カテゴリー「東京シニア自然大学」の260件の記事

2021年4月 1日 (木)

№4847 神田川沿い散策

 3月ではあったが、「東京シニア自然大学」の新年度の企画がスタートした。昨年度(2020年)は28講座の企画があったが、実際に行われた講座は8企画のみだった。東京シニア自然大学に参加している人は高齢者が多く、それだけにコロナウィルス対策には慎重になっていた。講座開講も、緊急事態宣言を睨んでだったので、勢い、中止になることが多かった。新年度も22講座+宿泊2講座が企画されているが、これもコロナの影響でどうなるのかわからない。

 この日の講座は、「神田川桜並木のお花見」という企画だ。目白の駅から、桜を求めて市ヶ谷の駅まで歩こうというものだった。私も用事がない限り、今年度もこの講座には参加しようと思っている。

 新年度、この東京シニア自然大学に参加するメンバーは総勢68名だが、この日の参加者は18名だった。ちょうどいいくらいの人数だ。講座開講は久し振りで、皆さんの元気な姿がみられてうれしかった。仲間のKukiちゃんが、「久し振りだけど、毎日シンさんちの『繭の里通信2』のブログを読んでいるので、しょっちゅう会っている気分だね」といっていた。また、Yamamotoさんは一年ぶりの参加というので、彼の顔も懐かしかった。

Dscn2898  目白から神田川を目指して歩き始めたのだが、途中見所が結構あった。学習院の広大なキャンパスの前を通ったのだが、ここはスルーしていた。大学のキャンパスも街歩きには重要なポイントなのだが、世話人の予定にはなかったようだ。

Dscn2903  街歩きで色々な発見があるのだが、ある民家の車庫に半鐘が吊るされていた。また、この車庫の壁には何本かの火消棒が立てかけてあった。この家は、代々消防に関係していたのだろうか。それにしても半鐘は珍しい。

Dscn2901  東京には色々とお不動尊さんがあるが、目白不動をお参りした。目黒不動は有名だが、目白不動があるのは知らなかった。この付近は寺町なのか、たくさんのお寺があった。世話人は南蔵院に立ち寄ってその寺の怪談の話を紹介していたが、私にはあまり関心がなかった。

Dscn2912  そして、ようやく目的の神田川に出た。東京は満開宣言が出てしばらくっち、もう花も散って葉桜かと危惧していたが、そんなこともなく、まだまだ花は見られた。

Dscn2910  神田川を見たのは久し振りだったが、水がきれいなのには驚いた。私のイメージでは、洗剤の泡が浮く汚い神田川だ。大きな鯉が悠々と泳いでいた。花びらが川を流れている姿は奇麗だった。これこそ『花筏』だね。前も花筏で俳句を作ったが、今回も神田川をバックに俳句を作ってみた。最近はどこに行っても、俳句を思い浮かぶのが日課だ。

神田川縞と流れる花筏

Dscn2915  この川沿いには、様々な小工場もあった。なかでも立ち寄ったのが、「東京染ものがたり博物館」だ。神田川では、法話30年代まで染色を洗っていたらしい。さすがかわが汚れるとの声もあり、中止になった。この博物館では、染のやり方や神田川での染め物の洗いをビデオで10分間ほど見てきた。街を歩いてみないとこういう発見はない。

Dscn2917  もう一つ大きな発見があったのは、「肥後細川庭園」だ。こんな場所に大名屋敷があり、回遊庭園があったなど知らなかった。

Dscn2919  天気が良かったせいか、この庭園で花嫁の写真撮りが行われていた。

Dscn2921  そういえば、この庭園でシャガが満開だった。シャガも例年より早く咲いているのではないか。この付近は椿山荘の下に当たり、結構アップダウンがあったが、散策にはちょうどいいね。昼食は江戸川橋公園で摂ったが、朝食抜きだったのでお腹が空いていた。

Dscn2929  午後は、神楽坂から一気に市ヶ谷駅まで歩いた。私は働いている時からおなじみの場所だ。それにしても、赤城神社が立派なビルになっているのには驚いた。隣には、神社所有のマンションが建っていた。

Dscn2932  神楽坂は、サラリーマン時代にずいぶん酒を呑んだ場所が多い。中でも忘れられないのが「伊勢藤」だ。この呑み屋にはよく通ったが、店番の親爺さんに「声が大きい」と怒られた。お酒も2合呑むと、「もうお帰り下さい」と追い出された思い出がある。

Dscn2936  外堀通りの土手を通って帰ったのだが、この土手も職場の花見をよくやった。夜の花見は寒くて、震えていたものだ。

【3月31日の歩行数】18,269歩 12.2km

【3月31日のアクセス数】118アクセス 訪問者78人

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2020年12月10日 (木)

№4735 玉川上水を歩く(その2)

 東京シニア自然大学の講座で、玉川上水を歩いてきた。今回は青梅線の拝島駅から小平中央公園までだった。実は、昨年の3月に玉川上水の取水堰である羽村堰から(クリックでこの記事が読める)拝島まで歩いた。今回はその続きで、前回の到着点拝島駅から小平の鷹の台駅まで歩こうという趣旨だった。

 予定調和というか、会員70数名のうち今回参加したのは20名だった。誰が調整したわけでもないのに、このところの東京シニア自然大学の講座の参加者は20名前後だ。今回のコースは、アップダウンがないとはいうものの、10㎞以上を歩く健脚コースだった。この講座に参加している人は、上で88歳、下でも60歳を超えるメンバーだ。しかし、皆元気なものだ。

Dscn2646  この日は、スタート時点で雨は降らないものの、どんよりした曇りだった。ただ風がなかった分、寒さは感じなかった。復習のため、玉川上水とは何か振り返ってみたい。この上水は江戸時代の初め(1635年)、江戸の人口急増に備え、羽村から新宿の四谷大木戸まで開削された水道用の上水である。総延長43㎞にわたって掘られた。

Dscn2647  この上水はいまでも水道として使われ、途中で野火止用水から村山貯水場に入る。唯、野火止用水で全量村山貯水場に行ったため、しばらく玉川上水は空堀だったようだ。この日の上水散策でそのことがよく分かった。この日のスタート時点では、玉川上水は清流を保っていた。このきれいな水なら水道水になると思った。

Dscn2657  上水沿いには散策路が作られていた。ちょうど紅葉に時期で、カサコソと落葉を踏みしめて歩いた。土手にはたくさんの檀の実が見られた。最初からの仲間Norikoさんが、「この檀の実はピンク色できれいだけど、花じゃないのよ」と教えてくれた。植物図鑑を片手に、果肉だと説明していた。彼女は、最初からの東京シニア自然大学の仲間だ。私のブログの読者でもあり、散策中にこの記事が話題になった。「シンさんて本は読んでいるようだが、ただ単にページだけを追っているんじゃないの」と痛いところをついてきた。

Dscn2655  上水沿いには様々な施設があったが、「昭和の森ゴルフコース」もあった。私はこのコースではゴルフをやった事はないが、調べてみると平日なら1万円前後でプレー出来るようだ。立川にしては意外と安いね。さらに上水を下っていくと、川沿いに清掃工場施設が何か所か見られた。嫌われもののこの施設は、街はずれに建てられているのだろうか。

Dscn2666  さらに下って行くと、「玉川上水 清流復活」の碑が建っていた。この地点は、以前上水がすべて野火止用水に持っていかれ、空堀だったスタート地点だ。今ではこの上水に汚水処理水を流し、流れを復活させた。ただこの地点に来ると、玉川上水は10mも深いところを流れており、散策路からは見えなかった。

Dscn2668  今はコロナでみな自粛している折、参加者一同、久し振りに一緒に歩けた幸せをかみしめていた。紅葉も十分に味わえたし、楽しい一日だった。この日の歩行距離は18㎞にわたったが、あまり歩いたという感じは持っていない。今回は拝島から小平までだったが、いつかさらにこの玉川上水を下り、吉祥寺の井之頭公園まで歩いてみたい。途中には太宰治が入水自殺したところも見られそうだ。

【12月9日の歩行記録】26,895歩 18.0㎞

【12月9日のアクセス数】117アクセス 訪問者84人

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2020年11月26日 (木)

№4721 渋沢栄一の故郷・深谷を歩く

Dscn2593  東京シニア自然大学の講座で「渋沢栄一の故郷である、レンガの街・深谷を歩く」の開講があり、参加してきた。この日の参加者は15名だった。深谷はレンガ作りが盛んで、深谷駅も東京駅同様にレンガ造りの建物である。レンガ色の建物が象徴的であった。

Dscn2594  また、深谷は渋沢栄一の故郷としても有名である。新一万円札に渋沢の像が使われるとのことで、町は盛り上がっていた。駅前には、渋沢の銅像もある。皆さんの中にも記憶している方もいるかもしれないが、実は昨年の4月10日頃に渋沢栄一を訪ねて、深谷を訪問した。その時には「渋沢栄一記念館」を中心に訪問したので、深谷の街は歩いていない。一体どういう街なのだろうか。

Dscn2595  駅から延々と遊歩道が続いていた。この道は、かつて駅からレンガ工場に至る4㎞ほど鉄道があった廃線の跡だそうだ。今では歩道と自転車道に分かれていた。この道を福川まで約2㎞歩いた。廃線の跡というだけで、別に何もなかった。もう2㎞ほど歩くとレンガ工場に着くというが、そこまでは行かなかった。

Dscn2597  次の見どころは、福川と唐沢川の伏せ越しだ。1級河川の福川が唐沢川の下をくぐるポンプ場を見た。そのすぐわきにあったのが、瑠璃光寺だ。このお寺は、かつて深谷の殿様だった深谷上杉家の菩提寺だという。本堂前の定門は、秀吉時代の1589年に建てられたものだった。

Dscn2601  昼食は、かつてお城のあった城址公園で摂った。城址公園とはいってもかつての城は平城で、後は公園になっているだけで変哲がなかった。午後は、旧の宿場町であった深谷の街並みを見て歩いた。残念ながら旧中山道の拡幅工事とかで、軒並み旧家は壊され、立ち退いていた。なかには何軒かかつての面影がないわけでもなかったが、探さなければ見つからないほど少なった。

Dscn2603  街の角には、「渋沢栄一 1万円札に」の幟があちこちに立っていた。以前にもお話ししたが、渋沢栄一は身長153㎝と今から見るとちびの部類だが、その業績たるや近代日本を代表する大実業家だった。

Fscn2606  深谷は古い街だけに、この旧中山道沿いには3軒の酒造があった。世話人が話をつけていたのだろう、そのうちの一軒で話を伺った。小さな酒蔵だったが、今でも酒を造り続けているのだそうだ。ただ深谷ではなく、群馬に工場を移したと話していた。こんな小さな酒蔵で採算が取れるものだろうか。「この酒蔵だけでは、全然ご飯は食べていけません」とのことだった。

Dscn2607  店頭で唎酒もさせてくれた。あまりにも美味しかったので、お土産に一本買って帰ってきた。「渋沢栄一記念館」は、町からバスで30分ほどかかる。私は前にも訪問したので、記念館に行くという一行と別れて帰ってきた。

【11月25日の歩行記録】18,913歩 12.7㎞

【11月25日のアクセス数】163アクセス 訪問者93人

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2020年11月12日 (木)

№4707 弘法山ウォーク

Dscn2546  東京シニア自然大学の講座で「弘法山ウォーク」があり、参加してきた。小田急線の鶴巻温泉で下車、そこから登るルートだ。弘法山は丹沢山系の前山で、標高237mと比較的低い。ただ今までの経験で、低いから容易と侮るとひどいことになる。このコースは、絶えず丹沢の主峰大山を見ながら歩くコースだった。この日の参加者は19名だった。

Dscn2536  案の定、歩き始めてからきつい登りの連続だ。尾根まで続くこの登りに、私は早くもゼイゼイ言った。最近毎日1万歩近い散歩をしていたので足に自信は持っていたが、その自信は木っ端みじんに砕かれてしまった。平地を歩くのと山道を歩くのでは違うのだ。尾根道に出るのには20分ほどかかっただろうか、そこからは比較的平たんな道が続いた。

Dscn2541  林の切れ目から富士山がきれいに見えた。この日は雲もなく、風も弱い絶好のハイキング日和だった。参加者のほとんどはすでに70歳代だったが、元気なものだ。なかには来年90歳を迎えるという仲間もいたが、弱音を吐くこともなく歩いていた。皆さんの話を聞くと、ほとんどの方が一日10,000歩近くは歩いているという。元気の源は散歩、と異口同音に話していた。

Dscn2543  この日の主要目的はミカン狩りだ。午前11時半頃にミカン園に着いた。入園料と1㎏のお土産付きで500円だという。大概、リンゴやナシの果樹園の食べ放題・お土産付では、そんなに食べられないものだ。しかし、参加者の皆さんはミカンをよく食べていた。私の隣にいた女性は5個も食べたという。そういう私も、5個食べた。結構おいしいミカンだった。

Dscn2542  さらにお土産に10個程度採ってもいいと言われたが、私は15個と欲張って採った。そういえば、私はミカン狩りは初めての経験だ。参加の皆さんも、このミカン狩りには喜んでいた。「この企画は毎年やってもいいね」という人もいたが、果たしてどうだろうか。

Dscn2545  ミカン園には40分もいただろうか、本日の目的地・弘法山に向かった。登りがあんなに苦しかったので、弘法山への尾根道は楽なものだ。弘法山頂上には、弘法大師ゆかりのお堂と鐘楼、井戸などがあった。お昼をとうに過ぎていたが、今日の昼食場所は、さらに15分ほど行った権現山だ。ミカンでお腹がいっぱいの一同に不満はなかった。

Dscn2547  権現山頂上は、広々とした広場になっていた。見晴らし台があり、相模湾や伊豆七島などを眺めることができた。ミカンを5個も食べてお腹いっぱいのはずだったが、お昼のコンビニ弁当もお腹に入った。

 この日は2万歩以上も歩いたので、足の筋肉がパンパンだった。そして翌日は足が上がらないのではないかと心配したが、そうでもなかった。やはり、毎日の散歩が効果を発揮したのだ。

【11月11日の歩行記録】22,110歩 14.8㎞

【11月11日のアクセス数】181アクセス 訪問者116人

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2020年10月29日 (木)

№4693 筑波山ハイキング

Dscn2475  東京シニア自然大学NEXTの講座で、筑波山ハイキングをしてきた。この講座はそもそも私が希望していたもので、ぜひにも参加したかった。この日はハイキングの後に那須に行く予定だったので、車で参加した。午前10時半集合とのことだったが、少し余裕を見て午前8時半に家を出た。途中までは圏央道だったので、快適なドライブだった。この講座には、あらかじめ世話人からシラバスが送信されている。

Dscn2478  シラバスを読んでいたつもりだったが、とんでもない間違いを起こした。筑波山神社下に午前10時に着いた。集合時間まで30分あるので、周りを散策した。そして集合場所と思っていたケーブルカー駅には集合10分前に着いた。ところがいつまでたっても仲間が来ない。どうしたのだろう。世話人のFujitaさんに電話を入れた。彼らもつつじが丘の駅に着いたばかりだという。私はケーブルカー駅で待っているというと、「エッ、ケーブルカー駅なの。集合場所はロープウェー駅なんだけど」という。筑波山にケーブルカーとロープウェーがあるのは知らなかった。

Dscn2479  とてもケーブルカー駅からロープウェー駅までは歩けないというので、せっかく駐車料金を払った駐車場を出て、ロープウェー駅に向かった。車で10分ほどあったので、とても歩ける距離ではなかった。この日は歩いて登るAコースと、ロープウェーで行くBコースに分かれていた。あらかじめAコースに申し込んでいたのだが、私が到着した時にはこの班はすでに出発していた。私はロープウェーコースで行くことにした。この班の人たちはまだ駅にいたので、私も往復運賃を払った。「おたつ石コース」の山登りが結構きついと言っていたので、これもいいか。

Dscn2482  ロープウェーは、6分ほどで女体山の下に着いた。筑波山は双耳峰で、女体山(877m)と男体山(871m)の二つのピークがある。最初に登った女体山は岩山で、ピークは狭かった。しかし、この山は近くの児童の遠足コースらしく、多くの子どもが山頂に見えた。私はくらくらするので、頂上に行くのは遠慮した。しばらく滞在したのだが、次の目標は男体山だという。女体山から30分で着くらしい。

Dscn2483  途中に「ガマ石」のパワースポットがあった。まるでカエルが口を開けているような岩だ。そういえば、筑波山はガマの油で有名だ。売店には、ガマ油も売っていた。このガマ石の口に石を投げ入れると金運があるというが、成功する人は少なかった。ただ、仲間の一人が一発で成功した。

Dscn2489  さて、男体山はなかなか厳しい登りだった。ところが、多くの幼稚園児が下りてきた。学校の遠足だけでなく、幼稚園児にとってもやはりハイキングコースなのに驚いた。Bコースに参加した9人で、登頂記念の写真を撮った。このコースに参加したのは9人だった。すでにお昼は過ぎていた。この男体山を降りて昼食を摂っているときに、Aコースの一行11人が御幸ヶ原(山頂の広場)に着いた。彼らもここで昼食を摂るという。

Dscn2495  その一行は、昼食後記念写真を撮って、男体山に登るという。帰りはケーブルカーで下山の予定だった。私はロープウェーの往復チケットを買ったので、一人でロープウェーまで戻ることにした。筑波山は紅葉にはまだ早かったが、薄紅葉という状態か。ロープウェーを降りて、一般道を通って那須に向かった。約2時間半ほどかかった。

【10月28日の歩行記録】7,849歩 5.3㎞

【10月28日のアクセス数】126アクセス 訪問者84人

 

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2020年10月15日 (木)

№4679 東京ゲートブリッジを歩く

Dscn2450  東京湾に「東京ゲートブリッジ」という橋が架かっているのはご存じだろうか。私は、東京都が主催する「東京湾クルーズ」乗船で初めて知った。最近、東京湾には海外から大型クルーズ船がやってくるようになった。ところが、レインボーブリッジは低すぎて、この大型クルーズ船は通り抜けできないらしい。そこでできたのが、この東京ゲートブリッジだ。2012年に完成というから、もう8年にもなる。

Dscn2437  一度この橋を訪れたいと思っていたのだが、東京シニア自然大学NEXTの講座で、「東京ゲートブリッジと夢の島熱帯植物館」訪問の講座が開催された。是非にと思い、参加してきた。この日の参加者は17名だった。中止、中止で来ていた講座は、今年3回目だ。この橋には、新木場駅からバスで若洲キャンプ場まで行く必要があった。先ずこの橋に登る前に、主催者からこの橋の説明があった。

Dscn2436  高さ54.6mのこの橋は、恐竜が向かい合っている形から「恐竜橋」とも呼ばれている。なぜこういう形になったかというと、船舶の航行と羽田空港発着の飛行機の邪魔にならないように、とのことだ。また、湾岸を通る車の重要な道路にもなっているようだ。橋の向こうの埋め立て地は、今東京に残る唯一のごみの埋め立て場所で、埋め立てる余地はまだ40年分残っているとのことだ。

Dscn2441  さて、この橋に登るのにはエレベーターがあった。エレベーターは、8階建ての建物の高さだ。こもごもにこの橋の上を自由散策した。さすが橋の上は風が強く、帽子が飛ばされそうだった。この橋の上から海を覗くと、はるか下に釣り船の姿が見えた。

Dscn2448  また、橋の向こうには若洲ゴルフリンクスのゴルフ場も見え、上空を飛ぶ羽田からの飛行機ともども絶景だった。橋の長さは2618mとのことで、結構歩きでがある。私は橋の半分で戻ってきたが、仲間の中には橋の向こうまで歩く人もいた。橋上からはオリンピック施設も見え、ボート会場はすぐそばだったし、スカイツリーや水泳会場も望めた。

Dscn2449  この橋を降りて、昼食を摂った。ここはまた東京湾の釣り場に指定されているようで、平日の昼なのに大勢の太公望で賑わっていた。それぞれの釣果を見てみると、釣れている人はほとんどいなかった。この眺望の元に釣り竿を垂れるのがいいようだ。ここには、1時間100円のレンタル自転車があった。この自転車を借りて、ゴルフ場を一周してきた。海の向こうには、舞浜のデズニーランドのホテルも見えた。絶景だ。

Dscn2455  さて、午後は新木場駅の反対側にある「夢の島熱帯植物館」でこの館の植物鑑賞をした。この植物館はさして驚かなったが、その後に行った「第五福竜丸展示館」がよかった。前からこの館は知っていたのだが、入館したのは初めてのことだ。第五福竜丸が水爆実験の死の灰を浴びたのは昭和29年(1954)ということだから、もう66年にもなるね。結構忘れられているのかもしれない、と思った。

【10月14日の歩行記録】17,047歩 11.4㎞

【10月14日のアクセス数】113アクセス 訪問者70人

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2020年9月23日 (水)

№4657 今日の講座も中止に

 今日は、東京シニア自然大学NEXTの講座が開かれる予定だった。それを楽しみに、那須から帰ってきた。ところがメールが届いていて、雨のために中止と決まったようだ。それにしても、今年はいろいろな理由で、この講座が中止になっている。以前は不思議なことに、講座が開かれる水曜日だけは晴れていた。

 この日の予定は、彼岸花見学に高麗神社を訪ねる予定だった。ただ、高麗神社周辺の巾着田の彼岸花は、新型コロナウィルス対策のために伐採されているようだ。彼岸花は見られないかもしれないが、周辺の散策を楽しみにしていた。ところが雨の予報で、早々に中止を決めたようだ。

 ふたを開けてみると、今日はほとんど雨は降っていない。世話人の判断は少し早まったのかもしれないね。女房に講座の中止をいうと、「少しぐらいの雨なら決行したらいいのにね」といっていた。当の女房は、雨の予報にもかかわらず、友だちとゴルフに出かけた。

 今年の東京シニア自然大学の開講講座予定を見てみると、3月に一度あったきりで、後は全部中止になった。こういうものは、ある程度習慣だ。一度中止になってしまうと、その連鎖が続く。どうも世話人が少し弱気になっているのかもしれないね。

 次は10月に予定があるが、果たしてどうなるものやら。

【9月22日の歩行記録】1,631歩 1.1㎞

【9月22日のアクセス数】179アクセス 訪問者88人

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2020年9月 3日 (木)

№4637 NEXTのZoom会議

 今期はコロナ禍で、東京シニア自然大学の開講講座はほとんど中止になってしまった。今期は興味のある講座がたくさん予定されていたのに、残念な事であった。講座中止で、仲間に会う機会もめっきり減ってしまった。それを残念に思っていたのは、私だけではなかったようだ。

 誰から提案されたのだろうか、「Zoom会議をやって、お互い近況を報告しあおう」ということになった。私も家に閉じこもりきりなのだが、NEXTを別にしても月に3度ほどこのZoom会議をやっている。もう3か月ほどになるだろうか、こういうスタイルの会議には慣れてしまった。

Photo_20200903124001  さて、NEXTのZoom会議は今回で2度目だ。前にもお話ししたかもしれないが、私の部屋はぐちゃぐちゃだ。以前はその部屋が背景にあったが、どうも背景を別の写真に変えられるらしい。先日「秋の雲」として撮っておいた写真を背景画に利用した。

 この日の参加者は、15人だった。ただ、無料のZoom会議は40分なので、あっという間に経ってしまう。要領よくやらなければならないのだが、矢張り接続に5分ほど使ってしまった。参加者はほとんどがシニアなので、慣れるまでが大変だ。しかし、新たなものに挑戦しようという意思は良い。

 運営委員長の挨拶に続いて、各自が近況報告を行った。その中でも最長老のWakiさんが、「今年の講座のほとんどが中止になったのは残念。私は、楽しみにしていた講座がたくさんあった。この計画は流してしまうのではなく、来期再チャレンジしましょう」と提案していた。いずれ10月上旬の会議で、どうするのか話し合うらしい。

 8月中旬の谷川岳天神平の山行が、ロープウェーに落雷があって中止になったことは報告した。9月上旬に再決行をする予定のようだが、私は8月にほとんど動けていないので、自信がなくて見送ろうと思っていた。そしたら主催者から、「運動量がそんなに多くはないので、だれでも参加できますよ」ということだ。私は見送ろうと思っていたが、この話を聞いて参加を決意した。

 有用な情報もたくさん聞けた。損保ホールデング主催の「市民のための環境講座」が、来週の月曜日から無料で聞けるとのことだ。この講演会はネット配信されるというので、とりあえず申し込んでおいた。全部で11回の講座のようだが、1回目を聞いてから次の講座の受講を決めたい。

 いずれ自粛で閉じこもり状態解消のため、仲間の情報を聞きながら、徐々に動いていきたい。

【9月2日の歩行記録】6,699歩 4.5㎞

【9月2日のアクセス数】149アクセス 訪問者91人

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2020年8月 5日 (水)

№4608 NEXT初めてのZoom会議

Zoom_20200805113302  東京シニア自然大学NEXTのZoomミーティングがあった。はじめての試みである。先日の有志によるZoom会議で決まったようだ。私は参加していなかったのだが、どうやら講座の中止を受けて、皆の顔を見たいとの事らしい。この日の呼びかけに参加したのは19名だった。

 それにしても、このコロナウィルスの騒ぎを受けて、最近どこでもこのZoom会議が盛んに行われている。私も定例会で、月に3度ほどこの会議に参加している。他の人の話を聞いていても、毎週のように参加している人もいるらしい。

Photo_20200805114201

 初めての試みというので、皆さん、アクセスに難儀しているようだった。ある人の画面は真っ黒で、顔が映っていない。またある人は声が出ないとかで、全員が揃うまで結構時間がかかった。Kukiちゃんはカメラに映るというのです久しぶりに化粧をしたそうだが、画面は真っ黒だった。結局最後まで画面が真っ黒な人もいたが、何か操作の問題があったのだろうか。私は何度もZoom会議に参加しているので、問題なく顔を出すことができた。

 参加者全員の挨拶と近況報告があった。やはりコロナの影響で、自宅で自粛している人が多かった。なかでも元気なのがWakiさんだ。彼はもう80代も後半になるのだろうか、こういう文明の利器にも敏感に反応している。彼の報告では、80肩で悩んでいるのだそうだ。同世代の集まりなので、どこかかしかが傷んでいるのはやむを得ない話だね。

 先日行われた浦賀の講座の報告もあった。当日、私が歩いた距離は15km強で約22,000歩だった。帰りに姉の家に寄ってきたのだが、急坂を歩いたせいもあって、久し振りにばてたネ。

Zoom_20200805115501  8月中旬には、谷川岳天神平への講座が予定されている。世話人のFujitaさんとKuniyasuさんからその報告があった。谷川岳といっても散策程度で、ほとんどアップダウンがないそうだ。私は逸早く参加を表明した。無断で私のブログを絶えず読んでくれているKuniyasuさんの顔を出した。ごめんなさいね。

 このZoom会議は、今後毎月第一水曜日に開かれるのだそうだ。楽しみである。

【8月4日の歩行記録】2,914歩 2㎞

【8月4日のアクセス数】138アクセス 訪問者85人

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2020年7月23日 (木)

№4595 ペリーの町浦賀を歩く

 久し振りに東京シニア自然大学NEXTの講座があり、参加してきた。前回は2月13日の「豊洲市場見学」だったから、ほぼ5か月ぶりの講座だ。この仲間は高齢者が多く、コロナ禍のなかなかなか開講に踏み切れなかった。いつまでもそういうわけにはいかないと、小人数を条件に開講を決断したようだ。この日の参加者は10人だった。

 この日のテーマは、「吉田松陰と明治維新前後ゆかりの地を巡る」ということだったが、私はこの地の歴史には詳しく、実は吉田松陰はこの地にはほとんど関係ない。だがペリー来航に際して、中島三郎助などは活躍していた。そういう私は、浦賀の町に降りたのは初めてのことだ。

Dscn2248  京急久里浜の駅からペリー公園に向かった。公園内には「ペリー記念館」があった。ペリー来航に際して乗ってきた船、ペリーの銅像などが飾ってあった。様々な資料もあったが、入館は無料だった。ペリーが江戸湾に入って最初に立ち寄ったのが、ここ久里浜だったらしい。この公園には、伊藤博文が書いた立派な石碑もあった。スタート時は泣くような空も、ここに来た時にはとうとう降り出した。しばらくここで雨宿りをした。

Dscn2254  雨が小降りになったので、次の目的地「燈明堂」に向かった。この燈明堂は、江戸時代の灯台であったようで、菜種油を燃やし海の安全を図っていたようだ。その光源は7里にも及んだというから、向かいの房総半島からも見えたものだろう。菜種油の消費量は、一晩で一升だったという。この地は、また首切り場でもあったらしい。今でいう処刑場だ。

Dscn2257  閑散としている浦賀の町だが、往時は大変にぎやかな街だったのだろうね。今では珍しい「鏝絵(こてえ)」が残っていた。左官職人が、土蔵などの壁の仕上げに鏝と漆喰で作り上げたレリーフだ。相当金がかかったのだろう、どこの家というわけにもいかなかった。鏝絵で有名なのは伊豆だ。浦賀と伊豆の関係性もうかがわれた。

Dscn2258  昼食は、浦賀奉行所跡地裏の神社の境内で摂った。この奉行所跡は今は何も残っていなかったが、矢張り往時は相当な規模だったようだ。ペリー来航に対応したのがこの奉行所で、この奉行所の与力中島三郎助がこの来航に対応した。

Dscn2259  浦賀の町には大きな湾がせり出し、東西を分けていた。この東西をつなぐのは橋ではなく、「浦賀の渡し」という渡し舟だ。一回乗船料200円だった。定員10人の小さな渡しだったが、この舟がないと相当遠回りをしなければならない。約2㎞をつないでいた。

Dscn2274  この渡しに乗って向かったのが、東叶神社だ。この叶神社には東と西があって、渡しのこちらには東叶神社、向こうには西叶神社があった。東西の神社に詣でると、願いが叶うらしい。

Dscn2270  東叶神社の裏にはこんもりした山があり、頂上には浦賀城の跡がある。この日ばてた一番の原因が、この山登りだ。急な階段を250段ほど登る必要があった。皆が登り始めたので、仕方なしに一緒に登った。イヤ~~、ばてたね。頂上からは、東京湾越しに房総半島も望めたし、勝海舟の断食の碑も見られた。けど、ばててそれをゆっくり見る元気がなかった。

Dscn2275  浦賀といえば、やはり「浦賀ドック」だ。駅の真ん前にそれはあったが、廃業したとかで高い塀に覆われていた。このドックで進水した船も多かったのではないか。帰りには、久し振りの上大岡に住む姉の家を訪ね、晩御飯をご馳走になってきた。

【7月22日の歩行記録】22,845歩 15.3㎞

【7月22日のアクセス数】160アクセス 訪問者81人

 

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