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2020年12月12日 (土)

№4737 今年はベートヴェン生誕250年

Photo_20201212084701  この前、NHKテレビでベートーヴェン生誕250年記念の「交響曲第九番演奏会」があるとのニュースを見た。そういえば、と思い出したのが50年前である。ベートーヴェン生誕200年記念のやはり「第九演奏会」が、武道館であった。

 その演奏会情報を聞いたのは、大学同級生のもっちゃんからであった。彼は入場券4枚を持っているのだそうだ。「俺はアパートの隣の部屋の女の子を誘うから、シンさんも誰かを誘ってみたら」というのだ。その当時、私は付き合っている女の子はいなかった。そうだ、当時住んでいた常盤台のアパートの隣に女の子がいる。彼女を誘おう。声を掛けたら、二つ返事でOKという。

 ところが、もっちゃんは緊急入院するので演奏会には行けないという。誘った女の子は、別の女性と二人で演奏会に来ていた。私は隣の部屋の女の子と二人で出かけた。それが今の女房である。ベートーヴェン生誕200年記念演奏会が取り持った縁だ。しかももう50年経つのか。

 思わず、その当時のことを思い出した。北海道の弟子屈の隣にある標茶というところに、仲間と甜菜糖工場建設のアルバイトに行っていた。同級生4~5人もいただろうか。今思い出すのは、Joちゃん、Ezaki、それにもっちゃんだ。ある時、その町から知床半島に付け根にある斜里町に荷物を運ぶ仕事があった。その運転の途中、三島由紀夫が自衛隊を襲ったニュースを聞いた。摩周湖のすぐ近くだった。三島といえば思い出す。あの事件からもう50年経ったのだ。

 さらに大事件が発生した。私は、親方と一緒に車で苫小牧に仕事で出かけた。2泊3日くらいだったのか。帰ってきてみると、一緒に行った同級生がウンウンとうなっていた。どうしたのか聞いてみたら、仲間の車で弟子屈に飲みに行ったのだそうだ。帰りに車がスリップして、車ごと田圃に投げ出されたという。Joちゃんは鎖骨を折るし、もっちゃんは首の骨を痛めていた。むち打ち症になったらしい。

 翌日、ケガを負った人間と一緒に、私はアルバイト先から東京に返ってきた。富良野からのプロペラ機だった。途中気流が悪く、墜落するんじゃないかと思うくらい、乗った飛行機は揺れた。帰ってきて、それぞれけが人は東京で入院した。第九演奏会の日、丁度もっちゃんはむち打ち症で入院してしまったのだ。

 演奏会から帰ってきて、私は隣の部屋の女の子と急速に仲が良くなった。アパートの隣との壁は薄くて、行動が手に取るように分かった。ただ、私はこのアパートに滞在する時間はほとんどなく、あちこちと飛び廻っていた。今でも思い出すのが家主の女主人のことだ。私が秋田の実家に帰っていた時に、その女主人から実家に電話があり、「お宅の息子さんは過激派で、今もどこかを飛び回っているようですよ」。その電話を取ったのが私だった。そのアパートでは信用ゼロだったのだ。

 私はそのアパートにいられなくなって、引っ越すことにした。「私も一緒に引っ越す」と付いてきたのが、今の女房だ。そして同居が始まった。来年には金婚式だ。通常の年なら盛大な海外旅行に行こうということになっただろうが、今はそうもいかないね。

【12月11日の歩行記録】8,669歩 5.8㎞

【12月11日のアクセス数】152アクセス 訪問者98人

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2017年10月 1日 (日)

№3571 姉の演奏会を聴く

 横浜の姉から電話があり、「今度、私が所属する合唱団の演奏会があるの。お客さんが少なくて困っているので、ぜひ聴きに来てよ」との依頼だった。スケジュールをみると予定がなかったので、行ってみようか。

Img_4280 会場はJR戸塚駅前にある「さくらプラザ・ホール」だった。午後2時前に着いたのだが、500人も入る大ホールがほぼ一杯だった。合唱団の皆さんの努力で、人集めが成功したのだ。

 姉の関係者も大勢きていた。息子の嫁さんとそのお母さん、実の娘、川崎の姉、叔母さん、それにわが夫婦だ。

 この合唱団は、「カマラード横浜」という名前で、もう20年以上も活動しているようだ。姉もこの合唱が楽しみで、何をさておいてもこの練習スケジュールを大切にしている。

 姉の話によると、「私も年を取ったので、これが最後だと思う。最後の演奏会なので、皆に聴きに来てほしい」と口説き文句を述べていた。ただ、残念ながら旦那を口説くことはできなかったようだ。

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 この合唱団を指導しているのは、宮本益光さんだ。姉も20年来の付き合いで、よくこの方の演奏会にも足を運んでいるようだ。この日の演奏曲目は、「日本抒情歌」、「レモンの車輪」、「童謡・唱歌選集」など2時間弱だった。

Img_4287 私は、このような演奏会を聴いたのはかつてなかった。なかなか華麗で、よかったね。なかでも姉に注目していたのだが、彼女は合唱団のセンターを張っていた。あとで、すごいものじゃないのといったら、「たまたまよ」と謙遜していた。

 午後4時前に演奏会が終わったのだが、せっかくだから関係者で集合写真を撮りましょうよ。

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 そして入り口で別れたのだが、どこかでお茶を飲もうということになった。ところが川崎の姉は、「お茶じゃなくて、食事にしたい。肉を食べよう」と強要した。私はまだお昼ごはんがお腹に残っていたのだが、まあ、しようがない。付き合うことにした。

 駅前のしゃぶしゃぶ屋さんに入ったが、近くに来ていたという横浜の姉の娘の旦那Hiroyuki君も合流した。彼はこの冬に交通事故を起こし、頭蓋骨の複雑骨折だったようだが、九死に一生を得て無事生還をした。ただ、まだ後遺症は残っているようだ。

 まあ、こういう演奏会を聴くのもいいものだった。

 

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