしまった。この旅行で、ばったり友だちに出会った。フレンチェのウフィツィ美術館前で、Kiyomiさんはツアー旅行で来ていたが、個人旅行の私たちと出会ったのだ。彼女とは旅行前に飲み会をやっていたが、一切旅行の話はしなかった。それだけにびっくりした。

 1997(平成9)、中国の上海を訪ねた。これは会社の部課長会旅行で、2泊3日の旅だった。上海で一行と別れ、仲間4人で寧波に行ったのも懐かしい思い出である。その後も韓国旅行、台湾旅行、ベトナム旅行などを繰り返した。

 2006(平成18)年、退職前の特別休暇旅行で行ったのが、スペイン・ポルトガルの13日間のツアー旅行だ。同行者は女房と横浜の姉、さらに姉の友だちの4人だった。この旅行の写真は、「シンさんちの繭の里通信」のアルバムに残っている。興味のある方は、赤字をクリックしてみてください。

 退職後の個人旅行史は、明日の記事で綴ってみたい。

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2019年4月28日 (日)

№4144 ハイビスカスの植え替え

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 既に報告したように、冬の間は室内に置いておいたハイビスカスの鉢をウッドデッキに出し、日にさらした。もう10日にもなるが、どうも元気がない。そのことに気を病んでいた女房が、「鉢の中に根が張って、元気をなくしているのよ。植え替えなければだめよ」という。

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 近くの日用雑貨店に行って、培養土と鹿沼土を買ってきた。早速、ハイビスカスを鉢から抜き出して植え替えた。抜いたハイビスカスは、根がこんがらがっていて、相当混んでいた。根をハサミでジョキジョキ切り、間引いた。そして、買ってきた培養土と鹿沼土を鉢に入れ、かき混ぜ、その上にハイビスカスを植え直した。

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 そんなに早く効果が出るとは思えないが、それでもハイビスカスの葉は心なしか艶々している。今年も花芽をつけるだろうか。

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2019年4月27日 (土)

№4143 病院に処方箋をもらいに行く

 私が常に飲んでいる常備薬が、そろそろ切れるころだ。常備薬は2種類あって、一つは前立腺肥大の予防薬だし、もう一つは血圧を抑える薬だ。一回90錠、三か月分を処方してもらっている。その薬がそろそろ切れるころになった。いつもの病院に行った。

 私は知らなかったが、女房の話によると、私が診察を受けている医者がこの病院の医院長だそうだ。40歳代初めの若い先生が医院長とは、と驚いてしまった。この医者は偉ぶることもなく、常に親切なのがありがたい。

 この先生に、2月に大腸ポリープを切除してもらった。それ以降、初めての病院だった。まず、先生からその結果報告があった。「切除した大腸ポリープは、前がん状態にありました。あのままほっておくと、癌化したということです。切除してよかった」と話していた。ところで、前回の検査で見つからなかったポリープがもう一つあるはずだ。先生は、「一年後くらいに再検査しましょう」と話していた。

 処方箋を出すときには、必ず血圧測定をしてくれる。この日の血圧は上が136で、下が76だった。「血圧に問題はないようですね」といわれ、診察終了だ。処方箋に基づき、薬局で薬を処方してもらった。その時には、必ず「ジェネリックでお願いします」と注文を付けている。

 これで3か月は病院に行かなくても済むね。

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2019年4月26日 (金)

№4142 階段の手すりの効用

 今年の2月18日の記事で、階段に手すりをつけてもらった報告をした。この手すりが、思わぬ効用を果たしている。

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 前号の記事で、扇山ハイキングで足がパンパンに張ったことを書いた。翌日になると足の筋肉が硬直し、突っ張ってしまった。歩くこともままならない。特につらかったのが、階段の上り下りであった。女房の健康を気遣って設置したつもりの手すりだったが、この手すりなしには2階から降りてくることもできなかった。

 それにしても、普段の運動不足がこれほど体に来るとは想像だにしなかった。やはり、事前の準備もなく500m以上の山登りは、無謀というものだったかな。世話人にも話したのだが、計画するときには老齢ということも考えなければならないね。

 けど、今回参加した中には87歳の仲間がいた。下山時に、彼は平気な顔をしていた。ということは、やはり私の運動不足にすべての要因があったということだ。もう少し体を動かさないと、このまま歳をとってしまいそうだ。

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2019年4月25日 (木)

№4141 扇山ハイキング

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 東京シニア自然大学NEXTの講座で、「扇山ハイキング」に参加してきた。扇山は、中央線鳥沢駅で降りてそこから登りだ。ただ、この日は世話人の配慮で、登山口までバスで送ってくれるとのことだ。約1時間の節約になった。この日の参加者は、会員17名とガイド一人の計18名だった。扇山の標高は1138mで、登山口は600mだったから、538mの標高差である。

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 この登りを気にして欠席した方も多かった。実は私も、普段の運動不足で本当に上れるかどうか心配だった。まあ、それでも1時間半ほどの登りだ、頑張ってみよう。この日は、朝から小雨が降っていた。傘を差している人もいたが、傘がなくても大丈夫のようだ。出発前に雨具を着る人もいたが、これもいらないほどの雨だった。

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 登りに自信のない私は、ガイドの後でセカンドを歩いた。じっとガイドの足元を睨みながら登ったが、とめどなく汗が流れた。下着も汗でぐっしょりだったが、着替えは持ってきていなかった。被っていた帽子からは、雨だれのような汗が落ちた。登山道にはそんなに花は咲いていなかったが、それでもいくつかはガイドが教えてくれた。イカリソウに一人静だ。

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 ガイドは大月市から紹介を受けた人だったが、この山には何百回となく登り、隅から隅まで知っている人だった。無料でのガイドだったが、この日はガイドがいなくても済んだかな。フラフラしながら、ようやく頂上にたどり着いた。仲間の一人は、私の携帯アプリに「正確な高度計」がインストールされているのを知っていた。「この頂上は、何メートルか見てほしい」というので測ってみたら、1168mを差していた。ほかの方の高度計は1138mだったから、「正確な高度計」は不正確なのだ。

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 頂上で30分ほどのお昼休憩を取った。本来、扇山は眺望で人気がある山のようだ。晴れていると、富士山や丹沢、南アルプスが望めるという。残念ながら、この日はガスで曇っていて眺望は望めなかった。しかし、自然の木瓜の花がたくさん咲いていた。木瓜というのは、自然にも咲くんだね。

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 下りは登りほどでもなかったが、それでも足の筋肉はパンパンだ。青息吐息でようやくふもとにたどり着いたが、それでもダウンした人がいた。私でなくてよかった。帰りに、駅からこの日登った扇山が望めた。とにもかくにも、生ビールを飲んで帰ろうよ。

 

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2019年4月24日 (水)

№4140 神田まつや蕎麦店

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 神田須田町には、東京大空襲を逃れ、ぽつんと江戸の下町を再現した一角がある。そして、食の名店がその一郭には固まっている。甘味処「竹むら」、蕎麦屋の「藪蕎麦」、アンコウ鍋が売り物の「伊勢源」、イノシシ料理で有名な「ボタン」などである。

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 なかでも私が大好きな店は、蕎麦の「まつや」だ。昨日の記事の続きになるが、会議が終わったのは午後5時過ぎだ。その場所から「まつや」までは歩いてものの5分もかからない。久しぶりに、蕎麦を食べて帰ろう。私がサラリーマン現役の時代は何度も通ったが、やめてからはとんとご無沙汰だった。この店は人気店で、いつも行列ができる店だった。しかし、この日は5時を過ぎても行列はなかった。

 空いているのかなと入って見たら、8分位の入りで賑わっていた。この店は1887(明治17)年創業とのことで、店内は江戸のたたずまいが残っていて、何か懐かしい感じの店だ。この店には、食通で鳴る池波正太郎もよく通ったそうだ。

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 入店したら、相席だという。私は相席でも一向にかまわない。まず注文したのが温燗一合に、にしん棒煮、かまぼこワサビだ。私がこの店で何より好きなのが、お通しで出てくる焼き蕎麦味噌だ。かつて同僚とこの店を訪れたとき、このお通が美味しくて思わずお代わりを頼んだ。そしたら彼は、「お通しのお代わりをするなんて、野暮の骨頂」といっていた。そうはいっても美味しいものは美味しい。温燗をもう一本つけてもらった。

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 最後に盛り蕎麦一杯で、おあいそをお願いした。わずか40分ほどだった。余分な話になるが、相席した隣りの人と話をした。彼は、「勘定場に座っている妙齢な女性は、この店のおかみさんでないだろうか」。まさか、あんな若いおかみさんはいないだろうと話したら、女店員が、「いえ、あの人はおかみさんです。上は大学生を頭に、3人の子持ちですよ」と言っていた。ウッソー、まだ20台にしか見えなかったよ。

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2019年4月23日 (火)

№4139 遠回りして電車読書

 この日は、午後3時から東京で会議があった。電車に乗って用を足すときはいつもそうなのだが、なるべく早めに自宅を出て「電車読書」をしている。この日も、午前10時過ぎに自宅を出た。会議が始まるまで5時間ほどある。有効に「電車読書」をしよう。

 私が乗っているのは、JR宇都宮線である。本来上りの電車に乗る必要があるのだが、時間があるときにはわざわざ下り線に乗る。私が乗る駅から宇都宮駅までは、約1時間である。往復で2時間かかる。それでも、この日はまだ時間があった。今はsuicaなので、途中車掌の検札がなくなった。本来は違法なのだろうが、途中下車をしない限り、どこまで行ってもお金を取られることがない。

 この日も、先ずは下り電車に乗った。電車読書は、私のサラリーマン時代からの習性だ。電車での読書は、本を読むことに集中できるのがいい。そして、どこまで行くと何頁読める、という目途も立つ。1分1頁読むという目標をたてているのだが、実際のところ3分で2頁というところが実態である。

 今読んでいる本は、上下合わせて1100頁の上る大作だ。月末も近いので、今月はこの本の読了が必須だ。上巻だけで550頁もある本は、手にずっしり来る。片手で読んでいると、手首がいたくなってしまう。それでも集中して読んでいるうちに、小山の駅に到着した。この小山の駅からは高崎に行く両毛線と、水戸に行く水戸線が出ている。そうだ、この駅で乗り換えよう。

 両毛線は1時間ほど待ち必要があったが、水戸線は5分ほどで出るようだ。もちろん水戸線に乗った。終着駅友部まで1時間ちょっとだ。水戸線には初めて乗ったが、もちろん景色など見ている余裕はない。友部駅に着いたのは12時過ぎだった。そこから上野行きの常磐線に乗り換えた。そして、上野駅に着いたのは午後2時過ぎだった。まだ会議が始まるまで1時間ある。

 上野駅でゆっくりお昼ご飯を食べた。そして会議室に着いたのが、会議が始まる10分前だった。帰りの電車でも、もちろん本を読み続けた。さらに自宅の寝床でも読んで、この日の目標300頁を無事達成した。これだけ読めれば、この先の先行きも明るくなりそうだ。

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2019年4月22日 (月)

№4138 最悪の選書

 先日もお話ししたが、私が図書館で借りてくる本にダブりが目立つようになった。私はExcelで「読書ノート」を管理している。今現在、3369冊の本が管理されている。このExcelは便利で、新規登録をすると前に読んだダブリの本が浮き出てくる。最近では、10冊借りると3冊のダブリが出るのが普通だ。ダブった本を読んでもいいのだが、まあできるだけたくさん読もうと、ダブった本はそのまま返却している。

 今回もこんなことがあった。女房が友だちを自宅に招待するとのことで、私は図書館に避難することにした。その際、すでに読んだ本を7冊返却し、新たに7冊の本を借りることにした。最近、以前読んだ本を再度借りることが多いので、そのことを注意しながら選書した。そして自宅に帰り、借りてきた7冊をExcelに登録した。

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 なんと、今回借りてきた7冊のうち4冊が以前読んだ本だった。今日は自戒を込めて、何がダブったのか、その本はいつ読んだのかを紹介したい。

 宮本輝の『長流の畔』は、「流転の海」の第8部にあたる。この物語は、第1部を1997年10月に読んだ記録が残っている。そして、めでたく第9部が出て完結した。この際、第8部・第9部を一緒に借りようと思った。両書とも借りている人がいたので予約した。第8部は、まもなく図書館からスタンバイできてるとの連絡が入った。図書館に行って第8部は借りてきたが、第9部は19人の待ち人がいるとのことだった。

 さて、借りてきた第8部を登録してみたら、2017年7月にすでに読んでいた。そうか、この時には第8部はすでに出版されていたのだ。そうだ、第9部は横浜の姉が持っていると話していた。第9部は、姉から借りることにしよう。

 久坂部羊『まず石を投げよ』は、同じく2017年6月に既読だ。私が本を選書するのは、先ずは気に入った作家の棚を見て歩く。そして、まだ読んでいないとあたりをつけた本を借りてくる。久坂部羊の本はすべて読もう、と決めている。これはまだ読んでいないなと思って借りた本が、すでに読んでいたのだ。ああ、残念。

 同じく、伊東潤の本もすべて読もうと思っている。今回借りた『西郷の首』も、すでに2018年9月に読んでいた。7か月前に読んだ本を忘れてしまうなんて、情けないったらありゃしない。

 もう1冊、佐野眞一『あんぽん 孫正義伝』も、以前読んだかなと疑心暗鬼で借りた。案の定、2013年3月にすでに読んでいた。まあ、6年前に読んだ本ならまだ許せるかな。
 
 面白いもので、以前読んだかなと思いながら借りる本は、たいがい読んでしまった本だ。まあ、いつかは2度読む本もいいかなと思うが、今はまだ早い。

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2019年4月21日 (日)

№4137 わが庭隅の畑

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Sdscn0158  何度か話題にしているが、わが庭の隅に3坪ほどの畑がある。私が大事にしていた柿の木を切り、女房が作っている畑だ。私は那須の畑をやめ、すっかり畑仕事から引退した。従って、庭の畑にも一切かかわらない。ところが、その畑の収穫物が、結構食卓を賑わしている。今盛んに採れているのがレタスだ。さらには、春菊などもてんぷらの具材として出てくる。

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 ところが、女房の2月の入院以来、彼女は足腰の筋肉がすっかり弱くなってしまった。畑を耕す鍬を振る力がないというのだ。猫の額ほどの面積だ。仕方がない、鍬で耕してあげた。鍬で10回ほど振ると耕せるほどの面積だ。土はふかふかしていて、栄養が行き届いているようだ。さて、今度は苗を買うから大型日用雑貨店に付き合えという。良いでしょう。そこで買った苗は、トマトにキュウリ、ナスなどだ。私も枝豆を加えた。

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 耕した土地に、買ってきた苗を植えた。そんなに量もなかったので、植えるのアッという間だ。水も撒いてあげた。

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 私は手伝わなかったのだが、傍らに植えたジャガイモの芽が吹きだしている。一袋ほど買ってきたジャガイモの種だったが、腐っていて使えたのはわずか10個ばかり、とブツブツ嘆いていた。まあ、それでも芽が出てくると楽しいね。

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 この畑には、さらに別のこまごまとしたものを植えている。さやいんげんに葱、葉わさびなどだ。自宅で消費するには、このぐらいでちょうどいいのかもしれない。

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2019年4月20日 (土)

№4136 私のブログアクセス数に何が?

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 すでにお知らせしたように、3月19日から私のブログは10日間ほど中断した。私のブログを運営していたNiftyの管理画面に不具合が生じたせいだった。№4112号の記事でもお知らせしていたが、その中断時からブログアクセス数に異変が生じていた。

 大体が、日々の私のブログアクセス数は100前後だった。ちなみに、2017年の一日当たりのアクセス数の平均は123.23回であったし、2018年は112.1回であった。ブログが中断するまではその数字は変わりはなかった。それが、中断以降は大きな変化が起きた。3月19日の中断から再開した3月28日までは、一日平均200アクセス数を記録していた。これは読者の方の声援で、一時的なものだろうと思っていた。ところが、4月以降もその傾向は変わっていない。

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 一日200アクセス数がある日は、それまでは年数回程度だった。ところが、4月に入ってもその傾向は変わっていない。この3日間ほどは、連日200アクセス数超えだ。私の書いている記事に、以前に比べて特段の変化があるわけではない。日常のこまごまとした出来事を書く私のブログ記事に変化はない。一体、このアクセス数の変化をどのように解釈したらいいのだろうか。

 Niftyの新しい管理画面になって、Twitterに投稿する画面が出るようになった。毎回ではないが、思い出すときにTwitterにブログ記事をリンクしている。Twitterでも、リンクした記事のアクセス数を見ることができる。それによると№4129号の「埼玉の三偉人」の記事に67アクセス数があった。間違いなく、Twitterがアクセス数を押し上げている要因になっている。ただ、それだけでここのアクセス数の上昇を解釈することはできないだろう。

 前にも申し上げているが、私がブログを続けていることはあまり宣伝していない。ところが、周囲から以前にもまして私のブログに対する感想が寄せられるようになった、と感じている。じわじわと広がっているのだろうか。それにしても、「継続は力なり」だね。

 

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2019年4月19日 (金)

№4135 春爛漫の庭の花木

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 4月も中旬を過ぎ、冬の間は閑散としていた庭の樹木も息を吹き返してきた。何よりも目に付くのが、スモークツリーだ。この木は、新芽は燃えるような真っ赤な芽をつける。成長すると大きな緑の葉になり、面白くもなんともないが、新芽の間は目を楽しませてくれる。スモークツリーは成長も早い。どんどん剪定をしないと、あっという間に大きな木に成長する。花が咲いた後、モクモクと煙のようなものが生えてくる。スモークツリーといわれる由縁だ。

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 私が大好きな木は、花水木だ。わが家に植えているのは、アメリカベニハナミズキで、真っ赤な花芽をつけている。これまでわが家の庭には、花水木は欠かしたことがなく、枯れては植え直しを繰り返し、今の木はもう4代目か5代目だ。今の花水木は植えて3年目くらいで、まだ若木である。庭の東南隅に植えているが、前の家の新築で日当たりが悪くなったのは残念だ。

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 庭の真ん中に鎮座しているのが、紅花常盤万作だ。今はそれほどでもないが、やがて赤い花が咲き、その咲いている期間が2か月余りと長い。花の時期が過ぎると地面が真っ赤に染まり、掃除が大変と女房は嘆いている。ただ私は好きで、もう2~3本植えてもいいかなと思っている。ところが、女房は大反対のようだ。最近は、街路樹としてもよく見かける。

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 冬の間は屋内に入れておいたのだが、暖かくなってウッドデッキに出したのがハイビスカスだ。7~8年前に那須のスーパーで買ってきた苗木だが、今は大きくなって燃えるような真っ赤な花が、見るものを楽しませてくれる。どんどん剪定しているのだが、へこたれない。6月ころから10月ころまでと、花の咲いている期間が長い。「根が張り過ぎて、植え替えなければ」と女房はぶつぶつ言っていた。

Sdscn0139  Sdscn0141  それまで朝寝を楽しんでいた女房も、この時期になると朝早く起きて庭いじりに余念がない。大きな壺に寄せ植えをしているのは、ラナンキュラスだそうだ。庭に咲いている青い小さな花は、勿忘草だという。庭隅のクリスマスローズも、もう盛りは過ぎているようだ。

 いまは庭いじりには一年で一番良い季節だね。

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2019年4月18日 (木)

№4134 二つの俳句会報を作る

 連日、俳句の話題で申し訳ない。さてすでにお知らせしたように、二つの俳句の会の事務局をすることになった。事務局の主な仕事は、会報の作成である。『桟雲の会』の会報は長くやっているので、慣れている。ただ、「東雄句会」の会報は初めて作成する。

 東雄句会の事務局は会計も兼ねて、お金を預かっている。まずは事務用品が必要である。そのことから始めよう。郵便局に行って、82円切手を100枚買ってきた。さらに大きな文房具店に行き、長形3号の封筒を200枚買った。この封筒も封緘するところに糊代がついているのを選んだ。いずれ大量に印刷するので、プリンターのインクも買いにいった。意外とインクは使うものだ。

 すべての準備が整ったところで、パソコンに向かった。本当は前任者のデータがあると、それを上書きすればいいだけのことだ。ただ、前任者は一太郎のソフトを使っていたとのことなので、データは頂けなかった。Wordで前任者が作った会報に似せたものを作ることにした。作成していて思ったのだが、19年もやっていた前任者の工夫の後がしのばれた。
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 何とか会報のようなものを作ってみた。果たしてこれでいいのだろうか。添付ファイルで、前任者に確認のメールを送った。なぜか知らないが、以前から彼女に送ったメールでフリガナをつけた文字は消えるようだ。そんなことってあるのだろうか。いずれOKをもらった。プリントアウトして、11名の会員に郵送した。これだけで午前いっぱいかかった。

 さて、午後からは『桟雲の会』の会報作りだ。先生からあらかじめ5月の兼題が出されている。5月は「牡丹」だそうだ。ネット検索をすると、たくさんの牡丹の画像が出てくる。会報に一番よさそうな画像をsnippingtoolで取り出し、デスクトップ上にダウンロードした。【会員特別作品】も、あらかじめ添付で送ってもらっている。

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 いつものように会報の作成に取り掛かった。こちらの会報作りは慣れたものだが、それでも時間はかかる。発行月日を初めてのことだが「令和元年」にした。先月もそうだったが、次号の桟雲の会の会報は13頁仕立てだ。今回作ったのは第87号だから、この会報を休みなく発行し続けて、もう7年3か月になる。自分でいうのも何なんだが、会報作りは随分上達したと思う。今は14部印刷しているが、限られた会員だけに見てもらうのはもったいないような気もする。

 プリントアウトして、全部チェックした。これで良しと、Yamahiko先生に添付メールで校正をお願いした。二つの会報作りで、ほぼ丸一日かかった。一日中、パソコンの前に座っていた。まあ、こういう仕事を私は好きだからやっているようなものだ。

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2019年4月17日 (水)

№4133 4月の定例句会

 『桟雲の会』の定例句会は毎月第3火曜日で、埼玉県民活動総合センターの会議室で行われている。4月も、いつものように定例句会が行われた。以前は参加者が少なく、少々寂しい思いをしていた。ところが、昨年別の句会と合併し、さらに新規加入者も増え、この日の句会は11名となり賑やかだった。

  私が作った俳句といえば、先日の「東雄句会」にも出句したのと同じものだ。私の俳句の制作能力は、極端に落ちている。この日参加したTsukushiさんが、「今月は30句ほど作り、今日はその中の比較的出来の良い俳句6句を出句した」と語っていたのに比べ、私が作っている俳句は、二つの句会用に月6句である。こんな事じゃ上手にはならないと承知はしているのだが…。

 同じ時期に俳句を始めたYukoさんやTaeさんを見て、あまりの上達ぶりに口をあんぐり開けてみている。彼女たちはこの句会用とは別に、先生に絶えず添削をお願いしているようだ。先生には「秦山さんももっと意欲を示さなければ、どんどん置かれていくよ」というのだが、分かっているけどという感じだ。

 毎月兼題を含めて6句出句しているのだが、この日先生は慰めか次のようなことを言っていた。「俳句はすべてうまく出来るとは限らない。ちなみに私が出句している俳句も、この句会ですべて評価されているわけではない。提出句のうちで2句に評価点が付くと、まあ、合格ではないのか」。そういう意味では、この日私が出句したうちで2句にコメントが入った。少々不満だが、しようがないか。今日は、その2句を紹介したい。

花冷や夜道を帰る影の濃し  秦山

(兼)蓬餅柱の疵の幾年か

 この2句に先生の〇がついたが、参加者の支持はそれぞれ一人のみだった。

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2019年4月16日 (火)

№4132 さて、竹ちゃんはどこにいる

 すでにご報告しているが、わが友竹ちゃんは日本縦断の旅を続けている。旅日記を事細かに彼のブログ(クリックするとブログを読める)に綴っている。今日のブログで、愛知県の伊良子岬に着いたとの報告だ。

 3月上旬に東京を出て、先ずは四国霊場巡りをしたようだ。四国には二人の友だちが一緒だったのかな。札所めぐりを半分ほどして、彼のみが九州に行った。そこから「日本縦断の旅」が始まった。スタートは、大隅半島の岬だ。基本は、歩いて日本縦断をするつもりのようだ。一日30kmを歩いて、6月下旬には北海道の宗谷岬到着と、スケジュールを立てていた。

 それにしても彼の凄いところは、テントを持ち歩き野宿をして歩くことだった。3月上旬のスタート時は、雨が降り続いて寒かっただろう。持っていく荷物にも制限があり、着替えなどそんなに多くなかったはずだ。しかも貧乏旅行で、ガマン我慢の連続のようだ。ふつうの足では、1時間4kmの歩行距離だ。4か月弱を一日8時間づつ歩き続けるなんて、常人のできることではない。

 彼は、私と同じ業界仲間だ。定年になって10年にもなるだろうか、会社を辞めてからは海外旅行のスペシャリストになった。私も何度も追跡したが、東南アジアからポルトガルのリスボンまで、半年以上をかけて貧乏旅行をしていた。帰ってきてからも、ネパール、ミャンマー、スリランカと席の温まる暇がなかった。そして、今回念願の日本縦断旅行だ。私がいくら旅行が好きといっても、彼のまねはできないね。

 旅行中は、ずっとブログで報告しているのも頭が下がる。しかも彼のブログには、写真がたくさん貼り付いているので、一緒に旅を楽しんでいるような気になるのが嬉しいね。

 それだけではない。旅の空で絶えず私のブログをチェックしてくれているようなのだ。先日、私のブログが10日間ほど断絶した。そしたら、さっそく彼からのメールが届いていた。どうやら九州で書かれたメールのようだった。

シンさん

ブログ更新されていないようですが…。

どうされました。
 もちろんすぐに返信したのだが、恐縮してしまった。彼のブログを読んでいると、追っかけファンが多いようだ。何より励みになるのが、彼のブログにコメントを入れることだ。そういう私はできていないが、このブログを書き終わったら、さっそく励ましのコメントを入れておこう。

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2019年4月15日 (月)

№4131 事務局の交代

 高校の同窓句会「東雄句会」に入会してはや8年になる。2年ほど前、長老から指名されて会長を引き受ける羽目になった。とはいっても名前ばかりの会長で、何もすることがなかった。事務局長のSohuさんが、会のすべてを取り仕切ってきたからだ。ところが、昨年の総会でSohuさんは事務局を降りたいとと主張した。この会は、彼女あっての句会であった。

 事務局をやるには事務能力はもちろんだが、少なくてもパソコンを打てなければ務まらない。この句会は通信句会なので、毎月会員との会報のやりとりが必要だ。その会報作りには、パソコンを打つ技術が必須なのだ。会員を見渡しても、それができるのは私ぐらいしかいない。昨年の議論で、解散するか事務局を私が引き受けるか、決断が迫られた。30年も続いた句会を解散するのには忍びない。仕方がない、私が事務局を引き受けることにした。

 そうは決まったものの、Sohuさんから昨年は1年の猶予をいただいた。そして、この日の総会で事務局長の引継ぎがなされた。なんと、Sohuさんは19年間も事務局をやっていたのだ。頭が下がる思いがする。今までの会報や事務的な文書は、すべて一太郎に残っているという。私は基本的にWordを使って文書作成をしている。ウ~~ム、困ったね。とはいうものの、一太郎からWordにデータ転換はできるはずだ。今までの文書をUSBにいれて私宛に送ってもらうようにお願いした。

 ご存知のように、私は桟雲の会の会報作りを毎月やっている。その延長で、今回の東雄句会の会報作りもできないだろうか。ただ桟雲の会と違って、こちらは通信句会だ。それでもメールでやり取りができればいいのだが、会員に大先輩が多くて、パソコンなど触ったこともないという。従来ほとんどの方は、FAXでの投句だという。毎月、郵便で連絡を取るという面倒が加わった。

 事務引継ぎでSohuさんが漏らしていたのは、「通信句会なので、会員の技量ななかなか上がらない。毎年同じ時期に同じような俳句を投句する人が多い」と嘆いていた。桟雲の会は指導講師がいて、絶えず添削してくれる。この会はそういうことはないので、30年以上も続いているというのに、俳句の腕は現状維持の人が多い。偉そうに言っているが、私も同じようなものだ。

 とりあえず事務局を引き受けたので、続く限り頑張ってみたい。ある長老が言うには、「あなたの事務局長は死ぬまで続くものと覚悟されたい」とのことたが、勘弁してほしい。せいぜい続いて10年くらいかな。それでも、私は80歳を優に過ぎてしまう。帰りにSohuさんと一緒になったが、「この会も長老がいなくなったら、おしまいだね」と確認した。

 総会の後、いつものように句会となった。

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2019年4月14日 (日)

№4130見沼代用水沿いサイクリング

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 わが家に近くを「見沼代用水」が流れている。この代用水は、利根大堰を発端として川口に至る50数kmの用水である。開削したのが江戸時代だから、もう300年にもなる。そして、平成元年に10年も改修工事をした。その時に堤防に植えた桜が、いま見事な花をつけている。検索してみると、日本一の桜並木とあった。10数㎞にわたって桜並木が続く。

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 この代用水沿いに、散歩兼サイクリングロードとして「緑のヘルシーロード」が併設されている。この道は、利根川から川口まで伸びている。わが家のすぐ近くで、「利根大堰から31km」の標識がある。この道をたどってサイクリングに出た。若干風があったものの、ポカポカ陽気であった。さすが桜も満開が過ぎ、散り始めている。用水は、さながら花筏のようであった。

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  この道の33kmの手前に「瓦葺分水」がある。ここで見沼代用水は、東縁と西縁に分かれる。その先に綾瀬川が流れていて、東西縁は、この綾瀬川をくぐっていく。両縁にともにサイクリングロードがあるが、この日は東縁沿いに自転車を漕いだ。陽気に誘われて、どこまでも下っていく。

Sdscn0113 Sdscn0118  用水沿いにはたくさんの花が咲いていた。桜の盛りは過ぎたが、菜の花や芝桜は見事だ。この陽気に誘われて、自転車を楽しむ人が多かった。そうだ、コンビニエンスストアでお昼ご飯と飲み物を買おう。おにぎりとサンドウィッチ、さらにお団子を買った。どこか公園と思いながら、自転車を先に進めた。

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 出発して12~3㎞のところに「見沼自然公園」があった。お弁当を広げている家族がいた。私もここで一休止し、買ってきたお昼ご飯を食べた。ベンチに座っていたら、少し汗ばんできた。サイクリングは、行きは良い良い帰りは恐いで、思わず遠くに行くと帰りは難儀する。この付近で帰ろうか。同じ道をたどって帰った。

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 見沼代用水は、桜と新緑の芽吹きが美しかった。ただ、普段運動不足の足の筋肉はパンパンだ。往復3時間、25㎞ほどのサイクリングだったが、家に帰り付いたら足が上がらなかった。

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2019年4月13日 (土)

№4129 埼玉の三偉人

 昨日の続きの記事である。「渋沢栄一記念館」で、【埼玉三偉人】を訪ねる地図をいただいた。三偉人とは、渋沢栄一のほかに荻野吟子と塙保己一のことをいうらしい。頂いた地図を見ると、そんなに遠くもない。せっかく深谷に来たのだから、ついでに訪ねてみよう。こういう場合は、カーナビは本当にありがたい。

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 最初に訪問した「荻野吟子記念館」は、渋沢栄一記念館から車で18kmもあった。とてもじゃないが歩ける距離じゃない。記念館は、利根川の土手沿いにあった。荻野吟子は、明治18年(1885)に医師の資格を取得した日本の最初の女医である。記念館の展示物を読んでいると、今回の新札とまんざら無関係でもないようだ。今回5000円札に採用された津田梅子との交流があったという。

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 生まれは埼玉であったが、女医として活躍したのは北海道だった。彼女の生涯は、渡辺淳一の小説『花埋み』に書かれているというが、私はまだ読んでいない。展示物を読む限りにおいて、医療・婦人解放運動の先駆者として活躍し、女性の地位向上や衛生知識の普及に尽力した方らしい。機会があったら読んでみよう。

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 荻野吟子記念館を一回りして、次の目的地へ向かった。行く途中、「妻沼聖天山」の看板がやたら目についた。一体なんだろうと、急に目的地を変えた。私は知らなかったが、妻沼の周辺では「聖天様」として信仰を集めているお寺のようだ。このお寺には秘仏があるが、4月16日~22日まで、23年ぶりの秘仏御開帳になるらしい。着々と準備が進んでいたが、この御開帳には相当多くの信者を集めるのだろうね。

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 本堂の裏に国の指定重要文化財に指定されている本殿があった。本殿は日光東照宮の流れをくむ建物で、豪壮華麗な建物らしい。日光東照宮の後にできた建物ということで、さらに洗練されているらしい。入場料がかかるというので、外から拝観させていただいた。

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 この聖天様の近くでお昼ご飯を食べた。看板にとろろとあった店で、とろろ飯をいただいた。メニューを見ると「とろろおわん」とあったので、なぜおわんなのか聞いてみた。子ども用語を採用したらしい。お昼ご飯を食べながら、深谷に住む高校の友だちを思い出した。急に電話したら彼が出た。せっかく深谷に来たからと、塙保己一記念館訪問後久し振りに会うことにした。

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 そして訪ねたのが「塙保己一記念館」だ。私は、塙保己一についてもほとんど知識がない。入口で、塙保己一を紹介するDVDを観た。30分ほどの番組だったが、塙保己一についてよくまとめられたDVDだった。盲目の塙保己一は、江戸時代に『群書類従』をまとめた学者だ。本庄の片田舎で生まれ、7歳で全盲になったらしい。お母さんが亡くなり、13歳で上京した。

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 江戸では大変苦労して、最後には総検校にまで上り詰めたという。記念館には全666冊になるという『群書類従』が展示されていた。17,244枚の版木が残されていた。桜材だそうだ。展示を見て初めて知ったのだが、ヘレン・ケラーが塙保己一を励みに努力を重ねたという。こういう偉い学者だと初めて知った。

 さて三偉人の記念館を経巡って、約束の友だちに会うことにした。Shigeoといって、私の高校の同級生だ。彼とはいつも机が隣り合っていた。高校での陸上競技クラブも一緒だった。10年ぶりくらいの再会か。会うと同時に彼から出た言葉は、陸上競技部の監督先生の死去の報だった。そうか、先生には大分お世話になった。私達より一回り上だったというから、やむをえないか。

 お互い元気かどうか確認した。彼は「自身は病気のデパート」といわれるくらい、様々な病気を体験したらしい。「それもこれも、糖尿病に原因がある。若い頃の不摂生がたたった。今でも、足下の血行障害で苦しみ、最近まで入院していた」そうである。古希を過ぎて、お互いどこかかしかに障害がある。まあ、だましだまし病気と付き合っていこうと確認し、別れてきた。

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2019年4月12日 (金)

№4128 新札一万円に湧く埼玉

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 ご存知のように、2024年に発行される新一万円札の肖像画が渋沢栄一に決まった。埼玉は、渋沢栄一の生まれた深谷市を中心に大いに盛り上がっている。一連の報道を見ていると、深谷に「渋沢栄一記念館」があるという。自宅から一時間ちょっとなので、この機会に訪ねてみよう。いつもそうなのだが、熊谷に行くのには新幹線の側道を使うと速い。ほとんど車が走っていないし、何より新幹線の側道なので真っ直ぐだ。目的地には、1時間ちょっとで着いた。

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 早速、記念館に入った。玄関には、上図のようなポスターが張られていた。新一万円札に決まったせいか、平日にもかかわらず来館客数が多かった。館の入り口で渋沢英一翁の業績のDVDが流れていた。私も20分ばかりの映像を見ていたが、既知の話が多かった。渋沢栄一については、ずいぶんたくさんの小説を読んだような気がする。自宅で検索してみたら、津本陽の『渋沢栄一伝(上)(下)』と佐野真一『旅する巨人』が出てきた。ほかにもたくさん読んだような気がするが、渋沢の表題ではなかったのではないか。

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 DVD画像の脇に、渋沢栄一の実像のパネルがあった。そのパネルによると、渋沢栄一は153~155㎝の身長だったようだ。来館者の一人が、思わず「渋沢栄一というのは、意外と小さかったんだね」とつぶやいていた。江戸から明治にかけての人は、こんなものだったのか。館内の展示物を一通り見て回ったが、実物の書や手紙が多かったが、これはという発見はなかった。図書室も併設されていたが、特段渋沢栄一の書物が多いということもなかった。

 ひとつ発見したといえば、渋沢栄一を顕彰する「青淵会」があって、以前から渋沢栄一をお札の肖像にと働きかけていたそうだ。展示物に『10万円札』があった。たしかに渋沢は、日本資本主義の礎をつくった人だ。今も現存する錚々たる大会社も、渋沢の手になった。隣国がケチをつけているようだが、それには当たらないね。そういえば、王子の飛鳥山公園内に渋沢栄一の住居「青淵文庫」の建物があった。

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Sdscn0093  記念館から車で3分ほどで生家があるという。その家も訪ねてみた。ものすごく大きな農家だった。実家は、繭玉の生産農家だったという。周りには、大きな土蔵が4戸も建っていた。実家は、実に豪農だったのだ。深谷の街を走っていると、どこでも「渋沢栄一生誕の地」の看板がかかっていた。渋沢は、地元にも貢献し、今でも地元の誇りとして愛されているようだ。

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 最後に、JR深谷駅に行ってみた。駅は線路をまたぐ跨線橋になっていて、まるで東京駅の再現だ。東京駅もそうだが、この駅も深谷で作られたレンガが使われているという。深谷は、レンガの生産地でもあるのだ。駅前には、渋沢栄一の像が立っていた。


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2019年4月11日 (木)

№4127 3月に読んだ本

 今年に入ってからの私の読書生活は低調だ。最低でも月に5,000頁の読了を自分に義務づけているが、それをクリアするのに四苦八苦している。月末になると「読書ノート」を開いては、目標達成まであと何頁読む必要があるのか確認している始末だ。そして、月末の最終日にようやく目標達成、という月が続いている。読書には波がる。昨年はどんどん読めていたが、今年は苦労している。一番の原因は、面白い本に出合えていないことだと思う。

 さらにボケが来ているせいか、図書館で以前読み終わった本を借りてくることが多くなった。「読書ノート」に記録をつけて初めて分かるのだが、一度に10冊借りてくると、今回も3冊は以前に読んだ本だった。本の選書の際、2~3頁パラパラめくり、無造作に借りる。図書館だからできることで、書店で本を買うときにはもっと慎重になっているはずだ。選書も安易かもしれない。

 とはいっても、毎月13~4冊は読んでいるので、中には面白い本もある。ただ、今月は前に進めない本が2~3冊あった。これが停滞の原因とはいうものの、一度頁を開いたら完読をすることにしている。さて、3月は14冊・5,247頁の読了だった。まあ、辛うじて目標達成といったところだ。いつものように、何を読んだのかを報告し、その中の2~3点に感想を述べたい。

小嵐九八郎『蕪村』349頁 講談社 2018年9月刊

東野圭吾『新参者』348頁 講談社 2009年9月刊

楡周平『デッド・オア・アライブ』388頁 光文社 2017年11月刊

堂場瞬一『穢れた手』346頁 東京創元社 2013年1月刊

帚木蓬生『襲来(上)(下)』(上)345頁(下)301頁 講談社 2018年7月刊

馳星周『暗黒で踊れ』563頁 双葉社 2011年12月刊

三浦しをん『光』297頁 集英社 2008年11月刊

服部真澄『夢窓』638頁 PHP出版 2017年3月刊

村山由佳『海を抱く』370頁 集英社 1999年7月刊

植松三十里『大和維新』250頁 新潮社 2018年9月刊

鳥越碧『花筏 谷崎潤一郎・松子 たゆたう記』465頁 講談社 2008年11月刊

堂場瞬一『異境』335頁 小学館 2011年6月刊

波多野聖『本屋稼業』252頁 角川春樹事務所 2016年2月刊

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  帚木蓬生の小説は、ほとんど読んできた。そして、読むたびに感銘を深める作家でもある。ちなみに、いつものように帚木蓬生の本をどのくらい読んだのか検索してみた。『逃亡』『日御子』『薔薇窓』など、帚木蓬生の本は記録を見る限り27作品読んできた。多分、彼の作品は読むたびにこの欄で紹介してきたと思う。なんといっても、彼の作品は読み始めた1頁目から作品に没入できるのがいい。

 この小説は、タイトルからして蒙古襲来の話だろうと推測した。たしかに蒙古襲来の話なのだが、話の展開は一風変わっていた。主人公は、日蓮の耳目として働いた見助で、彼の目を通してみた蒙古襲来の話だった。日蓮は、早くから外敵の襲来を警告していた。ただ、時の執権はそれに耳を貸そうとしなかった。そして、日蓮に対する弾圧も続いた。

 日蓮の依頼で、見助が対馬に情報収集で出かけたのが22歳の時だ。この小説は見助の目を通して語られ、見助の成長物語でもあった。案の定、見助は九州の博多で蒙古襲来を目にする。博多湾岸に設置された防御壁を必死で守る見助。再度対馬に戻り、狼煙台を守る仕事にも就いた。彼の心の中には、絶えず日蓮の影があった。遠く離れていても、日蓮に守られているという実在感があった。

 日蓮の耳目を無事果たして、日蓮に会うべく身延山に帰ったのは、旅に出て22年もたっていた。しかし、そこに千葉で養生していた日蓮の訃報が届いた。その時には、見助も重い病の床に伏していた。日蓮没後49日、見助が亡くなった。見助の日蓮を思う姿が、この作品からひしひしと伝わってきた。

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 最近、鳥越碧の作品に嵌っている。そして彼女の作品を立て続けに読んでいる。多分、この欄にその都度紹介を載せているのではないか。彼女の視点は、絶えず女だ。新島八重の回想だったり、一葉をめぐる話、『漱石の妻』、坂本龍馬の女房おりょうのその後の追跡など、テーマとして興味を抱くものが多い。

 この小説『花筏』は、谷崎潤一郎を支え続けた妻の松子の話だ。谷崎潤一郎は、結婚と離婚を繰り返した。有名な話は、二度目の妻千代との離婚だ。谷崎は、親友の佐藤春夫に千代を譲渡した。そして松子と出会った。松子は、美人三姉妹だった。そのことが小説『細雪』に書かれている。

 この小説を読んでみて分かるのだが、谷崎の小説の材料は絶えず自分の身の回りの出来事だった。松子を材料にして『細雪』のほか『痴人の愛』、『春琴抄』などの小説があるし、二度目の妻千代との離婚の話は『蓼食う虫』の小説の材料になっていた。谷崎が何を考えていたのか松子が知るのは、彼の作品を通してだった。小説家の妻というのは、なかなか辛いものがある。

 あちらの女、こちらの女と渡り歩いた谷崎が、最後にたどり着いたのはやはり松子のところだった。谷崎の哀しみもわかるような気がした。

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 波多野聖の本を読むのは初めてのことだ。きっかけは、本のタイトルに誘われた。一体何の話だろうかと読み始めたら、あっという間に読んでしまった。テーマは、紀伊国屋書店の創業者田辺茂一と大番頭松原治の話だった。以前から話は聞いていたが、系統的に読んでわかることも多かった。

 もともと田辺茂一は、今の紀伊国屋書店新宿本店のあるところで親父さんが薪炭商を営んでいた。彼は本屋さんをやりたかったのだが、親父さんは猛反対。ただ、お母さんの支持を得て、昭和の初めに本屋さんを始めた。そのころの商売は皆そうだったのだろうが、商売のやり方はおおざっぱだった。さらに、田辺茂一は酒好きで女好きだ。

 本屋を家業として成り立たせたのは、戦後に松原治が紀伊国屋書店に入店してからのようだ。松原治は、軍隊で主計局を歩いてきた。数字に明るかったのだ。田辺と松原は水と油のような気もするが、松原は田辺を尊敬していた。二人は何でも言える関係だった。ただ、今の紀伊国屋書店を日本一の本屋にしたのは、松原の功績大だった。

 この小説には書かれていなかったが、松原治は大のゴルフ好きだった。80歳代で年間100ラウンドもこなしていた。20年ほど前になるが、私も一緒にラウンドしたことがある。彼は自分勝手で、打ったら人の球を見ないでとっとと歩き出した。危なっかしくって見ていられなかったね。

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2019年4月10日 (水)

№4126 那須に春の雪

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 朝、女房に起こされた。「見て見て、すごい雪が降っているわよ」というのだ。この日の天気予報は、晴ではなかったのか。布団から起き出して障子を開けた。そう、ものすごい雪が降っていた。粒の大きな牡丹雪だった。すごい勢いで降っている。ただ、道や野原に積もっていないところをみると、どうやら降り始めたばかりのようだ。じっと見ていたら、そのうちに日が差してきた。1時間ばかりの雪だった。

 今回の那須滞在は、3泊4日だ。私は一回しか行かなかったが、女房は3日間温泉三昧だった。近くに住んでいるMatsukawaさんが「花の湯温泉」の年間利用権をもっていて、声をかけるといつでも同伴してくれる。私が温泉に行かないと見るや、Matsukawaさんと誘い合って温泉通いをしていた。

 4日間、那須でのんびりした。さて帰ろうか。家中掃除して、洗濯も終え、朝10時近くに那須を出発した。那須の新緑はまだで、桜の蕾も固かった。帰りのカーラジオでは、宇都宮がこの日桜満開になったと報じていた。標高の差があるかもしれないが、60kmほど離れた那須の桜が1分も咲いていないのに宇都宮が満開とは、ずいぶん違うものだね。

 帰る途中にある「矢板道の駅」で、買い物をしてきた。那須に行く時にも立ち寄ったのだが、この道の駅のイチゴがおいしかった。お土産にとイチゴを買い求めた。さらに、野菜やジャガイモ、お花などを買って帰った。

 帰りの運転をしていて、アクセルを踏んでもスピードが出ないのに気が付いた。何でだろうか考えてみたら、飲料水を8箱ほど積んでいるのだ。これだけで100㎏もある。どうりでスピードが出ないわけだ。ただこの飲料水は、2ヶ月近くは持つのではないか。まあ、5月の連休も那須で過ごすつもりだ。余分の水は、安心量と考えている。

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2019年4月 9日 (火)

№4125 焚火

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 今日は、風がなく暖かい。家の周りには、冬の間に落ちた枯木が散乱していた。この周辺では本来は焚火は禁止されているのだろうが、周りには人がいない。他に迷惑をかけることもないだろうから、焚火をすることにした。

 家の前の道には、他の車が入ってくることもない。枯木のほかに、袋に詰めた枯葉が3袋ほどある。畑用の肥料にするつもりでいたのだが、畑を手放してしまったので用なしだ。さらに、家の周りに廃材などもたまっている。それらを積んだら山のようになった。ただ、小川から引き揚げた枯葉は濡れていて、まだ燃やすことはできない。

 枯木の山に火を点けたら、勢いよく燃え上がった。燃え上がった火を見ていると、気持ちが良いね。太い枯枝もあったから、2時間も燃えていたかな。さて温泉に行こう。完全に燃え上がるのを待つことはできないと、水道水で水をかけ完全に消してから温泉に出かけた。

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2019年4月 8日 (月)

№4124 小川の枯葉の清掃

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 【あるるのいえ】の東側には小川が流れている。この時期は、昨年の秋からの枯葉が小川を覆い、小川の流れが見えなくなっている。小川の枯葉の清掃をしよう。これは、毎年のこの時期の恒例の仕事になっている。シャベルと熊手で枯葉を除き始めた。

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 枯葉を掃除し始めたら、かわいい小動物が出てきた。沢蟹である。この周辺の川には、沢蟹がいっぱいいる。孫が小さかったころは、バケツを持って沢蟹取りをしていた。取った沢蟹は、この小川に放していた。まさかその時の沢蟹ではないだろうが、冬眠が明けたのだろうか。

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 小川から引き揚げた枯葉を東側の空き地に積んだ。枯葉はさながら小山のようになった。乾いたら燃やしてしまおう。その話を女房にしたら、「こんな濡れた枯葉は簡単に乾かないよ」と話していた。

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 おかげで、小川の流れが戻ってきた。ちょろちょろと流れる小川の流れの音は心地良い。

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2019年4月 7日 (日)

№4123 早春の那須へ

 前々から女房に「いつ那須に行くの」と迫られていた。というのも、以前から言っているように、自宅の飲料水は那須の水に頼っている。2月下旬に那須に行ってから、1ヶ月半ほど那須はご無沙汰している。2週間ほど前に飲料水が切れてしまったのだ。仕方がないので水道水を飲んでいたが、やはりカルキ臭くて飲めない。日程の合間をぬって那須に行くことにした。女房も温泉を楽しみに、一緒に行くという。

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 那須に来る道は結構混んでいたが、それでもいつも通り3時間で那須に着いた。埼玉は桜の盛りが過ぎたが、那須はまだまだ早春だ。自宅から眺める那須茶臼岳には、雪が残っている。セーターを持ってきた。車の中では暑くて脱いでいたが、那須に来て再度セーターを羽織った。

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 【あるるのいえ】の周りは、早春の花盛りだった。家の脇を流れている小川のほとりにミズバショウが花をつけていた。向かいのOhnoのお父さんが植えてくれたものだが、3輪ほど咲いていた。そのお父さんも、昨秋の心臓手術以来めっきり弱ってしまったと、奥さんは嘆いていた。そして那須に一人で滞在はできず、必ず奥さん同伴のようだ。

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 そのOhnoさんの家の前に咲いていたのが春竜胆だ。春一番に咲く野の花だ。探してみたら、荒れ野のあちこちに咲いていた。これは大事な句材になると、早速春竜胆で俳句を考えた。

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 さらに、自宅の庭に咲いていたのが黄水仙だ。黄水仙は園芸種で、女房が植えたものだ。今は一輪しか咲いていなかったが、たくさんの蕾が開花を待っていた。

 

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2019年4月 6日 (土)

№4122 大宮で年一回の会合

 もう10年以上も続いているだろうか、大宮で年一回の会合があった。以前は大宮公園駅に集合してお花見をやっていたのだが、最近ではお花見を省略しての飲み会になってしまった。主催者のYouichiさんが足が悪いとのことで、歩けないという。それでも年一度お会いする楽しみはある。

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 会場は、これもいつも同じなのだが、「中華一番」という格安の中華料理屋だ。何しろ安いお店だ。どんなに食べても飲んでも2000円前後だし、昼休みの混んでいる時間でも、長居しても迷惑がられないのがいい。しかも、料理もしっかりしていて、ボリュームもあり美味しいのだ。この店の餃子など絶品だ。この日はいつもの6人だったが、餃子をお替りして4皿も食べた。

 どういう仲間かというに、同じ田舎に生まれた同郷の会である。長くYamazakiさんを中心に集まっていたが、彼が亡くなってもう2年7か月になるという。その代わりというわけではないが、奥さんが参加してくれている。彼女は秋田市内の出身だが、すっかり田舎の会に溶け込んでいる。

 年一回の会となると、どうしても病気の話になる。参加者は、すべて古希を超えているのだ。話題の中心にどっかり座っているTaguchiさんも、もう5~6年前になるだろうか、スキルス胃がんを患った。彼は無事生還したが、この日参加したKaoruさんの旦那Shigeruさんは、スキルス癌で還らぬ人になった。もう20年になるという。私も、女房の症状の報告をした。女房も、お陰ですっかり元通りの生活を送っている。

 そういえば、主催者のYouichiさんも癌だと言っていた。日本人の二人に一人が癌にかかる時代だ。癌だといって驚くに当たらない。早期発見、早期治療で直る時代になったのはありがたい。そういえば、Kaoruさんも数日前、道を歩いていて眩暈で倒れたのだそうだ。貧血ではないというから、早く医者に見てもらうように忠告した。

 病気の話だけではない。Taguchiさんの趣味の話に聞き入った。彼は最近オートバイを買い、あちこち乗り回すのを楽しみにしているという。さらには、カラオケ通いに老人介護施設の送り迎えと多忙な日々を送っているようだ。あまりの活発さに、目を見張った。そんな話をしているうちに、この店に2時間半も長居してしまった。

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 さていつものことだが、記念写真を撮って別れた。また来年も、元気な姿でお会いしたいものだ。

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 皆さんそのまま帰宅したようだが、私は再度大宮公園に行って桜見物をした。歩いて20分ほどだ。満開も過ぎたのだろうか、風に盛大な桜吹雪が舞っていた。これはこれで見事なものだった。

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2019年4月 5日 (金)

№4121 いつものコースで定例ゴルフ会

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 最近でこそ間遠になってしまったが、定例ゴルフ会がマイコースの「オリムピックカントリークラブ レイクつぶらだコース」で行われた。参加者はマッキーとMasaoちゃん、ゲストはAkiyamaさんだった。この日は天気が良かったものの、寒くて風が強かった。そういえば、前回は1月に行ったのだが、女房の発病の日だった。もちろん、同伴者はそのことは知らなかった。

 最近の私のゴルフは、ショットはよかったし、パターももとに戻ってきた。問題はアプローチショットだ。しかし、あちらがよくなればこちらが悪くなるで、悩みは尽きない。この日のグリーンは、風を入れる穴が開いていてぼこぼこだった。こんなグリーンじゃ、入るものも入らないよと嘆いた。

 案の定、私のパットは最悪だあった。少し上向いていたと思っていたのに、元の木阿弥だ。数えてみたら、3パットを11回も打っていた。こんなパットじゃ、スコアにはならないよね。呆れた顔で、マッキーが指導してくれた。パットを打つ時の腕を触ったマッキーは、「こんなにがちがちに腕に力を入れていたら、ボールが思い通りに転がらないよ」とのアドヴァイスだった。自分でも腕を触ってみたら、本当に固かった。

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 いつものように、オリンピックゲームをやっていた。こんなぼこぼこのグリーでも、他の3人は簡単に1パットを入れていた。特にAkiyamaさんのパットは鬼気迫るものがあった。7~8m位のパットを無造作に入れていた。メダルラッシュだ。後で聞いたら、1パットは6回だったと言っていた。それを上回ったのがMasaoちゃんのパターだ。1パット9回だったという。私が3パットを11回も打ったのに比べて、その差は歴然だ。私は1パットで入れたのは、わずか一回のみだ。

 案の定、最後に清算してみたら私の一人負けだった。やはり、パターに難ありの私のゴルフは変わらなかったね。3パットを2パットに抑えておけば他の3人に十分に対抗していけるのにと思ったが、後の祭りだ。

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2019年4月 4日 (木)

№4120 男の料理教室「最後の食べ歩き」

 3月の記事(クリックすると当該記事を読める)に書いたが、男の料理教室を4月の食べ歩き会をもっていったん終了することにした。2011年3月に発足した会であったが、毎月一度も休むことなく、96回の例会を重ねた。調理の先生は女性会員で、男どもは忠実な弟子だ。ただ、残念ながら8年にもなるが、男性会員の腕が上達したとは言えない。

 救いは、男どもを叱咤した女性会員が嬉々として参加していたことだ。毎月の例会参加者は、ほぼ男女半々だった。何も特別料理を作ったことはない。女性会員の家庭料理を、レシピのままに作っていくだけだ。ただ、その家庭料理がよく、女性会員も参加してくれていた。会は、毎月交互に食べ歩きと調理を繰り返した。

Sdscn0013_1  そして、4月は最後に一番印象に残った店での食事会にした。会場は、さいたま新都心駅からすぐで、氷川神社の参道沿いにある「かのうや」であった。この店は、先着15名に格安で「うなぎ御膳」を振舞ってくれる。この日の参加者は14名だった。会長の趣向で、この日は女性会員に感謝を込めて男性会員が招待することにした。

Sdscn0016  開店は11時とのことで、店頭に30分も並んで開店を待った。そして待望の入店だ。席は、お店の配慮で別室の特別席が用意されていた。このお店では、食べ放題のお番菜が人気だ。なかでも、カルシュームいっぱいのうなぎの骨のから揚げが食べ放題だ。そのほかに、生野菜やお新香など取り放題だ。

 食べる前にと、会長のAkiraさんから挨拶があった。この会が存続できたのも女性会員のおかげと、感謝に満ちあふれたものだった。この会がこれだけ続いたのも会長の配慮の賜物と、会長へのねぎらいの言葉が会員からあった。

 さてお番菜だが、ある女性会員は、2度も3度もお替りしていた。そんなに前菜を食べたらウナギが食べられなくなるよというと、「うなぎは別腹よ」といっていた。怪しからん会員もいて、人気のウナギの骨をテッシュに包んで自宅に持ち帰っていた。酒の肴にして食べるのだろうね。お店からクレームはなかったのを見ると、それもOKなのだろう。

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 さて、本番のうなぎ御膳が目の前に並んだ。鯉こくや茶碗蒸しも付いた豪華御膳だ。もうこの店には3~4度も来ているが、ここのウナギは脂がのって美味しい。いつものことだが、女性会員のChizuちゃんはウナギが嫌いで、大きなウナギを私におすそ分けしてくれた。そのこともあって、私は満腹だった。この時とばかり、生ビールに日本酒もいただいた。

Sdscn0027  こんな楽しい会だったので、年一回は同級会をやろうという提案があった。Kozoさんが幹事で、12月にイタ飯屋でやることが決まった。こういうことは決まるのが早い。最後に、店頭で記念写真を撮って解散した。

Sdscn0032  有志で、大宮公園の桜見物をして帰ってきた。大宮公園の桜は満開だった。

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2019年4月 3日 (水)

№4119 新たなデジカメの購入

20190401_130137  ゴルフの朝、起きてトイレに入ったらデジカメをトイレに水没させてしまった。最初は起動していたが、水がしみ込むにしたがってうんともすんともいわなくなってしまった。ブログを書くために、デジカメは必需品である。私は、絶えずベルトに挟んでケースに入れたデジカメを持ち歩いている。このデジカメは、ブログで記事検索をすると、2016年6月に購入したCANONのSX720HSである。このカメラで何代目になるだろうか。

 ゴルフはスマホのカメラで写したのだが、どうしてもスマホのカメラには慣れない。水没したカメラを買った電器屋に持って行ったが、修理はできるが時間はかかるし、修理代1万円もかかるとのことだ。ドライヤーで乾かしてみたらどうかと提案されたが、試みは失敗に終わった。こういう電気製品は、修理するよりも買った方が安い。新製品を買うのは、修理代に1万円くらいを上乗せするだけだ。久しぶりに並んでいるデジカメを見た。

 電器屋の店員が言うには、「最近さっぱりデジカメが売れなくなった。皆さん、デジカメでなくスマホで写真を撮っているのではないか。メーカーも、デジカメの新製品の開発を最近はやっていないようだ」とのことだ。なるほどね。とはいっても遅れてきた青年(?)は、矢張りスマホのカメラではなくデジカメが欲しい。並んでいる商品を手に取ってみた。

20190401_134815  私は、今までオリンパスやソニー、CANONのカメラを使っていた。初めてのことだが、今回はNikonのカメラを買ってみようかな。多分、私が今持っているCANONのカメラと同じ性能だ。店頭には、Nikonの売れ残りのカメラが一台あった。「COOLPIXA900」という機種だ。エイや、っと買うことにした。

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 今回失敗したのは、カメラケースごとトイレに水没してしまったことだ。今回もカメラケースを買うことにしたが、今までのようにベルトに挟むだけでなく、ベルトの支えにも固定できるものにしよう。さらには、二重の入れ物があり、デジカメとスマホが入るようだ。どうしても買った当初は大事に使うが、慣れてしまうと扱いがぞんざいになる。今度は気を付けよう。

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2019年4月 2日 (火)

№4118 満開の桜の下でゴルフ

 昔の仲間からのお誘いを受け、桜の下『浦和ゴルフ倶楽部』でゴルフをしてきた。参加者は2組7人だった。恐れ入ったことに、このゴルフのために広島の尾道から駆けつけてくれた人もいた。仲間の繋がりというのは、ありがたいものだ。

20190331_095128  この日の天気予報は晴といっていたが、午前中はズーッと花曇りだった。まあ、それでも風はないし暖かかったので、快適なゴルフができた。桜は満開とはいかなかったが、4分咲程度だったか。

 第一組で回ったのは、名人組だ。私が一緒に回ったのは、AsaiさんとKuniさんの3人だ。この日面白いと思ったのは、同伴者によってスコアが動くということだ。特にAsaiさんとは、ほぼ同スコアで前半を回った。8番ホールまでは、偶然にも同組の3人が同スコアだった。そのことに気が付いた私は、9番ホールが勝負だねと宣言した。

 9番ホールは、390ヤードのミドルホールだった。私のドライバーは、最近とみに飛距離が落ちている。第一打は180ヤード程度だったのではないか。ライバルのAsaiさんは200ヤードほど飛ばしている。私の第二打は、得意の7番ウッドだ。このクラブは、160~70ヤードほど飛ぶ。狙い通り、残り60ヤードほどのところについた。

 それに対して、Asaiさんは第二打のアイアンでざっくりやってしまった。私は、第三打を58度のアプローチアイアンで打った。ピンに2メートルほどのところにうまく乗ってくれた。ざっくりやったAsaiさんは4オンだ。Kuniさんも3オンでパット勝負だ。私は下りのパットをうまく入れた。他の二人は2パットで、三人の上りは49、50、51とうまく割れた。久しぶりに40台で上がれた。

 後半は、お昼の祝杯がたたったのか、いつものとんでもない方向に飛んだり、ざっくり、トップの繰り返しだった。私が失敗すると、同組のAsaiさんも失敗、Asaiさんが失敗すると私も同じ過ちを犯した。ゴルフという競技は微妙なもので、どうしても同伴者の影響を受けてしまう。この日は、まさにそういうゴルフだった。

20190331_172810  この日はゴルフの楽しみもあったが、帰りに遠来のお客さんを囲んでの宴会が楽しみだった。会場は、武蔵浦和駅前の『おくどさん』という店だ。くどというのは、竈を意味するのだそうだ。Sekineさんがこの近くに住んでいるとかで、宴会のみに参加してくれた。この席で初めて知ったのだが、奥さんは秋田市内出身だそうで、そのことで席が盛り上がった。

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2019年4月 1日 (月)

№4117 新しい年号は「令和」

 今日の11時40分過ぎに、新たな元号の発表があった。新元号は、「令和(れいわ)」だ。大化以来、元号はこれで248番目になるのだそうだ。発表前、いろいろな憶測が出ていた。ただ、この「令和」を予測した人は誰もいなかっただろう。なんでも、この言葉は「万葉集」からとったものだという。しかも、「令」の字はこれまで元号には一度も使われてきていなかった。

 いまの私の普段の生活は、西暦一辺倒だ。ただ、元号について絶えず私が考えるのは、今年は昭和何年だったかなということだ。そう、今年は昭和94年だ。それで換算しながら、ある出来事にもう何年たったかを考えている。本来、元号などやめて西暦一本にした方が、何かと便利なのだろう。それでも、「明治時代」「大正時代」「昭和時代」「平成時代」というと、何かしらその時代の雰囲気を感じながら世の中を考えるのにはいいのかもしれない。

 その伝で行くと、私は昭和の人間だなとつくづく思う。昭和といっても、昭和20年前とそれ以降とでは、まる別の時代のような気がする。私は戦後生まれなので、戦争のことは全く知らない。「平和な時代の昭和」だ。そして42歳まで昭和の時代を生きていたから、わが人生の一番盛んな時期を生きてきた。

 平成の時代は、印象に薄い。というよりも、平成の時代は、もっぱら西暦で生きてきたのではないか。平成23年に何が起きたかと聞かれてもピンとこないが、2011年に何が起きたかといわれると、すぐに「東日本大震災」を想起する。また、2001年というとニューヨーク・マンハッタンの大規模テロが思い出される。その年が平成何年かと問われれば、ちょっと考え込まざるを得ない。

 かといって「平成」の呼び名を全面的に拒否するかというと、そうでもない。平成の時代の現天皇の功績は、誰にもまねのできない立派なものだ。災害地には逸早く駆け付け、労いの言葉をかける。何度も戦争の跡地を訪ねては、戦没者に深々と頭を下がる場面を目にした。前の昭和天皇が戦争と深いかかわりを持っているのに比べ、今の天皇はまるで「平和の使者」である。おかれている時代相が変わっているから何とも言えないが、かといって昭和天皇が好戦的だったとはいえないかもしれない。

 それに比して、現天皇は平和と密接に結びつけて考えられる。良い時代に天皇になった。新憲法のもと、「象徴」に徹するべくそれにふさわしい行動だったのではなかったろうか。31年間の天皇の暮らしは、激しい労働にさらされてきた。85歳になった今、退位されるのには誰もが納得する。

 ただ、今回決定した「令和」という元号には若干の違和感を覚える。誰もが聞きなれない言葉に、最初は違和感を覚えるのと同じ現象なのかもしれないが、この新元号に慣れるまでは時間がかかりそうだ。まあ、私は相変わらず昭和を生きているのだから関係ない、と居直ることもできそうだ。

 5月1日に改元する新元号は、果たして我々の生活に定着するのはいつのことだろうか。そして、新天皇は、時代にかかわってどのような役割を演じようとするのだろうか。

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