カテゴリー「海外旅行」の147件の記事

2020年7月24日 (金)

№5096 海外旅行について語ろう

 前号の記事の関連話である。

 講座に参加していた仲間のkukiちゃんが、「先日のシンさんのブログ記事で、スペイン旅行の話を書いていたわね。私は、このコロナ騒ぎの直前に、スペインのマドリードとバルセロナを訪ねてきたのよ」と話していた。ありがたいことに、彼女と旦那は私のブログの大ファンで、よくブログを読んでくれているようだ。この朝も一番に、「手術の成功はよかったね」と声をかけてくれた。

 私がスペインを訪ねてもう14年も前になる。その当時、「サグラダファミリア(聖家族教会)」は工事中だった。工事を始めて100年以上になるが、あのときにはいつ工事が終わるか見通せなかったようだった。今回バルセロナに行ったら、教会の内部は整理されていて、完成まで7年程度になると分かった、とのことだ。

 彼女は年に2~3回、海外旅行を楽しんでいる。私のブログ記事も参考にしているようだ、以前も私のモロッコ旅行記事を読んで、モロッコに行っていた。この日、「この自粛期間に、過去の海外旅行の整理をしたのよ。今まで48回の海外旅行をしてきたと分かった。シンさんは今まで何回海外旅行に行ったの」と聞いてきた。数えたことはなかったが、改めて自宅で整理してみたら、30回ほどだった。

 私が海外旅行をしたのは、1989年(平成元年)が初めてだった。会社の女性の同僚と海外旅行の話をした。その時私は、会社の永年勤続のお祝いで、お金と休暇をいただいた。そして、そのお金で海外旅行を考えていた。その女性は、「タイに行って来たら。タイは安全だし、見るところがたくさんあるわよ」と勧めてくれた。彼女は、いわゆるタイフリークだった。よしタイに行ってみよう。

 今から考えてみるとあまりにも無謀な話だったが、タイには往復航空券だけ買っていった。ホテルの予約も旅行計画もなしで、行けば何んとなかるだろうという思いだった。言葉もほとんどわからない。タイ語なんてちんぷんかんぷんだ。そのまま、バンコク・ドンムアン空港に降り立った。ホテルは、空港の案内所で紹介してもらった。紹介してもらったホテルはチャオプラヤー河の畔にある中級のものだった。それ以来タイにはまり、3~4年毎年タイを訪ねた。

 タイ国内は、プーケット島からチェンマイ、コサムイ島、ノンカイと相当行ったのではないか。ほとんどが一人旅だったが、なかには女房や今は亡き母、息子を伴ったこともあった。その息子はそれで懲りたのか、それ以降海外旅行をすることはない。どうしても初めての海外旅行が思い出される。

 海外旅行にはどうしても気力が必要だ。ただ、残念ながら高齢になるとともに、年々気力が弱くなっていだる。Kukiちゃんとも話したのだが、せいぜい気力が保たれるのは後期高齢者までだね。私も昨年のバンコクで、気力が続かないのを痛感した。このウィルス騒ぎで貴重な時間がどんどん過ぎていく。さて、この騒ぎが終わった時期に再度海外旅行ができるかどうか疑問が残る。行きたいところはたくさんあるのに…。

【7月23日の歩行記録】6,111歩 4.1㎞

【7月23日にアクセス数】158アクセス 訪問者79人

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2020年7月21日 (火)

№5093 スペインへの憧れ

Photo_20200720085801  6月から7月にかけて、集中的に逢坂剛の小説を読む日が続いている。逢坂剛にはいろいろなシリーズがあるが、いま読んでいるのは「イベリアシリーズ」というか、スペインを舞台にした小説である。全部で11冊ある。このシリーズは再読で、以前は1980年代から2000年にかけて読んだシリーズだ。前に読んだ内容はほとんど覚えていない。今シリーズを読むには、スペインの地図が欠かせない。

 私は、2006年5月から6月にかけて13日間、女房と横浜の姉、その友だちの4人でスペイン、ポルトガル旅行をした。HISのツアーに乗って、バルセロナからポルトガル経由、リスボンまでの3000㎞にわたるバス旅行だった。ものすごく印象に残った旅行だったのを今でも思い出す。逢坂剛の小説を読みながら、その旅行に思いを馳せている。

 旅行から14年になる。私が綴った「スペイン・ポルトガル旅行記」の詳細な記録があるはずだ。と思ってパソコンのデータを探してみた。写真はパソコンに残っていたのだが、肝心のその記録は見当たらない。旅行が終わってからパソコンを何台も変えている。パソコンを変えるときは、データも移し替えているはずなのだが、その記録集は移し漏らしたのかもしれない。

20070911-100 20070911-108 20070911-139 20070911-157 20070911-206 20070911-312  『シンさんちの繭の里通信』は、2008年1月22日にスタートした。ちなみに、【1】を検索してみたらスペイン・ポルトガル旅行記がこのブログに載っていた。一つはアルバムにもう一つは記事になっていた(赤字をクリックするとその記事に行ける)。ただその記事は私の記録ではなく、添乗員のメモに私のコメントをつけたものである。プリントアウトして改めて読んでみたが、稚拙なものだった。私の記録は、果たしてどこに行ったのだろうか。

 当然のことながら、これまで書いてきたブログ記事の大半を私は覚えている。ブログを書いてきた13年間は、私の後半期の生きてきた歴史でもある。通巻5100号近くまでにもなると、過去の記事を振り返ることも多くなった。読者が私のブログを訪問する以上に、私が1号1号を愛する気持ちがますます強くなっている。

 今回のスペイン・ポルトガル旅行への思いもその一つである。いまは新型コロナウィルス騒ぎでそれどころでないが、この騒ぎが一段落したらまたスペインにも行ってみたい。ただ年々年を取っていくので、その元気が残っているかどうか心配ではある。

【7月20日の歩行記録】8,919歩 6.0㎞

【7月20日のアクセス数】188アクセス 訪問者86人

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2020年2月 9日 (日)

№4431 元気になったね

 昨年の今頃を顧みたら、女房はICU(集中治療室)に入院していた。一時は生命が危ぶまれていたのだ。20日間ほどの入院で無事退院したのだが、重いものを持つとか過激な運動は禁止された。そのころ熱中していたゴルフも、もちろん禁止だった。

 それから一年、この前定期検査に行ったとき、主治医に「ゴルフはやっていますか」と聞かれたと嬉しそうに話していた。その主治医もゴルフが大好きなのだそうだ。もうゴルフをやっても大丈夫との了解と受け取ったらしい。まだコースには出ていないが、ちょくちょく打ちっぱなしの練習場には通っているようだ。

 昨年、入院前に友だち四人での北欧旅行が決まっていた。女房が行けなくなって、自然に中止になったようだ。女房が元気になるにしたがって、再度海外旅行の話が盛り上がっていた。イギリスに行こうとかいやイタリアに行きたいと、いろいろな話が出ていたと聞く。四人の中で海外旅行をしたことがない人がいるようで、女房と一緒に行くのを楽しみにしていたようだ。

 楽しみにしている仲間がいるのに、そんなに引き延ばしておくわけにはいかないと、とりあえず近場に行こうということになった。そして決めたのがタイである。女房は、私と一緒にタイに4回ほど行っている。タイが美しく安全でしかも食べ物の美味しい国だと、4回の体験でわかっていた。私は、昨年の秋に個人旅行でタイに行ってきた。ただ、今回の女房の旅行はツアー旅行のようだ。

 旅行日程を見ると、バンコク市内の名所巡りのほかに、アユタヤやチェンマイ訪問もある。5泊6日のツアー料金は知らないが、個人旅行に比べてそんなに高いことはないだろう。ツアー会社は、飛行機代はまとめて買うのでべらぼうに安いし、ホテル代も個人で行くよりも信じられない額で予約しているようだ。

 それにお土産屋さんのキックバックなど考えると、意外と安いツアー料金になる。ツアーの利便性はあるが、何といっても個人旅行の自由度は低い。私の場合は、朝起きてさて今日はどうしようかと考えるが、ツアーは日程がきちんと決まっている。自分が勝手に動ける時間は少ない。旅行の初心者はそれでもいいが、私にはそれでは物足りない。

 何年か前に女房とチェンマイに行ったときには、レンタバイクを借りて街中を走り回り、チェンマイの街を体いっぱいで体感してきた。もちろん、ツアーで行くとそんなことはできない。食べ物も街角で立ち食いをしたのだが、ツアーではレストランがあらかじめ決められている。それでも、初の海外旅行者には安心だろう。

 快く旅行を了承したのだが、さて楽しんで帰ってこられるかな。 

【2月8日の歩行記録】10,673歩 7.2㎞

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2019年11月12日 (火)

№4341 タイ旅行での初の試みは

 今回の旅でいろいろな試みをした。一つは格安航空機に乗ったことだし、ドンムアン空港でSIMカードを買ったのも初の試みだった。

 いま海外に行くのに飛行機に乗ると、様々なサービスがある。座席の前の画面で映画を見みられるし、飛行機が現在飛んでいる位置も見ることができる。食事や飲料のサービスもついている。ところが、格安航空機にはそんなサービスは一切なかった。必要な人は、有料で買い求めていた。私は何もないのが気に入った。出発前にパンを買っただけだ。海外旅行での飛行機の中は、絶好の読書空間だ。今回はバンコク片道6時間半だったが、読書に集中できたのが良かった。

 SIMカードも初体験だ。日本国内にいるとあまり意識しないのだが、海外旅行にもスマホは必需品だ。以前はWi-Fi電波を使っていたのだが、Wi-Fiは電波が使える場所とそうでない場所があった。さらに、気ままにWi-Fiを使っていたら、高額料金を請求された。SIMカードは一度挿入するとそんな心配がなかった。しかも17バーツ(460円)で一週間使い放題だった。ただし、スマホにSIMカードを二枚入れる機種にする必要がある。

 空港には、SIMカードを売っている店がたくさんあった。ということは、海外旅行をする人には今や必需品ということだろうね。何より安いのがいい。今回の旅行でもYahooニュースや野球を頻繁に見ていたのだが、一切料金がかからなかった。ただ、今回は試みなかったのだが、テザリングしても大丈夫だったのだろうか。

 というのも、ホテルでのパソコンはWi-Fi電波を利用していた。このWi-Fi電波は出力が不安定なのだろうか、時々断線することがある。何が不自由かといって、書いていたブログ記事が、断線で白紙になってしまうことだ。記事が出来上がって「保存する」のボタンを押すと、ブログにアップできるのだ。それが、保存する段階で断線してしまったことがあった。それ以来、記事は一度「メモ帳」に書いて保存し、保存したメモ用紙をコピー&ペーストで貼り付けていた。

 それ以外でも今回の旅行で気がついたことを二、三書いてみる。もっとも夜遊びをしなかったっせいもあるが、危険を感じたことは一度もなかった。これをもって言えるかどうかはわからないが、バンコクは極めて安全な街なのではないだろうか。

 それと、私がイメージしていたとバンコクとは全く違って、きわめてよく道路が整備されていて、片側8車線の道路はほとんど渋滞することもなかった。それがパタヤまでの170㎞も続いていたのだから、全国的に相当道路は良くなっているのだろう。

 走っている車もほとんどが日本車だ。なかでもトヨタ車が圧倒的に多かった。日本ではほとんど見かけないが、意外とイスズの車も多く走っていた。タクシーの運転手に聞いたら、タイにはトヨタの大きな自動車工場があるのだそうだ。タイにとってのトヨタ車は、国民車といっていいのかもしれない。

 タイは、気ままに旅する自信がますますついた。まあ、これから何度タイに行くかはわからないが、何かあったらまた訪問したい。「タイフリーク」というほどでもないが、やはりタイを含め、ベトナム、カンボジア、ミャンマーなど東南アジアは、私の体質に合っている。

 今回の旅の記録に、皆さまも楽しんでいただけただろうか。

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2019年11月11日 (月)

№4340 バンコクの旅も終わる

 長いようで短かったバンコク訪問の旅であったが、もう終わった。今回は一ヵ所のホテルに滞在し、そのホテルを起点に行動した。移動のないこういう旅も、負担が少なく、なかなかいいものだった。

 前にも申し上げたが、ホテルがある場所はバンコクの安宿街で「カオサンロード」に近かった。最初、ホテルを出るにしても、再度ホテルに帰れるのかどうか心配だったが、場所がカオサンロードと分かってから、どこに行っても分ったので安心だった。かといって、バンコク市内の主要な場所には行かなかった。いたのは、主にカオサンロードの周辺だ。住み心地がいいのだ。

Dscn1370  一体ホテルはどうなっているのか、探検してみた。泊まったホテルは「ランブトリヴィレッジプラザ」といい、A棟からE棟まであった。各棟がそれぞれ100部屋ぐらいだったから、全部で500部屋もあったのかしらね。ホテルの部屋のカギをもらったら、出入りは自由だ。ただ、チェックインの時にデポジットとして1000バーツ預ける必要があった。まあ、チェックアウトのときに返ってくるから良いか。

Dscn1368  私はE棟の4階に泊まったのだが、その上の5階にはプールがあった。私はほとんど泳がないのだが、様子だけは見てみた。バンコクの気温は30度前後で、動くには暑かったが、かといって汗を流すほどではなかった。

Dscn1369  それと気になったのがイスラム寺院だ。朝5時と夕方4時にはアザーンが流れる。屋上から見たら、ホテルの真後ろにあった。どうりで大きな声がするはずだ。それでも、最初の内は驚いて飛び起きたが、だんだんそれにも慣れてきた。終いには、目も覚めなくなってしまった。この寺院がどこにあるのか訪ねてみたが、入口がわからなかった。

 毎号報告したが、今回の旅は何のスケジュールもなく、気の向くままの思いつき旅行だ。朝起きて、さて今日はどうしようか悩む始末だった。そして一ヵ所に泊まって何よりよかったのが、疲れたら部屋に戻って横になることができたことだ。

 また、バンコク市内の移動は決してトゥクトゥクは使わなかった。メータータクシーは正確に料金を表示するのだが、トゥクトゥクは交渉次第でどんな料金になるのかわからない。運転手に料金交渉をしても、結局はタクシーの方が安かった。ただ、タクシーも気を付けなければいけない。運転手はメーターを倒したがらない。交渉で値段を決めたいようなのだ。ある場所に移動するのに、タクシー運転手は250バーツといったが、実際のメーターでは150バーツだった。

 食事も、一晩エビやカニを食べて大枚をはたいたが、あとは質素なものだった。何よりホテルの朝食が付いているので、これを十分食べるとそれで済んだ。アルコールもほとんどビールのみだ。お土産も買うことがなかったので、持って行ったお金の半分しか使わなかった。それも、空港に着いたらずいぶん残っていた。その残金でお土産を買った。

 それと心配だったのが、飛行機に乗るときの荷物の追加料金だ。成田では6000円も払い、何のために格安飛行機に乗るのかわからなかった。帰りの荷物は極力軽くしようと、洗濯物以外は入れなかった。読んだ本やガイドブックは、ホテルの部屋に置いてきた。ほとんど使わなかった一眼レフカメラだが、これが結構重い。このカメラは首にかけ、荷物の重量計算に入らない工夫をした。帰りの飛行機のチェックインで重量を計ったら、ザックを計らなかったせいもあったが、7㎏で済み追加料金はなかった。やはり6000円は大きいよね。

 それと驚いたのが、成田空港から自宅までの帰り道だ。カーナビだと、東関東自動車道経由で2時間かかると出ていたが、なんと1時間で帰ってきた。京葉道路から外環を通るとえらい近道になることが分かった。夜9時に成田を出て10時前に自宅に帰ったのだが、あまりに速い帰宅に女房はびっくりしていた。

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2019年11月10日 (日)

№4339 バンコク旅の最後はマーケット巡り

(昨晩10時に、無事帰国した。ただ、旅行の記事はもう3回ほど続けたい)
 いよいよタイ旅行も最後の日を迎えた。さて、今日はマーケット巡りをしよう。バンコクの郊外に、ダムヌン・サドワックという有名な水上マーケットがある。以前も一度訪れたが、再度行ってみよう。

 実は、昨日パタヤに同行したタクシーの運転手に、「明日はどうするんですか」と聞かれ、ダムヌン・サドワックのフローテングマーケットに行く話をした。「私が車で連れていきますよ」というので、値段を聞いてみた。最初1500バーツと言っていたが、「1000バーツでいいですよ」というのだ。彼も仕事が欲しくて必死だった。ところが私は一見の客、彼の生活の面倒まではみれない。ホテルの前の旅行会社に聞いたら、ダムヌン・サドワックマーケットツアーは600バーツといった。もちろん、この旅行社のツアーに乗ることにした。

 朝7時スタートだという。都合がいいことに、ホテルの朝食は6時からだ。6時半ころに朝食会場に出向き、スタートまでゆっくり腹づくりをした。ここの朝食はメニューも豊富で、お腹いっぱい食べられる。それにパンが美味しい。昨日は味噌汁までメニューにあった。デザートは、スイカとパイナップル、ドラゴンフルーツで締めた。

 この日のツアーに乗ったのは10人だった。ガイドに名簿用の名前と出身国を求められて、私も書いた。その名簿を見ると、二人は分からなかったが、あとはブラジル人が4人、スペインの女の子が3人のツアーだ。お互い話しかけることはないのだが、タイには多彩な観光客が来ているんだね。

Dscn1335_20191108223101  ダムヌン・サドワックは、バンコクから80㎞ほどのところにある。車で1時間半ほどかかった。このマーケットはバンコクでも最大で、地元の人というよりも観光客でごった返していた。どうやら、観光マーケットとして成り立っているようなのだ。船には、様々な商品が積んでいる。頭にかぶる傘と扇子、野菜や果物、お土産品など多彩だ。

Dscn1334 Dscn1341_20191110083401  観光市場なので、私もお金を落とそうと思いいろいろ見てみたが、欲しい物はなかった。仕方がない、お婆さんがやっている船に近寄って、ベトナムのフォンのようなものを食べた。水上マーケットだが、陸上にもさまざまなものが売っていた。特に衣料品などが多かった。私がこの旅行中に買おうと思っていた財布も見つかった。ARMANIの偽物だ。800バーツいうのを、500バーツにまけさせて買った。

Dscn1343 Dscn1359  今回のツアーはここのダヌアン・サドワックだけかと思っていたが、もう一か所のマーケットも行くという。トレーン・マーケットだという。車で20分ほど行ったところにそのマーケットはあった。なんとも世にも珍しいマーケットで、鉄道線路の上に物を並べて売っていた。列車が来たらどうするのだろうか。その答えはまもなく出た。

 ここのマーケットは観光用というよりも、地元の人のためのマーケットのようだ。日常雑貨や魚、肉、野菜などを売る店が続いていた。物珍しいものがあるか、一品一品見て歩いた。髭の生えた魚は鯰だろうね。果物のライチーも売っていた。一個試食させてもらったが美味しかった。このトレーンマーケットは300mも続いていただろうか。

Dscn1360  このマーケットを歩いて最後まで来たら、列車が近づいているとの放送があった。店員は、バタバタと商品片づけをやっている。さらには店頭を覆うテントの片づけを始めた。その片づけが終わったころに列車が見えた。このマーケットを知っているかのように、機関士は歩くようなスピードで運転したいた。観光客は、これに大喜びをして写真を撮っていた。

Dscn1363  鉄道線路の後ろには、広大な日用品の市場があった。まあ、このトレーンマーケットも観光客のためのものかもしれない。

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2019年11月 9日 (土)

№4338 ビーチリゾート・ラン島で昼寝

 今回のタイ訪問で、忘れ物をした場所があることに気がついた。今まで行ったことがない「パタヤ」に行ってみたい。パタヤは、アメリカがベトナム戦争当時、兵隊の慰安として開発したリゾート地だ。バンコクから約170㎞ほどあり、車で2~3時間ぐらいの距離だ。前に紹介したガイドブックによると、パタヤは「世界一下品なビーチリゾート地として悪名が高い」のだそうだ。ただ、パタヤの先にラン島という島があり、砂浜がきれいとのことだ。


Dscn1311  今日はパタヤを目指そう。パタヤが下品なのは夜の間だけであり、昼は何もなさそうだ。バンコクからパタヤに行くには、東バスターミナルに行きミニバスに乗るという。ホテルの前でタクシーを拾い東バスターミナルと言ったら、東バスターミナルは遠くて車で500バーツもかかるという。500バーツは大袈裟としても、かなり遠そうだ。その運転手が、「パタヤに行くんでしょう。往復2000バーツでどうですか」と聞いてきた。ガイドブックでも2000バーツは妥当と書いていたので、タクシーでパタヤに行くことにした。

Dscn1313  8時40分にタクシーに乗り、フェリーボート乗り場に着いたのが10時40分頃だ。やはり2時間かかった。この日はパタヤの街には寄らず、ラン島だけを目指すことにした。スピードボートが往復300バーツであり、それに乗ることにした。普通のフェリーだと時間がかかり、しかも着くビーチが島の反対側らしい。あまり言われた通りというのもしゃくだったが、まあ、それでいいだろう。

Dscn1315  ボートは、ものすごいスピードで海を駆け抜けた。約15分ほどで目指すラン島に着いた。この島は、大きなビーチだけでも7つもあるらしい。しかも、大きなビーチには中国人や韓国人の観光客が多く、騒がしいばかりという。今回着けたビーチは、7つのビーチのいずれにも入らない小さなプライベートビーチだった。観光客もあまり多くなかった。

Dscn1319  この日は、このビーチで思い切りのんびりしよう。お昼だったので、ビーチで昼食を摂った。それ以外にはやることがない。こういうことがあるだろうと思い、海水パンツを履いてきた。着ていたものを脱ぎ、裸になってデッキチェアーに横になった。デッキチェアーも100バーツしたが、仕方がないね。高いお金をかけて、昼寝をしに来たようなものだ。

Dscn1316

 本を読みながら、飽きたら寝るビーチライフを3時間も行った。あまり泳ぐ気もなかったが、海にも入ってみた。シャム湾の海水は、ちょうど心地良い暖かさだ。それにしても、海に浸かっている女性は大胆なビキニの海水パンツだ。目の保養にもなった。そんなバカなことを考えながらデッキチェアーに寝転んでいたら、汗で水たまりができるほどになった。


 デッキチェアーはいくらでもある。隣のチェアーに移動してさらに寝転んだ。そうこうするうちに帰る時間になり、再度スピードボートに乗った。タクシーの運転手は待っていてくれた。「パタヤを観光しますか」というが、疲れたのでそのままバンコクに帰ってきた。何のことはない、約1万円をかけて昼寝に行ったような一日だった。

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2019年11月 8日 (金)

№4337 アユタヤ再訪

 
 今回のタイ訪問に際し、ガイドブック『タイ旅行最強ナビ』を買って読んできた。その本の一項に、「タイでの移動はレンタルバイクがおすすめ!」という記事があった。そういえば、チャンマイでもサムイ島でも、レンタルバイクを借りて走り回ったことを思い出す。この日は、バンコク市内でもレンタルバイクで探訪しようと思った。

 街でレンタルバイク屋がないか探してみた。バイクの集まっている場所で聞いてみたが、「そんな話は聞いたことがない」という。さらに、旅行会社でも聞いた。そしたら、「バンコクではバイクのレンタルはやっていない。チェンマイとは違う」とのことだ。仕方がないな。それじゃ今日はアユタヤに行ってこよう。

 その旅行会社でアユタヤツアーがないか聞いてみたら、「アユタヤに行くだけなら550バーツ、夕食付アユタヤツアーは1600バーツ」だという。まあ、ツアーでなくても一人で行けると思い、タクシーでアユタヤ行きのバスが出ているという北バスターミナルに行った。タクシー代120バーツ、アユタヤ行バス代70バーツでアユタヤに行けた。何のことはない、ツアーでなくても一人で行けるんだ。

Dscn1275  私はアユタヤには、30年ほど前にタイに初めて来た時に訪れている。もうすっかり忘れてしまったが、たしか首のない仏像がたくさんあったことを思い出す。ここでもレンタルバイク屋を探していたが、見つからなかった。暑いので自転車で巡るのも疲れると思い、トゥクトゥクに乗ることにした。3時間で600バーツという。タイではどこでもそうだが、値段交渉が大事だ。400バーツまで下げさして、乗ることにした。トゥクトゥクの運転手は、おばさんだった。

 結局トゥクトゥクに乗って成功したのは、意外とアユタヤの遺跡群は広かったのだ。目的地まで行って、ゆっくり遺跡見学ができるのが良かった。ただ、私はガイドブックを宿に置いてきてしまった。トゥクトゥクのおばさんは運転するだけで、ガイドするというわけではなかった。もっとも、彼女はタイ語しか話せなかったので、私もタイ語は理解できなかった。宿に帰ってきてから、回った遺跡が何だったのか調べた。

Dscn1287  アユタヤ王朝は、1300年代半ばから1700年代半ばまでの400年にわたり栄えた王朝だ。盛時には海外との貿易も盛んだったようだ。日本人町もでき、有名な山田長政なども活躍した。この王朝は、チャオプラヤー川を通して物資のやりとりをしていた。遺跡の脇には、チャオプラヤー川が流れていた。数年前、このチャオプラヤー川が氾濫して、アユタヤの街が水没したニュースが流れた事が耳新しい。

Dscn1270 Dscn1271  遺跡を見て思ったのだが、傾いているものが多い。作られたお寺はレンガを積んだものが多く、長年の重量に耐えられずに傾いたものだろう。だが、80mの高さがあるという「ワット・プーカオ・トン」という塔は、どう見ても建築時から傾いていたのではないかと思われた。塔の先端が曲がってグニャグニャしていた。

Dscn1284  首のない仏像が並んでいるお寺もあった。アユタヤ王朝末期に、ビルマ軍と激しい戦闘があり、勝利したビルマ軍が首をちょん切ったものらしい。今から見たらなんと酷いと思うが、当時の戦闘はそれほど激しかったのだ。

Dscn1301 Dscn1304  大木の根に挟まれている仏頭もあった。「ワット・プラ・マハタート」寺院にあり、この寺も半分崩れていた。ビルマ軍との戦闘が最も激しかったところだという。

Dscn1282  この遺跡群を訪問しながら思ったのが、隣国カンボジアのアンコールワット遺跡だ。アユタヤの遺跡も規模が大きいが、アンコールワットの遺跡はこれに倍しているのではなかろうか。3時間じっくり拝見して、バンコクに帰って来た時には、もう午後6時を回っていた。

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2019年11月 7日 (木)

№4336 豪快に海鮮料理を

   私は気がつかなかったのだが、今回宿泊した場所はカオサン街の真ん中にあるホテルだった。カオサン街とは、バンコクの中でも安宿が集中することで有名だ。ただ、町はずれにあるために、今まで私は来たことがなかった。初めて訪れて驚いたのは、欧米系の外国人が多いということだ。しかも若者というよりも、私の泊まったホテルはおじさんおばさん系の人たちだ。

 私が受け入れられないのは、男も女も派手に刺青をしていることだ。私にとってはみっともないと思うのだが、そう思うのは日本人の潔癖症のせいか。体全体から手や足にまで刺青を彫っている。あの刺青は死ぬまで消せないと思うと、ゾッとしてしまう。

 私が今回泊まっているホテルは、カオサン街の中でも安宿というよりも中級型のホテルだ。ネットで見つけたホテルだが、今までバンコクで泊まっていたホテルに比べても静寂なうえ居住性抜群で、ホテルライフを楽しめる。何より良いのが、朝食のメニューが多いことだ。ただ、難もある。朝5時になると耳元でアザーンの大きな音がして、目が覚めてしまう。近くにイスラム寺院でもあるのだろうか。

 朝5時に目が覚めるといっても、日本とタイの時差2時間を考えると、日本では朝7時だと思いながら起きてしまう。起きたらすることがないので、本を読むかブログを書くかくらいのものだ。私の海外旅行は極めて健康的で、夜遊びに出かける元気もない。昨晩も夜9時半ころに(日本時間11時半)に消灯した。

 夕食を摂るのは、面倒なので、ホテルの前のレストランにする。ただそれだけでは寂しいと思い、カオサンロードをふらふら歩いてみた。なぜかしら、このところ夜になると雨が降る。傘を持ち歩かないので、濡れないようにホテルに帰ってきてしまう。ただ、昨晩は海鮮料理屋を見つけた。この晩は豪快に海鮮料理を食べようと、くだんの店を目指して出かけた。

Dscn1257  カオサンロードはものすごい人出だ。どの店も混んでいた。それにしても、入店客を見ると外国人が多い(とはいっても私も外国人なのだが)。なかには日本人らしきカップルもいるが、もちろん声は掛けない。

Dscn1259  いろいろな屋台も並んでいる。ドリアンを売っている店があった。ドリアンは果物の王様といわれているが、私は食べたことがない。美味しいものと不味いものが極端らしい。私が一度口にしたドリアンは、便所臭くて物凄い匂いだった。それ以来、敬遠している。

Dscn1260  さて、目的の店の店頭には、いろいろな魚が並んでいた。私が食べたかったのは、カニとエビだ。それでは足りないと思い、大きなイカを一匹注文した。それぞれ秤で計り値段を言っていたが、今晩は値段を気にしないで豪華にやろう。一人でこんなに食べられるか心配だったが、店頭のおばさんは「心配ないわよ」と安請け合いをしていた。

Dscn1264  料理を待つ間、タイのシンハビールを飲んだ。シンハビールは若干高いのだが、やはりタイに来たらシンハビールだね。日本でも飲めるのだろうが、バンコクで飲むから良いのだ。

Dscn1265 Dscn1266  やがて、エビやカニが焼き上がってきた。ナイフやフォークも用意されていたが、ここは豪快に手でむしって食べるのがいい。あっという間に、エビとカニの殻の山ができた。食べ終わったころに、イカが焼き上がってきた。もうそのころにはお腹が一杯だった。まあ、それでも折角だからとイカに手を付けた。矢張り全部は食べられなかった。3分の一くらい残したかな。値段も日本円で3200円と、なかなかのものだった。

Dscn1263  満足して、そのまま宿に帰った。

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2019年11月 6日 (水)

№4335 カンチャナブリ1日ツアー

 
 
 今回のタイ旅行の最大目的は、カンチャナブリ訪問だ。事前に『戦場にかける橋』のDVDも観てきた。カンチャナブリは、日本軍がタイで戦闘行動をした最大の場所である。主に英軍の捕虜を使い、クワイ川に鉄道の橋を作った。戦闘だけでなくマラリアなどでたくさんの死者を出した。

 この鉄道は、タイとビルマを繋ぐ泰緬鉄道で、日本軍がインド侵略の重要戦略路線と位置付けていた。ただ、この鉄道はジャングルや険しい山岳を抜けるために難航した。そして最大の工事が、カンチャナブリのクワイ川に鉄道橋を作ることだった。工期は10か月と過酷な工事だった。捕虜の抵抗などもあり、難工事で死者も多かった。それが映画になって、多くの人を感動させた。

 カンチャナブリは、私も初めて訪れる。バンコクから約3時間の地にある。今回はツアーに乗ることにした。ツアーのガイドは英語でペラペラ話すので、半分ほどは理解不能だ。まあ、それでも困ったことはない。いずれカンチャナブリに連れていってくれるだろうと安心していた。

Dscn1202  カンチャナブリに着いたのは、午前10時頃だ。そこで、またガイドがこれからは自由行動で、11時には集合場所に集まるようにと話していた。この集合場所の前に、JEATH戦争博物館があった。博物館の前には、日本の機関車が飾られていた。ツアー同行の人たちはあまり関心がないようだったが、私は博物館に入場した。入場料は50バーツ(150円)ほどだ。

Dscn1206 Dscn1207  この博物館には、戦争の悲惨さを伝える多くの展示物が並んでいた。日本軍の武器となる鉄砲や機関銃、捕虜を働かせている現場の模型、骨と皮ばかりになっているマラリア患者の模型、なぜかしらないが実際の人骨まで飾られていた。30分ほどこの博物館にいたが、この博物館からもクワイ川にかかる鉄道橋が見えた。

Dscn1215 Dscn1221_20191106083301  さて、橋を見に行ってみよう。多くの観光客が、この橋を行き来していた。線路も現役のように立派だった。線路の脇にいた人に、この鉄道はまだ使われているのか聞いてみた。そしてら、「もう2分後に列車が到着しますよ」というのだ。それはチャンスと、列車の到着を待った。10両編成の泰緬鉄道の観光列車がやってきた。日に3本ほど走っているようだ。

Dscn1223  列車に乗っている日本人に声をかけてみた。泰緬鉄道に乗るツアーで、この列車に乗っているのだそうだ。私も乗ってみたいなと、少し羨ましくなった。列車が鉄橋を渡って去っていくのに、郷愁も覚えた。

 さて、11時の集合時間が来た。これからまたツアーバスに乗って、30分ほど移動するのだそうだ。どこかに行くと説明しているようだが、聞き取れなかった。そして着いたのが鉄道駅だ。これから1時間ほど泰緬鉄道に乗るのだそうだ。このツアーには、こういう特典もあったと初めて知った。

Dscn1238  そしてやってきたのが、さっきクワイ川を渡って去っていった列車だ。列車よりもバスの方がよほど早かった。この列車が向かうのは、ミャンマーとの国境の駅だ。クワイ川の流れに沿って列車は遡った。このクワイ川は、意外と大河だった。この川に沿って作られた鉄道工事は、相当に難航しただろうと容易に想像できた。

Dscn1243  係員が、「泰緬鉄道記念証」(Certificate of remembarance)を乗車した全員に配っていた。この鉄道に乗っただけでも、このツアーでは得をした気になった。目的地の駅で降りて、バスに乗り昼食会場に向かった。このレストランは、クワイ川のほとりにあった。昼食後、また2班に分かれた。その2班はどこに行くのかの説明がなされたようだが、私は理解していなかった。そして私が乗ったのは、滝見学のバスだった。どうやらもう一方のバスは、象見学コースだったらしい。そちらのほうが良かったね。

Dscn1255 Dscn1254_20191106084101  この日の最後は、戦争で犠牲になった人たちのお墓にお参りするツアーだった。広大な墓地には、それぞれ犠牲になった人のプロフィールが記されていた。22~3歳の人が多かった。この戦争で犠牲になって、まだわずか75年であると感慨深いものがあった。戦争などするべきじゃない、と今更ながら改めて深く思う旅だった。

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