カテゴリー「国内旅行」の90件の記事

2019年6月26日 (水)

№4203 竹ちゃん、日本列島縦断達成

 このブログでも何度か紹介したが、わが友竹ちゃんがとうとう徒歩・野宿で日本縦断を達成した。東京を出発して四国を回り、九州の突端佐多岬を出発したのは3月10日頃だった。話に聞くと、自転車やバイク、自動車で日本縦断を目指す人はいるようだが、徒歩でしかも野宿で日本縦断をする人などいないようだ。竹ちゃんもたくさんの旅人に会ったようだが、徒歩で縦断している人には会わなかった、と言っていた。

 結局、佐多岬から宗谷岬までは2600km、84日間で踏破したとのことだ。コンスタントに一日30km以上を歩いたことになる。私にはとても真似できないが、68歳と古希を目の前にしてすごいものだ。しかも計画的というか、一日1500円、トータルで18万円であげてしまったというからすごい。私が先日東北旅行をした時には、わずか一週間だが10万円ほどかかった。

 宗谷岬に着いた竹ちゃんは、その後利尻・礼文島を旅し、7月上旬に東京に帰ってくるとのことだ。

Img_10051   私が利尻・礼文島を旅行したのは、3年前の6月だった。残念ながら、その旅は雨にたたられたのだが、花の島礼文島を満喫した記憶がある。再度その旅をこのブログで振り返ってみたのだが、貴重な花「レブンアツモリソウ」が見事に咲いていた。6月は、利尻・礼文は花の季節だった。

C3a9f764e04cac5b618bd20dd5678cf72e21330e  竹ちゃんの旅の途中、私は青森に行って旅の応援をした。「応援」というよりも、彼の旅の邪魔をしたかな。ただ、私にとっても忘れられない旅になった。彼の実家に泊まって、お姉さんにご馳走になったお刺身の新鮮なホタテの山、三内丸山古墳の大きさ、さらに温泉と青森を満喫した。翌日、種差海岸でウニ丼を食べたのだが、竹ちゃんが北海道の稚内で食べたうに丼は、私が食べた3倍もの量があった。

 竹ちゃん、本当にご苦労様でした。東京に帰ったら、慰労会をやろう。

| | コメント (2)

2019年6月 2日 (日)

№4179 那須に帰る

 さて、そろそろ帰ろう。とりあえずは埼玉の自宅ではなく、那須を経由して自宅に帰るつもりだ。女房から電話があり、「那須で待っている」とのことだ。何かイベントがあり、Ohnoさんと一緒に那須に来ることになったようだ。カーナビで那須を入力すると、大槌町から430㎞ほどとある。朝8時30分にホテルを出た。まあ、急ぐ旅ではないので、ゆっくり走ろう。

Dscn0467
 そうだ、やはりこの近くに来たのなら、震災の被害にあった石巻の旧大川小学校にお参りして帰ろう。カーナビで「大川小学校」と入力した。約2時間ほどかかった。ところが着いてみたら、全然別の場所だった。近所の人に聞いたら、「この地は現在の大川小学校で、旧大川小学校は別の場所だ」と教えてくれた。私は4~5回訪問している。勘を頼りに大川小学校を目指した。10分ほどかかった。

 この場所は、東日本大震災で多くの児童が亡くなった場所だ。いつもこの場所に来て思うのだが、裏には格好の逃げ場所の山があったのに、山には逃げずに北上川の堤防を目指して逃げたのだ。あんな大きな津波が来るなどとは、想定外だったのだろう。結果として、あたら80名弱の子どもが犠牲になった。あらためて、指導者の決断が大事だと思った。

Dscn0466
 この小学校前には祭壇が設けられている。いつ来ても、お参りする人がいる。この日も3人ほどがお参りに来ていた。ついでに、学校の惨状跡をしみじみ見学していた。この学校も、壊すか震災記念物として残すか、議論が分かれているらしい。遺族にとって、いつまでもこの跡を見ているのは辛いのだろうね。私は、久し振りにお参りして気持ちを新たにした。

 すぐ近くの高速に乗り、那須を目指した。三陸道は、無料の高速道がだいぶ出来つつあった。交通量の少ないこの道で走ると快適だ。仙台を過ぎたあたりだろうか、にわかに眠気を感じた。気がつくと蛇行運転をしていた。これはいけないと、サービスエリアで休むことにした。椅子を横にして眠ったのだが、自分のイビキで目が覚めた。10分ほど眠っただろうか、これですっきりした。

 目的の那須に着いたのは、午後4時ころだった。女房に電話をしたら、那須に着くのは午後8時過ぎだという。晩飯を作るために、近くのスーパーで食材を買ってきた。やれやれ、充実していたが、長い旅だったね。

| | コメント (0)

2019年6月 1日 (土)

№4178 三陸海岸を南下

Dscn0439
 今日は、東日本大震災の爪痕を見ながら三陸海岸を南下したい。多分、釜石あたりで泊まることになるだろう。竹ちゃんの実家を午前8時に出発した。とりあえず目指すのは種差海岸だ。そして、最初に下車したのが八戸の蕪島だ。

Dscn0440
 蕪島は、ウミネコの生息地として有名だ。果たして何羽いるのだろうか、売店で聞いてみた。「35,000羽から40,000羽はいるのじゃないかな」と話していた。蕪島には神社がある。工事中とかで閉鎖されていた。この売店の姉ちゃんと、今日の旅の相談をした。「せいぜい釜石くらいまでしか行けないよ」という。それなら釜石の旅館を取ろう。

Dscn0444
 ラグビーの五郎丸と親交のある旅館に電話をした。生憎この日は満員とのことだ。ほかの宿を紹介してくれないか頼んだら、大槌町のホテルを紹介された。そのホテルを無事予約できた。到着は、午後4時か5時かな。そして、種差海岸に向かった。蕪島から車で30分ほどかかった。海岸には芝生が広がっていて、そこで老人はゲートボールをしていた。ノンビリした風景だ。

Dscn0445
 種差海岸に来た目的は、ウニ丼を食べることだ。幸い、ウニは解禁になったばかりと食堂で生ウニ丼にありつけた。40年振りである。そのことを女将さんに言ったら、「変わってないでしょう」といわれた。いや大いに変わっている、当時のウニ丼は器一杯てんこ盛りのウニだった。まあ、2200円でそこまで期待するのは無理のようだね。

Dscn0448
 次の目的地は、岩泉町の龍泉洞だ。結構遠くて2時間半もかかった。途中、三陸海岸を横目に見ながら運転していたが、海岸にはまるで万里の長城のような壁がそそり立っていた。高さ30mもある壁が延々と続いていて、景観を台無しにしてしまった。何百年か何千年にいっぺん来る津波に備えた壁だろうが、蟷螂之斧のようだった。私には、膨大な建築費をかけるよりも、津波がきたら逃げる施設を作ったほうが良かったと思った。壁に遮られて、海が見えないのだ。

Dscn0449
 目的の龍泉洞に着いたのは、午後1時過ぎだ。何十年か前に来て感激した。少々高いかと思ったが、入場料1000円を払って、洞窟に入った。この日の外気温は19度だったが、洞窟の中は10度くらいでヒンヤリしていた。

Dscn0454
 龍泉洞の中は、ごうごうと水が流れていた。それもきれいな水だ。洞窟を進むと最奥に地底湖があった。深さ98mというから驚きだ。透明度が高く、湖の底まで見えた。この洞窟のアップダウンもすごい。足の悪い人は、踏破は無理だろう。洞窟を隅々まで見れるような工夫だろうが、怖い思いをした。

Dscn0459
 龍泉洞に1時間ほど滞在し、次に向かったのが宮古の浄土ヶ浜だ。海の水は、透き通っていてきれいな海岸だった。お昼にウニ丼を食べただけだったので、お腹が空いてきた。

Dscn0458
 浄土ヶ浜のレストハウスでそばを食べた。このレストハウスの二階に標識があり、東日本大震災の津波がきた高さを表示していた。この建物もすっぽり津波に覆われてしまったのだ。この建物のそばには別の碑があり、チリ津波の被害を顕彰していた。チリ津波は1960年の5月に起きた。かれこれ60年になる。その時も甚大な被害であった。いずれ三陸河岸は、何年かにいっぺん津波に襲われる宿命の地なのだ。

Dscn0462
 そして、今夜の宿の窓からは大槌湾が目の前に広がっている。海を眺めながら、最後の旅情を楽しもう。

| | コメント (0)

2019年5月31日 (金)

№4177 竹ちゃんと青森市内の遺跡見物

 このブログでも何度か紹介しているが、わが友竹ちゃんが鹿児島の先端から北海道の宗谷岬まで徒歩旅行をしている。その彼が、ちょうど青森の実家に滞在しているのに合わせて、私は青森に行く計画を立てた。そしてこの日に会うことにしたが、「せっかく青森に来たのなら、狭いがわが家に一泊したらどうか」と提案してくれた。図々しい私は、その言葉に甘えることにした。

Dscn0423

 待ち合わせは、青森駅前午前10時半だ。前日酸ヶ湯温泉に宿泊したが、ここから青森駅まで22㎞だ。ちょっと早いと思ったが、酸ヶ湯温泉を朝8時半に出た。さすが豪雪地帯だけに、宿の周りにはだいぶ雪が残っていた。せっかくだから、八甲田の陸軍雪中行軍遭難地を訪ねてみよう。宿から車で10分ほどのところに遭難地はあった。青森市内から訓練で歩いてきた一個中隊199人が遭難にあった。この遭難は、今に語り継がれている。


Dscn0424

 この看板が立っていたすぐ上の広場には、立派な銅像も立っていた。銅像の後ろの八甲田山は、まだまだ冬山だ。明治35(1902)年の出来事であった。明治38年には、日露戦争が始まった。日本が軍国主義に向かう時期の痛ましい遭難だった。


 さて、青森市内には午前9時40分頃に着いた。ちょっと早いと、時間つなぎに青森港をぶらぶらした。そして、10時10分頃に駅に向かった。ちょうど駅前で竹ちゃんにばったりあった。鹿児島から青森までの2000㎞の勲章が、見事なまでに顔に現れていた。彼の顔は、日に焼けて見事なまでに真っ黒だった。さて、今日はどうしようか。

Dscn0426
 とりあえず行ったのが「棟方志功記念館」だ。「わだばゴッホになるで」で有名な棟方志功は、青森市内の生まれだ。そういえば昨晩泊った酸ヶ湯温泉に、棟方の書がたくさん飾られていた。記念館を見て歩いたのだが、棟方はちょくちょく酸ヶ湯温泉にスケッチ旅行をしていたようだ。この記念館には、棟方の代表作品が収められていた。書は多かったが、版画が少なかったのが若干物足りなかった。1時間ほどここにいた。

Dscn0428
 さて、次はどうしよう。「三内丸山遺跡」でも行ってみましょうか。その時はあまり期待していなかったが、この遺跡は期待を裏切るとんでもないものだった。こういう遺跡を見学する時は、ガイドにつくのがいい。幸い、この遺跡には100人ほどのボランティアガイドがいるらしい。ガイドが始まるまで40分ほどあった。その間に昼食を済ませてしまおう。付属の食堂でそばを食べた。

Dscn0429
 ガイドは、午後1時半から50分ほどだ。話を聞いているうちに、この三内丸山遺跡はとんでもない遺跡だと分かった。そもそも発掘が始まったのは平成4年、この地に県営野球場を建設する計画が持ち上がったようだ。以前からここに遺跡があるのは分かっていた。試掘をして見ると、貴重な遺物がたくさん出てきた。野球場建設どころでなくなったようだ。

Dscn0433
 発掘が始まって27年、この遺跡はまだ3分の一ほどしか発掘されていないらしい。調査をすると、紀元前5900年から4200年にかけての1700年間の縄文遺跡だった。なぜ寒冷地青森にこのような遺跡がと思うかもしれないが、当時の平均気温は今より3度も高かったようだ。海面も3mも高かったらしい。今では内陸地になっている三内丸山は、当時は海のそばだったという。港もあったらしい。魚の骨から判明した。

Dscn0437
 それらは、すべて発掘された遺物から読み取れるという。研究は進んでいるとはいうものの、この6本足の巨大な建築物が何のために建てられたのかは謎らしい。建物の柱は、すべて栗の巨木だった。考古学という学問の奥深さを感じた。

Dscn0438
 建物の内部のミュージアムでは、やはりガイドの発掘物の説明を聞いた。発掘されたものの中に網代編みのポシェットがあった。こういう高い技術もあったとは驚きである。この遺跡見物に満足した。

 三内丸山遺跡を出て、竹ちゃんと温泉に入り自宅にお邪魔した。お姉さんが作ってくれた大ご馳走が待っていた。馬刺し、ホヤとミズの和え物、山盛りのホタテの刺身、ホッケの焼き物、生野菜、身欠きにしん等がテーブルにこれでもかというほど並んだ。もちろんビールと日本酒だ。食べ切れないというのに、お姉さんは料理が少ないと恐縮していた。ご馳走になりながら、竹ちゃんの旅の話で盛り上がった。

 彼は6月2日に北海道にわたり、宗谷までの最後の700㎞を歩きぬくという。竹ちゃん頑張れ、最後まで彼のブログを追跡したい。

| | コメント (1)

2019年5月30日 (木)

№4176 津軽を旅する

 朝起きてみたら、生憎の雨だった。鰺ヶ沢温泉の目の前に岩木山が聳えていたが、この日は厚く雲が垂れこめていた。車で行っても視界0だろうね。宿のフロントと相談して、津軽の旅を決めた。とりあえず向かうのは、竜飛岬だ。宿の兄ちゃんは、「2時間くらいかかるのではないか」と言っていた。8時30分に宿を出たので、到着は10時半ころかな。

Dscn0407
 途中で十三湖という湖を通った。海に接している汽水湖だ。車から降りて写真を撮ったのだが、あまりの風の強さに飛ばされそうだった。日本海から吹き付ける風は強烈だ。

Dscn0408
 汽水湖であるということは、蜆が取れるはずだ。シジミ汁が飲みたいと、お店を探した。街道沿いに売店があった。シジミ汁があるか聞いてみたら、一杯200円だという。新鮮なシジミ汁をいただいた。売店のお姉さんに津軽の旅について尋ねたら、大きな地図を出してきて丁寧な道案内をしてくれた。もちろん、その地図もいただいてきた。旅に出ると、親切心や人情が嬉しいね。

Dscn0411
 竜飛岬に着いたのは午前10時過ぎだった。ここもものすごい風が吹いていた。岬の売店で話を聞いたら、「竜飛岬は風の岬といわれていて、年から年中風が強い」のだそうだ。風速30mに近かったのではないか。被っていた帽子が50mも飛ばされてしまった。残念ながら、生憎の天気で北海道は見えなかった。

Dscn0414
 この竜飛岬の下には、青函トンネルが通っている。「青函トンネル記念館」で話を聞いたら、トンネルに降りることができるのだそうだ。ただ1000円かかると聞いて、諦めた。記念館も、入場料600円だそうだ。この記念館もパスした。

Dscn0417
 さて、次の目的地は金木町の「斜陽館」だ。太宰治の生家である。写真では何度も見ているが、訪ねるのは初めてだ。ちゃちな家だと想像していたが、なかなかどうして立派な家だった。これは太宰のおかげではなく、親父さんが地主で貴族院議員でもあった。家の中もピカピカ磨かれていて、一見の価値があったね。今年は、太宰治生誕110年だそうだ。いろいろなイベントも予定されているようだ。

Dscn0418
 私は太宰治の熱心な読者ではない。とはいっても、基本的な作品は読んでいる。斜陽館は庭も手入れがされていたが、何といっても仏壇の立派さは目を引いた。金木町は小さな町だが、ここで太宰が愛されているのはよく分かった。

Dscn0419
 金木町から車で30分ほど走ったら五所川原の町だ。この町で異様な建物が【立佞武多館】だった。ほとんど高層建築物のない街で、この建物だけが異様に高かった。この立派な建物の中に何が入っているのだろうか、入場してみた。

Dscn0421
 立佞武多の飾りがあった。館のガイドに聞いてみたら、8月上旬に4日間行われるねぶた祭りの飾りだという。青森のねぶたは横に広がっているが、この街のねぶたの特徴は、縦に高いのだそうだ。一番高いねぶたで、23mもあるという。お祭りには、それも含めて15ほどのねぶたが建つらしい。雨が降ると大変だねというと、「特殊な紙が貼られているので、雨に濡れても大丈夫なのです」と話していた。

Dscn0422
 東北三大祭りといわれているが、まだねぶた祭だけは見ていない。いつかは見物に訪れたいと思っている。さて、今日の宿泊地・酸ヶ湯温泉に向けて出発だ。五所川原からは1時間半ほどで着いた。この温泉は、日本で最大の豪雪地としてニュースで流れる。意外に思ったのは、青森市内から22㎞と近いのだ。それにしても疲れた。チェック・インしてしばらく部屋でまどろんだ。

| | コメント (0)

2019年5月29日 (水)

№4175 白神山地を望む

 秋田のホテルを朝8時30分に出た。今夜の宿は、津軽の鰺ヶ沢温泉だ。カーナビで宿泊先を入力したら、約200㎞あった。天気も良いし、ゆっくり走っていこう。この日の旅程の途中に、白神山地がある。以前からぜひ白神山地には行ってみたいと思っていた。そう、川崎の姉がまだ秋田にいるころ、兄弟旅行で白神に行く計画を立てた。なぜかしらないが、その計画は頓挫してしまった。亡くなった弟が元気な時だったから、もう10年以上も前のことになる。

 八峰町の道の駅で、白神山地を望む場所はないか聞いてみた。そしたら、「二ッ森の登山道入り口付近に行ったら、白神岳は見えるのじゃないかな」と親切に地図まで示して教えてくれた。国道からそれて20㎞も走るらしい。道の駅でお弁当を買い、二ッ森の登山道入り口を目指した。林道は狭く、切り立っていた。踏み外すと奈落の底に落ちると思うと、久し振りに怖い思いをしながら運転した。対向車が来ると、すれ違えないほどの狭さだった。

Dscn0392
 30分も運転しただろうか、ようやく目的地に着いた。白神山地はブナ林で有名だが、目的地にはブナの若木がたくさんあった。ただ、大木を見るというところまではいかなかった。弁当を広げながら、新鮮な大気に触れた。ただ、そこからは白神岳は見えなかった。
Dscn0394  Dscn0395

 一体標高何mあるのだろうか、スマホのアプリで調べてみたら903mとあった。標高ほぼ0mから登ってきた。山陰には雪が残っていた。冬は相当な豪雪だろうね。日当たりの良いところには山菜のゼンマイがあった。ただ注意書きがあって、「山菜は採ってはいけない」のだそうだ。それにしては、山菜採りの車がたくさん入っていたね。

Dscn0399
 車で下山するときに、ようやく目的の白神岳が見えた。白神岳は、標高1232mだそうだ。峰には残雪が見られた。登るのには5時間ほどかかるとあったが、今はそんな元気はないだろうね。

Dscn0400
 今夜の宿泊地、「鰺ヶ沢温泉 水軍の宿」に着いたのは午後3時頃だった。早速温泉に入って、旅の汗を流した。夜は、宿のイヴェントで津軽三味線を聴いた。それにしても東北を旅すると、ラジオから民謡が流れていることが多い。私は、民謡が大好きだ。特に「秋田民謡」がいいね。

 

| | コメント (0)

2019年5月17日 (金)

№4163 北東北への旅行計画

Dsc052431

 田舎の仲間から同期会の案内が届いた。「喜寿を待てない会」を開催するのだそうだ。4年前、矢張り田舎で「古希を祝う会」があり、参加してきた。4年前のことである。そして次の祝いは「喜寿」だが、それを待てない人の集まりだという。参加するかどうか悩んでいたが、スケジュール表は空白である。東北旅行を兼ねて参加してみるか。

Img_39461
 参加すると決めたからには、いろいろと北東北を旅行してみよう。まずは、2年ぶりの墓参りをする。さらには、田舎には甥たちや従弟も住んでいる。ついでに彼らとも会ってこよう。2年前に帰郷した時には、彼らを集めて大宴会をやった。もう一度集まってくれるかな。甥のIkuoに電話をしてみたら、「伝えておこう」とのことだ。その晩は秋田市内のホテルを予約した。

 さて、それで帰ってしまうのはもったいない。車で行くつもりだから、そのついでに津軽まで足を延ばしてみよう。五能線の海岸沿いに北上して、最初の目的地は鰺ヶ沢温泉だ。ネットで温泉宿を探したら、評価9.2という宿が見つかった。そこに泊まろう。一泊13500円だという。いや、安いプランがあるはずと探してみたら、Agodaの予約サイトで8300円というプランが見つかった。決めた。

 翌日は十三湖や竜飛岬に回ってみよう。そうだ、この頃になると「日本縦断―徒歩と野宿旅」を敢行している竹ちゃんが青森にいるはずだ。彼のブログにコメントを入れて、「時間があれば会いたい」旨を告げた。どうやら、私が青森を訪ねるころには丁度青森付近にいるらしいというので、会う算段をした。宿はいくらでもあるので、彼と会う日を決めた段階で宿泊地を決めたい。

 サラリーマン時代、青森出張の際、八戸のお得意先と種差海岸で食べた「うに丼」の大盛が忘れられない。そのうに丼を、この旅の終りとしよう。約一週間のドライブ旅行だが、果たしてどうなるのか楽しみだ。

| | コメント (2)

2019年5月 6日 (月)

№4152 10連休が終わる

 異例の長期休日が続いた10連休も、今日でおしまいである。私のように「毎日が日曜日」の人間にとっては、人が動く休日は休養日として動かないことにしている。まあ報告したように、それでも那須には5日ほど滞在した。

 それにしても、わざわざ人込みで混雑が予想される場所には近づきたくないね。テレビで行列を眺めては、よくぞあんなに混みあった場所に行くものだと驚き呆れていた。

Photo
 高速道も休日前の予想通り、軒並み40km近い混雑だった。東名高速道は、圏央道からの新道が開通となり混雑緩和が予測されていた。ところが、アナウンス不足の影響か新道には行かず、相変わらず本道を走る車が多かったようだ。新道だと10分で通過できた道を、本道で1時間もかかったとの報がなされていた。

 休日初日のディズニーランドは、天気が悪かったせいかガラガラだったらしい。その後の報がなされていなかったが、いつものような混雑だったのだろう。代わりに報道されていたのが、飯能に新しく出来た「ムーミンパーク」だ。飯能駅からバスで行くらしく、駅前にはバスを待つ長蛇の列だった。遊園地に到着しても、アトラクション会場に入場するのにまた長蛇の列の報道だ。いずれ、ニュースはどこでも長蛇の列だった。

 私のようにいつでも暇な人間は関係ないが、普段休めない人にとっては、このような休日は「家族サービスディ」として、どんなに混雑していてもどこかに行かなければならないのだろう。

 海外旅行に出かけた人も多かったようだが、この時期の旅行代金は通常の2倍も3倍もする。どんなに高かろうが、まとまって休めるのは何にも代えがたいのかもしれない。同情に耐えない。

 明日からは通常のリズムに戻る。さて、われわれの番である。今月末には帰郷する。ついでにゆっくり津軽を歩いてこようかな。

| | コメント (0)

2019年4月16日 (火)

№4132 さて、竹ちゃんはどこにいる

 すでにご報告しているが、わが友竹ちゃんは日本縦断の旅を続けている。旅日記を事細かに彼のブログ(クリックするとブログを読める)に綴っている。今日のブログで、愛知県の伊良子岬に着いたとの報告だ。

 3月上旬に東京を出て、先ずは四国霊場巡りをしたようだ。四国には二人の友だちが一緒だったのかな。札所めぐりを半分ほどして、彼のみが九州に行った。そこから「日本縦断の旅」が始まった。スタートは、大隅半島の岬だ。基本は、歩いて日本縦断をするつもりのようだ。一日30kmを歩いて、6月下旬には北海道の宗谷岬到着と、スケジュールを立てていた。

 それにしても彼の凄いところは、テントを持ち歩き野宿をして歩くことだった。3月上旬のスタート時は、雨が降り続いて寒かっただろう。持っていく荷物にも制限があり、着替えなどそんなに多くなかったはずだ。しかも貧乏旅行で、ガマン我慢の連続のようだ。ふつうの足では、1時間4kmの歩行距離だ。4か月弱を一日8時間づつ歩き続けるなんて、常人のできることではない。

 彼は、私と同じ業界仲間だ。定年になって10年にもなるだろうか、会社を辞めてからは海外旅行のスペシャリストになった。私も何度も追跡したが、東南アジアからポルトガルのリスボンまで、半年以上をかけて貧乏旅行をしていた。帰ってきてからも、ネパール、ミャンマー、スリランカと席の温まる暇がなかった。そして、今回念願の日本縦断旅行だ。私がいくら旅行が好きといっても、彼のまねはできないね。

 旅行中は、ずっとブログで報告しているのも頭が下がる。しかも彼のブログには、写真がたくさん貼り付いているので、一緒に旅を楽しんでいるような気になるのが嬉しいね。

 それだけではない。旅の空で絶えず私のブログをチェックしてくれているようなのだ。先日、私のブログが10日間ほど断絶した。そしたら、さっそく彼からのメールが届いていた。どうやら九州で書かれたメールのようだった。

シンさん

ブログ更新されていないようですが…。

どうされました。
 もちろんすぐに返信したのだが、恐縮してしまった。彼のブログを読んでいると、追っかけファンが多いようだ。何より励みになるのが、彼のブログにコメントを入れることだ。そういう私はできていないが、このブログを書き終わったら、さっそく励ましのコメントを入れておこう。

| | コメント (2)

2019年3月13日 (水)

№4105 Takeちゃん日本縦断徒歩の旅に発つ

 以前もお話ししたが、わが友Takeちゃんが日本縦断徒歩の旅に出発した。3月5日のことである。古希が近いというのに、買った切符が「青春18きっぷ」というから恐れ入った。この切符があれば、日本中を旅できるようだ。ただ、有効期間は40日に限られている。

 彼の旅は、逐一彼のブログ「竹ちゃんの旅日記のブログ」で報告されている。旅に出た最初の記事は、高松駅で寝袋に入っている野宿の姿だった。この歳でよく野宿などするよねと、あきれ恐れ入った。

 今は四国八十八か所の札所めぐり巡礼をしているようだが、この後九州の渡り、佐田岬で日本縦断の旅を始めるらしい。極力荷物を少なくと、水・食料を含め13kgに抑えたという。徒歩での縦断のようで、それでも1日に30kmをこの荷物を背負って歩くのは大変だ。

Photo
 今回の彼の旅については、教科書があったようだ。岩波新書で、石川文洋さんの『日本縦断 徒歩の旅―65歳の挑戦―』という本だ。石川さんは、宗谷岬から佐田岬まで120日間で歩く計画を立てた。予算は、一日1万円だという。

 Takeちゃんの凄いのは、100日で交通費も込みで30万円であげるつもりのようだ。それには、極力宿には泊まらずに野宿で、安く上げようというつもりのようだ。それにしても、2~3日前の豪雨の中の野宿は辛い。私のような軟弱者には耐えられないが、普通の人も古希近いと同じ感情を持つのではないかな。

 九州から再度四国に上陸し、紀伊半島を横断して東海道に向かうという。東北を北上して北海道に行く計画のようだが、彼の生まれ故郷は八戸だ。当然、実家にも立ち寄ることになるだろう。

 いずれ、詳細な旅の報告がブログに記載されている。目的地の宗谷岬には6月に着くという。彼のブログを楽しみに追いたい。

| | コメント (3)

より以前の記事一覧