カテゴリー「街歩きの楽しみ」の38件の記事

2020年3月24日 (火)

№4475 「将軍桜」見物

Sdscn2035  まだ桜は満開には至っていないが、散歩を兼ねて桜見物に出かけよう。自宅から歩いて20分ほどのところに、慶福寺というお寺がある。このお寺さんの枝垂れ桜が見事だ。この枝垂桜は「将軍櫻」と呼ばれている。由来を読むと、将軍家ゆかりの江戸彼岸桜で、川越の喜多院から大正14年秋に移植された桜らしい。

Sdscn2036  このお寺さんではこの桜を大事に育てているようで、手入れを怠らずに支柱をかけ、満開の時期にはライトアップをしている。この桜の見物客は多い。私も年に一度はこの桜を見に来ている。

Sdscn2031  さて、この日は将軍桜を含めて、お花見をしよう。私の家の周りには、桜の名所が多い。自宅の前を流れている見沼代用水の土手は、桜並木だ。私がここに引っ越して来た時には、まだ桜は植えられていなかった。昭和54年(1979年)、この代用水の大改修工事が行われ、コンクリート化された。その時に植えた桜だから、もう40年にもなる。この桜並木は、代用水沿線に川口まで20~30kmも植えられている。

Sdscn2029 Sdscn2041  歩いていると目につく花もある。ハナモモである。桜ではないだろうが、一本の木から白やピンクの花が咲いている。鑑賞していて楽しい。ある家の導入部には黄水仙が植えられていた。散歩していて、手入れの行き届いている庭を覗くのも楽しいものだ。この家には、雑草やごみはほとんどなかった。

Sdscn2043  桜に遅れて咲く白い花は、梨の花だ。つぼみがだいぶ膨らんでいた。例年は5月の連休頃が見ごろの時期だが、今年は早そうだ。そういえば、周囲にこの梨畑も随分少なくなった。話を伺うと、梨は手数がかかる割には収入が少なく、しかも重労働だという。農家の老齢化とともに、梨の木がドンドン伐られていくのを目にする。

Sdscn2044  さらに、わが家の目の前を流れている綾瀬川沿いの桜も、見事な並木を作っている。この並木は、目の前の住宅地開発の時に植えられた桜で、もう30年にもなるだろうか。見てみると、だいぶ大木になっている。家の周りをちょっと散歩するだけで、これだけのお花見ができるので、遠くまで出かける必要はない。

【3月23日の歩行記録】12,145歩 8.1km

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2020年3月13日 (金)

№4464 もう花が咲いているよ

Dscn2006  今日あたり「開花宣言」が出るのかな。ところがその宣言を前に、世の中は花盛りだ。我が家の前を流れる見沼代用水沿いには、すでに2週間ほど前から早咲きの桜が咲いている。今日は、周辺の花探しの旅をしてみたい。

Sdscn1996  見沼用水の土手に咲いているのは連翹だ。連翹も春一番に咲く花だ。まだ開花したばかりなのかもしれないが、満開になると土手を黄色に染める。

Sdscn2009  この時期に匂いの強いのは、沈丁花だ。マスクをかけていても、マスク越しに匂いが漂ってくる。私は散歩しながら俳句を思い浮かべている。「マスク越し沈丁花の匂い籠もる」と作ってみたが、マスクも沈丁花も季語だ。あえなく、この俳句は却下だね。

Sdscn2012 Sdscn2010  肝心のソメイヨシノはどうか。相当蕾が膨らんでいるが、開花まではまだ時間がかかりそうだ。開花すると綾瀬川岸をピンクに染める。この土手の桜は、住宅地開発の時に植えてもう30年にもなる。桜は30年も経つと大木に成長する。ただ、ソメイヨシノの寿命は60年余りと短い。

Sdscn2014  早春のこの時期の代表的な花は辛夷である。農家の庭先を真っ白に染めている。ここでまた俳句を考えた。

辛夷咲く農の裏には屋敷林

 庭の辛夷の花と黒い屋敷林の森が対照的だった。

Sdscn2013  この日は、散歩道を埼玉県民活動総合センターまでたどった。散歩道沿いには、菜の花の黄色も目立った。

【3月12日の歩行記録】12,838歩 8.6km

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2020年2月14日 (金)

№4436 お気に入りの散歩コース

Sdscn1917  ブログに【歩行記録】をつけ始めて早2か月近くになる。大体、どこを歩くと何歩になるのかわかり始めてきた。さて、今日は一番お気に入りのコースを歩こう。歩き始めて気になるのが車だ。歩行して分かったのだが、走ってくる車は意外と恐ろしいものだ。なるべく車の走らないコースを歩いている。上の写真の道は行き止まりで、車は少ない。この道を歩く散歩者は結構多い。

Sdscn1920  この日は気温が16度もあった。冬装備をして出発したのだが、すぐに汗をかき始めた。この道沿いには、すでに白梅や紅梅が咲き始めている。紅梅に留っている小鳥を見て、「見てみて、鶯がたくさんいるよ」と話していた夫婦がいた。せっかく鶯といっているので否定はしなかったが、実はメジロだ。背面の緑色の羽が鮮やかだった。目の周りも白い。

Sdscn1923  この道は、綾瀬川に沿って走っている。橋の上から眺めると、大きな鯉が結構いる。冬というので、動きは鈍い。鯉を目指しているのかどうかは知らないが、この川に釣り糸を垂れている太公望も多い。ヘラブナも多いらしい。釣果を覗いてみたが、魚籠には一匹も入っていなかった。

Sdscn1929  川沿いの畦道は、歩く人はいない。のんびりしたものだ。

Sdscn1931  そして、この散歩コースの目的地は、「cafe&gallery温々(ぬくぬく)」だ。田圃と川沿いの辺鄙な場所にある店なのだが、いつ行っても客でいっぱいだ。この店まで、歩いて片道約6000歩・約3.5kmだ。往復すると、ほぼ一日の目的を達成する。

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 この店ではコーヒーを飲み、読書をして帰るのが日課だ。今日はコーヒーではなく、昼食としてキーマカレーを食べた。そして約2時間読書をして帰ってきた。

【2月13日の歩行記録】11,339歩 7.6km

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2020年2月 4日 (火)

№4426 神田明神節分祭

Sdscn1873  この日は、歯科診療があり健保診療所に行ってきた。歯科治療は午前11時30には終わったのだが、この日は節分だ。近くの神田明神の「節分祭」を見て帰ることにした。お昼近くに神田明神に着いたのだが、節分の豆まきは午後2時からとのことだ。まだ2時間以上もあるので、近くでラーメンを食べ、お茶を飲んで時間を過ごした。

Sdscn1876  神田明神の境内には午後1時半頃に着いたのだが、境内は豆まきを待つ客でいっぱいだった。明神様の入り口では、神田囃子の演奏をしていた。演奏を聞きながら時間の到来を待った。

Sdscn1885  さて、午後2時になった。屋根から吊るしていた久寿玉を割って幕開けだ。

Sdscn1889  豆をまく人たちが舞台に上がった。誰か有名人がいるかなとよく見ていたら、自民党の女性の衆議院議員が上がっていた。あれ、今国会が開かれているのに、こんなところにいていいのかな。豆を拾う人たちも心得たもので、大きな紙袋やバックの口を開いてばらまいた豆を受け取っていた。

Sdscn1891  群集心理というか、私も負けずに拾おうとしたが、あまりうまく拾うことはできなかった。それでもキャンデーや福豆など10個ばかりをポケットに入れて帰ってきた。

【2月3日の歩行記録】9,616歩 6.4km

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2020年1月28日 (火)

№4419 戸越銀座を歩く

Sdscn1851  姉の見舞いを済ませて、戸越銀座商店街を「銀ブラ」してきた。この戸越銀座も外国人の人気スポットのようだが、この日は通行人は多かったが、外国人には出会わなかった。一体、この商店街の何に人気があるのだろうか。

 小さな間口の狭い店がたくさん並んでいたが、これはという特徴のある店は見つからなかった。同行した横浜の姉と女房が、お腹が空いたというのでイタ飯屋に入った。私はすでに昼食を済ませていたので、その間、喫茶店でコーヒーを飲んで同行者の昼食が終わるのを待った。

Sdscn1853  さらに商店街を歩いていたら、女房があるカーテン屋に入った。カーテンが欲しかったわけではなく、カーテンの端切れが欲しいのだそうだ。店には出ていなかったが、たくさんの端切れがあった。女房は目をギンギラギンに光らせて、端切れを選んでいた。気に入った沢山の端切れを見つけたらしい。つられて、姉もエプロン用にと一枚買った。

Sdscn1854  このカーテン屋を右に曲がったところに、「戸越八幡宮」があった。先日の東京シニア自然大学の講座で訪問している。せっかくだから、拝んで帰ることにしよう。

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さて、女房は一日自分の部屋に籠っていた。いずれ端切れで何かを作っているのだろうと思っていたら、バッグができたよと見せてくれた。戸越銀座に行ったときに持っていたバッグを、横浜の姉が欲しいと言っていた。姉用にと作ってあげたのだそうだ。

【1月27日の歩行記録】9,331歩 6.3㎞

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2019年12月29日 (日)

№4388 変貌する日本橋界隈

 昨日の記事の関連になるが、私が行った映画館は「TOHO CINEMAS日本橋」だった。この日は、午後3時半から会議があって、その前に映画を観ておこうと早めに自宅を出た。映画館は混んでいるだろうと予測し、なるべく空いている映画館と、ネット検索をした。日本橋に新しい映画館ができていた。ここならまだ知られていないだろうと思い、この映画館に行きチケットを購入した。上映1時間ほど前だ。

Sdscn1684  時間があったので、久し振りに日本橋界隈を散策してみた。日本橋の三越周辺は大きく変わっていた。何が変わったかというに、「CORED室町」というビルが4棟も建っていた。しかも、それぞれのビル内に特色の違った物販店があった。

 このビル群の一棟に、わが友しっしーが社長をしている会社がある。その店を訪ねてみたが、彼はまだ出社していなかった。レジに立っている男性店員は私のよく知っている人だった。彼に声を掛けたら、「シンさんのことはOgiさんから聞いていて、よく知っていますよ。那須のOgiさんちの近くに別荘があるんですってね」と言っていた。彼に名刺を渡して、しっしーによろしくお伝えしてくれるようにお願いしておいた。

Sdscn1681  私がこの際見ておきたいと思ったのは、新しくこのビル群に入ったという台湾の書店だ。「誠品書店」といって、広いスペースの書店だった。ただ、この広いスペースにもかかわらず、客はパラパラだった。あとである人にこの店のうわさを聞くと、この店は本を売るというより台湾の物品販売に力を注いでいるので、客は入っていなくてもいいのだという。それにしても、長続きするのだろうか。

Sdscn1682  さて、映画が始まる40分ほど前だ。どこかで昼食を摂ろうかと店を探していたら、「吉」というレストランが目に入った。そう、この店は高校の先輩で、プロ野球で完全試合もしたことのある方の店だ。本人はお亡くなりになって久しいが、奥さんが店を切り盛りしているようだ。私も何度かこの店で宴会をさせていただいた。久し振りにこの店で昼食を摂ろう。

 昼食後、奥さんに私は御主人の後輩で何度かこの店で宴会をしたと話したら、たまたま手に持っていた蜜柑をいただいてきた。

【12月28日の歩行記録】9,363歩 6.3km

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2019年5月18日 (土)

№4164 足尾銅山観光

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 気にはなっているが訪れていない場所が結構ある。今回もそんな場所だが、足尾銅山を訪問してみた。自宅から車で2時間半ほどの場所だ。以前、渡良瀬遊水地を訪ねて鉱毒の現地を見て歩いた。遊水地内にあった谷中村が廃村を余儀なくされた。また、田中正造の活躍も、この事件で知った。さて、どんなところだろうか。

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 足尾の街に行く途中、草木ダムがあった。首都圏の水ガメだ。以前から一度訪れたいと思っていたが、こんな場所にあったとは知らなかった。渡良瀬川の水を満々と溜めていた。このダムからさらに30分ほど行ったところに、目的の足尾銅山がある。今は鉱山は閉鎖になっていたが、坑道は観光地として開放されている。入場料820円を払って坑道に入った。

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 坑道が開放されているのは、わずか400mほどだ。坑道にはトロッコで入ったが、ものの5分程の乗車で目的地に着いた。坑道の中はヒンヤリしていた。あちこちから湧水が湧き出ている。

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 開放されているのはわずかな場所だが、坑道は延々1200kmにわたって続いているとのことだ。その距離は、東京から博多までにあたるものすごい長いものらしい。おもに銅を掘っていたが、もう掘りつくしてしまい、今は閉山になっている。

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 当時の工夫の姿が人形で展示されていた。坑道内を1時間も観て歩いた。ビデオで当時の様子も再現されていた。さて、鉱山の周りはどうなっているのだろうか。車でその遺跡を訪ね歩いた。

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 この坑道跡地から車で10分ほど走ったところにあったのが、本山の精錬所跡と大煙突だ。精錬所跡は、国の指定史跡だとのことだ。さらに、大煙突は1919年に建てられ、高さ50mに下部直径が6mもある巨大なものらしい。

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 この上流に、亜硫酸ガスの公害や山林の乱伐、大火により廃村になった旧松木村跡があるという。その旧村を目指したが、途中で車での立ち入りは禁止だという。歩いたら1時間もかかるというので、あきらめた。この周囲は裸山だ。公害でほとんどの木が立ち枯れたものだ。最近、テレビでよく報道されているが、この山への植樹が盛んに行われている。先日見たテレビでは、年間1万本の植樹を続けている団体があった。数年前に亡くなった立松和平も、この運動に積極的に加わっていたらしい。

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2019年4月24日 (水)

№4140 神田まつや蕎麦店

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 神田須田町には、東京大空襲を逃れ、ぽつんと江戸の下町を再現した一角がある。そして、食の名店がその一郭には固まっている。甘味処「竹むら」、蕎麦屋の「藪蕎麦」、アンコウ鍋が売り物の「伊勢源」、イノシシ料理で有名な「ボタン」などである。

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 なかでも私が大好きな店は、蕎麦の「まつや」だ。昨日の記事の続きになるが、会議が終わったのは午後5時過ぎだ。その場所から「まつや」までは歩いてものの5分もかからない。久しぶりに、蕎麦を食べて帰ろう。私がサラリーマン現役の時代は何度も通ったが、やめてからはとんとご無沙汰だった。この店は人気店で、いつも行列ができる店だった。しかし、この日は5時を過ぎても行列はなかった。

 空いているのかなと入って見たら、8分位の入りで賑わっていた。この店は1887(明治17)年創業とのことで、店内は江戸のたたずまいが残っていて、何か懐かしい感じの店だ。この店には、食通で鳴る池波正太郎もよく通ったそうだ。

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 入店したら、相席だという。私は相席でも一向にかまわない。まず注文したのが温燗一合に、にしん棒煮、かまぼこワサビだ。私がこの店で何より好きなのが、お通しで出てくる焼き蕎麦味噌だ。かつて同僚とこの店を訪れたとき、このお通が美味しくて思わずお代わりを頼んだ。そしたら彼は、「お通しのお代わりをするなんて、野暮の骨頂」といっていた。そうはいっても美味しいものは美味しい。温燗をもう一本つけてもらった。

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 最後に盛り蕎麦一杯で、おあいそをお願いした。わずか40分ほどだった。余分な話になるが、相席した隣りの人と話をした。彼は、「勘定場に座っている妙齢な女性は、この店のおかみさんでないだろうか」。まさか、あんな若いおかみさんはいないだろうと話したら、女店員が、「いえ、あの人はおかみさんです。上は大学生を頭に、3人の子持ちですよ」と言っていた。ウッソー、まだ20台にしか見えなかったよ。

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2019年4月14日 (日)

№4130見沼代用水沿いサイクリング

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 わが家に近くを「見沼代用水」が流れている。この代用水は、利根大堰を発端として川口に至る50数kmの用水である。開削したのが江戸時代だから、もう300年にもなる。そして、平成元年に10年も改修工事をした。その時に堤防に植えた桜が、いま見事な花をつけている。検索してみると、日本一の桜並木とあった。10数㎞にわたって桜並木が続く。

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 この代用水沿いに、散歩兼サイクリングロードとして「緑のヘルシーロード」が併設されている。この道は、利根川から川口まで伸びている。わが家のすぐ近くで、「利根大堰から31km」の標識がある。この道をたどってサイクリングに出た。若干風があったものの、ポカポカ陽気であった。さすが桜も満開が過ぎ、散り始めている。用水は、さながら花筏のようであった。

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  この道の33kmの手前に「瓦葺分水」がある。ここで見沼代用水は、東縁と西縁に分かれる。その先に綾瀬川が流れていて、東西縁は、この綾瀬川をくぐっていく。両縁にともにサイクリングロードがあるが、この日は東縁沿いに自転車を漕いだ。陽気に誘われて、どこまでも下っていく。

Sdscn0113 Sdscn0118  用水沿いにはたくさんの花が咲いていた。桜の盛りは過ぎたが、菜の花や芝桜は見事だ。この陽気に誘われて、自転車を楽しむ人が多かった。そうだ、コンビニエンスストアでお昼ご飯と飲み物を買おう。おにぎりとサンドウィッチ、さらにお団子を買った。どこか公園と思いながら、自転車を先に進めた。

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 出発して12~3㎞のところに「見沼自然公園」があった。お弁当を広げている家族がいた。私もここで一休止し、買ってきたお昼ご飯を食べた。ベンチに座っていたら、少し汗ばんできた。サイクリングは、行きは良い良い帰りは恐いで、思わず遠くに行くと帰りは難儀する。この付近で帰ろうか。同じ道をたどって帰った。

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 見沼代用水は、桜と新緑の芽吹きが美しかった。ただ、普段運動不足の足の筋肉はパンパンだ。往復3時間、25㎞ほどのサイクリングだったが、家に帰り付いたら足が上がらなかった。

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2019年4月13日 (土)

№4129 埼玉の三偉人

 昨日の続きの記事である。「渋沢栄一記念館」で、【埼玉三偉人】を訪ねる地図をいただいた。三偉人とは、渋沢栄一のほかに荻野吟子と塙保己一のことをいうらしい。頂いた地図を見ると、そんなに遠くもない。せっかく深谷に来たのだから、ついでに訪ねてみよう。こういう場合は、カーナビは本当にありがたい。

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 最初に訪問した「荻野吟子記念館」は、渋沢栄一記念館から車で18kmもあった。とてもじゃないが歩ける距離じゃない。記念館は、利根川の土手沿いにあった。荻野吟子は、明治18年(1885)に医師の資格を取得した日本の最初の女医である。記念館の展示物を読んでいると、今回の新札とまんざら無関係でもないようだ。今回5000円札に採用された津田梅子との交流があったという。

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 生まれは埼玉であったが、女医として活躍したのは北海道だった。彼女の生涯は、渡辺淳一の小説『花埋み』に書かれているというが、私はまだ読んでいない。展示物を読む限りにおいて、医療・婦人解放運動の先駆者として活躍し、女性の地位向上や衛生知識の普及に尽力した方らしい。機会があったら読んでみよう。

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 荻野吟子記念館を一回りして、次の目的地へ向かった。行く途中、「妻沼聖天山」の看板がやたら目についた。一体なんだろうと、急に目的地を変えた。私は知らなかったが、妻沼の周辺では「聖天様」として信仰を集めているお寺のようだ。このお寺には秘仏があるが、4月16日~22日まで、23年ぶりの秘仏御開帳になるらしい。着々と準備が進んでいたが、この御開帳には相当多くの信者を集めるのだろうね。

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 本堂の裏に国の指定重要文化財に指定されている本殿があった。本殿は日光東照宮の流れをくむ建物で、豪壮華麗な建物らしい。日光東照宮の後にできた建物ということで、さらに洗練されているらしい。入場料がかかるというので、外から拝観させていただいた。

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 この聖天様の近くでお昼ご飯を食べた。看板にとろろとあった店で、とろろ飯をいただいた。メニューを見ると「とろろおわん」とあったので、なぜおわんなのか聞いてみた。子ども用語を採用したらしい。お昼ご飯を食べながら、深谷に住む高校の友だちを思い出した。急に電話したら彼が出た。せっかく深谷に来たからと、塙保己一記念館訪問後久し振りに会うことにした。

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 そして訪ねたのが「塙保己一記念館」だ。私は、塙保己一についてもほとんど知識がない。入口で、塙保己一を紹介するDVDを観た。30分ほどの番組だったが、塙保己一についてよくまとめられたDVDだった。盲目の塙保己一は、江戸時代に『群書類従』をまとめた学者だ。本庄の片田舎で生まれ、7歳で全盲になったらしい。お母さんが亡くなり、13歳で上京した。

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 江戸では大変苦労して、最後には総検校にまで上り詰めたという。記念館には全666冊になるという『群書類従』が展示されていた。17,244枚の版木が残されていた。桜材だそうだ。展示を見て初めて知ったのだが、ヘレン・ケラーが塙保己一を励みに努力を重ねたという。こういう偉い学者だと初めて知った。

 さて三偉人の記念館を経巡って、約束の友だちに会うことにした。Shigeoといって、私の高校の同級生だ。彼とはいつも机が隣り合っていた。高校での陸上競技クラブも一緒だった。10年ぶりくらいの再会か。会うと同時に彼から出た言葉は、陸上競技部の監督先生の死去の報だった。そうか、先生には大分お世話になった。私達より一回り上だったというから、やむをえないか。

 お互い元気かどうか確認した。彼は「自身は病気のデパート」といわれるくらい、様々な病気を体験したらしい。「それもこれも、糖尿病に原因がある。若い頃の不摂生がたたった。今でも、足下の血行障害で苦しみ、最近まで入院していた」そうである。古希を過ぎて、お互いどこかかしかに障害がある。まあ、だましだまし病気と付き合っていこうと確認し、別れてきた。

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