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2019年8月15日 (木)

№4152 弟の墓参り

Sdscn0795  お盆らしいことは何もしないわが家でも、唯一の行事が弟の墓参りだ。ずいぶん前から川崎の姉に「お墓参りはいつ行くの」と問われていた。お互いの日程を調整して、この日の墓参りとなった。横浜の姉も一緒だったが、義兄は来ていなかった。

 亡くなった人の時間がたつのは早いもので、弟が亡くなってすでに11年になる。このブログをはじめたのが2008年1月で、弟が亡くなったのはその年の12月だった。どうしても忘れられない。弟と私は4歳違いだが、60歳で年金をもらう前に亡くなってしまったのは残念である。今日は亡き弟を偲び、彼の思い出を語りたい。

 私は6人兄弟姉妹で、男4人に女2人である。残念ながら、男4人兄弟で今生きているのは私一人だ。特に、弟は何をするにも常に私の後ろをついて歩いていた。寒い秋田の冬では、夜は二人で抱き合って寝た。私を尊敬していたわけでもないだろうが、高校も私と同じ学校に入学した。中学校では、受からないからやめろ、と強く諌められたらしい。無事入学した弟は、高校では軟式野球部に属した。野球は、やはり私と同じように中学校の野球部に属していた。

 高校を卒業して、某大電機会社に就職した。結局、亡くなるまでその電機会社に勤め続けた。高校を卒業して府中にある工場にいたが、静岡の支店に転勤することになった。今でも思い出すが、私は東京でぶらぶらしていた。誰から借りたのかは忘れてしまったが、車を借りだして静岡まで引っ越し荷物を運んだ。結構静岡滞在が長かったのだろう、今の嫁さんと会ったのも静岡支店でだった。義妹は、お茶屋さんの娘だった。

 そうだ、秋田から出てきた父と静岡に結納に出かけた。そのときに初めて飲んだ桜茶が、とても美味しかったことを思い出す。静岡での彼の結婚式も盛大なものだった。一族上げて秋田から静岡に大移動した。中継地は、私の埼玉の家だ。わが家は新築して間もなかった。私の一家も一緒に結婚式に行ったが、娘が2~3歳の時だったから、もう40年以上も前のことだ。

 仲人は、川崎の姉夫婦だ。舞台に上がって踊りを披露した叔母も、一緒に参加した兄2人も、長兄の義姉もすでに亡い。仲人の姉夫婦の元旦那も亡くなった。結婚式参加に秋田から来ていた甥たちも、すでに50歳を過ぎている。50年の歴史は、彼らに様々な人生を歩ませた。

 弟は静岡支店から沼津支店に異動した。沼津も長かったが、その後京都支店、滋賀支店と転勤を繰り返した。最後の転勤は、仙台支店、盛岡支店と経由して東北支店長まで上り詰めた。50歳を過ぎて他社出向になったようだが、その会社が酒田にあった。実家に近かったせいもあり、しょっちゅう実家に顔を出していた。弟は、実家の姉(今川崎に住んでいる)が大好きだったのだ。姉には口にいえない様々な相談もしていたようだ。

 ある年、姉の娘が弟に会って「ずいぶん顔色が悪いね」と伝えたらしい。周りの家族も、そのことに気がついていなかったようだが、すぐに東北大学病院に検査に訪れた。そこで宣告されたのが、余命3ヶ月だ。9月の頭だった。そして亡くなったのが12月初旬だったから、やはり3ヶ月だった。

Sdscn0790_20190815094701  お盆の墓参りの後に、恒例の姉の家での昼食会になった。先日蓮田サービスエリアで買った桃を皆で食べた。こんなおいしい桃を食べたことはない、と姉たちは大喜びだった。それにしても、東北大病院に弟を見舞ったときの桃の不味さといったらなかった。途中、東北自動車道国見サービスエリアで買った桃だった。今でもその不味さを思い出す。

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