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2019年6月 1日 (土)

№4178 三陸海岸を南下

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 今日は、東日本大震災の爪痕を見ながら三陸海岸を南下したい。多分、釜石あたりで泊まることになるだろう。竹ちゃんの実家を午前8時に出発した。とりあえず目指すのは種差海岸だ。そして、最初に下車したのが八戸の蕪島だ。

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 蕪島は、ウミネコの生息地として有名だ。果たして何羽いるのだろうか、売店で聞いてみた。「35,000羽から40,000羽はいるのじゃないかな」と話していた。蕪島には神社がある。工事中とかで閉鎖されていた。この売店の姉ちゃんと、今日の旅の相談をした。「せいぜい釜石くらいまでしか行けないよ」という。それなら釜石の旅館を取ろう。

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 ラグビーの五郎丸と親交のある旅館に電話をした。生憎この日は満員とのことだ。ほかの宿を紹介してくれないか頼んだら、大槌町のホテルを紹介された。そのホテルを無事予約できた。到着は、午後4時か5時かな。そして、種差海岸に向かった。蕪島から車で30分ほどかかった。海岸には芝生が広がっていて、そこで老人はゲートボールをしていた。ノンビリした風景だ。

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 種差海岸に来た目的は、ウニ丼を食べることだ。幸い、ウニは解禁になったばかりと食堂で生ウニ丼にありつけた。40年振りである。そのことを女将さんに言ったら、「変わってないでしょう」といわれた。いや大いに変わっている、当時のウニ丼は器一杯てんこ盛りのウニだった。まあ、2200円でそこまで期待するのは無理のようだね。

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 次の目的地は、岩泉町の龍泉洞だ。結構遠くて2時間半もかかった。途中、三陸海岸を横目に見ながら運転していたが、海岸にはまるで万里の長城のような壁がそそり立っていた。高さ30mもある壁が延々と続いていて、景観を台無しにしてしまった。何百年か何千年にいっぺん来る津波に備えた壁だろうが、蟷螂之斧のようだった。私には、膨大な建築費をかけるよりも、津波がきたら逃げる施設を作ったほうが良かったと思った。壁に遮られて、海が見えないのだ。

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 目的の龍泉洞に着いたのは、午後1時過ぎだ。何十年か前に来て感激した。少々高いかと思ったが、入場料1000円を払って、洞窟に入った。この日の外気温は19度だったが、洞窟の中は10度くらいでヒンヤリしていた。

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 龍泉洞の中は、ごうごうと水が流れていた。それもきれいな水だ。洞窟を進むと最奥に地底湖があった。深さ98mというから驚きだ。透明度が高く、湖の底まで見えた。この洞窟のアップダウンもすごい。足の悪い人は、踏破は無理だろう。洞窟を隅々まで見れるような工夫だろうが、怖い思いをした。

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 龍泉洞に1時間ほど滞在し、次に向かったのが宮古の浄土ヶ浜だ。海の水は、透き通っていてきれいな海岸だった。お昼にウニ丼を食べただけだったので、お腹が空いてきた。

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 浄土ヶ浜のレストハウスでそばを食べた。このレストハウスの二階に標識があり、東日本大震災の津波がきた高さを表示していた。この建物もすっぽり津波に覆われてしまったのだ。この建物のそばには別の碑があり、チリ津波の被害を顕彰していた。チリ津波は1960年の5月に起きた。かれこれ60年になる。その時も甚大な被害であった。いずれ三陸河岸は、何年かにいっぺん津波に襲われる宿命の地なのだ。

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 そして、今夜の宿の窓からは大槌湾が目の前に広がっている。海を眺めながら、最後の旅情を楽しもう。

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