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2019年5月27日 (月)

№4173 喜寿を待てない会

 今回秋田にやってきたのは、「喜寿を待てない会」に参加するためだった。2015年の4年前、同期で「古希を祝う会」をやった。次のビッグイベントは、77歳の「喜寿を祝う会」だが、それまで待てない気の早い連中が企画したものだ。いずれ、田舎に気働きのする幹事がいるので、こういう会ができるのに感謝だ。

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 会場は、由利本荘市のホテルの宴会場だ。参加者は男子26名、女子21名の計47名だった。関東からは12名、北海道2名、福岡から1名と結構遠くからも来ていた。幹事はいつもの趣向を変え、宴会中に席替えを三回も行った。一度目は出身町内別、二度目は小学校のクラス別、そして三度目は中学校のクラス別に替えた。どうしても一度席に座ってしまうと、動きたがらないものだ。それを配慮したようだ。

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 開会に先立ち、主催者が物故者の紹介をし、全員で冥福を祈った。わが学年は129名だったが、その内これまで28名の方が亡くなっていた。名前が読み上げられるたびに、会場から深い溜息が漏れた。そうか、彼も彼女も亡くなったのだ。小学校と中学校は小さな町なので、皆さん顔馴染みだ。第一回目の席で話になったが、わが生家のある町内は20軒ほどだったが、各屋に同じ歳ごろの子どもがたくさんいた。町は子どもであふれかえっていたのだ。

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 私の実家の目の前に住んでいたのは、造り酒屋の「Junkoお嬢様」だ。彼女の家は4000坪もある豪壮な家だった。疾うに造り酒屋も止めて、今その広壮な家に住んでいるのは未亡人一人だ。余計なことだがあそこの家はどうなっちゃうのだろうか、彼女に問うた。「私にもどうなってしまうのかわからないわ」とのことだ。そういえば、この町は空家だらけだ。私の生家も、今では空家だ。

 私が出発する前に川崎の姉から電話があり、「実家を借りたいという人がいるが、今実家の家はどうなっているのか」と問われた。今管理しているのは甥だ。彼に聞いてみたらどうか、と返事した。

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 さて、会場では恒例のカラオケ合戦に移った。かつての秋田美人合唱団、もっとも今でも美人軍団だが、が会場を賑わせた。私は最近とんとカラオケには縁がなくなったが、Reikoに慫慂されて一緒に「銀座の恋の物語」を歌った。ただ、私は歌うよりも昔話に花を咲かせた。会は二次会、三次会と流れ、朝目が覚めたときにはすっかり声が枯れていた。これは歌いすぎたためではなく、飲み過ぎのためだった。

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