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2019年4月11日 (木)

№4127 3月に読んだ本

 今年に入ってからの私の読書生活は低調だ。最低でも月に5,000頁の読了を自分に義務づけているが、それをクリアするのに四苦八苦している。月末になると「読書ノート」を開いては、目標達成まであと何頁読む必要があるのか確認している始末だ。そして、月末の最終日にようやく目標達成、という月が続いている。読書には波がる。昨年はどんどん読めていたが、今年は苦労している。一番の原因は、面白い本に出合えていないことだと思う。

 さらにボケが来ているせいか、図書館で以前読み終わった本を借りてくることが多くなった。「読書ノート」に記録をつけて初めて分かるのだが、一度に10冊借りてくると、今回も3冊は以前に読んだ本だった。本の選書の際、2~3頁パラパラめくり、無造作に借りる。図書館だからできることで、書店で本を買うときにはもっと慎重になっているはずだ。選書も安易かもしれない。

 とはいっても、毎月13~4冊は読んでいるので、中には面白い本もある。ただ、今月は前に進めない本が2~3冊あった。これが停滞の原因とはいうものの、一度頁を開いたら完読をすることにしている。さて、3月は14冊・5,247頁の読了だった。まあ、辛うじて目標達成といったところだ。いつものように、何を読んだのかを報告し、その中の2~3点に感想を述べたい。

小嵐九八郎『蕪村』349頁 講談社 2018年9月刊

東野圭吾『新参者』348頁 講談社 2009年9月刊

楡周平『デッド・オア・アライブ』388頁 光文社 2017年11月刊

堂場瞬一『穢れた手』346頁 東京創元社 2013年1月刊

帚木蓬生『襲来(上)(下)』(上)345頁(下)301頁 講談社 2018年7月刊

馳星周『暗黒で踊れ』563頁 双葉社 2011年12月刊

三浦しをん『光』297頁 集英社 2008年11月刊

服部真澄『夢窓』638頁 PHP出版 2017年3月刊

村山由佳『海を抱く』370頁 集英社 1999年7月刊

植松三十里『大和維新』250頁 新潮社 2018年9月刊

鳥越碧『花筏 谷崎潤一郎・松子 たゆたう記』465頁 講談社 2008年11月刊

堂場瞬一『異境』335頁 小学館 2011年6月刊

波多野聖『本屋稼業』252頁 角川春樹事務所 2016年2月刊

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  帚木蓬生の小説は、ほとんど読んできた。そして、読むたびに感銘を深める作家でもある。ちなみに、いつものように帚木蓬生の本をどのくらい読んだのか検索してみた。『逃亡』『日御子』『薔薇窓』など、帚木蓬生の本は記録を見る限り27作品読んできた。多分、彼の作品は読むたびにこの欄で紹介してきたと思う。なんといっても、彼の作品は読み始めた1頁目から作品に没入できるのがいい。

 この小説は、タイトルからして蒙古襲来の話だろうと推測した。たしかに蒙古襲来の話なのだが、話の展開は一風変わっていた。主人公は、日蓮の耳目として働いた見助で、彼の目を通してみた蒙古襲来の話だった。日蓮は、早くから外敵の襲来を警告していた。ただ、時の執権はそれに耳を貸そうとしなかった。そして、日蓮に対する弾圧も続いた。

 日蓮の依頼で、見助が対馬に情報収集で出かけたのが22歳の時だ。この小説は見助の目を通して語られ、見助の成長物語でもあった。案の定、見助は九州の博多で蒙古襲来を目にする。博多湾岸に設置された防御壁を必死で守る見助。再度対馬に戻り、狼煙台を守る仕事にも就いた。彼の心の中には、絶えず日蓮の影があった。遠く離れていても、日蓮に守られているという実在感があった。

 日蓮の耳目を無事果たして、日蓮に会うべく身延山に帰ったのは、旅に出て22年もたっていた。しかし、そこに千葉で養生していた日蓮の訃報が届いた。その時には、見助も重い病の床に伏していた。日蓮没後49日、見助が亡くなった。見助の日蓮を思う姿が、この作品からひしひしと伝わってきた。

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 最近、鳥越碧の作品に嵌っている。そして彼女の作品を立て続けに読んでいる。多分、この欄にその都度紹介を載せているのではないか。彼女の視点は、絶えず女だ。新島八重の回想だったり、一葉をめぐる話、『漱石の妻』、坂本龍馬の女房おりょうのその後の追跡など、テーマとして興味を抱くものが多い。

 この小説『花筏』は、谷崎潤一郎を支え続けた妻の松子の話だ。谷崎潤一郎は、結婚と離婚を繰り返した。有名な話は、二度目の妻千代との離婚だ。谷崎は、親友の佐藤春夫に千代を譲渡した。そして松子と出会った。松子は、美人三姉妹だった。そのことが小説『細雪』に書かれている。

 この小説を読んでみて分かるのだが、谷崎の小説の材料は絶えず自分の身の回りの出来事だった。松子を材料にして『細雪』のほか『痴人の愛』、『春琴抄』などの小説があるし、二度目の妻千代との離婚の話は『蓼食う虫』の小説の材料になっていた。谷崎が何を考えていたのか松子が知るのは、彼の作品を通してだった。小説家の妻というのは、なかなか辛いものがある。

 あちらの女、こちらの女と渡り歩いた谷崎が、最後にたどり着いたのはやはり松子のところだった。谷崎の哀しみもわかるような気がした。

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 波多野聖の本を読むのは初めてのことだ。きっかけは、本のタイトルに誘われた。一体何の話だろうかと読み始めたら、あっという間に読んでしまった。テーマは、紀伊国屋書店の創業者田辺茂一と大番頭松原治の話だった。以前から話は聞いていたが、系統的に読んでわかることも多かった。

 もともと田辺茂一は、今の紀伊国屋書店新宿本店のあるところで親父さんが薪炭商を営んでいた。彼は本屋さんをやりたかったのだが、親父さんは猛反対。ただ、お母さんの支持を得て、昭和の初めに本屋さんを始めた。そのころの商売は皆そうだったのだろうが、商売のやり方はおおざっぱだった。さらに、田辺茂一は酒好きで女好きだ。

 本屋を家業として成り立たせたのは、戦後に松原治が紀伊国屋書店に入店してからのようだ。松原治は、軍隊で主計局を歩いてきた。数字に明るかったのだ。田辺と松原は水と油のような気もするが、松原は田辺を尊敬していた。二人は何でも言える関係だった。ただ、今の紀伊国屋書店を日本一の本屋にしたのは、松原の功績大だった。

 この小説には書かれていなかったが、松原治は大のゴルフ好きだった。80歳代で年間100ラウンドもこなしていた。20年ほど前になるが、私も一緒にラウンドしたことがある。彼は自分勝手で、打ったら人の球を見ないでとっとと歩き出した。危なっかしくって見ていられなかったね。

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コメント

本のお話の中に出てくる、谷崎潤一郎夫人・松子さんの晩年に一度だけお会いしたことがあります。一言二言お話をしただけでしたが、和服をお召しになった静かで小さなご婦人でした。37~8年前のことでした。また、紀伊國屋書店の松原治さんの松原家のお墓が、私の義弟が住職を務めるお寺(山口県)にあります。生前松原さんは、大変お忙しい中を毎年必ずお墓参りにみえていたそうです。松原治さんが亡くなった時は、ご長男ご家族皆様でお参りに来られたそうです。私が死んで義弟の寺にお墓を建てたら、息子たちは来てくれるだろうか? 考えてしまいます。優れた人は優れた子孫を残すんですね。私の子供たちも良い子たちなんですよ! shinさんのご家族も素晴らしい皆様ですね。

投稿: ルート36 | 2019年4月12日 (金) 09時41分

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