№4595 ペリーの町浦賀を歩く
久し振りに東京シニア自然大学NEXTの講座があり、参加してきた。前回は2月13日の「豊洲市場見学」だったから、ほぼ5か月ぶりの講座だ。この仲間は高齢者が多く、コロナ禍のなかなかなか開講に踏み切れなかった。いつまでもそういうわけにはいかないと、小人数を条件に開講を決断したようだ。この日の参加者は10人だった。
この日のテーマは、「吉田松陰と明治維新前後ゆかりの地を巡る」ということだったが、私はこの地の歴史には詳しく、実は吉田松陰はこの地にはほとんど関係ない。だがペリー来航に際して、中島三郎助などは活躍していた。そういう私は、浦賀の町に降りたのは初めてのことだ。
京急久里浜の駅からペリー公園に向かった。公園内には「ペリー記念館」があった。ペリー来航に際して乗ってきた船、ペリーの銅像などが飾ってあった。様々な資料もあったが、入館は無料だった。ペリーが江戸湾に入って最初に立ち寄ったのが、ここ久里浜だったらしい。この公園には、伊藤博文が書いた立派な石碑もあった。スタート時は泣くような空も、ここに来た時にはとうとう降り出した。しばらくここで雨宿りをした。
雨が小降りになったので、次の目的地「燈明堂」に向かった。この燈明堂は、江戸時代の灯台であったようで、菜種油を燃やし海の安全を図っていたようだ。その光源は7里にも及んだというから、向かいの房総半島からも見えたものだろう。菜種油の消費量は、一晩で一升だったという。この地は、また首切り場でもあったらしい。今でいう処刑場だ。
閑散としている浦賀の町だが、往時は大変にぎやかな街だったのだろうね。今では珍しい「鏝絵(こてえ)」が残っていた。左官職人が、土蔵などの壁の仕上げに鏝と漆喰で作り上げたレリーフだ。相当金がかかったのだろう、どこの家というわけにもいかなかった。鏝絵で有名なのは伊豆だ。浦賀と伊豆の関係性もうかがわれた。
昼食は、浦賀奉行所跡地裏の神社の境内で摂った。この奉行所跡は今は何も残っていなかったが、矢張り往時は相当な規模だったようだ。ペリー来航に対応したのがこの奉行所で、この奉行所の与力中島三郎助がこの来航に対応した。
浦賀の町には大きな湾がせり出し、東西を分けていた。この東西をつなぐのは橋ではなく、「浦賀の渡し」という渡し舟だ。一回乗船料200円だった。定員10人の小さな渡しだったが、この舟がないと相当遠回りをしなければならない。約2㎞をつないでいた。
この渡しに乗って向かったのが、東叶神社だ。この叶神社には東と西があって、渡しのこちらには東叶神社、向こうには西叶神社があった。東西の神社に詣でると、願いが叶うらしい。
東叶神社の裏にはこんもりした山があり、頂上には浦賀城の跡がある。この日ばてた一番の原因が、この山登りだ。急な階段を250段ほど登る必要があった。皆が登り始めたので、仕方なしに一緒に登った。イヤ~~、ばてたね。頂上からは、東京湾越しに房総半島も望めたし、勝海舟の断食の碑も見られた。けど、ばててそれをゆっくり見る元気がなかった。
浦賀といえば、やはり「浦賀ドック」だ。駅の真ん前にそれはあったが、廃業したとかで高い塀に覆われていた。このドックで進水した船も多かったのではないか。帰りには、久し振りの上大岡に住む姉の家を訪ね、晩御飯をご馳走になってきた。
【7月22日の歩行記録】22,845歩 15.3㎞
【7月22日のアクセス数】160アクセス 訪問者81人
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