№4856 3月に読んだ本
毎月10日前後に、前月読んだ本の報告をしている。毎月の報告とはいいながらも、実はこの報告は苦痛を伴う。読んだ本の報告だけならいいのだが、その後2~3冊の本の感想を述べている。その感想が大変なのだ。何度も申し上げているが、私は実によく本を読む。しかしその実相は、読み終わったらすべて忘れてしまうのだ。だから感想といっても、その内容を思い出す必要がある。そんなに苦痛ならやめたらいいのに、と思う人もいるかもしれないが、この記事はブログ始まってから続いているので、やめるわけにもいかない。
まあ、忘れるのは読む意味がない、という人もいるだろうが、これが私の読書スタイル、と開き直っている。言ってみれば、活字を追うのが楽しいのかもしれない。いろんな読書の方法があっていい。私の読書スタイルはこれなのだ。
年をとると、活字を追うのが辛くなる。というのも老眼が入り、眼鏡がないと本を読めないという話をよく聞く。幸い、私も老眼ではあるが、近眼の方が強い。近視眼鏡をかけたら、活字がぼやける。活字を読むときには眼鏡をはずす必要がある。女房は老眼で、それこそ家のあちこちに老眼鏡を置いている。
苦痛と思いながらも、3月に読んだ本を報告したい。3月は15冊・5579頁の読了だった。ペースとしてはまずまずか。一日200頁の読了を目的にしているが、3月は一日180頁くらいだった。この一日20頁は結構大きな壁だ。
江上剛『狂信者』381頁 幻冬舎 2014年11月刊
船戸与一『灰塵の暦 満州国演義5』469頁 新潮社 2009年1月刊
辻原登『卍どもえ』455頁 中央公論新社 2020年1月刊
藤田宜永『奈緒と私の楽園』254頁 文藝春秋 2017年3月刊
柴田哲孝『漂流者』328頁 祥伝社 2013年9月刊
伊東潤『囚われの山』412頁 中央公論新社 2020年6月刊
八木荘司『大和燃ゆ(上)』316頁 角川書店 2009年9月刊
八木荘司『大和燃湯(下)』311頁 角川書店 2009年9月刊
大沢在昌『漂砂の塔』648頁 集英社 2018年9月刊
堂場瞬一『衆』365頁 文藝春秋 2012年5月刊
馳星周『陽だまりの天使たち ソウルメイトⅡ』330頁 集英社 2015年10月刊
藤田宜永『怒鳴り癖』277頁 文藝春秋 2015年10月刊
葉室麟『緋の天空』339頁 集英社 2014年8月刊
伊集院静『琥珀の夢(上)小説鳥居信治郎』341頁 集英社 2017年10月刊
伊集院静『琥珀の夢(下)小説鳥居信治郎』353頁 集英社 2017年10月刊
3月に読んで一番面白かったのが、伊集院静『琥珀の夢(上)(下)』であった。サブタイトルにもあるように、この小説はサントリーの創業者鳥居信治郎と、その後継者を描いた小説だった。数年前、NHKの朝の連続ドラマで、「まっさん」というドラマがあった。私はあまり朝の連続ドラマは見ないが、その主人公まっさんは、ニッカの創業者竹鶴政孝を描いたものだった。そのドラマにも出ていたのかもしれないが、竹鶴は鳥居信治郎のもとで10年間ウィスキー作りをしていた。
鳥居信治郎は、大坂道修町の小西儀助商店で丁稚として働いた。この店は薬問屋だったが、主人小西儀助は本業とは関係ないワイン造りに没頭していた。その手伝いをしていた信治郎は、独立して自分もワイン造りを志した。その当時日本を席巻していたのは、浅草の電気ブランだった。外国産を除いて、電気ブラン以外はほとんど取引の対象外だった。
何とか自分で作ったワインが認められるように工夫した。そしてできたのが「赤玉ポートワイン」である。このワインは、健康促進を旗印に売ったという。それが次第に認められるようになって、電気ブランを席巻しだした。ただ、信治郎が目指したのはこのワインではなく、ウィスキーである。昭和の初めころだが、ウィスキーといえばイギリス産のスコッチウィスキーで、日本のウィスキーは誰にも相手にされていなかった。
そのウィスキーを認めさせるべく、信治郎の奮闘が始まった。京都の山崎に醸造所を作り、竹鶴政孝を招き、ウィスキー造りを始めた。ところが、ウィスキーは樽で5年から10年寝かせて熟成させる必要があった。その間、信治郎の資金は続くのか。資金作りにと、信治郎はあらゆる事業に手を染めた。そして、ようやく飲めるようになったのが、ウィスキー造りを始めて10年経ってからだ。ただ、出来たウィスキーもすぐには売れなかった。
ウィスキーがようやく認められるようになって、次に始めたのがビール造りだった。このビール業界も、キリン、アサヒ、サッポロの三大会社が寡占状態で、新規参入は容易ではなかった。最近でこそようやく認められ始めたサントリービールだが、この苦闘の物語も続く。久し振りに一気に読んだ評伝であった。
古代を描く小説は浪漫があって好きだ。私は八木荘司の本は初めて読んだのだが、タイトルが面白そうなので手に取った。読み進むうちに、この小説は中大兄皇子(のちの天智天皇)の朝鮮白村江の戦いの物語と知った。今までも何冊か白村江の戦の小説は読んでいたのだが、なぜ白村江なのかはわからなかった。しかし、この小説ではっきりした。
中大兄皇子は、中臣鎌足と諮って当時の権力者蘇我馬子を殺害し、大化改新を成し遂げた。当時、朝鮮半島には高句麗、新羅、百済の三か国が鼎立していた。大和朝廷は、百済と強い関係を維持していたのだが、百済が唐の支援のあった新羅に滅ぼされた。
当時、唐は女帝則天武后が支配権を握っていた。新羅を味方につけて、唐は高句麗と戦っては退けられていた。退けられた唐は、しかし高句麗支配をあきらめていなかった。この朝鮮情勢は、大和朝廷にも無縁ではなかった。大和朝廷が恐れたのは、朝鮮を征服した唐が、日本をも襲うのではないかということだ。白村江の戦は、そういう中で起きた。日本は新羅と唐の連合軍に完膚なきまで叩きのめされた。
唐が日本襲来を企てないかどうかの外交交渉が続く一方、大宰府を中心にした守りを固め、瀬戸内海にも唐の船に対抗するする砦を作った。さらに大和を襲うと恐れた中大兄皇子は、都を海から遠い近江に移したのだ。どうやら、則天武后は日本を狙う意図はなかったようだが、そのどさくさを巡る話だった。古代を描く小説は浪漫があっていいね。
実はこの小説にはもう一つの側面があって、額田王を巡る中大兄皇子と弟の大海人皇子とのさや当てだった。額田王は大海人皇子の奥さんの一人だったが、中大兄皇子が強引に横取りをした。ただ額田王は大海人皇子に思いを寄せていて、兄弟関係はぎくしゃくした。
この月は、古代を巡るもう一つの小説も読んだ。葉室麟『緋の天空』だ。この小説は、聖武天皇の御代、女帝を巡る話だった。
昨年12月にも馳星周の『ゴールデン街コーリング』を読んでの感想を述べたが、私は馳星周はてっきり暗黒街を描くノワール(不条理)作家だと思っていた。そのつもりで彼の小説を読んでいるのだが、この小説はまるきり違っていた。馳の犬に対する全面的な愛を表現しているものだった。ノワール小説もいいが、こういう作品もよかった。
【4月9日の歩行数】11,859歩 7.9km
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