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2019年12月

2019年12月31日 (火)

№4390 川崎の姉のお見舞い

Sdscn1686  川崎の姉が、年末ぎりぎりだが入院したという。お見舞いに行ってきた。病院は、田園調布駅の目の前にある「田園調布中央病院」だ。姉の娘のMaikoと時間を合わせて、病院で会う手はずを整えた。自宅からは車で1時間半ほどだった。

 姉は12月に入ってから高熱が続き、食欲をなくしていたようだ。風邪だろうとしばらく静養していたが、一向に熱は下がらなかった。この間食欲がわかず、食べない日が続いていたようだ。近くには娘が住んでいる。毎日のように見舞いに出かけていたようだが、一向に食べる気がしないという。このままだと栄養失調になってしまう。

 姉の息子は、千葉で医者をやっている。急遽駆け付けて、点滴を打って行ったようだ。それでも食欲は戻らない。近くの大病院に診察に行ったら、老人特有の軽い誤嚥性肺炎だという。娘がその病院に強く入院を要請したが、年末でもあり軽い症状なので入院の必要はない、と断られたようだ。ただ、このまま食欲なしで自宅にじっとしているわけにはいかない。息子の知り合いの病院というので、この病院に入院できた。

 一週間から10日の間の入院だそうだ。横浜の姉はすでにお見舞いに出かけたようで、私も見舞いに行こうと出かけた。病院は、本当に田園調布駅の目の前だった。ただ、相当に古い病院だ。

 病室に見舞いに行ったら、姉は思っていたよりも元気だった。食欲がなくしばらく食べていなかったからさぞや痩せただろうと思ったが、そんなこともなく顔もふくよかだった。ただ、相変わらず食欲はなく、何も食べられないと言っていた。差し入れの食べ物にも、ほとんど手を付けられていなかった。

 私は自家製の沢庵を差し入れたのだが、どうもやはり喉を通らなったようだ。持ち帰ろうかと言ったら、食べる訓練をするから置いていくようにとのことだった。

 この病院から弟のお墓まで5㎞と近い。帰りにお花を買ってお墓に供え、お参りをしてきた。

【12月30日の歩行記録】1,768歩 1.2㎞

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2019年12月30日 (月)

№4389 ブログの通巻数が狂っているよ

 さて今年もわずかだ。このブログもほぼ毎日更新しているはずだ。一体今年は何を書いたのだろうか、検証してみることにした。ところが、今年の1月1日は№4033号で、この12月30日号で№4290となっていた。あれおかしいな、わずか267号しか書いていなかったのかな。

 管理ページの「記事一覧」という欄で、今年の記事をさかのぼってみた。6月ごろに100号間違って通巻ナンバーが付けられているのが分かった。訂正はそんなに難しい仕事ではなかったが、ただ200号もさかのぼって一号一号訂正していく必要がある。この暮れの忙しい時に、各ページを開いて訂正するのにはえらく手間暇のかかることだ。とりあえず50本ほどの記事の通巻ナンバーを訂正した。

 記事の通巻番号は、私のブログにとっては大切な情報だ。ほぼ毎日記事を投稿している私にとって、一号一号が私の生きて来た歴史だ。今号が№4390号ということは、このブログを始めたのが2008年1月22日だから、ほぼ12年弱の生活の記録である。しかも4390日ほど、ほぼ欠けることなく書き続けてきている。もちろん、褒めてくれる人など誰もいない。

 しかし、秘かに自分で自分を褒めたいと思っている。そもそも私は飽きっぽい性格で、何事も長く続いたことはなかった。今から考えてみても、そんな出来事が私の人生には数々あった。ところがこのブログは続いている。何が要因なのだろうか、考えてみた。

 この「ブログ」というSNSの情報発信の仕方が、私にぴったりだった。特に、写真が貼り付くのがいい。この12年間、あの日は何があったのだろうか振り返る機会が多くなった。このブログで見ると、たちどころにその日の記事が読める。このブログには私のすべてを書いているわけではないが、当該記事を読むとその周辺のことも思い出す。

 歳をとって、物忘れが激しくなっている。その朝の出来事さえも、立ち止まって考えてみなければ忘れてしまっている。その中で、このブログの4400号弱の記事は、私の生きてきた証しであるし宝だ。

 それにこのブログの何よりいいのが、私と人生を共有する読者がいることだ。読者がいなかったら、このブログは続かなかっただろう。そんな多くではなくとも、毎日最低100人以上の人がこのブログを訪問してきてくれている。読者の顔は見えないが、多分毎日訪問してくれている固定読者がそのうちの3分の二くらいではないだろうか。

 時々「シンさんのブログを読んでいますよ」と思わぬ人に声をかけられ、驚くことがある。ああ、こういうところにも読者がいるんだと嬉しくなってくる。私のブログは生活記録で、別にびっくりするような出来事があるわけでもない。毎日の生活を淡々と描いているだけだが、そんなつまらないブログでも足を止めてくれる読者がいるのは嬉しいことだ。

 まだしばらくはこのブログは続けるつもりでいるが、今後とも応援をよろしくお願いしたい。

【12月29日に歩行記録】9,224歩 6.2㎞

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2019年12月29日 (日)

№4388 変貌する日本橋界隈

 昨日の記事の関連になるが、私が行った映画館は「TOHO CINEMAS日本橋」だった。この日は、午後3時半から会議があって、その前に映画を観ておこうと早めに自宅を出た。映画館は混んでいるだろうと予測し、なるべく空いている映画館と、ネット検索をした。日本橋に新しい映画館ができていた。ここならまだ知られていないだろうと思い、この映画館に行きチケットを購入した。上映1時間ほど前だ。

Sdscn1684  時間があったので、久し振りに日本橋界隈を散策してみた。日本橋の三越周辺は大きく変わっていた。何が変わったかというに、「CORED室町」というビルが4棟も建っていた。しかも、それぞれのビル内に特色の違った物販店があった。

 このビル群の一棟に、わが友しっしーが社長をしている会社がある。その店を訪ねてみたが、彼はまだ出社していなかった。レジに立っている男性店員は私のよく知っている人だった。彼に声を掛けたら、「シンさんのことはOgiさんから聞いていて、よく知っていますよ。那須のOgiさんちの近くに別荘があるんですってね」と言っていた。彼に名刺を渡して、しっしーによろしくお伝えしてくれるようにお願いしておいた。

Sdscn1681  私がこの際見ておきたいと思ったのは、新しくこのビル群に入ったという台湾の書店だ。「誠品書店」といって、広いスペースの書店だった。ただ、この広いスペースにもかかわらず、客はパラパラだった。あとである人にこの店のうわさを聞くと、この店は本を売るというより台湾の物品販売に力を注いでいるので、客は入っていなくてもいいのだという。それにしても、長続きするのだろうか。

Sdscn1682  さて、映画が始まる40分ほど前だ。どこかで昼食を摂ろうかと店を探していたら、「吉」というレストランが目に入った。そう、この店は高校の先輩で、プロ野球で完全試合もしたことのある方の店だ。本人はお亡くなりになって久しいが、奥さんが店を切り盛りしているようだ。私も何度かこの店で宴会をさせていただいた。久し振りにこの店で昼食を摂ろう。

 昼食後、奥さんに私は御主人の後輩で何度かこの店で宴会をしたと話したら、たまたま手に持っていた蜜柑をいただいてきた。

【12月28日の歩行記録】9,363歩 6.3km

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2019年12月28日 (土)

№4387 50年目の『男はつらいよ』

Sdscn1685  この日上映が始まった『男はつらいよ お帰り 寅さん』を観てきた。この日は初上映で映画館は混んでいるだろうと思い、早めに目的の映画館に着いた。チケットは券売機で買えたが、買った時点ではそんなに混んでいなかった。ところが、上映が始まってみると満員になっていた。

 今年は、「男はつらいよ」の初上映が始まってから50周年になるという。主演の渥美清が亡くなったのが1996年だから、すでに23年たっている。この間、絶えずテレビで「男はつらいよ」のリバイバル放映がなされている。それほど人気のシリーズが、新たに作られたというので興味が湧いた。今まで作られたという49本のうち、私は半分ほど観ているかな。

 今回新作を観て思ったのは、皆さん年を取ったなという感慨だ。助演の倍賞千恵子は78歳、かつてのマドンナ浅丘ルリ子は来年で80歳になるという。さらにゴクミのあだ名で呼ばれた後藤久美子は45歳、ちなみに監督の山田洋次は88歳になる。当たり前のことだが、唯一年をとっていないのが寅さんというのも皮肉だね。年齢は余計なことかもしれないが、この映画を観て50年という年輪の深さを強く感じた。

 この映画は、前49作を隅々までよく知っている山田洋次監督でなくてはできなかった映画だ。しかも良かったのは、単なる懐かしいリバイバル映画で終わらせなかったことだ。きちんとした筋の中に寅さんを浮き上がらせる、観ている観客に映画が始まってから目を離せない、飽きの来ない話になっていた。脚本家でもある山田洋次の周到さを伺えた。

 今回の主演は、さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)の間の子満男(吉岡秀隆)だ。ストーリーの主要な部分に寅さんが浮き出て来ていた。寅さんは懐かしい感じというよりも、ストーリーを動かす役としてだ。やはり、この映画の主演は寅さんだったのだ。

 たくさんのエピソードもちりばめられていた。一時、寅さんはリリー(浅丘ルリ子)と同棲し、結婚する寸前まで行ったらしい。最後の一歩を踏みだせない寅さんの前を、後ろ髪を引かれる思いで去って行ったリリーのエピソードが描かれていた。

 2時間余りの映画だったが、私は画面に吸い付けられるように観た。隣で見ていた女性は、ハンカチで涙を抑えていた。年末に観たとっても良い映画だった。

【12月27日の歩行記録】13,601歩 9.1km

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2019年12月27日 (金)

№4386 今年も年賀状を出す

 女房が「もうやめたら」というのにもかかわらず、今年も年賀状を書くことにした。ある友だちが、「そんなに手間暇がかからないなら、年一回のことだし、私は年賀状はやめない」と言っていたのを思い出した。

 ただ、最近は欠礼のハガキが届くことも多いし、年賀状仕舞で「今年を持って、年賀状をおしまいにします」という人からの便りも届くようになった。欠礼のハガキを見て驚いたのだが、以前一緒に仕事をしていた同僚が亡くなっていた。まあ、会社を辞めて13年にもなると、お通夜や告別式の連絡もなくなるものだね。

Photo_20191226095501  年賀状作成は、そんなに手間暇はかからない。ネットから画像を取り出し、貼り付ける仕事はお手の物だ。ただ、問題はデザインだ。一応出来た年賀状の素案をデザインにうるさい女房には見て貰った。「まあ、良いじゃないの」という軽い返答が帰ってきた。年賀状に何か写真がほしいと探して、今年の11月のタイ旅行で撮ったビーチの私の裸写真を貼り付けた。これだけは女房に不評で、「お正月早々、貧弱な裸の写真を見るのは気持ち悪い」と言われてしまった。

 年賀状の住所録は、筆王データにしまってある。「年賀状住所録」を改めてみたら、260人の登録があった。この方に全部に出すわけではない。ひところは200枚ほど出していたが、昨年から減らし150枚ほどにした。さらに、今年は必要最低限の方に出すことにして、100人に絞った。

 画像印刷や住所印刷はプリンターがやってくれるので楽だ。あっという間に年賀状ができた。このまま出してもいいのだが、必要最低限の人にだけは手書きのコメントを入れた。年末の一つの仕事が終わって、ヤレヤレだ。

【12月26日の歩行記録】7,796歩 5.2㎞

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2019年12月26日 (木)

№4385 恒例のクリスマスゴルフ

Sdscn1669  もう何年になるだろうか、今年も恒例のクリスマスゴルフをした。いつもプレーしている【オリムピックカントリークラブ レイクつぶらだコース】では、クリスマスの期間は特別にスウィーツやワインを無料でサービスしてくれる。その無料サービスを目指して、この日にゴルフをしている。前回はガラガラだったが、この日はこの無料サービスのせいか、ゴルフ場は混んでいた。前回4時間でラウンドしたのだが、この日は6時間もかかったね。この日は、従業員もサンタの格好をしているのが面白い。

Sdscn1667  ゴルフには、天気が大いに左右する。前日の天気予報では、雨は降らないが雲の多い日とのことだった。ところが、プレーを始める時点では雲一つなく、快晴だった。風もなく、絶好のゴルフ日和だ。このゴルフ場からは、日光の男体山や上越の山々がよく見える。この日、このゴルフ場で初めてプレーするNagaokaさんは「景色の良いゴルフ場ですね」と感激していた。

Sdscn1666  さて、今年最後のゴルフでまっきぃはあわやホールインワンを達せいするところだった。スタート直後の2番ショートホール、彼のボールはピン脇10㎝ほどのところにつけた。もちろんニアピンで、バーディを獲得し、オリンピック獲得ポイントは6点だった。どうせならホールインワンだったら良かったのにね。前回はほとんど取れなかったオリンピックポイントを、まっきぃは独り占めだった。

 とはいっても、まっきぃも決して調子が良いわけではなかった。午前の上がりのロングホールで、私はめでたくパーで上がったのに、彼は9打も叩いていたね。何でも、彼は風邪を引いて4日も寝たきりだったらしい。同じく、Masaoちゃんも決して調子はよくなっかった。ドライバーは相変わらず絶好調だったが、2打目にアプローチ、それにパットが全然ダメだったね。いつもは決まっている2~3mのパットもことごとくはじかれていた。まあ、こういう日もあるね。

 私のゴルフだが、この秋に買ったウッドのフェアウェーウッドが大成功だ。買ったのは3番、5番、7番とユーテリティの6番と7番ウッドだ。使っているのはほとんどがユーテリティの6番だ。そのクラブは、150ヤードほどをほとんど間違いなく真っ直ぐ飛ぶ。大変な武器である。ドライバーで他者に置いていかれていても、このクラブで追いつくのが有り難い。ほとんど2打は、このクラブで打った。結果として、スコアはそんなに崩れなくなった。あともう一歩だね。

Sdscn1670  お昼は、恒例の大ご馳走だ。赤白のワインは飲み放題、それにケーキをはじめスウィーツは食べ放題だ。貧乏性の私は、この時とばかりに赤ワイン2杯、白ワイン1杯を飲んだ。ウェートレスが、「いくら飲んでも構いませんが、午後のプレーに差し支えないようにほどほどにしてくださいね」と言っていた。それでも、皿一杯にケーキを食べた。いけね~、糖尿病だったんだ。

 今年のゴルフはこれで終わりだ。このブログで振り返ってみると、今年は14回プレーした。ひところは年に50回もプレーしていたが、ずいぶん減ったものだ。来年は20回くらいはプレーしたいね。

【12月25日の歩行記録】11,245歩 7.5km

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2019年12月25日 (水)

№4384 かかりつけ医に健康相談

 すでにご報告のように、11月下旬に健保の診療所で今年の健康診断を受けた。その検査結果が自宅に送られてきた。その診断書を持って、駅前の病院のかかりつけ医に相談に行ってきた。「かかりつけ医」と自分で勝手にいっているけれど、その先生は駅前の大きな病院の医院長である。ただ、いくたびに気さくに相談に乗ってくれる40代の若い医者だ。

 前回、この病院に行ったときにはこの先生は休診で、別の医者に診てもらった。そして2週間の糖尿病の薬をいただいてきた。その薬が切れたので、矢張りかかりつけ医に行くことにした。この先生は人気が高いらしく、2時間も待たされた。

 順番が来たので、診てもらうことにした。私が持って行った今年の健康診断書をコピーした。そして、矢張り相談は糖尿病の件だ。「皆さん軽く見ているかもしれませんが、糖尿病は恐ろしい病気ですよ。特に怖いのが合併症です。失明したり、透析しなければならなくなったり、ついには命を落としてしまう方もいる生活習慣病ですね」と言っていた。

 前にもこの先生に血液検査をしてもらっていたのだが、その時点では糖尿病の境界領域で、しばらく様子を見ましょうと言われていた。けど今回の検査結果を受けて、「本格的に糖尿病の対策をしましょう」と言われた。まずは食事療法、次には運動をする、そしていま飲んでいる薬をきちんと飲み続けることだ、と言われた。そして薬の処方は6週間、42日分だった。次に来た時には、再度血液検査をするとのことだ。

 「HbA1cが上がっているのも問題だが、この数値は3か月間の血糖数値の平均値なので、むしろ一時的に血糖値が下がるよりもこの数値が下がらなければ、問題の解決にはなりませんね」とのことだ。

 いずれ、いま飲んでいる薬も血糖値が下がるまでで、下がった時点ではやめてもいいとのことだった。糖尿病以外でも、気になることの相談をした。一つは血圧のことだし、もう一つは眼底検査の結果だ。私の血圧は低すぎて、Fランク(要継続治療)だ。それもそのはず、血圧を下げる薬を飲み続けているのだ。先生は、「下がる原因がわかっているので、問題はないでしょう」と言っていた。

 また、今年初めてだが、眼底検査の結果がBランクになった。これも先生に言わせると、「糖尿病の診断が出たので、自動的にBランクになったもので、先ずは血糖値を下げることが優先課題」と話していた。本当に親切に相談に乗ってくれるので、ありがたい。

【12月24日の歩行記録】11,288歩 7.6㎞

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2019年12月24日 (火)

№4383 水道栓を閉めて帰る

 さて、今回の那須滞在は3泊4日だった。前日に向かいのOhnoのお父さんが那須にやってきた。「自宅にいる場所がないので、那須に逃げてきたよ」と話していた。伊奈の自宅では、毎年年末恒例の「あら草かしら」の展示会が始まった。この時期には、いつもお父さんは那須に退避している。お父さんに沢庵一本を届けた。

 お父さんは、前回那須を去る際に水道栓を閉めて帰ったらしい。顔を出したら、まだ水道栓を開けていない、と話していた。沢庵は、Matsukawaのお母さんにも届けておいた。そういえば、女房が「もう自在荘の温泉には行かない」と宣言していた。今まで500円だった入湯料が700円に値上げされたらしい。とはいっても、自在荘の温泉は良い。久し振りに自在荘に行ってみた。料金は500円だった。フロントに聞いてみたら、「料金は値上げしたことはありませんよ」と話していた。

 さて、自宅に帰るとしよう。次回那須に来るのは1月下旬になるだろうからと、水道栓を閉めた。那須が一番寒いのは、1月下旬から2月にかけてだ。前日の天気予報をみて、明け方に雪が降るかなと覚悟をした。晩から明け方にかけて雨は降っていたが、雪にはならなかった。朝起きたときには、すっかり晴れあがっていた。ただ、山を隔てた奥日光では30cmほどの雪が降ったらしい。

Img20191223125952  以前も話したことがあるが、帰りは道の駅「しもつけ」に立ち寄ってお昼ご飯を食べるのを常にしていた。ちょうどお昼頃に道の駅を通るからだ。ところが、最近はこの道の駅をスルーしている。この道の駅から30分ほど行ったところに「佐野ラーメン」の店がある。この店のラーメンが好きで、お昼はここで食べることにしている。

Img20191223125203  単純でさらっとして、トッピングのほとんどない醤油ラーメンが美味しい。今回もこの店のラーメンを食べて帰ってきた。

【12月23日の歩行記録】7,816歩 5.2㎞

 

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2019年12月23日 (月)

№4382 再度白菜を漬けよう

 11月に那須に来た時に漬けた白菜だが、自宅に持ち帰ってすべて食べてしまった。那須は野菜が安い。お正月用に、再度白菜を漬けようと思った。スーパーでは、大きな白菜が一個150円弱だった。2個買って来たが、半分は鍋用に使った。残りの一個半を漬けることにした。

Dscn1664_20191223075501  白菜を4分の一に切って、水洗いをした。洗った白菜は、ウッドデッキに半日ほど干した。半日ほどでカラカラになった。

Dscn1663  さて、漬物に大事なのは塩加減だ。まずは昆布を小さく切った。さらに鷹の爪も切った。それに、柚子を包丁で皮だけを削って入れた。本当は塩をブレンドするのに白菜の重さを計ったらいいのだが、今回は適当にボールに入れてかき混ぜた。前回の塩は3%だったが、塩っ辛い漬物は女房に敬遠される。少し抑えめにした。

Dscn1665  漬物樽は、埼玉の自宅から持ち帰っていた。その樽をきれいに洗った。その樽にビニール袋を敷き、底にさらに塩をサッと振った。樽に、干した白菜にブレンドした塩を振って漬けていった。慣れたものである。漬けた白菜は、埼玉の自宅で重石を載せて漬けるつもりだ。ちょうどお正月に食べごろになるだろう。

 今回は沢庵も持ち帰るから、帰りの車は漬物樽で一杯になった。

【12月22日の歩行記録】7,847歩 5.3㎞

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2019年12月22日 (日)

№4381 那須は寒いぞ

 那須は本当に寒い。車を降りた途端、頬のこわばりを感じる。道を行きかう人ごとに「寒いですね」と挨拶をかわす。「あるるのいえ」での暖房は、ストーブと床暖房と炬燵だ。それだけでは寒いが、仕方がない、コタツの中に包まって寒さをやり過ごす。

 寝るときには、毛布を二枚掛け、その上に布団二枚掛けた。しかもズボン下を履き、靴下を履いて寝る。パジャマは、横浜の姉からプレゼントされた超厚手のものを着ている。さすが夜中に足が火照って、靴下を脱いだ。さらには重くって、掛布団一枚を剥いだ。

 なぜそんな思いをしてまで那須に来るのか。なんといっても、那須に来ると静かな環境を確保できる。埼玉の自宅でも静かなのだが、那須はまた別物だ。自宅では基本的に三食は女房が作っているが、那須では自分でせざるを得ない。この三食作りも、そんなに嫌なものではない。さて、今晩は何を食べようか、考えるものなかなか良い。

Dscn1660  朝起きてみたら、車にうっすら雪が積もっていた。今年の初雪ではないだろうか。そういえば、例年はいつもはこの時期にスタッドレスタイヤに履き替えているが、暖冬に良いだろうと履き替えていない。さて、今冬は履き替える必要があるだろうか。

【12月21日の歩行記録】6,095歩 4.1㎞

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2019年12月21日 (土)

№4380 今年最後の那須行

 さて、今年最後になるが、那須に行くことにしよう。いつもそうなのだが、那須に行くときには車いっぱいに荷物を積んでいく。那須に行くとなると、女房は玄関一杯に荷物を積んでいる。不思議なことに、山のような荷物も車に入れることができる。今回の荷物は、いつものように空のペットボトル7箱、家庭内のゴミ4箱、空になった漬物樽、食べ物を入れた保冷箱等だ。

Dscn1656_20191221081701  これも、いつものように国道新四号線を通っていく。この日は天気が良く、快適なドライブだった。この道は、関東平野のど真ん中を走る。360度のパノラマだ。道路の右手に見えるのは筑波山だ。いつになく麓までよく見えた。この筑波山を眺めながら、いつも登って見たくなる。幸い、来年度の東京シニア自然大学NEXT講座に筑波山訪問が入っている。私はこの景色を見て、希望を出した。

Dscn1657_20191221082201  また道の左手に見えるのが、日光連山だ。その連山の真ん中にあるのが、男体山だ。頂上付近は雪で白くなっていた。日光にもついに冬が来たようだ。那須には、予定通り3時間で着いた。この日はガス会社の定期点検があり、午後3時過ぎに点検員が来るはずだ。今回の那須訪問には、点検の立ち合いがあった。

Dscn1658_20191221082901  さて、那須に着いて最初に見たのが、沢庵の漬かり具合だ。重石をとって樽をみた。糠の濡れ具合が少し甘かった。漬けてちょうど一ヶ月になる。一本樽から上げてみた。色は沢庵らしくちょうどいい。

Dscn1659_20191221083101  早速試食してみた。色といい、漬かり具合といい、ちょうどいい。食べてみたら、3%の塩もしょっぱくなく、うまい具合に漬かっていた。塩加減にうるさい女房も、この味なら合格を出すのではないか。

 ガス点検が終わったので、楽しみの温泉に行った。夜は、自宅から持ってきたハタハタを鍋にして食べた。美味しかった。

【12月20日の歩行記録】5,072歩 3.4㎞

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2019年12月20日 (金)

№4379 ハタハタの贈り物

 12月になるとどうしても忘れられない郷土の食べ物がある。ハタハタである。最近でこそスーパーで干物として売られていてだいぶ知れ渡ったが、以前は知っている人が少なかった。昔は冷凍技術が未熟で、すぐに傷んでしまうハタハタは、長距離輸送には耐えられなかった。

 ハタハタは、漢字で「鰰」あるいは「鱩」とも書き、12月初旬の雷が鳴るころに岸に押し寄せる。天気予報を見ていて、秋田沖で雷が発生すると、あ~ハタハタが来ているなとつい思ってしまう。私の実家は魚屋だったので、この時期に父は漁港にハタハタの買付に行っていた。朝6時ころに仕入れから帰ってくると、家族全員でハタハタのしょっつる鍋を囲んだ。

 その当時はハタハタが際限なく獲れ、車一杯に積んで帰ってきていた。最盛期には、ブリコの入ったハタハタがひと箱50円と、箱代にもならないと嘆いていたのを思い出す。その後、秋田ではハタハタの不漁が続いて、今では高級魚となっている。ひと箱50円のハタハタが、聞くところによると一匹300円もしているらしい。今昔の感がする。

 それこそ、秋田ではハタハタの様々な調理法があった。炭火焼はもちろんのこと、ショッツル鍋、味噌田楽焼き、鮨漬、塩漬け、南蛮漬け、マリネ、小糠で漬けるなどで長期保存をして、春までハタハタを食べていた。

Sdscn1652  先日もネットで調べてみたら、今年のハタハタ漁は不良を極めているらしい。とはいっても食べたいね。甥のIkuo君に電話をした。そしたら、市場でもハタハタをめったに見かけることがない、と話していた。まあ無理にはいわないが、出来るなら自宅に送ってくれるようにお願いをした。そしたら、小振りではあったが、ハタハタを送ってきてくれた。

Sdscn1655  このハタハタを見て、女房は「こんなに食べられないわ」と嘆いていた。小さなハタハタは、ほとんど名物のブリコが入っていなかった。ブリコはハタハタの卵で、以前はいくらでも食べられた。ぷりぷりした食感で、これを食べると秋田にも冬が来たなと実感できた。今回送ってきた箱の中には、ブリコがわずか2個入っていた。早速食べてみたが、なんだか生臭かった。

 夕食には、焼き物にして食べた。女房は食べないと遠慮していたが、私は一人で10匹も食べてしまった。新鮮なだけに、身離れがよく美味しかった。明日の晩は、ショッツルはないけど鍋に豆腐と葱を大量に入れて食べよう。

【12月19日の歩行記録】8,913歩 6.0km

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2019年12月19日 (木)

№4378 デジカメが壊れた

Img20191218093434_20191219091401  今年の4月3日の記事に、新たにデジカメを買った報告をした。買ったのはニコンのCOOLPIX A900という機種だ。私は、今までCANONのカメラやオリンパスのデジカメを使っていたのだが、ニコンのカメラは初めてだった。

Img20191218093456  デジカメは、主にブログ記事を書くのに撮った写真として使っている。絶えず身から離さずに、シャッターチャンスを狙っている。勢い、カメラの使い方は荒くなる。今回、このニコンのカメラの裏ブタのモニターを見る部分が壊れた。多分、ネジか何かが外れたのではないか。CANONやオリンパスのサービスセンターはいったことがあるが、ニコンのサービスセンターは初めてだ。

 ネットで調べてみたら、そのサービスセンターは新宿西口のエルタワーにあるという。サービスセンターに電話をしたら、「一度持ってきてみてください」ということだった。上京を機会に、そのサービスセンターを訪れた。

Img20191218114139  まだ買って9か月目のカメラだ。言ってみれば、新品同様ではないか。そのサービスセンターの係員が言うには、「モニターの支柱部分が破損していますね。取り替える必要がありそうです。ただお金がかかり、技術料が11,600円に部品交換代10,800円、計24,640円かかります。ただ、一年間の保証がありますので、買ったお店のハンコ付きの保証書かレシートがあると無料の場合があります」とのことだ。

 大概、こういう場合は保証書などすぐに捨ててしまっている。改めて自宅に帰って調べてみたら、空き箱はあったが肝心の保証書はなかった。ウ~~ン、どうしようか。もちろん、レシートなどもない。改めて修理に出すなら新しいデジカメを買った方が安いような気もする。写真を撮るには支障がないので、しばらくだましだまし使うとするか。

 今や、デジカメなどはやらない。ほとんどの方は、スマホ写真でブログ記事を書いているようだ。私も、これを機会にデジカメからスマホ写真に変えようかな。ちなみに、今回添付した写真は、スマホで撮ったものである。

【12月28日の歩行記録】16,867歩 11.3km

 

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2019年12月18日 (水)

№4377 定例句会

 毎月第三火曜日は、わが「伊奈桟雲の会」の定例句会の日だ。いつもの埼玉県民活動総合センター会議室で行っている。この日はうれしい出来事があった。先日「合同作品展」を行ったのだが、その作品展を見に来ていた女性が興味を持ってくれた。この日はお客様として参加していただいたのだが、どうやら経験者らしく俳号を持っていた。今月はお客様だが、来月から正式会員になるようにお願いした。

 そのお客様を含め、この日の参加者は10名だった。句会にとっては、これぐらいの人数がちょうどいい。一年を通してみると、何人かの出入りがある。メンバーにはなっているが、この半年ほど体の不調で欠席続きだったある会員は、来月からは会員名簿から外す了解を得た。

 この句会は、午後1時から5時までの4時間、びっしりと充実した時間を過ごす。先生のおかげで、慣れてダレた句会ではなく、緊張した句会となっている。一か月に一回のこの緊張感が何とも言えない。ややもすると、女性の世間話が会を覆いがちになるのだが、そういう雰囲気になると先生が「緊張」と声をかける。おしゃべりがピタッと止む。

Photo_20191218090201  毎月、兼題を含めた6句の提出だ。12月の兼題は「新米」だった。こういう具体的な兼題は、絵になりやすい。というのも、私が会報を作っているのだが、会報の表紙には次回の兼題の絵を載せる。画像はネット検索で取るが、良い画像が見つかった。

 さて、今月の句会だが、相変わらず私の作った句には票が入らない。反対に、仲間のTsukushiさんの句は人気だ。雑詠5句に兼題1句を選ぶのだが、私が選んだ雑詠5句のうち3句が彼の作った句だ。言い得て妙というか、彼の表現には独特の言い回しがあり、それが人気の基だ。

 一方、私の句はいい足りない部分がある。先生の手が入り、ようやくまともになるのが何時もの例だ。今月も私の句を紹介し、先生の添削句を2例紹介したい。

(原句)落葉踏み往時往還絹の道

(添削句)落葉踏み絹の道てふ古往還

(原句)窓揺らし北風強くコールドムーン

(添削句)北風(きた)吹くや窓一杯のコールドムーン

 例に挙げたように、添削句の方が圧倒的にいい。いつまでたっても上達しないのが、わが俳句だ。まあ、これにめげずに頑張ろう。

Photo_20191218091801  ところで、来月の兼題は「去年今年」だという。こういう抽象的な兼題は、画像になりにくい。ところが何でも出てくるのが、ネット検索の優れたところだ。「去年今年 画像」と検索してみたら、たくさんの画像が出てきた。この中から、来月の表紙になりそうな画像を選んだ。下記の画像で表紙を飾ろう。

Photo_20191218092001 【12月17日歩行記録】1,930歩 1.3km

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2019年12月17日 (火)

№4376 障子の貼り替え

Sdscn1644  以前からやいのやいのいわれていて、引き伸ばしていたことがある。一つは障子の貼り替えだし、もう一つはウッドデッキの塗り替えだ。自宅の前の家が二軒とも建て替えになり、大きな隙間ができた。以前は見えなかったわが家の二階が、向かいの道路から丸見えになった。その道路に立ってみると、二階の障子のボロボロが丸見えだという。早く貼り替えるように矢の催促だった。

Sdscn1643  仕方がない、年末も迫っているし、障子の貼り替えをするか。この部屋は女房の作業場になっていて、私の立ち入れない領域だ。ちなみに、わが家には私は寝室兼パソコン室一部屋だけだが、女房はこの部屋を含め三室占有している。私には不満はないのだが…。

 特に、南面に建てている障子は、階段で降ろすことができない。いったんベランダに出し、そこからウッドデッキに降ろすことになる。一人でできる仕事ではない。障子はこの部屋に二面と、下に一面あるが、この部屋はボロボロだったが、一階の障子はまだ新しい。この部屋の障子だけを貼り替えることにした。

Sdscn1645  外した障子は、道路に出して水道の水をかけて紙を剥がし、丸洗いをした。そして障子の桟が濡れていたので、しばらくは陽に乾かした。

Sdscn1648  この間、女房はもう一つの課題、ウッドデッキの塗り替えにかかった。ウッドデッキはペンキが剥げ、まだら色になって見苦しかった。ウッドデッキに載せていたものをすべてどけ、掃除をした。きれいになったところで、緑のペンキをローラーで塗っていた。あれだけ言われていたのに、取り掛かってみるとわずか30分ほどで終了だ。家中にペンキの匂いが立ち込めた。このまましばらく乾かすのだそうだ。

Sdscn1651  さて、一段落したところで障子を貼った。女房が買ってきた障子紙は、幅の細いものだった。これじゃ手間暇がかかってしようがないと、ワイドの障子紙を買いに行った。これで貼ると一発だ。桟にたっぷり糊をつけ、上から被せていった。障子貼りはあっという間に終わった。こんな簡単なら、もっと早くやっておくべきだったね。貼った障子に霧吹きをしたら、パンパンになった。部屋に新しい障子を立てたら、部屋の中がにわかに明るくなった。

【12月16日の歩行記録】11,551歩 7.7km

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2019年12月16日 (月)

№4375 大量のダブリ選書

 以前からお知らせしているように、私が読んでいる本は大半が市立図書館で借りてきたものだ。一度に10冊・2週間が限度だ。私は、絶えず10冊の本を借りてくる。選書は、私の好きな作家、時代小説、恋愛小説、面白そうな題名の本など雑多だ。ただ、私の好きな作家の本は、ほぼ読み尽くしてしまった。それがこのような現象に現れるのは、困ったことだ。

 12月上旬もこういうことがあった。いつものように10冊借りて自宅に持ち帰り、借りてきた本の登録をした。まずは表紙画像をカメラで撮り、Excelで管理する「読書ノート」に記録をつける。Excelのデータは優れもので、書名を登録した時点で、その本が既に登録されているかどうかがわかる。10冊登録したのだが、その内の6冊がすでに読んでいた。

Sdscn1522 Sdscn1521  癪に障るので、読んでしまった本がいつ読了になったのか調べてみた。例えば、佐々木譲の『回廊封鎖』は2015年の5月読了はまだいいとしても、小池真理子『死の島』は2018年11月と、1年前に読んだばかりの本だ。私の選書は、表紙を見て読んだかどうか記憶するのだが、どうも読んだことがあるような気がする本は、自宅に帰って登録するとほとんど読んでいる。

Sdscn1626  今回借りた10冊のうち、未読の本は4冊だけだった。その本も早々に読んでしまい、まだ返すのは癪と自宅の本棚から本を取り出して読んだ。たまたま、楡周平の本が5冊並んでいた。その中から『クーデター』を取り出して読んだ。奥付を見ると1997年、22年前の本だった。すでに読んでいるはずなのに、新鮮で以前に読んだ本だとはとても思えなかった。わが家には大量の小説がある。なにも読むものがない時には再読もありだね。

Sdscn1629 Sdscn1630 Sdscn1632 Sdscn1634  さて、図書館に10冊返し、改めて10冊借りた。なるべく前に読んだ本を借りるのは避けようと、慎重に選書した。自宅に帰って、借りてきた本の登録をした。なんと慎重に選書したはずなのに、今回も4冊の本がダブっていた。諸田玲子『風聞き草墓標』は2018年7月に読んでいたし、山本兼一『神変』は2014年10月、久間十義『刑事たちの聖戦』は2018年10月、堂場瞬一『執着』はなんと今年の9月の読んだ本だ。

 どうも堂場瞬一は、選書するのに苦手だ。図書館には堂場物がたくさん並んでいる。どれが既読でどれが未読なのかよくわからない。そして、これまで借りてきた本のほとんどが既読である。今度、堂場の読んだ本の書名をメモに書いて、選書に役立てたいと思うほどだ。今回借りてきた本は、お正月過ぎまで読む本だ。とにかく読むものがたくさんほしい。既読の4冊をすぐに返却し、さらに新しい4冊の本を借りてきた。

Sdscn1640  笑うなかれ、その内の1冊がすでに読んでいた。小谷野敦『馬琴綺伝』は2017年11月にすでに読んでいた。

【12月15日の歩行記録】7,589歩 5.1㎞

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2019年12月15日 (日)

№4374 心を入れ替えて歩こう

 ご存知のように、一週間ほど前からブログの文の末尾に【歩行記録】をつけるようになった。記録をつけはじめて、現金なことに歩行記録が伸び始めている。0に近い記録だと読者に嗤われると、意識しながら歩き始めるようになった。このブログの効用は、絶えず読者を意識していることにある。一日6,000歩が目安とあるが、まあ、10,000歩くらいは歩きたいと思っている。

 先日の東京シニア自然大学NEXTの講座の日は、さすが17,000歩ほど歩いている。しかし予定がない日は、今までは、部屋に籠りっきりでパソコンとにらめっこをしていた。しかし今では、一段落をすると外に出るようになった。糖尿病は生活習慣病といわれているが、根本的に生活を替えるには一週間や一年でというわけにはいかないだろう。長い目で取り組み必要がある。

 歩き始めるようになると、車に乗る機会は極端に減った。この3日間ほど、車に乗っていない。

Sdscn1624  自宅の前に見沼代用水が流れている。その土手に沿って「緑のヘルシーロード」という散歩道がある。この道は、利根川の取水堰から川口まで続いている。自転車のサイクリングロードにもなっているが、私のようにウォーキングをしている老人も多い。一日8,000歩歩くには、どこまで行く必要があるか計ってみた。宇都宮線の踏切往復で、目的の歩数は達成できそうだ。

Sdscn1625

 ただ、この「緑のヘルシーロード」の散歩だけでは平板だ。いろいろなバリュエーションを持つ必要がある。私のお気に入りは、隣駅まで歩いてゆき、帰りは電車に乗って帰ることだ。電車で帰るとはいっても、単純に自駅に帰って来るわけではない。目標は「電車読書」で、大概宇都宮駅まで行って帰って来る。往復2時間半か3時間だ。

 大宮に近い東大宮駅までか、宇都宮寄りの白岡駅まで歩く。東大宮駅までは約8,000歩だし、白岡駅までは10,000歩だった。お昼ご飯を食べてから家を出るときは白岡だし、午前中に家を出るときは東大宮だ。東大宮駅前には美味しいラーメン屋がある。そのラーメン屋を目指し、食べた後は電車で帰って来る。

 この日も、電車で終点の宇都宮駅まで行った。自宅に帰ってきたら午後5時頃だった。手がかじかんで寒かったが、うっすら汗をかいていた。この間200頁の本を読んで、電車賃は150円ほどだった。隣駅からの電車読書は、安いのもいいね。

【12月14日の歩行記録】6,016歩 4.0km

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2019年12月14日 (土)

№4373 来年度の講座出揃う

 以前、東京シニア自然大学の来年度講座の希望科目のアンケートがあった話をした。皆さんからの希望は、80数件もあったらしい。運営委員会で議論して、その中で実現しそうな講座を選定したらしい。その講座一覧表が送られてきた。なかなか魅力的な講座が揃っていたので、東京シニア自然大学の関連記事が続くが、今日はその紹介をしたい。

 「日帰り講座」が26件、「宿泊講座」が3件あった。スタートは3月25日の「江の島を学び歩く」で、4月に4件、5月2件で6月はまた4件と揃った。東京シニア自然大学の講座の基本は月2回、第2と第4水曜日のはずだったが、どうやらそれだけでは収まりきらないほど提案が豊富だったということか。

 前にもお話ししたが、私は3つの提案をした。春日部にある「首都圏広域放水路見学(地下神殿)」、筑波山の自然を訪ねる、尾瀬散策である。どうやらその3つとも採用されたようだ。東京シニア自然大学NEXTは、来年で7年になる。毎年20数講座を行ってきた。全部合わせると120以上にもなるだろうか。私のような一期生は参加してきたが、後輩で魅力的な講座に参加できてない人が多い。

 来年度講座を見ると、再度行うというのも多い。横須賀「小網代の森」散策も以前やったし、嵐山渓谷ハイキングなども以前に実施している。また、JALかANAの機体整備工場見学も満員で断られ、再チャレンジの講座だ。

 私が来年度企画でこれはぜひ参加したいと思ったのが、わたらせ渓谷トロッコ列車、文化と文学の本郷散歩、栃木市の「蔵の街」を歩く、佐原周辺の散策、アメリカ空軍横田基地沿いのアメリカンテイストの異国情緒散策である。宿泊講座でも、隠岐の島に行くと秋の尾瀬を歩く講座には参加したい。

 本人の了解なしに、私が講座世話人に指名されている講座が4件ほどあった。まあ提案者としてはしようがないが、①筑波山ハイキング、②首都圏広域放水路を訪ねる、③機体整備工場見学、④秋の尾瀬を歩くである。

 再来年2021年3月10日まで、予定はびっしりである。来年度もこの講座参加を中心に日程を組みたい。全部参加とはいかないかもしれないが、時間と暇がある限り参加したい。4月には、新たな第7期の参加者も加入する。どういう仲間が加わるのか、それも楽しみである。

【12月13日の歩行記録】10,278歩 6.9㎞

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2019年12月13日 (金)

№4372 池上本門寺

Sdscn1604  昨日の記事の続きである。昼食後、向かったのは池上本門寺である。私は初めて行ったのだが、何もかにもが素晴らしかった。結果として、この本門寺訪問がこの日のコースのメインになった。入口に差し掛かると、長大な階段が待っていた。池上会館からエレベーターに乗ると、この階段はパスできるらしい。しかし、東京シニア自然大学のメンバーでエレベーターで行く人などいない、という人がいた。

 当然、私もこの階段を上った。この階段は「此経難持坂(しきょうなんじざか)」といって、加藤清正が寄進したのだそうだ。一体何段あるのだろうか、数えながら上った。96段の石段だった。あとで説明を受けたのだが、石段には工夫がしてあって、下の段は高く、上に行くにしたがって低い石段になっているのだそうだ。

Sdscn1605  本門寺の大堂は大きく、立派な建物だった。このお寺の由来を読むと、日蓮が入寂したのがこの地だそうだ。日蓮宗の三大聖地のひとつだという。この大堂はコンクリート製だったが、空襲で元のお堂は焼けてしまったという。昭和39年に再建されたというから、先の東京オリンピックの年だ。 

Sdscn1607  このお寺は、徳川二代将軍秀忠の加護を受けたらしい。墓地には徳川家を始め、たくさんの大名の墓があった。このお寺の観光スポットにもなっているらしい。世話人が用意してくれた資料によると、紀伊・徳川家、熊本・細川家、前田家、加藤家などの歴代のお墓が納められていた。他にもたくさんのお墓が並び、大寺を思わされた。

Sdscn1608  この日の池上本門寺のもう一つの目玉が、ここの和尚さんが直接案内してくれるとのことだ。世話人にこのお寺の伝手があったのだろうか。どこに行ってもそうなのだが、ガイドがいるといないではものの見方がまるで違ってくる。この東京シニア自然大学は、出来るだけガイドを頼んでいるのがいい。大堂のいわれからこの寺にまつわる様々なエピソードマで紹介してくれた。

 その中で一つ印象に残った話をしたい。この寺の本尊は、もちろん日蓮である。戦時中、このお寺が戦災にあうというので、本尊の疎開を計ったそうだ。あらかじめ本尊用の防空壕を用意していた。いざその防空壕に本尊を入れようとしたが、どうやっても入らないのだそうだ。戦災が迫っている中、仕方なしに一般の防空壕に本尊を収めた。空襲が終わって見てみたら、本尊用の防空壕が直撃弾で完全に潰されていたのだそうだ。

Sdscn1611  さて、このお坊さんは、大堂だけではなく墓地の中も案内してくれた。墓地の中にある五重塔は、徳川秀忠の寄進になるもので、1608年に建てられたものという。秀忠が重篤な疱瘡にかかり、死地を彷徨った。ある側室がこのお寺で熱心にお祈りをして、生を取り戻したという。そのお礼にこの五重塔が建てられたらしい。

Sdscn1612  このお寺の墓地の呼び物が、力道山の墓だ。北野武や芸能人の篤志で建てられた、とあった。今の若い人は、力道山など知らないであろうが、われわれ世代には英雄だった。この力道山の経歴を見てみると、亡くなったのが昭和39(1964)年だという。やはり先の東京オリンピックの年で、池上本門寺大堂の再建なった年でもあった。

Sdscn1615  そして、この日のハイライトがお寺の秘庭「松濤園」拝観だ。この庭園は普段は入場できないらしく、年二回の開放日だけと言っていた。小堀遠州が作庭した庭園だそうで、こんもりした森に囲まれた素晴らしい庭だった。

Sdscn1619  この庭にはもう一つの売り物があって、江戸末期、江戸城無血開城を巡って西郷隆盛と勝海舟が会談したのがこの庭園だったそうだ。会談したという四阿は残っていなかったが、その石碑は立っていた。

Sdscn1617  しかも、この庭園は紅葉真っ盛りで、黄色に紅葉した紅葉は素晴らしかった。参加者は、このお寺の名部である沢庵やお饅頭をお土産に買って帰っていた。

Sdscn1622  この日は、蒲田駅前で「東京シニア自然大学忘年会」が行われた。なんと32名もの大勢が参加していた。

【12月12日の歩行記録】8,469歩 5.7km

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2019年12月12日 (木)

№4371 東急池上線を歩く

 私はもう55年も住んでいるが、それにしても東京で知らないところが多いのに驚く。東京シニア自然大学NEXTの講座で、東急池上線を巡る小旅行をした。この日の参加者は37名と、今年の開講講座では一番多かった。2~3日前の予報では雨模様だったが、普段の行いがいいせいか、一滴の雨も降らなかった。

Sdscn1577  集合場所は、池上線の五反田駅だ。私はこの池上線に乗ったのは初めてだった。この線は、五反田と蒲田を結ぶようだ。3両列車で、色はカラフルだ。参加人数が多かったということで、世話人はあらかじめ3班に色分けしていた。私は第2班で、12名の仲間と一緒だ。池上線の各駅は、全部かどうかは知らないが、木造のプットフォームの屋根だった。この屋根が、各駅の雰囲気を柔らかくしていた。

Sdscn1578  まず最初の目的地は、戸越銀座駅だった。わが班の世話人はあらかじめ研究してきたらしく、この戸越銀座の説明をしてくれた。00銀座というのは全国各地300か所ほどあるようだが、この戸越銀座がその走りだと言いう。全長1.3kmほどの商店街に400軒ほどの店が軒を並べているとの説明だった。軒並みコロッケ屋だったらしい。しかし、今ではそのコロッケ屋も3~4軒ほどに激減したという。コロッケ屋を覗いてみたら、朝の準備段階でまだコロッケは揚っていなかった。

Sdscn1582 Sdscn1581  戸越銀座温泉を経て、次の目的地は戸越八幡神社だ。入口で、またこの神社の由来を聞いた。入口の鳥居からみた神社は、参道の奥行きが深く、歴史を感じた。境内には、立派なお神輿が飾ってあった。9月には、盛大なお祭りがあるという。さて、この神社を出て向かったのが戸越公園だ。

Sdscn1591  この戸越公園は、旧細川家の下屋敷ということで、広々とした公園だ。都内には、大名屋敷跡が公園になっているところがたくさんある。この公園も、以前は今の七倍もある広い屋敷だったらしい。公園の真ん中には広い池があり、お母さんと子どもたちが日向ぼっこをしている姿がのんびりしていて、なかなかいい公園だと思わせた。

Sdscn1596  この日の予定は、世話人が描いたシラバスでは17000歩の予定だそうだ。一ヵ所で長く滞在してしていられない。この公園を出て、大井町線に乗り、旗の台駅で再度池上線に乗り換えた。目的地は洗足駅だ。駅から歩いて5分ほどのところに、「勝海舟記念館」があった。30分ほどこの記念館の見学をした。入場料300円だったが、この会から出た。

Sdscn1597  この記念館から歩いて3分ほどのところに、洗足池公園がある。この池のほとりのベンチで、昼食タイムとなった。広い池にはカモメが飛んでいた。この公園から海には近いのだろうか。土鳩も慣れたもので、食べている側に寄ってきておこぼれを狙っていた。この日は予定が詰まっているとかで、昼食タイムはわずか30分だった。

 昼食を終えて向かったのが池上本門寺だ。長くなったので、午後の話は次号でしたい。

【12月11日の歩行記録】17,632歩 11.8km

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2019年12月11日 (水)

№4370 11月に読んだ本

 このところ、私の日常生活の中心をなすのが『読書生活』である。本に対する思い入れもひときわ強くなったような気もするし、今では読書のない生活は考えられない。ひところ、「目がつぶれるほど本を読みたい」と思っていた時期があったが、つぶれるほどではないが、それに近い生活ができて満足している。

 例年、11月に海外旅行をしている。今年も上旬に9日間ほどタイ旅行を楽しんできた。私にとっての海外旅行は、別の側面でいっても読書旅行でもある。行き帰りの飛行機の中は集中できる読書空間だし、旅先のホテルではテレビも見ないし、夜遊びをするわけでもない。ほとんどがベットに寝転んで本を読んでいる。そのせいか贅沢な海外旅行では、例年11月の読書量は増えている。

 ただ、旅行鞄に主にガイドブックと文庫本を忍ばせていくのだが、本の重さは馬鹿にならない。今年も、重量オーバーで6000円の課徴金が課された。今回は、ガイドブックを含めて8冊ほどの本を持って行ったが、帰りの課徴金を恐れて読んだ本とガイドブックは部屋に置いてきた。4~5冊ほどだったろうか。結果として、この11月は14冊・5969頁の本を読了した。例月の一割ほど多い読書量だった。

 いつものように何を読んだのか列記し、2~3冊についての感想を述べたい。

恩田陸『蜜蜂と遠雷(上)(下)』(上)454頁(下)508頁 幻冬舎文庫 2019年4月

白石一文『光のない海』406頁 集英社文庫 2018年5月刊

池井戸潤『花咲舞が黙っていない』428頁 中公文庫 2017年9月

逢坂剛『墓標なき町』506頁 集英社文庫 2018年2月刊

馳星周『淡雪記』628頁 集英社文庫 2014年3月刊

浅田次郎『神坐ます山の物語』250頁 双葉社 2014年10月刊

久坂部羊『悪医』293頁 朝日新聞出版 2013年11月刊

佐伯一麦『山海記』262頁 講談社 2019年3月刊

門井慶喜『東京帝大叡古教授』459頁 小学館 2015年3月刊

佐々木譲『獅子の城塞』557頁 新潮社 2013年10月刊

内田康夫『萩殺人事件』488頁 光文社 2012年10月刊

伊東潤『吹けよ風呼べよ嵐』386頁 祥伝社 2016年3月刊

赤神諒『戦神(いくさがみ)』344頁 角川春樹事務所 2019年4月刊

Sdscn0999 本書は、2017年に「直木賞」と「本屋大賞」のダブル受賞した本である。前々から読みたいと思っていたが、単行本は分厚い二段組みで、手に取るのに躊躇していた。幸い文庫本が出たので、海外旅行に持っていく打ってつけの本として買った。上下合わせて960頁ほどの本だったが、(上)は行きの飛行機で、(下)はホテルのベッドで読んだ。

 ダブル受賞したからにはさぞかしや面白かろうと期待したのだが、意外と地味な内容の本だった。「芳ケ江ピアノコンクール」に出場した風間塵という少年を巡る話だ。彼の父親は養蜂家で、塵の周りにはピアノなどなかった。絶えず蜂蜜を求めて旅をする日常だった。そんな少年がなぜピアノなどと思ったが、塵の師匠故ホフマン先生が保証するピアノの天才だった。日常ほとんど練習する環境にないピアニストが、果たしてコンクールに出る資格などあるのだろうか。

 この文庫には、担当編集者のあとがきが付いていた。恩田陸は、この小説を書くのに大変苦労していたというのだ。しばしば締切が守れず、遅れに遅れた。多分、この小説をどう展開するのか、随分恩田は迷ったのだろうね。それがこんな大作に生まれ変わり、売れに売れた。小説というのは、分からないものだ。

 恩田陸は多作な作家だ。ただ、私が今まで読んで印象に残ったのは『夜のピクニック』だったな。「読書ノート」を繙いてみると10作ほど読んだと出ていたが、『夜のピクニック』以外は印象に残っていない。

Sdscn1441_20191208121001  浅田次郎の小説は、良い本とつまらない本が極端だ。ほとんど冗談だけで頁を埋めている本があるが、私はそんな本は嫌いだ。ただ、浅田の歴史をきちんと描いている本は面白い。例えば『蒼穹の昴』、『輪違屋糸里』、『王妃の館』などは夢中で読んだ。一概に言って、私は浅田のファンというわけではない。

 ほとんど彼の書評は書かないが、今回の『神坐す山の物語』は親近感を感じながら読んだ。舞台は、奥多摩御岳山の御師の家だ。私は東京シニア自然大学の講座で、何度も御岳山に登った。たしかに、神社の周りには「御師の家」がたくさんあった。家の看板には「00御岳講」と書かれていた。この御師の家は民宿かと思っていたが、講の人たちが親しく泊まる宿舎なのだ。

 私は知らなかったが、御師にはある神がかりな霊感を持っている人もいるようだ。この小説にも出てくるが、昔よく田舎で「あの人に狐がついた」などと噂される人がいた。御師のお祈りで、その狐を抜くお祈りがなされるという。懐かしい話だった。浅田の母方は御師の家系だったようで、実際、このような話があったのだろう。

Sdscn1432_20191208123701  このところ、友達のKatsuちゃんに勧められて、赤神諒の本をたくさん読んだ。赤神諒という名前はペンネームのようだが、私は新しい読者のせいか、赤神のことはほとんど知らない。ただ、今まで6冊ほど彼の本を読んだが、内容はほとんど大分の大友家にまつわる話だった。赤神には、何か大友と関係があるのだろうか。赤神は、経歴を読むとどうやら京都の人のようだ。なぜ大友にこだわるのかは知らない。

 大友の代表的な大名は、大友宗麟だ。宗麟は良君の側面とダメ殿さまの側面があったようだ。「大友二階崩れ」で殿さまになった宗麟は、君主になった当初は名君で通した。ただ統治が長くなるにつれ、女で身を崩し、最後はキリスト教に身を投じた。

 当時の九州は、そんなダメ殿を放置しておくほど甘くはない。南には島津が、東からは大内家後の毛利が耽々と北九州を狙っていた。いつでも大友に変わろうという勢いであった。宗麟が助けを求めたのは、豊臣秀吉である。九州を勢力図に収めようとしていた秀吉には、絶好の機会であった。

 今回の物語は、大友の随一の武将戸次鑑連(べっきあきつら)の話だった。大友家が弱体する中で、唯一連戦連勝していたのが鑑連であった。彼の出生は殺気なものだった。母親が切腹を命じられ、その死の間際に生かされた「鬼の子」が鑑連である。異様な顔をして生まれたが、剛腕でどの戦でも目覚ましい活躍をしていた。大友の「二階崩れの変」でも生き残り、力を蓄えていった。

 赤間の小説を読んで、大友の事情がよく分かった。そういえば、安部龍太郎に小説に『宗麟の海』というのがあった。2018年の1月に読んだのだが、これも面白かった。

【12月10日の歩行記録】10,563歩 7.1㎞

 

 

 

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2019年12月10日 (火)

№4369 病院で栄養指導を受ける

 以前、糖尿病で病院から栄養指導を受ける日にちが設定された話をした。その栄養指導のために、3日間の【食事記録】を書いてくるようにとのことだ。なるべく飲み会のある日を避けて、食事記録を書いて持って行った。その相談者は、5年間の血糖値の推移を見ていた。

 昨年までは境界領域だったのに、今年がピンと跳ね上がっていた。さらに問題なのは、HbA1c(どうやらヘモグロビンの数値らしい)の数値が高いことだ。この数値も昨年に比べて2.3ほど高かった。先日の大学同期会で、糖尿病の仲間が言っていたのは、「血糖値の数値は大したことはない。問題はHbA1cの数値なんだよ」と話していた。ただ、血糖値とHbA1cの数値はパラレルなのではないか。

 この日、持って行った食事記録を見ていた先生は、「糖尿病には、一日1800カロリー以下のの食事が必要なのだが、この記録を見るとそれ以下に抑えられていますね。食事のバランスも良いし、特に野菜の摂取量が多いのがいいです。ただ、出来るならアルコールを抑えてみたらいかがでしょうか」と話していた。

 私はこの10年ほど、晩酌に500mlの缶ビールを欠かしたことがない。しかし、このところ500mlの缶ビール一本飲むのがきつくなって、350mlの缶ビールに変えた。どうやらこの量がちょうどいいくらいだ。しかし、食事バランスがよく取れているのに血糖値が上がるのはなんでしょうか、と疑問を持ったようだ。

Sdscn1568  私には、その原因はよくわかっている。要するに運動不足が原因なのだ。今回新しくしたスマホには、歩行記録が棒グラフで出るようになっている。見てみると、一日1000歩も歩かない日が何日もある。またピーンと跳ね上がった日は、ゴルフをやっているか東京シニア自然大学の講座のあった日だ。圧倒的に運動量が不足していて、そんな沢山も食べていないカロリーなのだが、体が消化しきれていないのだ。

 その先生のアドバイスは、「①体重をもう3キログラムくらい減らすのと、②一日最低6000歩は歩く努力をしたらいかがでしょうか。食事の時も、まず最初に野菜を食べて、その後肉や魚を食べ、最後にビールを飲むように、食べ物の順序を替えてみてください」と言っていた。ただ、ビールは悪くて焼酎は良いなどということは決してないのだそうだ。アルコール自体が、血糖値を上げる要因なのだそうだ。

 この糖尿病は生活習慣病で、少しずつ直していかないと一挙によくなることはないのだそうだ。耳の痛い話を40分ほど聞かされて帰ってきた。そうだ、このブログ記事を武器にしよう。毎日ブログ記事の最後に、前日の歩行記録を記して反省材料としたい。因みに、全然動いていない昨日の記録は以下の通りだ。

【12月9日の記録】1220歩 817m

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2019年12月 9日 (月)

№4368 俳句作品展終わる

 このブログでたびたび書いているが、埼玉県民活動総合センターの一階展示会場で開かれていた《五句会合同の作品展》が、この日曜日に終わった。会期は8日間だった。展示には1時間ほどかかったが、撤収は早いもので、30分ほどで終わった。各句会から撤収のお手伝いが25名ほど集まっていたので、しまうのも早かったのだ。

 お互いの句会の交流は、【桟雲】の機関紙だけなので初めて会う人も多かった。わが伊奈桟雲の会のメンバーも、わが句会の顧問でもあるSenshuさんに初めて会うという人が何人かいた。Senshuさんは、わが句会がスタートしたときに、Yamahiko先生のアシスタントとしてお付き合いいただいた方だ。1年間ほどお付き合いいただいたが、句会が順調に行っているのを見て句会を卒業した。

 Senshuさんを知らないという方は、伊奈桟雲の会の比較的新しいメンバーだ。伊奈桟雲の会には来なくなったが、まだ3つの句会には参加していると話していた。今年の新年句会で初めてお会いして、それっきりという人もいた。あまりの懐かしさに、思わず声をかけた。せっかく知り合ったので、メルアドの交換をしようよ。

Sdscn1563  私は、この日女房が作ったジャケットを着ていった。手織りのジャケットで、私の定年祝いで記念に作ったものだ。ただ、あまりしょっちゅうは羽織らないので、女房はいらいらしていた。久し振りに着ていったら、これが句会の仲間に大評判だった。「あら、素敵なジャケットね。奥さんの作ったものですか。物凄く手間暇がかかっていますね」と声をかけてくれる女性が何人かいた。私にとっては珍しいものではないが。初めてみる裂き織の作品は、新鮮だったようだ。

Sdscn1566  せっかくこうやって集まったので交流会をしようと、埼玉県民活動総合センターの食堂でお茶会をやった。20数名の参加で盛会だった。ただ、この打ち上げの会が結構真剣な議論の場になった。まずはお互い自己紹介をした。そして、今回の作品展に対する反省会に移った。奉加帳に名前を書いてくれて人が140人前後、コメントを寄せてくれた人が何人かいた。会長が、コメントの一つ一つを読み上げてくれた。

 これを基に議論が始まった。というのも、今回は五句会だけの作品展だったが、来年は全句会参加の大作品展が同じ会場で開かれる。全部で13句会あり、その人たちが参加すると100数十人の大作品展になる。何月に展示会をやったらいいのか、会期を何日にするのか、今回の作品展で足りなかったものは何か等様々な意見が出た。

 作品展の撤収はわずか30分で済んだのが、この大反省会は1時間半も議論になった。

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2019年12月 8日 (日)

№4367 白菜漬けを食べる

 11月下旬に那須に行ったときに、沢庵を漬けた報告をした。沢庵漬けと同時に白菜も漬けた。そして、沢庵は那須に置いてきたが、白菜漬けの樽は自宅に持ち帰った。漬けた白菜は大玉二個で、1週間ほどで食べごろになる。

Sdscn1560 Sdscn1561  そろそろ食べごろと樽を開けてみた。水も上がり、美味しそうだった。早速ボールに取り、調理場に持ってきた。

Sdscn1562  包丁で食べごろに切り、食卓に載せた。味にうるさい女房も、「これは美味しい」と言ってくれた。毎晩食卓に載せているが、一度に載せる量は4分の一に切った白菜の半分くらいである。これでビールを飲むと最高だ。

 食卓に載せてもう4日ほどになるが、最初の内はぱりぱりして美味しかったが、だんだん塩味が勝ってしょっぱくなり始めている。白菜を漬けるのは簡単だ。今のを早く食べて、再度白菜漬けをしよう。

 ところで、沢庵はどうなっているかな。今月末に那須に出かけ、自宅に持ちけるつもりでいる。お正月は沢庵で一杯、と行くかな。

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2019年12月 7日 (土)

№4366 シロアリ消毒工事

 以前お話ししたが、わが家の床下にはシロアリがうじゃうじゃいることが分かった。このまま放っておくわけにもいかないと、白アリ防毒業者に消毒の依頼をした。この日はその指定日だった。約束の朝9時半に来た業者は、さっそく工事を始めた。工事の内容は、①玄関のコンクリート処理、②特殊穿孔処理、防腐防カビ処理、③基礎拡張、鋼製束補強が主な内容だった。以下業者が撮った写真をダウンロードして、皆さんにお伝えしたい。

Spc061350 Spc061357  まずは玄関のコンクリート処理をしていた。玄関のタイルにドリルで穴をあけ、薬を注入する作業だ。この作業は玄関だけでなく、外のタイルにも施した。さらに、玄関の板もシロアリにやられている形跡があった。この板にも穴をあけ、薬剤を注入していた。

Spc061360  さて、床下の消毒作業はどうだったのだろうか。納戸の部屋と玄関は、床の基礎で密閉されていた。まずはその基礎に穴をあける作業だ。この工事をほかの業者に見積もり依頼したら、一ヵ所のはつりに4万円、2か所で計8万円と出ていた。今回の業者は、2か所で18000円だった。いかに合い見積もりが大事かの証左だ。

Spc061372 Spc061368  そして、シロアリが出た個所に孔をあけ、薬の注入作業だ。シロアリが柱を食っている部分がたくさんあった。その一つ一つを潰していったらしい。シロアリにやられて腐ってしまった土台には、鋼製の柱を補強してくれた。この補強柱は、無料サービスと話していた。

Spc061374  床下は湿気がひどく、ビチャビチャしていたらしい。この湿気がカビを呼ぶ。昔、このあたりは田圃だったらしく、その水が床下に上がってきているのだそうだ。防湿材を床面全部に敷くと、別の業者は40~50万円と見積もっていた。今回は、防腐・防カビ剤を吹きつけてもらうだけにした。この薬剤のせいか、家の中は異様なにおいがした。業者が言うには、「カビで家が壊れることはありません。とりあえずはこの薬剤散布だけで大丈夫でしょう」と話していた。

Spc061347  最後に、ウッドデッキに薬剤散布だ。この散布もサーヴィスだそうだ。しかも5年間、毎年点検をしてくれるそうだ。なかなか良心的な業者だった。4時間半ほどの作業が終わった。とりあえずは、これで、しばらくはシロアリには悩まされないで済みそうだ。

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2019年12月 6日 (金)

№4365 今年の俳句ベスト5

 いま埼玉県民活動総合センターの展示場で、5句会合同の俳句作品展が開かれている。先日も報告したが、会期は8日(日)までである。その様子は報告したが、私が一体どういう俳句を作ったのかは報告していない。われわれが提出した句は、新年・春・夏・秋・冬の5句である。先日の忘年会で、Mochiちゃんから「俳句が上手になったね」という励ましに気をよくして、今日は私の俳句を紹介したい。

新年

小正月家家(やや)訪ふ鬼面の子どもどち

 私の田舎秋田では、小正月に子どもたちが鬼面をつけて、「泣く子いねが」と各家を回り、お餅やお菓子をいただく習慣があった。その情景を思い出して作った句である。

テラス台陶なる内裏雛(だいりびな)飾る

 わが家には手作りの内裏雛がある。春の一日、その内裏雛を出してウッドデッキに飾った。暖かな日差しを浴びて、内裏雛も気持ちよさそうだった。

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古墳径日傘に巡る一日(ひとひ)かな

 今年の夏、津軽を旅した。青森では竹ちゃんと一緒に三内丸山古墳を巡った。暑い日だった。ボランティアガイドについて歩いたのだが、そのグループに日傘を差していた女性がいた。一幅の絵になった。

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 津軽の旅では、俳句を26句ほど作った。そのうち10句を「津軽旅情の吟(うた)」として、『桟雲』の誌上に発表した。結構評判がよかった。ついでに、その発表した10句もここ載せておきたい。

海峡へ帽子吹つ飛び春北風(はるならい)

津軽路や十三(とさ)の湖畔の蜆汁

数万の海猫(ごめ)姦しや蕪島(かぶらじま)

梅雨晴れの雲間に覗く岩木山

白神や尾根に吹かるる山毛欅(ぶな)若葉

八甲田遭難の地とや若葉風

古墳径日傘に巡る一日かな

橅茂り五千年経し遺跡かな

滴りの幾筋ありや龍泉洞

津軽路や若葉の中を二千キロ

丸太稲架(はざ)撓(たわ)むほどなる重さかな

 この俳句も、30句の課題を受けて作った一句である。わが家の近くには広大に広がる田圃がある。刈入れ時に、農家の仕事を取材して俳句を作った。句材さえあればいくらでも俳句を作れると、自信を持った。

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行きつけの呑み屋や二合のおでん酒

 ある月、兼題に「おでん」が出た。私はサラリーマン時代、会社帰りによくいったおでん屋があった。店主はおばあさんで、秋田の出身であった。そのころは俳句は作っていなかったが、その店では毎月句会が開かれていた。まだ亡くなったとは聞かないが、おばあさんは元気だろうか。

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2019年12月 5日 (木)

№4364 「本郷会」忘年会

 年末のスケジュールを見ても私の忘年会の予定はそんなに多くはないのだが、「本郷会」忘年会が開かれ参加してきた。この会はもう何年になるだろうか、20年以上続く会である。旧業界の気の合う仲間が集まって、年2~3回の飲み会をやっている。昔は熱海旅行などもやっていたが、最近では一緒に出掛けることもなくなった。

  この日は本来の本郷会の地元、本郷の中華料理店で開かれた。飲み放題で3500円と格安だった。大半の人は、生ビールの後に紹興酒を飲んでいた。食べ物も豊富で、割安感があった。

Sdscn1543  永久幹事のYoda君に嬉しいニュースがあった。長い間独身を通してきたが、11月22日の「良い夫婦の日」を機に結婚することになったという。相手はコミケの仲間で、もう10年以上も付き合っていたのだそうだ。相手に「いつまで待たせるのよ」とせかされて、入籍することになったという。相手は漫画家というが、そういえば同じ日に壇蜜が漫画家と結婚していたね。

Sdscn1545  いずれ嬉しいことなので、みんなでカンパを集めお祝代わりとした。結婚の引き出物ではないが、フィアンセが描いたという漫画をみんなに渡された。

 この日は何時になく、16名と大勢が集まった。ネクタイを締めていた人が二人だったので、ほとんどの方は現役を引退している。それぞれ近況を話していたが、様々な生き方を楽しんでいるようだった。Oueさんは、明後日山梨に引っ越しして、田舎暮らしを始めるという。敷地は900坪ほどあり、イングリッシュガーデンにしているのだそうだ。「朝から晩まで草取りさ」というが、その敷地は大変だね。

Sdscn1549  この会にはスターがいる。旅名人の竹ちゃんだ。この日は、3月から7月にかけて歩いた「日本縦断の旅」について話していた。なにより驚いたのが、静岡の磐田市で寝袋で寝ていたら、夜中の2時ころに警官に職務質問でたたき起こされたことだという。なんと6人もの警官が立っていたのだそうだ。誰かが不審者がいると110番をかけたのだろう、と言っていた。

 彼は、旅の様子を逐一彼のブログで紹介していた。旅が終わるとブログ記事も終わるのだが、今でも毎日250アクセスもあるのだそうだ。旅の最中は、毎日600~700アクセスもあったというから恐れ入る。私のブログアクセス数は毎日100前後から、如何にすごいかがわかる。彼の旅ブログは格段に面白かったね。

 久し振りにMochiちゃんも参加していた。ありがたいことに彼は私のブログの愛読者のようで、「当初に比べて、俳句が格段に上手になったね」と話していた。彼は俳句に興味があるようで、一緒にやらないかとお誘いをした。まだ週に3日は会社に通勤し、週末は自治会の会長として大忙しのようだ。「まあ、暇になったら考えてみるか」と言っていた。

 Eimeiさんも久し振りの参加だった。お話を伺うと、しばらく有明の病院に入院していたという。そして、すっかりタバコをやめたという。私の前に座っていたHaradaさんもヘビースモーカーだったが、癌発見を機会にやめたのだそうだ。一日30本もっ吸っていたというから、もう手遅れじゃないのと脅かしておいた。

Sdscn1552  いずれもいい仲間で、楽しい忘年会だった。欲を言えば、皆さん現役引退しているのだから、午後7時開催などと言わず5時か6時にしてもらいたいものだ。とにもかくにも、次回までみんな元気でいようよ。

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2019年12月 4日 (水)

№4363 旧「男の料理教室」懇親会

Sdscn1533  8年間続いた「男の料理教室」だが、この3月に解散した。解散のときに、会長から「12月には懇親会をしましょう」という呼びかけがあった。なんとなくその呼びかけを聞いていたのだが、先日、律義にも「懇親会をやります」の案内があった。出席したが、8ヶ月ぶりの再会だった。会場は浦和駅近くのイタ飯屋だった。この会場は一度利用したことがあるというのだが、私は参加していなかった。

 参加したのは11名だったが、常連の2名の女性は欠席だった。一人は体の不調だそうだし、もう一人は旦那さんが寝込んでいるのだそうだ。皆さん私と同じ年代なので、日々体に変調を期する年になった。仲間は【いきがい大学】の卒業生なので、2011年の大震災の年の卒業でメモリアル・イヤーだ。

 話題は、この間に亡くなった仲間の事だ。各クラス2~3人が亡くなっていた。わがクラスでも、ブログ仲間のみっちぃが5年前に亡くなったし、先日高齢のYさんが亡くなったことが判明した。他のクラスでも、SさんやKさんの死亡を確認した。『死』が周りで現実のものだと思えた。

 会長のAkiraさんは、「男の料理教室が終わってから、ほとんどパソコンを開けなくなった。私の連絡は携帯にお願いします」と言っていた。絶えずパソコンを開けているのは、私とサンちゃんだ。サンちゃんは、私と同様にブログを続けている仲間だ。そういえば、ブログ仲間の松ちゃんはもうブログをやめたのだろうか。サンちゃんが言うには、「どうもブログではなく、他のSNSで情報を発信しているようだよ」とのことだ。そういえば、私はブログ仲間のブログを訪問することも、今ではほとんどない。

 Akiraさんは、明日からヴェトナム旅行に行くのだそうだ。彼も年一回の海外旅行を楽しんでいるようだ。前年は私の情報を聞いて、トルコ旅行を楽しんできたというし、私のブログを読んだのかどうかは知らないが、ぜひモロッコにも行ってきたいと話していた。そういえば、女房も先日「モロッコは良かったね」と話していたことを思い出す。

Sdscn1537 Sdscn1539  このイタ飯屋は、定番のピザやパスタなどが出たが、あまり美味しいということもなかったね。昼飯時だったが、飲んだ赤ワインだけは美味しかった。

 男の料理教室に一つの忘れ物がある。会が続いていた時に競馬場に行った。「次は競艇場ね」と約束していたが、実現していない。次回の男の料理教室は、競艇場で会いましょうと約束した。来年の夏ごろになるらしい。

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2019年12月 3日 (火)

№4362 つぶらだでの定例ゴルフ会

 もう2ヶ月も前に決まっていたゴルフの日だったが、絶えず気になるのが天気だ。前日も翌日も晴なのだが、当日だけが雨の予報だった。中止するか決行するか、頭を悩ます。前日の天気予報も、朝から夕方まで雨の予報だった。まあ、ゴルフ場に出かけて、雨なら中止にするか。

Sdscn1531  現金なもので、雨予報にゴルフ場の駐車場はガラガラだった。大半の予約者が、雨予報でゴルフを中止したのだろうね。着いた当初は、雨は降っていなかった。雨が降る前にスタートと、お陰でゴルフ場に着いてすぐプレーだという。私は1ヶ月半もクラブを握っていない。さて、クラブにボールが当たるか、半信半疑でボールを打った。前には飛ぶが、とんでもない当たりだった。

 このゴルフ場は、バンカーが多い。しかもこのバンカーは難しい。いつもはバンカーに入れないように打っているのだが、この日は1番ホールからバンカー突入だ。しかも、次のホールもバンカー入りして、バンカーの日だと嘆いた。練習不足もあって、クラブにボールが当たらないのだ。

 ただ、幸いなことに雨は降らないどころか、雲が高かった。しばらくは雨は大丈夫そうだ。途中で天気予報を見ると、横浜は激しく雨が降っているとのことだった。

Sdscn1530  クラブにボールが当たり始めたのは、OUTの6番ホールくらいからだ。パットも3パット、4パットを叩いていたが、感触を得たのはやはり6番ホールからだ。ようやくパーやボギーをとれるようになった。そして後半のINコースは、楽にボールを捕まえられるようになった。これを見ていたまっきぃは、「シンさん、矢張り練習不足だね。もう少しゴルフコースに出たら、往年の勘を取り戻すんじゃないの」と言っていた。

 雨の予報に、コースにプレーする人は少ない。OUTを珍しく2時間で回った。INも雨が降る前にスタートと、スループレーをすることになった。結局一粒の雨に降られることもなく、1ラウンドを4時間で回り、12時にはホールアウトした。いつもこういうゴルフなら楽しいね。

 同伴者では、Masaoちゃんのプレーがすごかった。スタートホールこそトリだったが、その後はバーデー、パーを連続して取って行った。もう手が付けられないね。4人での総握りなのだが、今日は潔く払おう。まあ、それでも上がってみたら、私のハンディが大きかったせいか100円の支払いで済んだ。

Sdscn1529  風もなく、雨が降らずに空いていたゴルフ場は最高だったね。山々の紅葉も、グンと進んでいた。次はクリスマスの日に同じゴルフ場でプレーする。

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2019年12月 2日 (月)

№4361 5句会合同の俳句作品展

 Yamahiko先生は、13ほどの句会を主宰している。そのうち、埼玉県民活動総合センターの近くで句会をやっている5句会が、合同で作品展を開くことになった。5句会は、「伊奈桟雲の会」「欅の会」「山水の会」「山茶花の会」「原市さくら会」である。会場は、埼玉県民活動総合センターの一階にある展示会場だ。会場費は無料だが、だだっ広い会場だけに展示の仕方が難しい。何度も世話人会で打ち合わせをしたようだ。

Sdscn1507  朝9時に会場に行ったら、すでに準備が始まっていた。私は、世話人の指示に従って準備作業に入った。パネル板が20枚ほど用意されていて、そのパネル板から鎖を下げるのだそうだ。なかなかうまく考えたものだ。その鎖に短冊掛のフックが用意されていた。

Sdscn1505  わが「伊奈桟雲の会」の会員は9名である。その9名分の鎖をかけた。さらに、二人の先生の分は別枠のパネルが用意されていた。その鎖かけもやった。他の句会の準備も着々に進んでいた。徐々に展示会場らしくなってきた。

Sdscn1508  どこもそうなのだろうが、俳句会は女性が圧倒的に多い。女性のきめの細かさが、展示会場のあちこちで見られるようになった。会場には生け花を飾り、庭で採れた野菜も飾られた。さらに、各句会は、新入会員募集のチラシも用意してあった。

Sdscn1515  一時間半ほどで、殺風景な会場はすっかり展示会場らしくなった。せっかくだから、参加者全員で記念写真を撮っておきましょう。この作品展は、12月8日(日)まで行なわれている。時間のある方はぜひ足を運んでください。

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2019年12月 1日 (日)

№4360 同期の仲間で飲み会

 2年半ぶりだが、同期の飲み会があった。このブログの良いところは、過去に何があったか検索できることだ。覚えているだろうか、2017年3月21日の記事に、「四国移住の友を送る」と書いたことがある。そして、この春も移住した友に電話をしてことを書いた。彼が四国移住してから、同期会をやっていない。その彼から電話があり、久々に上京するという。よし同期会をやろう。

 私のメールアドレスに10名ほどの同期の仲間が載っている。とりあえず彼らにメールを送った。メンテナンスをしていなかったので、古いアドレスもあるかもしれないね。早速、7名から参加の返事があった。多分メールを見ていないと思った2人には電話をした。案の定、一人はメールアドレスを持っていないといっていたし、もう一人は最近メールを開けていないといっていた。

 せっかく同期会を久し振りにやるからと、メール連絡のつかなかった7名には葉書を書いた。結局、この7名からは連絡が来なかったのは残念だった。最近メールを開いていないといったMaruyama君は、この2~3年、難病で寝たり起きたりの状態だったらしい。「それでもこれが最後になると思うから、何とか出席したい」とメールがあった。彼は、わざわざ長野から出席してくれるのだ。

Sdscn1500  結局、当日集まったのは9人だ。もちろん、四国からJojima君も出てきた。いや~、見事なことに皆さん病気持ちで、病気の話で盛り上がった。私の糖尿病の話をしたら、その程度の数値は何でもないと言ったのがHarada君。彼の糖尿病はもっと重篤らしい。癌を患っていた人もいたし、心臓病の不整脈に悩んでいる人もいた。古希ともなると、皆さん病気のデパートだね。

 病気と一切関係ないと話していたのが、わがクラスの紅一点Morikawa嬢と四国移住したJojima君だった。Morikawaは今でもヨガ教室をやっているらしく、週4回はその教室で教えているのだそうだ。

 ところで四国移住して2年半、Jojima君はどうだったのだろうか。彼の報告によると、現地で野菜ソムリエとして生徒に教えているのだそうだ。「生徒は老若67名もいて、実情は入学を断っている」のだそうだ。何の教室か聞いてみたら、栗おこわを作る教室だそうだ。小布施で学んだことを、栗おこわのない四国で教えたら、これが大反響だったらしい。

 そして昨年から取り組んでいるのが、アボガド作りだそうだ。八百屋で売っているアボガドは大概腐っていて、本物のアボガドのおいしさを知っている人はほとんどいない、とのことだ。アボガド作りは技術が要り、誰でもが作れるわけではないようだ。ただ、マンゴウはものすごく電気代がかかり、原価が高いものにつくとのことだ。27本の苗を植えたので、収穫は来年の秋と言っていた。四国移住を満喫しているようだ。

Sdscn1501  無理を押して長野から駆けつけてくれたMaruyama君は、やはり体調が悪いとのことで長野に帰るそうだ。そうだ、皆さんが揃っているうちに、記念写真を撮っておこうよ。撮影後、彼は帰って行った。

 大学卒業してもう50年になる。われわれ学生の時代が学園闘争が激しく、学校はほとんどロックアウト状態で、まともな学生生活は送れなかった。その分、旅行に行ったりアルバイトをしたりで、その思い出が深い。50年も前のあれこれが、昨日のように思い出されて話題になった。しかし考えてみると、何時も集まると同じ話題になるね。これも歳をとったせいかな。

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