カテゴリー「海外旅行」の135件の記事

2019年10月12日 (土)

№4210 パスポートの更新

Sdscn1049  先日もご報告したが、海外旅行に行くのにパスポートの残期間が4ヶ月しかないので、新しく更新することにした。今度の渡航先は、パスポートの残期間6ヶ月以上は必要とのことだ。今は便利なもので、市役所でも更新できた。費用は16,000円とちょっと高かったが、必要経費として泣く泣く払った。新しいパスポートは旅券番号は変わっていたが、他は前とまったく同じだった。

Sdscn1050  ちなみに、私の机の中には前のパスポートが眠っていた。改めて、前のパスポートを引き出して、眺めてみた。一冊目は1998年7月17日から2008年7月17日までのものだった。そして二冊目は2010年2月3日から2020年2月3日までの有効期間である。このパスポートを見ていると、渡航先国のスタンプが押してあるのでいつ、どこに旅行したのかがわかる。第一冊目は7回の旅行の記録があったし、第二冊目は9回の海外渡航記録が残されていた。

 ただ、残念ながら近年は省力化の影響か、税関でのパスポートにスタンプの記録がなくなりつつある。やはり記録があると、振り返るのに便利だ。スタンプ記録を見ると、その時の旅行の記憶がまざまざと思い出される。2冊のパスポートには、ビザを取った記録も残っている。最初のビザは、2003年ベトナム渡航の際のビザであった。今はベトナム渡航には必要なくなったが、当時はビザが必要だったのだ。

Sdscn1052  第二冊目のパスポートには、3ヵ国のビザが貼ってあった。一つは2012年11月のカンボジア渡航のビザであった。その旅行は、ベトナムからアンコールワットに入った旅行の際のものだ。もうその時には、ベトナムのビザは必要なかった。二つ目のビザは、2015年のミャンマー旅行に必要だった。ミャンマー大使館に2度ほど通った。そして3つ目のビザは、2017年のアゼルバイジャン入国に必要だった。

 面白いことに、日本のパスポートは海外にて絶大な信用がある。日本のパスポートを持っていると、ほぼどこでもフリーパスなのはありがたい。ただ、日本人だからといって騙されたこともある。カンボジア出国の際、税関係員に1000円騙し取られた。お金を払わなければ出国させないという。まあ1000円ならいいかと払ったが、他の同行者にそんな請求はなかったのだから、騙されたのだ。

 ことほど左様に、パスポートは歴史を語っている。今度の新しいパスポートは10年の期間がある。さて、10年間海外旅行が続けられるものなのかどうか、不安もある。

| | コメント (0)

2019年10月 5日 (土)

№4203 竹ちゃんに触発されて旅に出よう

 先日、竹ちゃんがいつの間にか東南アジアの旅に出発していたと報告した。そのことをブログに書いたら、彼のブログでさっそく私の記事を紹介し、さらに親切なことに安いチケットの買い方も教示していた。それにしても、海外にいても私のブログをチェックしてくれているのには、頭が下がる。いま、彼はベトナムのディエンビエンフーにいるという。地図で確認したら、ベトナムとラオスの国境沿いだった。

 ディエンビエンフーは、ベトナムとフランスの最後の激戦地だ。フランスはここで敗れ、ベトナムから撤退したのだ。フランス撤退後にアメリカがベトナムにやってきて、ついにはベトナム戦争にまでなったのだ。あの当時、アメリカにはドミノ理論というバカげた理論があり、一国が共産化すると、次々と倒れて共産化していくという恐れを抱いた理論だった。

 竹ちゃんの触発を受けて、私も海外旅行を思い立った。もともと10月下旬から2週間ほど海外旅行を予定していた。今年は中止にしたら、次々と予定で埋まっていく。予定で埋まらないうちにと、海外格安航空券を探した。本来7時間半で行けるバンコクが、格安航空券だと20時間もかかるという券もあった。そんな長い旅を予定していないので、直行便で検索した。LCCで格安とケットを見つけた。往復34,000円(燃油込み)だった。ただ、機内に荷物持ち込みには制限がある。まあ、ほとんど荷物を持たないで行こうと思っている。

 さらに、ネットにはホテル情報もあふれている。私が探すホテルは①朝食込み、②部屋でWi-Fiが使えることが絶対だ。さらに、出来ることなら街の中心からそんなに離れていないことが良いね。そういうホテルが見つかった。今回は6泊7日で、ほとんどバンコクからは動かないつもりだ。条件を満たしたうえで、26,000円で6泊というホテルが見つかった。エイヤッと予約を入れた。さて、どういうホテルだろうか、行ってみないと分からない。

 私はバンコクには5~6回行っている。それでも最新情報が欲しいと、ガイドブックを手に入れた。そのガイドブックを読むと、タイ入国には最低6ヶ月以上の期間のパスポートが必要とあった。私のパスポートは来年の2月までだ。パスポートも更新する必要がある。今では市役所で更新できるようだ。こういうものは早いに越したことないと、さっそく市役所に出かけて更新手続きをしてきた。

 私は、海外旅行には必ずパソコンを持参している。昨年のキューバ旅行やメキシコ旅行でも、電圧220Vの国で100V電圧のパソコンを使っていた。過電流で壊れてしまう恐れがあるので、今回変圧器も買うことにした。いつものY電気に行ったら、2,300円くらいで売っていたので、買い求めた。

 成田空港出発というので、格安駐車場も確保した。駐車場も年々安くなっていて、今回予約したのは7日間3500円の駐車場だ。さてバンコクに7日間滞在するが、一体何をやって過ごそうか。これから研究してみたい。それにしても、海外旅行というのも、ネットで極めて便利になったものだ。今回の予算は150000円である。

| | コメント (0)

2019年10月 1日 (火)

№4199 旅名人、東南アジアへ

 私のブログにも何度か登場するが、わが仲間竹ちゃんがいつの間にかベトナムにいた。彼は、今年の3月から7月にかけて日本列島縦断を終えた。それから3ヶ月、ベトナム、ラオス、タイへの旅に出ていた。彼のブログ「竹ちゃんの旅日記のブログ」は、旅を終えると記事の投稿がなくなる。時々訪問するが、新たな記事投稿のないのを確認するのみだ。

 たまたま、再度彼のブログを訪問してみた。そしたらベトナムのハノイにいるらしい。彼のブログを読んでみると、今回の旅はバス旅行の予定で、ベトナムのホーチミンに入り、ハノイ、ラオスのルアンブラパン、ビエンチャン経由で、タイのノンカイに抜ける1ヶ月の旅のようだ。

 彼のブログの良いのは、写真がたっぷり載っていることだ。私も4回ほどベトナム旅行をしている。そして、一度はハノイからホーチミンに夜行列車で行った。途中で、竹ちゃんも今回立ち寄ったホイアンの街も見てきた。今でも覚えているが、ホイアンの街はやたらに暑かったね。

 竹ちゃんのブログ写真を見ながら、それぞれの場所が懐かしく思い出される。ハノイの街はやたらにバイクが多かったね。食べ物も美味しかった。彼のブログにフォーの写真が写っていたが、ベトナムのあちこちの街角にフォー屋さんがいた。フォー一杯が、たしか30~40円くらいのものだった。手軽なおやつとしては良かった。

 本当にベトナムは、旅行地としては最適な場所だ。友だちのTakii夫婦と一緒に、ホーチミンとカンボジアのアンコールワットを旅したことがある。その旅があまりにもよかったので、Takiiさんの奥さんKayoさんがぜひもう一度行きたいといっていたが、なかなか実現しない。彼女は、ホーチミンでお土産に買ってきた籠が大好評で、もう一度大量に買ってきたいらしい。

 私は、残念ながらラオスは訪問したことがない。昔、会社の同僚とルアンブラパンに行く計画を立てたが、残念ながら実現しなかった。その時の計画では、ルアンブラパンからビエンチャンまで舟下りをしようという話だった。

 今回ラオスからタイへは、ノンカイの街から入国するという。ノンカイも思いで深い場所だ。バンコクからノンカイには、女房と夜行列車で行った。ノンカイの街のレストランでは、深い谷にメコン川を眺めながらナマズ料理を食べた思い出がある。川の向かいにはラオスの街が見え、歩行者の姿もはっきり見て取れた。ラオスの街に行こうと女房と話したが、入国税5000円ほどかかると聞き、中止した。

 また、竹ちゃんの旅日記を見る楽しみができた。彼のブログには、早速コメントを入れておいた。それにしてもどうやって買うのだろうか、ホーチミンへの航空券は13000円、帰りのバンコクから成田までの航空券は11000円だという。私が最近調べたが、一番安いバンコク往復航空券は45000円ほどだった。往復22000円でバンコクに行けるのなら、私も行きたいね。

| | コメント (0)

2019年8月20日 (火)

№4157 今秋の海外旅行計画の変更

 6月の記事でジャガランダの花を見に行こうと、今秋の海外旅行の話をした。その後、飛行機の格安航空券で、南アフリカのケープタウンに行くにはどうするのか、さんざんネットで調べた。15日前後の旅行は、ツアーだと100万円以上するようだ。往復航空券が約20万円、現地滞在費が30万円とすると、旅行費用を約50~60万円であげるつもりで計画していた。

 着々と計画を進めていたが、女房が「私も行きたい」と言い出した。往復航空券を別にすれば、一人で行くも二人もほぼ同じ料金だ。ホテル宿泊は、基本的に二人の料金になっている。ということは、二人の方が安く上がる計算になる。私にとって、女房が一緒に行くのには一向にかまわない。

 ところが、女房は11月初旬から一週間ほど、北海道の知床で展示会を開くらしい。「南アフリカ旅行は、今年でなく来年にしようよ」と言っていた。あれ?来年は6月に北欧旅行を計画していたのではなかったのかな。話にきくと、4人で旅行するつもりでいたようだが、そのうちの一人が病気でダウンしてしまったようだ。来年の北欧旅行も宙に浮いた形だ。そこで、南アフリカに一緒に行きたいという。

 私はジャカランダ見学が目的だが、女房の狙いは、アフリカで面白い布を買ってきたいらしい。何度か話しているが、女房は裂き織りの作家だ。日本にはないような布を買ってきて、織物にするのが楽しみなのだ。私も南ア旅行は、どうしても今年でなければならないという理由もない。来年でもいいかな。

20070911_2301  そのジャガランダの花を見たのは、2006年5月~6月のスペイン・ポルトガル旅行でだった。上の写真は、その時、ポルトガルのリスボンで撮ったものだ。リスボンの街は、ジャガランダの花で紫色に染められていた。そのジャガランダの本場は、アルゼンチンと南アフリカだという。日本の秋は、アルゼンチンや南アフリカにとっての春だ。10月から11月にかけて咲くらしい。

 どうしても旅行期間は限られている。私の日程を見ても、前月の25日ころから翌月の10日にかけてしか空かない。今年もそのつもりでいたのだが、久し振りに女房と一緒の旅行もいいかもしれない。ジャガランダ見学は、来年に引き延ばそう。そうすると、今年の10月末から11月初旬はどうしようか、スケジュールは空けているので、別のことを考えなければならないね。

| | コメント (0)

2019年6月12日 (水)

№4189 ジャカランダの花を見に行こう

Photo_9
 皆さん、ジャカランダという花を知っているだろうか。桐の花のような紫の花だ。日本でも咲いているところはあるようだが、少ない。私がこの花を見たのは、2006年5月~6月にポルトガル旅行をした時である。リスボンの街は、紫色のジャカランダの花でいっぱいだった。まるで日本の桜が満開のときのようにだ。

 ジャカランダに強い印象を受けて、長い間、再度ジャカランダを見たいと思っていた。日本に帰って調べてみたら、どうやらジャカランダは南半球の花で、アルゼンチンやオーストラリア、南アフリカで10月~11月に見られるという。特に、南アフリカのヨハネスブルグやプレトリアが有名という。プレトリアは「ジャカランダ・シティ」と呼ばれ、街に7万本もの花が咲いているという。さらに、南アフリカは観光するのにもケープタウンやヴィクトリア滝、象やライオンを見る自然公園など見どころ一杯のようだ。

 年初から南アフリカ旅行を胸に秘めていたが、さていつ女房に告白しようか迷っていた。そして、夕食時についに告白した。女房は二つ返事で、「いってきたら」と軽く返事をした。実は、女房もこの6月に北欧旅行を計画していた。それが突然の発病で、来年に延期になった。

 南アフリカに何しに行くのと聞かれたので、主な目的はジャカランダのお花見だといった。女房が、「それなら私も行きたい」と言い出した。ポルトガルの旅行のときには、女房のほかに横浜の姉も一緒だった。ジャカランダの花に強い印象を受けたのだろう。女房は、さっそく北欧旅行に行くはずだったある友だちを誘っていた。

 誘われても、半月もの旅行計画だ。友だちもすぐに返事とはいかないようだ。それを聞いた女房も、「彼女が行くなら行くし、行かないならやめ」るのだそうだ。いずれ大蔵省の許可をえたので、この計画は進めよう。

 飛行機の手配や宿の手配など、そろそろと準備にかかる。飛行機は25~30時間もかかる。

| | コメント (2)

2019年4月30日 (火)

№4146 私の平成海外旅行史 その2

 さて、今日で平成は終わる。明日からは令和だ。昨日の記事の続きを書きたい。

 私は2006(平成18)年11月末、60歳の誕生月の月末をもって退職した。もう12年半になる。昨日も記したが、退職後の生活はとっても充実していた。2007(平成19)年4月には那須に陋屋を求めた。手帳を繙くと、買った当初は、那須にはずいぶん通った。そして、2008(平成20)年1月にこのブログを始めた。ブログは11年3か月になる。ずいぶん長いようで、あっという間だ。

 このブログを始めて、海外旅行の記録が見れるようになった。カテゴリーの「海外旅行」の欄を見ると、いつどこで何をやったのかが読み取れる。この欄を久し振りに読みながら、私の海外旅行史を見てみたい。

 2007(平成19)年1月に、退職後初めて女房と二人で11日間のタイ旅行をした。このアルバムもブログに残っている。改めてみてみたが、本当に懐かしい。ラオスとの国境の町ビエンチャンまで汽車旅行をした。さらに、チェンマイから一昼夜かけてコ・サムイ島まで夜行バスで走ったのも懐かしい記憶である。

 海外旅行ではないが、2009(平成21)年、兄弟姉妹で沖縄旅行を楽しんだ。前年に、仙台に住んでいた弟が亡くなった。弟の嫁さんも沖縄に同行したが、沖縄のホテル滞在中、弟の誕生日だった。盛大に亡き弟の誕生日を祝ったのは、今でも記憶に新しい。

 2010(平成22)年、HISの格安ツアーに乗って、中国3泊4日の旅をした。一緒に行ったのは、これも女房と横浜の姉だった。こう見ると、横浜の姉とはずいぶん一緒に海外旅行をした。川崎に住む姉も海外旅行に誘ったが、彼女は一貫して「海外旅行には行かない」という主張を繰り返している。私には十分楽しい中国旅行だったが、同行の二人は不満だったらしく、「もう二度と中国には行かない」と言っていた。

 2011(平成23)年、女房と二人でヴェトナムのホーチミン市を旅行した。この話を聞きつけた友人のTakii夫婦が、「私達もヴェトナムに連れて行って」とリクエストがあり、2012(平成24)年11月にご夫婦と一緒に行ってきた。この時はヴェトナムだけではなく、カンボジアのアンコール・ワットまで足を延ばした。よほどこの旅が楽しかったらしく、その後も「またヴェトナムに行きましょう」と誘われているが、実現していない。旅は一回限り、のものなのだ。

 2013(平成25)年5月、横浜の姉夫婦とわが夫婦でドイツ旅行を計画していた。旅行直前、秋田に住む兄の危篤が伝えられ、海外旅行は中止になってしまった。Takii夫婦も一緒のはずだったが、彼らだけで旅をしたらしい。何より一番ガッカリしていたのが義兄のFumioさんだ。この旅を楽しみに、日ごろ鍛錬を重ねていた。それでも、旅の途中で亡くなり急遽帰国になったら大変だったね。

 2014(平成26)年の海外旅行はなかった。その代わり、2015(平成27)年は二度の海外旅行をした。一度目は2月に女房と台湾旅行、二度目は12月に一人でミャンマー旅行をした。2016(平成28)年3月、孫二人を連れてハワイ旅行をしたのも新しい記憶である。その年の11月、また一人旅行でタイのスコータイを訪ねた。

 そして、2017(平成29)年は二度の海外旅行をしている。一度目は3月のモロッコ旅行だ。これはツアーだった。11月に、15日間かけて南コーカサス・トルコを旅してきた。さらに、2018(平成30)年、これもブログで詳細を綴ったが、キューバ・メキシコ15日間の旅をした。こうやって旅行できたのも、気力の充実と健康があればこそだった。最近、気力の衰えとともに、果たして今後旅行が続けられるかどうか心配である。

| | コメント (0)

2019年4月29日 (月)

№4145 私の平成海外旅行史 その1

Sdscn0199
 さて、明日4月30日で「平成」が終わる。ここで、私の平成海外旅行史を振り返ってみるのも、意味がないわけではないな。メモ魔ではないが、私は手帳に記録を取っている。その手帳を久し振りに取り出してみたら、1978(昭和53)年からの記録が残っていた。残念ながら、2~3年の記録は紛失していたが、その手帳をくくりながら平成30年間と4か月の海外旅行史を見てみたい。

Sdscn0202
 平成の半分近くの17年間は、サラリーマン生活を送った。その後の14年は、悠々ではないが引退生活だ。今から考えてみると、サラリーマン時代よりも2006(平成18)年11月末の引退後は、ものすごく充実していたように思える。ただ、サラリーマン時代の手帳は、毎日が飲み会とゴルフで真っ黒だ。現役時代、よくぞあれだけ酒を飲んだものだ。

 さて、平成になったのは、1989年1月であった。思い出してみると、そのころは大変激動の年だったような気がする。日本はバブル景気に沸いていた。一方、中国では6月4日に天安門事件が起き、中国はさながら内戦状態だった。さらには11月9日、東西を分断していたベルリンの壁が崩壊した。世の中は一体どうなってしまうだろうか、世界中に不安が広がった。さらに今考えてみると、バブルは私のようなサラリーマンには一切影響を与えていない。儲けもしなかったが、そんなに損もしていない。

 個人的にみると、私はその年の8月に初めて海外旅行を経験している。会社の同僚にタイ=フリークがいて、長期休暇がとれたのでどこに行こうかと彼女に相談した。「タイが断然いいわよ」というので、海外初旅行は往復航空券だけ買って、バンコクのドンムアン空港に降り立った。空港でホテルを紹介してもらい、タクシーでそのホテルに着いた。ほとんど言葉も話せない私にとって、今から考えると何とも無謀旅行だった。

 ただタイに嵌って、その後も何度かタイ旅行を重ねた。個人旅行の時もあったし、女房と二人のときもあった。そうだ、女房とおふくろと次男の4人でタイ旅行も楽しんだ。手帳を詳しくくくるといつか分かるだろうが、ザッと見ただけではいつ行ったのか、探し当てることはできなかった。

 1993(平成5)年には、再度、タイのバンコク経由でインド旅行をした。これも個人旅行で、8月5日から17日までの12日間だった。ニューデリーからカルカッタまで、これも無計画で歩いた。ずいぶん怖い思いもしたが、何が怖かったかといって、ニューデリーの到着時が怖かった。ニューデリーに着いたのが夜中の1時半ころだ。ホテルも予約していなかった。空港を出ると、真っ暗だ。今から考えたら、空港で素泊まりしたらよかったのに、無謀にもタクシーを拾って街に出た。とんでもないことだった。ただ、このインド旅行は印象深かった。

 1995(平成7)年は、これもまた大変な年だった。1月には阪神淡路大地震が起き、3月にはオウムの地下鉄サリンバラマキ事件があった。今から考えると、同じ時間に私は地下鉄銀座線に乗っていた。幸い、銀座線には影響がなかったが、車内放送で事件が起きた放送を聞いていた。そして、8月には同業仲間のGyuちゃんと二人でトルコ旅行をした。これも個人旅行だった。夜行バスでカッパドキアから帰ってきたのを思い出す。これも記録では探せなかったが、その後、女房と二人でトルコ旅行を楽しんだこともあった。

 1996(平成8)年に、これも8日間の航空券や宿の手配をネットでしてイタリア個人旅行をした。この旅行の同行者は、女房と横浜の姉だった。航空券や宿の手配をネットでした初めだ。ローマ経由でヴェネチィアに到着したのが夜中の12時半だった。私が予約したプチホテルを探し当てるのに1時間もかかってしまった。この旅行で、ばったり友だちに出会った。フレンチェのウフィツィ美術館前で、Kiyomiさんはツアー旅行で来ていたが、個人旅行の私たちと出会ったのだ。彼女とは旅行前に飲み会をやっていたが、一切旅行の話はしなかった。それだけにびっくりした。

 1997(平成9)、中国の上海を訪ねた。これは会社の部課長会旅行で、2泊3日の旅だった。上海で一行と別れ、仲間4人で寧波に行ったのも懐かしい思い出である。その後も韓国旅行、台湾旅行、ベトナム旅行などを繰り返した。

 2006(平成18)年、退職前の特別休暇旅行で行ったのが、スペイン・ポルトガルの13日間のツアー旅行だ。同行者は女房と横浜の姉、さらに姉の友だちの4人だった。この旅行の写真は、「シンさんちの繭の里通信」のアルバムに残っている。興味のある方は、赤字をクリックしてみてください。

 退職後の個人旅行史は、明日の記事で綴ってみたい。

| | コメント (0)

2018年11月19日 (月)

№3990 持って行った本は読んだのか

 この旅行記の中でほとんど触れてこなかったことがある。今回、厚手の文庫本を10冊持参したのだが、今日はどこまで読んだのかを報告したい。

 いつでもそうなのだが、私にとっての海外旅行は、「読書の旅」でもある。前にも報告したが、海外での夜遊びはほとんどしない。夕食が終わると、まっすぐホテルに帰ってくる。部屋には必ずテレビは置いてあるが、テレビを見ることもない。ひたすらブログを書くことと、本を読むことだ。

 今回も、メキシコシティには飛行機で14時間かかった。その長時間飛行は、私にとっては至福の時間だ。誰にも邪魔されずに、読書に浸ることができる時間だ。10冊持参した文庫本だが、今回日本に帰国するまでに8冊を読了した。ちょうどよかったのではないかな。今日は、どこで何の本を読んだかの報告をしたい。

Simg_7044
 まず、行きの飛行機で読んだのは馳星周『パーフェクトワールド(上)』だ。1970年、沖縄返還をめぐるごたごたの中で、警視庁から特別派遣された公安警察官・大城の物語だった。この大城が特別の悪で、自分の情報をもとに犯罪行為を重ねていくストーリーだった。行きの飛行機で(上)を読み終わり、(下)はハバナのホテルで読んだ。トータル1094頁あった。

Simg_7497
 次に読んだのが、新田次郎『劔岳 点の記』だ。新田次郎の本はかなり読んだはずだが、本書だけは読んでいなかった。ハバナからサンチャゴ・デ・クーバは長時間のバス旅行だったが、バスの中では本が読めない。バスは室内の電気を消して真っ暗にしていたし、天井灯もともらなかった。結局、読み終わったのはハバナに帰ってきてからだ。

 国土地理院が全国のあらゆる場所に三角点を埋設して、測量を行っている。明治の中頃、ただ一点白紙の状態の場所があった。未踏といわれた劔岳だ。その頂上に「点の記」を打つ物語だった。先人の苦闘がしのばれた。407頁だった。

Simg_7493
 北方健三の本は、どんなに長編であっても流れで読み切ってしまう。今回読んだのは、『草莽枯れ行く』だ。幕末の尊王攘夷の運動の中で、上州浪人・相楽総三、博徒・清水の次郎長、剣客・土方歳三等の動きを追う話だ。700頁に及ぶ長編だったが、ハバナのホテルで読んだ。

Simg_7496
 内田康夫の『化生の海』 は、主人公浅見光彦の事件簿だ。私は内田の本は最近読み始めたばかりだが、浅見光彦を主人公とした本は、これで何冊目だろうか。内田の本は魔法のようなもので、読み始めたら止まらない。北海道の余市で忽然と姿を消した男の死体が、加賀の橋立で見つかった。遺族の依頼を受けて、推理を働かせ、見事解決に導いた浅見だ。ただ、この時点でも警察は解明できていなかった。559頁を読み終わったのは、メキシコのホテルでだ。
 
Simg_7495
 火坂雅志『青き海狼』も夢中になって読んだ本だ。読んでいたのは、メリダからカンクンのホテルでだ。鎌倉幕府を襲った蒙古襲来だが、2度は幸いの嵐で退けた。ただ、フビライ汗は、日本襲撃をあきらめていなかった。三度目は、前の襲来に輪をかけて大きなものになりそうだ。主人公・朝比奈蒼二郎は、時の執権の密命を受けて大陸に渡った。モンゴルの動きを探るためだ。この物語は日本と中国だけではない。ベトナムの動きも絡ませ、壮大なスケールの718頁に及ぶ歴史小説だった。

Simg_7498
 最後のメキシコのホテルで読んだのが、宮部みゆき『名もなき毒』であった。宮部の文庫本は、読もう読もうと旅行中に持ち歩いていたが、結局最後になってしまった。宮部は読み難い、という先入観があったのかもしれない。案に相違して、そんなに抵抗感もなく読めた。

 トラブルメーカーの原田いずみをめぐる物語だ。彼女は経歴詐称の履歴書で、ある会社に入社した。ところがとんでもないことに、仕事ができなかった。それに平気で遅刻はするし、休暇を取ってしまう。たまりかねて、解雇にしたのだが、それがまたトラブルを生む対象になった。607頁に及ぶ長編だったが、すんなり読めてしまったね。

Simg_7499
 最後に帰りの飛行機の中で読もうと残しておいたのが、池井戸潤『アキラとあきら』だ。池井戸の本は、安心してどこでも読めるのがいい。今テレビ放映されている『下町ロケット』も、昨年話題を読んだ『陸王』も上質な小説だ。

 今回の小説は、零細工場の息子・山崎瑛(あきら)と大手海運業者の御曹司・階堂彬(あきら)をめぐる物語だった。メキシコから帰りの飛行機は真夜中の出発ということもあり、皆さん電気を消して寝静まっていた。私の席だけが、天井の明かりで照らされた。帰りはほとんど寝ずに、この小説に没頭した。これも713頁に及ぶ長編小説だったが、帰りの長期の飛行機も苦にならなかった。

 今回の旅で読んだ本は、計8冊・4800頁ほどだった。足掛け23日間の旅行にしては、いいペースだった。今回は、読書でも忘れられない旅になった。ひとまず、キューバ・メキシコ旅行記はここまでとしたい。

 

| | コメント (0)

2018年11月18日 (日)

№3989 大冒険から無事帰る

 足掛け23日間にわたる海外旅行から無事に帰ってきた。今朝6時に成田空港に到着し、そのまま自宅に帰った。昨晩はメキシコ~成田14時間の旅だったが、ほとんど寝ていないのではないか。

 急いで自宅に帰る必要もないと、高速道路は使わずに一般道で帰った。まあ、寝不足でヘタに事故を起こさないようにと、運転には慎重になった。だけど、一般道で帰ってきても高速とほぼ同じ時間だった。朝9時半には、自宅に着いた。今は眠いけど、ぐっと我慢して夜ぐっすり寝るのが時差解消の秘訣だ。

 今回のキューバ・メキシコ旅行では何も不満はなかったが、ただ麺類がなかったのが不満といえば不満だ。帰る途中ラーメン屋はないか探しながら運転していたが、さすが朝の早い時間なので、ラーメン屋はやっていなかった。仕方がない、Yうどん店でてんぷらそばを食べた。

 名誉のために名前は伏せたが、このチェーン店はこんなにもまずかったかな。蕎麦はべちゃべちゃしていて腰がない。蕎麦のたれもしょっぱいのだか甘いのだが、ピリッとしなかったね。まあ、それでも麺が食べたかったという欲求はひとまず解消した。女房もそれを考えたのか、お昼はラーメンを作ってくれた。

 途中風邪は引いたが、それでも深刻にならずに済んだ。海外旅行に行くといつもそうなのだが、強烈な便秘に見舞われている。私は体に言い聞かせて、朝食後はかならず便を出してすっきりしている。

 それが、海外に行くと時差には慣れても、体がいうことを聞かない。便は、ある時間を決めて定期的に出すのがいいんだよね。それが、海外に行くと体も迷ってしまうんだろう。いつ便を出していいかわからなくなってしまう。

 それと、便秘のもう一つの原因は水だろうね。水が変わると、便が出にくくなるのはどうしてだろうか。まあ、普段の生活で徐々に慣らしていくしかないよね。さらに下ネタでもう一つ。私は前立腺肥大で、絶えず薬を飲み続けている。この薬が、旅の途中で切れてしまった。薬が切れると、途端におしっこの出が悪くなる。旅の最後は苦しんだネ。

  持ち帰った荷物は、大きなスーツケースが2つとザックにショルダーバックだ。内実は、笑ってしまうが、大半が洗濯物だった。天気が良かったので、2度に分けて洗濯した。モノ干し場は、洗濯物で一杯になった。

 この旅行で書かなかったこと、書けなかったことを時間をかけて徐々に皆さんに紹介していこうと思っている。何よりも、皆さんが私のブログに興味を持っていただき、一緒に旅行した気分になっていただけたと信じている。

 長い旅行の紀行文だったが、ご愛読ありがとうございました。ブログは、まだまだ続きますよ。

| | コメント (4)

2018年11月17日 (土)

№3988 旅の最後はトロツキー博物館へ

Img_7472
 レオン・トロツキーを知っているだろうか。彼は、レーニンとともにロシア革命の原動力になった人物だ。ガイドブックで【レオン・トロツキー博物館】を見つけた。旅の最後に行ってみようと、楽しみにしていた。

 1924年、レーニンの死とともにトロツキーはスターリンと重大な路線対立を起こした。トロツキーは永遠革命を主張し、スターリンは一国社会主義を主張した。結局、トロツキーはこの路線対立に負け、1929年国外退去になった。その後、トロツキーは暗殺を恐れ、イスタンブール、パリ、オスロと転々と居を変えた。そして、最後にメキシコでスターリンの暗殺団に殺された。1940年(昭和15年)の事だった。

 私は、学生時代トロツキーの著作を何冊か読んでいる。もちろん、トロツキーがメキシコで暗殺にあったのも知っている。しかし、ガイドブックで【レオン・トロツキー博物館】が紹介されてるのは知らなかった。これはぜひ行ってみたい。

Img_7462
 博物館は、メキシコシティの郊外にあった。タクシーで50分ほどかかった。ただ、タクシーで降りたのは、博物館とは違う場所だった。街の人に聞きながら、5分ほどで博物館にようやくたどり着いた。

Img_7461
 玄関には、ロシア革命が成功した時の有名なレーニンとトロツキーの絵が飾ってあった。レーニンの死後、ロシア革命はずいぶんゆがめられていった。だんだん、スターリンの独裁が始まったのだ。ロシア革命の同志は、スターリンに次々と抹殺されていった。1930年代、スターリンは同胞を300万人以上殺したとされている。

Img_7478
Img_7470  トロツキーは、スターリンの魔手を逃れるために居を転々と変えざるをえなかった。このメキシコの住居も、厳重に防御がなされていた。屋根には銃眼のある砦があった。壁は20cmもの厚さがあっただろうか。さらに、寝室は5㎝幅の鉄板で覆われていた。街路に面した窓には、さらに鉄板が張られていた。

 暗殺時、住居には何人かのガードマンもいたようだ。それでも破られ、暗殺されてしまった。今でもそうだが、政治テロはとどまることを知らない。狙った人間は、必ず殺してしまう。最近のサウジの新聞記者の遭難を思い出す。

Img_7464
Img_7474  この建物の裏に、トロツキー夫婦のお墓があった。奥さんは1961年にパリで亡くなったようだ。トロツキーは忘れられた政治家かというと、決してそうではない。現に、そんなに混んではいなったが、次々とこの博物館には訪問者が訪れていた。若い人が多かった。

 この博物館の入口には、キューバ革命の記念写真も多く飾られていた。カストロやチェ・ゲバラの写真も多かった。キューバ革命の根は、トロツキーに共通するということだろうか。

 そういえば、昨年ジョージア訪問でスターリンの生家も訪ねた。私の昨年の南コーカサス訪問、今回のキューバ・メキシコ訪問に一本の道筋が見えた。

 旅の掉尾の【レオン・トロツキー博物館】訪問は、キューバ・メキシコの旅に意味をもたらしたのではないか。

(この記事は、メキシコシティのホテルロビーで書いているが、アップされるころには、もう自宅に着いていると思う。)

| | コメント (2)

より以前の記事一覧