カテゴリー「ふるさと秋田」の31件の記事

2018年6月17日 (日)

№3833 高校同窓会の東京総会

 毎年6月の第3土曜日は、虎ノ門の霞が関ビルの最上階で高校の同窓会総会が開かれる。もう10年にもなるだろうか、私はこの日を楽しみに参加している。

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 この同窓会は、私と同期のRokuちゃんが会長をやっている。今年で6期目になるという。早いものだ。通常2期4年で交代していた会長職だが、彼の名会長・人望もあって、3期6年と延長された。後任も見つかったとのことで、今期限りで退任とのことだ。本当にご苦労様でした。

 そのRokuちゃんが私のところにやってきて、「ブログを見る限り、あなたはゴルフが下手になったね。私は、念願のホールインワンを達成したよ」と喜んでいた。達成記念のお祝いを請求したら、記念のQUOカードを頂戴した。

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 この総会で何よりの楽しみは、実績のある先輩方の講演である。今回は、先輩の川村誠さんが、「小さな大投手今川敬三氏との出逢い」と題して、約40分ほど話してくれた。今川敬三さんというのは、甲子園で大活躍したわが母校最大の英雄である。

 川村さんは今川さんと同期で、一緒に野球をした仲だったという。私の3年先輩だ。今川さんは高校で3年間活躍し、早稲田に進学し、卒業後母校の野球部監督に就任した。就任9年で、交通事故で急逝してしまった。没後もう42年になる。

 その経歴も含めて詳しく話された。今でも甲子園記録として残っているのが、73球で完投勝利した球数の少なさだという。今川さんの人柄も含めて紹介されたが、参加者はその講演に聞き入っていた。今川後、下手投げ投手が続出したが、秋田県出身の阪急山田久志投手も、今川さんの影響を受けて下手投げになったらしい。

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 さて、第一部の総会が終わり、懇親会に移った。参加者の高齢化を意識したのか、今年から全員椅子に座っての懇親会だった。今年初めて参加したのか、わが町出身の3年先輩Hiroshiさんの名前を見つけて、挨拶に伺った。彼とは3年違いなので、一緒の学校生活を送ったことはない。開口一番彼が話したのは、「お前のうちに庭になっていた梨を泥棒した」思い出話だった。

 また、いつも高校の同窓ゴルフ会で一緒のKeikoさんも見つけ、挨拶をした。「シンさんのブログを楽しみにしていますが、最近ゴルフの記事が少なくなりましたね」と言っていた。そう、あまりゴルフには行っていないのだ。今年の春の同窓ゴルフも欠席した。「今年の秋こそは一緒にやりましょうよ」と言われた。

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 今年は、わが期の参加者が12名と多かった。会長退任の花束を持ったRokuちゃんを囲んで、記念写真を撮った。アレッ、3人足りないな。

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 最後は、恒例の応援歌、校歌を皆で肩を組みながら歌ってお開きになった。二次会は近くの飲み屋で行ったが、そこで私は3年後輩の仲間と一緒の席だった。3年後輩といううと、もう10年前に亡くなった弟と同期だ。その話をしたら、弟を知っている人も何人かいた。

 楽しい同窓会だったが、帰りにKeikoちゃんから「私がもらった秋田の酒一升瓶だが、飲まないから上げる」と言われ、喜んでいただいてきた。

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2018年5月28日 (月)

№3813 秋田のいとこの来訪

 秋田のいとこが来訪するという電話があった。昨年秋田を訪ねたときに、ずいぶん世話になったのである。秋田訪問時、息子が大宮に住んでいるという話を聞き、息子の家に泊まった時には、ぜひわが家も訪ねるように言っておいた。

 実は、彼の奥さんは難病で相模原の病院に入院しているという。2~3日前手術がうまくいって、ホッとしているらしい。手術の合間に手が空いていたらと、わが家に招待した。それじゃ行こうかということになった。それを聞きつけて、川崎と横浜の姉も来るという。

 お昼だったので、駅前のレストランで会食することにした。いとこのRyouちゃんがわが家を訪ねるのは初めてのことだ。昼食時には、奥さんの手術の話、いとこの兄弟の消息、昔話と話題は尽きなかった。彼の実家は幼稚園をやっていて、姉二人はそこの先生をやっていた経験がある。

 レストランでの話は尽きないと、場をわが家に移してさらに話が続いた。彼はパソコンのことにはえらく詳しい。わが家にwi-fiの電波があるのを知り、自分のスマホをその電波に乗せようとした。ところが、うまく繋がらなかった。

 wi-fi電波はパソコンだけで、スマホには繋がらない設定になっていた。余計にお金がかかるので、家庭内wi-fiを設定してくれるという。

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 わが家のパソコンの環境を見てくれた。コードがごちゃごちゃになっていて、何が何だかわからなかった。というのも、私も業者任せにしていて一度も机の下を整理したことがなかった。混線していたが、それも承知していた。

 スマホで電波を確認したら、3つか4つの電波が出ているようだ。Ryouちゃんが確認したら、机の下には4つのwi-fiルーターがあることが分かった。その2つは完全に使っていない。ルーターをコンセントから引き抜いた。2つの電波は消えた。

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 よくみたら、ルーターには機種番号とパスワードが載っていた。それに基づいてスマホとルーターを繋いだら、うまくwi-fi電波をとらえた。「これでいらない接続料金を払わないで済むし、料金が格段に安くなるよ」と言っていた。

 私は毎月9000円くらいをDoCoMoに支払っている。「自分のスマホ代は月2000円程度のもの」と言っていたので、ずいぶん違う。さて、月単位で見なければわからないが、今回の設定で安く済むだろうか。

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2018年4月10日 (火)

№3765 田舎の仲間で同級会

 横浜に住むShigeruから何度か電話をいただいていた。「シンさん、そろそろ皆で集まらないか」との催促だった。私はそのうちね、と気のない返事をしていた。彼はとうとうかんしゃくを起こし、「シンさんが声をかけなきゃ、集まらないんだよね」と再電話が来た。しようがない、それじゃ声をかけるか。

 田舎の同期で関東に来ている人は、私の名簿を見る限り30人くらいいる。同期会をやるよと声をかけると、いつも集まるのは15名内外だ。昨年11月にも集まりがあった。私は海外旅行の帰途で、参加はできなかった。私がこの同期の連中と会うのは、ほぼ1年ぶりだ。

 いつも最初に声をかけるのは、姉御肌のTeikoだ。彼女は、二つ返事で必ずOKする。さて、いつにしようかな。「私の店は月曜日が定休日なので、できれば月曜日が良いね」。私はalways OKだ。

 女性にはTeikoから、男どもには私が連絡をした。まだ仕事を持っている人もいて、平日は難しいという人が何人かいた。まあ、しようがないね。それでも出席を快諾した人は12名もいたから、まあよかった。

 桜の花は散ったが、上野界隈で御徒町の飲み屋を探した。この近辺には、結構安い飲み屋が多いのだ。料金は、食べ物代が2500円に飲み物代だ。女性も多いし、飲兵衛は私ぐらいのものだ。飲み物代もそんなにかからないはずだ。

Img_5656 今回の参加者は、男6人に女6人とちょうど半々だった。中には珍しい人が参加していた。Keikoさんだ。彼女は中学2年生の時に転校して、今は横浜に住んでいるらしい。小学校6年間は同級生だった。

 皆さんこの集まりを楽しみにしているようで、わざわざ木更津から駆け付けたMakotoもいた。この日は午後4時集合だったが、「バスでやってきたが、東京にはお昼頃に着いた」のだそうだ。

Img_5657 話題はいつも同じで、田舎の消息、親兄弟の動向、連れ合いの話題、さらには健康問題だ。幸い、この日集まった中で健康に障害がある人は誰もいなかった。

 久し振りに参加したToshioは、昨年長く続けていたパン屋さんをやめた。何でも40年近くもやっていたようだが、とっても体がもたなかったそうだ。機械も老朽化し、更新するとなると何百万円もかかることが分かり、思い切ってやめたのだそうだ。

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 3時間も話して飲んだのだが、話は尽きない。ひとまずこの飲み屋は退散しようよ。記念写真を撮って、店を出た。

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 「アメ横」を知らないという人がいたので、ぶらぶら歩きながら店を冷かした。まだまだ時間は早い。お茶を飲んで帰ろう。近くの喫茶店に入ったが、そこでも出る話題は田舎の話だった。いくら話しても尽きることはないね。

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2017年8月12日 (土)

№3521 田沢高原ホテル

 秋田を離れる日がやってきた。最後の昼食会をやろうということになった。今朝早く名古屋から秋田に帰ってきた義姉のMiyokoさんと、名古屋に住む娘のTomoe、その娘も加わった賑やかな昼食会だった。

Img_3949 会場は、甥のIkuoが経営する道の駅『ケベック』というイタ飯屋さんだ。この店もそうだが、昨晩のNHKテレビにこの道の駅が放映されていた。Ikuoにその話をしたが、興味がなさそうだった。テレビに映されなくても、大繁盛しているのだ。

 私は、この店でワタリガニスパゲッティを食べたが、皆さんそれぞれにエビフライや煮込みハンバーグを食べていた。その量の多さに圧倒された。

Img_3950 私の食べたワタリガニスパゲッティも美味しかったが、ほかの人が頼んだエビフライは大きく太いエビが三本も乗っていた。

 隣に座った姉が注文したのが煮込みハンバーグだったが、それにもエビフライが二本乗っていた。食べ切れないと、一本をご相伴に預かったのだが、フカフカして美味しかった。

 さて、われわれ東京組は今晩は田沢湖一泊だ。のんびりもしていられないと、午後2時半ころに皆と別れた。田沢湖までは90㎞ほどある。今回の旅は、私とMaikoが交互に運転して楽だった。

Img_3951 田沢湖の高原に上る前に蜂蜜屋がある。この蜂蜜屋は姉お気に入りの店とかで、いつも通販でこの店の蜂蜜を取り寄せているのだそうだ。この日は、たまっているお金を払いたいと立ち寄った。

 姉のお気に入りは栃の蜂蜜だそうだ。試食品がたくさん並んでいたが、私が美味しいと思ったのは、国産のアカシヤの蜂蜜だ。中瓶一本をお土産に買った。

Img_3952 ここからの今晩の宿『田沢高原ホテル』までは約10分ほどだ。午後5時過ぎに着いたが、ホテルに着いたら、ヒンヤリしていた。このホテルは標高650mだという。

 ホテルでチェックインした時、宿の主人は「今晩は田沢湖畔でお祭りがある。花火も揚がる予定だ」と話していた。夕食後のそのお祭りに行くことにして、先ずは部屋に入った。

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 部屋からは、雲隠れに幻想的な田沢湖を望めた。早速、ホテルの温泉に入浴した。この湯は温いくらいで、ちょうどよかった。温泉には、湯の花が浮かんでいた。

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 さて、夕食後に田沢湖のお祭りに出かけた。たくさんの屋台が並んでいたし、舞台ではロックバンドの演奏会だった。花火は夜8時過ぎだという。

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Img_3962 早々に田沢湖畔に陣取った。花火が揚がったのは、8時を過ぎていた。30分くらいの花火だったが、ちょうどよかったね。「花火が見たい」と言っていたKoutaには、夏休みのいい思い出になったことだろう。

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2017年8月11日 (金)

№3520 心温まる食事会

 昨日の記事にも書いたが、この日は昼食会、夕食会に誘われて出かけた。もちろん、姉は友だちとの会食会があるとのことで、同席はしなかった。それにしても、今回の旅行は、姉の友だちとのお付き合いのためのようなものだった。

 昼食会は、Hidekoさんの家でだ。91歳になるHidekoさんは、昨年大腿骨骨折で不自由な体だった。それまでは、カラオケ、社交ダンスと活発に動いていたらしい。車の運転も自由にこなしていたという。

  彼女の家は豪勢だった。築後7~8年で、建坪200坪だそうだ。この大きな家に住んでいるのは二人だけだ。一人100坪だねと、ため息交じりに話した。お昼過ぎに着いたのだが、すでに握り寿司の豪華な料理が用意されていた。

 結局、半分も食べ切れなかった。さらにデザートの果物も出た。恐縮しながらもいただいた。Maikoが作ったという元ダンのDVDも聞いた。元ダンは、亡くなって7~8年になる。初めて聞いたのだが、上手だったね。

 夜は、Takashi家の招待に喜んで出かけた。私は一度訪問したことがあるが、女房は初めてだ。Takashiは、特に女房に訪れてもらいたかったらしい。彼とは、長い因縁がある。

 大学入学試験で上京した折、わが家が仮の宿となった。そこから入学試験に出かけたのだが、3校ほど受験したのかな。自信を持っていた2校が残念ながら失敗だった。もう1校の試験はうまくいかなかったと、結果を見ずに肩を落として田舎に帰っていった。

 念のために、女房と一緒に合格発表を見に行った。なんと、彼の受験番号があるではないか。東京六大学の有力校に現役合格していたのだ。近くの公衆電話で実家に電話をし、そのことを伝えた。彼はがっかりして、翌年に向けた勉強で机に座っていたようだ。大喜びしたことは言うまでもない。

 大学入学時は、しばらくわが家に寄食した。狭い家の一室を彼のために用意した。その後、アパートを借りて移っていったが、しばしばご飯を食べに来ていた。さらに因縁は続く。

 卒業時に、ある旅行会社に就職が決まったという。私の提案で、地元の最有力企業にも面接を受けに行った。結局、その会社に就職が決まって、今もそこで働いている。嫁さんのWakikoさんと出会ったのも、その会社でだった。

 私も女房も意識しているわけではないが、彼は若干の恩義を感じているらしい。いま素敵なマンションで幸せに暮らしているのを、特に女房に見てもらいたいと言っていた。ヨカッタネ。

 この夕食会には、昨日も一緒だったKentarouも遅れてやってきた。私は、今まで誰にも話したことがない兄Ikuoの命名の経緯について紹介した。本人も知らないことで、皆驚いていた。

 最後の心からのもてなしで出たのがメロンだ。特に女房に食べてもらいたいと目の前に出たが、残念ながら女房はメロンアレルギーだ。ウ~~ム、それにしても良い夕食会だった。因みに、ありがたいことにWakikoさんは、私のブログファンだそうだ。

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2017年8月10日 (木)

№3519 宴会に集まったのは・・・

 秋田市内のホテルに到着したのは、午後7時過ぎだった。そのころには、宴会参加者がどんどん膨らんでいた。その時で、われわれ東京組含め、10名の参加者になっていた。

 ホテルの近くに宴会場を探したが、急のことで10名の会場を探すのは容易でなかった。あまり面白くなかったが、全国の居酒屋チェーン店に入ることにした。その会場は、むかし私が営業で秋田出張の際、お得意先のお店の本店だったところだ。あの店はどうなったのだろうか。

 ホテルに最初に駆け付けたのは、甥のIkuoだった。市内に住む息子のKentarouを連れてきたというのだ。三人息子の一番下だ。そういえば、長男が来週結婚式を挙げると言っていた。せっかくなら、長男と嫁さんも呼んだらどうだろうか。

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 結婚式を挙げるばかりの二人は、すでに市外に一緒に住んでいるという。Ikuoが電話をしたら、宴会に駆け付けるという。従兄弟のRyoujunさんも来てくれた。彼が伴ってきたのは、姉の元ダンのお姉さんHidekoさんだ。91歳だという。

Img_3944 姉は元ダンとは別れたが、そのお姉さんとは親しくしていたのだそうだ。最近足を骨折したとのことだったが、車椅子で宴会場に駆け付けた。

 さらに、Ikuoの弟Takashiも会社の宴会を途中で切り上げ、参加してくれた。せっかくだから嫁さんも呼びなさいよとTakashiに促した。嫁さんのWakikoさんもやがて到着した。

 最後に着いたのが、花嫁のAiさん、花婿Yuyaの二人だ。夕方、Ikuoと飲もうと約束したのだが、最終的には13名の大所帯になった。宴会場は大盛り上がりだった。特に、一番若いKentarouは大はしゃぎだった。

Img_3948 急遽の事ではあったが、来週結婚式を挙げるという若いカップルにご祝儀を差し上げよう。テッシュにお金を包もうとしたら、近くのコンビニで祝儀袋を買ってくると腰を上げたのが、Kentarouだ。さすが若いので、腰が軽い。

 姉と私の二人でご祝儀を包んだ。嫁さんは秋田美人で、きれいな子だった。「こんなきれいな子を娶って幸せ」とデレデレだったね。Yuya君は、朝4時に起きて仕事だそうだ。早々に帰っていった。

 さて、翌日の予定はあるのか。台風の来襲のようで、姉はたくさん予定を入れていたが、予定のないわれわれは映画でも見ようかと思っていた。そしたら、Hidekoさんが「明日、お昼を食べにいらっしゃいよ」と誘ってくれた。もちろん大歓迎だ。

 そしたら、夜の予定はと聞いてきたのがTakashiだ。夜ももちろん予定はない。そしたら、明日は自宅で食事会をしようという。嫁さんのWakikoさんも大歓迎だと言ってくれた。よし、夜はそれで決まりだ。さらに、この宴会の支払いもTakashiは引き受けた。大散財をかけてしまった。

 昼は仕事があるというKentarouも、夜はTakashi家に駆け付けたいという。もちろんいいだろう。

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2017年8月 9日 (水)

№3518 3年ぶりの帰郷

 今年の春ごろから、川崎の姉と墓参りの帰郷をしようと話し合っていた。残念ながら横浜の姉は予定があってダメとのことだったが、代わりに姉の娘Maikoが息子と一緒に参加するという。

 那須で一泊して秋田に向かうことにした。川崎を午後5時半に出発したが、一行が那須に着いたのが午後10時半ころだった。なんと5時間もかかったという。「ものすごい渋滞で、車が動かなかった」とブツブツ言っていた。

Img_3937_2 翌朝、秋田に向かうことにした。ただ、心配は台風の行方だ。相当弱まったとはいえ、台風5号は日本海を北上していた。まあ何とかなると、姪の車で出発した。彼女の車は大きな車で、楽に運転できる。最初に、私が運転していこう。

 カーナビで見ると、目的地まで430㎞ほどだ。まあ、5時間だね。那須からはほとんど高速道で進むので、ほぼ時間通りに目的地に着いた。仙台を通るときには強い雨が降っていたが、秋田県に入ったらほとんど雨がない。順調に走って、実家に着いた。

Img_3939 実家は今は人に貸していて、その裏に甥の家がある。仏壇もその甥の家にある。お参りをした。

 実家と甥の家の間が空き地になっていて、畑を作っていた。ここに崩れた蔵があったはずだ。100万円ほどかけて、その蔵を整理したのだそうだ。ああ、よかったね。

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 ここからお墓までは、歩いて3分ほどだ。街のメイン道路を通って墓に行ったが、往時は賑わっていた街には人っ子一人歩いていない。3年ぶりの墓参りにホッとした。甥のIkuoに「今晩、秋田で飲まないか」と誘ったが、遠いと言って渋っていた。

 田舎での墓参りを終え、車で50分ほどのところにある叔父・叔母の家に向かい、そこでもお参りをしてきた。まずは目的を終え、ホッとした。この日の宿泊は、秋田市内にあるホテルだ。

 Ikuo君から電話があり、「自分も今晩秋田に向かう。秋田に住む弟にも声をかけたので飲もう」とのことだ。そういうことならと、秋田に住む関係者に声をかけた。それが思わぬ大宴会になってしまった。

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2017年6月20日 (火)

№3468 田舎の同期で飲み会

 秋田の田舎出身の同期の飲み会があった。会場は、神田駅の近くの蕎麦屋である。

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 お正月に新年会をやって以来、半年ぶりの再会だ。こういう飲み会は年に2回ほどやっている。今回は突然の呼びかけだったので、5~6人の参加者かなと思いながら声をかけた。案に相違して11名も集まった。

 だいたいが定年退職して、時間を持て余している。声がかかるのを首を長くして待ち望んでいるのだ。今回もShigeruから「たまに飲もうよ」とメールが来た。私には異存がない。会場は、Kinちゃんが長くホームグランドにしていた神田駅周辺で探してもらうことにした。

 サラリーマン時代に神田駅を根城に毎晩飲み歩いていたKinちゃんには、引き出しがたくさんある。それを頼りに、会場探しをしてもらっている。

 今回の蕎麦屋は、昭和通りに面した地下深い店だった。馴染みの店らしく、大歓待された。料理が次から次へと出てきた。思い出す限りあげてみると、モズクに始まりサバの塩焼き、お刺身、天ぷら、最後の仕上げはお蕎麦だった。

 飲み放題コースを頼んだようで、生ビールに始まり、焼酎、お酒、ウーロン茶とこれも豪快だ。ただ、秋田出身にしては今回の参加者に飲み助は少なかった。

Img_3610 どうしても話題になるのは小さいころの話だ。久し振りに参加してくれたHiratoが、写真をたくさん抱えてきた。よくぞこれほどと思えるほどのもの持ちの良さだ。

 小学校の卒業アルバムに始まり、中学校の卒業旅行、日々のこまごまとした写真があった。その写真を見ながら、話に花が咲いた。あるアルバム写真をみながら、Hiratoが「この写真は兄貴が写っているんじゃないの」と指摘した。よく見ると、次兄の中学生時代の写真だった。すでに亡くなっているが、こんな元気な時代があったんだね。

Img_3612 珍しくToshio君が参加してくれた。彼は30数年間も自営のパン屋さんをやっていて、こういう同級会には参加できなかった。『廃業のお知らせ』の案内をいただいたので、声をかけてみた。喜んで参加してくれた。

 彼の実家と私の実家は近かったので、何度も行き来をしていた。そういえば、彼の広大な実家はどうなっているのだろうか。「私の実家は700坪あったが、いまや空き家になり誰も棲んでいない」とのことだ。もったいないね。

 われわれ古希を過ぎたものには、帰るべき実家がないという人が多かった。私も、今年の8月に墓参りで帰郷したいと思うが、宿泊は秋田市内のホテルというのが寂しい。

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2017年4月16日 (日)

№3403 同郷仲間で昼食会

 そういえば、モロッコ旅行中Yoichiさんから電話があり、びっくりしたことを覚えている。海外にいても国内と同じように電話で話せ、しかも、その声がクリアに聞こえた。

 用件は昼食会をやろうとのことだったが、私は今モロッコにいるといったら、彼もビックリしていた。結局、日程はSNSで知らせるとのことだった。私はドーハの空港で、昼食会に参加するとの返事を出した。

Img_2915 この昼食会は10年間ほど続いているが、昨年の秋、この会の中心であったSatoruさんがお亡くなりになった。この日は奥さんをお招きして、彼を偲ぶ会にしようという趣旨だった。会場は、いつもの大宮にある中華料理屋さんだ。

 Satoruさんは83歳でご逝去されたとのことだが、長患いをすることもなく、入院一か月半だったらしい。亡くなったのは惜しいことだが、家族にとっても看病するのにちょうどいい日々だったのではないか。

 ひとしきり彼の話題になったが、奥さんにとっては本当にわがままな人だったね。よく彼に耐えたものだと労ったのだが、「そんなこともなく、可愛い人だったよ」と話していた。

 この日は6人の会だったが、元気なのはKaoruさんだ。彼女は剣道4段の腕前だが、その剣道もやめて健康体操に打ち込んでいるとのことだ。「この前、計ってみたら、私は20代後半の体力があると褒められたのよ」と嬉しそうだった。

 半袖の彼女の腕をみると、私は腕相撲で負けそうなほど筋力がしっかりしていた。彼女の旦那Shigeruさんもお亡くなりになってもう14~5年にもなる。「いや彼は死んだのではなく、いつも私のそばにいるのよ」と健気だ。

 この会に参加したTaguchiさんも、ひところ健康を損ねて元気がなかったが、この日は元に戻ったように元気だった。無理をしない範囲で今も仕事を続けているというし、彼も剣道やカラオケ、ソフトボールに精を出しているそうだ。

 一番元気がなかったのが、世話人のYoichiさんだ。今では医者に止められていて、アルコールは一切口にしていないそうだ。なんといっても、健康が一番だね。

 この店に3時間もいただろうか。相当飲んで喰い、おしゃべりをしていたのだが、男一人2000円、女一人1000円で済んだ。それと有り難いことに、何時間いても店からのクレームがない。来年もこの店にしよう、と話した。

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2016年10月31日 (月)

№3233 田舎の同級生と仙台で飲む

 この日は、仙台で田舎の同級生と久しぶりに会うことにしていた。石巻訪問で、予定が若干遅れることを連絡したら、仲間はすでに飲み屋で飲んでいた。集まったのは仙台在住のAtsukoさん、Yamakanさん、それに福島からアチャが駆けつけてくれた。

 AtsukoさんとYamakanさんは、仙台に来るたびにお会いしている。たまたまアチャからメールがあったので、仙台で飲もうと私から誘った。彼は大喜びだった。皆さん一線を退いて、こういう飲み会は大歓迎だったようだ。彼らは、私の小学校、中学校を通しての仲間だ。

 それにしても、この晩は田舎の話で盛り上がったね。話題は多岐にわたったが、まずは恩師の消息だ。大半の先生はすでにお亡くなりになったようだが、まだご存命の方もいるようだ。その先生も、もう90歳をとおに過ぎたことだろうね。

 われわれ古希ともなると、同期で亡くなった人も多い。それぞれ亡くなった人の情報を確認し合った。Yamakanさんが、昭和33年の小学校卒業アルバムを持ってきていた。小学校6年生のわれわれも幼かったが、先生方もまだまだお若い。そうだよね、約60年前の写真だもの。

 たまたまこの日集まった四人は、町場に住んでいた。そこで話が弾んだのが、どこの家がどうなっているかという話題だ。田舎のわが家もすでに空き家になっているが、故郷は老人の限界集落で、ものすごく空き家が増えているようだ。実家の前の家は造り酒屋で、何千坪もある敷地だが、今住んでいるのは老人の奥さん一人だ。

 われわれが小さかった頃に金持ちだった家の没落も話題になった。小さな町だったが、やけに呉服屋が多かった。すごい構えの良かった家も、今やほとんどが空き家になっているようだ。

 わが実家も空き家だが、Yamakanさんの家も空き家だそうだ。彼の家は醤油屋をやっていて、私は入ったことがないのだが、裏には大きな蔵が三つもあるという。その蔵も朽ち果てて、解体すると何百万円もかかると、そのままほってあるそうだ。故郷を離れたモノにとっては懐かしい話だが、まだ住んでいる同級生が大勢いる。住むも地獄、去るも地獄の話だね。

 そいいう話をしていたら、あっという間に4時間が経ってしまった。私はこの日に新幹線で帰るつもりでいる。とはいっても後ろ髪をひかれる思いで、さらにお茶を飲んでから別れることにした。来年の春にはぜひ那須に来たいという。もちろん、大歓迎だ。

 古希の同期会といい、大川小学校訪問といい、田舎の仲間との再会といい、今回は実りの多い仙台訪問だった。

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