カテゴリー「東京シニア自然大学」の247件の記事

2020年1月24日 (金)

№4415 宝登山の蠟梅鑑賞

 東京シニア自然大学NEXTの講座で、「宝登山で蠟梅を見て、長瀞岩畳を歩く」があり参加してきた。宝登山の蠟梅鑑賞は二度目の講座だ。このブログの便利なのは、記事検索できることだ。前回はいつ行ったのか検索してみた。2017年1月19日に、「№3313 長瀞の自然散策会」の記事があった。

Sdscn1801  この東京シニア自然大学の参加者は、私もそうだが第一期生が多い。前回も参加したのは大半が一期生だった。やはり二度目の講座となると参加者も少なくなる。さらに寒さに加え、遠いというハンディもあって、この日の参加者は13名と少し寂しかった。前回と違ったのは、朝からボランティアガイドが付き、午後はもう一人のボランティアガイドも加わった。ただ、今から考えると、この日の講座にボランティアガイドは不要だったかもしれない。

Sdscn1806  前回は、ロープウェーに乗って頂上を目指したが、今回は登山道を歩いて上るという。長瀞駅は標高140mくらいのところにあり、宝登山頂上は491mだ。標高差350m余りだが、そんなに苦はないだろう。さらに馬鹿にならないのは、毎日歩行記録を記しているように、私は歩いたり登ったりするのが苦にならなくなったことだ。1時間半ほどの登りで頂上に着いた。このようなハイキングは、天気が大いに左右する。天気予報は曇りだったが、頂上は雲一つないお花見日和だった。平日にもかかわらず、結構お客さんが多かった。

Sdscn1816  蠟梅は5分咲きといっていたが、ほぼ満開でなかったのか。この宝登山の蠟梅は、黄色やピンクなどいろいろな種類があり、12月から6月ごろまで楽しめるとのことだ。

Sdscn1815  蠟梅を嗅いでみたが、かすかに甘い香りがした。宝登山頂上には蠟梅のほかに梅や桜の木がたくさんあり、一年を通して楽しめるようになっているらしい。今回は、帰りにロープウェーを使って下山した。頂上で買ってきたおにぎりを食べたが、チョットお腹が減った。ロープウェーを降りて、皆で昼食を摂った。

Sdscn1824  さて、午後は麓から長瀞までの散策だ。新たなボランティアガイドと一緒に、寶登山神社から玉泉寺を巡り歩いた。そして訪ねたのが「オショウジンとオオワラジ」を飾っている場所だ。毎年7月末の日曜日、このオオワラジと梵天のお祭りがここ長瀞では行われるとのことだった。

Sdscn1828 Sdscn1829  さて、長瀞の虎岩と岩畳の散策だ。この岩畳は国の天然記念物らしいが、昨年9月の台風19号で壊滅的な打撃を受けたようだ。今でも爪跡が生々しかったが、荒川の水が20mも上がった。河川敷の木のてっぺんにまだゴミが付着していた。イヤ~~、すごかったんだね。徐々にではあるが、地元の有志が修復に取り掛かっているといっていた。

Sdscn1830【1月23日の歩行記録】4,772歩 3.2km

| | コメント (0)

2020年1月 9日 (木)

№4400 川越七福神めぐり

 この日は、東京シニア自然大学NEXTの今年最初の講座「小江戸川越散歩~川越七福神めぐり」があった。参加者は、お正月早々にもかかわらず22名と大勢だった。どうしても気になるのが、講座開講日の天気である。この日は、お昼を中心に大荒れとのことだ。中止の連絡があるのかと思っていたが、決行だそうだ。

Sdscn1713  川越駅に集まって、お正月の挨拶をした。世話人があらかじめ用意していた「小江戸川越七福神めぐりごあんない」の地図を片手に出発した。この地図には、七福神のお寺の案内があり、それぞれのお寺のスタンプを押せるようになっていた。駅から7~8分の所にあったのが、第一番の妙善寺だ。この寺に祀っているのは、毘沙門天だった。

Sdscn1715  川越の七福神めぐりの特徴は、それぞれのお寺に水琴窟があるとのことだ。お参りをしながら、この水琴窟の妙なる調べも聞いて歩いた。よく聞こえる水琴窟もあれば、響きの悪い水琴窟もあったのは面白い。

Sdscn1718  さらに驚いたのだが、川越には堂々とした立派なお寺が多いということだ。どうやら徳川幕府のお膝元というので、幕府に手厚く保護されていたようだ。それにしては各お寺の七福神は、そんなに立派なものではなかった。どうやら、七福神めぐりなどといわれはじめたのは、近年のことではないかな。

Sdscn1725  天気予報通り、お昼ごろに着いた喜多院付近では土砂降りだった。予報では、午後になると雨が上がるという。早めにお昼ごはんにして、この雨をやり過ごそうよ。第五番連馨寺のお寺について、それぞれ好きなお店でご飯を食べることにした。集合は午後1時半とのことで、1時間半もあった。

Sdscn1732  この列の一番最後にいた4人で、鰻を食べることにした。お正月早々だから、少しぐらいの贅沢は許されるかもしれない。入店したのは、「いちのや」という鰻屋さんだ。私は川越には何度も来ていて、車でこの鰻屋の前は通っていたが、入るのは初めてだ。前々からのこの鰻を食べたいと思っていたが、夢が実現した。

Sdscn1731 Sdscn1730  案内されたのは広々とした座敷だ。ここならゆっくり鰻が食べられそうだ。鰻は高い。一番安いうな重を頼んだ。それでも3200円とのことだ。やはり期待通り、ここの鰻は絶品だった。埼玉には鰻どころとして浦和と川越がある。浦和では何度か食べたことがあるが、川越の鰻は初めてのことだった。ここで鰻を食べた4人は、それぞれに「われわれ老人には残された時間は少ない。好きな時に美味しいものを食べるのは許されるのではないか」と勝手な理屈をこねた。

Sdscn1729  さて、集合時間の午後1時半には雨が上がっていた。皆さん、ラーメンを食べたりオムライスを食べたなどの報告を聞いたが、さすが鰻というグループはいなかった。午後に残った七福神は、布袋尊と弁財天の二つだ。無事七福神めぐりを終えた。

Sdscn1743 Sdscn1744  意外に思ったのは、仲間の中で川越は初めてという人が多かったことだ。早々に解散して、それぞれがおのおのの好きな川越を散策した。菓子屋横丁といい、蔵の街といい、時の鐘といい、見るところは多い。

 わがのん兵衛グループ7人は、駅前の一杯飲み屋で「反省会」と称した飲み会をやって帰ったのはいうまでもない。

【1月8日の歩行記録】22,478歩 15.1km

| | コメント (0)

2019年12月14日 (土)

№4373 来年度の講座出揃う

 以前、東京シニア自然大学の来年度講座の希望科目のアンケートがあった話をした。皆さんからの希望は、80数件もあったらしい。運営委員会で議論して、その中で実現しそうな講座を選定したらしい。その講座一覧表が送られてきた。なかなか魅力的な講座が揃っていたので、東京シニア自然大学の関連記事が続くが、今日はその紹介をしたい。

 「日帰り講座」が26件、「宿泊講座」が3件あった。スタートは3月25日の「江の島を学び歩く」で、4月に4件、5月2件で6月はまた4件と揃った。東京シニア自然大学の講座の基本は月2回、第2と第4水曜日のはずだったが、どうやらそれだけでは収まりきらないほど提案が豊富だったということか。

 前にもお話ししたが、私は3つの提案をした。春日部にある「首都圏広域放水路見学(地下神殿)」、筑波山の自然を訪ねる、尾瀬散策である。どうやらその3つとも採用されたようだ。東京シニア自然大学NEXTは、来年で7年になる。毎年20数講座を行ってきた。全部合わせると120以上にもなるだろうか。私のような一期生は参加してきたが、後輩で魅力的な講座に参加できてない人が多い。

 来年度講座を見ると、再度行うというのも多い。横須賀「小網代の森」散策も以前やったし、嵐山渓谷ハイキングなども以前に実施している。また、JALかANAの機体整備工場見学も満員で断られ、再チャレンジの講座だ。

 私が来年度企画でこれはぜひ参加したいと思ったのが、わたらせ渓谷トロッコ列車、文化と文学の本郷散歩、栃木市の「蔵の街」を歩く、佐原周辺の散策、アメリカ空軍横田基地沿いのアメリカンテイストの異国情緒散策である。宿泊講座でも、隠岐の島に行くと秋の尾瀬を歩く講座には参加したい。

 本人の了解なしに、私が講座世話人に指名されている講座が4件ほどあった。まあ提案者としてはしようがないが、①筑波山ハイキング、②首都圏広域放水路を訪ねる、③機体整備工場見学、④秋の尾瀬を歩くである。

 再来年2021年3月10日まで、予定はびっしりである。来年度もこの講座参加を中心に日程を組みたい。全部参加とはいかないかもしれないが、時間と暇がある限り参加したい。4月には、新たな第7期の参加者も加入する。どういう仲間が加わるのか、それも楽しみである。

【12月13日の歩行記録】10,278歩 6.9㎞

| | コメント (0)

2019年12月13日 (金)

№4372 池上本門寺

Sdscn1604  昨日の記事の続きである。昼食後、向かったのは池上本門寺である。私は初めて行ったのだが、何もかにもが素晴らしかった。結果として、この本門寺訪問がこの日のコースのメインになった。入口に差し掛かると、長大な階段が待っていた。池上会館からエレベーターに乗ると、この階段はパスできるらしい。しかし、東京シニア自然大学のメンバーでエレベーターで行く人などいない、という人がいた。

 当然、私もこの階段を上った。この階段は「此経難持坂(しきょうなんじざか)」といって、加藤清正が寄進したのだそうだ。一体何段あるのだろうか、数えながら上った。96段の石段だった。あとで説明を受けたのだが、石段には工夫がしてあって、下の段は高く、上に行くにしたがって低い石段になっているのだそうだ。

Sdscn1605  本門寺の大堂は大きく、立派な建物だった。このお寺の由来を読むと、日蓮が入寂したのがこの地だそうだ。日蓮宗の三大聖地のひとつだという。この大堂はコンクリート製だったが、空襲で元のお堂は焼けてしまったという。昭和39年に再建されたというから、先の東京オリンピックの年だ。 

Sdscn1607  このお寺は、徳川二代将軍秀忠の加護を受けたらしい。墓地には徳川家を始め、たくさんの大名の墓があった。このお寺の観光スポットにもなっているらしい。世話人が用意してくれた資料によると、紀伊・徳川家、熊本・細川家、前田家、加藤家などの歴代のお墓が納められていた。他にもたくさんのお墓が並び、大寺を思わされた。

Sdscn1608  この日の池上本門寺のもう一つの目玉が、ここの和尚さんが直接案内してくれるとのことだ。世話人にこのお寺の伝手があったのだろうか。どこに行ってもそうなのだが、ガイドがいるといないではものの見方がまるで違ってくる。この東京シニア自然大学は、出来るだけガイドを頼んでいるのがいい。大堂のいわれからこの寺にまつわる様々なエピソードマで紹介してくれた。

 その中で一つ印象に残った話をしたい。この寺の本尊は、もちろん日蓮である。戦時中、このお寺が戦災にあうというので、本尊の疎開を計ったそうだ。あらかじめ本尊用の防空壕を用意していた。いざその防空壕に本尊を入れようとしたが、どうやっても入らないのだそうだ。戦災が迫っている中、仕方なしに一般の防空壕に本尊を収めた。空襲が終わって見てみたら、本尊用の防空壕が直撃弾で完全に潰されていたのだそうだ。

Sdscn1611  さて、このお坊さんは、大堂だけではなく墓地の中も案内してくれた。墓地の中にある五重塔は、徳川秀忠の寄進になるもので、1608年に建てられたものという。秀忠が重篤な疱瘡にかかり、死地を彷徨った。ある側室がこのお寺で熱心にお祈りをして、生を取り戻したという。そのお礼にこの五重塔が建てられたらしい。

Sdscn1612  このお寺の墓地の呼び物が、力道山の墓だ。北野武や芸能人の篤志で建てられた、とあった。今の若い人は、力道山など知らないであろうが、われわれ世代には英雄だった。この力道山の経歴を見てみると、亡くなったのが昭和39(1964)年だという。やはり先の東京オリンピックの年で、池上本門寺大堂の再建なった年でもあった。

Sdscn1615  そして、この日のハイライトがお寺の秘庭「松濤園」拝観だ。この庭園は普段は入場できないらしく、年二回の開放日だけと言っていた。小堀遠州が作庭した庭園だそうで、こんもりした森に囲まれた素晴らしい庭だった。

Sdscn1619  この庭にはもう一つの売り物があって、江戸末期、江戸城無血開城を巡って西郷隆盛と勝海舟が会談したのがこの庭園だったそうだ。会談したという四阿は残っていなかったが、その石碑は立っていた。

Sdscn1617  しかも、この庭園は紅葉真っ盛りで、黄色に紅葉した紅葉は素晴らしかった。参加者は、このお寺の名部である沢庵やお饅頭をお土産に買って帰っていた。

Sdscn1622  この日は、蒲田駅前で「東京シニア自然大学忘年会」が行われた。なんと32名もの大勢が参加していた。

【12月12日の歩行記録】8,469歩 5.7km

| | コメント (0)

2019年12月12日 (木)

№4371 東急池上線を歩く

 私はもう55年も住んでいるが、それにしても東京で知らないところが多いのに驚く。東京シニア自然大学NEXTの講座で、東急池上線を巡る小旅行をした。この日の参加者は37名と、今年の開講講座では一番多かった。2~3日前の予報では雨模様だったが、普段の行いがいいせいか、一滴の雨も降らなかった。

Sdscn1577  集合場所は、池上線の五反田駅だ。私はこの池上線に乗ったのは初めてだった。この線は、五反田と蒲田を結ぶようだ。3両列車で、色はカラフルだ。参加人数が多かったということで、世話人はあらかじめ3班に色分けしていた。私は第2班で、12名の仲間と一緒だ。池上線の各駅は、全部かどうかは知らないが、木造のプットフォームの屋根だった。この屋根が、各駅の雰囲気を柔らかくしていた。

Sdscn1578  まず最初の目的地は、戸越銀座駅だった。わが班の世話人はあらかじめ研究してきたらしく、この戸越銀座の説明をしてくれた。00銀座というのは全国各地300か所ほどあるようだが、この戸越銀座がその走りだと言いう。全長1.3kmほどの商店街に400軒ほどの店が軒を並べているとの説明だった。軒並みコロッケ屋だったらしい。しかし、今ではそのコロッケ屋も3~4軒ほどに激減したという。コロッケ屋を覗いてみたら、朝の準備段階でまだコロッケは揚っていなかった。

Sdscn1582 Sdscn1581  戸越銀座温泉を経て、次の目的地は戸越八幡神社だ。入口で、またこの神社の由来を聞いた。入口の鳥居からみた神社は、参道の奥行きが深く、歴史を感じた。境内には、立派なお神輿が飾ってあった。9月には、盛大なお祭りがあるという。さて、この神社を出て向かったのが戸越公園だ。

Sdscn1591  この戸越公園は、旧細川家の下屋敷ということで、広々とした公園だ。都内には、大名屋敷跡が公園になっているところがたくさんある。この公園も、以前は今の七倍もある広い屋敷だったらしい。公園の真ん中には広い池があり、お母さんと子どもたちが日向ぼっこをしている姿がのんびりしていて、なかなかいい公園だと思わせた。

Sdscn1596  この日の予定は、世話人が描いたシラバスでは17000歩の予定だそうだ。一ヵ所で長く滞在してしていられない。この公園を出て、大井町線に乗り、旗の台駅で再度池上線に乗り換えた。目的地は洗足駅だ。駅から歩いて5分ほどのところに、「勝海舟記念館」があった。30分ほどこの記念館の見学をした。入場料300円だったが、この会から出た。

Sdscn1597  この記念館から歩いて3分ほどのところに、洗足池公園がある。この池のほとりのベンチで、昼食タイムとなった。広い池にはカモメが飛んでいた。この公園から海には近いのだろうか。土鳩も慣れたもので、食べている側に寄ってきておこぼれを狙っていた。この日は予定が詰まっているとかで、昼食タイムはわずか30分だった。

 昼食を終えて向かったのが池上本門寺だ。長くなったので、午後の話は次号でしたい。

【12月11日の歩行記録】17,632歩 11.8km

| | コメント (0)

2019年11月28日 (木)

№4357 八王子「絹の道」を歩く

 東京周辺には「絹の道」と呼ばれている街道が何本かあるらしい。この日は『東京シニア自然大学』の講座で、八王子の絹の道を歩いてきた。集合は、京王線の長沼駅であった。この付近はこの講座で何度か歩いているが、丘陵に作った造成地のせいか、道の登りがきつい。毎日この道を上り下りしていると思うと、うんざりだね。若いうちはいいが、歳をとると一仕事だ。

Sdscn1479  そうぶつぶつ言いながら、住宅地を最初の目的地に向かって歩いた。最初に着いたのが、白山神社の展望台だ。展望台とはいうものの、何も見えなかった。参加者は、口々に「なんでこれが展望台なんだ」と不満をぶちまけていた。白山神社を見ながら小休止した。坂を上っていると、少しだが汗が出た。この日は寒い一日だった。天気予報では雨の一日と予報が出ていたが、ほとんど雨は降らなかった。ちょっとした汗だったが、心地よかった。

Sdscn1483  次の目的地は大塚山公園だ。白山神社から歩いて30分くらいのところだ。この公園の入り口に「絹の道」の石碑が建っていた。この公園には二等三角点の印があり、詳しい人がこの三角点の説明をしていた。欝蒼とした森の中で、しばらく休んでいたら、汗の寒さがじわっと体に染みてきた。説明文を読むと、この地を絹の道と言い始めたのは昭和30年ごろと、比較的新しい指定だった。

Sdscn1487  丁度お昼ごろに「絹の道資料館」に着いた。ここで昼食を摂った。昼食が終わったころに、ボランティアガイドがこの絹の道を説明してくれた。この道の歴史から、絹の糸の経済関係まで詳しい説明だった。

Sdscn1489  この付近はやせた土地で、コメ作りには向かなかった。勢い、養蚕農家が多かった。蚕の絹糸は、当初は八王子の市場で売られていた。それが明治維新とともに、海外で日本の生糸の人気が高まったようだ。ここから横浜まで約40㎞あった。生産された生糸を横浜で売りに出し、大儲けをした豪農が出たようだ。しかし、鉄道が発達するようになって、この道が廃れてしまった。賑わったのはわずか30年間だったそうだ。豪農も、打ちこわしにあったり火事で焼けてしまったりで、末路は散々だったと話していた。

Sdscn1492  こういう話が聞けるのは、この東京シニア自然大学の良いところだ。この資料館から5分ほどのところに「小泉家屋敷」があった。茅葺屋根の立派な農家だったが、今でも住人が住んでいるらしい。この茅葺屋根は比較的新しかった。一体いくらぐらいかかったのだろうか。

Sdscn1498  そして向かったのが「都立小山内裏公園」だ。広いこの公園の大部分がフェンスに囲われていた。「サンクチュアリ」として鳥獣を保護することが目的で作られた公園とのことだ。こういう公園が都内にあるというのも良いね。ちょうど紅葉時期で、紅葉を楽しみながら散策した。なかなか良い講座だった。

Sdscn1482

| | コメント (0)

2019年11月19日 (火)

№4348 来年度の東京シニア自然大学の 講座希望科目

 11月も下旬になり、そろそろ来年のことを考えなければならない時期に来ている。『東京シニア自然大学NEXT』も、その手続きが始まった。先日、運営委員会から「来年度何をするのか、希望を最低3件出すように」との依頼が来ていた。その要望に基づいて、私も3件の希望講座を送った。その結果がまとまったようだ。

 会員が70名もいると、いろいろな企画が出てきて面白い。今回は81件の「日帰り企画」と、11件の「宿泊企画」が提案された。この中から希望を日帰りで5件、宿泊で1件、11月29日までに応募するようにとのことだ。

 一覧表を見ると、それぞれ甲乙つけがたい項目が並んでいる。さてどの項目に応募しようかな。内容を見ると、結構ハイキングという項目が多かった。天覧山、三浦富士、東秩父、奥武蔵、真鶴半島、鎌倉天園、日光杉並木、筑波山等である。筑波山については私が希望したものだが、他にも希望者がいたようだ。

 さらに、宿泊企画でも私は尾瀬を希望したが、尾瀬という人は他に二人もいた。日光戦場ヶ原という人もいたが、戦場ヶ原には過去二度も行っている。白神山地という希望もあったし、隠岐の島という話も出ていた。東北海道エコツアーというのは、Kuniちゃんの企画かな。私はこの企画一覧表を見て、次の項目に〇をつけて出すつもりだ。

日帰り企画

①鎌倉切通しを歩く

②本郷 文学・文化散歩コース

③座学:どこまでわかったのか宇宙と生命の起源

④わたらせ渓谷鉄道

⑤横田基地界隈のアメリカンテイストショップ歩き

宿泊企画

①隠岐の島

 以上は私の希望講座だが、これを運営委員会が集計して、希望上位20講座程度に絞るのだろう。さてどういう講座になるのか楽しみだ。来年3月の総会では、その講座の主担当者と3~4名の担当者、それに講座実施日が決まっていく。

 こうやって、来年も東京シニア自然大学講座が続く。3月には新しい会員も加わって来るし、ますます充実するのではなかろうか。

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2019年11月15日 (金)

№4344 新宿御苑 薔薇作り

 昨日の記事の続きになる。

Sdscn1421  お昼ご飯を食べて、午後は薔薇作りの話を聞いた。その前に、管理事務所の会議室で講義があった。まずは、新宿御苑の歴史についてだ。講師は、以前所長を務めていたKuniちゃんだ。この日は、奥さんも同伴していた。彼は古地図を見せながら、この御苑の変遷を語っていた。一時は、この地に赤坂離宮のような宮殿を建てる計画もあったようだ。

 Kuniちゃんの説明に続き、東京農業大学グリーンアカデミーの菊班、薔薇班の話も伺った。このグリーンアカデミーというのは東京シニア自然大学のようなもので、東京農業大学が主宰するシニアのための開講講座だ。ちなみに、最近このグリーンアカデミーから東京シニア自然大学に入学する人が増えている。言ってみれば姉妹関係にある団体だ。

 ただ、歴史も規模も大違いなのは、例えば薔薇班の会員は80名もいるということだ。薔薇班の年間スケジュールも見せていただいたが、これまたすさまじい。年間60数回の作業日程が組まれていた。その大半が除草と薬剤散布であった。新宿御苑の薔薇の管理は、この人たち抜きでは考えられない。実際、御苑側も丸投げしているような実態のようだ。

Sdscn1422  講義の後、実際の薔薇園を見ながら説明を伺った。埼玉県民活動総合センターの近くに薔薇園があり、よく見学に出かける。あの薔薇園を管理しているのは町の職員や職人のようだが、ここの薔薇の管理は、ほとんどがボランティアで行っているようだ。しかも御苑側からは、大きな制約をつけられているので大変、とこぼしていた。

Sdscn1423  それでも薔薇が満開に咲いているのを見ると、そんな不満も吹っ飛ぶようだ。今は薔薇の最盛期も過ぎている。「ぜひ、来年の5月に見に来てください。見事な花が咲いていますよ」としきりに言っていた。「来年5月には、東京シニア自然大学のための特別席もご用意します」というのだ。

Sdscn1427  薔薇園を見て歩きながら、薔薇の説明もしてくれた。知らなかったのだが、品種改良が進み今では四季咲きの薔薇が大半だという。一年中通して薔薇を楽しめるようだ。薔薇は花の鑑賞のほか、匂いも楽しめる。香水の原料となっている薔薇も多い。午前中の菊は日本で大いに発展したが、どうやら薔薇の栽培が盛んなのはヨーロッパだ。菊の名前は古今集からとられたというが、薔薇の名前は何でもありだ。それでも、王室や皇室がらみが多いのかな。

Sdscn1430  延々と薔薇の説明を伺っていたが、少し寒くなってきた。今日はこれぐらいでいいのじゃないか。

| | コメント (0)

2019年11月14日 (木)

№4343 新宿御苑探索 菊の鑑賞会

Sdscn1371  『東京シニア自然大学NEXT』の講座で、新宿御苑探索をしてきた。ご存知のように、新宿御苑は「桜を見る会」のニュースで今や話題の中心である。われわれの講座は今年の3月に決まったもので、まさかこんな騒ぎになるとは思っても見なかった。

Sdscn1383  新宿御苑には、前にもこの講座で2~3度訪れている。もう15~6年も前になるというが、この日も参加していたKuniちゃんがこの新宿御苑の所長をやっていたという。その絡みもあって、新宿御苑は何かと縁がある庭園になっている。この日は、午前中は今やっている菊花壇展を見学しながらガイドの説明を伺い、午後は薔薇の鑑賞をしながらさらに別のボランティアガイドの説明を受けるという、盛りだくさんの企画だった。参加者18人は3班に分かれ、それぞれガイドをつけてくれた。

Sdscn1385  元所長の顔もあったのか、極めて詳しいお話を伺うことができた。11月1日から15日まで行われている「菊花壇展」について、この展示会が行われるまでの涙ぐましい係員の努力の話がなされた。2~3000本の苗を育て、その中から展示に耐えうるわずか数本を選び出すのだそうだ。ほとんどの仕事は苗の破棄作業で、なんと93.4%の苗は破棄されてしまうらしい。「懸崖作り」の花壇は、一年かけてこの形にするのだそうだ。

Sdscn1396  さらにすごいのは、「大作り花壇」だ。 一本の苗から500~600本の花を咲かせる技術の裏舞台を話しておられたが、この花を咲かせるには15ヶ月かかるという。一本一本仕立て育て、この会場への移動もまた大変らしい。

Sdscn1398  本来は黄色の花と白の花は別々のようだが、中には黄色に白の混じった花もあった。これは突然変異で、苗を育てているときには予測のできないものらしい。「菊の年間作業内容」が配られていたが、この二週間の展示会のために一年間のスケジュールがぎっしり組まれていた。

Sdscn1392  お話を伺っていて面白かったのは、菊は万葉集には一首も詠われていないらしい。菊の詩が出てくるのは古今和歌集以降という。ということは、菊が日本に入ってきたのは平安時代からではないかという。ただ、今のような鑑賞菊ではなく、野菊のようなものだったらしい。そして、鑑賞に堪えられるように菊を仕立てる技術が発達したのは、江戸時代以降らしい。

Sdscn1414  ご存知のように、皇室に菊の文様が採用されている。これも意外と新しく、明治政府が採用したようだ。菊の鑑賞をしながら、このような話を伺うのは貴重な体験だった。そういえば、私の知り合いでも菊を育てている人がいる。一年中目が離せなくて、どこにも出かけられないようだ。

Sdscn1412  さらに、菊づくりの苦労はこういうところにもあった。「懸崖作り花壇」には松葉が敷き詰められていた。この松葉も丁寧に集め、一つ一つ洗うのだそうだ。さらに展示会場を覆っている土は「化粧土」と言われ、わざわざこのために買ってくるのだといっていた。さらに、苔を敷き詰めていた花壇もあった。この「菊花壇展」会期は15日までなので、興味のある方は見てきてみたらいかがだろうか。

Sdscn1410  長くなったので、薔薇の話は明日の記事としたい。

| | コメント (0)

2019年10月10日 (木)

№4308 古地図を持って竜閑川を歩こう

 よほど東京に詳しい方でも「竜閑川」は知らないだろう。この日の参加者でも知っている人は誰もいなかった。この竜閑川は、江戸時代に神田川から大川(隅田川)に抜ける堀で、交通の要衝で舟運が盛んだったという。ただ、戦後昭和25年ころに戦災のがれきを埋め立て、今では堀の名残はない。誰も知らないわけだ。

Sdscn1011  この日の東京シニア自然大学NEXTの講座は、この堀跡を辿ろうというものだった。スタートは、神田駅の近くにある竜閑橋跡だ。かすかに橋の跡は残っていたが、もちろん堀の川はない。

Sdscn1017  ただ、ここをスタートして堀の跡をたどると、それらしき遺跡がたくさんあった。今はビルの狭間になっているが、まっすぐに伸びている幅3メートルの道があった。往時に比べて相当狭くなっているとのことだ。この下に暗渠が通っているのかどうかは知らない。

Sdscn1020  ただ、道沿いにはお稲荷さんがいくつもあった。さらに、この堀沿いには「時の鐘」があって、江戸一番に時を告げていたらしい。今では余所に移されてしまったという。

Sdscn1018  由緒ある建物もあった。この丸石ビルは昭和初期の建物で、皆さんもご存知の「丸石自転車」を作っていたという。自転車は、今の自動車のように当時の一大産業だったのだろうか。

Sdscn1023  小津製紙という会社に立ち寄ってみた。この会社には紙の史料館があり、誰でも見学無料とのことだった。広くて立派な史料館に、結構見るものも多かった。この小津製紙は伊勢商人で、江戸時代に三重から出てきたらしい。古くは『古事記伝』を書いた本居宣長がこの家の出だし、最近では映画監督小津安二郎がこの家の縁戚という。ここで、お土産に和紙を買い求めた。

Sdscn1032  お昼は、十思公園で摂った。十思公園は、江戸時代の伝馬町の牢屋敷跡だという。「吉田松陰終焉の地」の石碑が立っていたし、この牢獄で亡くなった高野長英や渡辺崋山、八百屋お七や鼠小僧治郎吉の説明書が掲げられていた。江戸時代の小説を読むと、必ず出てくるのが伝馬町牢屋敷だ。ここにあったことに感激した。

Sdscn1021  午後は、さらに竜閑川をさかのぼった。この竜閑川は、今の千代田区と中央区の区境ともなっていた。明暦の大火で焼けてしまったが、それまでは吉原もここにあったようだ。残念ながら、いまや何の痕跡もなかった。「大門通り」の名前だけが残っていた。

Sdscn1036  この近くに立派な料亭があった。「浜田屋」といい、ミタパン(?)の実家だそうだ。

Sdscn1038  人形町には「うぶけや」という古い刃物屋もあった。仲間で話していたのだが、産毛を抜く刃物という意味なのだろうか。こうやって古い街並みを歩いていると、いろいろな発見があって面白かった。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧