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2019年4月13日 (土)

№4129 埼玉の三偉人

 昨日の続きの記事である。「渋沢栄一記念館」で、【埼玉三偉人】を訪ねる地図をいただいた。三偉人とは、渋沢栄一のほかに荻野吟子と塙保己一のことをいうらしい。頂いた地図を見ると、そんなに遠くもない。せっかく深谷に来たのだから、ついでに訪ねてみよう。こういう場合は、カーナビは本当にありがたい。

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 最初に訪問した「荻野吟子記念館」は、渋沢栄一記念館から車で18kmもあった。とてもじゃないが歩ける距離じゃない。記念館は、利根川の土手沿いにあった。荻野吟子は、明治18年(1885)に医師の資格を取得した日本の最初の女医である。記念館の展示物を読んでいると、今回の新札とまんざら無関係でもないようだ。今回5000円札に採用された津田梅子との交流があったという。

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 生まれは埼玉であったが、女医として活躍したのは北海道だった。彼女の生涯は、渡辺淳一の小説『花埋み』に書かれているというが、私はまだ読んでいない。展示物を読む限りにおいて、医療・婦人解放運動の先駆者として活躍し、女性の地位向上や衛生知識の普及に尽力した方らしい。機会があったら読んでみよう。

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 荻野吟子記念館を一回りして、次の目的地へ向かった。行く途中、「妻沼聖天山」の看板がやたら目についた。一体なんだろうと、急に目的地を変えた。私は知らなかったが、妻沼の周辺では「聖天様」として信仰を集めているお寺のようだ。このお寺には秘仏があるが、4月16日~22日まで、23年ぶりの秘仏御開帳になるらしい。着々と準備が進んでいたが、この御開帳には相当多くの信者を集めるのだろうね。

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 本堂の裏に国の指定重要文化財に指定されている本殿があった。本殿は日光東照宮の流れをくむ建物で、豪壮華麗な建物らしい。日光東照宮の後にできた建物ということで、さらに洗練されているらしい。入場料がかかるというので、外から拝観させていただいた。

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 この聖天様の近くでお昼ご飯を食べた。看板にとろろとあった店で、とろろ飯をいただいた。メニューを見ると「とろろおわん」とあったので、なぜおわんなのか聞いてみた。子ども用語を採用したらしい。お昼ご飯を食べながら、深谷に住む高校の友だちを思い出した。急に電話したら彼が出た。せっかく深谷に来たからと、塙保己一記念館訪問後久し振りに会うことにした。

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 そして訪ねたのが「塙保己一記念館」だ。私は、塙保己一についてもほとんど知識がない。入口で、塙保己一を紹介するDVDを観た。30分ほどの番組だったが、塙保己一についてよくまとめられたDVDだった。盲目の塙保己一は、江戸時代に『群書類従』をまとめた学者だ。本庄の片田舎で生まれ、7歳で全盲になったらしい。お母さんが亡くなり、13歳で上京した。

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 江戸では大変苦労して、最後には総検校にまで上り詰めたという。記念館には全666冊になるという『群書類従』が展示されていた。17,244枚の版木が残されていた。桜材だそうだ。展示を見て初めて知ったのだが、ヘレン・ケラーが塙保己一を励みに努力を重ねたという。こういう偉い学者だと初めて知った。

 さて三偉人の記念館を経巡って、約束の友だちに会うことにした。Shigeoといって、私の高校の同級生だ。彼とはいつも机が隣り合っていた。高校での陸上競技クラブも一緒だった。10年ぶりくらいの再会か。会うと同時に彼から出た言葉は、陸上競技部の監督先生の死去の報だった。そうか、先生には大分お世話になった。私達より一回り上だったというから、やむをえないか。

 お互い元気かどうか確認した。彼は「自身は病気のデパート」といわれるくらい、様々な病気を体験したらしい。「それもこれも、糖尿病に原因がある。若い頃の不摂生がたたった。今でも、足下の血行障害で苦しみ、最近まで入院していた」そうである。古希を過ぎて、お互いどこかかしかに障害がある。まあ、だましだまし病気と付き合っていこうと確認し、別れてきた。

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