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2020年3月 4日 (水)

№4455 那須と乃木希典

 先日、ある本を読んでいたら、乃木希典と那須には深い関係があると知った。もう忘れられている軍人だが、乃木希典は明治の軍人だ。明治天皇が亡くなった際、乃木夫婦は大葬後殉職した。それに感動して、全国には4か所の【乃木神社】が建てられた。那須にその一つの神社がある。那須に行ったら、立ち寄ってみようと思っていた。

Dscn1968  この日は天気が良かったので、那須の【乃木神社】に行ってみた。カーナビで約30㎞ほどだった 車で40分ほどかかった。入口には、この神社の由緒が書かれていた。それによると、乃木将軍は明治23年親戚に土地を譲り受けた。面積は農地3ヘクタール、山林10ヘクタールの広大なものだった。

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 乃木は、この神社の後ろに当たる場所に住宅を建て住んだ。乃木希典は、従軍中4年ほど休職して、この地に住んでいたようだ。彼の理想は、「晴耕雨読」だった。48か月にわたって住んでいたようだが、彼を田舎に閉じ込めていられるほど、世の中は平穏ではなかった。日露戦争が始まったのだ。乃木は、明治天皇に絶大な信頼を得ていた。乃木へ参戦の命令が下った。

 乃木は、この那須から旅順に行ったようだ。そこで203高地の攻略の作戦の中心軍人になった。有名な203高地攻略で、日本の軍人は7万人弱の死傷者を出した。この戦略を口酸っぱく批判したのが、司馬遼太郎だ。何ら工夫がなく、ただ力押しをしてあたら日本軍の犠牲を山積みしていったことに、「乃木は無能の軍人」と指摘した。一体に司馬は、長州人には批判的だった。乃木も長州人だ。この攻略では、乃木の二人の息子も犠牲になった。ここでは、乃木の是非は問わない。

Dscn1972  神社の後ろ側には鬱蒼とした森が広がっていた。この森は、乃木ができるだけ手を入れないで自然のまま残すように指示していた。500本の原木があり、シラカシ・ケヤキ・スギ・椿など30種類ほどあるようだ。森の隅には、今でも清水が湧き出ていた。森林浴にも最適のようだ。この森を訪れる人が多いかどうかは知らないが、この日はひっそりしていた。

Dscn1983  那須には、もう一カ所乃木の遺品を展示している温泉がある。茶臼岳の麓にある大丸温泉だ。久し振りに温泉に浸かりがてら、行ってみよう。乃木の旧宅から40㎞近くあり、標高も1220mほどだ。乃木が愛した温泉のようだ。しかし旧宅からは遠い。どうやって来たのか宿の人にい聞いてみたら、その当時は馬に乗って来たという。

Dscn1984  ロビーの隅に乃木の遺品が飾られていた。乃木の手紙や着ていたものなどが飾ってあった。この温泉は美人の湯だ。ただ入湯料が1000円と高く、めったに来ることはない。しかし、ここに来たからには温泉に浸かって帰ろう。ここの温泉には、プールの広さほどの露天風呂がある。この露天風呂は混浴だ。3組のアベックが肩を寄せ合って入浴していた。混浴を楽しんでいたので、邪魔にならないように早々と退散した。

【3月3日の歩行記録】7,423歩 5.0㎞

 

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