カテゴリー「ふるさと秋田」の40件の記事

2020年1月29日 (水)

№4420 天鷺ネット

 先日田舎の同期で新年会をやった事をブログに書いたら、さっそく、田舎のShouちゃんからメールがあった。このメールは私にだけではなく、「天鷺ネット」を通して会員全員に配信されていた。

 天鷺ネットというのは、同期の仲間でメールアドレスのある人がネットワークを組んでいて、今は会員が25名ほどいる。わが郷里は城下町で、お城は天鷺城といった。そこからとったネーミングで、もう始めて15年にもなるかな。そもそも当時の町会議員でもあったSadami君が、町政報告で始めたネットワークであった。彼は盛んにこのネットワークを通して情報を発信していたが、その彼が亡くなってしまった。

 その後、田舎に住んでいるShouちゃんなどが中心になって、このネットワークを維持していた。その時々の田舎の話も聞けて、会員は楽しみにしていたのではないか。北海道に住んでいるKiyoshi君や福島に住むMinoru君なども、時々話題を提供していた。ところが、大半の人は情報が来るのを楽しみにはしているが、自分から発信することはほとんどなかった。そういう私も読むには読むが、積極的な発信者じゃない。

 そのうち下火になって、だんだん発信する人はいなくなった。それはそれで寂しいものである。ただ、何人かはときどき私のブログを読みにきてくれているらしい。そのおかげで、秋田県の読者が増えている。やはり、待っているだけではだめで、自分で積極的にかかわらなければだめ、と反省している。

 Shouちゃんちゃんのメールで、私の書いた記事でKoji君の情報が分かった。年賀状を出しても「宛先不明」で返ってきたのだが、昨年の5月に亡くなったとのことだ。こういう話は東京ではわからなく、田舎にいると伝わってくるものなのだ。

 Shouちゃんからは、びっくりするような情報もあった。仲間が鳥海山に登ったらしい。そこでクマに襲われたという。「抵抗するまもなく、すぐうつぶせになって防御したようですが、腕を咬まれ引搔かれ、くまが逃げたのてすぐ下山したが、途中今度は後ろからの不意打ちでリュックを前足ではたかれ、地面に仰向けに倒されたそうです。自力で下山し矢島警察署まで車を運転し救急車で搬送され、何針か縫って、感染症を防ぐため1週間ぐらい入院、医者からよくこれだけで済んだね、奇跡的ですと言われたようです。」怖い話ですね。

 また、今年は秋田も暖冬で、ほとんど雪がないという。お陰でパークゴルフを楽しんでいるらしい。

 私は、久し振りにネットワークで皆さんにメールを書いた。私のブログ記事のURLも添付しておいた。さらには、ブログで公開しなかった写真も二枚添付して送信した。

 私はメール記事を書くのは億劫ではない。毎日ブログ記事を書いているほどだから、むしろ情報発信には熱心だ。ただ、同期の皆さんに共感していただけるような情報が発信できるかどうか不安なのだ。

【1月28日の歩行記録】6,747歩 4.5km

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2020年1月26日 (日)

№4417 郷里の仲間で新年同期会

 私の年代の同期の仲間は、ほぼ現役を引退している。とはいっても、まだ仕事をしている人もいるので、同期会の設定を平日にするのか土日にするのか、また、昼にするのか夜にするのかでなかなか難しい。まあ、世話人の一番都合の良い日時を決めて、この指とまれというしかないね。ということで、私の都合のいい日に同期会の日程を決めた。

 仲間に神田駅周辺の地理に明るいKinちゃんがいる。いつも会場は彼に任せている。今回は、平日の午後3時に会場設定をした。女性の中には、「早い方がいい」と賛成してくれた人もいた。20名に葉書で案内を送ったが、11名が参加の返事をくれた。なかに一人返事のない人がいた。事情を聴くと、彼は透析をやっていて酒は飲めないらしい。

 もう一人気になる同期生がいた。Koji君で、彼は今までも同期会には出てこないが、律義に年賀状はくれていた。それが、今年出した年賀状が「宛先不明」で帰ってきた。彼は独身を通していたので、参加者の中に事情を知っている仲間はいなかった。

Sdscn1834 Sdscn1835  さて、今回の会場はどこか。神田駅から歩いて3分ほどのところにあった大衆飲み屋だった。静かで料理もよかった。どうしてこういう会場を知っていたのかKinちゃんに聞いたら、「後輩に聞いてこの会場に決めた」のだそうだ。

Sdsc_0016  参加者は大体固定していて、いつもの仲間だ。さて、この日の話題の中心は、昨年5月末に郷里で行われた「喜寿まで待てない同期会」であった。私は、その時に撮っていた写真をプリントアウトして持って行った。集合写真は6枚ほどプリントアウトした。その会には50人ほど参加していたが、何人かは私の名前の知らない人だった。亡くなった人も結構いるね。

Sdscn1846  いずれ、田舎の話、仲間の話、家族の話、健康状態などいつもの話題が中心だ。飲み放題の店といえども、皆さん昔ほど飲めなくなったね。午後3時に始まった会だったが、午後5時までということで店を出た。店を出たはいいが、まだ明るかった。相当飲んだはずなのだが、まだ若干飲み足りない。「Kinちゃん、二次会はどこにする」と聞いたら、「マカセナサイ」と入ったのがガード下のやきとり屋だった。

Sdscn1848  お腹いっぱいのはずが、山のように出てきたやきとりをペロッと食べた。このやきとり屋は美味しかったね。ただ、人気のある店のようで、1時間という制約付きだった。いい具合に飲んで出たのが午後6時だ。私はそれで帰ったが、有志はカラオケに行ったのかな?

【1月25日の歩行記録】9,958歩 6.7km

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2020年1月 1日 (水)

№4392 大晦日に母校のサッカー応援

 毎年大晦日の恒例行事になっているのは、母校のサッカー応援だ。高校選手権でわが母校の出場最多回数で7年連続の出場と、応援はすっかり定着している。だが近年はほとんど出ると負けで、なかなか2回戦に進出できなかった。ただ、一昨年は例年と違い、3回戦まで進出した。ひょっとしたら、今回も望みがありそうだ。

Sdscn1689  会場は、横浜にある「三ッ沢ニッパツ球場」だった。横浜駅西口からバスで15分ほどのところにあった。私は初めて来た球場だが、以前は横浜マリノスの本拠地、いまでは今年J1に上がる横浜FCの本拠地だ。

Sdscn1693  応援には、現役の高校生のほかに顔馴染みのOBの仲間が続々顔を出していた。現役の高校生は、30日の夜中にバスで秋田を出発したようだ。秋田は寒いでしょうねと声をかけたら、「ものすごく寒いです。雪も降っていました」と話していた。その高校生の応援団が、寒いにもかかわらずなま足で懸命に声援を送っていた。

Sdscn1692  この日の対戦相手は、神戸弘陵高校だった。神戸には滝野川二高という強豪チームがあり、数年前にやられた。ただ、今回の対戦相手はあまり聞いたことがない高校だった。行けるゾ!応援団は懸命に応援した。その甲斐あってか、前半は2対1と勝っていた。

Sdscn1700  わが応援団には、強力な助っ人がいる。「なまはげ」である。このなまはげは、秋田県のスポーツ応援にはどこでも駆けつける。甲子園でも何度かお目にかかった。

 さて、試合は後半に入った。前半のリードを維持できるかと思ったが、後半の開始早々わがチームが致命的な反則を犯し、ある選手が一発退場になってしまった。前半は追い風だったのが後半は強力な向かい風が吹き、ボールを思い通りコントロールできなくなった。致命的な反則で一点を入れられてから、ほぼ相手ペースでの試合展開だった。セカンドボールは取れないし、強烈なシュートは放たれる。ほとんど良いところがなかった。その内に決勝点を入れられ、惜敗してしまった。

 それにしても、一発退場で一人欠いたことがこれほどの差になるとは、驚きだった。わがチームも、その対策を十分に講じてこなかったのではなかったのか。試合が終わって、反則を犯した選手の痛々しさだけが目についた。涙が止まらなかったのだ。

Sdscn1704  大晦日は、サッカーの応援とともに楽しみにしているのが、試合後の大忘年会だ。いつものことだが、40人以上が集まって年最後の飲み会だ。この会にはわが母校のOBだけではなく、秋田の高校のOBもたくさん参加していた。ラグビーで有名な秋田工業のOB、市内の中央高校や南高のOB、能代や大曲工業、由利工業等々多士済々だ。

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 いつもはわが母校の校歌で締めるのだが、この日は応援に参加してくれていた他校の校歌が歌われた。大曲工業のOBの方は、夫婦二人で校歌を歌っていた。二人ともOBなのだそうだ。微笑ましかった。なかなか楽しい忘年会であった。

【12月31日の歩行記録】7,635歩 5.1km

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2019年12月20日 (金)

№4379 ハタハタの贈り物

 12月になるとどうしても忘れられない郷土の食べ物がある。ハタハタである。最近でこそスーパーで干物として売られていてだいぶ知れ渡ったが、以前は知っている人が少なかった。昔は冷凍技術が未熟で、すぐに傷んでしまうハタハタは、長距離輸送には耐えられなかった。

 ハタハタは、漢字で「鰰」あるいは「鱩」とも書き、12月初旬の雷が鳴るころに岸に押し寄せる。天気予報を見ていて、秋田沖で雷が発生すると、あ~ハタハタが来ているなとつい思ってしまう。私の実家は魚屋だったので、この時期に父は漁港にハタハタの買付に行っていた。朝6時ころに仕入れから帰ってくると、家族全員でハタハタのしょっつる鍋を囲んだ。

 その当時はハタハタが際限なく獲れ、車一杯に積んで帰ってきていた。最盛期には、ブリコの入ったハタハタがひと箱50円と、箱代にもならないと嘆いていたのを思い出す。その後、秋田ではハタハタの不漁が続いて、今では高級魚となっている。ひと箱50円のハタハタが、聞くところによると一匹300円もしているらしい。今昔の感がする。

 それこそ、秋田ではハタハタの様々な調理法があった。炭火焼はもちろんのこと、ショッツル鍋、味噌田楽焼き、鮨漬、塩漬け、南蛮漬け、マリネ、小糠で漬けるなどで長期保存をして、春までハタハタを食べていた。

Sdscn1652  先日もネットで調べてみたら、今年のハタハタ漁は不良を極めているらしい。とはいっても食べたいね。甥のIkuo君に電話をした。そしたら、市場でもハタハタをめったに見かけることがない、と話していた。まあ無理にはいわないが、出来るなら自宅に送ってくれるようにお願いをした。そしたら、小振りではあったが、ハタハタを送ってきてくれた。

Sdscn1655  このハタハタを見て、女房は「こんなに食べられないわ」と嘆いていた。小さなハタハタは、ほとんど名物のブリコが入っていなかった。ブリコはハタハタの卵で、以前はいくらでも食べられた。ぷりぷりした食感で、これを食べると秋田にも冬が来たなと実感できた。今回送ってきた箱の中には、ブリコがわずか2個入っていた。早速食べてみたが、なんだか生臭かった。

 夕食には、焼き物にして食べた。女房は食べないと遠慮していたが、私は一人で10匹も食べてしまった。新鮮なだけに、身離れがよく美味しかった。明日の晩は、ショッツルはないけど鍋に豆腐と葱を大量に入れて食べよう。

【12月19日の歩行記録】8,913歩 6.0km

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2019年8月15日 (木)

№4252 弟の墓参り

Sdscn0795  お盆らしいことは何もしないわが家でも、唯一の行事が弟の墓参りだ。ずいぶん前から川崎の姉に「お墓参りはいつ行くの」と問われていた。お互いの日程を調整して、この日の墓参りとなった。横浜の姉も一緒だったが、義兄は来ていなかった。

 亡くなった人の時間がたつのは早いもので、弟が亡くなってすでに11年になる。このブログをはじめたのが2008年1月で、弟が亡くなったのはその年の12月だった。どうしても忘れられない。弟と私は4歳違いだが、60歳で年金をもらう前に亡くなってしまったのは残念である。今日は亡き弟を偲び、彼の思い出を語りたい。

 私は6人兄弟姉妹で、男4人に女2人である。残念ながら、男4人兄弟で今生きているのは私一人だ。特に、弟は何をするにも常に私の後ろをついて歩いていた。寒い秋田の冬では、夜は二人で抱き合って寝た。私を尊敬していたわけでもないだろうが、高校も私と同じ学校に入学した。中学校では、受からないからやめろ、と強く諌められたらしい。無事入学した弟は、高校では軟式野球部に属した。野球は、やはり私と同じように中学校の野球部に属していた。

 高校を卒業して、某大電機会社に就職した。結局、亡くなるまでその電機会社に勤め続けた。高校を卒業して府中にある工場にいたが、静岡の支店に転勤することになった。今でも思い出すが、私は東京でぶらぶらしていた。誰から借りたのかは忘れてしまったが、車を借りだして静岡まで引っ越し荷物を運んだ。結構静岡滞在が長かったのだろう、今の嫁さんと会ったのも静岡支店でだった。義妹は、お茶屋さんの娘だった。

 そうだ、秋田から出てきた父と静岡に結納に出かけた。そのときに初めて飲んだ桜茶が、とても美味しかったことを思い出す。静岡での彼の結婚式も盛大なものだった。一族上げて秋田から静岡に大移動した。中継地は、私の埼玉の家だ。わが家は新築して間もなかった。私の一家も一緒に結婚式に行ったが、娘が2~3歳の時だったから、もう40年以上も前のことだ。

 仲人は、川崎の姉夫婦だ。舞台に上がって踊りを披露した叔母も、一緒に参加した兄2人も、長兄の義姉もすでに亡い。仲人の姉夫婦の元旦那も亡くなった。結婚式参加に秋田から来ていた甥たちも、すでに50歳を過ぎている。50年の歴史は、彼らに様々な人生を歩ませた。

 弟は静岡支店から沼津支店に異動した。沼津も長かったが、その後京都支店、滋賀支店と転勤を繰り返した。最後の転勤は、仙台支店、盛岡支店と経由して東北支店長まで上り詰めた。50歳を過ぎて他社出向になったようだが、その会社が酒田にあった。実家に近かったせいもあり、しょっちゅう実家に顔を出していた。弟は、実家の姉(今川崎に住んでいる)が大好きだったのだ。姉には口にいえない様々な相談もしていたようだ。

 ある年、姉の娘が弟に会って「ずいぶん顔色が悪いね」と伝えたらしい。周りの家族も、そのことに気がついていなかったようだが、すぐに東北大学病院に検査に訪れた。そこで宣告されたのが、余命3ヶ月だ。9月の頭だった。そして亡くなったのが12月初旬だったから、やはり3ヶ月だった。

Sdscn0790_20190815094701  お盆の墓参りの後に、恒例の姉の家での昼食会になった。先日蓮田サービスエリアで買った桃を皆で食べた。こんなおいしい桃を食べたことはない、と姉たちは大喜びだった。それにしても、東北大病院に弟を見舞ったときの桃の不味さといったらなかった。途中、東北自動車道国見サービスエリアで買った桃だった。今でもその不味さを思い出す。

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2019年6月16日 (日)

№4193 高校同窓会の東京総会

 例年、6月の第三土曜日は、高校同窓会の「東京雄水会総会」が開かれる。会場は、これもいつも同じ霞が関ビルだ。私は定年後から参加しているが、参加してもう12~3回にもなるだろうか。この日は、参加者は100名を上回っていた。これだけ参加回数を重ねると、知り合いも多くなる。同期の連中も12名ほどが参加していた。

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 この総会の何よりの楽しみが、同窓生のなかで社会で活躍している人の講演を聞くことだ。この日は、レスリングの柳田英明さんの講演があった。柳田さんは私の一年後輩だが、秋田県でオリンピック金メダルを取った4人のうちの一人だそうだ。彼は、ミュンヘンオリンピックをはじめ2個の金メダルを持っているらしい。やんちゃな学生時代の話をはじめ、後輩を育てる話は面白かった。縁があって韓国のコーチもやったようだが、教え子のなかから2人の金メダリストが出たという。

 会場から質問が出た。「現役時代にしごきをやったのか?」どこのスポーツ部もそうだったが、先輩のいわれなきしごきがひどかった。彼は、「先輩にはしごかれたが、自分から他人に手をあげたことはない」との話に、思わず会場から拍手が出た。しごいた先輩には、練習場でたっぷり仕返ししたのだそうだ。そして、今でスポ少の子供たちを育てるのに力を注いでいると話していた。

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 番外編だったが、映画監督の若松節朗氏も壇上に立ち、「今上映されている映画を観てください」と訴えていた。その映画は『空母いぶき』で、ヒットを続けている。彼は、映画『沈まぬ太陽』でもメガフォンをとった中堅の映画監督だ。「来年の3月に『Fukushima50』という映画が上映されるので、その映画もよろしく」との話だった。

 総会は、久し振りに盛り上がった。というのも、昨年暮れから年始にかけて出場した母校サッカー部が、見事準決勝まで勝ち上がったことによる。さらには、昨年夏の甲子園に出場した金足農業が、準決勝まで勝ち上がったことも影響していた。吉田輝星の話題とともに、野球の話にも花が咲いた。

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 総会もそうだが、何よりの楽しみが懇親会だ。出席者が高齢になったせいか、立食パーテーではなく、テーブルと椅子が用意されているのはありがたかった。同期の連中とも一緒に写真を撮ったが、かわいい後輩Keikoちゃんとも一枚パチリ。彼女は、同窓会ゴルフ会の仲間だ。「この記事は何時ブログに載るの」と聞いてきたから「明日だよ」と伝えておいた。

 そういえば、耳寄りな話もあった。私の隣に座ったEikoさんが、「手の震えの原因が分かったと新聞に載っていたわよ。その新聞のコピーを送っておくね」と話していた。まさか、彼女は昨日の記事は読んでいないはずだ。そういえば、参加者の中に私のブログの熱烈ファンがいるのはありがたい。今日、早速関連記事(クリックすると記事が読めます)を送ってきてくれた。

 同期のNorioちゃんが、「毎朝、いの一番にあなたのブログを読むのを楽しみにしている」と話していたし、ゴルフ会の幹事Toita氏が、「津軽旅行を楽しんできたようですね」と話していた。「ブログを読んでいる限り、あなたは忙しそうですね」と声をかけてくれた人もいたが、そんなに忙しいことはない。

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 会場を移して、やはり後輩が経営している稲庭うどんの名店「佐藤養助商店」で二次会を行った。何よりうれしいのが、秋田の銘酒をたっぷり飲めることだ。皆さん秋田の出身だけに酒豪が多い。稲庭うどん二杯とたっぷりお酒を飲んで帰ってきた。

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2019年5月28日 (火)

№4174 二か所の墓参り

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 田舎に帰ってきたので、墓参りをしてきた。2年振りの事である。お墓は、甥のIkuo一家で守ってくれている。彼の家の仏前にお参りし、お花を買って墓参りに行った。花を飾り、水をかけて丁重にお参りしてきた。これですっきりした。お寺には、6年前に亡くなった兄の遺骨も収められているはずだ。ところが、その遺骨がなかった。

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 おや、どうしたのだろうか。お寺の大黒に聞いてみたら、5月の連休明けに遺骨を引き取っていったという。「何でも、新しいお墓を買ったと言っていましたよ」とのことだった。そんな話、聞いていないな。念のために川崎の姉にも電話をした。姉も知らなかったようだ。義姉のMiyokoさんに電話をしてみた。「そうなのよ、念願の墓を買って遺骨を収めたの」というのだ。子どもたちと一緒に遺骨を収納したらしいが、誰にも言っていないとのことだ。秋田に来たので、兄のお墓参りもしていこう。

 お墓では、昨日一緒に同期会に参加したHirato君にばったり会った。彼は川口から車で参加していて、田舎に来たのを機会に母の17回忌法要をしてもらったとのことだ。Shoちゃんも一緒にいたので、お昼ご飯を食べることにした。道の駅に甥のIkuoが経営している『ケベック』というイタ飯屋がある。その店に行ったが、お昼のせいか満員だった。結構、お店は繁盛しているのだ。一緒に行ったHirato君は、美味しい美味しいと言って食べてくれた。

 これから埼玉に帰るという彼と別れて、私は秋田に向かった。義姉のMiyokoさんと連絡を取り合って、亡き兄のお墓に詣でてきた。気持ちの上でもすっきりしたと、義姉は喜んでいた。自宅でお茶をご馳走になり、この日予約しているホテルに向かった。

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 そして、その夜は甥のIkuo君、Takashi君、それに従弟のRyou君の4人でホテルの近くの飲み屋で会食をした。専ら話題は、もう25年も前に亡くなった兄の事だった。死んだ兄は56~7歳だったろうか。彼らも50台半ばになると、今でなければ話せないことがたくさんあった。親を客観的に評価できる年になっているのだ。4時間も飲み屋にいた。帰りはラーメンを食べて、私はホテルに向かった。

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2019年5月27日 (月)

№4173 喜寿を待てない会

 今回秋田にやってきたのは、「喜寿を待てない会」に参加するためだった。2015年の4年前、同期で「古希を祝う会」をやった。次のビッグイベントは、77歳の「喜寿を祝う会」だが、それまで待てない気の早い連中が企画したものだ。いずれ、田舎に気働きのする幹事がいるので、こういう会ができるのに感謝だ。

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 会場は、由利本荘市のホテルの宴会場だ。参加者は男子26名、女子21名の計47名だった。関東からは12名、北海道2名、福岡から1名と結構遠くからも来ていた。幹事はいつもの趣向を変え、宴会中に席替えを三回も行った。一度目は出身町内別、二度目は小学校のクラス別、そして三度目は中学校のクラス別に替えた。どうしても一度席に座ってしまうと、動きたがらないものだ。それを配慮したようだ。

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 開会に先立ち、主催者が物故者の紹介をし、全員で冥福を祈った。わが学年は129名だったが、その内これまで28名の方が亡くなっていた。名前が読み上げられるたびに、会場から深い溜息が漏れた。そうか、彼も彼女も亡くなったのだ。小学校と中学校は小さな町なので、皆さん顔馴染みだ。第一回目の席で話になったが、わが生家のある町内は20軒ほどだったが、各屋に同じ歳ごろの子どもがたくさんいた。町は子どもであふれかえっていたのだ。

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 私の実家の目の前に住んでいたのは、造り酒屋の「Junkoお嬢様」だ。彼女の家は4000坪もある豪壮な家だった。疾うに造り酒屋も止めて、今その広壮な家に住んでいるのは未亡人一人だ。余計なことだがあそこの家はどうなっちゃうのだろうか、彼女に問うた。「私にもどうなってしまうのかわからないわ」とのことだ。そういえば、この町は空家だらけだ。私の生家も、今では空家だ。

 私が出発する前に川崎の姉から電話があり、「実家を借りたいという人がいるが、今実家の家はどうなっているのか」と問われた。今管理しているのは甥だ。彼に聞いてみたらどうか、と返事した。

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 さて、会場では恒例のカラオケ合戦に移った。かつての秋田美人合唱団、もっとも今でも美人軍団だが、が会場を賑わせた。私は最近とんとカラオケには縁がなくなったが、Reikoに慫慂されて一緒に「銀座の恋の物語」を歌った。ただ、私は歌うよりも昔話に花を咲かせた。会は二次会、三次会と流れ、朝目が覚めたときにはすっかり声が枯れていた。これは歌いすぎたためではなく、飲み過ぎのためだった。

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2019年5月26日 (日)

№4172 那須から秋田へ

 さて、いよいよ旅の始まりである。この日は、午後2時半の会である。那須から秋田まで何㎞あるのだろうか。カーナビで検索してみたら、会場のホテルまでは453㎞とあった。まあ、5時間もあったら到着するなと目算した。

 那須を午前7時50分に出て、東北自動車道は那須インターチェンジで乗った。天気も良いし、快適なドライヴ旅行だった。私は、長距離ドライヴを苦にしない。何百㎞だろうがOKである。そうだ、サービスエリアで東北の地図を貰おう。無料で地図を配布している。安達太良サービスエリアに地図を貰うために立ち寄った。ストップしたのは、そのためだけだった。

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 秋田道の横手インターチェンジで降りた。由利本荘市に向かう直線だ。間もなく鳥海山が見えてきた。山は真っ白に雪をかぶっていた。まだまだ冬なんだね。この日も雲一つなく、すそ野まできれいに眺めることができた。鳥海山を見ると、故郷に帰ってきたことを実感できる。そうだ、この沿線に親戚の家がある。仏前にお参りしていこう。

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 急遽の立ち寄りだったが、この日は買い物とかで、従妹は出かけていていなかった。旦那だけがいたが、お参りだけで早々に退去した。目的地に向かう街道沿いには、秋田の名物である「ババヘラアイス」を売っていた。この光景も秋田ならでは、である。懐かしいので、写真を撮っていいかと尋ねた。「アイスを買わないなら、顔を撮っちゃいけない」といわれた。別にアイスが食べたいわけじゃないが、一個200円だった。

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 目的の由利本荘市に無事着いたのは、午後12時20分だった。会が始まるまではまだ2時間以上もある。そうだ、女房に頼まれた「味どうらく」を買っておこう。大きなスーパーに目的の物は売っていた。これは万能のつゆとかで、秋田でなければ見かけない。一升瓶も売っていたが、女房に頼まれたのは小瓶だ。5本買った。これで、女房への義理は果たせた。

 そして、この日の会場に着いたのは、開会1時間前の午後1時半だった。

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2018年6月17日 (日)

№3833 高校同窓会の東京総会

 毎年6月の第3土曜日は、虎ノ門の霞が関ビルの最上階で高校の同窓会総会が開かれる。もう10年にもなるだろうか、私はこの日を楽しみに参加している。

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 この同窓会は、私と同期のRokuちゃんが会長をやっている。今年で6期目になるという。早いものだ。通常2期4年で交代していた会長職だが、彼の名会長・人望もあって、3期6年と延長された。後任も見つかったとのことで、今期限りで退任とのことだ。本当にご苦労様でした。

 そのRokuちゃんが私のところにやってきて、「ブログを見る限り、あなたはゴルフが下手になったね。私は、念願のホールインワンを達成したよ」と喜んでいた。達成記念のお祝いを請求したら、記念のQUOカードを頂戴した。

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 この総会で何よりの楽しみは、実績のある先輩方の講演である。今回は、先輩の川村誠さんが、「小さな大投手今川敬三氏との出逢い」と題して、約40分ほど話してくれた。今川敬三さんというのは、甲子園で大活躍したわが母校最大の英雄である。

 川村さんは今川さんと同期で、一緒に野球をした仲だったという。私の3年先輩だ。今川さんは高校で3年間活躍し、早稲田に進学し、卒業後母校の野球部監督に就任した。就任9年で、交通事故で急逝してしまった。没後もう42年になる。

 その経歴も含めて詳しく話された。今でも甲子園記録として残っているのが、73球で完投勝利した球数の少なさだという。今川さんの人柄も含めて紹介されたが、参加者はその講演に聞き入っていた。今川後、下手投げ投手が続出したが、秋田県出身の阪急山田久志投手も、今川さんの影響を受けて下手投げになったらしい。

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 さて、第一部の総会が終わり、懇親会に移った。参加者の高齢化を意識したのか、今年から全員椅子に座っての懇親会だった。今年初めて参加したのか、わが町出身の3年先輩Hiroshiさんの名前を見つけて、挨拶に伺った。彼とは3年違いなので、一緒の学校生活を送ったことはない。開口一番彼が話したのは、「お前のうちに庭になっていた梨を泥棒した」思い出話だった。

 また、いつも高校の同窓ゴルフ会で一緒のKeikoさんも見つけ、挨拶をした。「シンさんのブログを楽しみにしていますが、最近ゴルフの記事が少なくなりましたね」と言っていた。そう、あまりゴルフには行っていないのだ。今年の春の同窓ゴルフも欠席した。「今年の秋こそは一緒にやりましょうよ」と言われた。

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 今年は、わが期の参加者が12名と多かった。会長退任の花束を持ったRokuちゃんを囲んで、記念写真を撮った。アレッ、3人足りないな。

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 最後は、恒例の応援歌、校歌を皆で肩を組みながら歌ってお開きになった。二次会は近くの飲み屋で行ったが、そこで私は3年後輩の仲間と一緒の席だった。3年後輩といううと、もう10年前に亡くなった弟と同期だ。その話をしたら、弟を知っている人も何人かいた。

 楽しい同窓会だったが、帰りにKeikoちゃんから「私がもらった秋田の酒一升瓶だが、飲まないから上げる」と言われ、喜んでいただいてきた。

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