カテゴリー「ふるさと秋田」の35件の記事

2019年6月16日 (日)

№4193 高校同窓会の東京総会

 例年、6月の第三土曜日は、高校同窓会の「東京雄水会総会」が開かれる。会場は、これもいつも同じ霞が関ビルだ。私は定年後から参加しているが、参加してもう12~3回にもなるだろうか。この日は、参加者は100名を上回っていた。これだけ参加回数を重ねると、知り合いも多くなる。同期の連中も12名ほどが参加していた。

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 この総会の何よりの楽しみが、同窓生のなかで社会で活躍している人の講演を聞くことだ。この日は、レスリングの柳田英明さんの講演があった。柳田さんは私の一年後輩だが、秋田県でオリンピック金メダルを取った4人のうちの一人だそうだ。彼は、ミュンヘンオリンピックをはじめ2個の金メダルを持っているらしい。やんちゃな学生時代の話をはじめ、後輩を育てる話は面白かった。縁があって韓国のコーチもやったようだが、教え子のなかから2人の金メダリストが出たという。

 会場から質問が出た。「現役時代にしごきをやったのか?」どこのスポーツ部もそうだったが、先輩のいわれなきしごきがひどかった。彼は、「先輩にはしごかれたが、自分から他人に手をあげたことはない」との話に、思わず会場から拍手が出た。しごいた先輩には、練習場でたっぷり仕返ししたのだそうだ。そして、今でスポ少の子供たちを育てるのに力を注いでいると話していた。

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 番外編だったが、映画監督の若松節朗氏も壇上に立ち、「今上映されている映画を観てください」と訴えていた。その映画は『空母いぶき』で、ヒットを続けている。彼は、映画『沈まぬ太陽』でもメガフォンをとった中堅の映画監督だ。「来年の3月に『Fukushima50』という映画が上映されるので、その映画もよろしく」との話だった。

 総会は、久し振りに盛り上がった。というのも、昨年暮れから年始にかけて出場した母校サッカー部が、見事準決勝まで勝ち上がったことによる。さらには、昨年夏の甲子園に出場した金足農業が、準決勝まで勝ち上がったことも影響していた。吉田輝星の話題とともに、野球の話にも花が咲いた。

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 総会もそうだが、何よりの楽しみが懇親会だ。出席者が高齢になったせいか、立食パーテーではなく、テーブルと椅子が用意されているのはありがたかった。同期の連中とも一緒に写真を撮ったが、かわいい後輩Keikoちゃんとも一枚パチリ。彼女は、同窓会ゴルフ会の仲間だ。「この記事は何時ブログに載るの」と聞いてきたから「明日だよ」と伝えておいた。

 そういえば、耳寄りな話もあった。私の隣に座ったEikoさんが、「手の震えの原因が分かったと新聞に載っていたわよ。その新聞のコピーを送っておくね」と話していた。まさか、彼女は昨日の記事は読んでいないはずだ。そういえば、参加者の中に私のブログの熱烈ファンがいるのはありがたい。今日、早速関連記事(クリックすると記事が読めます)を送ってきてくれた。

 同期のNorioちゃんが、「毎朝、いの一番にあなたのブログを読むのを楽しみにしている」と話していたし、ゴルフ会の幹事Toita氏が、「津軽旅行を楽しんできたようですね」と話していた。「ブログを読んでいる限り、あなたは忙しそうですね」と声をかけてくれた人もいたが、そんなに忙しいことはない。

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 会場を移して、やはり後輩が経営している稲庭うどんの名店「佐藤養助商店」で二次会を行った。何よりうれしいのが、秋田の銘酒をたっぷり飲めることだ。皆さん秋田の出身だけに酒豪が多い。稲庭うどん二杯とたっぷりお酒を飲んで帰ってきた。

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2019年5月28日 (火)

№4174 二か所の墓参り

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 田舎に帰ってきたので、墓参りをしてきた。2年振りの事である。お墓は、甥のIkuo一家で守ってくれている。彼の家の仏前にお参りし、お花を買って墓参りに行った。花を飾り、水をかけて丁重にお参りしてきた。これですっきりした。お寺には、6年前に亡くなった兄の遺骨も収められているはずだ。ところが、その遺骨がなかった。

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 おや、どうしたのだろうか。お寺の大黒に聞いてみたら、5月の連休明けに遺骨を引き取っていったという。「何でも、新しいお墓を買ったと言っていましたよ」とのことだった。そんな話、聞いていないな。念のために川崎の姉にも電話をした。姉も知らなかったようだ。義姉のMiyokoさんに電話をしてみた。「そうなのよ、念願の墓を買って遺骨を収めたの」というのだ。子どもたちと一緒に遺骨を収納したらしいが、誰にも言っていないとのことだ。秋田に来たので、兄のお墓参りもしていこう。

 お墓では、昨日一緒に同期会に参加したHirato君にばったり会った。彼は川口から車で参加していて、田舎に来たのを機会に母の17回忌法要をしてもらったとのことだ。Shoちゃんも一緒にいたので、お昼ご飯を食べることにした。道の駅に甥のIkuoが経営している『ケベック』というイタ飯屋がある。その店に行ったが、お昼のせいか満員だった。結構、お店は繁盛しているのだ。一緒に行ったHirato君は、美味しい美味しいと言って食べてくれた。

 これから埼玉に帰るという彼と別れて、私は秋田に向かった。義姉のMiyokoさんと連絡を取り合って、亡き兄のお墓に詣でてきた。気持ちの上でもすっきりしたと、義姉は喜んでいた。自宅でお茶をご馳走になり、この日予約しているホテルに向かった。

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 そして、その夜は甥のIkuo君、Takashi君、それに従弟のRyou君の4人でホテルの近くの飲み屋で会食をした。専ら話題は、もう25年も前に亡くなった兄の事だった。死んだ兄は56~7歳だったろうか。彼らも50台半ばになると、今でなければ話せないことがたくさんあった。親を客観的に評価できる年になっているのだ。4時間も飲み屋にいた。帰りはラーメンを食べて、私はホテルに向かった。

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2019年5月27日 (月)

№4173 喜寿を待てない会

 今回秋田にやってきたのは、「喜寿を待てない会」に参加するためだった。2015年の4年前、同期で「古希を祝う会」をやった。次のビッグイベントは、77歳の「喜寿を祝う会」だが、それまで待てない気の早い連中が企画したものだ。いずれ、田舎に気働きのする幹事がいるので、こういう会ができるのに感謝だ。

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 会場は、由利本荘市のホテルの宴会場だ。参加者は男子26名、女子21名の計47名だった。関東からは12名、北海道2名、福岡から1名と結構遠くからも来ていた。幹事はいつもの趣向を変え、宴会中に席替えを三回も行った。一度目は出身町内別、二度目は小学校のクラス別、そして三度目は中学校のクラス別に替えた。どうしても一度席に座ってしまうと、動きたがらないものだ。それを配慮したようだ。

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 開会に先立ち、主催者が物故者の紹介をし、全員で冥福を祈った。わが学年は129名だったが、その内これまで28名の方が亡くなっていた。名前が読み上げられるたびに、会場から深い溜息が漏れた。そうか、彼も彼女も亡くなったのだ。小学校と中学校は小さな町なので、皆さん顔馴染みだ。第一回目の席で話になったが、わが生家のある町内は20軒ほどだったが、各屋に同じ歳ごろの子どもがたくさんいた。町は子どもであふれかえっていたのだ。

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 私の実家の目の前に住んでいたのは、造り酒屋の「Junkoお嬢様」だ。彼女の家は4000坪もある豪壮な家だった。疾うに造り酒屋も止めて、今その広壮な家に住んでいるのは未亡人一人だ。余計なことだがあそこの家はどうなっちゃうのだろうか、彼女に問うた。「私にもどうなってしまうのかわからないわ」とのことだ。そういえば、この町は空家だらけだ。私の生家も、今では空家だ。

 私が出発する前に川崎の姉から電話があり、「実家を借りたいという人がいるが、今実家の家はどうなっているのか」と問われた。今管理しているのは甥だ。彼に聞いてみたらどうか、と返事した。

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 さて、会場では恒例のカラオケ合戦に移った。かつての秋田美人合唱団、もっとも今でも美人軍団だが、が会場を賑わせた。私は最近とんとカラオケには縁がなくなったが、Reikoに慫慂されて一緒に「銀座の恋の物語」を歌った。ただ、私は歌うよりも昔話に花を咲かせた。会は二次会、三次会と流れ、朝目が覚めたときにはすっかり声が枯れていた。これは歌いすぎたためではなく、飲み過ぎのためだった。

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2019年5月26日 (日)

№4172 那須から秋田へ

 さて、いよいよ旅の始まりである。この日は、午後2時半の会である。那須から秋田まで何㎞あるのだろうか。カーナビで検索してみたら、会場のホテルまでは453㎞とあった。まあ、5時間もあったら到着するなと目算した。

 那須を午前7時50分に出て、東北自動車道は那須インターチェンジで乗った。天気も良いし、快適なドライヴ旅行だった。私は、長距離ドライヴを苦にしない。何百㎞だろうがOKである。そうだ、サービスエリアで東北の地図を貰おう。無料で地図を配布している。安達太良サービスエリアに地図を貰うために立ち寄った。ストップしたのは、そのためだけだった。

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 秋田道の横手インターチェンジで降りた。由利本荘市に向かう直線だ。間もなく鳥海山が見えてきた。山は真っ白に雪をかぶっていた。まだまだ冬なんだね。この日も雲一つなく、すそ野まできれいに眺めることができた。鳥海山を見ると、故郷に帰ってきたことを実感できる。そうだ、この沿線に親戚の家がある。仏前にお参りしていこう。

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 急遽の立ち寄りだったが、この日は買い物とかで、従妹は出かけていていなかった。旦那だけがいたが、お参りだけで早々に退去した。目的地に向かう街道沿いには、秋田の名物である「ババヘラアイス」を売っていた。この光景も秋田ならでは、である。懐かしいので、写真を撮っていいかと尋ねた。「アイスを買わないなら、顔を撮っちゃいけない」といわれた。別にアイスが食べたいわけじゃないが、一個200円だった。

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 目的の由利本荘市に無事着いたのは、午後12時20分だった。会が始まるまではまだ2時間以上もある。そうだ、女房に頼まれた「味どうらく」を買っておこう。大きなスーパーに目的の物は売っていた。これは万能のつゆとかで、秋田でなければ見かけない。一升瓶も売っていたが、女房に頼まれたのは小瓶だ。5本買った。これで、女房への義理は果たせた。

 そして、この日の会場に着いたのは、開会1時間前の午後1時半だった。

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2018年6月17日 (日)

№3833 高校同窓会の東京総会

 毎年6月の第3土曜日は、虎ノ門の霞が関ビルの最上階で高校の同窓会総会が開かれる。もう10年にもなるだろうか、私はこの日を楽しみに参加している。

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 この同窓会は、私と同期のRokuちゃんが会長をやっている。今年で6期目になるという。早いものだ。通常2期4年で交代していた会長職だが、彼の名会長・人望もあって、3期6年と延長された。後任も見つかったとのことで、今期限りで退任とのことだ。本当にご苦労様でした。

 そのRokuちゃんが私のところにやってきて、「ブログを見る限り、あなたはゴルフが下手になったね。私は、念願のホールインワンを達成したよ」と喜んでいた。達成記念のお祝いを請求したら、記念のQUOカードを頂戴した。

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 この総会で何よりの楽しみは、実績のある先輩方の講演である。今回は、先輩の川村誠さんが、「小さな大投手今川敬三氏との出逢い」と題して、約40分ほど話してくれた。今川敬三さんというのは、甲子園で大活躍したわが母校最大の英雄である。

 川村さんは今川さんと同期で、一緒に野球をした仲だったという。私の3年先輩だ。今川さんは高校で3年間活躍し、早稲田に進学し、卒業後母校の野球部監督に就任した。就任9年で、交通事故で急逝してしまった。没後もう42年になる。

 その経歴も含めて詳しく話された。今でも甲子園記録として残っているのが、73球で完投勝利した球数の少なさだという。今川さんの人柄も含めて紹介されたが、参加者はその講演に聞き入っていた。今川後、下手投げ投手が続出したが、秋田県出身の阪急山田久志投手も、今川さんの影響を受けて下手投げになったらしい。

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 さて、第一部の総会が終わり、懇親会に移った。参加者の高齢化を意識したのか、今年から全員椅子に座っての懇親会だった。今年初めて参加したのか、わが町出身の3年先輩Hiroshiさんの名前を見つけて、挨拶に伺った。彼とは3年違いなので、一緒の学校生活を送ったことはない。開口一番彼が話したのは、「お前のうちに庭になっていた梨を泥棒した」思い出話だった。

 また、いつも高校の同窓ゴルフ会で一緒のKeikoさんも見つけ、挨拶をした。「シンさんのブログを楽しみにしていますが、最近ゴルフの記事が少なくなりましたね」と言っていた。そう、あまりゴルフには行っていないのだ。今年の春の同窓ゴルフも欠席した。「今年の秋こそは一緒にやりましょうよ」と言われた。

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 今年は、わが期の参加者が12名と多かった。会長退任の花束を持ったRokuちゃんを囲んで、記念写真を撮った。アレッ、3人足りないな。

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 最後は、恒例の応援歌、校歌を皆で肩を組みながら歌ってお開きになった。二次会は近くの飲み屋で行ったが、そこで私は3年後輩の仲間と一緒の席だった。3年後輩といううと、もう10年前に亡くなった弟と同期だ。その話をしたら、弟を知っている人も何人かいた。

 楽しい同窓会だったが、帰りにKeikoちゃんから「私がもらった秋田の酒一升瓶だが、飲まないから上げる」と言われ、喜んでいただいてきた。

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2018年5月28日 (月)

№3813 秋田のいとこの来訪

 秋田のいとこが来訪するという電話があった。昨年秋田を訪ねたときに、ずいぶん世話になったのである。秋田訪問時、息子が大宮に住んでいるという話を聞き、息子の家に泊まった時には、ぜひわが家も訪ねるように言っておいた。

 実は、彼の奥さんは難病で相模原の病院に入院しているという。2~3日前手術がうまくいって、ホッとしているらしい。手術の合間に手が空いていたらと、わが家に招待した。それじゃ行こうかということになった。それを聞きつけて、川崎と横浜の姉も来るという。

 お昼だったので、駅前のレストランで会食することにした。いとこのRyouちゃんがわが家を訪ねるのは初めてのことだ。昼食時には、奥さんの手術の話、いとこの兄弟の消息、昔話と話題は尽きなかった。彼の実家は幼稚園をやっていて、姉二人はそこの先生をやっていた経験がある。

 レストランでの話は尽きないと、場をわが家に移してさらに話が続いた。彼はパソコンのことにはえらく詳しい。わが家にwi-fiの電波があるのを知り、自分のスマホをその電波に乗せようとした。ところが、うまく繋がらなかった。

 wi-fi電波はパソコンだけで、スマホには繋がらない設定になっていた。余計にお金がかかるので、家庭内wi-fiを設定してくれるという。

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 わが家のパソコンの環境を見てくれた。コードがごちゃごちゃになっていて、何が何だかわからなかった。というのも、私も業者任せにしていて一度も机の下を整理したことがなかった。混線していたが、それも承知していた。

 スマホで電波を確認したら、3つか4つの電波が出ているようだ。Ryouちゃんが確認したら、机の下には4つのwi-fiルーターがあることが分かった。その2つは完全に使っていない。ルーターをコンセントから引き抜いた。2つの電波は消えた。

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 よくみたら、ルーターには機種番号とパスワードが載っていた。それに基づいてスマホとルーターを繋いだら、うまくwi-fi電波をとらえた。「これでいらない接続料金を払わないで済むし、料金が格段に安くなるよ」と言っていた。

 私は毎月9000円くらいをDoCoMoに支払っている。「自分のスマホ代は月2000円程度のもの」と言っていたので、ずいぶん違う。さて、月単位で見なければわからないが、今回の設定で安く済むだろうか。

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2018年4月10日 (火)

№3765 田舎の仲間で同級会

 横浜に住むShigeruから何度か電話をいただいていた。「シンさん、そろそろ皆で集まらないか」との催促だった。私はそのうちね、と気のない返事をしていた。彼はとうとうかんしゃくを起こし、「シンさんが声をかけなきゃ、集まらないんだよね」と再電話が来た。しようがない、それじゃ声をかけるか。

 田舎の同期で関東に来ている人は、私の名簿を見る限り30人くらいいる。同期会をやるよと声をかけると、いつも集まるのは15名内外だ。昨年11月にも集まりがあった。私は海外旅行の帰途で、参加はできなかった。私がこの同期の連中と会うのは、ほぼ1年ぶりだ。

 いつも最初に声をかけるのは、姉御肌のTeikoだ。彼女は、二つ返事で必ずOKする。さて、いつにしようかな。「私の店は月曜日が定休日なので、できれば月曜日が良いね」。私はalways OKだ。

 女性にはTeikoから、男どもには私が連絡をした。まだ仕事を持っている人もいて、平日は難しいという人が何人かいた。まあ、しようがないね。それでも出席を快諾した人は12名もいたから、まあよかった。

 桜の花は散ったが、上野界隈で御徒町の飲み屋を探した。この近辺には、結構安い飲み屋が多いのだ。料金は、食べ物代が2500円に飲み物代だ。女性も多いし、飲兵衛は私ぐらいのものだ。飲み物代もそんなにかからないはずだ。

Img_5656 今回の参加者は、男6人に女6人とちょうど半々だった。中には珍しい人が参加していた。Keikoさんだ。彼女は中学2年生の時に転校して、今は横浜に住んでいるらしい。小学校6年間は同級生だった。

 皆さんこの集まりを楽しみにしているようで、わざわざ木更津から駆け付けたMakotoもいた。この日は午後4時集合だったが、「バスでやってきたが、東京にはお昼頃に着いた」のだそうだ。

Img_5657 話題はいつも同じで、田舎の消息、親兄弟の動向、連れ合いの話題、さらには健康問題だ。幸い、この日集まった中で健康に障害がある人は誰もいなかった。

 久し振りに参加したToshioは、昨年長く続けていたパン屋さんをやめた。何でも40年近くもやっていたようだが、とっても体がもたなかったそうだ。機械も老朽化し、更新するとなると何百万円もかかることが分かり、思い切ってやめたのだそうだ。

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 3時間も話して飲んだのだが、話は尽きない。ひとまずこの飲み屋は退散しようよ。記念写真を撮って、店を出た。

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 「アメ横」を知らないという人がいたので、ぶらぶら歩きながら店を冷かした。まだまだ時間は早い。お茶を飲んで帰ろう。近くの喫茶店に入ったが、そこでも出る話題は田舎の話だった。いくら話しても尽きることはないね。

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2017年8月12日 (土)

№3521 田沢高原ホテル

 秋田を離れる日がやってきた。最後の昼食会をやろうということになった。今朝早く名古屋から秋田に帰ってきた義姉のMiyokoさんと、名古屋に住む娘のTomoe、その娘も加わった賑やかな昼食会だった。

Img_3949 会場は、甥のIkuoが経営する道の駅『ケベック』というイタ飯屋さんだ。この店もそうだが、昨晩のNHKテレビにこの道の駅が放映されていた。Ikuoにその話をしたが、興味がなさそうだった。テレビに映されなくても、大繁盛しているのだ。

 私は、この店でワタリガニスパゲッティを食べたが、皆さんそれぞれにエビフライや煮込みハンバーグを食べていた。その量の多さに圧倒された。

Img_3950 私の食べたワタリガニスパゲッティも美味しかったが、ほかの人が頼んだエビフライは大きく太いエビが三本も乗っていた。

 隣に座った姉が注文したのが煮込みハンバーグだったが、それにもエビフライが二本乗っていた。食べ切れないと、一本をご相伴に預かったのだが、フカフカして美味しかった。

 さて、われわれ東京組は今晩は田沢湖一泊だ。のんびりもしていられないと、午後2時半ころに皆と別れた。田沢湖までは90㎞ほどある。今回の旅は、私とMaikoが交互に運転して楽だった。

Img_3951 田沢湖の高原に上る前に蜂蜜屋がある。この蜂蜜屋は姉お気に入りの店とかで、いつも通販でこの店の蜂蜜を取り寄せているのだそうだ。この日は、たまっているお金を払いたいと立ち寄った。

 姉のお気に入りは栃の蜂蜜だそうだ。試食品がたくさん並んでいたが、私が美味しいと思ったのは、国産のアカシヤの蜂蜜だ。中瓶一本をお土産に買った。

Img_3952 ここからの今晩の宿『田沢高原ホテル』までは約10分ほどだ。午後5時過ぎに着いたが、ホテルに着いたら、ヒンヤリしていた。このホテルは標高650mだという。

 ホテルでチェックインした時、宿の主人は「今晩は田沢湖畔でお祭りがある。花火も揚がる予定だ」と話していた。夕食後のそのお祭りに行くことにして、先ずは部屋に入った。

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 部屋からは、雲隠れに幻想的な田沢湖を望めた。早速、ホテルの温泉に入浴した。この湯は温いくらいで、ちょうどよかった。温泉には、湯の花が浮かんでいた。

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 さて、夕食後に田沢湖のお祭りに出かけた。たくさんの屋台が並んでいたし、舞台ではロックバンドの演奏会だった。花火は夜8時過ぎだという。

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Img_3962 早々に田沢湖畔に陣取った。花火が揚がったのは、8時を過ぎていた。30分くらいの花火だったが、ちょうどよかったね。「花火が見たい」と言っていたKoutaには、夏休みのいい思い出になったことだろう。

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2017年8月11日 (金)

№3520 心温まる食事会

 昨日の記事にも書いたが、この日は昼食会、夕食会に誘われて出かけた。もちろん、姉は友だちとの会食会があるとのことで、同席はしなかった。それにしても、今回の旅行は、姉の友だちとのお付き合いのためのようなものだった。

 昼食会は、Hidekoさんの家でだ。91歳になるHidekoさんは、昨年大腿骨骨折で不自由な体だった。それまでは、カラオケ、社交ダンスと活発に動いていたらしい。車の運転も自由にこなしていたという。

  彼女の家は豪勢だった。築後7~8年で、建坪200坪だそうだ。この大きな家に住んでいるのは二人だけだ。一人100坪だねと、ため息交じりに話した。お昼過ぎに着いたのだが、すでに握り寿司の豪華な料理が用意されていた。

 結局、半分も食べ切れなかった。さらにデザートの果物も出た。恐縮しながらもいただいた。Maikoが作ったという元ダンのDVDも聞いた。元ダンは、亡くなって7~8年になる。初めて聞いたのだが、上手だったね。

 夜は、Takashi家の招待に喜んで出かけた。私は一度訪問したことがあるが、女房は初めてだ。Takashiは、特に女房に訪れてもらいたかったらしい。彼とは、長い因縁がある。

 大学入学試験で上京した折、わが家が仮の宿となった。そこから入学試験に出かけたのだが、3校ほど受験したのかな。自信を持っていた2校が残念ながら失敗だった。もう1校の試験はうまくいかなかったと、結果を見ずに肩を落として田舎に帰っていった。

 念のために、女房と一緒に合格発表を見に行った。なんと、彼の受験番号があるではないか。東京六大学の有力校に現役合格していたのだ。近くの公衆電話で実家に電話をし、そのことを伝えた。彼はがっかりして、翌年に向けた勉強で机に座っていたようだ。大喜びしたことは言うまでもない。

 大学入学時は、しばらくわが家に寄食した。狭い家の一室を彼のために用意した。その後、アパートを借りて移っていったが、しばしばご飯を食べに来ていた。さらに因縁は続く。

 卒業時に、ある旅行会社に就職が決まったという。私の提案で、地元の最有力企業にも面接を受けに行った。結局、その会社に就職が決まって、今もそこで働いている。嫁さんのWakikoさんと出会ったのも、その会社でだった。

 私も女房も意識しているわけではないが、彼は若干の恩義を感じているらしい。いま素敵なマンションで幸せに暮らしているのを、特に女房に見てもらいたいと言っていた。ヨカッタネ。

 この夕食会には、昨日も一緒だったKentarouも遅れてやってきた。私は、今まで誰にも話したことがない兄Ikuoの命名の経緯について紹介した。本人も知らないことで、皆驚いていた。

 最後の心からのもてなしで出たのがメロンだ。特に女房に食べてもらいたいと目の前に出たが、残念ながら女房はメロンアレルギーだ。ウ~~ム、それにしても良い夕食会だった。因みに、ありがたいことにWakikoさんは、私のブログファンだそうだ。

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2017年8月10日 (木)

№3519 宴会に集まったのは・・・

 秋田市内のホテルに到着したのは、午後7時過ぎだった。そのころには、宴会参加者がどんどん膨らんでいた。その時で、われわれ東京組含め、10名の参加者になっていた。

 ホテルの近くに宴会場を探したが、急のことで10名の会場を探すのは容易でなかった。あまり面白くなかったが、全国の居酒屋チェーン店に入ることにした。その会場は、むかし私が営業で秋田出張の際、お得意先のお店の本店だったところだ。あの店はどうなったのだろうか。

 ホテルに最初に駆け付けたのは、甥のIkuoだった。市内に住む息子のKentarouを連れてきたというのだ。三人息子の一番下だ。そういえば、長男が来週結婚式を挙げると言っていた。せっかくなら、長男と嫁さんも呼んだらどうだろうか。

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 結婚式を挙げるばかりの二人は、すでに市外に一緒に住んでいるという。Ikuoが電話をしたら、宴会に駆け付けるという。従兄弟のRyoujunさんも来てくれた。彼が伴ってきたのは、姉の元ダンのお姉さんHidekoさんだ。91歳だという。

Img_3944 姉は元ダンとは別れたが、そのお姉さんとは親しくしていたのだそうだ。最近足を骨折したとのことだったが、車椅子で宴会場に駆け付けた。

 さらに、Ikuoの弟Takashiも会社の宴会を途中で切り上げ、参加してくれた。せっかくだから嫁さんも呼びなさいよとTakashiに促した。嫁さんのWakikoさんもやがて到着した。

 最後に着いたのが、花嫁のAiさん、花婿Yuyaの二人だ。夕方、Ikuoと飲もうと約束したのだが、最終的には13名の大所帯になった。宴会場は大盛り上がりだった。特に、一番若いKentarouは大はしゃぎだった。

Img_3948 急遽の事ではあったが、来週結婚式を挙げるという若いカップルにご祝儀を差し上げよう。テッシュにお金を包もうとしたら、近くのコンビニで祝儀袋を買ってくると腰を上げたのが、Kentarouだ。さすが若いので、腰が軽い。

 姉と私の二人でご祝儀を包んだ。嫁さんは秋田美人で、きれいな子だった。「こんなきれいな子を娶って幸せ」とデレデレだったね。Yuya君は、朝4時に起きて仕事だそうだ。早々に帰っていった。

 さて、翌日の予定はあるのか。台風の来襲のようで、姉はたくさん予定を入れていたが、予定のないわれわれは映画でも見ようかと思っていた。そしたら、Hidekoさんが「明日、お昼を食べにいらっしゃいよ」と誘ってくれた。もちろん大歓迎だ。

 そしたら、夜の予定はと聞いてきたのがTakashiだ。夜ももちろん予定はない。そしたら、明日は自宅で食事会をしようという。嫁さんのWakikoさんも大歓迎だと言ってくれた。よし、夜はそれで決まりだ。さらに、この宴会の支払いもTakashiは引き受けた。大散財をかけてしまった。

 昼は仕事があるというKentarouも、夜はTakashi家に駆け付けたいという。もちろんいいだろう。

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