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2019年11月

2019年11月30日 (土)

№4259 糖尿病に真剣に向き合おう

 先日、健康診断で糖尿病と診断された。以前から糖尿病の境界領域と注意を促されていたが、軽く見ていた傾向がある。今年の診断で、血糖値が昨年よりも50も上昇していた。

 家に帰って調べてみたら、糖尿病の怖いのは合併症だそうだ。目が見えなくなったり足の壊疽を引き起こす。さらには腎臓障害を起こし、人工透析が必要になるという。そういえば私は最近頻尿になり、えらく口が乾く。糖尿病の症状の一種だろう。健康診断してくれた医者も、「早くかかりつけ医に行って対策を講じた方がいいですよ」と言ってくれた。

 「自分の体は自分で守る」などとえらそうなことを言いながら、最近ほとんど体のケアをしてこなかったツケが回ってきているのだ。真剣に血糖値を下げる努力をしなけらばならないと思った。

 とりあえず相談と、かかりつけ医に行った。この日はその先生は休診で、他の医者が見てくれた。その先生が言うには、「とりあえずは栄養指導を受ける必要がありますね」とのことだ。その病院でも栄養指導をしてくれるというので、栄養指導の予約をとった。いずれ3日間何を食べたのか調べる必要があるのだそうだ。調査票を渡された。

 さらに、とりあえずはというので血糖値を下げる薬を処方してくれた。処方してくれた薬はごくごく弱い糖尿病対策薬だが、なかには低血糖で汗が出たりすることもあるらしい。

 いずれ、栄養指導で何を言われるのか待ちたい。さらに、矢張り普段から運動が必要だ。週3回くらいが軽いウォーキングをしたい。普段あまりにも動かなすぎることがこの結果になったのだ。

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2019年11月29日 (金)

№4258 「喫煙」について考える

 この日は、友人の告別式に出席してきた。彼は入退院を繰り返していたが、あっという間に鬼籍に入ってしまった。友人のまっきぃに言わせると、「亡くなった時には肺は真っ白だった」そうだ。彼は、物凄いヘビースモーカーだった。今どきタバコを吸う人などいない。彼に何度も「死ぬよ」忠告したが、結局やめられなかったらしい。彼は私と同じ年だった。

 私はそんなたばこは吸わなかったが、それでも一週間に一箱ほど吸っていた時期がある。女房に嫌われて、「自宅では絶対吸わないでね。特に、子どもの前では絶対ダメ」と念を押されていた。私自身そんなタバコは好きでなかったので、そんな面倒なことを言うならやめよう、と吸わなくなってもう40年以上にもなる。

 タバコを吸わなくなってから気になるのが、脇で人がすぱすぱタバコを吸っていることだ。他人のその煙を吸うことを、「受動喫煙」とか「副流煙」というのだそうだ。むしろ吸っている本人よりも、受動喫煙を受けたほうが害が大きいともいわれている。煙草をやめて思ったのだが、何でそんなにたばこを好きなのだろうか。

 タバコを吸っていた時のことを思い出すが、舌がザラザラして食べ物がちっともおいしくなかった。今から思うと、何でそんな思いまでしてタバコを吸っていたんだろうか。

 告別式に出ていた友人も言っていたが、「そういえば、周りにタバコを吸っている人はほとんどいなくなったね。タバコを吸う人は、きっと肩身の狭い思いをして吸っているんだろう」。私の周りにも、酒は飲むがタバコを吸っている人はいない。私自身、タバコを吸う人を敬遠しているせいなのか、それとも絶対数が減ったせいなのだろうか。

 一時ヘビースモーカーだった息子も、いつの間にかタバコを吸わなくなった。吸っている息子は、身の回りにタバコの匂いをぷんぷんさせていた。女房も、息子のタバコをやめたのを喜んでいた。

 それにしても亡くなった友人は、死ぬ思いまでしてタバコを吸いたかったのだろうか。

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2019年11月28日 (木)

№4257 八王子「絹の道」を歩く

 東京周辺には「絹の道」と呼ばれている街道が何本かあるらしい。この日は『東京シニア自然大学』の講座で、八王子の絹の道を歩いてきた。集合は、京王線の長沼駅であった。この付近はこの講座で何度か歩いているが、丘陵に作った造成地のせいか、道の登りがきつい。毎日この道を上り下りしていると思うと、うんざりだね。若いうちはいいが、歳をとると一仕事だ。

Sdscn1479  そうぶつぶつ言いながら、住宅地を最初の目的地に向かって歩いた。最初に着いたのが、白山神社の展望台だ。展望台とはいうものの、何も見えなかった。参加者は、口々に「なんでこれが展望台なんだ」と不満をぶちまけていた。白山神社を見ながら小休止した。坂を上っていると、少しだが汗が出た。この日は寒い一日だった。天気予報では雨の一日と予報が出ていたが、ほとんど雨は降らなかった。ちょっとした汗だったが、心地よかった。

Sdscn1483  次の目的地は大塚山公園だ。白山神社から歩いて30分くらいのところだ。この公園の入り口に「絹の道」の石碑が建っていた。この公園には二等三角点の印があり、詳しい人がこの三角点の説明をしていた。欝蒼とした森の中で、しばらく休んでいたら、汗の寒さがじわっと体に染みてきた。説明文を読むと、この地を絹の道と言い始めたのは昭和30年ごろと、比較的新しい指定だった。

Sdscn1487  丁度お昼ごろに「絹の道資料館」に着いた。ここで昼食を摂った。昼食が終わったころに、ボランティアガイドがこの絹の道を説明してくれた。この道の歴史から、絹の糸の経済関係まで詳しい説明だった。

Sdscn1489  この付近はやせた土地で、コメ作りには向かなかった。勢い、養蚕農家が多かった。蚕の絹糸は、当初は八王子の市場で売られていた。それが明治維新とともに、海外で日本の生糸の人気が高まったようだ。ここから横浜まで約40㎞あった。生産された生糸を横浜で売りに出し、大儲けをした豪農が出たようだ。しかし、鉄道が発達するようになって、この道が廃れてしまった。賑わったのはわずか30年間だったそうだ。豪農も、打ちこわしにあったり火事で焼けてしまったりで、末路は散々だったと話していた。

Sdscn1492  こういう話が聞けるのは、この東京シニア自然大学の良いところだ。この資料館から5分ほどのところに「小泉家屋敷」があった。茅葺屋根の立派な農家だったが、今でも住人が住んでいるらしい。この茅葺屋根は比較的新しかった。一体いくらぐらいかかったのだろうか。

Sdscn1498  そして向かったのが「都立小山内裏公園」だ。広いこの公園の大部分がフェンスに囲われていた。「サンクチュアリ」として鳥獣を保護することが目的で作られた公園とのことだ。こういう公園が都内にあるというのも良いね。ちょうど紅葉時期で、紅葉を楽しみながら散策した。なかなか良い講座だった。

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2019年11月27日 (水)

№2456 年一回の定期健診

 11月は私の誕生月である。そして、この月には決まって定期健康診断をやっている。健診会場は、健康保険組合の診療所だ。「自分の体は自分で守る」の精神で、この健診は欠かしたことがない。ただ、ややもするとこの検査を受けたことで安心していることがないわけでもない。今までもいろいろはアドヴァイスを受けたが、無視してきた。

 この日も、いつものように血液検査、腹部エコー、心肺検査、胸部検査、血圧測定、眼底検査、身長・体重測定、尿検査、便潜血検査などを行った。血圧検査ではあまりにも低すぎるというので再検査となった。上が99で下が56で辛うじて検査を通った。信じられないかもしれないが、この歳になって身長が昨年に比べて0.7㎝ほど伸びていた。まあ、誤差の範囲かな。

 そして、最後に医師の診断があった。ほとんどすべてが正常値の範囲内にあったが、唯一血糖値が昨年に比べて大きくなっていた。「昨年までは糖尿病の境界領域内であったが、今年の数値は完全に糖尿病の域に達していますね。かかりつけ医がいるようですので、至急相談してみてください」と言われてしまった。

 この2~3年、糖尿病に注意するようにさんざん言われ続けていた。しかし、何の対策も講じてきていなかった。かかりつけ医も、「定期健診が近くあるようですね。その結果を見せてください。異常があるなら、対策を講じましょう」と言ってくれていた。この検査結果をかかりつけ医に見せて糖尿病対策をしなければならない、と強く思った。

 この定期健診では、いのバリューム検査はしていない。その代わりに胃カメラ検査をしている。この診療所でやってくれるというので、検査日の予約をとってきた。

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2019年11月26日 (火)

№4255 帰る準備も忙しい

 わずか2泊3日の那須滞在だったが、帰るとなるとまた忙しい。午前7時に目が覚めたが、ぐっすり眠れた。起きると最初にやるのは、洗濯機を回すことだ。洗濯には2時間ほどかかる。洗濯機を回したので、もう一度寝ようかと布団に入った。けれど眠れなかった。30分ほど本を読んで起き出した。土・日曜日は雨だったが、この日は朝から太陽が出ていた。

 敷きっぱなしの布団を太陽に干すことにした。ウッドデッキの手すりに布団を並べて干した。さて、朝食にしよう。朝食はいつもパン食だ。副食に鍋の残りを食べることにした。鍋は最初の晩に作り、二日目の晩も鍋だった。鍋には鶏肉、タラ、白菜、カキ、サトイモ、ネギなどを入れたごった煮だ。まあ、ちゃんこ鍋みたいなものだね。二日目の晩には、鍋にうどんを入れた。

 そのごった煮の鍋が、最終日まで残っていた。白菜をつけ足して、水をいれ醤油で味を調えた。本当に鍋は簡単でいいし、体が温まる。那須では鍋かクリームシチューを作って入っる。いずれも2日か3日はこれで持つ。最終日に残った鍋は、ちょうど一食分あった。朝食が終わったら、食器を洗い、布巾で拭いた。

Dscn1476  さて、滞在中に焚きっぱなしだった石油ストーブの石油が、ちょうどなくなった。次回のために、買い足しておこう。近くのコメリに行って石油を買った。ポリタンクに石油を入れて貰っていたら、知り合いの『那須ブックセンター』の店主と出会った。先日の古本市は大変好調だったらしい。「来年の春もやりますので、ぜひお出で下さい」と言っていた。このコメリから、茶臼岳がきれいに見えた。

 帰ってきたら、洗濯が終わっていた。洗濯物は室内干しだ。次に那須に来た時には乾いている。そして取り掛かったのが、ポリタンクに水を入れる作業だ。今回那須には5箱の空タンクを持ってきた。それに水を満たした。

 最後の仕上は、室内の掃除だ。居間にはコタツを置いている。コタツを上げて、居間を掃除した。そして、干しておいた布団を室内に取り込んだ。もう午前11時だ。ポリタンクの水5箱、残った食材等を車に積んだ。忘れてならないのは、昨日漬けた白菜の樽だ。この樽も車に積み込んだ。

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 自宅に着いたのは、予定通り午後2時だった。白菜漬けを、自宅にある大石をのせて、最後に漬けこんだ。次に那須に行くのは12月下旬だね。そこまで、沢庵はできているかな。

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2019年11月25日 (月)

№4254 今年も沢庵を漬けよう

 この10年ほど毎年漬けていた沢庵だが、畑をやめて大根の収穫がなくなった。毎年私が漬ける沢庵を楽しみにしている人がいる。さて、今年はどうしよう。

Dscn1449  那須のいつも行っているスーパーに行ったら、干した大根を売っていた。本来は自分で作った大根で沢庵を漬けていたが、まあ、次善の策としてこの大根を買うのもありかな。値段を見たら、一本150円ほどと意外と安かった。まあ、10本ほど買おうか。

Dscn1463  このスーパーでは、漬物の関連品も売っていた。急遽沢庵を漬けることにして、塩・米糠・たくあんの素・鷹の爪・柚子・昆布等を買った。倉庫には、漬物樽がたくさんある。今回は白菜も漬けることにして、中ぐらいの樽を引っ張り出した。そしてきれいに洗った。さらにホワイトリカーで二度拭きをした。漬物は清潔が必死だ。汚れていると、カビが浮いてくるのだ。

Dscn1464  沢庵の生命は、ブレンドした糠だ。糠の良しあしが、沢庵の美味しさを決める。買ってきた糠に塩等をよく混ぜて、何度もかき回した。意外と塩の美味しさも味を決めると、値段の高い良い塩を買った。毎年、塩を何%にするかが問題だ。私のブログ記事で、今までどうだったのか検索した。どうやら、今まで5%にしていたようだ。買った大根は10㎏あった。今回の塩は500gだ。

Dscn1468  きれいにした樽にビニール袋を敷き、まずはアブレンドした糠を底に振った。その上から買ってきた干し大根を敷いていた。それを繰り返して三段の沢庵漬けができた。買ってきた干し大根に葉がついていたので、切り取った葉を漬けた大根の上に乗せた。

Dscn1470  そして重石を乗せて完成だ。重石は、いつもの大鍋に水を入れたものだ。水を入れた大鍋の上に大きな石を乗せた。これで1カ月ほど置いたら、沢庵は完成だ。例年は沢庵は1月下旬が食べごろだったが、今年はお正月には食べられるかな。

Dscn1473  さて、白菜も漬けよう。那須は野菜が安い。大玉の白菜を2個買ってきた。これを四分割にして洗った。洗った白菜は、ウッドデッキに新聞紙を敷いて干した。半日ほど干して、白菜漬けにした。白菜の塩は、これも私のブログ記事を読んで3%にした。白菜は一週間漬けると食べごろが来る。この樽は、自宅に持ち帰ろう。

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2019年11月24日 (日)

№4253 晩秋の那須へ

 一ヶ月振りに那須に行くことにした。11月末になり、果たして今年は何度那須に行ったのか調べてみた。11月で11回目だ。そんなことを考えたこともなかったが、月に一度は那須に通っていたことになる。ただ、従来と変わって一回の滞在は大概2泊3日だ。今回もそのつもりで那須に行くことにした。

Dscn1452  那須は晩秋だった。繭の里には、たくさんのミズナラの木がある。【あるるのいえ】にも5本ほどのミズナラが植わっている。そのミズナラが、黄色く黄葉していた。枯葉がはらはら散っている。ちょっと風は吹くと、全部散ってしまいそうな感じだ。

Dscn1451  さらに、鮮やかに紅葉しているのがドウダンの葉だ。ドウダンは、これも家の周りに3本ほど植えられている。私は植えた記憶はなく、ほとんどが向かいのOhnoのお父さんが植えてくれたものだ。意外とドウダンは一年を通して楽しめる。春は白い花を咲かせ、夏には緑が深い。そして秋の紅葉だ。

Dscn1455  そういえば、モミジはほとんど散ってしまっていた。家の周りを見たら、矢張りOhno家のモミジが見ごろだ。お父さんとは日ごろ連絡を取り合っているわけではないが、今回那須に来たらお父さんは珍しく不在だった。伊奈の家にでも帰っているのだろうか。

Dscn1454  この家の周りに、もう一つの鮮やかな紅葉の木があった。ニシキギだ。ニシキギの紅葉は、少しピンクが混じっていて一風変わっている。これも良いね。ただ、敷地一面は落葉の山だ。中途半端に掃除しても、また降り積もってしまう。掃除は、葉が全て落ちてからになる。

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2019年11月23日 (土)

№4252 ゴッホ展

 月一度は電話連絡をしている川崎の姉だが、このところ連絡をしていなかった。もちろん、姉は私が海外旅行をしていたことを知らなかった。「あなたは良いわね。兄弟姉妹の中で、あなたほど勝手気ままに生きている人はいない、うらやましいわ」と言っていた。

Sdscn1446  その姉こそ勝手気ままに生きているのだが、演奏会に行ったり絵画展に行くなど、上京してから本当に楽しそうに生きている。近所の男仲間を集めて、時々は麻雀大会なども開いているのだそうだ。その姉が、「先日、上野のゴッホ展に行ってきたの。あまり感激したので、再度鑑賞に行ってきたいと思う」と話していた。

Sdscn1447  姉がそんなに感激した「ゴッホ展」だが、私も上京を機会に行ってみようと思った。上野にある【上野の森美術館】で開かれていた。この美術館は初めてだ。駅の目の前にある美術館だったが、相当の雨にもかかわらず長蛇の列だった。やはりゴッホは人気のある画家なのだ。

 私は、こういう絵画展に行くことはめったにない。久し振りに入った展示会だったが、狭い美術館は黒山の人だかりだった。展示会は、ゴッホの絵への歩みに沿って展示されていた。最初にゴッホが絵に向かったのは、1882年ころだ。オランダのハーグで活躍していた時代が展示の最初だ。その当時の絵は、重苦しく暗かった。技術的にも稚拙だったのではなかったか。「ハーグ派」といわれる仲間のも展示されていた。

 ゴッホの絵が変わったのは、パリに出てからだ。ルノアールやモネに大きな影響を受けた。さらに、日本の浮世絵などにも影響を受けたのではないか。第二期「印象派に学ぶ」では、ゴッホの絵は重苦しいものから明るい色調に変わっていた。ゴーギャンと一緒に住んでいたこともある。そのころに精神に変調をきたしていた。

 1888年から90年に、ゴッホの絵はわれわれが知っているような「糸杉」や「ひまわり」は描かれた。この展示会に有名な「糸杉」は展示されていたが、残念ながら「ひまわり」はなかった。意外とゴッホの絵画を描いていた期間は短い。わずか10年だった。

 私が嫌いなのは、こういう有名な展示会になると黒山の人だかりだ。息苦しくなってしまう。展示会をひとわたり見て、早々に美術館を出てきた。

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2019年11月22日 (金)

№4251 白アリ駆除の見積もり

 先日、白アリ調査をして、地下に白アリがうようよいたという報告をした。黙っているわけにはいかないので、駆除することにした。最初調査をした業者が、見積もりを持ってきた。結構高いものだった。そうだ、白アリ駆除はこの業者だけではない。何カ所かの業者に相ミツをとって貰おう。

 ネットで白アリ業者を調べて、軒並み電話をした。もちろん、どこでも無料調査を約束してくれた。しかしたくさんの業者に調査してもらっても、そんなに違いがあるわけではない。どんどんアポイントの電話が入ってきたが、2業者を除いて結局は断った。最初調査してくれた業者も、「ぜひ相ミツを取って、お客さんが気に入った業者を選んでください」と言っていた。

 第一と第二の業者は、ほぼ同じ金額だった。特に第一の業者は、防湿剤を床一面に貼った場合の金額も見積もってくれた。それも含めて完全にやると、90万円くらいかかるとのことだ。もう古家なので、そこまで完全には望まない。とりあえず白アリ駆除とカビ対策に重点を置いて工事をしてもらおう。

Dscf1418  そして最後に来たのが、埼玉生活協同組合の業者だ。他の業者と同様、地下に潜って調査をした。言っていることは他の業者と同じだった。そして見積もりをとって見ると、見積金額は他の2業者の3分の二だった。その生協の担当者が言うには、「湿気はひどいが、これで家がどうなるとかということはない。とりあえず、白アリ消毒と防腐・防カビ対策だけをしっかりやりましょう。居間の下にある腐った柱は取り除き、そこに金属のつっかえを無料でしておきますよ」とのことだ。

 どうやらこの業者は信用できそうだ。結局、この生協に頼むことにした。「ただ生協の仕事なので、生協員になってもらう必要があります。出資金は5000円です」とのことだった。まあ、出資金を支払っても圧倒的に安い。工事は12月上旬とのことなので、安心してお正月を迎えられそうだね。

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2019年11月21日 (木)

№4250 新しい講座を申し込む

 さて、昨日の記事の関連である。昨日は朝10時に埼玉県民活動総合センターに行き、夜5時過ぎまで滞在した。7時間もいたことになる。

 それにしても、埼玉県民活動総合センターに行く機会は大幅に減った。以前は週に3~4回も行っていたのだが、このところは定例句会だけの月一回になりつつある。埼玉県民活動総合センターは便利なのだが、用事がないと行かないね。それでも行けば行ったで収穫がある。何気なく見た貼ってあったポスターに「シニアのためのWindow10で学ぶ 上級者パソコン教室」の案内を発見したのだ。講師はNaoko先生である。

 Naoko先生のパソコン講座は、少なくとも年一回は受講したいと思っていた。ところが、埼玉県民活動総合センターに行くたびにパソコン講座のチラシを見ていたのだが、あまり興味のある講座は少なかった。ところが「上級者コース」に眼がいった。ここの講座で「上級者」と銘を打って開く講座は少ない。火曜日の午前中に開く全6回の講座とのことだ。

 早速、スケジュール表を開いてみた。来年1月14日からの講座であるが、この間、火曜日に2回の句会が開かれる。ただ句会は午後なので、午前中講座に出席し、午後は句会に参加できるので好都合だ。講座の受講対象者は、概ね60歳以上でWindow10を使用している方、マイクロソフトアカウントとパスワードを持っている方と、条件は限られている。もちろん、私には何の問題もない。

 講座内容を見ると、「Window10をしっかり使いこなそう」、「ONE DRIVE、クラウドを使いこなし、もっと便利に!」とのことだ。私はこの講座で何度もクラウドの勉強をしているが、今一よくわかっていない。例えば、スマホで撮った写真をパソコンに取り込むのに、その写真を一度私のメールアドレスに添付して活用しているのだ。多分そんな必要はないと思いながら…。

 そのことを含め、今疑問に思っていることを先生に全部ぶつけたい。そういえば、もう一つ悩んでいるのが「メール署名」だ。署名の変更をしたいと思っているのだが、ネットで調べてもわからない。先生に相談しようとも思うのだが、そんな簡単なこともわからないの、と一蹴されるようで怖い。

 私は、パソコン技術は初級から中級クラスと思っているのだが、たまには講座受講してさび落としをしなければならないね。

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2019年11月20日 (水)

№4249 十一月の句会

 毎月第三火曜日は、定例句会の日である。今月も、埼玉県民活動総合センターの会議室で行われた。このところ会員は安定していて、先生を含めて10名である。このくらいが句会にはちょうどいい人数と思っていたら、冒頭先生が「絶えず人数を増やす努力をしなければ、いずれ減っていく。私が今持っている句会にも、危機的な会がいくつかある」と話していた。

 12月1日から一週間、埼玉県民活動総合センターの展示会場で、5句会合同の俳句展が開かれる。その展示会でも、新人を増やす努力が必要と確認した。句会の冒頭は、その展示会のあれこれについて世話人から説明があった。

 そしていよいよ句会である。雑詠5句と兼題1句が課題である。私が提出した雑詠は、城ケ島への仲間との一泊旅行で作った3句と、先日の新宿御苑での菊花壇展での2句、さらに兼題は「水澄む」だった。いつも感じているのだが、机に座っているだけでは俳句はできない。出かけたときに俳句ノートを片手に詩作に耽るのが常である。

 私の悩みであるが、私が提出した俳句は会員にはほとんど評価点が低い。唯一、先生に救って貰うのが常である。今月もやはり会員の評価点を得られない句があった。「水澄む」の兼題である。

水澄むや葭の合間に鯉の影 秦山

 評価点は0点だったが、先生からは「破綻のない句だからとりましょう。」といって貰えた。全体的評価としては「大人しい」と言っていた。もっとこれはという発見がないと、なかなか評価してもらえないと実感した。

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2019年11月19日 (火)

№4248 来年度の東京シニア自然大学の 講座希望科目

 11月も下旬になり、そろそろ来年のことを考えなければならない時期に来ている。『東京シニア自然大学NEXT』も、その手続きが始まった。先日、運営委員会から「来年度何をするのか、希望を最低3件出すように」との依頼が来ていた。その要望に基づいて、私も3件の希望講座を送った。その結果がまとまったようだ。

 会員が70名もいると、いろいろな企画が出てきて面白い。今回は81件の「日帰り企画」と、11件の「宿泊企画」が提案された。この中から希望を日帰りで5件、宿泊で1件、11月29日までに応募するようにとのことだ。

 一覧表を見ると、それぞれ甲乙つけがたい項目が並んでいる。さてどの項目に応募しようかな。内容を見ると、結構ハイキングという項目が多かった。天覧山、三浦富士、東秩父、奥武蔵、真鶴半島、鎌倉天園、日光杉並木、筑波山等である。筑波山については私が希望したものだが、他にも希望者がいたようだ。

 さらに、宿泊企画でも私は尾瀬を希望したが、尾瀬という人は他に二人もいた。日光戦場ヶ原という人もいたが、戦場ヶ原には過去二度も行っている。白神山地という希望もあったし、隠岐の島という話も出ていた。東北海道エコツアーというのは、Kuniちゃんの企画かな。私はこの企画一覧表を見て、次の項目に〇をつけて出すつもりだ。

日帰り企画

①鎌倉切通しを歩く

②本郷 文学・文化散歩コース

③座学:どこまでわかったのか宇宙と生命の起源

④わたらせ渓谷鉄道

⑤横田基地界隈のアメリカンテイストショップ歩き

宿泊企画

①隠岐の島

 以上は私の希望講座だが、これを運営委員会が集計して、希望上位20講座程度に絞るのだろう。さてどういう講座になるのか楽しみだ。来年3月の総会では、その講座の主担当者と3~4名の担当者、それに講座実施日が決まっていく。

 こうやって、来年も東京シニア自然大学講座が続く。3月には新しい会員も加わって来るし、ますます充実するのではなかろうか。

 

 

 

 

 

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2019年11月18日 (月)

№4247 プレミアム12、日本優勝

 この1か月にわたって戦われた《プレミアム12 決勝戦》で、日本が韓国に勝ち10年振りに優勝を果たした。いまやラグビーやサッカーにさらわれて、野球はマイナーなスポーツになった感じがある。私も特にこの大会に思い入れはなかった。

 ところが、始まるとやはり違った。私は台湾で行われた予選を、バンコクのホテルでYahooニュースを見ながら注目していた。最初の頃は、日本チームは固かったせいか、ギクシャクしていた。むしろ瀬戸際にまで追い詰められたギリギリの試合もあった。イライラしながらYahooニュースを見続けた。まあ、ぎりぎり予選を通過して決勝リーグに進出できた。

 ラグビーもそうだったが、日本で行われる決勝リーグに日本が出れなければ、しらけるというかこれほどの盛り上がりはなかったのではないか。決勝リーグの第一戦は、千葉のゾゾタウン・マリンスタジアムで行われた。対アメリカ戦の大一番だったが、球場には空き席が目立ち、この大会への日本人の関心の低さが伺われた。

 野球ファンにとっても、この《プレミアム12》に対する関心は薄かったのではないか。第二回大会とはいうが、この大会に対する位置づけはいまひとつはっきりしない。4年に一度《WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)》が別にあり、この《プレミアム12》はその中間年に行われる大会だそうだ。参加資格は、プロの選手だという。

 その割には、アメリカのMLBの主要選手は参加していなかったし、盛り上がりにも欠けていたのではないか。唯一盛り上がっていたのは、第一回大会で優勝した韓国のみではなかったのか。前回大会では、日本は韓国に負けて第三位だった。それでも、台湾で行われた最終戦で、満員の球場では完全ウェーであったにもかかわらず、台湾に完勝した。

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 この大会を通して、日本のバッターは唯一鈴木誠也を別にして打てなかったね。山田哲人、坂本勇人、丸佳浩など散々だった。まあ、丸は緊急参戦で無理もなかったが。そういうバッターがダメな中、投手陣は頑張っていた。特に若いピッチャーの頑張りが凄かった。

 決勝戦の日本の先発は、巨人の山口俊だった。これまでも山口は打たれ続けている。危惧は現実のものになった。立ち上がり2ホームランを打たれ、3点を献上してしまった。コントロールも悪かったし、球威もなかったね。早く替われ、と思った。

Photo_20191118124101  3点のビハインドは、1回裏鈴木誠也のタイムリーと、2回裏の山田哲人の3ランホームランで追いついた。何より素晴らしかったのが、稲葉監督の投手リレーだった。山口がダメと思ったら、2回から投手はサブマリーン高橋礼に代わった。その後、田口、中川、甲斐野、山本由伸、山崎と完璧な完封リレーで、強打の韓国バッターをよせつけなかった。

 あれだけ盛り上がらなかった大会だったが、さすが決勝戦は盛り上がった。東京ドーム球場はこの日と前日は満員だった。日本は優勝して世界一になったが、まあ、ラグビーやサッカーとはその価値が違うね。

Photo_20191118124301  さらに付け加えるならば、周東佑京の走塁は見ていて楽しかった。彼の走塁は、金を払っても見たいね。残念ながら韓国戦での出番はなかったが…。

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2019年11月17日 (日)

№4246 温水洗浄便座

 尾籠な話題だが、海外旅行して一番不便に感じるのが、海外には温水洗浄便座がないことである。私は痔疾を持っているので、紙で拭いただけでは便をきれいに拭い去ることができない。どうしても洗浄する必要がある。 温水洗浄便座がない海外では、終わった後にシャワーで洗い流すのを常としている。

 日本人の知恵というか、洗浄便座はよく開発されたものといつも感心している。この日の新聞で特集されていたので話題にしたのだが、洗浄便座を必需品としている人は74%に上るらしい。さらに、自宅で温水洗浄便座を備えている人は86%に上るという。こんな便利な洗浄便座が、なぜか海外では普及しないのか、いつも不思議に思っている。

 時々聞くのは、日本に旅行に来た観光客が、あまりの便利さにこの便座を買っていく人もいるらしいことだ。なぜ日本で普及し、海外で普及しないのか。ちらっと聞くところによると、便の質にあるらしい。日本人の便は粘着質で、欧米の人の便は硬質というが本当だろうか。

 メーカーもこの便座を売るために、様々な機能を付け加えている。例えば蓋の自動開閉、擬音、立ち上がると自動的に水が流れる、乾燥、ビデなどである。私はほかの機能は不要と思うのだが、このアンケートで見ても、特に自動開閉や擬音は不要と考えているようだ。

 この記事によると、洗浄しすぎは注意という。人体に必要な「常在菌」を流してしまう恐れがあるからという。さらに「習慣的に便意を促すために使わない」とか「洗浄しながら排便しない」という注意事項もある。ただ、私にはどうしても必需品だ。

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2019年11月16日 (土)

№4245 白アリがいっぱいいるよ

 自宅にいると、様々な販売業者が玄関チャイムを鳴らす。ほとんど出ることはないのだが、たまたま気が向いたので出てみた。農協の白アリ調査の係員だった。「今なら白アリ調査を無料で行います」というのだ。そういえば、もう20年以上も前に、一度白アリの駆除をしたことがある。それ以来、床下にもぐったことなどない。係員は、「理想は5年に一度、最低でも10年に一度はやった方がいい」と言っていた。無料なら、調査をしてもらうか。

Sdscf1383  前回白アリ調査をした時の穴が、床下にある。日時を決めて調査をしてもらうことにした。やがて、専門業者がやってきて、床下にもぐった。床下はものすごい湿気のようだ。この近辺は、宅地開発の前は田圃だったらしい。湿気は、カビや白アリの温床だ。潜った方は、膝や肘が泥んこになっていた。床下の土はびちゃびちゃのようだ。

Sdscf1398 Sdscf1388  デジカメを持って潜った方が、「ものすごい白アリですよ、今でも動いている」と声をかけてきた。特に、角々には白アリが這って歩いた形跡がはっきり出ていた。それも一ヵ所だけではなく無数にあるのだ。

Sdscf1395  さらに、地下の土が湿気っているので床材がカビだらけと言っていた。これはひどいね。

Sdscf1416  居間の土台は白アリにやられて、木材がボロボロに崩れていた。これだけ見せられると、白アリ駆除をやらざるを得ない。坪当たり駆除料が7800円だといっていた。さらに湿気対策に防湿材を敷き、扇風機を取り付けるとなるともっと費用がかかりそうだ。その業者が言うには、「今ならまだ間に合いますよ」とのことだ。

 いずれ見積もりを出してもらい、料金と相談で考えよう。それにしても、白アリ駆除は必要になりそうだ。

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2019年11月15日 (金)

№4244 新宿御苑 薔薇作り

 昨日の記事の続きになる。

Sdscn1421  お昼ご飯を食べて、午後は薔薇作りの話を聞いた。その前に、管理事務所の会議室で講義があった。まずは、新宿御苑の歴史についてだ。講師は、以前所長を務めていたKuniちゃんだ。この日は、奥さんも同伴していた。彼は古地図を見せながら、この御苑の変遷を語っていた。一時は、この地に赤坂離宮のような宮殿を建てる計画もあったようだ。

 Kuniちゃんの説明に続き、東京農業大学グリーンアカデミーの菊班、薔薇班の話も伺った。このグリーンアカデミーというのは東京シニア自然大学のようなもので、東京農業大学が主宰するシニアのための開講講座だ。ちなみに、最近このグリーンアカデミーから東京シニア自然大学に入学する人が増えている。言ってみれば姉妹関係にある団体だ。

 ただ、歴史も規模も大違いなのは、例えば薔薇班の会員は80名もいるということだ。薔薇班の年間スケジュールも見せていただいたが、これまたすさまじい。年間60数回の作業日程が組まれていた。その大半が除草と薬剤散布であった。新宿御苑の薔薇の管理は、この人たち抜きでは考えられない。実際、御苑側も丸投げしているような実態のようだ。

Sdscn1422  講義の後、実際の薔薇園を見ながら説明を伺った。埼玉県民活動総合センターの近くに薔薇園があり、よく見学に出かける。あの薔薇園を管理しているのは町の職員や職人のようだが、ここの薔薇の管理は、ほとんどがボランティアで行っているようだ。しかも御苑側からは、大きな制約をつけられているので大変、とこぼしていた。

Sdscn1423  それでも薔薇が満開に咲いているのを見ると、そんな不満も吹っ飛ぶようだ。今は薔薇の最盛期も過ぎている。「ぜひ、来年の5月に見に来てください。見事な花が咲いていますよ」としきりに言っていた。「来年5月には、東京シニア自然大学のための特別席もご用意します」というのだ。

Sdscn1427  薔薇園を見て歩きながら、薔薇の説明もしてくれた。知らなかったのだが、品種改良が進み今では四季咲きの薔薇が大半だという。一年中通して薔薇を楽しめるようだ。薔薇は花の鑑賞のほか、匂いも楽しめる。香水の原料となっている薔薇も多い。午前中の菊は日本で大いに発展したが、どうやら薔薇の栽培が盛んなのはヨーロッパだ。菊の名前は古今集からとられたというが、薔薇の名前は何でもありだ。それでも、王室や皇室がらみが多いのかな。

Sdscn1430  延々と薔薇の説明を伺っていたが、少し寒くなってきた。今日はこれぐらいでいいのじゃないか。

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2019年11月14日 (木)

№4243 新宿御苑探索 菊の鑑賞会

Sdscn1371  『東京シニア自然大学NEXT』の講座で、新宿御苑探索をしてきた。ご存知のように、新宿御苑は「桜を見る会」のニュースで今や話題の中心である。われわれの講座は今年の3月に決まったもので、まさかこんな騒ぎになるとは思っても見なかった。

Sdscn1383  新宿御苑には、前にもこの講座で2~3度訪れている。もう15~6年も前になるというが、この日も参加していたKuniちゃんがこの新宿御苑の所長をやっていたという。その絡みもあって、新宿御苑は何かと縁がある庭園になっている。この日は、午前中は今やっている菊花壇展を見学しながらガイドの説明を伺い、午後は薔薇の鑑賞をしながらさらに別のボランティアガイドの説明を受けるという、盛りだくさんの企画だった。参加者18人は3班に分かれ、それぞれガイドをつけてくれた。

Sdscn1385  元所長の顔もあったのか、極めて詳しいお話を伺うことができた。11月1日から15日まで行われている「菊花壇展」について、この展示会が行われるまでの涙ぐましい係員の努力の話がなされた。2~3000本の苗を育て、その中から展示に耐えうるわずか数本を選び出すのだそうだ。ほとんどの仕事は苗の破棄作業で、なんと93.4%の苗は破棄されてしまうらしい。「懸崖作り」の花壇は、一年かけてこの形にするのだそうだ。

Sdscn1396  さらにすごいのは、「大作り花壇」だ。 一本の苗から500~600本の花を咲かせる技術の裏舞台を話しておられたが、この花を咲かせるには15ヶ月かかるという。一本一本仕立て育て、この会場への移動もまた大変らしい。

Sdscn1398  本来は黄色の花と白の花は別々のようだが、中には黄色に白の混じった花もあった。これは突然変異で、苗を育てているときには予測のできないものらしい。「菊の年間作業内容」が配られていたが、この二週間の展示会のために一年間のスケジュールがぎっしり組まれていた。

Sdscn1392  お話を伺っていて面白かったのは、菊は万葉集には一首も詠われていないらしい。菊の詩が出てくるのは古今和歌集以降という。ということは、菊が日本に入ってきたのは平安時代からではないかという。ただ、今のような鑑賞菊ではなく、野菊のようなものだったらしい。そして、鑑賞に堪えられるように菊を仕立てる技術が発達したのは、江戸時代以降らしい。

Sdscn1414  ご存知のように、皇室に菊の文様が採用されている。これも意外と新しく、明治政府が採用したようだ。菊の鑑賞をしながら、このような話を伺うのは貴重な体験だった。そういえば、私の知り合いでも菊を育てている人がいる。一年中目が離せなくて、どこにも出かけられないようだ。

Sdscn1412  さらに、菊づくりの苦労はこういうところにもあった。「懸崖作り花壇」には松葉が敷き詰められていた。この松葉も丁寧に集め、一つ一つ洗うのだそうだ。さらに展示会場を覆っている土は「化粧土」と言われ、わざわざこのために買ってくるのだといっていた。さらに、苔を敷き詰めていた花壇もあった。この「菊花壇展」会期は15日までなので、興味のある方は見てきてみたらいかがだろうか。

Sdscn1410  長くなったので、薔薇の話は明日の記事としたい。

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2019年11月13日 (水)

№4242 10月に読んだ本

 さて、海外旅行の話を終わり、また通常の記事に戻ろう。ちょっと遅くなったが、10月に何の本を読んだのか報告したい。

 しかし歳をとるというのは恐ろしいもので、物忘れが激しい。本も読んだそばから忘れてしまうので厄介だ。だから、私はまめに「読書ノート」をつけている。読書ノートをつけたからといって、忘れるのを取り返せるわけではない。ただ呆れてしまうのは、半年前に読んだ本を再読しても、読んだ記憶を最後まで思い出せないことだ。最近頻繁である。

 私は主に小説ばかりを読んでいるのだが、図書館の本棚を見る限り興味のある本はほとんど読み、選択の余地が少なくなりつつある。そこで、最近では小説だけではなく評論集やエセーにも手を伸ばしている。ただ、エセーの寿命は短いものだね。たまたま10数年前に書かれたエセーを読んでいたら、今から見たらずいぶん頓珍漢である。小説には決してそういうことはないのだが。

 さて、10月はどれだけ読んだのか。13冊・5221頁だった。昨年までは月に6000頁も読む月もあったが、少し読書ペースが鈍っている。それでは何を読んだのかの報告をし、2~3点にコメントをしたい。

井上ひさし『一分ノ一』(上)445頁(下)444頁 講談社 2011年10月刊

内田康夫『還らざる道』347頁 祥伝社 2006年11月刊

岡田秀文『風の轍』580頁 光文社 2008年9月刊

久間十義『聖ジェームス病院』494頁 光文社 2005年12月刊

森村誠一『深海の人魚』364頁 幻冬舎 2014年11月刊

笹本稜平『指揮権発動』477頁 角川書店 2019年1月刊

久間十義『限界病院』386頁 新潮社 2019年5月刊

辺見庸『いま、抗暴のとき』232頁 毎日新聞社 2003年5月刊

熊谷達也『山背の里から 杜の都のひとり言』269頁 小学館 2004年11月刊

津本陽『忍者月輪』412頁 中央公論新社 2014年4月刊

藤田宜永『彼女の恐喝』362頁 実業の日本社 2018年7月刊

馳星周『神カムイの涙』409頁 実業之日本社 2017年9月刊

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 これまで馳星周の本はずいぶん読んできた。試みに【読書ノート】を検索してみたら、48冊の本を読んできている。そして驚くことに、随分二度読んだ本が多いことである。馳星周は、以前は冒険小説・ノワール文学の旗手といわれていたが、最近書くものに若干の変化も見られる。私は処女作『不夜城』からのファンで、とんでもない殺し合いが行われるものを読んできた。

 ところが、最近は作風が変化して純文学風になった。これはこれで、またたまらない。ふんわりした暖かさが、作品からにじみ出ているのだ。まさにこの作品もそういうものだった。部隊は北海道のアイヌ一家の話だった。中学生の娘悠は、屈斜路湖の山小屋で祖父と一緒に住んでいた。彼女は学校でいわれなき差別に会い、卒業したらアイヌ差別のない東京に出ようと固く思っていた。両親は、車の事故で突然死をしてしまった。

 祖父の敬藏は木彫り職人である。その作品を慕って、若い男雅比古が弟子入り志願をしてきた。木彫り職人といって生計は難しく、敬藏は断った。雅比古は東日本大震災で、祖母と母を喪った。さらに、北海道に流れてくる深いわけがあった。これが物語の佳境であった。

 私はこの小説を去年の11月に読んでいたが、そのことを全く思い出さなかったのが悲しい。

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 津本陽さんは、昨年の5月に亡くなった。歴史小説の作家として、たくさんの小説を書いてきている。私が津本さんの小説を読んだのは、織田信長を書いた『下天は夢か』(1989年)や、豊臣秀吉を書いた『夢のまた夢』(1993年)、『小説渋沢栄一』(2004年)くらいのもので、あまり津本の良い読者とは言えない。どうも津本の作品には、手に取るのを控えさせる何かがある。今回手に取った小説は、2014年「読売新聞」に連載されていた著者晩年の作である。

 今回の『忍者月輪(がつりん)』には思わず引き込まれた。今や忍者ブームで、外国の観光客も忍者を目指して来日しているという。とはいうものの、歴史的には「忍者」の実態はほとんど分かっていないようだ。信長や秀吉、徳川家康が忍者を重宝に使っていたようだ。現に家康は、服部半蔵を絶えず側用人として使っていた。

 今回の忍者伝兵衛の話は、本当かどうかはわからない。そこに小説として取り上げられる余地があった。伝兵衛は伊賀忍者だったが、彼が悩んでいたのは女房との位置である。主人に忠実に仕える伝兵衛と、家庭人としての伝兵衛の乖離が面白かった。

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 このところ、医療小説として久間十義の小説を読むことが多い。今月も2作品を読んだ。基本的に、私は医療現場の話を好んで読んでいる。加賀乙彦、帚木蓬生、久坂部羊などがそれにあたる。最近、帚木蓬生の小説『閉鎖病棟』が映画化された。近く見に行ってきたいと思う。

 『限界病院』は地域医療の在り方を問う小説だったし、『聖ジェームス病院』は総合病院の中の人間模様を描いた小説だった。医療小説を書くには、ある知識がないといけない。久間十義は医療関係者じゃないが、よく勉強していたと思う。いずれも面白く読めた。

 

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2019年11月12日 (火)

№4241 タイ旅行での初の試みは

 今回の旅でいろいろな試みをした。一つは格安航空機に乗ったことだし、ドンムアン空港でSIMカードを買ったのも初の試みだった。

 いま海外に行くのに飛行機に乗ると、様々なサービスがある。座席の前の画面で映画を見みられるし、飛行機が現在飛んでいる位置も見ることができる。食事や飲料のサービスもついている。ところが、格安航空機にはそんなサービスは一切なかった。必要な人は、有料で買い求めていた。私は何もないのが気に入った。出発前にパンを買っただけだ。海外旅行での飛行機の中は、絶好の読書空間だ。今回はバンコク片道6時間半だったが、読書に集中できたのが良かった。

 SIMカードも初体験だ。日本国内にいるとあまり意識しないのだが、海外旅行にもスマホは必需品だ。以前はWi-Fi電波を使っていたのだが、Wi-Fiは電波が使える場所とそうでない場所があった。さらに、気ままにWi-Fiを使っていたら、高額料金を請求された。SIMカードは一度挿入するとそんな心配がなかった。しかも17バーツ(460円)で一週間使い放題だった。ただし、スマホにSIMカードを二枚入れる機種にする必要がある。

 空港には、SIMカードを売っている店がたくさんあった。ということは、海外旅行をする人には今や必需品ということだろうね。何より安いのがいい。今回の旅行でもYahooニュースや野球を頻繁に見ていたのだが、一切料金がかからなかった。ただ、今回は試みなかったのだが、テザリングしても大丈夫だったのだろうか。

 というのも、ホテルでのパソコンはWi-Fi電波を利用していた。このWi-Fi電波は出力が不安定なのだろうか、時々断線することがある。何が不自由かといって、書いていたブログ記事が、断線で白紙になってしまうことだ。記事が出来上がって「保存する」のボタンを押すと、ブログにアップできるのだ。それが、保存する段階で断線してしまったことがあった。それ以来、記事は一度「メモ帳」に書いて保存し、保存したメモ用紙をコピー&ペーストで貼り付けていた。

 それ以外でも今回の旅行で気がついたことを二、三書いてみる。もっとも夜遊びをしなかったっせいもあるが、危険を感じたことは一度もなかった。これをもって言えるかどうかはわからないが、バンコクは極めて安全な街なのではないだろうか。

 それと、私がイメージしていたとバンコクとは全く違って、きわめてよく道路が整備されていて、片側8車線の道路はほとんど渋滞することもなかった。それがパタヤまでの170㎞も続いていたのだから、全国的に相当道路は良くなっているのだろう。

 走っている車もほとんどが日本車だ。なかでもトヨタ車が圧倒的に多かった。日本ではほとんど見かけないが、意外とイスズの車も多く走っていた。タクシーの運転手に聞いたら、タイにはトヨタの大きな自動車工場があるのだそうだ。タイにとってのトヨタ車は、国民車といっていいのかもしれない。

 タイは、気ままに旅する自信がますますついた。まあ、これから何度タイに行くかはわからないが、何かあったらまた訪問したい。「タイフリーク」というほどでもないが、やはりタイを含め、ベトナム、カンボジア、ミャンマーなど東南アジアは、私の体質に合っている。

 今回の旅の記録に、皆さまも楽しんでいただけただろうか。

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2019年11月11日 (月)

№4240 バンコクの旅も終わる

 長いようで短かったバンコク訪問の旅であったが、もう終わった。今回は一ヵ所のホテルに滞在し、そのホテルを起点に行動した。移動のないこういう旅も、負担が少なく、なかなかいいものだった。

 前にも申し上げたが、ホテルがある場所はバンコクの安宿街で「カオサンロード」に近かった。最初、ホテルを出るにしても、再度ホテルに帰れるのかどうか心配だったが、場所がカオサンロードと分かってから、どこに行っても分ったので安心だった。かといって、バンコク市内の主要な場所には行かなかった。いたのは、主にカオサンロードの周辺だ。住み心地がいいのだ。

Dscn1370  一体ホテルはどうなっているのか、探検してみた。泊まったホテルは「ランブトリヴィレッジプラザ」といい、A棟からE棟まであった。各棟がそれぞれ100部屋ぐらいだったから、全部で500部屋もあったのかしらね。ホテルの部屋のカギをもらったら、出入りは自由だ。ただ、チェックインの時にデポジットとして1000バーツ預ける必要があった。まあ、チェックアウトのときに返ってくるから良いか。

Dscn1368  私はE棟の4階に泊まったのだが、その上の5階にはプールがあった。私はほとんど泳がないのだが、様子だけは見てみた。バンコクの気温は30度前後で、動くには暑かったが、かといって汗を流すほどではなかった。

Dscn1369  それと気になったのがイスラム寺院だ。朝5時と夕方4時にはアザーンが流れる。屋上から見たら、ホテルの真後ろにあった。どうりで大きな声がするはずだ。それでも、最初の内は驚いて飛び起きたが、だんだんそれにも慣れてきた。終いには、目も覚めなくなってしまった。この寺院がどこにあるのか訪ねてみたが、入口がわからなかった。

 毎号報告したが、今回の旅は何のスケジュールもなく、気の向くままの思いつき旅行だ。朝起きて、さて今日はどうしようか悩む始末だった。そして一ヵ所に泊まって何よりよかったのが、疲れたら部屋に戻って横になることができたことだ。

 また、バンコク市内の移動は決してトゥクトゥクは使わなかった。メータータクシーは正確に料金を表示するのだが、トゥクトゥクは交渉次第でどんな料金になるのかわからない。運転手に料金交渉をしても、結局はタクシーの方が安かった。ただ、タクシーも気を付けなければいけない。運転手はメーターを倒したがらない。交渉で値段を決めたいようなのだ。ある場所に移動するのに、タクシー運転手は250バーツといったが、実際のメーターでは150バーツだった。

 食事も、一晩エビやカニを食べて大枚をはたいたが、あとは質素なものだった。何よりホテルの朝食が付いているので、これを十分食べるとそれで済んだ。アルコールもほとんどビールのみだ。お土産も買うことがなかったので、持って行ったお金の半分しか使わなかった。それも、空港に着いたらずいぶん残っていた。その残金でお土産を買った。

 それと心配だったのが、飛行機に乗るときの荷物の追加料金だ。成田では6000円も払い、何のために格安飛行機に乗るのかわからなかった。帰りの荷物は極力軽くしようと、洗濯物以外は入れなかった。読んだ本やガイドブックは、ホテルの部屋に置いてきた。ほとんど使わなかった一眼レフカメラだが、これが結構重い。このカメラは首にかけ、荷物の重量計算に入らない工夫をした。帰りの飛行機のチェックインで重量を計ったら、ザックを計らなかったせいもあったが、7㎏で済み追加料金はなかった。やはり6000円は大きいよね。

 それと驚いたのが、成田空港から自宅までの帰り道だ。カーナビだと、東関東自動車道経由で2時間かかると出ていたが、なんと1時間で帰ってきた。京葉道路から外環を通るとえらい近道になることが分かった。夜9時に成田を出て10時前に自宅に帰ったのだが、あまりに速い帰宅に女房はびっくりしていた。

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2019年11月10日 (日)

№4239 バンコク旅の最後はマーケット巡り

(昨晩10時に、無事帰国した。ただ、旅行の記事はもう3回ほど続けたい)
 いよいよタイ旅行も最後の日を迎えた。さて、今日はマーケット巡りをしよう。バンコクの郊外に、ダムヌン・サドワックという有名な水上マーケットがある。以前も一度訪れたが、再度行ってみよう。

 実は、昨日パタヤに同行したタクシーの運転手に、「明日はどうするんですか」と聞かれ、ダムヌン・サドワックのフローテングマーケットに行く話をした。「私が車で連れていきますよ」というので、値段を聞いてみた。最初1500バーツと言っていたが、「1000バーツでいいですよ」というのだ。彼も仕事が欲しくて必死だった。ところが私は一見の客、彼の生活の面倒まではみれない。ホテルの前の旅行会社に聞いたら、ダムヌン・サドワックマーケットツアーは600バーツといった。もちろん、この旅行社のツアーに乗ることにした。

 朝7時スタートだという。都合がいいことに、ホテルの朝食は6時からだ。6時半ころに朝食会場に出向き、スタートまでゆっくり腹づくりをした。ここの朝食はメニューも豊富で、お腹いっぱい食べられる。それにパンが美味しい。昨日は味噌汁までメニューにあった。デザートは、スイカとパイナップル、ドラゴンフルーツで締めた。

 この日のツアーに乗ったのは10人だった。ガイドに名簿用の名前と出身国を求められて、私も書いた。その名簿を見ると、二人は分からなかったが、あとはブラジル人が4人、スペインの女の子が3人のツアーだ。お互い話しかけることはないのだが、タイには多彩な観光客が来ているんだね。

Dscn1335_20191108223101  ダムヌン・サドワックは、バンコクから80㎞ほどのところにある。車で1時間半ほどかかった。このマーケットはバンコクでも最大で、地元の人というよりも観光客でごった返していた。どうやら、観光マーケットとして成り立っているようなのだ。船には、様々な商品が積んでいる。頭にかぶる傘と扇子、野菜や果物、お土産品など多彩だ。

Dscn1334 Dscn1341_20191110083401  観光市場なので、私もお金を落とそうと思いいろいろ見てみたが、欲しい物はなかった。仕方がない、お婆さんがやっている船に近寄って、ベトナムのフォンのようなものを食べた。水上マーケットだが、陸上にもさまざまなものが売っていた。特に衣料品などが多かった。私がこの旅行中に買おうと思っていた財布も見つかった。ARMANIの偽物だ。800バーツいうのを、500バーツにまけさせて買った。

Dscn1343 Dscn1359  今回のツアーはここのダヌアン・サドワックだけかと思っていたが、もう一か所のマーケットも行くという。トレーン・マーケットだという。車で20分ほど行ったところにそのマーケットはあった。なんとも世にも珍しいマーケットで、鉄道線路の上に物を並べて売っていた。列車が来たらどうするのだろうか。その答えはまもなく出た。

 ここのマーケットは観光用というよりも、地元の人のためのマーケットのようだ。日常雑貨や魚、肉、野菜などを売る店が続いていた。物珍しいものがあるか、一品一品見て歩いた。髭の生えた魚は鯰だろうね。果物のライチーも売っていた。一個試食させてもらったが美味しかった。このトレーンマーケットは300mも続いていただろうか。

Dscn1360  このマーケットを歩いて最後まで来たら、列車が近づいているとの放送があった。店員は、バタバタと商品片づけをやっている。さらには店頭を覆うテントの片づけを始めた。その片づけが終わったころに列車が見えた。このマーケットを知っているかのように、機関士は歩くようなスピードで運転したいた。観光客は、これに大喜びをして写真を撮っていた。

Dscn1363  鉄道線路の後ろには、広大な日用品の市場があった。まあ、このトレーンマーケットも観光客のためのものかもしれない。

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2019年11月 9日 (土)

№4238 ビーチリゾート・ラン島で昼寝

 今回のタイ訪問で、忘れ物をした場所があることに気がついた。今まで行ったことがない「パタヤ」に行ってみたい。パタヤは、アメリカがベトナム戦争当時、兵隊の慰安として開発したリゾート地だ。バンコクから約170㎞ほどあり、車で2~3時間ぐらいの距離だ。前に紹介したガイドブックによると、パタヤは「世界一下品なビーチリゾート地として悪名が高い」のだそうだ。ただ、パタヤの先にラン島という島があり、砂浜がきれいとのことだ。


Dscn1311  今日はパタヤを目指そう。パタヤが下品なのは夜の間だけであり、昼は何もなさそうだ。バンコクからパタヤに行くには、東バスターミナルに行きミニバスに乗るという。ホテルの前でタクシーを拾い東バスターミナルと言ったら、東バスターミナルは遠くて車で500バーツもかかるという。500バーツは大袈裟としても、かなり遠そうだ。その運転手が、「パタヤに行くんでしょう。往復2000バーツでどうですか」と聞いてきた。ガイドブックでも2000バーツは妥当と書いていたので、タクシーでパタヤに行くことにした。

Dscn1313  8時40分にタクシーに乗り、フェリーボート乗り場に着いたのが10時40分頃だ。やはり2時間かかった。この日はパタヤの街には寄らず、ラン島だけを目指すことにした。スピードボートが往復300バーツであり、それに乗ることにした。普通のフェリーだと時間がかかり、しかも着くビーチが島の反対側らしい。あまり言われた通りというのもしゃくだったが、まあ、それでいいだろう。

Dscn1315  ボートは、ものすごいスピードで海を駆け抜けた。約15分ほどで目指すラン島に着いた。この島は、大きなビーチだけでも7つもあるらしい。しかも、大きなビーチには中国人や韓国人の観光客が多く、騒がしいばかりという。今回着けたビーチは、7つのビーチのいずれにも入らない小さなプライベートビーチだった。観光客もあまり多くなかった。

Dscn1319  この日は、このビーチで思い切りのんびりしよう。お昼だったので、ビーチで昼食を摂った。それ以外にはやることがない。こういうことがあるだろうと思い、海水パンツを履いてきた。着ていたものを脱ぎ、裸になってデッキチェアーに横になった。デッキチェアーも100バーツしたが、仕方がないね。高いお金をかけて、昼寝をしに来たようなものだ。

Dscn1316

 本を読みながら、飽きたら寝るビーチライフを3時間も行った。あまり泳ぐ気もなかったが、海にも入ってみた。シャム湾の海水は、ちょうど心地良い暖かさだ。それにしても、海に浸かっている女性は大胆なビキニの海水パンツだ。目の保養にもなった。そんなバカなことを考えながらデッキチェアーに寝転んでいたら、汗で水たまりができるほどになった。


 デッキチェアーはいくらでもある。隣のチェアーに移動してさらに寝転んだ。そうこうするうちに帰る時間になり、再度スピードボートに乗った。タクシーの運転手は待っていてくれた。「パタヤを観光しますか」というが、疲れたのでそのままバンコクに帰ってきた。何のことはない、約1万円をかけて昼寝に行ったような一日だった。

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2019年11月 8日 (金)

№4237 アユタヤ再訪

 
 今回のタイ訪問に際し、ガイドブック『タイ旅行最強ナビ』を買って読んできた。その本の一項に、「タイでの移動はレンタルバイクがおすすめ!」という記事があった。そういえば、チャンマイでもサムイ島でも、レンタルバイクを借りて走り回ったことを思い出す。この日は、バンコク市内でもレンタルバイクで探訪しようと思った。

 街でレンタルバイク屋がないか探してみた。バイクの集まっている場所で聞いてみたが、「そんな話は聞いたことがない」という。さらに、旅行会社でも聞いた。そしたら、「バンコクではバイクのレンタルはやっていない。チェンマイとは違う」とのことだ。仕方がないな。それじゃ今日はアユタヤに行ってこよう。

 その旅行会社でアユタヤツアーがないか聞いてみたら、「アユタヤに行くだけなら550バーツ、夕食付アユタヤツアーは1600バーツ」だという。まあ、ツアーでなくても一人で行けると思い、タクシーでアユタヤ行きのバスが出ているという北バスターミナルに行った。タクシー代120バーツ、アユタヤ行バス代70バーツでアユタヤに行けた。何のことはない、ツアーでなくても一人で行けるんだ。

Dscn1275  私はアユタヤには、30年ほど前にタイに初めて来た時に訪れている。もうすっかり忘れてしまったが、たしか首のない仏像がたくさんあったことを思い出す。ここでもレンタルバイク屋を探していたが、見つからなかった。暑いので自転車で巡るのも疲れると思い、トゥクトゥクに乗ることにした。3時間で600バーツという。タイではどこでもそうだが、値段交渉が大事だ。400バーツまで下げさして、乗ることにした。トゥクトゥクの運転手は、おばさんだった。

 結局トゥクトゥクに乗って成功したのは、意外とアユタヤの遺跡群は広かったのだ。目的地まで行って、ゆっくり遺跡見学ができるのが良かった。ただ、私はガイドブックを宿に置いてきてしまった。トゥクトゥクのおばさんは運転するだけで、ガイドするというわけではなかった。もっとも、彼女はタイ語しか話せなかったので、私もタイ語は理解できなかった。宿に帰ってきてから、回った遺跡が何だったのか調べた。

Dscn1287  アユタヤ王朝は、1300年代半ばから1700年代半ばまでの400年にわたり栄えた王朝だ。盛時には海外との貿易も盛んだったようだ。日本人町もでき、有名な山田長政なども活躍した。この王朝は、チャオプラヤー川を通して物資のやりとりをしていた。遺跡の脇には、チャオプラヤー川が流れていた。数年前、このチャオプラヤー川が氾濫して、アユタヤの街が水没したニュースが流れた事が耳新しい。

Dscn1270 Dscn1271  遺跡を見て思ったのだが、傾いているものが多い。作られたお寺はレンガを積んだものが多く、長年の重量に耐えられずに傾いたものだろう。だが、80mの高さがあるという「ワット・プーカオ・トン」という塔は、どう見ても建築時から傾いていたのではないかと思われた。塔の先端が曲がってグニャグニャしていた。

Dscn1284  首のない仏像が並んでいるお寺もあった。アユタヤ王朝末期に、ビルマ軍と激しい戦闘があり、勝利したビルマ軍が首をちょん切ったものらしい。今から見たらなんと酷いと思うが、当時の戦闘はそれほど激しかったのだ。

Dscn1301 Dscn1304  大木の根に挟まれている仏頭もあった。「ワット・プラ・マハタート」寺院にあり、この寺も半分崩れていた。ビルマ軍との戦闘が最も激しかったところだという。

Dscn1282  この遺跡群を訪問しながら思ったのが、隣国カンボジアのアンコールワット遺跡だ。アユタヤの遺跡も規模が大きいが、アンコールワットの遺跡はこれに倍しているのではなかろうか。3時間じっくり拝見して、バンコクに帰って来た時には、もう午後6時を回っていた。

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2019年11月 7日 (木)

№4236 豪快に海鮮料理を

   私は気がつかなかったのだが、今回宿泊した場所はカオサン街の真ん中にあるホテルだった。カオサン街とは、バンコクの中でも安宿が集中することで有名だ。ただ、町はずれにあるために、今まで私は来たことがなかった。初めて訪れて驚いたのは、欧米系の外国人が多いということだ。しかも若者というよりも、私の泊まったホテルはおじさんおばさん系の人たちだ。

 私が受け入れられないのは、男も女も派手に刺青をしていることだ。私にとってはみっともないと思うのだが、そう思うのは日本人の潔癖症のせいか。体全体から手や足にまで刺青を彫っている。あの刺青は死ぬまで消せないと思うと、ゾッとしてしまう。

 私が今回泊まっているホテルは、カオサン街の中でも安宿というよりも中級型のホテルだ。ネットで見つけたホテルだが、今までバンコクで泊まっていたホテルに比べても静寂なうえ居住性抜群で、ホテルライフを楽しめる。何より良いのが、朝食のメニューが多いことだ。ただ、難もある。朝5時になると耳元でアザーンの大きな音がして、目が覚めてしまう。近くにイスラム寺院でもあるのだろうか。

 朝5時に目が覚めるといっても、日本とタイの時差2時間を考えると、日本では朝7時だと思いながら起きてしまう。起きたらすることがないので、本を読むかブログを書くかくらいのものだ。私の海外旅行は極めて健康的で、夜遊びに出かける元気もない。昨晩も夜9時半ころに(日本時間11時半)に消灯した。

 夕食を摂るのは、面倒なので、ホテルの前のレストランにする。ただそれだけでは寂しいと思い、カオサンロードをふらふら歩いてみた。なぜかしら、このところ夜になると雨が降る。傘を持ち歩かないので、濡れないようにホテルに帰ってきてしまう。ただ、昨晩は海鮮料理屋を見つけた。この晩は豪快に海鮮料理を食べようと、くだんの店を目指して出かけた。

Dscn1257  カオサンロードはものすごい人出だ。どの店も混んでいた。それにしても、入店客を見ると外国人が多い(とはいっても私も外国人なのだが)。なかには日本人らしきカップルもいるが、もちろん声は掛けない。

Dscn1259  いろいろな屋台も並んでいる。ドリアンを売っている店があった。ドリアンは果物の王様といわれているが、私は食べたことがない。美味しいものと不味いものが極端らしい。私が一度口にしたドリアンは、便所臭くて物凄い匂いだった。それ以来、敬遠している。

Dscn1260  さて、目的の店の店頭には、いろいろな魚が並んでいた。私が食べたかったのは、カニとエビだ。それでは足りないと思い、大きなイカを一匹注文した。それぞれ秤で計り値段を言っていたが、今晩は値段を気にしないで豪華にやろう。一人でこんなに食べられるか心配だったが、店頭のおばさんは「心配ないわよ」と安請け合いをしていた。

Dscn1264  料理を待つ間、タイのシンハビールを飲んだ。シンハビールは若干高いのだが、やはりタイに来たらシンハビールだね。日本でも飲めるのだろうが、バンコクで飲むから良いのだ。

Dscn1265 Dscn1266  やがて、エビやカニが焼き上がってきた。ナイフやフォークも用意されていたが、ここは豪快に手でむしって食べるのがいい。あっという間に、エビとカニの殻の山ができた。食べ終わったころに、イカが焼き上がってきた。もうそのころにはお腹が一杯だった。まあ、それでも折角だからとイカに手を付けた。矢張り全部は食べられなかった。3分の一くらい残したかな。値段も日本円で3200円と、なかなかのものだった。

Dscn1263  満足して、そのまま宿に帰った。

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2019年11月 6日 (水)

№4235 カンチャナブリ1日ツアー

 
 
 今回のタイ旅行の最大目的は、カンチャナブリ訪問だ。事前に『戦場にかける橋』のDVDも観てきた。カンチャナブリは、日本軍がタイで戦闘行動をした最大の場所である。主に英軍の捕虜を使い、クワイ川に鉄道の橋を作った。戦闘だけでなくマラリアなどでたくさんの死者を出した。

 この鉄道は、タイとビルマを繋ぐ泰緬鉄道で、日本軍がインド侵略の重要戦略路線と位置付けていた。ただ、この鉄道はジャングルや険しい山岳を抜けるために難航した。そして最大の工事が、カンチャナブリのクワイ川に鉄道橋を作ることだった。工期は10か月と過酷な工事だった。捕虜の抵抗などもあり、難工事で死者も多かった。それが映画になって、多くの人を感動させた。

 カンチャナブリは、私も初めて訪れる。バンコクから約3時間の地にある。今回はツアーに乗ることにした。ツアーのガイドは英語でペラペラ話すので、半分ほどは理解不能だ。まあ、それでも困ったことはない。いずれカンチャナブリに連れていってくれるだろうと安心していた。

Dscn1202  カンチャナブリに着いたのは、午前10時頃だ。そこで、またガイドがこれからは自由行動で、11時には集合場所に集まるようにと話していた。この集合場所の前に、JEATH戦争博物館があった。博物館の前には、日本の機関車が飾られていた。ツアー同行の人たちはあまり関心がないようだったが、私は博物館に入場した。入場料は50バーツ(150円)ほどだ。

Dscn1206 Dscn1207  この博物館には、戦争の悲惨さを伝える多くの展示物が並んでいた。日本軍の武器となる鉄砲や機関銃、捕虜を働かせている現場の模型、骨と皮ばかりになっているマラリア患者の模型、なぜかしらないが実際の人骨まで飾られていた。30分ほどこの博物館にいたが、この博物館からもクワイ川にかかる鉄道橋が見えた。

Dscn1215 Dscn1221_20191106083301  さて、橋を見に行ってみよう。多くの観光客が、この橋を行き来していた。線路も現役のように立派だった。線路の脇にいた人に、この鉄道はまだ使われているのか聞いてみた。そしてら、「もう2分後に列車が到着しますよ」というのだ。それはチャンスと、列車の到着を待った。10両編成の泰緬鉄道の観光列車がやってきた。日に3本ほど走っているようだ。

Dscn1223  列車に乗っている日本人に声をかけてみた。泰緬鉄道に乗るツアーで、この列車に乗っているのだそうだ。私も乗ってみたいなと、少し羨ましくなった。列車が鉄橋を渡って去っていくのに、郷愁も覚えた。

 さて、11時の集合時間が来た。これからまたツアーバスに乗って、30分ほど移動するのだそうだ。どこかに行くと説明しているようだが、聞き取れなかった。そして着いたのが鉄道駅だ。これから1時間ほど泰緬鉄道に乗るのだそうだ。このツアーには、こういう特典もあったと初めて知った。

Dscn1238  そしてやってきたのが、さっきクワイ川を渡って去っていった列車だ。列車よりもバスの方がよほど早かった。この列車が向かうのは、ミャンマーとの国境の駅だ。クワイ川の流れに沿って列車は遡った。このクワイ川は、意外と大河だった。この川に沿って作られた鉄道工事は、相当に難航しただろうと容易に想像できた。

Dscn1243  係員が、「泰緬鉄道記念証」(Certificate of remembarance)を乗車した全員に配っていた。この鉄道に乗っただけでも、このツアーでは得をした気になった。目的地の駅で降りて、バスに乗り昼食会場に向かった。このレストランは、クワイ川のほとりにあった。昼食後、また2班に分かれた。その2班はどこに行くのかの説明がなされたようだが、私は理解していなかった。そして私が乗ったのは、滝見学のバスだった。どうやらもう一方のバスは、象見学コースだったらしい。そちらのほうが良かったね。

Dscn1255 Dscn1254_20191106084101  この日の最後は、戦争で犠牲になった人たちのお墓にお参りするツアーだった。広大な墓地には、それぞれ犠牲になった人のプロフィールが記されていた。22~3歳の人が多かった。この戦争で犠牲になって、まだわずか75年であると感慨深いものがあった。戦争などするべきじゃない、と今更ながら改めて深く思う旅だった。

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2019年11月 5日 (火)

№4234 チャオプラヤー川の船下り

 さて、今回の旅行は行き当たりばったりで、何の計画もない。ホテルで朝食を摂り街に出てみたら、旅行会社があった。そうだ、翌日のカンチャナブリ行きを頼もう。そういう適当なツアーがあるかどうか尋ねたら、朝7時に出て夜7時に帰って来るツアーがあるという。旅行代金は、昼食込みでそんなに高くなっかった。明日は『戦場にかける橋』の街カンチャナブリに行くことにしようと予約した。

Dscn1170  さて、今回泊まったホテルから、バンコクの街を流れる大河チャオプラヤーが近いという。なぜか、私はこの川が大好きである。早速チャオプラヤーを見に行こう。歩いて5分ほどのところに、目的の川があった。相変わらず水量豊富である。川には、ホテイアオイが流れている。そうだ船に乗ろうと、勢いで船のチケットを買った。どこまで行くのか聞かれたが、別に目的があるわけではない。そしたらチケット売り場のおばさんが、適当な目的地を決めてくれた。

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 やがてツアーの船が来たので、乗った。乗ったすぐ近くに、王宮の壮麗な屋根が見えた。そうか、ここは王宮に近い場所なのだ。私は王宮に何度も行っているので、今回は行こうと思わない。そういえば、前回訪問した時に故プミポン国王が亡くなられたので、王宮を訪問して慰霊碑の写真に頭を下げたことがあった。


Dscn1180  船が進むと、やがて『暁の寺(ワットアルン)』が見えてきた。お寺の伽藍が光り輝いていた。この寺も、前回訪問した時は工事中で、全体に覆いが被されていた。今回はその覆いもなく、川から全体像が眺められた。私は読んでいないが、『暁の寺』は三島由紀夫の小説で日本人にもつとに有名な寺だ。

Dscn1183  さらに船は上流に進んだら、チャイナタウンに近いという降り場に着いた。そうだチャイナタウンを見てみようと、衝動的に船を降りた。降りてしばらく行くと、下町らしき雰囲気の街に出た。そこには、延々と小物売りの市場が続いていた。何を買うというでもなく、店を覗いて歩いた。そうだ財布を買おう、と思いながら見て歩いたが、適当なものはなかった。

Dscn1186  なぜかしらないが、世界各国のチャイナタウンというとどこでもそうだが、町の一角に金行がある。金の飾りやネックレスを売っている店がひと塊で並び、金ぴかに光り輝ている。私は金には興味がないので、やり過ごしてさらにディープな市場の奥を目指した。

Dscn1192  残念ながら目新しいものは見つからなかった。そうだと思い、薄汚れた中華料理屋で昼食に麺を食べた。ベトナムで食べるフォンのようなものだった。フォンは米粉だが、麺は小麦粉である。魚のすり身がいっぱい入っていたが、特段美味しいということもなかった。一杯150円ほどだった。

 昨日の晩バンコクに着いた時にはものすごい雨だったが、この日は晴れていた。南国なので、晴れるとどうしても暑くなる。街歩きには不適当と、また船に乗ることにした。船の乗り場まで歩いて帰ったのだが、もうへとへとだ。

Dscn1196 Dscn1198  さっきはスルーした『暁の寺』を、またじっくり見学して帰ることにした。この寺は、いつ見ても素晴らしい。寺に彫られている彫刻の像は、一体一体が違うと分かった。物凄い労力をかけて作られた寺なのだろうね。しばらく寺の階段に座り、往時を偲んだ。

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2019年11月 4日 (月)

№4233 タイのバンコクに旅立つ

 予告通り、タイのバンコク1週間の旅に出た。バンコクにはすでに5~6度行っているが、今回は従来にない様々な試みをしている。それもこれも、旅名人Takeちゃんのサゼッションによるものだ。
 まずは、初めてのことだが本格的に格安航空会社を使った。私が検索した格安航空券の6割くらいで買えた。ただし、荷物の機内持ち込みは有料とのことだ。普通は6000円だが、チケット購入時に荷物持ち込み代を払うと1500円で良いらしい。

 今回の旅行で余分なものは持って行かないことにして、荷物を極力軽くした。だが、チェックインカウンターで荷物を計ったら、15.4kgあった。仕方ない、泣く泣く6000円を払った。こんなことなら、予約時に荷物代を払っておくんだったね。無料の10kg以下に抑えるのは不可能だ。格安航空機を使うための勉強になった。

 普通、飛行機の搭乗手続きは2時間前だ。午後1時55分の飛行機だったが、私がチェックインカウンターの前に行ったのは出発3時間前の午前11時だ。そしたら、すでに長蛇の列だった。そう200mも並んでいたかな。まあ乗り遅れることはないだろうと、首長く待った。手続きが終わったのは、午後12時半ころだ。後ろには、まだ列が長く伸びていた。

 午後1時10分には搭乗口に来てくださいとのことだから、あまり時間はない。急いで荷物検査を受け、税関を通った。格安航空は、食事や飲み物のサービスがないというので、手続き後に昼食を摂り、飲み水を購入した。以前は、飲料水の機内持ち込みは禁止だったが、今はそんなことは言っていないようだ。

 格安航空機だからといってバカにできない。どうだろうか、500人以上も乗れる大型機が満員だった。そうだよね、旅慣れた人はわざわざ高い航空券は買わない。私が買った航空券も、「格安」という航空券の6割程度のものだ。どうも、Takeちゃんが買う航空券はそれよりも安いというが、探しても見つからなかった。ただ、格安航空会社が通常の航空会社に比べて危険かというと、そんなことはない。格安航空会社に事故が多いなどとは聞いたこともない。

 本当に機内サービスはなかったが、まずい機内食を食べるよりも、むしろない方が煩わしくなくてよかった。食べたい人は、お金を払って有料で食べていた。私には、むしろ読書を中断されなくてよかった。6時間半の空の旅は、貴重な読書空間と読むことに集中した。おかげで500頁余りの文庫本一冊を上げることができた。

Dscn1166  今回バンコクで降り立ったのは、ドンムアン空港だ。今ではバンコクに新しい空港ができたが、格安航空会社は未だにドンムアン空港を使っているようだ。久し振りのドンムアン空港は懐かしかった。降りたってすぐに両替をし、SIMカードを買った。以前旅行中に携帯を使い、60000円も請求されたことがある。このSIMカードを使えばそんなことがない、と教えてくれたのもTakeちゃんだ。空港にはたくさんのSIMカード売っている会社があった。私は1週間使えるSIMを買ったが、460円くらいのものだった。

Dscn1168  さて、バンコクに入るのにはタクシーを使おう。タクシーの看板がかかっている会社にいくらか聞いてみたら、900バーツ(約2400円)ほどだという。ろころが別のタクシー乗り場で乗ったら、ホテルまで260バーツ(700円弱)だった。海外個人旅行は、値段でごまかされるので注意しなければと思った。

 タクシーでホテルまで45分ほどかかったが、バンコクは豪雨だった。着いたホテルは、意外なほど清潔で大きかった。まずは一安心。さて、今回はどんな旅になることやら。

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2019年11月 3日 (日)

№4232 W杯ラグビー日本大会終わる

 9月上旬に始まった「W杯ラグビー日本大会」は、44日間の激戦を終え、昨日の決勝戦で終わった。決勝戦はイングランド対南アフリカ戦だったが、南アフリカの快勝だった。

 それにしても、日本人のラグビーに対する思いを劇的に変えてくれたのがこの大会だった。日常の会話に、ラグビーが乗ることは今までなかった。この大会が始まるまで、ほとんどの方がラグビーのルールを知らなかったのではないか。それが、今ではノッコンとは何か、スローフォワードとは何か、を知らない人は少ないのではないか。

 この大会は、大成功の裡に終わった。それもこれも、日本チームの頑張りによるものが大きいと思う。日本が予選ラウンドで負けていたら、これほど盛り上がらなかったのではないだろうか。

 いまから考えても、日本は強かった。初戦のロシアを破った時は、まあ、そんな驚きはなかった。そして何より驚いたのが、優勝候補のアイルランドを破ってからだ。サモアを破ったのもランク上位だから当然という感じがあったのだが、スコットランドを破ってこれは本物だと感じた。プールAを首位突破した時には、もしかしたら優勝をするかもと真剣に論じられた。

 けど、そんな甘いものではない。決勝リーグ初戦で、今回優勝した南アフリカとは、前半戦は3対6と善戦していたものの、後半戦で3対26と粉砕された。率直に言って、南アフリカは強いと実感した。何よりも厚いデフェンス陣は、日本のフォワードをことごとく跳ね返していった。さらにはスクラムを押し返し、モールで攻めていった。その時には、日本チームは余力を残していなかった。

 決勝戦は、私は正直言ってイングランド有利と見ていた。準決勝までのイングランドのフォワードの戦いも分厚いものだった。ところがフォワードとデフェンスの戦いではなかった。ペナルティキックの打ち合いだった。南アフリカがスクラムで次々とペナルティを奪い、ペナルティキックの正確に決めていった。決勝戦の戦いは、先手必勝だったのではないか。絶えず南アフリカは、先手を取っていた。これがイングランドが先手を取っていれば、展開は違ったものになっていたのではないか。

 イヤ~~、予想以上に盛り上がった大会だったが、さてこの大会を経て日本にラグビーの風土が根付くものだろうか。いずれ、ラグビーというゲームの面白さを存分に知ったに違いない。

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2019年11月 2日 (土)

№4231 地創の一泊旅行

 私が彩の国いきがい大学を卒業したのは、大震災の2011年だ。卒業してもう9年目に入るが、仲間の付き合いは続いている。なんといっても、付き合いの代表がクラス会の一泊旅行である。この9年間、欠かさずに続くのが一泊旅行だ。ただ、だんだん様子も変わってきて、昨年まではバス旅行だったが、最低15名の仲間をそろえるのは大変になってきた。

 世話人が考えたのは、今年から電車で旅行しようということだ。それなら人数をそろえる苦労はしなくても済む。電車旅行の提案があったが、もちろん用事がない時は参加してきたし、今年も参加するつもりでいた。意外と思ったのは、参加者が14名にもなったということだ。旧クラス会は、女性の結束が固い。一人ドタキャンがあったというものの、女性は5人が参加してくれた。男どもは、女性の尻について歩くのみだ。

 ということで、今年は三浦半島の城ケ島を訪ねる旅だった。品川駅に午後1時に集まって、京浜急行で1時間少々で終点の三崎口に着いた。電車の旅は楽なものだ。幹事が用意してくれたのは、2日間電車やバスに乗り放題の切符だった。バスなどは切符を見せるだけでスルー出来た。

Sdscn1131  この日の宿は、城ケ島にある「京急城ケ島ホテル」だった。ホテルについてまず驚いたのが、湾越しに見える富士山だ。海の上に幻想的に浮かんでいた。残念だったのは、もう少し早くホテルに着いて、この富士山を眺めていたかったね。翌日は雲に隠れて、この富士山を望むことはできなかった。

Sdscn1134  景色を見るのも大事だが、一泊旅行のなんといってもの醍醐味は宴会である。宿泊した城ケ島は、マグロの産地三崎港の目と鼻の先にある。本場の美味しいマグロのお刺身が、何よりの楽しみだ。いつも宴会で出るお刺身は大量だが、本当はこの程度の量でいいんだよね。美味しいマグロのおかげで、お酒のピッチも進んだ。

Sdscn1138  宴会が盛り上がったところで、参加者の近況報告タイムに移った。わがクラスには、伝説的なボランティアチームがある。「安来節同好会」である。卒業以来各地を慰問して歩いて、すでに200回近くになるのだそうだ。「毎週木曜日の慰問活動だが、すでに来年の1月末まで予定がいっぱいになりました」というからすごいものだ。Taeちゃん、Maruちゃん、Matsuちゃんの3人に女性がいずれもチームに属している。参加者から、「このチームは叙勲ものだね」という声が上がっていた。

 まあ、そういう明るい話題もあったが、たいがいの話題は病気のことだ。どこが悪い、ここが悪いという話で盛り上がるのが、老人グループの特徴でもある。そうだよね、卒業してぼつぼつ10年になるので、傘寿を迎えた人も何人か出てきた。まあいつまでも元気で、この仲間の絆が長く続くことを祈るばかりだ。

Sdscn1144  この一泊旅行のメーンイベントは、毎年のことながらカラオケ大会である。例年は宴会場でのカラオケ大会だったが、今年はカラオケルームを用意してあった。ここでも活躍しているのが、安来節同好会のメンバーだ。長崎生まれのMatsuちゃんの「長崎物語」がよかったね。私はこのところカラオケとはとんとご無沙汰していたが、歌わないのもなんだと思い、「城ケ島の雨」を初めてのことだが歌った。このクラスは、本当に宴会好き揃いだ。2時間のカラオケタイムは途切れることがなかった。

Sdscn1159

 翌日は、朝食後ホテルのバスで「油壷マリンパーク」に行き、アシカやペンギンのショーを見物してきた。それにしても、ぐるりと回っている魚槽の餌付けショーは迫力があった。ノコギリザメを見たのも初めてだった。

 自宅に帰ってきたのが午後4時半頃で、このくらいの旅行が楽で良いね。

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